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『地球温暖化スキャンダル ― 2009年秋クライメートゲート事件の激震』の原著を記したスティーブン・モシャーとトマス・フラーの両氏はスティーブ・マッキンタイア氏らのblogなど、その種のサイトをこの事件が起こる何年も前から丹念にウォッチし続けていました。なので、彼らがどのように冷遇されてきたかという経緯も従前から熟知しており、そうしたエピソードが本書にはふんだんに盛り込まれています。
例えば、マッキンタイア氏はこの事件の中心人物であるジョーンズ氏らのレポートで用いられたグラフなどが適切に導かれたものか否かを確認するため、どの気候観測ポイントのデータを用い、どのようにそれを処理したのかといった情報開示請求を行ってきました。
データの扱いに錯誤があったり、単純な計算ミスがないとも限りませんから、第三者が検算して根拠を洗い直すのは科学分析の公正さを維持するのに当然の確認作業といえます。また、イギリスにはそうした情報を開示する義務を課した情報公開法がありますから、マッキンタイア氏らはそれに則って至極真っ当に情報開示を請求していたわけです。
しかしながら、ジョーンズ氏らはマトモに対応しませんでした。その顛末がマッキンタイア氏のblogで詳細に綴られていたわけですが、本書ではその記事とこの事件で流出したメールとを対比させています。
ジョーンズ氏らのメールには大学の情報開示担当者がイギリスの情報公開法について詳しく検討し、どの免責事由が適用できるかを確認していたことや、如何にして情報開示を拒むかといった相談が事細かに書かれています。さらには、先にも触れましたように「ここ英国にも情報公開法があると連中が嗅ぎつけたら、ファイルは渡すくらいなら消去する予定」とまでメールに書かれています。
一方、同じ時期に書かれたマッキンタイア氏のblogにはどのような理由で情報開示を拒まれたか、大学から来た回答メールを引用して具体的にその中身を伝えていました。本書ではこれらを並べて見せ、各々の内容が見事に繋がっているということを示し、正当な情報開示請求を不当に拒んできた様子を明らかにしています。
また、IPCCの評価報告書に採用されるには公表済みで査読付の論文であることなどが条件となっていますし、その締め切りもキチンと設けられています。が、彼らは自分たちに向けられた異論に反駁する論文の完成が遅れていたことから、締め切りまでに無理矢理査読付の公開論文とするため、学術誌の編集長に取り入るなどしてかなりアクロバティックな裏工作を行っていました。そのえげつない過程も全てやり取りされたメールを裏付けとして詳細に再現されています。
この事件を受けて「懐疑派が文脈を無視してメールの断片を曲解しているだけ」などと主張する人為説支持者は少なくありませんでした。が、そうした主張はメールの中身を確認していないからこそ言える全くの出鱈目で、極めて見苦しい言い訳に過ぎないと断言して良いでしょう。
本書は冷遇された懐疑派のblog記事や、実際に行われた手続の状況なども確認しており、それを電子メールという物証で裏付け、いずれもがキレイに整合していることを描き出しています。つまり、状況証拠も物証も整っているわけで、これは常識的に考えてかなり高いレベルで真実に近づいていると見るべきでしょう。そこで明らかになったのはジョーンズ氏らの科学を冒涜するような不正行為の数々と、科学者という以前に人間として恥ずべき醜態の数々です。
先のエントリでもご紹介しましたように、件のイーストアングリア大学は現在まで3回にわたってこの事件の調査結果を発表していますが、「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」「IPCC評価報告書の結論を蝕むような行為のいかなる証拠も見出さなかった」といった結論を導いています。本書に書かれているような事実がなかったということを証明しなければ、その調査報告書こそ事実を隠蔽する悪質な捏造と見なさざるを得ないでしょう。
