酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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本当は凄い即身仏

100歳以上の高齢者で所在不明が多数あったという問題ですが、8月14日までに全国で281人になったそうですね。こうした確認調査が行われるようになった発端ともいうべき東京都足立区のケース、約30年前に自室に閉じこもってミイラ化していた男性の事件が報道されたとき、私は仏教に対する等閑な扱いに少々驚きました。いえ、私も仏教との付き合いは深くなく、仏事などでそのしきたりに従うくらいですが、それでもかなり気になりましたね。

この事件について、遺体で見つかった男性の家族は「約30年前に “ミイラになりたい” “即身成仏したい” と言って自室に閉じこもった」との旨を証言していたようですが、私が見聞きした範囲では全てのメディアがその証言に違和感を感じている様子もなく、ストレートに伝えていました。が、この場合「即身成仏」というのは全くの誤りで、「即身仏」とすべきです。そうした修正をするなり注釈を加えるなりして報じるべきだったと思います。

念のために両者の違いを説明しておきますが、「即身成仏」というのは現世の肉体のまま、つまり生きたまま悟りを開いて仏になることをいいます。ゴータマ・シッダールタのように生身の人間が仏になることを指すわけですね。一方、「即身仏」はしかるべき準備をした後、瞑想や読経したまま絶命し、ミイラ化した遺体のことです。「成」という一文字の有無で全く違う意味になるわけですね。

生きたままでなければ「即身成仏」とはいいません。この男性が「即身成仏」を目指していながら途中でうっかり死んでしまったという状況だったのならともかく、「ミイラになりたい」と言って水や食べ物を持たずに自室に閉じこもったそうですから、彼がなりたかったのはどう考えても「即身成仏」ではなく「即身仏」です。

この男性の家族が証言していた段階で既に「即身成仏」となっていたようですが、亡くなってミイラ化した男性自身がそのように言っていたのか、家族が聞き間違っていたのか、勘違いが始まったのはこのいずれかだろうと思います。が、メディアがそうした誤りを誤ったままストレートに伝えるのもどうかと思います。

近年、テレビの報道番組などでインタビューの映像が流されるとき、その内容を掻い摘んだ字幕が付されるというパターンが非常に多くなりました。このとき、明らかに誤りであると解るケースでは修正が入るものです。特にNHKなどはご丁寧に「ら抜き言葉」まで正すことがあるくらいなのですから、本件のように解りやすい誤解を放置すべきではないでしょう。

こうした勘違いがそのまま報じられてしまったのは、要するに殆どの記者が「即身成仏」と「即身仏」の違いを認識していないからでしょう。ま、当の亡くなった男性も即身仏になるための正しい手順を認識していた様子はなく、信仰の厚い仏教徒が本気で即身仏になろうとしていたような状況でなかったのは間違いありません。そもそも、即身仏になるのは仏教のあらゆる修行の中でも最も過酷とされ、生半可なことでは成し遂げられません。

ご存じのように遺体を腐らせないように保存しておくミイラ化の風習は世界各地にあり、つとに有名なのは古代エジプトのそれですが、世界中を見渡しても日本の即身仏は異例尽くめといえます。普通、ミイラ化による遺体の保存は腐りやすい脳や内蔵を取り除き、全身を防腐処理します。つまり、遺体が腐らないように処置するのは死んでから別人の手によるわけです。

ところが、日本の即身仏は内蔵を取り除きませんし、それ以前に腐敗させないままミイラ化することに関しては他人の手を一切借りません。それを志した行者が亡くなってから数年間、誰もその遺体には触れないまま、腐敗せずにミイラ化してしまうのです。それは行者が生前に全ての準備を済ませておくからですが、その準備は大変な苦行だといいます。

エジプトのように国土の大半が砂漠でかなり乾燥した風土でも内臓(特に多数の細菌が棲み着いている腸)は腐りやすく、ミイラにするためには取り除いてしまうのですが、日本のように湿度が高い土地で内臓を残したまま誰の手も借りずにその腐敗を防ぐというのは至難の業です。どうしたらそのようなことが可能なのでしょうか? 折角ですので、ちゃんとした即身仏のなり方をザッとご紹介しておきましょうか。

