酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その6)

東京都は「ディーゼル車NO作戦」というラディカルなアドバルーンをぶち上げ、当初は「都内に入ってくる全てのディーゼル車にDPF(粒子状物質現象装置)を装着させる」としていました。その拠り所はあの段階で実質的に××セラ研以外ありませんでしたが、他系列の車両ではメーカー保証が受けられなくなるという状況が確認されました。私はその結果を受けたものだと認識していますが、東京都の条例は以下のように大幅な下方修正を余儀なくされました。

・国の最新の排ガス基準適合車および、その一つ前の排ガス基準適合車には規制なし
・国の最新より二つ以上前の排ガス基準適合車で初度登録より7年を超えて使用する場合は東京都知事の指定するDPFを装着すること

これが、最終的に東京都の決した条例の主な部分です。あの大きなアドバルーンもここまで萎んでしまい、国の基準にほんのりと産毛を生やした程度といったところでしょう。殆ど骨抜きになってしまったこの条例に、どこまでの実効性があるのかは全くの謎です。

東京都は当初、公害防止条例の策定に自動車メーカーやユーザー達の意向など聞く機会を設けることはありませんでした。が、後に公聴会などを開いてメーカーやトラック協会などに対しても積極的に意見を聞くようになったという話を聞きました。そのタイミングは例の指名競争入札の後くらいだったように記憶しています。

また、前々回でも述べましたが、某メーカーのエンジンR&D部の方が「実用に耐えるDPFを平成元年規制車に装着しても、結局は何も装着しない最新型エンジンのほうがPM(粒子状物質)の排出量はずっと少なくなっているんです。しかも、NOx(窒素酸化物)の排出量も遙かに少なくなっていますし。」といっていた同種の意見を東京都もどこかの段階で聞き、それを真摯に受け止めたようです。彼らは2003年の1月には「ディーゼル車買い換えのための新たな融資制度」を導入しました。

こうした後の軌道修正も含めて評価するなら、東京都の取り組みの全てが出鱈目だったと言うことはできないでしょう。DPF導入の助成金制度も車両買い替えのための融資制度もそれなりに意味はあったと思います。また、不正軽油を使用する業者などの摘発を積極的に行っていったことも評価すべきでしょう。

余談になりますが、不正軽油というのは軽油に灯油や重油を混合させたものや、灯油と重油を混合したものに濃硫酸や苛性ソーダなどで処理した変造ディーゼル燃料です。これは排出ガスにも問題があるのですが、軽油取引税を脱税する行為にもあたります。不正軽油の使用は大気汚染物質を増やすばかりでなく、行政からすれば税収を損なうものでもありますから、これを取り締まるのは一石二鳥といえるでしょう。実際、東京都主税局は不正軽油Gメンを組織し、違反事業者などを摘発したといいます。

それはともかく、当初現実問題を全く無視してスタートした東京都の環境対策は、最終的に基準が大きく引き下げらました。それならば、入念な下準備を行って最初から現実をきちんと見据えておくべきでした。一般の方はご存じないかも知れませんが、多くの関係者を振り回した東京都の「ディーゼル車NO作戦」は2000年末に終了しています。このキャンペーンは僅か1年4ヶ月で終わっていたのです。このとき彼らも方向性の誤りを正さなければならないと気付いたからでしょう。

つまり、1999年8月、石原知事がペットボトルに詰めた粒子状物質を報道カメラの前でぶちまけたパフォーマンスは全くの勇み足だったということです。東京都環境保全局(現在は旧清掃局と統合して環境局となっています)の職員は恐らく最初の1年くらいの間に猛勉強したのだと思います。が、見切り発車が過ぎました。もう少し我慢し、メーカーや主要な関係者からも意見を仰いでから動き始めれば、こうしたバカバカしい混乱は生じなかったハズなのです。

ま、世間一般には大衆メディアというフィルターを通して伝わって行きましたから、混乱があったことなど全くといってよいほど知られていないでしょう。が、私は当時もろにインサイダーでしたから、死ぬほど振り回され、石原慎太郎を呪い殺してやりたいと思ったほどです。

