酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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さらなるコストダウンに邁進する自動車業界

ご存じのように今般の不況から自動車業界全般が不振に喘いでいます。各社とも在庫調整の目処は立ってきたようですが、依然として国内の新車販売は伸び悩みが続くと見られていることもあり、トヨタはヴィッツをはじめとして近くモデルチェンジが計画されている小型10車種について今後2~3年は価格を据え置く方針を固めたと伝えられています。

鋼板など原材料コストの高騰が続いていた昨秋には商用車とプリウスの値上げが敢行されました(関連記事「巧妙な値上げ戦略」)。が、その後に見舞われた不況の影響もあって原材料コストも下落に転じましたし、またプリウスについてはインサイト対策として大幅な値下げが予定されるなど(そのお陰で新型は発売1ヶ月前にして予約が5万台に迫る勢いだそうです)、情勢はこの半年余りの間に大きく転換しました。

トヨタはこれまでも世界最高レベルのコスト管理を徹底してきましたが、この小型車の価格据え置き方針を徹底した上で収益アップも目論んでいるようで、生産と開発の各部門をシームレスに連携させた「小型車原価低減特別チーム」を立ち上げたといいます。主たる方策は部品の共通化とオーバースペックの見直しなどになるようで、生産台数の減少にもスケールメリットを落とさないようにするといった思惑も見えてきます。

具体的にはメーター関係の基盤を共用したり、iQに採用されたエアコンやシート骨格などを他車にも展開するなど、外観上はいくらでもアレンジが利く部品についての共通化を進めるようです。要するに、見た目は車種のイメージに合わせて意匠を変えても、一皮むけば同じものが使い回されるという格好になるわけですね。

また、オーバスペックの見直しについては、目に触れにくい部分の瑕疵(かし)に対する基準を緩める方向で検討されているようです。具体的には、内装の内張の裏側やバンパー下面など、性能に影響のないキズについても徹底的に排除してきた従来の厳しい合格基準をある程度緩和させ、歩留まりを上げようと考えているのでしょう。

私が前職で手掛けてきたような特殊車両はそれほどシビアではありませんでしたが、乗用車に関しては仕上げやPDI(新車整備)に対する要求が日本人は潔癖症ともいうべき異常なレベルで、トヨタも馬鹿正直に付き合い過ぎた感が否めません。なので、これはむしろ正常化に向かうものといえるのかも知れません。

やや余談になりますが、輸入車の国内販売価格がかなり割高に設定されている理由はこの日本人の潔癖症による部分も小さくないと私は見ています。新車なのにキズがあるのは許せないという気持ちは解らなくもありませんが、海外では指摘されなければ気付かないような塗装の不良や、しばらく乗れば自然に付いてしまうような小さなキズなどに対して日本よりずっと大らかだといいます。

そうした基準で仕上げられたクルマをそのまま日本で売るとたちまちクレームの嵐になるそうで、正規輸入代理店の多くはPDIセンターを設け、それこそ「仕立て直し」ともいうべき徹底したクォリティコントロールをやっています。JAIA(日本自動車輸入組合)のサイトにある「PDIセンターのご紹介~輸入車の品質維持のかなめ~」ではフォルクスワーゲン・アウディ・ジャパンのPDIセンターを紹介していますが、「日本はやり過ぎているのではないか?」「なぜそこまでやらなければいけないのか?」とフォルクスワーゲン本社に言わしめるほどの検査が行われています。

VAJのPDIセンター
フォルクスワーゲン・アウディ・ジャパンのPDIセンター
素人目には気付かないようなキズや塗装の不良も
厳しいチェックで弾かれ、ご覧のように1台1台職人の手作業で
完璧にリペアされるといいます。
こうしたエピソードは福野礼一郎氏の
ホメずにいられない―オイラが出会った"ホンモノ"なヒト・モノ・クルマ
でも取り上げられています。


この超絶な検査で弾かれた瑕疵のリペアは細部にわたり、リペアでは基準を満たせない場合は再塗装や部品を丸ごと交換するケースもあるといいます。これをアフターマーケットの業者にやらせたら、正規輸入車が割高となっている分では賄えないともいわれています。正規代理店が集約的にシステマチックにやっている分、そこそこのコストでこれだけのPDIができるというわけですね。逆にいえば、日本のマーケットは瑕疵に対して病的なまでに厳しいゆえ、余計なコストを支払わされているのかも知れません。

トヨタなどはむしろそうしたマーケットのニーズに応え、その病的な部分をエスカレートさせる手助けを率先してきたような印象もあります。が、ここに来て直接目に触れにくい部分については見直しをかけるということになるわけですね。私などはDIYで色々取付けるにしても配線などができるだけ表に出ないようにしたいので、しょっちゅう内装を引っぺがしています。が、そこにキズがあるかどうかなど気にしたこともありませんし、キズがあったとしてもそれは内装剥がし工具を使って自分で付けたものかも知れませんし、全く以てどうでもいい部分ですけどね。

それはともかく、自動車メーカーはこのようにイニシアチブを取れますから、コスト削減ができる幅も広いでしょう。が、部品メーカーには「自動車メーカーの要求スペックを満たす」という大前提がありますから、独自に行えるコスト削減の幅は限定的になるのではないかと思われます。そうした中で心配されるのはやはり海外拠点へのシフトですね。

自動車メーカー自ら主力車種の生産拠点を海外へ移管するという計画は日産を除いてまだ本格的になっていないようですが、部品に関してはその動きが顕著になってきた印象です。ここ数日の間に大手ブレーキメーカーの曙ブレーキ工業とホンダ系大手部品メーカーのケーヒンから相次いで複数の国内拠点を閉鎖するプレスリリースがありました。いずれも他の国内拠点へ集約させるとのことです。

曙ブレーキのグローバル展開としては、アメリカに2つ、中国に2つ、フランス、タイ、インドネシアに各々1つ、計7つの製造拠点を持っています。国内も館林鋳造所を除いて子会社になりますが、福島に3つ、埼玉に2つ、岡山、山形に各々1つ、計8つの拠点あり、このうち曙ブレーキいわき製造(株)と曙ブレーキ山陽製造(株)の2拠点を今年度中に閉鎖するそうです。つまり、国内拠点が6つになり、7つの海外拠点より少なくなってしまうというわけです。

ケーヒンも国内に14の製造拠点があります(アッセンブリーのみの1拠点も含みます)が、このうち2拠点を来年9月までに閉鎖、海外16拠点との差が広がってしまうことになりました。これらを以て雇用の海外流出とは言い難いところですが、相対的に海外比率が上がって国内比率が下がるということは、実質的に海外流出と同様の状況にあると見るべきでしょう。

トヨタはまだ日産のように日本向け主要車種の生産について海外へのシフトを本気で考えていないようで、「小型車原価低減特別チーム」を立ち上げたのもそれゆえでしょう。以前に取り上げた日産の「グローバル車両生産技術センター」のような施設をトヨタはまだ整備していないからなのか、それとも日産ほど切羽詰まっていないトヨタはそこまでやる必要がないのか、その辺は想像に委ねるしかありませんが。

いずれにしても、雑巾を絞って一滴の水も滴らなくなるところまできて、なおも価格競争に明け暮れるとなれば、そのときは部品のみならずクルマ全体が海外で生産され、日本へ逆輸入されるのが当たり前になってくるでしょう。付加価値が比較的低い家電ではとっくの昔にそうなっています。大衆車全般もそうなる可能性は低くないでしょう。少なくとも、来年モデルチェンジされる日産マーチがそうなることは既に決まっています。(関連記事「主力車種の海外流出第一号」)
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国土交通省広報課も妄想で記事を書く

国土交通省は昨年9月から『国土交通省メールマガジン(以下MLITメルマガ)』というものを毎日配信しており(土日祝日などは除きます)、間もなく150号を数えます。ま、内容は大したことなく、一般の方が読んで役に立つような情報は滅多にないと思います。発行元が国土交通省大臣官房広報課となっており、編集長は同課の課長になりますから、やはり片手間で運営されているのでしょう。

で、4月17日に配信されたMLITメルマガ第141号の「編集長だより」にこんなことが書かれていました。

◆編集長だより
○「エコで省エネな施策」           広報課長 渋谷 和久

(前略)

 国土交通省も、低炭素革命の実現に向けた戦略的な取組を進めています。去る3月18日に、経済財政諮問会議の場で金子国土交通大臣が報告した資料がありますので、ぜひご一読ください。
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0318/item4.pdf

 その中で、あまり知られていないのですが、交通の流れを円滑にすることによってCO2排出量削減につながることを示すグラフが紹介されています。自動車からのCO2排出量は、発進・停止回数の増加や低速走行に伴い増加するため、一般道よりも規格が高く信号のない道路を走行することが「エコ」につながります。

 先日、「高速道路の料金引き下げは、CO2削減に逆行するのではないか」、とのメールをいただきました。今回、地方部の高速道路での休日「上限1000円」がクローズアップされていますが、同時に、「平日、全車種対象の終日3割引以上」という割引も併せて導入しています。これは、一般道から高速道路への利用転換促進を狙っているもので、上に書いたとおりCO2削減効果が期待できるものです。