即身仏になるには、兎にも角にも死後に肉体が腐敗しないよう、何年もかけて入念な準備をしておかなければなりません。まずは最初のステップとして「五穀断ち」を行います。カロリーの高い穀物を摂らず、木の実などの粗食に耐え、山野を駆けるなどして脂肪を徹底的に削ぎ落としていきます。一説によればこの苦行を1000日続けてから次のステップである「木食(もくじき)行」へ移行するといいます。

「木食行」というのは字のごとく樹皮や葉、根など、木を食べるというものです。これも腐りやすい肉体の組織を極限まで減らしていくのが目的ですが、同時に渋かったり苦かったりするこれらを食すのは精神的な苦痛にもなります。その苦痛こそが精神を鍛錬することになり、仏に近づく修行になると考えられていたようです。

また、木食に用いられた樹皮や葉や根などには漢方薬となるものもあったようで、過酷なエネルギー摂取量の制限にも衰弱してしまわないよう、経験的にその薬効を活用していたと考えられています。つまり、途中で死んでしまってもダメということです。こうした修行、すなわち即身仏になるための準備は最長で10年にも及んでいたそうです。

もちろん、全ての段取りが完全に同じというわけでもなく、時代によっても地方によっても個々の行者によっても微妙に異なるやり方をしていたと思います。死後も肉体を腐敗させずにミイラ化させ、即身仏となるその成功率は決して高くなかったようで、数多の失敗を重ね、その経験から技を洗練させていったと考えるべきでしょう。

最も盛んだったのは山形県の庄内地方だったようです。日本には18体の即身仏が現存するそうですが、そのうち8体が山形県にあり、4体が鶴岡市にあります。ここで即身仏に挑んだ行者たちは、湯殿山に涌く湯やその堆積物を飲んでいたと考えられています。これにはヒ素が含まれており、その毒が次第に蓄積されて防腐剤として機能し、成功率を高めていたようです。

最後は土中に石や木などで作られた室に入りますが、その直前に漆の樹液を飲むといいます。汗をかき、嘔吐を繰り返し、最後まで身体に残された水分を絞り出したというわけですね。漆の樹液には細菌や蛆などの繁殖を抑える効果もあるそうで、これもまた防腐剤として機能していたと見られます。こうした段取りを踏んで土中の室に入ると、蓋をされ、埋められ、鈴を鳴らしながら読経するなどして死を待ちます。

その際に呼吸を維持できるよう、また鈴の音が外へ聞こえるよう、竹筒などで通気孔が設けられています。何日かして絶命すれば鈴の音が止みますから、周囲にそれを知らせることができます。鈴の音が止むと、通気孔が塞がれ、やはり1000日が経過してから掘り起こされます。腐敗することなくミイラ化し、無事に即身仏になることができたら寺で仏像のように祀られます。

人の手を借りるのは土中に石室や木室などを設えたり、そこに入った後に蓋をして埋めてもらったり、絶命した後に通気孔を塞いでもらったり、約3年後に掘り起こしてもらうといった段取りくらいで、死んでから肉体が腐らないようにする手立ては全て本人が生前に済ませておくというわけです。

極限まで身体から脂肪や筋肉や水分を削り取っていき、ヒ素や漆など人体に有害なものをも利用して死後の肉体が腐敗するのを防ぐわけで、タイミングや程度を誤ればその時点で命を落とすというリスクがつきまとっています。準備の段階で断念したり命を落とした行者も少なくなかったようですし、全てを完璧にこなしても成功するとは限らなかったようです。

これだけ長期に渡って過酷な苦行を成し遂げるのですから、仏として祀られ、人々に信仰の対象とされてきたのは理解できます。また、即身仏になろうと志す行者が絶えなかったのは、現世の人々に及ぼす影響だけではなく、その先の未来に希望を持っていたからだと考えられています。