この日本語版に関しては、価格が2,310円でやや高めであることと、プロの翻訳家ではない東大の渡辺正教授による和訳があまりこなれていない感じ(原文のニュアンスを汲もうとして日本語のリズムが悪くなってしまったような印象を受けました)などが少々気になりました。
人物名や略称の一覧を設けるなど、この分野にあまり詳しくない人に対して一定の考慮がなされている点は良かったと思います。私も本書に登場する人物の半分くらいは知りませんでしたので、人物一覧は特に役立ちました。ただ、私の場合は積極的にこの方面の情報を得ようとしてきたという素地があったので難なく読めましたが、何も知らない人がいきなり読んだら整理しきれないのではないかと思われる点もあります。
本書は事件から1ヶ月程で書かれたゆえその後の余波には触れられていません。そのため、訳者の渡辺氏は、前回ご紹介した月刊『化学』に寄稿された同氏のレポートも併せて読んで欲しいとの旨を後書きで述べ、出版元である日本評論社のサイトに設けられているダウンロードコーナーのURL(http://www.nippyo.co.jp/download/climategate/index.php)が示されています。が、現在は「諸般の事情」(要するに著作権に関わる事情でしょう)で本書の正誤表しかなく、件のレポートは月刊『化学』の公式サイトへ当たるように書かれています。
ま、それ自体は仕方ないことなのでしょうが、せめて本書の後書きに記載されているURLから直接リンクを張っておくべきです。そのURLにアクセスしても何処から当たればよいのか全く書かれていません。同サイトの検索機能を用いるなどして
本書の詳細ページにアクセスし、そこに張られているリンクを辿らなければなりません。極めて解りにくい不親切な状態で、私も最初は全く解りませんでした。この辺はもう少しキメ細かい対応をすべきでしょう。
とはいえ、この事件をこれだけ具体的に纏めたレベルの高い著述はそう多くないと思います。少なくとも日本語でここまで述べられているものは現在のところ類例がなく、非常に貴重な存在だと思います。原著が書かれた時期的な問題もあると思いますが、内容的にもかなり的が絞れていた分だけ主題が散漫にならなかったという点でも成功していると思います。
これまで日本の紙媒体においては一部の
週刊誌や
月刊誌などで数頁の特集が組まれたくらいで、しかもIPCCの評価報告書で問題になったヒマラヤの氷河消失に絡む誇張など、事件後に次々発覚したレビュープロセスの杜撰さも纏めて総括するような内容でした。それらとは全く次元の異なる非常に内容の濃い情報が本書には詰まっています。
クライメートゲート事件についての詳細を欲している方にはもちろんですが、この事件を「懐疑派たちが無用に騒いでいるだけで取るに足りないもの」「懐疑派が仕組んだ陰謀で、人為説の信用を不当に落とそうとした卑劣な事件」などと誤認されている方にこそ読んで頂きたい一冊です。ま、盲目的な人為説信者や人為説が飯のタネで絶対にこれを手放したくない人たちには何を示しても無駄なのでしょうけど。
(おしまい)
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クライメートゲート事件が日本の主要メディアで詳しく報じられることはありませんでした。大手新聞各紙も極めて小さな扱いでお茶を濁し、私の見てきた範囲でこの事件を報じたテレビの報道番組は皆無で、週刊誌などごく一部のメディアを除いてはぼぼ黙殺してしまったといっても過言ではないでしょう。5大紙では
読売新聞が社説で触れたりしましたが、それも単発的なものでしたから、広くこの事件を知らしめるには扱いが極端に小さ過ぎたと言わざるを得ません。