(後略)

(C)国土交通省メールマガジン 第141号 2009年4月17日


以前、当blogでも触れましたが、今回の高速道路料金引き下げで「大都市圏を除く休日の一律1000円」の主たる目的は「地方経済の活性化」です。地方へ向かう人の流れを拡大し、その出先でお金を落としてもらうのが狙いですから、これまで地方への移動を控えていた人たちに対してクルマで出かけてもらうことを促す政策というわけです。これは新たなクルマの利用者を掘り起こし、CO2の排出量を純増させることになります。

一方、MLITメルマガは平日3割以上の値引きで従来から需要のあったクルマの利用を一般道から高速道路へシフトさせ、CO2が削減できると主張しています。が、一般道から高速道路へ乗り換えても燃費の向上はせいぜい数十%といったところでしょう。この値引き政策で大幅な利用率の拡大が見込めなければ効果も薄いのではないかと思われます。

また、MLITメルマガでは触れられていませんが、主に流通業者に向けた補助政策として、平日深夜0時~午前4時の割引率を従来の4割引から5割引へ拡大するというものも実施されていますが、たかだか1割余計に値引くだけです。従来から高速道路を利用してきた事業者の負担を軽減する効果はあっても、一般道から高速道路への利用転換を促す効果はそれほど見込めないでしょう。

などとイメージだけで語るのは無責任というものですね。MLITメルマガは無責任にもイメージだけで語っていますが、ここでも同レベルで語ったところで水掛け論にしかなりません。ということで、色々調べてみましたところ、社団法人・全日本トラック協会の「ETC車載器の装着状況と高速道路料金に関する調査結果の概要」というものを見つけました。

この調査によりますと、夜間の1割値下げで「利用増加しない」と回答した業者は68.2%も占め、「5割以上利用増加」と回答した業者はわずか1.4%でした。同様に、3割の基本料金引き下げで「利用増加しない」と回答した業者は12.9%、「1割以上利用増加」は43.3%、「3割程度利用増加」は28.9%、「5割以上利用増加」は13.5%となっています。つまり、平日の3割引で高速道路の利用を増やすとしても大半の業者は現状から3割増し程度にとどまり、大幅な利用率拡大は見込めないことが解ります。

こうした結果を見る限り、平日3割以上の値引きや深夜の割引率拡大で一般道から高速道路への利用転換は微増にとどまると推測できます。が、休日の1000円乗り放題が新たな需要を掘り起こすことは十二分に考えられます(そうならなければ、麻生内閣によるこの経済刺激策は失敗ということにもなるわけです)。実際のところはどうなっているのでしょうか?

各高速道路会社が実施した調査結果によりますと、地域差はあるものの、観光地周辺の高速道路の利用率は4~5割程アップしているといいます。特に高い通行料金で利用者が伸びなかった本州四国連絡橋は全体で89%増とほぼ倍増しており、四国は最もこの特需の恩恵に預かっている地域になるようです。同様に四国からの人の流れが中国地方にも向かっているそうで、こちらも比較的堅調とのことです。

一方、関越道の東松山~嵐山小川(埼玉県)は9%増、東名高速の名古屋~春日井(愛知県)は5%といった具合に、大都市圏に近く観光需要があまり見込めない8区間での増加率は1割に届いていないとのことです。当初の目的通り行楽客など一般利用者の拡大には繋がったものの、一般道からの利用転換が大部分を占めるであろう大都市圏近郊の利用率はあまり拡大していないということですね。

つまり、CO2排出量の純増とカウントすべきところでの利用率は4~5割と大幅に増えており、逆にCO2排出量の削減とカウントすべきところでの利用率は1割に満たない微増にとどまっているというわけです。これで彼の言う「CO2削減効果が期待できる」ような状況にあると認められるでしょうか?

国土交通省大臣官房広報課の課長という役職からして、ただの木っ端役人なのかも知れません。が、私など機械メーカーに勤めるしがないサラリーマンで、当blogの運営も単なる趣味に過ぎません。それでも上掲のように具体的なデータを示すことができるのです(ネット上から探し当てるのに全部合わせても30分かそこらです)から、国土交通省の看板を背負っているメールマガジンにあのような妄想で書かれた記事を載せるべきではないでしょう。

国土交通省の広報を名乗る以上、政府の公式見解との矛盾は認められません。ですから、今回の高速道路料金の値下げはCO2の削減になっているというこの主張を私は政府の公式見解と見なしますが、ここで明らかにしたとおり全くの事実無根です。環境省のライトダウンキャンペーンなどもそうですが、単なる精神的な満足を得るだけの似非エコロジーをプロパガンダするのはいい加減に止めてもらいたいものです。

毎日新聞は妄想で記事を書く (その2)

毎日新聞の東京版の記事『暖かな破局:第1部・温暖化の政治経済学/7止 「一石二鳥」作戦の石原都知事』は石原都政を「環境問題重視」と評し、「就任直後のディーゼル車NO作戦はその典型」「国の排ガス対策強化につながった」などというとんでもない妄想で記事を書いています。

「ディーゼル車NO作戦」について詳しくは当blogの「東京都のディーゼル車NO作戦とは何だったのか?」をご参照頂きたいと思いますが、調子に乗って書き進めるうちに6回におよぶ連載となってしまいましたので、そんな冗長な文章など読んでいる暇がないという方のほうが多いかと思います。アレを端的に言えば東京都自身が途中で誤りに気付き、わずか1年4ヶ月で終了させた勇み足キャンペーンでした。その後に実施された東京都の規制内容を大雑把に纏めますと、

国の排ガス規制で最新のものより二つ以上前の規制しかクリアしていない車両について、初度登録から7年を超えるものは都が指定する粒子状物質減少装置を取り付けろ

といった感じになります。つまり、東京都の規制は国の排ガス規制に乗っかったもので、古い使用過程車の基準を少し引き上げたに過ぎず、国の規制強化に影響を及ぼしたなどというのは全くの事実無根です。

国は技術的な実現可能性をメーカーに打診しながら段階的に排ガス規制を重ねてきました。それは今後も続いていきます。国が規制の対象としているのは大気汚染に繋がるあらゆる排ガス成分で、中には二律背反の関係から同時に削減することが困難なものもあります。その規制を検討するには全般的なバランスを考慮しなければならない非常に難しい作業になるわけですね。

国はそれを継続的にやってきたわけですが、東京都は平成15年に規制を設け、その後たった1度だけ基準値を30%厳しくしたのみです。また、その対象となったのは「粒子状物質」というたった1つの大気汚染物質だけで、それは7年を超える使用過程車のみが規制対象となっています。(関連記事「言ったもの勝ち?」)

国のNOx規制の経緯
国による排ガス規制の経緯
上図は車両総重量12t超の大型車を対象にした
窒素酸化物の排出規制の実施経緯を示したものです。
国はメーカーの技術開発の進捗状況に合わせ、
ご覧のとおり段階的に何度も規制を強化してきました。
この他にも規制対象となる汚染物質は粒子状物質を筆頭に
非メタン炭化水素、一酸化炭素など多岐にわたります。


国が行ってきた排ガス規制は私も覚えきれないくらい内容もスケジュールも複雑に入り組んでいます。粒子状物質に関しては平成6年規制の値を基準にしますと、平成11年規制で36%まで削減され、平成16年の新短期規制で26%まで削減され、現在の新長期規制では4%、来年から実施されるポスト新長期規制では1%ですから、20年足らずの間に1/100まで削減されるわけです。窒素酸化物に関しても上図の通り昭和49年規制に対してポスト新長期規制で1/20に削減されますが、それまでの過程には8回にもおよぶ段階的な規制がありました。

解りにくいと言えば解りにくいのですが、裏を返せばその分だけ頻繁に細かい部分まで検討が繰り返されてきたということです。それをあの無知な都知事は「国は惰眠をむさぼっている」と言ってのけました。しかも、彼は竹下内閣時代に運輸大臣を務めていますから、自動車の排ガス規制を管轄する官庁のトップの座にいました。その立場を完全に棚に上げて臆面もなくあのような発言をしたわけです。

また、国は車両に関する規制だけでなく、特定の地域に規制をかける総量規制も行ってきました。目に見える汚染物質である粒子状物質をペットボトルに詰め、報道カメラの前でぶちまけてみせた石原都政の子供騙しともいうべきパフォーマンスとは全く次元が違うことに彼等は取り組んできたわけです。

大衆メディアに国の排ガス規制を熟知しろといっても無理でしょうし、東京都の単純なそれに感化されるなといっても単細胞な彼等には無理なことなのかも知れません。しかし、複雑で素人には解りにくい国の規制はなかったことにして、単純なパフォーマンスで素人を乗せた東京都の規制が国を変えたと誤解させる捏造記事は許されません。

日本のメディアはアメリカが京都議定書を離脱した一件も、上院が全会一致で採択した「バード=ヘーゲル決議」に基づくものであるという事実を知らず、離脱を宣言したブッシュ前政権の主導によるものと勘違いしています。このディーゼル車NO作戦も全く同じということですね。