即身仏になる重要な目的の一つには未来での復活を期すというものがあります。釈迦入滅から56億7000万年後に降臨して世の民をもれなく救済するという誓いを立てている弥勒菩薩に接見するため、即身仏となって未来にその肉体を残すという考えです。古今東西を問わず、肉体を保存しようという動機として非常に多いパターンが未来での復活を望むもので、エジプトのミイラやアメリカのアルコア延命財団の冷凍保存なども発想は同じです。

明治以降、即身仏になることは法律で禁じられ、現在でも土中に埋めるなどの段取りを手伝う行為が自殺幇助と見なされるため、正しい手順で即身仏になることは法に触れる行為を伴います。が、信仰としてその手前の段階、「五穀断ち」や「木食行」などについては現在でもある程度まで経験する人がいるといいます。

件の足立区の男性の場合、こうした段取りを踏んでいる様子は全くなく、単に自室に閉じこもっただけで、「10日後には異臭がした」とか「一部白骨化していた」などと伝えられており、全身ではないにしても腐敗していた様子が窺えます。即身仏の何たるかを知らずにただ部屋に引きこもって飲まず食わずで餓死しただけと見るべきでしょう。これでは即身仏になれたとはいえません。

この事件の後、ネットでも色々話題になっていたようですが、本当の即身仏もただ引きこもって餓死しただけと認識し、この男性と同列に考えている人が少なくありませんでした。即身仏になるためにどれだけ過酷な苦行を乗り越えていく必要があるのか、そもそも即身仏とは何なのか、根本的な部分を理解していない人が沢山いるようです。ま、一般の人で特に興味がなければ無理からぬことではありますが。

かく言う私も即身仏に対して特段の興味があったわけではありません。こうした知識を得たのはアメリカのディスカバリーチャンネルというドキュメンタリー番組専門局で何年か前に放送された『日本のミイラ―即身仏の科学』という番組をたまたま見て、思ったより興味深い内容だったので再放送を録画しておいたというだけです。

ただ、アメリカの番組がここまで日本の風習を深く堀り下げていながら、日本のメディアは「即身仏」と「即身成仏」の区別も付けようとしないのですから、これは少々恥ずかしい状態だと思います。
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俗説便乗商法

最近、エスエス製薬がこんなインチキCMを流しており、非常に気になっています。



このCMでは「老廃物=滞留便」と定義していますが、イメージ図を見ると俗に「宿便」と呼ばれるもののように描かれています。世間一般に「宿便」は「滞留便」と同義に扱われることが多いようですが、そもそも「宿便」などという医学用語は存在しません。

「滞留便」というのは「便秘によって長く腸にとどまっている便」をいいますが、世間一般に信じられている「宿便」は「腸壁の凹んだ部分などにこびり付いて長くとどまっている便」ということになっています。しかし、そのような状態は現実に確認されておらず、全くの迷信といってよいでしょう。

そもそも腸は蠕動運動をするため凹凸が移動します。つまり、常に凹んでいる部分などないわけです。また、腸も常に新陳代謝を繰り返していますから、腸壁を構成している細胞も数日で入れ替わり、古くなった細胞は剥がれ落ちて便と一緒に排出されます。要するに、土台が常に生まれ変わっている状態ですから、その上に便がこびり付いて長くとどまるということは正常な身体ではあり得ないわけですね。

しかし、このCMでは明らかに腸壁に小さな便が付着しており、それを薬の作用で排出させるとしか受け取れないようなイメージ構成になっています。

デトファイバーの効能イメージ

ちゃんとお通じはあっても「老廃物=滞留便」が腸壁にこびり付いて残っており、この薬はそれをキレイに排出することが出来ると謳っているようにしか見えません。ちなみに、製造元の製品概要で謳っている効能は以下の通りです。

■ 効能・効果

・便秘
・便秘にともなう次の症状の緩和:頭重、のぼせ、肌あれ、吹出物、食欲不振(食欲減退)、腹部膨満、腸内異常醗酵、痔



要するに、単なる便秘薬ですね。

「デトックス」という健康法も科学的根拠がいい加減で似非科学に属するケースが多々見受けられます。エスエス製薬はその「デトックス」とイメージが重なる「デトファイバー」という商品名に「宿便」という俗説を絡めたイメージでCMを流していますが、実際には単なる便秘薬でしかないというわけです。

ま、本来の「滞留便」は便秘によるものですから、それに対する効能を謳うこと自体は全く問題ありません。が、このCMのイメージ図を見た限りでは普通の「便秘」ではなく、世間一般に誤解されている「宿便」のイメージそのものです。「イメージ」だから正確な表現は必要ないとでも言うのでしょうか?