私の周囲では知らない人のほうが少ないのですが、それは私が散々話題にしてきたからに他なりません。実際、私以外からはこの事件について聞いたことがないというのが皆に共通する反応で、恐らく日本人の大半はこうした事件があったことを全く知ることなく終わってしまったのでしょう。
しかしながら、欧米では大変なスキャンダルということで、この事件に関する報道がかなりの頻度で繰り返されていました。その影響は世論調査の結果にも現れてきたような気がします。震源となったイギリスでは特に顕著で、地球温暖化の原因が人為的な温室効果ガスの排出によると考える人は事件が起こる前の調査で41%でしたが、現在は26%まで減少しており、完全に少数派となってしまいました。
従前からウォールストリートジャーナル紙やFOXテレビのように保守系メディアが人為的温暖化説に懐疑的な論評を重ねてきたアメリカもそうした傾向は強く、ビュー・リサーチセンターが21の政策課題の優先順位を問うた世論調査を行ったところ、地球温暖化対策は最下位にランクされたといいます。また、ギャラップ社による世論調査でも温暖化が重大な懸念と回答した人は昨年の33%から今年は28%に減っています。
世界屈指の環境政策重視で知られるドイツでも温暖化を脅威と感じている国民は2006年の62%から今年3月には42%へ減少し、過半数を割り込みました。先々週発売されたNewsweek(日本版)では『
世界に広がるエコ疲れ』というベルリン支局の記事が載りました。“「環境に優しい政治」は無駄だらけの金食い虫 ─ 効果もプロセスも不透明な温暖化政策に、各国の政府や世論が背を向け始めた”という副見出しを掲げ、各国の情勢と共にドイツでもその熱が急速に冷めてきた模様を伝えています。
一方、日本の世論調査はまず例外なく「地球温暖化は人為的なもの」という前提で質問事項が策定されており、私が調べた範囲ではイギリスのように人為説を信じるか否かを問うものには全く行き当たりませんでした。最近の調査では温暖化によってどんな悪影響があるかといった知識レベルを確認するものだったり、どんな対策を実践しているかといった意識レベルを問うものが多く、温暖化を脅威に感じるか否かといった問いさえ見つけるのが困難になっている印象です。
今年に入ってから発表された調査で温暖化に対する不安を問うたものは
愛知県の県政モニターアンケートくらいしか見つけられませんでしたが、それによりますと、96.3%が温暖化を「不安に思う」と回答しており、「心配していない」と回答した人は僅か2.3%に過ぎませんでした。この一方的な結果は、つまり一方的な情報しか扱われないプロパガンダの成果というほかないでしょう。
欧米諸国と日本で天と地ほどあるこの温度差は、即ち日本の絶望的な情報鎖国ぶりを示し、日本の主要メディアは北朝鮮や中国並みのバイアスをかけているということを明らかにするものです。が、これまでも書店へ行けば環境問題関係の棚には人為的温暖化説に懐疑的な本が何冊も置かれており、新聞やテレビなどとは比較にならない健全さが維持されていました。
そこへクライメートゲート事件について詳細に書かれた『
CLIMATEGATE: THE CRUTAPE LETTERS』が和訳された『
地球温暖化スキャンダル ― 2009年秋クライメートゲート事件の激震』が6月14日から並びました。こうした健全さが確保されるのは先進国なら当然であるべきですが、日本の殆どのメディアにはそれができませんでした。もはや私の彼らに対する残念と思う気持ちは枯れ、この情報鎖国にあってこうした書籍が発売されたことを喜ばしく感じるしかありません。
和訳は東京大学生産技術研究所の渡辺正教授によります。
同氏はこれまでにも人為的温暖化説に懐疑的な立場を貫いており、
関係する主な著書には『地球温暖化論のウソとワナ』
『これからの環境論―つくられた危機を超えて』などがあります。