東京都の「ディーゼル車NO作戦」が何だったのか、元インサイダーである私の個人的な感想としましては、勉強不足の「勇み足キャンペーン」だったと評するほかにありません。

東京都があのキャンペーンを始めた最初の1年くらい、彼らは現状や実効性を深く考えずに「ディーゼル車を排除すればよい」とか「DPFを付けさせればそれでよい」といった短絡思考に陥っていました。それでも途中から間違いに気づいて1年4ヶ月で終了させただけマトモだったと言えるかも知れません。

しかし、現在でも多くの環境対策で同様の短絡思考による「勇み足キャンペーン」が繰り広げられています(先般、当blogでも「発電所は急に止まれない」と題したエントリで取り上げたコンビニの深夜営業を規制しようとする風潮もその一例になるかと思います)。こうしたケースはいずれも認識不足、研究不足、イメージ先行の精神主義によるものです。同じようなことを何度も繰り返さないよう、少しは進歩して欲しいものです。

(おしまい)
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東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その5)

一時、東京都はすべてのディーゼル車にDPF(粒子状物質減少装置)の装着を義務づけようとしていました。が、これは決して安価なものではありません。業界から離れて久しいので現在の相場は把握していませんが、私が関係していた頃は部品代だけで100万円前後になる装置でした。ものにもよりますが、大型車などは取付け工賃を含めて百数十万円もかかったんですね(もちろん、排気量が大きくなるほど装置も大きくしなければなりませんから、車格によって相応の価格差はありますけど)。

これが台湾のように車両の運行を止めている期間の補償も含めて行政の全額負担ならハナシは別ですが、自腹でこれだけの費用を投じた車両を1年や2年で代替えするわけにもいきません。百数十万円を投じて装置を取付け、その費用の償却を毎年数十万円と見たら5年くらいは延命させなければなりません。

これでは徒に古い車両を増やすことになり、排ガスのキレイな新型車への代替えを遅らせ、結果的に大気汚染抑制には逆効果ではないかという意見も多く聞かれました。もちろん、トータルでの環境負荷を考えると代替えサイクルを伸ばすべきか否かは非常に難しい要素を含みます。例の「エコ替え」のような部分評価では全く無意味で、厳密なLCAを行わなければ正しい評価できないでしょう。

ただし、トラック業界には10年で100万kmを走る車両もゴロゴロありますし、十何年も酷使されるケースは決して珍しいハナシではありません。生涯走行距離が自家用乗用車の10倍など当たり前で、使用年数も1.5倍~2倍くらいになる業界ですから、適切なタイミングでの代替えが有効になるとする考え方もあながち間違いとはいえないでしょう。

また、古いディーゼル車の使用を制限する「自動車NOx・PM法」という国の法律もあります。基準をクリアしていない車両は特定の年数を過ぎたら対策区域内に使用の本拠を置くことができなくなりますから、従来から代替えの目処の一つになっていました。しかし、そのタイミングは東京都の条例が定める猶予期間と一致していませんから、過剰にユーザーを圧迫する条例ではないかとする反発も根強くあります。

兎にも角にも、東京都が推進した公害防止条例は、ひとえに「目に見える」排ガス成分であるPM(粒子状物質)を減らすことのみに集中し、「目に見えない」NOx(窒素酸化物)その他の物質には何の網も張らなかったのは事実です。

これでは片手落ちとしか評しようがない排ガス規制になりますが、そうしたことを指摘していたメディアは皆無でした。要するに、規制の中身など知らない、勉強する気もない、そういうメディアが石原都政を持ち上げて、世論もそれを支持するというバカげた状況を創っていたということです。

あれから約2年後の2001年4月、東京都は30年ぶりに全面改正した東京都公害防止条例を施行しました。同年7月には「東京都粒子状物質減少装置指定要綱」に基づいてDPFの指定申請の受け付けが始まり、11月には東京都指定粒子状物質減少装置装着車のステッカー貼付式がとり行われました。