こうした俗説に便乗し、テレビという極めて影響力の強いメディアで誤った認識を増長させるようなCMを全国に流し、商品PRに励んでいるわけです。このエスエス製薬には良識がないのかと疑いたくなります。

もっとも、トヨタもライフサイクルでの環境負荷を無視した「エコ替え」のCMを流していますし、カー用品店にも同様にインチキなケミカル類が溢れかえっていますし、電機メーカーも科学的に効果が確認されていないマイナスイオン関連の商品を大きく展開してきたこともありますし、挙げればキリがないのでこの辺にしておきますが、この種のハナシは決して珍しいことではありませんけどね。

風邪の予防にはマスクより手袋のほうが効く

だいぶ快方に向かってきたようですが、2週間ほど前に風邪をひいてしまいまして、咳込む日々が続いています。最盛期に会社で咳込んでいると、臨席の同僚に「マスクをして来い!」と半ばキレたように言われ、少々険悪な雰囲気になりました。要するに、うつされたくないということですが、この発想は根本的なところで思い違いがあるといって良いでしょう。

そもそも、風邪は空気感染や飛沫感染はしないと見られています。こうした感染経路の特定は科学的な証明が困難ですが、様々な実験を通じて確認されていますので、風邪の感染経路は接触感染と見て間違いないようです。

空気感染(飛沫核感染)というのは、病原体が直径5μm以下の微小な飛沫核となって長時間空気中に漂い、広範囲に伝播されるものです。この感染予防には感染者を設備の整った病院などへ隔離入院させるのが一番ですが、N95などの特殊マスクでも効果があるとされています。

3M_1860S.jpg
N95マスク
アメリカの国立労働安全衛生研究所(NIOSH)の
N95という規格は耐油性がない0.3μmの試験粒子を
95%以上捕集できる性能を有するマスクに与えられるもので、
元々は製造業などの現場作業向けだったそうです。
空気感染の予防にも一定の効果があることが認められたため、
医療関係でも頻繁に用いられるようになりました。


飛沫感染というのは、咳やくしゃみ、会話などによって病原体が飛沫粒子となり、1m程度の近距離に飛散し、その範囲内にいる人に感染させるものです。この場合、唾液などの飛散を防ぐだけでもそれなりの効果があると見られますので、通常のマスクでも有効であるとされています。

風邪の感染経路に対する世間一般のイメージは、恐らくこうした空気感染や飛沫感染になっているのではないでしょうか? 少なくとも、マスクを着用するのは「社会人として当然の配慮」と私に言った彼はそういう認識だったようです。

しかし、風邪の感染経路は接触感染と見て間違いないようです。なので、人に風邪をうつしたくない人も、人から風邪をうつされたくない人も、マスクを着用したところで殆ど意味がないわけです。では、接触感染と見られる風邪はどのように感染するのでしょうか?

それは、感染者と直接触れ合ったり、感染者が触れたものに触るなど間接的に接触した場合になります。ですから、風邪をひいた人がマスクをしていても、病原体が付着した手で触れたものに別の人が触れると感染させてしまう恐れがあります。もちろん、風邪をひいていない人でも間接接触で病原体を媒介してしまう可能性があります。

特に風邪が流行している時期は電車やバスのつり革、エスカレーターの手すり、場合によっては通貨など、不特定多数の人が触れたものに風邪の病原体が付着している可能性があります。目の前にいる人から感染するとは限らないわけですね。ま、触れただけで皮膚を通してすぐに感染するほど風邪の感染力は強くないと思いますが。