また、月刊『化学』にも本件に関するレポート(以下のリンク先はPDFです)
「Climategate事件―地球温暖化説の捏造疑惑」
「続・Climategate事件―崩れゆくIPCCの温暖化神話」
を寄稿されています。このクライメートゲート事件を巡っては、これまで虐げられてきた懐疑派の人たち、殊に情報開示を拒まれたり、人為説の反証となる論文の発表を妨害された人たちなどが様々な角度から検証を行ってきました。流出したメールやファイルの類は3000を超える膨大なもので、中にはデータの加工に用いられたと思しきプログラムスクリプトの類も含まれています。
本書は事件発覚から1ヶ月くらいで書き上げられたもので、今年に入ってからの動きは反映されていませんし(日本語版の発行に寄せた著者のコメントや訳者のコメントでは今年に入ってからの動きも少し触れられていますが)、事件の全貌を満遍なく網羅できているわけでもありません。
また、人為的温暖化説の反証を行うものでもありません。原著を記したスティーブン・モシャーとトマス・フラーの両氏は「懐疑派」ではなく、「どっちつかず派」を標榜しています。それゆえ、当blogで述べてきた私の見解と大きく食い違う部分も少なからずあります。が、それは本書の主旨に直接関わる部分でもないため、私はさほど気にならずに読めました。
本書で最も重点が置かれているのは、この事件で流出したメールから真相を読み解くことです。そのため、イーストアングリア大学のフィル・ジョーンズ氏や、いわゆる「ホッケースティック曲線」の作者であるマイケル・マン氏ら事件の中心人物たちの間でやり取りされたメールについて非常に詳しく検討されており、時系列を追って丁寧に纏められています。
事件発覚から僅か1ヶ月程で書き上げられたとはいえ、著者らはそれまでの経緯にかなり精通しています。流出したメールは、彼らに新たな事実を伝えたというより、これまでの流れを裏付ける物証という意味のほうが大きいといえるかも知れません。
(つづく)

この『マッド・シティ』という映画は13年前に製作された少し古い作品ですが、個人的になかなかの良作だと思っています。ところが、AmazonのカスタマーレビューもDMMのそれもかなり低めの評価になっているんですね。これをサスペンスタッチのシリアスな社会派映画として見ることができず、単にエンタテイメント性を求めてしまうとかなり評価が下がってしまうのだと思います。
そもそも、監督のコスタ・ガヴラス氏は政治的・社会的な問題をテーマとし、サスペンスタッチで描き出す作風だといいます。なので、それを知らずに高いエンタテイメント性を求めるほうが間違いと見るべきでしょう。もっとも、私もこの作品を見るまでは同監督の作風など知りませんでしたから、あまり偉そうなことを言える立場ではないのですけど。
凄いのは
Wikipediaにある「マッド・シティ」の項で、そこには「サスペンス・コメディ」と書かれています。この作品をどういう角度から見れば「コメディ」に見えてしまうのか私の感覚では全くの謎です。もしかしたら、ジョン・トラボルタが演じる役が少々子供っぽい間抜けなキャラで、滑稽な振る舞いをすることがあるからでしょうか? それにしても、「サスペンス・コメディ」としたセンスは尋常じゃありません。
さて、この『マッド・シティ』(原題も『MAD CITY』)ですが、まるでB級バイオレンス映画のようなタイトルですから、これだけ見た時点では全く興味をそそられませんでした。私がこのDVDを買ったポイントとなったのは中心となる二人が好きな役者であるということと、パッケージの内容紹介にある「メディアの真実に迫る、衝撃の問題作。」という部分が「誇大広告では?」と疑いつつも引っ掛かったという点でしょうか。ここでその内容紹介を引用してみましょうか。
そのTVスクープは、残酷な事件へのプロローグ。
ダスティン・ホフマン、ジョン・トラボルタ競演。