このように科学的な理解のみならず、政策にかかる経緯も全く出鱈目に解釈している無能な記者たちが環境問題の記事を書き、多くの人がこの間違った情報を常識としているわけです。国や自治体は「誤解でも上手にメディアを利用した者の勝ち」とばかりにイメージキャンペーンを展開し、公共事業の推進に利用しています。

いまや「環境問題」は政治的な大義を支える要素として、最も強力な訴求力を持つに至ったと見るべきかも知れません。

毎日新聞は妄想で記事を書く (その1)

東京都のオリンピック招致活動に関する欺瞞「カーボン・マイナス・オリンピック」について「似非エコを公共事業に利用する東京都」と題し、2度にわたってお送りしましたが、この執筆に当たって色々調べていた際、とんでもない妄想で書かれた毎日新聞の記事に出くわしました。

暖かな破局:第1部・温暖化の政治経済学/7止 「一石二鳥」作戦の石原都知事

 石原都政が地球温暖化対策に積極的だ。今年6月に「気候変動対策方針」を策定、「国に代わって先駆的な施策を提起し、温暖化対策をリードする」と意気込む。20年に00年比で二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスを25%減らす計画だが、別の狙いもある。

(中略)

 石原都政の特徴は、国との対決姿勢と環境問題重視だ。就任直後のディーゼル車NO作戦はその典型で、スス入りペットボトルを手に「都民はこれを毎日、吸わされている」とアピール。国の排ガス対策強化につながった。

(後略)

(C)毎日新聞(東京版) 2007年12月18日


「石原都政の特徴は、国との対決姿勢と環境問題重視だ。」とありますが、「国との対決姿勢」はともかく、「環境問題重視」というのは現実とかけ離れています。先のエントリでも述べましたが、彼が進めている環境対策は殆どが似非エコロジーの類であったり、実効性が伴うのか疑問を残すものばかりです。

彼が強行した有明北地区旧貯木場の埋立事業に至っては環境破壊以外の何ものでもありません。この計画が実施される前、WWFジャパンは「東京湾の環境保全の観点から根本的に見直し,市民参加のもとで環境保全計画を立てるべきである.」とする公式見解を表明していました。

旧有明貯木場は東京湾の深奥部に残された貴重な江戸前の海でした。絶滅危惧種であるエドハゼを筆頭に20種近いハゼが生息しており、他にもスズキやボラなど様々な魚の幼魚が多数生息し、「東京湾のゆりかご的な役割を担っている」とする評価もありました。このため、釣り人や釣り船業者、自然保護団体などがこの計画に反対運動を展開し、都議会にもそうした声が伝えられました。

具体的には平成11年の第4回定例会で日本共産党の渡辺康信氏の質問に含まれていたもので、このように述べられていました。

有明北地区は、東京湾の貴重な海面であるばかりでなく、今日、東京湾に残された唯一最大の江戸前のハゼ釣り場、ハゼの産卵場であります。釣り人の間では「十六万坪」の呼び名で親しまれています。埋立計画は、この貴重な自然、江戸前の風物詩を台なしにするものでしかありません。だからこそ、屋形船や釣り関係者を初め、多くの都民が憂慮の声を上げているのであります。

   (実際にはもう少し続きます。質疑応答の全文はコチラ)

これに対して石原知事はこう言ってのけました。

有明北地区埋立事業は、臨海副都心の発展のみならず、東京の活性化にも資するものであり、着実に事業を進めてまいりたいと思っております。多分、ハゼはどこかに移るでしょう。


「ハゼはどこかに移る」などという発言は自然保護のタガを根本から外してしまうものです。こんな台詞で許されるのなら、沖縄の西表島でリゾート開発のために絶滅危惧種であるイリオモテヤマネコの生息地が奪われる懸念があっても「ヤマネコはどこかに移るでしょう」の一言で済まされてしまいます。この莫迦げた発想で反対意見は完全に無視され、強行された埋立工事は既に完了しています。こんな出鱈目な都政のどこが「環境問題重視」なのでしょうか?

ついでに言えば、この有明北地区の埋立地は18,500人を収容できるオリンピックの選手村建設予定地になっています。東京都は盛んに「エコ」を売り文句として招致活動を展開していますが、一皮むけばこんなものです。

オリンピック選手村の構想図
オリンピック選手村の構想図
東京都の選手村に関する謳い文句はこうです。
「みどりと水に囲まれた自然の中で、選手が安全、安心、快適に滞在できる居住空間」
しかし、それは東京湾に残された自然環境を破壊し、「東京湾のゆりかご」と評された
貴重な生態系を潰した上に建設される予定になっています。
ま、既に埋立は完了していますから、招致に失敗してもあの豊かな海は戻ってきませんが。


(つづく)

日欧では許容範囲が違うらしい

スーパーGTなどを見ていてよく思うのですが、日本のレースはちょっとした破損でもすぐにオレンジボール(黒地にオレンジの丸印が描かれた旗:メカニカルトラブルが発生しているマシンに対してカーナンバーと共に提示され、当該車は直ちにピットインしなければなりません)が出され、水を差されることがあるんですね。もちろん、部品や車体の破片などをコース上に落下させて二次事故を引き起こすのも問題ですが、ちょっとした接触でフェンダーがめくれたくらいでも修復するように促すのはどうかと思ったりします。

逆に、ヨーロッパのレースを見ていて感じるのは、なかなかオレンジボールを出さないことです。特に印象的だったのはユーロF3ですね。その元年(前年までドイツF3とフランスF3だったものが統合された2003年)は現在ウィリアムズ・トヨタで活躍しているニコ・ロズベルグ選手、BMWザウバーのクリスチャン・クリエン選手、トヨタのティモ・グロック選手など粒ぞろいだったのと、出走台数が40台前後と非常に多く壮観だったのと、Jスポーツで全戦中継されていたという理由でよく見ていました。

あれだけの台数が一斉に走りますから、接触事故もよくある光景だったのですが、フロントウイングが取れかかっていてもオレンジボールが出ないというのは少々驚きでしたね。ま、F3は周回数が非常に少ないスプリントレースですから、オレンジボールが出されることは実質的にブラックフラッグ(失格)が出されるも同然だったのかも知れませんけど。

ところで、某人気男性アイドルグループから2人目の逮捕者が出てしまいましたが、聞けば酒に酔って裸で騒いでいただけだそうで、一般人なら新聞沙汰にならなかったと思います。この程度なら検察に送致されても起訴猶予ということですぐに放免となるのは間違いないでしょうが、メディアはやはり祭り状態になってしまいましたね。地デジキャンペーンの広告差し替え絡みでアルカイダの友達の友達は怒髪天を衝いているようですし。

F1のフェラーリチームで活躍しているキミ・ライコネン選手なんて酒に酔って騒いだり、暴れたり、裸になったり、鈴鹿の芝生の上で眠ってしまったり、クルーザーのデッキから転げ落ちたり、そんな武勇伝に事欠きません。普段は「アイスマン」と呼ばれるほど感情を表に出さず、コメントも素っ気なく、プレス泣かせな彼ですが、酒が入ると「ジキルとハイド」のように性格が変わる壊れっぷりは非常に有名で、ゴシップ紙に格好のネタを供給し続けてきました。

某アイドルグループの彼はここでしばらくピットインしてほとぼりが冷めるのを待つのでしょう。が、我らがライコネン選手はそんなことなどお構いなしにずっと突っ走ってきました。日本人とヨーロッパ人では壊れ方に対する許容範囲がかなり違うようです。

似非エコロジーを公共事業に利用する東京都 (その2)

世間一般に森林はCO2を吸収すると信じられています。東京都もこうした考え方を基に緑化事業を推進し、「カーボン・マイナス・オリンピック」と称する欺瞞に満ちた宣伝文句をぶち上げています。しかし、森林がCO2を吸収するのは実質的に成長・拡大過程のみで、成熟してしまうとその効果は期待できません。

こうしたことが理解できていない人は、中学の理科の教科書を引っ張り出して「食物連鎖」というものをもう一度学習し直すことをお奨めします。食物連鎖には「生産者」「消費者」「分解者」という三者が出てきますが、このうちの「生産者」である植物の働きしか見ず、「分解者」である微生物などがどのような役目を担っているか理解できていないと、「森林はCO2を減らす」という短絡思考に疑問を感じることもないでしょう。

植物はその成長過程で炭素を蓄えていきますが、寿命が尽きれば微生物によって分解され、その炭素は再びCO2やCH4(メタン)などの温室効果ガスとなって大気に戻ります。もし植物が吸収したCO2が完全に地球の炭素循環から切り離され、恒久的に大気へ戻らないとしたら、それは分解されずに泥炭や石炭などのような状態で地中にとどまらなければなりません(泥炭の状態では何かの拍子に分解が進むこともありますが)。しかし、こうした状態に至るケースは極めて稀ですから、成長・拡大が止まった森林、即ち「成熟林」はCO2の吸収源になっていないと考えられているわけです。

食物連鎖の例
食物連鎖の例
ここには落ち葉しか書かれていませんが、
寿命を迎えた樹木の殆どは微生物よって分解されます。
もちろん、それは土壌の養分になるだけではありません。
大気中のCO2を取り込んで植物のからだを構成していた炭素は
微生物に分解されるとCO2やCH4などの温室効果ガスとなって
再び大気に戻り、恒久的に固定されることは滅多にありません。