こうしたことから、風邪の予防に最も効果的なのは「手洗いの徹底」と考えられています。特に食事の前は薬用石けんなどで念入りに手を洗い、なるべく手づかみは避けると良いでしょう。公共交通機関を利用するときなどは手袋の着用も無意味ではないと思います。また、目を擦ったり、鼻をほじったり、粘膜に直接触れる際も病原体が付着した手では感染の恐れがありますから、その前に手を洗っておいたほうが良いと思います。

ちなみに、手洗いと同様に奨励されている「うがい」についてはやや微妙です。ヨード液などの薬うがいはあまり効果がなく、水うがいは効果的とする報道もありましたが、サンプル数が僅か400名足らずですから、有効なデータといえるか難しいところです。この種の統計をとるとき、サンプルは数千単位が望ましく、それより1桁少ないのでは参考程度にしかならないでしょう。

また、リンク先の記事は「水うがいによって上気道炎の発生率は36%も抑えられました」とありますが、上気道炎は「かぜ症候群」のうちの一症状でしかありませんし、風邪以外でも生じるものですから、その見出しで謳われている「水うがいで4割も風邪が予防できる!」というのは誇張というより誤報になるでしょう。

いずれにしても、マスクを着用すれば周囲の人に風邪をうつさないというのは迷信といっても過言ではないでしょう。それを「社会人として当然の配慮」というのは、疾病の感染経路を正しく認識しようとせず、勝手にイメージを膨らませて正しいことだと思い込み、その誤った認識を人に押しつけるものです。

こうした短絡思考がエスカレートすると、疾病感染者に対する差別にもつながるでしょう。ハンセン病患者の隔離政策などはまさに感染経路の科学的な理解を怠ったゆえの差別政策に他なりません。こうした勝手な思い込みで結論づけることを許さず、物事に対する正しい理解を得ようとする姿勢こそ、社会人としてあるべき姿というものでしょう。

などと偉そうなことをほざいておきながら、油断して毎年のように風邪をひいている私も相当間抜けな部類の人間ということですが。

発明のハナシも鵜呑みは禁物

白熱電球を発明したのはトーマス・エジソン

私も子供の頃そう教わってから最近まで、ずっとそう認識していました。が、これは誤りだったんですね。これに限らず、「発明者」と誤解されている人物は結構いるようです。こうしたケースは「改良によって実用レベルに達し、普及に大きく貢献した」とか、「発明の権利を巡る複雑な関係が誤解されたカタチで伝わった」というパターンが多いように思います。

例えば、冒頭に挙げた白熱電球の発明ですが、これはイギリスのジョセフ・ウィルソン・スワンが最初だと見られています。炭素のフィラメントに電気を流すと発光するという現象は19世紀中頃には知られていたそうですが、空気中の酸素と反応するなどして寿命が極めて短く、「白熱電球」という製品にはなりませんでした。スワンは1878年にこれを極めて真空度の高い密閉ガラスの中に置くことで、およそ40時間点灯する白熱電球を発明したそうです。

ジョセフ・ウィルソン・スワン
Joseph Wilson Swan

エジソンは翌1879年にフィラメントを竹の繊維から作ることで1200時間くらいまで寿命を延ばし、実用品として成り立つように改良しました。スワンとエジソンは特許を巡って法定での争いを繰り返したそうですが、1883年に和解、エジソン&スワン電灯会社を設立して白熱電球の生産を独占したといいます。

一方、権利関係の問題で発明者が誤解されているケースでいえば、多くの日本人が信じているこの事例を指摘しておかなければならないでしょう。

フロッピーディスクを発明したのはドクター中松

私もつい最近まで「フロッピーディスクを発明したのはドクター中松で、日本のメーカーに売り込んでも見向きもされなかったのに、アメリカへ持って行ったらIBMが飛びついた」といった感じのフィクションを信じていました。が、これも全くの出鱈目といって良いでしょう。

フロッピーディスクそのものの特許を初めて取得したのはIBMになりますが、大元となる技術は1969年にクリフォード・ダウソンらによって発明された「磁気記録ディスク組立体」と見て良いでしょう。では、ドクター中松はどのように関係しているのでしょうか?