メディアの真実に迫る、衝撃の問題作。
地方局で取材記者を務めるマックス・ブラケットは、キー局への返り咲きを狙ってた。ある日、アシスタントを連れて自然博物館へ取材に出向き、そこで人質事件に巻き込まれる。犯人は、博物館の元警備員サム・ベイリー。経費削減のために解雇された彼は、再就職を頼みに館長に会いに来たのだが、つい興奮して発砲してしまったのだ…。ニュース記者と銃撃犯の運命的な出会いは、やがて全米が注目する取り返しのつかない事件へと発展していく。『セブン』のアーノルド&アン・コペルソン製作。現代社会の狂気を描いた衝撃作。
ダスティン・ホフマンが演じるマックス・ブラケットというレポーターはかなりの切れ者ですが、反骨的で先走りやすい傾向があります。それゆえ組織の中では和を乱しやすく、キー局に在籍していたときには看板アンカーマンと激しく衝突してしまいました。しかも、それは生中継の最中でしたから、その様子が全国ネットで放送され、それが原因で彼は地方局へ飛ばされたという経緯があります。
一方、ジョン・トラボルタが演じるサム・ベイリーという博物館の元警備員は、典型的な落ちこぼれタイプです。思慮が浅く、感情の起伏が激しく、口下手で不器用で上述のように子供っぽく、しかし誠実で友人には「からかいやすい」と評されるように純朴な性格の持ち主です。それゆえ、感化されやすく、思慮の浅さと感情の激しさとが重なり、人生の階段から足を踏み外してしまいました。
再雇用を望んでいただけのサムですが、未熟さと不運から事態は彼の思惑と全く異なった方向へ進み、出口の見えない状況へ追い込まれてゆきます。そのときたまたま博物館の取材で居合わせたマックスと、見学に訪れていた小学生たちを巻き込むことになり、彼は状況に流されるまま人質籠城事件の犯人になってしまいました。
マックスはまたとない大スクープの好機と捉え、サムにアドバイスを与えながらも警察に対して緊迫感を与えてしまいます。サムの信頼を得たマックスは間もなく彼の行動に大きな影響を与えることができるポジションを得ます。最初は些細なトラブルに不運が重なり、やがてメディアの過剰な報道によって世論は煽動され、全米で注目される大事件へとエスカレートしていきます。
この映画の見所は何といってもサムを巡ってメディアがどのような犯人像に描き上げていくか、それによって世論がどのように導かれ、事件がどのように評価されていくか、という描写に尽きます。マックスはサムの境遇を理解し、彼の心優しい性格を強調しつつ、世論の同情を集めようとする方向でレポートを進めていきます。もちろん、その裏には視聴者の興味を引き、自分の存在感を誇示しようという思惑も秘めていますが。
一方、マックスとのトラブルで顔に泥を塗られた因縁がある看板アンカーマン、アラン・アルダが演じるケビン・ホランダーは現地へ乗り込むと、サムの信頼を得ているゆえ事件を仕切っているマックスから主導権を奪おうとします。しかし、局内での優位な立場を利用するケビンに対抗してマックスは再び彼の顔に泥を塗ってしまいます。ケビンはその報復としてマックスが描き上げてきたサムの良いイメージを覆すべく、逆の印象を与えるようなレポートを展開します。
多くの人は時と場合によって印象が変わります。殊にサムのように感情の起伏が激しい場合は尚更でしょう。ですから、マックスの描く善人サムが本物なのか、ケビンが描く悪人サムが本物なのか、メディアを通じてこれを見ている人にはなかなか判断が付きません。そうして世論はメディアに大きく揺さぶられ、サムはますます苦しい立場に追い詰められていくことになります。
マックスもサムの良い人間性を強調するために彼の身近な人たちのインタビュー素材から印象の良い部分だけを切り抜いて用いようとします。ケビンはその逆のことをします。他局も関係のない人物をサムの友人としてインタビューするなどいい加減な報道を展開してゆきます。現実の世界でもメディアは事件や社会問題などをどのように扱うか、予めストーリーを組み立て、それに沿った取材が行われることは頻繁にありますが、それを再現して見せているわけですね。