都市の緑化事業は樹木を増やすことになりますから、増えた樹木の分だけ炭素を蓄えられると考えることもできるでしょう。が、こうした事業には必ず継続的なエネルギー投入が不可欠ですから、その収支のバランスを考慮しなければCO2の吸収源たり得ているのか判断できません。

まずは木を植える土壌を開発するところから始まり、苗木を産地から運搬したり植え付けたりする際にも化石燃料の投入が不可欠です。また、植えてしまえばそれで終わりというわけにもいかず、保守管理が必要になります。

剪定作業にもエネルギー投入が不可欠ですが、特に東京のように交通量が多い道路に植えられた街路樹の剪定作業で車線を塞いでしまうと、たちまち渋滞を引き起こしてしまいます。私もこうした作業による渋滞で何度イライラさせられたか解りませんが、その分だけエネルギーを浪費させ、余計なCO2を排出することになるわけですね。

落葉樹の場合は秋になれば大量に葉を落としますから、道路に落ちたそれを除去するために路面清掃が必要になることもあります。それが側溝を塞いで排水不良を引き起こしてしまうこともありますので、側溝清掃が必要になる場合もあるでしょう。また、こうした街路樹や植栽帯に関する苦情で最も多いのは雑草の発生だそうで、その除草作業にもエネルギー投入は不可欠です。

街路樹などを植えることによってCO2の収支がどのようになるのか、その具体的なデータを見つけることはできませんでした。が、これは植える木の種類によっても、植える土地の条件によっても少なからぬ差が生じるでしょうから、一概には言い難いでしょう。緑化事業によってCO2を吸収できると信じている人たちの多くは、こうした現実を見落としていたり、故意に無視していたりするのだと思います。

さらに微妙なのは東京湾の埋立地88ヘクタール程に植林を施す「海の森」という計画です。これは元々ゴミの最終処分場だったところですが、ここに木を植えることで果たして東京都の言うような「CO2を吸収して、地球温暖化を防ぎます。」という状態になるのでしょうか?

海の森予定地

ここは元々海だったわけですから、かつては少なからぬ量の植物プランクトンが生息していたハズで、そこを埋め立てて木を植えても結局は「往って来い」になっているだけかも知れません。海に漂っている植物プランクトンなど特に管理されているわけでもないでしょうから、エネルギーが投入されることもなかったでしょう。が、ここに作られようとしている人工林を維持するためには継続的なエネルギー投入が避けられないでしょう。

実際のところは厳密なアセスメントをしてみなければ解らないでしょうが、東京都の「海の森」プロジェクトについての説明を読んでみますと、何もない埋め立て地に森をつくることで新たなCO2の吸収源を創出するという風に読めてしまいます。ここでもイメージばかり先行しているという感が否めません。

この他にも、東京都はオリンピックを開催するに当たって、選手や大会関係者の移動にハイブリッド車や燃料電池車などの導入を計画しているといいます。が、これらは製造過程にかかる環境負荷が普通の車両より大きい傾向にあります。当blogでも以前、2代目プリウスについては生涯走行距離が短いほどアンチエコカーになる可能性が高いことを示しましたが、東京都はその点に関しても全く考慮していないでしょう。

オリンピック開催期間やその前後を含めた実質的な運用期間はごく僅かですし、半径8kmに主要な競技施設が集中する「世界一コンパクトなオリンピック」を謳い文句の一つにしているくらいですから、走行距離そのものもあまり伸びないのではないかと思われます。

こうした条件で製造過程などを含めたトータルの環境負荷を通常の車両より抑えることはかなり難しいのではないかと想像されます。もちろん、これもLCA的な手法で評価しなければ、ハイブリッド車や燃料電池車などの導入が好ましいことか否か判断できないでしょう。が、そんな検討など(カネも時間もかかりますから)東京都は行っていないと思います。

自然エネルギー導入計画なども全く同様で、投入した分のエネルギーが回収できる期間(EPT:エネルギーペイバックタイム)をキチンと考慮しているわけではないでしょう。風力発電にしても太陽光発電にしても、推進派にとってかなり都合の良さそうなEPTを見ても数年はかかるのですから、わずか3週間足らずのオリンピック開催期間でエネルギー収支を黒字にできるわけがありません。

東京都はオリンピックの招致に当たってこうした事業の推進を盛んにアピールしていますが、オリンピックに直接かかる独立した事業の中では消化しきれるものではありません。ハイブリッド車や燃料電池車の導入、自然エネルギー開発事業といったものはオリンピックが終わった後もオリンピックとは無関係に継続的な運用を続けなければメリットは見込めないでしょう。(継続運用しても本当にメリットが見込めるのか、私はかなり疑っていますけど。)

少なくとも、オリンピックが終わってから直接関係のないことで出入りするCO2もオリンピックのそれに算入させて「カーボン・マイナス・オリンピック」と称するのは世間を欺く行為です。例えば、企業がある事業の設備投資のために借金をして、その事業が行われていた期間では黒字に転換できず、別の事業でその設備を継続運用し、何年後かにようやく黒字を計上できたとしましょう。当初の事業では終始赤字だったにも拘わらず、その事業報告書では黒字決算としていたならば、それは普通「粉飾決算」といわれます。

これは「環境保護」という美名の下が無法地帯となっていることを示す好例といえるかも知れません。東京都がオリンピックを招致するために利用しているエコキャンペーンも、ありがちなイメージ先行の似非エコロジーの領域から一歩も抜け出せていないわけですね。

(おしまい)

似非エコロジーを公共事業に利用する東京都 (その1)

2016年のオリンピック開催を目指している東京都が最近みのもんた氏を起用したテレビCMを流していますね。しかし、どうにも理解できないのがこれに伴って全公立小中学校の校庭を芝生にするというハナシです。CMの中でも「オリンピックをきっかけに東京は環境先進都市へと変わります」として「子供たちのために校庭を芝生化!」と謳っていますが、そもそもこの校庭の芝生化キャンペーンをオリンピックの招致活動とセットにする理由が何処にあるのでしょう?

東京都のオリンピック招致CM

東京都の報道資料によれば、「東京都は、オリンピック招致を目指している2016年に向けて、全公立小中学校の校庭の芝生化に取り組んでいます(平成19年度末74校実施)。」とありますが、やはりオリンピックとの接点が明確になることは一切書かれていないんですね。小中学校の施設を大会運営に利用するというのなら解りますが、そういうハナシも聞こえてきません。ま、現実問題として小中学校を大会運営に利用するとなれば授業などへの支障も懸念されますけど。

私も個人的な印象として校庭を芝生にすること自体は特に悪いことだと思いません。恐らく小中学生の子供を持つ父兄の多くには好印象を与えるのだと思います。要するに、このキャンペーンをオリンピックと絡めるのは、招致の賛同を得るための人気取りを目的としたバラマキの一種ということでしょう。純粋に東京の都市環境や子供たちの生活環境のことを考えて校庭を芝生化したほうが良いというのなら、オリンピックの招致活動とは関係なく推進していけば良いことです。

そもそも、こうした校庭の芝生化ブームは鳥取県在住のニュージーランド人、ニール・スミス氏が2002年にNPO法人を立ち上げたところから始まったようです。鳥取県が管理していた2万平米の牧草地を借り、専門の大学教授と地域住民の力を借りながら、維持管理が容易で安価な芝生化の手法を確立したそうです。現在、この手法は「鳥取方式」と呼ばれるに至り、全国的に広まっているといいます。このように、校庭の芝生化は他の自治体でも同様に進められている事業です。東京都に限って「オリンピックをきっかけに」しなければならない合理的な理由など存在する訳がありません。

東京都の校庭芝生化キャンペーン
東京都の校庭芝生化キャンペーン
私の母校の校庭は在学当時アスファルトだっただけに、
こうしてみるとチョット羨ましいような気もします。
が、低コストといっても土ほど維持費がかからないわけではなく、
雑草や虫害、猫の糞害など様々な問題から大変な手間もかかります。
実際、私の実家の庭も一時は芝生にしていましたが、
近所の野良猫の便所と化し、夏場には悪臭を放つこともありました。
手入れは園芸好きの母がやっていましたが、それでも手に余り、
現在はそれを潰してカーポートになっています。


ここで私のスタンスを明らかにしておきますと、オリンピックの開催には反対です。道路や公共交通機関の混雑が予想されますから、都内の移動など日常生活に支障をきたすというのは私にとって非常に迷惑なことです。ま、あくまでも個人的な都合ではありますが、東京でオリンピックが開催されても私には直接的なメリットなど何もないでしょう。

あの高慢な石原知事は3兆円の経済効果があると豪語していますが、これも見込める限り最も都合の良い数字を積算し、交通渋滞などによる経済損失といったマイナスの要素は一切計上していないと思います。破綻確実の新銀行東京の例を見れば、彼等のいい加減な事業予測を信ずるのはカルト教団へ入信することに匹敵するといえるでしょう。