ドクター中松とIBMとの間に交わされたフロッピーディスク関連の契約はドクター中松が持つ16の特許使用権を供与するということになっているそうです。が、その中身については公表されていません。ま、この種の契約は守秘義務を設けるのが一般的ですから、公表されないのはむしろ当然のことだと思います。

株式会社ドクター中松が発行している『誰がFLOPPYの発明者か』というパンフレットによれば、「シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ」の発明が1947年、「フロッピー媒体とドライブの世界初の中松特許出願」が1948年、「フロッピー媒体とドライブの中松特許を許可」されたのが1952年11月20日となっています。が、これは彼の勝手なこじつけで、全く関係のないものだと思います。

というのも、ジョン・フォン・ノイマンがストアドプログラム方式の電子計算機を提唱したのが1945年、ペンシルバニア大学で製作された世界初のコンピュータENIAC(これもコンピュータの定義などを含めて様々な異論はありますが)を完成させたのが1946年ですから、ドクター中松がその翌年にフロッピーディスクの基となる技術を発明したと言い張るのは無理があるでしょう。

彼がこのタイミングで出願した特許で関連のありそうなものは「重色レコード」と「積紙式完全自動連奏蓄音器」の2件くらいで、いずれの発明も印刷等による面積型録音法の基礎技術です。これは記録紙に線条を印刷するなどして音声データを記録し、光学的に読み取って再生するというものです。光学式の録音技術も既に存在していましたから、彼の発明は記録方式が独自であっただけと見るべきでしょう。

こんな発明がフロッピーディスクとどうつながるのか、私の頭では全く理解できませんが、あの「天才」の頭では「紙というフロッピーな媒体に情報を記録する発明」がフロッピーディスクにつながってしまうのでしょう。

そもそも、1952年に取得した特許ならば、20年後の1972年には失効しているハズです。ドクター中松がIBMと契約を交わしたのは1979年の2月ですから、特許が失効してから6年3ヶ月も経ってからIBMがそのライセンスを求めるなどということは絶対にあり得ません。

『誰がFLOPPYの発明者か』にはフロッピーディスクのジャケットに設けられた窓の下にある2つの切り欠きや、ジャケットの内張り、ハブを補強するリングなどもドクター中松の特許であるため、「ご使用のフロッピーディスクは、ライセンスされたもの以外、中松パテントに抵触するでしょうからご注意ください」と書かれているそうです。

また、日本IBMの広報は、このライセンス契約について「IBMが自ら開発した製品を日本で売るに当って、将来、中松さんとの間に摩擦が起るのを避けるためのもの」とコメントしています。

カメラのオートフォーカスを巡る特許裁判で日本の大手各社がアメリカのハネウェル社にしこたま搾り取られた例はつとに有名です。関連技術に少しでも類似点があった場合、その権利関係をきちんと法的に処理しておかないと、後になって莫大な権利使用料をふんだくられることが特にアメリカではよくあるんですね。ですから、彼らは知的所有権に関して異常なまでに神経質なのでしょう。

要するに、IBMがフロッピーディスクを日本で発売するに当たって、日本で出願されている特許とほんの僅かでも類似点があると考えられる関連技術については、その権利者と事前にライセンス契約を結んでおき、後々トラブルに発展する芽を摘んでおこうと考えたのでしょう。その中にドクター中松が有している特許が幾つかあったというのが真相だと思います。

このライセンス契約に盛り込まれていたであろう守秘義務によって、IBMとドクター中松との契約詳細は公表しない(できない)のでしょうが、彼はああいう性格ですから、それを逆手にとってあたかもフロッピーディスクを発明したのが自分であるかのように触れ回っているのでしょう。メディアもその事実関係を全く確認せずに彼の主張を垂れ流すという「いつものパターン」でこの都市伝説が出来上がったのだと思います。

くだものコワイ

今朝、NHKの『おはよう日本』でクローン動物の安全性に関するレポートをやっていて、少し気になりました。

FDA(米食品医薬品庁)が牛や豚などの体細胞クローン動物でも安全性に懸念はないという、事実上の安全宣言をしたというのですが、私は「何故いまさら?」と思いました。彼らがそれを発表したのは今年の1月15日でしたから、既に3ヶ月近く経っているんですね。身支度をしながら見ていたので番組が今頃取り上げたポイントとなる部分を見落としただけかも知れませんけど。