当blogでは昨年の電気自動車ブームの折、楽観論に否定的な意見は封殺されるというバイアスがかかり、メディアは自身が用意した筋書に沿った取材をしているという実例を『
この電気自動車ブームはメディアが創作している』と題したエントリでお伝えしました。他にも様々なメディアバイアスを批判してきましたが、こうしたパターンは現実の世界でも日常茶飯事といって良いでしょう。
マックスらが所属しているテレビ局はもちろん架空ですが、ニューヨークタイムズ紙などの実名が出てきただけでなく、CNNの主力番組である『
ラリー・キング・ライブ』(先の米下院の公聴会の後、豊田社長も出演したアノ番組です)がそのまま本昨の中でも再現され、ラリー・キング本人が出てきたときには「メディア批判が主題となる作品でよくそこまでできたものだ」と感心しました。
ハリウッドものにありがちな派手さやハイテンポで濃密な展開をこの映画に期待すると肩すかしを食ってしまうかも知れません。あえて結末には触れませんが、そこへ至る大きな盛り上がりもありませんから、いわゆる「ジェットコースタームービー」を見慣れた目で見ると全般的に地味な印象を受けてしまうと思います。が、そうした目では本作の本当の価値に気付くことはできないでしょう。
もしかしたら、本作の価値に気付くことができない人は本作を絵空事のように思っているのかも知れません。この映画の中で描かれているほど現実のメディアは酷くないと思い込んでいるとしたら、本作が伝えようとしている重大なメッセージを理解できなくても仕方ありません。実際には環境問題や自動車のリコールを巡る騒動などにも非常によく似たことが起こっているのですが、多くの人がそれに気付いていませんし。
本作を低く評価している人が多いのは、もしかしたら現実の世界でも頻繁にあるメディアバイアスに気付くことができない人の多さを反映しているのかも知れません。
地球温暖化人為説の伝道師としてアメリカ副大統領時代より世界的な知名度を上げているアル・ゴア氏ですが、彼の映画『不都合な真実』は2007年10月10日、イギリス高等法院に「科学的な誤りが9箇所ある」と指摘されたことをご存じの方も少なくないと思います。もっとも、その指摘事項はIPCCの評価報告書との食い違いなどから内容が誇張されているといったものが多い印象ですし、全般的な内容やメッセージについては妥当とされましたけどね。
不都合な真実構成の殆どは写真などのグラフィックで、
結論へ至る過程の理論を解説するのではなく、
視覚的なイメージで訴えかけるばかりで
科学的な要素は極めて貧弱です。
それにしても、こういう変形サイズは
本棚への収まりが悪く、邪魔くさくて困ります。私の視点からは9箇所どころの騒ぎではなく、誤りとまでは断言できない疑問点も含めたら、ほぼ全編が指摘事項になってしまいそうな勢いです。それを全部取り上げていくとなると膨大な作業になり、それこそ書籍版の何倍ものボリュームを要することになるでしょう。なので、ここでは解りやすいところから1点だけ指摘することにします。
イギリス高等法院からも「地球温暖化でキリマンジャロの雪が解けたとの指摘は科学的に証明できない」と指摘されていますが、問題視されたその部分は書籍版ですと42~43頁に掲載されています。「明らかに、私たちのまわりの世界に、ものすごい変化が起きている。」との見出しと共にこんな写真が載ってるんですね。
キリマンジャロ(1970年)「この写真は、1970年のキリマンジャロだ。有名な雪と氷河が写っている。」というキャプションが付いています。その見開きで対比されているのが次の写真です。
キリマンジャロ(2000年)「たった30年後の姿だ――氷も雪も激減している。」と付されています。では、現在はどうなっているでしょうか?