しかし、あのとき他社系メーカーの車両にも適応できると豪語し、多くの関係者を振り回した××セラ研は東京都へDPFの指定申請を行っていませんでした。

東京都が条例案として「全車にDPF装着義務付け」を表明していたその拠り所になっていたのは、あの時点で××セラ研の「全車対応可能」というハナシだけでした。が、例の指名競争入札で全社辞退し、メーカーの保証が受けられなくなる非現実的なものだということが明らかになりました。そのことが直接関係していたかどうかは解りませんが、いずれにしても、東京都が方針転換を迫られたのは事実です。

ま、東京都環境科学研究所との絡みで××セラ研が表立ってしまって、彼らはスケープゴートにされてしまったという可能性もありますが、いずれにしても当初あれだけ突っ走っていた××セラ研が結果的にドロップアウトしてしまったのは、相応の「何か」があったのは間違いないでしょう。

その後、個人的に調べてみましたが、やはり××セラ研は例の一件の後、事実上撤退していたようです。東京都環境科学研究所との共同プロジェクトがあった手前、あからさまな撤退はできなかった様子で、しばらくは市場にとどまる素振りだけは示していました。

しかしながら、小型車用400万円、中型車用500万円、大型車用600万円という、およそ現実的ではない価格を設定し、あえて誰からも相手にされない状況をつくっていたようです。そして、ひっそりとフェードアウトし、2001年の条例改正の頃には既に忘れ去られた存在になっていったわけですね。

彼らが東京都を振り回した故に撤退するハメになったのか、むしろ振り回されたのは彼らのほうだったのか、その真相は闇の中です。

(つづく)

東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その4)

以前にもMDIのエアカーについて述べたとき触れましたが、トヨタは毎年9000億円を超える開発費を環境対策技術や将来へ向けての技術開発に投じているそうです。一方、東京都の条例が策定される際にトラックメーカーは散々翻弄されましたが、彼らも排ガス対策技術のためだけに毎年100億円を超える予算を注ぎ込み、年々厳しくなる国の規制強化のスケジュールに間に合わせるべく、血の滲むような努力を重ねていました。

あまり詳しいことは書けませんが、私は某トラックメーカーのエンジンR&D部の方と懇意にさせて頂いていた関係で、研究施設を見学させて頂いたことがあります。当時の担当部長の特別な計らいで通常は社員でも部外者立入厳禁のベンチテストルームまで見せて頂きました。様々な手立てを用いて研究されているそのレベルの高さに私は心底驚愕するとともに、あの石原知事でもこれを見れば「怠慢」などと口が裂けても言えないだろうと思いました。

ディーゼル車の排ガス規制やその対応に関して、国も自動車メーカーも、惰眠をむさぼっていた人間などいなかったでしょう。もしかしたら、竹下内閣時代に運輸大臣を務めていながら、こうした経緯を知らなかった彼だけが惰眠をむさぼっていたのかも知れません。また、大衆メディアの排出ガス規制に関する認識もズブのド素人そのもので、東京都のぶち上げた子供だましのアドバルーンにまんまと乗せられたという格好だったのでしょう。

ここで少し解説しておきますと、ディーゼルエンジンで問題となる主な排出ガスの成分は以下の4つになります。

(1) 窒素酸化物(以下NOx)
(2) 硫黄酸化物(以下SOx)
(3) 粒子状物質(以下PM)
(4) 炭化水素(以下HC)

SOxに関しては前々回でも触れましたように、燃料の精製段階で脱硫処理してやれば、その分だけ抑制することができます。HCというのは未燃焼の燃料です。また、このほかにも極々わずかに一酸化炭素も出ますが、ガソリンエンジンほどではありません(もし、一酸化炭素中毒で自殺したいと思われる方はディーゼルエンジンではまず無理だと思いますので、ガソリンエンジン車の使用をお勧めします)。