また、東京都は「大会開催によって排出されるCO2の総量を大幅に上回るCO2削減を達成する。」として、これを「カーボン・マイナス・オリンピック」と称しています。が、その中身を見てみますと、結局のところこれまで様々なところで繰り返されてきたことと同じ欺瞞に満ちた似非エコのオンパレードです。

校庭の芝生化も緑化事業の一環とされています。この他にも東京湾で開発が進められている「海の森」で約88ヘクタールの森林をつくるという計画や、街路樹を100万本に増やすという計画など、校庭の芝生化と合わせて約1000ヘクタールの緑地を創出するといいます。が、これも「植物は光合成でCO2を吸収する」という断片的な捉え方でCO2排出削減効果があると無邪気に信じているのでしょう。

(つづく)

アサヒっていた週刊新潮

以前、当blogでも取り上げた週刊新潮の一件ですが、ご存じのように誤報だったことが明らかになりました。これを受けて各紙の社説で批判が相次いでいます。

朝日新聞「週刊新潮―「騙された」ではすまぬ
読売新聞「週刊新潮「誤報」 第三者調査で徹底検証せよ
産経新聞「週刊新潮 まず誤報の責任を明確に
中日新聞「「週刊新潮」誤報 雑誌報道の自殺行為だ

5大紙では日本経済新聞と4月14日付の社説「朝日襲撃事件 新潮は納得いく説明を」で取り上げたばかりの毎日新聞は今日(4月17日)までのところ社説で論じていませんが、各紙とも関心の高さが伺えます。内容的には大同小異で、裏付け取材を怠った杜撰さと、新潮自身が被害者といわんばかりの態度と、本件に対する新潮サイドへの取材は個別対応のみで記者会見を行わず、説明責任を果たしていないとする批判といったところでしょうか。

個人的に気になったのはやはり朝日新聞の社説で、当事者であるとはいえ、報道の姿勢を問うこの問題に当たって合理性を欠いているのはどうかと思います。新潮サイドが説明責任を果たしていないのは確かだと思いますが、「言論機関の責任者としてなぜ記者会見で疑問に答えようとしないのか」という注文はあまり合理的とも思えません。

こうした不祥事が起こると、記者会見の席で経営陣がズラリと並び説明が行われるパターンがすっかり定着していますが、実際にクローズアップされるのは「報道カメラの前で懺悔する」そのシーンで、こうした謝罪会見が求められる風潮は決して感情的な部分と切り離せるものではないでしょう。当blogで以前取り上げたPR会社などでは、こうした謝罪会見の席で反感を買うことなく、上手くその場を収められるよう事前に応対の練習しておくプログラムも用意されています。

質疑応答が個別であっても、必要な情報が明らかになれば記者会見というスタイルに固執する必要もありませんし、逆に記者会見を行ったところで充分な説明が成されるとも限りません。要するに、朝日新聞が求めているのはこうした「儀式」であって、新潮社の経営陣がさらし者になることを望んでいるのでしょう(あくまでも個人的な憶測です)。

こうした謝罪会見という「儀式」をやっているのは日本くらいだといいます。日本以外の国でこうした「儀式」が求められていないのは、謝罪と説明をキチンと行えば、報道カメラの前でさらし者にする必要はないと考えているからかも知れません。あるいは、訴訟に発展する場合を想定し、法廷で不利な証拠とならないよう、安易に非を認めないという防衛意識もあるのかも知れません。そういう意味では、日本はまだ法的に物事を整理するより、態度で示すことが求められ、感情的な部分で収拾をつけようとする傾向が強いと言えるのかも知れません。

ところで、このエントリのタイトルに「アサヒっていた」という俗語を用いましたが、ご存じない方のために説明しておきましょうか。これは「ググる」と同様に動詞として用いられる「アサヒる」という言葉の活用形ですが、Wikipediaにはその意味がこう記されています。

捏造する。でっちあげる。執拗にいじめる。自らの論調に相容れない者を執拗に攻撃する。


この言葉が生まれたのは安倍氏が首相を辞職した折になります。朝日新聞の記事に石原壮一郎というコラムニストの談話として「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」と書かれていたところに端を発しています。

「アベする」という言葉が「あちこちで聞こえる」「流行語」などになっていなかった事実から、逆にネット上などで上記のようにハナシを捏造することなどを指して「アサヒる」という言葉が用いられるようになったといいます。ちなみに、『2ちゃんねる』の管理人である西村博之氏が取締役を務める未来検索ブラジルでは「ネット流行語大賞」というものを選出しているそうですが、「アサヒる」は2007年の大賞に選ばれたといいます。

政界をすっぱ抜く記事が週刊誌に多いのはそれだけ新聞が政界に手懐けられているということを示しているのでしょう。そういう意味では週刊誌の存在も軽視できません。が、その一方で倫理感に欠ける報道が過去に何度もありましたし、根拠の弱いいわゆる「飛ばし記事」が多いのも確かでしょう。ま、こうしたことは読者の多くも承知して、それなりの捉え方がされているように思いますが。

5大紙もこうしたレベルの低い報道は過去に何度もやっていますし、朝日新聞などはその筆頭ともいえるだけに「アサヒる」などという俗語が生まれるわけですね。今日の社説にも彼らがそのように評価されているという自覚は微塵も感じることができませんでした。

自動車メーカーでも家電メーカーでも一般消費者を相手にしている企業はマーケットにどのような印象を持たれているのか、そうした自社のブランドイメージを調査し、その情報を分析するケースは決して珍しくありません。しかし、情報を扱うプロ中のプロであるべきメディアは自分たちが世間からどのように見られているのか全く把握できていないというわけですね。

電動デュラがiFデザイン賞を受賞していた

シマノの公式サイトには未だに掲載されていませんが、去る4月8日に東京の晴海で行われた新製品発表会でアルテグラのニューモデル、6700シリーズ(以下67アルテ)が正式発表されましたね(ネット上ではもう少し早いタイミングで話題になっていましたが)。気になる互換性については情報が錯綜していまして、79デュラ同様に従来モデルとリヤの変速系以外互換性がなく、79デュラと互換性があるとする説と、全般的に従来モデルと互換性を保っており、79デュラとの互換性がないとする説があります。

アルテグラ6700シリーズ
アルテグラ6700シリーズ

CYCLING TIME.comのレポートは件の発表会の模様を伝えており、「旧シリーズとの互換性は無い」と明記されています。が、一方では66アルテとの互換性を示すシステムチャートも流れており、どちらが正しい情報なのかまだ確信が持てないところです。(ま、普通に考えれば前者だと思いますが。)

79デュラのときは早い段階で正確な情報をお知らせできたせいか、ググると当blogがかなり上位にヒットするため、この互換性がらみの検索でおいでになる方が現在でもほぼ毎日います。が、この67アルテについてはまだシマノからユーザー向けに詳しい情報が発信されていない状態ですので、何とも言い難いところです。

79デュラのとき早い段階で正確な情報を得られたのは、シマノ・ヨーロッパのサイトをチェックしたからです。シマノは日本のユーザーを軽視しているのか、単に日本語サイトの管理がルーズなのか、ヨーロッパより情報が(特にロード系の情報は)遅れたり、大雑把だったりすることが頻繁にあります。ということで、今回もチェックしてみたのですが、残念ながら67アルテの情報は一切ありませんでした。

で、このとき「News」の頁をチェックして知ったのですが、昨年11月26日付けの記事に「DURA-ACE Di2 wins iF Product Design Award」というのがありました。例の電動デュラがドイツのiFデザイン賞2009を「レジャー/ライフスタイル」部門で受賞していたそうです。

個人的には「このデザインのどこが良いの?」とも思いますが、要は見た目だけでなく、システム全般の完成度や新たな分野を切り開いたことも評価対象になっているようですね。ま、こうした考え方はアメリカのIDEA賞や日本のグッドデザイン賞など工業デザイン賞にはよくあることですが。

iFデザイン賞を受賞した電動デュラ
シマノ・ヨーロッパから拝借した写真ですが、
これまでも散々用いられてきた広報用写真に
iFデザイン賞のロゴが貼り付けられただけですね。


iFデザイン賞というのは世界で最も古くからある工業デザイン賞で、世界屈指の権威とされています。といっても、毎年全世界の工業製品などを対象に選考されるとのことですから、それほど敷居は高くないようで、日本のメーカーも沢山の受賞実績があります。ザッと調べてみますと、デジカメだけでもカシオ・エクシリムEX-Z1200、同EX-S770、同EX-F1、リコー・カプリオGX100、同GR DIGITAL II、同GX200、ソニー・サイバーショットDSC-T700などがありました(他にもあるかも知れませんが)。

もちろん、デジカメ以外にも沢山の受賞例がありまして、レクサスGSおよびISとか、東芝や富士通のノートPCとか、三洋のエネループ関連製品数点とか、無印良品の懐中電灯とか、枚挙に暇がないといった感じです。比較的家電関係が多い印象ですが、これだけ沢山の実績があると逆にありがたみも薄れていくような気がしますね。ま、食品などに与えられる「モンドセレクション」のように一定の基準を満たしていれば次々に賞が与えられる「賞の量産マシーン」みたいなモノのとは違いますけど。