キリマンジャロ(2008年)今年の1月に『The New York Times』の電子版でキリマンジャロ登山の模様を伝えるレポートに用いられていた写真です。ご覧のように2000年より明らかに雪氷が増加していますね。
そもそも、積雪量や降雪量は気温だけに支配されるような単純なものではありません。例えば2005~2006年の冬、日本海側の豪雪地帯は記録的な大雪となりました。いわゆる「平成18年豪雪」ですが、国道405号が積雪のために通行止めとなり、新潟県津南町と長野県栄村の約190世帯が孤立するという事態にまで至りました。
この豪雪は気温が低かったことだけが直接の原因ではありません。2005年の夏から秋にかけての気温が例年よりかなり高めで、日本海の水温も例年より1~2℃高くなっていたことが要因の一つと考えられています。つまり、海水温が高かったことから水蒸気の発生量が多くなり、雪雲をより発達させたために降雪量も増えたとする考え方です。
いずれにしても、写真というのは瞬間しか記録できません。冠雪のように激しく変動するものの一瞬を切り出して天変地異だ何だと騒ぐのはナンセンスというものです。
もし、キリマンジャロの雪氷の変化が地球温暖化と関係があるというのであれば、気温や降雪量など科学的なデータを収集し、充分に検討した上で合理的に論を進めていくべきです。2枚の写真を並べ、各々に上述のようなごく短いキャプションを付けるだけで他に何の説明もなく、徒にイメージを植え付けようとするのは似非科学に属する手段です。
『不都合な真実』の書籍版では私たち否定的・懐疑的な立場の人間から出されている指摘を「誤解」として掲げ、それに反論しています。が、根拠が不明瞭だったり、コンセンサス主義に傾倒していたり、およそ科学的な反論になっていません。
「気温が上がっていない場所がある」という指摘に対しては「気候は想像を絶するほど複雑なシステムなので、気候変動の影響はどこでも同じというわけではない」と反論しています。が、これはキリマンジャロの冠雪が変動している写真を比較したことが全くの無意味であることを自ら認めるものです。
もう一つ、これはアル・ゴア氏への個人攻撃のようになってしまいますが、約束を守っていないので批判しておきます。
昨年、彼はテネシー州にある自宅でのエネルギー消費量がアメリカの一般市民の平均と比べて約20倍に達していることを暴露されました。省エネを呼びかけている伝道師が、実は大変な浪費家であると明かされ、多方面から批判を受けていました。それについて善処する旨を誓ったハズですが、あれから1年経ってさらに
10%もエネルギー消費量を増やしているそうです。
『不都合な真実』の306頁には「自宅の省エネを進めよう」と謳い、省エネ型の照明を選ぼうとか、冷暖房の効率を上げようとか、無駄な待機電力を減らそうとか、真っ当なことがたくさん書かれていますが、彼自身は何一つ実践していないということですね。
『環ウソのウソ』の著者である山本弘氏はこうしたノンフィクションもいくつか書いているようですが、本職はSF作家です。ま、いずれにしてもプロの物書きであるのは間違いないのですが、アマチュアである私の目にも珍妙に映る部分がいくつもありました。以下の例をご覧頂けば、皆さんも「この人は本当にプロの物書きなの?」「ちゃんと推敲しているの?」と疑いたくなるんじゃないでしょうか?
大気中にCO2がたった0.03パーセントしか含まれていない状態でも、地球は33度も暖められているのだ。その量がすごい勢いで増えつつあるのだから、心配になるのは当たり前だろう。
これは295~296頁にかけて書かれていますが、私は読んだ瞬間に思わず失笑しました。温室効果によって地球の平均気温が33度引き上げられているのは間違いないと思いますが、その温室効果のうちCO2によるものはほんの一部で、殆どは水蒸気によるものだと考えられているんですね。そんな初歩的なこともこの人は知らないのか? と呆れました。ところが、300頁にはこう書かれています。
たとえば、最も強力な温室効果ガスは、実はCO2ではなく水蒸気である。
驚かれる人もいるかも知れないが、本当だ。水蒸気はCO2より量が多いからだ。先に地球は温室効果で33度暖められていると書いたが、その効果の7割以上は水蒸気によるものなのだ。
水蒸気の温室効果が全体の7割以上とするのは最も少ない見積になるでしょう。私が読んできた文献では概ね8~9割とするものが多かったように思います。