上記のうち、前二者と後二者では素性が異なります。前者は燃焼温度が高く、完全燃焼しやすい状態になるほど多く排出されます。一方、後者は不完全燃焼の状態で生じるもので、燃焼温度が低いほど条件は悪くなるわけです。

特に問題になるのは光化学スモッグや酸性雨などの原因になるとされるNOxと、気管支疾患の原因と考えられているPMですが、これらは要するに二律背反の関係になります。NOxを減らそうと思って燃焼温度を下げれば、不完全燃焼となって燃えかすのススなどを主体とするPMが増え、PMを減らそうと思って燃焼温度を上げれば、大気中の窒素と酸素が筒内で反応し、NOxが生成されてしまいます。つまり、両方を同時に減らすのは非常に難しいことなのです。

ですから、国土交通省は自動車メーカーに対して排出量削減技術の進捗具合を打診しながら、実現可能なスケジュールで段階的に排ガス規制を実施し、初回にも触れたとおり、昭和54年、昭和58年、平成元年、平成6年、平成10-11年、平成14年、平成17年と、小刻みに規制値が引き上げられていったのです。

これに対して、2000年2月の時点で東京都が検討していた具体的な規制の内容は以下の2点になります。

・DPF(粒子状物質減少装置)を装着していないディーゼル車は、都内(島しょを除く東京都全域)を運行することができない。
・都内登録のディーゼル車は、DPFを装着しなければならない。

つまり、東京都が規制したのは(3)のPMだけです。全体のバランスなどは無視してこれだけを減らせと言ってきたに過ぎません。

もちろん、日本の自動車メーカー本体でも後付けのDPFは開発されていました。しかし、ヒーター式は電力供給のためにオルタネーターの容量アップなども必要な場合があったり、ヒーターの寿命も考慮する必要があったり、色々な課題が山積していました。一方、酸化触媒を用いる方式は機械的な構造がシンプルなもので済みますが、能力や燃料の適合性などにネックがあった時代でしたから、そのあたりも整理しながら開発を進めていかなければならない状況だったわけです。

東京都の条例案の検討が始まった当初は自動車メーカーに何の断りもなく進められていましたから、東京都の関係者はこうした状況もあまりよく理解していなかったでしょう。彼らはこうした流れの一切を考慮せず、上述のように「とにかくDPFを装着させればそれでいい」という、非常に偏った短絡思考の条例案をぶち上げました。丁度その頃、私は某メーカーの方と一緒に仕事をしていましたが、彼はこう言っていました。

「石原さんは全てのディーゼル車にDPFを付けろと言ってますけど、例えば平成元年規制車にDPFを付けても、何も付けない平成10年規制車のほうが排ガスはずっとキレイなんですよ。平成元年規制車は最新のものよりPMの量が一桁多いですから、フィルターの目をあまり細かくすることが出来ないんですね。実用に耐えるDPFを平成元年規制車に装着しても、結局は何も装着しない最新型エンジンのほうがPMの排出量はずっと少なくなっているんです。しかも、NOxの排出量も遙かに少なくなっていますし。」

このとき、東京都は全てのディーゼル車にDPFを装着せるとしながら、それによって具体的にPMの排出量をどのレベルまで低減させればよいのかという、具体的な数値については一切示していませんでした。このことも「とにかくDPFを装着させればそれでいい」という、素人考え丸出しの単純な方針であったことを裏付けるものです。

(つづく)

東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その3)

東京都が「ディーゼル車NO作戦」を発表したとき、「石原知事に入れ知恵したのは××セラミックス研究所(某自動車メーカー××社の100%子会社、以下××セラ研)だったのではないか?」という噂も流れていました。が、これはデマだったと思います。というのも、石原都政がスタートする以前の1998年には東京都環境科学研究所がレトロフィット(後付け)DPF(粒子状物質減少装置)の共同開発者を公募し、それに手を挙げて共同プロジェクトに参画したのが××セラ研だったからです。