さらに脱線しますが、この機会にベルギーのモンドセレクションについても述べておきましょうか。これは「賞」といってもコンペティションの類ではありません。「食のノーベル賞」などと紹介されることもありますが、それはとんでもない大ウソです。

1件につき1100ユーロ(現在のレートで14.5万円くらい)の審査料(3件以上の同時申請なら1件1000ユーロにディスカウントされるそうです)を支払い、「味覚」「衛生」「原材料」「パッケージに記載されている成分などが正しいか」といった審査項目で採点され、総得点が90点以上で「最高金賞」、80点以上で「金賞」、以下10点刻みで銅賞まで与えられます。要するに、品質や技術水準の格付けという訳ですね。実際、モンドセレクションの運営組織自身が「国際品質評価機関」と称していますし。

また、モンドセレクションは日本でこそ有名ですが、世界的にはかなりマイナーであるゆえ、審査される製品の半数は日本メーカーのもので、日本の製品は毎年50~100件が最高金賞となり、日本から審査に出された製品の8割は何らかの賞を受けているそうです。上述のように審査は有料ですから、彼等にとって日本は最高の得意先です。日本語の公式サイトがシッカリ整備されているのもそれゆえでしょう。

こうした実情を知らなかった子供の頃、「モンドセレクション金賞受賞」とか謳われているお菓子などを食べて「大したことないなぁ」と思ったりしました。いま、サントリーのザ・プレミアム・モルツが「モンドセレクション最高金賞受賞」など宣伝していますが、私はこれまでサントリーのビールが美味しいと思ったことなど一度もありませんので、飲んでみたいとも思いません(あくまでも私の主観です)。

単なる格付けを「金賞」などと紛らわしい言い方をするから誤解を招くのでしょうが、企業はそうした誤解を逆手にとって製品に箔を付けているような気もします。ですから、モンドセレクションの実態は「ISOの認証みたいなもの」と広く知られるようになれば、ここ何年かでISO取得ブームがすっかり下火になった(私の会社もこの4月から設計・製造部門を除いてISOの認証を返上しました)ように、こんな格付けなど有り難がられなくなるでしょう。

ハナシを戻しましょうか。電動デュラのiFデザイン賞受賞はシマノ・ヨーロッパでは詳しく報告されていますが、日本のサイトでは私が探した範囲で見つかりませんでした。せっかくの評価を宣伝しないのは勿体ない気もしますが、それが何故なのかはよく解りません。iFデザイン賞など日本ではそれほど話題になるものではないと思っているのか、日本のユーザーを軽視して細かい情報は伝える必要がないと思っているのか、どちらにしてもヨーロッパと日本とでシマノの判断基準が異なっているのは確かなようです。

日本に優秀なリーダーが現れないワケ

派遣切り問題がクローズアップされた折、中日新聞は「雇用の海外流出」といった懸念を全く顧みることなく、製造業への派遣を「禁止に踏み切る時だ」とする近視眼的な社説を展開していました(これに対する私の評価はコチラ)。過去を振り返ったり世界を見渡したりする能力に欠けているメディアばかりで嫌になりますが、中日新聞の能力の低さはかなりのレベルにあります。昨日の社説もまたかなり酷い内容でした。

リーダー不在の不幸 週のはじめに考える

 日本が劣化しつつあります。最近、そんな指摘をよく聞きます。リーダーが不在だからではありませんか。総選挙を前に、指導者像について考えます。

(中略)

 わずか二十年ほど前には「一億総中流社会」といわれた平等社会だったのに、あまりの激しい変化に驚かされます。この流れを決定付けたのは、一九九〇年代のバブル崩壊とその後に続く経済、政治・行政の「改革」です。

 この改革が目指したのは、経済面では「官から民へ」の掛け声とともに「小さな政府」の実現と規制緩和の実施です。民間を主体とする競争の活性化でした。政治・行政面では、官僚支配を脱し、政治主導の実現がうたわれました。

 でも、規制緩和は、例えば「派遣切り」といった歪(ひず)みをもたらしました。強欲とも言える米国流の金融資本主義が破綻(はたん)し、そこから脱却を図るためばらまき型の「大きな政府」が今日の姿です。

 どうして予見できなかったのでしょう。いくつか要因が考えられますが、最大のものは各界でのリーダー不在ではありませんか。とりわけ政治家に傑出した人物を欠きました。戦国時代や明治維新など時代の転換期には優れた指導者が出ましたが、現代の混迷期には相応の人物が見当たりません。

(後略)

(C)中日新聞 2009年4月12日


以前にも述べましたが、戦後からサッチャー政権が誕生するまでのイギリスは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに高福祉を是とする「大きな政府」となっていました。こうした風潮から一時は失業手当てが労働者の最低賃金を上回る事態となり、労働意欲の減退から長期におよぶ経済停滞を招いたいわゆる「イギリス病」に陥りました。こうした堕落からの再建を期し「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相は急進的な構造改革という大ナタを振るい、「小さな政府」とする政策はやがて金融産業などの成長につながっていきました。

一方、フランスのミッテラン大統領は社会党に属する左派政治家でしたから、当初は民間企業の国有化や社会保障費を拡大し、社会主義的な「大きな政府」を進めていきました。が、政府を肥大化させたツケとして、その効率の悪さが問題となっていきました。インフレの進行と失業者の増加に歯止めをかけることもできず、結果的に左派政権でありながら公共支出の削減や国有企業の民営化に転じ、自由主義的な政策を進めていくことになったわけです。

アメリカについても以前に述べたとおり、第1次オイルショック後の不況に対する経済刺激策としてカーター政権が盛んにバラマキを行いましたが、大した実効性はなく、むしろインフレ圧力を高めるばかりでした。そこへ第2次オイルショックによってさらなる景気後退が重なり、未曾有のスタグフレーションに呑み込まれていったわけですね。その後を受けたレーガン政権もまたサッチャー政権と同様に「小さな政府」を唱え、軍事費以外の歳出削減、減税によって労働意欲の向上と貯蓄の拡大を促し、それを企業への投資へ向かわせる政策を展開しました。いわゆる「レーガノミックス」というヤツですね。

要するに、つい最近まで「小さな政府」が推し進められてきた背景には、その前段に行き過ぎた「大きな政府」の失敗があったからです。特に規制緩和によって産業稼働率が上がったアメリカは金融資本主義で我が世の春を謳歌したわけですが、その行き過ぎが今般の歴史的不況をもたらしたと見るべきでしょう。いまここで各国は再び「大きな政府」に舵を切っているわけですが、その舵を戻すタイミングを誤れば、1970~80年代に経験したことを繰り返すに違いないでしょう。

そもそも、こうした「世の中の動きを見極める能力」と「強力なリーダーシップを発揮する能力」は全くの別物です。事態の成り行きを予見できていながら適切なタイミングで適切な方向へ舵を切れなかったというのなら「リーダー不在」が大きな問題といえるわけですが、「予見できなかった」のであればリーダーシップもクソもありません。

実際のところ、こうした金融破綻を予見していた人はいたわけですが、その言葉に耳を貸さなかったことが事態を悪化させた元凶であったように思います。また、その言葉を大きく伝えず、警鐘を鳴らすことを怠ったメディアにも責任の一端はあるような気もします。

そもそも、この社説は「リーダーが今こそ必要」と唱え、その出現を望むばかりで、何も建設的なことが書かれていません。優秀なリーダーを望むのなら、そのような人物がリーダーとして活躍できるような世の中を作っていくことが必要です。いまの日本では自民党内での政治的な駆け引きで国のリーダーが決まってしまうため、自民党員以外は直接的にリーダーを選ぶことができません。が、それでも世論という圧力である程度の方向付けはできるでしょう。

そのためにはリーダーとしてふさわしい人物かどうか、その点を見極める目を持つことが大事です。聞こえの良い政策を掲げているだけでは駄目で、それをどう実現するか具体的な裏付けを確認する必要があります。国民の機嫌を取るようなバラマキでダボハゼのように釣られてしまうなど言語道断です。

また、改革を唱えるスローガンばかりを強調し、そのイデオロギーを詳しく確認しないまま理想のリーダー像と重ね合わせ、そのイメージばかりを徒に膨らませていくメディアも少なくありません。ですから、そうした低レベルな情報を排除できる能力も必要でしょう。そういう意味では多くのメディア同様、中日新聞も排除されるべき低レベルな情報を垂れ流していますので、充分な注意が必要です。例えば、上で抜粋した社説の続きにはこうあります。

 作家塩野七生さんが「ローマ人の物語4」で指導者に求められる五つの資質をこう書いています。

 「知性。説得力。肉体上の耐久力。自己抑制の能力。持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた」

 たしかに、これを全部備えている人は世界中を見渡してもほとんどいないでしょう。米国のオバマ大統領の顔が浮かびますが、真価を問われるのはこれからです。


当blogでは具体例を示してきたように、オバマ大統領がイデオロギーをコロコロ変える日和見主義者であることは明白です。また、これも以前に述べましたが、彼は携帯メール中毒でこれを片時も手放すことができず、ついにはセキュリティを強化した大統領専用機が作られるに至りました。この男のどこに「持続する意志」と「自己抑制の能力」が備わっているというのでしょうか?