ま、それはともかく、大気濃度0.03%のCO2の温室効果が地球の平均気温を33度引き上げているとしか読めないような文章を書いておきながら、わずか4頁あとに7割以上の温室効果は水蒸気によるものと山本氏は書いている訳です。
私にはこれを支離滅裂という以外、評しようがありません。私のようなアマチュアでも書いた文章を一度も読み返さず表に出すようなことはしませんし、ここまで酷い分裂状態であったら、私なら一度読み返した段階で赤面して速攻で書き直します。一般の書店にも並ぶ本なら当然編集者もいるはずですから、どうして誰も指摘しなかったのか、これは謎としか言いようがありません。
似たような例は他にもあるんですね。286頁には以下のように書かれています。
CO2が海などの自然界から生み出されたものか、化石燃料を燃やしたものかは、放射性元素・炭素14の比率を見れば分かる。炭素14は時間とともに崩壊するため、何千万年も前に誕生した石油や石炭にはほとんど含まれていないのだ。実際に大気中のCO2に含まれる炭素14の割合が減少していることが確認されており、増加しているCO2が主として化石燃料に由来するものであるのは明らかである。
一方、297~298頁にはこう書かれています。
なぜ年輪の炭素14から太陽活動が分かるのか。炭素14は太陽系外から飛来する高エネルギーの放射線(銀河宇宙線)が大気とぶつかって生じる。炭素が酸素と結びついてCO2になり、それが生きている木に吸収されて蓄積する。だから年輪の炭素14の濃度を測れば、当時の宇宙線の量が推測できるのだ。
太陽活動が活発化すると、太陽から発するプラズマ(太陽風)が宇宙線を阻害し、地球に降り注ぐ宇宙線の量も減る。逆に太陽活動が静かになると、銀河宇宙線が増えて、炭素14も増える。同時に日射量も減るので地球は寒冷化する。
両者を読み比べれば、かなり科学に疎い人でも山本氏の主張が一方的であるということに気付くでしょう。
大気中のCO2に含まれる炭素14が減っているのは人類が大量の化石燃料を燃やしたためだとする主張もCO2温暖化説を唱える上での常套句になっています。が、山本氏も述べているように、太陽活動が不活発になると太陽風が弱まり、銀河宇宙線を阻害しなくなって炭素14の割合が増えます。裏を返せば、太陽活動が活発になって地球が温暖化するような局面では炭素14の割合が減るということなんですね。
山本氏は大気中のCO2に含まれる炭素14の割合が減少しているのは化石燃料由来のCO2が増えているからだと断定する一方、木に含まれる炭素14の割合が増減するのは太陽活動の影響だとしています。自分の論旨に都合の良いように理論を使い分け、偏向した主張を展開している訳ですね。
これは前回も述べましたが、山本氏が「CO2温暖化説に疑義を唱えるのはトンデモだ」と決めつけ、偏った先入観を持っているからだとしか思えません。少なくとも、彼が中立的な立場であるなら、大気中のCO2に含まれる炭素14が減少している理由を化石燃料由来と太陽活動の変動に起因するものと両者を並べて検討していなければならないハズです。
山本氏は48~50頁にかけて、効率的なボトルtoボトルのリサイクルを実現したペットリバース社のアイエス法の存在を武田氏は知っていながら本には書かなかったと批判的に述べていました。しかし、彼もまた増加したCO2が化石燃料由来であると主張するくだりでは、炭素14の比率が変化するのは太陽活動による影響もあり得るのだということを知っていながら一切触れていません。
こうしたやり方を見ますと、前々回の最初のほうで「あえて言わせて頂くなら、「目くそ鼻くそを笑う」といったレベルでしかない感じでした。」と書いた私の気持はよくご理解頂けるんじゃないでしょうか?
山本氏は『環ウソのウソ』の中で何度もAmazonのカスタマーレビューを引用して、自分の論旨の正当性を補強しようとしていました。が、そのAmazonのレビューで『環ウソのウソ』にはかなり厳しい評価と誤りの指摘がなされています。
山本氏は自分が指摘した『環ウソ』の誤りが版を重ねても訂正されなかったことなどから武田氏を誠実とはいえないと批判していました。他人の書いた本のレビューは読むけれど自分の書いた本のレビューは読まないなどという逃げ口上は許されませんから、Amazonのレビューでも指摘されている誤りを山本氏は今後訂正するのか、冷静に見守っていきたいと思います。
(おしまい)
テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済
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まとめ