恐らく、石原知事は就任後様々な報告書などに目を通す中で、解りやすく大衆ウケするこのプロジェクトに目を止めたのではないかと思います(あくまでも個人的な憶測です)。学識経験者など現場を知らずに机上論をこねるプロたちを絡めて「ディーゼル車NO作戦」を展開させたのではないかと、要するに彼がよくやる「単なる思いつき」なのだろうと、私はそんな風に想像していました。(同様に深く考えずに始めた銀行が火の車になり、莫大な税金が投入された愚は皆さんもよくご存じの通りですね。)

東京都環境科学研究所との共同プロジェクトに参画した××セラ研のDPFはセラミック製のフィルターを2セット用意し、片側のフィルターが目詰まりしたらもう一方へ切り替え、休ませている間にフィルターに仕込まれた電気ヒーターで粒子状物質を焼いてしまうという方式でした。

もちろん、東京都の保有車両へ装着して試験が行われていたDPFは××セラ研だけではありませんでした。他にも××セラ研と同様に2セットのヒーター内蔵フィルターを交互に使う方式を提案していたメーカーはありましたが、この方式では××セラ研のものが一番優れていました。というのも、彼らのDPFは非常にコンパクトで、後付けの改造が比較的容易だったからです。

他社の場合、フィルター2コを横に並べていましたので、スペースの確保が難しいケースが多々ありました。しかし、××セラ研のものはフィルターを前後に配置していたため、スペース効率が非常に優れていました。こうしたフィルターは消音効果もありますので、マフラーとの差し替えになるのですが、デフォルトのマフラーと比べてもあまり大きくならない××セラ研のDPFは、それゆえ改造が容易だったわけです。


××セラ研のDPF
エキゾーストマニホールドとつながるパイプはタイコの中央へつながり、
そこにある切替弁で写真手前と奥、前後に2つ並べられた
セラミックフィルターのいずれかに排ガスを通す格好になります。
他社はこのフィルターを横に並べていましたので、
デフォルトのマフラーとの単純な差し替えが非常に困難でした。


××セラ研のDPFは東京都交通局のバスや東京都清掃局(当時)のゴミ収集車にも試験装着されるなど、状況としては他社より完全に頭一つリードしているような格好でした。が、実際に現場の意見を聞いてみますと、作動不良による目詰まりもあったようですし、「装置の中に電気を通すため、高圧洗浄機の水を直接かけるなといわれているので、洗車しにくくてかなわない」と、評価はあまり芳しいものではない印象でした。

また、この方式を信用していなかった東京消防庁は緊急出動時にエンコされては人命に関わるので、万一目詰まりを起こしても対処できるよう、バイパスを設ける必要があると判断していました。

とはいえ、国内メーカーとしては草分け的な存在だった彼らは、ディーゼル車NO作戦の展開からかなり強気のアピールを始めたようでした。あの時点で××セラ研は他系列メーカーでも殆どの車両に装着できると豪語していましたし。(ちゃんとテストしていたのかどうかは謎ですが。)

あの段階ではまだ試験販売という状況だったと思いますが、車載状態で再生可能なDPFの市販を開始していたのは××セラ研が実質的に唯一という状況だったと思います。そうした状況にあって東京都は都内を走る全てのディーゼル車にDPFの装着を義務づける条例を策定しようと動いていましたから、彼らとの密接な関係が疑われたのは無理もないことだったと思います。

しかし、東京都は建設局の車両購入案件で××セラ研の系列販社だけを指名から外しました。その一方で、彼らが配布した仕様書には「DPFを取付けること」と明記されており、担当職員が「DPFのアテがない方は、こちらに資料をご用意していますので、申しつけて下さい」といって××セラ研を紹介していました。こうした状況から、