このように人を見る目のないメディアが徒にヒーローを仕立て上げ、そこへ世論を乗せてしまうことが優秀なリーダーの出現を阻んでいるのかも知れません。

ウチも勝手に広告媒体にされた

自転車のメンテDVDやレンタルガレージなどでお馴染みのサイメンさんとこのblogがこのところ更新されていないのかと思いきや、新しいエントリがアップされても「いつの間にか広告媒体にされてしまう。」というエントリが一番上に来るようにその日付も毎回更新されていたのですね。勝手に広告を入れられていることに対する不満をアピールしているのでしょうか?

などと思っていたら、当blogも同じように数日前から勝手に広告が入るようになってしまいました。一番上に表示されるエントリの終わりに「スポンサーサイト」とある部分以下は私の意志と無関係に挿入されてしまう広告です。

ま、無料のサービスを利用させて頂いている身ですから、あまり大きな声で文句も言えませんけどね。でも、単なる個人の趣味として無報酬で運営しているblogだから好き勝手なことやいい加減なことを書いてもある程度は許されるだろうということで、これまで何度も「完全非営利」を謳ってきました。こうした広告が入っても私の懐には1銭も入らないという状況は変わりませんが、パッと見にそれは解らないでしょう。誤解を招くような状態が勝手に作られてしまったのは何となく釈然としません。

今後も言い訳がましく「当blogは完全非営利だから」などと書くかも知れませんが、その度に「スポンサーサイトとある部分以下はFC2のblogサービスによって勝手に挿入されてしまう広告で、私には1銭の収入もありません。」などと書くのは面倒くさくて参ります。ということで、今後は一々長ったらしい注釈を付けなくても良いよう、このエントリにリンクさせ、説明に代えさせて頂こうかと思います。

(4月13日追記)

今日、FC2からのメールで件の広告に関する告知がありました。

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◆ 【ブログ】 高速表示の導入と、連動する広告の設定
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2009年4月9日から、FC2ブログは、
世界最大のグリッドコンピューティング基盤による、
高速コンテンツ配信システムを導入しました。
それに伴う広告表示を実施、運用を開始します。

管理画面で、高速表示を選択することで、
ブログや管理画面が、従来よりも高速で表示されるようになります。

★ 高速化に伴うコストとして、高速表示を利用すると広告が表示されます。
高速表示の設定を変更すれば、広告を非表示にもできます。


ということで、早速非表示設定に変えました。

blogそのものの画面表示など、「月別アーカイブ」で1ヶ月分丸々表示させる場合はともかく、通常はとりわけ遅いと感じていませんでした。管理画面も「リアルタイムプレビュー」を表示させるとやや鈍く感じましたが、原稿そのものの執筆はエディタなどを用いていますから、最終チェックくらいでしか使いません。そもそも、言われるまで速くなったことなど全く気づきませんでしたし、言われて気にしてみてもあまり速くなった実感がありません。

それにしても、こうした告知は事前に行うのが常識で、4月9日から始まった仕様変更を4月13日に知らせるというのはどうなんでしょう? 4日も前にスタートしておきながら、「実施、運用を開始します。」と過去形になっていないのも引っかかります。

ま、でも不満が解消できたので好しとします。

タタ・ナノは低速シティコミューター? (その3)

asahi.comによるタタ・ナノの試乗レポートはクルマに関して素人の記者によって書かれていますので、私にとって参考になる部分はあまり多くありませんでした。が、ブレーキがノンサーボ(倍力装置なし)で非常に効きが悪いという点はさすがにこの記者でも見出しに盛り込むほど強く印象づけられたようですね。

重量が軽いモーターサイクルやフィーリング重視のマニアックなスポーツカーならいざ知らず、ごく普通の乗用車でいまどきノンサーボというのはもはや非常識というべきでしょう。私も海外のチープカー事情は詳しくありませんが、日本国内で最安となるスズキ・アルトやダイハツ・ミラは最廉価の商用モデルでもブレーキサーボなど当然のように標準装備となっています。

前々回にも述べたとおり、低い座面ならペダルを奥に踏み込む格好になりますから、その反作用をバックレスト(背もたれ)が受け止めてくれます。強い力でペダルを踏み込んでも力が逃げにくい訳ですね。しかし、ナノのようにシートの座面が高くペダルを上から踏み下ろすような格好に近くなると、その反作用をシートが受け止めにくくなり、強く踏み込もうとすると身体が浮き上がろうして、力を込めにくくなりがちです。

昔の一般的なクルマは前後方向のスペースを上下方向のスペースで稼ごうという発想などなく、今日のように高い座面ではなかったでしょうから、ノンサーボでも何とかなっていたように思います。ナノはパッケージングだけ現代的なコンパクトカーのそれに倣って座面を高くしておきながら、ブレーキはノンサーボという前時代的な状態ですから、このアンバランスさはちょっと危なそうな気もします。

最近はパニックブレーキ(持てる最大限の力でブレーキをかけること)をシッカリかけられない人が増えているそうで、それゆえブレーキペダルを踏み込む速度を検知して、それと判断したら自動的により強い力で効かせる「ブレーキアシスト」を装備する日本車が増えています。アルトやミラなど低価格な軽自動車でもオプション装着できるようになっているようで、こうした面を見ても次元の違いを感じます。

また、ナノは恐らくエンジンの回転が中速以上から伸びにくいのだと思われますが、プロでも31~32秒かかるとされる0-100km/h加速も前時代的といわざるを得ません。アルト・ワークスの10秒弱は別格としても、日本の軽自動車でここまで加速が鈍いものはないでしょう。テストコースの直線2kmを費やしても80km/hまでしか加速できなかったというこのクルマで日本の高速道路に乗り入れたら「走る障害物」となるのは必至だと思います。

例えば、首都高は一般道の上に高架で設けられている区間が大部分で、入口からそれなりに傾斜のあるスロープを上り、いきなり追い越し車線側にアプローチする上、その加速レーンも冗談かと思うほど短い強引な構造が少なくありません。そんなところへ2kmも走って80km/hにしかならないようなクルマで行くのは迷惑なハナシですし、状況によってはかなり危険かも知れません。

首都高の速度規制
首都高速道路速度規制図
首都高の制限速度は60km/h(上図では濃いブルー)の区間が多いのですが、
湾岸線や川口線、三郷線、川崎線、大宮線など80km/h(上図では濃いピンク)の区間もありますし、
全般的に加速レーンは短く、普通の小型車でも状況によってはフルスロットルで加速していかないと
タイミング良く本線に合流できないケースが多々あります。
特に川口線は入口からスロープを上って追い越し車線へ合流する上、制限速度が80km/hであっても
実際には100km/h以上で飛ばしているクルマなどザラですから、中速以上の加速が鈍いタタ・ナノでは
かなりアブナイかも知れません。


衝突安全性などは全くの未知数ですが、これも欧米の基準は満たしていないと伝えられており、現代的なレベルにないのは間違いないでしょう。もっとも、これは日本の軽自動車も総排気量が現行の660ccに拡大される以前の規格では軽視されてきた部分です。

さらにいえば、かつて日本のメーカーはヨーロッパのように古くから衝突安全基準が厳しい仕向地に対してはドアビームを追加するなどして対処し、国内向けにはそれを省いてコストダウンするなどといった非常にセコイことをやっていました。かつての日本を棚に上げて途上国のメーカーが安全性にコストを裂かないことを責めるのはフェアじゃないかも知れません。

総じて、ナノの機械的な構成や装備などは極めて前時代的で、その性能は現代のクルマとしてみればチープに過ぎると言わざるを得ません。やはり、ラタン・タタ会長のいうようなモーターサイクルのユーザーに雨天でも不自由ない移動手段を提供するといった趣旨を汲み、インドなど新興国のモータリゼーションを担うクルマなのでしょう。日本はそれを40年くらい前に済ませたわけですが、ナノの機械的な構成や装備は確かにあの頃の日本の大衆車と大差ない印象です。

発表当初10万ルピーとされたタタ・ナノの最廉価モデルは、結局11万2735ルピー(円高が進んだ現在のレートでは約22.5万円、発表時のレートだったら31.5万円くらい)となりました。この最安のナノにはこれまでも述べてきましたように、パワーステアリングやブレーキサーボもなく、ラジオもなく、助手席の前後調整機構も付かず、助手席側のドアミラーさえも省略され、要するに「ないない尽くし」で、クルマとしては最低限のものしかありません(日本の公道を走るにはミラーなど最低限のものも不足していますが)。

一方、日本国内最廉価となるスズキ・アルトやダイハツ・ミラの商用モデルは63.5万円(消費税抜き)ですから、ナノのそれに比べて現在のレートでも3倍弱です。が、パワーステアリングやブレーキサーボはもちろん、エアコン、AM/FMラジオ、リモコンキー、SRSエアバッグ(運転席だけでなく助手席も)なども標準装備されているんですね。

ナノも上位のデラックスモデルになればエアバッグやリモコンキーなどを除いてこれらは装備されるようですが、価格差は1.5倍くらいまで縮まります。しかも、これは現在の円高ルピー安でのハナシですから、レートがナノの発表当時くらいまで戻れば、その差は殆どなくなります。とはいえ、こうした装備の原価は車両本体に比べれば大したものではありませんから、最廉価でこの価格差はやはりかなりの努力を要したと認め、讃えるべきでしょう。

さて、ここからは余談になりますが、以前当blogで産経新聞の電子版にあったコラム「【早坂礼子の言わせてもらえば】激安価格のクルマを作れ」で書かれている内容は全くのお門違いだと批判しました。その蒸し返しで恐縮ですが、彼女の主張に対して別の切り口で考えてみることを思いつきました。

いきなりですが、ここで問題です。日本では新聞の定期購読料が1ヶ月朝刊のみ消費税込みで3000円前後(産経新聞の場合は2950円)ですが、インドの新聞の定期購読料は1ヶ月いくらになるでしょうか?