ま、そういう些細な話はともかく、『おはよう日本』のレポートはFDAの説明など通り一遍の等閑な感じで、一般市民や消費者団体など専門知識のない、いわばド素人が安全性を疑う談話ばかり並べていたようですが、これはどうかと思いましたね。単に「クローンなんて得体が知れないのでヤバそう」「人工的で自然の摂理に反している」みたいなイメージだけを伝えていたような気もします。かくいう私も実際のところはよく解りませんけどね。

既に実用化されている哺乳類の体細胞クローンは、核遺伝子だけを複製し、細胞質は別の卵母細胞を用いているそうで、細胞全体の完全なコピーではないそうです。また、成体からのクローンはテロメアが短くなり、寿命にも関わるとの指摘もあります。が、こうした指摘には反論も多く、科学的な決論には至っていません。

ただ、クローンは私たちのごく身近にも沢山存在しているんですよね。なので、クローンをイメージだけで怖がっている人が身近にいると、私は必ずこう教えてあげます。

「ソメイヨシノって実はクローン植物なんだよ。」

あちこちに書き散らしてきましたので、以前にどこかで書いたのをお読みになっている方もいらっしゃるかと思いますが、日本人の大好きな桜の代名詞でもあるソメイヨシノは全てクローン植物なんです。

ソメイヨシノが人工交配によるのか自然交配なのかは解っていませんが、自家不和合性ですから他系統の株とでなければ有性生殖ができないんですね。つまり、ソメイヨシノはソメイヨシノとして種を残すことができないということです。

なので、隅田川の河川敷にあるソメイヨシノも、靖国神社のそれも、大阪城公園のそれも、ワシントンのポトマック公園のそれも、みんな、1本の原木から接ぎ木や挿し木などで人工的に増殖されたクローンなんです。

え? 周りから眺めるだけなら危険はない? ま、そうかも知れませんが、私たちは食べているかも知れないんですよね、ソメイヨシノを。桜餅をくるんでいる塩漬けの桜の葉は通常大島桜の葉を用いるそうですが、ソメイヨシノの若葉で代用されることもあるんだそうです。

え? 桜餅の葉っぱなんて食べない? そうですか。では、こういう話はご存じですか?

いま、日本で最も多く生産されているリンゴは「ふじ」ですが、これは「国光」と「デリシャス」から創られた人工交配種です。ふじもソメイヨシノと同じく1代限りの自家不和合性ですから、有性生殖ではふじという品種のまま子孫を残すことができません。なので、ふじもソメイヨシノと同じく、1本の原木から増殖されたクローンなんです。

といいますか、ふじだけでなく、市場に出回っているている果物の殆どはクローン植物なんですよね。種子から作る作物とは違って、果樹に実る果物は殆どがクローンで人工増殖されたものなんです。

何故かといいますと、「桃栗三年柿八年」の例えもありますが、果樹が実を結ぶようになるには長い時間がかかります。品種改良された遺伝子を安定させ、品種を均質化するには何代も世代を重ねなければなりません。が、果樹でそれをやろうと思うと猛烈に時間がかかってしまうため、非現実的なんですね。なので、挿し木や接ぎ木といったクローン増殖が行われるわけです。

動物と植物ではクローン技術も異なりますが、これらをどこまで同列に考えて良いのか、現在の段階では恐らく誰にも解らないでしょう。先にも触れましたが、クローン動物が短命といわれる原因について、テロメア説が正しいのか否か解っていません。同様に、野生種の桜の寿命が数百年なのに対して、ソメイヨシノの寿命は60~70年と充分に短命である原因もまた解っていません。

それにしても、クローン動物の安全性については多くの人が疑問視する一方、クローン植物の安全性については気にする人が全くいないというのも不思議な話です。


え? 果物を食べるのが怖くなった? それって私のせいですか?

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まとめ

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