「××セラ研がどこのメーカーにも対応できると豪語していることを東京都は確かめるため、わざと系列販社を呼ばなかったのではないか?」

といった噂が流れました。で、結局のところ前回、前々回でも触れましたように、この案件は不調となりました。それは××セラ研が対応可能と言い張っても、当の自動車メーカーが保証できないと判断したからです。要するに、テストもしたことのない社外品を排気管に装着し、エンジンに不具合が生じたとしても、自動車メーカー側では責任を負えないというわけです。このため、各社とも入札の際に「辞退」の札を投じたのです。

(つづく)

東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その2)

現在主流となっている酸化触媒とフィルターを組み合わせたDPF(粒子状物質減少装置)の元祖であるジョンソン・マッセイの「CRT」はディーゼル燃料の品質に縛りがありました。当時の日本では殆ど流通していなかった含有硫黄分が5ppm以下の低硫黄軽油を要求するものだったんですね。

ヨーロッパに供給されている石油は北海油田産も多く、その原油は硫黄分が少ないため、硫黄分を取り除く「脱硫」は技術的にもコスト的にもさほど難しくないそうです。が、日本が輸入している原油の9割近くはアラブ産で硫黄分が非常に多いといいます。そのため、北海油田産より脱硫は容易ではないと言われ、当時は低硫黄軽油の生産も殆ど試験段階でしかありませんでした。

crt.jpg
ジョンソン・マッセイのCRT

ジョンソン・マッセイのCRTに低硫黄ではない通常の軽油を使用すると、排出ガスが酸化触媒を通過する際に硫黄分が酸化して硫酸ミストとなり、それがフィルターの目詰まりを引き起こす原因となってしまいました。また、その硫酸ミストは粒子状物の排出レベルを測定する際に使われる濾紙に付着してしまうことから粒子状物質と見なされ、逆に数値を悪化させるなどの問題もありました。あの段階においてこの装置の普及は見込めない状況だったわけです。

現に、私もかなり早い段階でジョンソン・マッセイの日本法人へ日本車へのフィッティングが可能か否か問い合わせていました。その回答は、「適合試験の結果や低硫黄軽油の供給体制に対する懸念から市販の予定はない」といったものでした。それからしばらくして同社は「どの車種に適合できるのかが非常にあいまいなために一般にはこのままの形では販売しない事にいたしました」と、この段階での市場展開を見合わせる表明をしました。

似たような装置はアメリカのエンゲル・ハード(2006年にドイツのBASFに買収されました)も手掛けていました。こちらは低硫黄軽油を要求しないもので、台湾ではスタンダードとなっていました。最大の理由は政府から百数十%の助成金が出たからです。

こうした装置を装着するには車両を工場に入れるため、その間の運行はできなくなります。台湾政府は助成金で減収となる分を補償したということでしょう。そうした理由から、エンゲル・ハードの「DPX」は台湾であっという間に普及しました。が、当時の日本では走行条件などに応じた細かいチューニングなど同社の供給体制、販路などが整っていない状況だったと記憶しています。

国内メーカーの製品も前回ご紹介したようにイビデンの構内フォークリフト用など一部特殊なものについて市販されているケースもありましたが、トラックやバス用としては試験段階だったり、フィッティングの目処が立たず性能を保証できる段階ではなかったり、という状況でした。

つまり、東京都が「ディーゼル車NO作戦」を発動し、全車にDPFの装着義務づけを画策していた頃、既に試験段階を終えて本格的な市販を開始していたDPFで日本国内の状況に問題なく対応できる製品は殆ど存在しなかったということです。

前回の冒頭で触れた東京都建設局の保有車両を代替えする入札案件では、その開発途上にあったDPFを装着するよう仕様書に書かれていた故、不調に終わったのは当然の結果でした。

しかし、この指名競争入札にある一社が指名されなかったことが様々な憶測を呼びました。それまで「東京都と癒着しているのではないか?」という噂さえ流れていたある自動車メーカーの系列販社が指名から外された理由は何だったのか?

「癒着の噂に抗するため」という人もいましたが、その前後の状況も踏まえて考えてみますと、元々癒着というほどの関係はなかったと私は思います。

(つづく)
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まとめ

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