正解は90ルピー(約180円)です。

産経新聞がインドの新聞よりどれだけハイレベルなのかは全く以て解りませんが、その購読料は消費税抜きで比べてもインドの新聞の16倍を超えますから、クルマの価格差とはまるで次元が違います。首都ニューデリー市民の平均月収は5000~6000ルピーほどだといいます(地方へ行けばもっと低くなるようです)から、産経新聞の購読料はその1/4~1/3くらいにもなる超絶なハイプライスというわけです。

産経新聞は日本の自動車メーカーに対してインド並みに「激安価格のクルマを作れ」といっていましたが、その前に新聞の購読料をインド並みに安くしてみせるべきです。

タタ・ナノは低速シティコミューター? (その2)

asahi.comでは日本のメディアとして珍しく世界最安となるタタ・ナノの試乗をレポートしていたので非常に興味をそそられたのですが、いかんせんそれを書いた記者のクルマに関する造詣が浅く、私にとってはあまり価値のある内容になっていなかったのが残念でした。

例えば、「2気筒(日本の軽乗用車は3~4気筒)なので、エンジン音と振動を懸念していた」と書かれていますが、音に関してはどれだけ遮音材を奢って室内への進入を防げるかという部分もポイントになりますし、振動もエンジンマウントによって伝わりにくさがある程度左右されます。また、レシプロエンジンの振動は気筒数だけで決まるような単純なものではありません。同じ直列でも3気筒と4気筒では振動特性が全く異なりますから、「日本の軽乗用車は3~4気筒」と一括りにするのも些か乱暴なように思います。

少々込み入ったハナシになりますが、良い機会なのでレシプロエンジンの振動について少し説明しておきましょうか。「レシプロ」というのは要するに「往復運動」を意味するわけですが、質量のある部品が往復運動をすれば振動が生じるのは言うまでもありません。細部を見れば弁機構も普通は往復運動になりますから振動を生じますが、質量が小さいゆえさほど問題になりません。実際に問題となるのはピストンとコンロッドとクランクシャフトで構成される振動です。

この振動には2種類あり、1つはエンジンの重心を直線的に往復させようとする「加振力」で、もう1つはエンジンの重心を軸として回すような力を反復させる「慣性偶力」です。いずれもクランクシャフトの回転数と同じ周期の振動を「1次振動」といい、回転数の2倍の周期振動を「2次振動」といいます(1.5次といった整数倍ではない振動も生じることがあります)。さらに高次の振動もありますが、振動周期が短くなるほどそれによる影響や身体への感じやすさも小さくなる傾向がありますので、実際に問題とされるのは1~2次くらいの振動になります。

一般的にシリンダ数が偶数となっているエンジンが多いのは、2つのピストンでお互いの力を打ち消し合うように設計してやれば、特に1次の加振力を抑えやすいためです。但し、ピストンの動きだけでなくコンロッドやクランクの動きによっても振動は生じますし、「バランサー」という別部品によって振動を抑制する手法もありますから、さほど単純なハナシではありません。

例えば、直列4気筒の場合はピストンだけを見ればバランスしていますが、実際にはコンロッドとクランクによって2次の偶力振動が生じています。直列6気筒が「完全バランス」といわれるのは、ピストンとクランクとコンロッドの動きが2次振動まで全て相殺されるからですが、実際には3次振動が生じていますし、動弁系には1.5次の偶力振動が生じています。

直列3気筒の場合は3つのピストンになりますから、これで各々の力を相殺することはできません。同じ直列3気筒でも等間隔爆発と180度クランクを用いた不等間隔爆発とでは1次振動の発生が大きく異なります。また、こうした振動を抑えるためにバランサーが用いられることもありますし、バランサーを用いなくとも振動を抑制するテクニックは色々あります(これを詳しく書いているとハナシがさらに進まなくなりますので割愛しますが、パッソ/ブーンの1000ccは直列3気筒でバランサーを用いていないものの、振動面はかなり良好に躾けられています)。

ナノのような直列2気筒の場合も、360度クランクの等間隔爆発と180度クランクの不等間隔爆発では振動特性が大幅に異なります。前者は2つのピストンが同時に同じ方向へ動くため、単気筒と同じように大きな1次の加振力が生じます。一方、後者はピストンの動きが互い違いになりますから、ピストンによる加振力は相殺されるものの、大きな1次の慣性偶力が問題となります。

往年の銘車ホンダ・ライフは180度/540度という大幅な不等間隔爆発となるのを嫌ってか、等間隔爆発となる360度クランクを採用し、大きな1次の加振力を抑えるためにバランサーを用いていました。一方、フィアット500は不等間隔爆発の180度クランクを採用していましたが、その偶力振動が当初の想定を上回るレベルだったため、横置きで設計されていたエンジンレイアウトをやむなく縦置きに改め、さらにエンジンマウントにスプリングを用いてようやく許容レベルに収めたといいます。

4サイクル直列2気筒(等間隔)
4サイクルエンジンの直列2気筒で等間隔爆発にすると、
ご覧のようにピストンの動きを揃えるしかないため、
非常に大きな1次の加振力(この図でいえば全体を上下に揺する振動)
が生じてしまいます。


4サイクル直列2気筒(不等間隔)
ピストンの動きを互い違いにするとピストンの質量による
加振力を相殺することはできますが、大きな1次の慣性偶力
(この図でいえば左右のピストンの中間にある重心を軸として
回すように揺さぶろうとする振動)が生じてしまいます。
また、4サイクルエンジンでは180度/540度という大幅な
不等間隔爆発となってしまうため、エキゾーストマニホールドの
集合も相応に配慮しないと、排気干渉が問題になってきます。


4サイクル水平対向2気筒
2気筒の4サイクルエンジンで等間隔爆発とし、
振動もできるだけ抑えたいというのであれば、
シリンダレイアウトは水平対向がベストでしょう。
BMWはモーターサイクルでこのレイアウトを長年続けていますが
その拘りもバランスの良さを重視したゆえだと思います。
さらに余談になりますが、BMWは四輪用エンジンでも直列6気筒に拘り、
他社はどんどんV型6気筒へ移行していく中にあって
しぶとくその完全バランスエンジンを作り続けています。
このメーカーはエンジンのバランスにかなりの執着があるのかも知れません。


ナノの直列2気筒エンジンは180度クランクになるのか360度クランクになるのか解りませんが、「走り出しても音は全く気にならず、振動も感じない」とのことですから、振動対策のレベルは低くないと思われます。ただ、やはりこのレポートで頂けないのは、振動についても走行中の状態で評価しているところです。

先にも触れましたが、こうした振動は周期が短くなるほど体感しにくくなりますから、エンジン回転数が上がっている走行状態よりもアイドリング時に評価すべきなんですね。実際、私が社用で時々乗るパッソは直列3気筒で1次の加振力による振動が生じていますが、走り始めると殆ど気にならなくなり、逆に信号待ちなどアイドリング時には顕著になります。

ま、件のレポートは専門メディアによるものではありませんから、ここまで細かいところに噛み付くのは少々大人げないかも知れませんけどね。

(つづく)

タタ・ナノは低速シティコミューター? (その1)

当blogでも過去に何度かインドの財閥系自動車メーカーのタタ・モーターズが発表した世界最安の乗用車ナノについて話題にしてきましたので、とりあえず近況をフォローしておこうと思います。当初の発売予定は昨秋とされていましたが、そのスケジュールは大幅に遅れており、ようやく今日(4月9日)から予約の受付が始まり、実際にデリバリーを開始するのは7月頃とのことです。

延期が度重なった最大の要因は、西ベンガル州に建設が予定されていた新工場の用地買収を巡って地元住民から猛反発を受けたせいでしょう。計画が丸ごとグジャラート州に移転されたため、その分だけ生産ラインの立ち上げも遅れ、当面は本社工場のみで対応することになってしまったそうです。発売が延び延びになってしまっただけでなく、数量確保も不充分なようで、初回ロットは抽選になるとのことです。

で、予約受付を前にしてプレスに対する試乗会がタタ・モーターズの自社テストコースで行われたようで、朝日新聞の電子版でもその様子がレポートされていました。

ナノ乗ってみた 広さにびっくり、ブレーキに冷や汗

 インドのタタ・モーターズが発表した世界最安の車ナノ。「オート3輪に毛の生えた程度」との当初の予想を上回り、披露されたのは立派な乗用車だった。だが、人も車も見た目ではわからないのが世の常。欧米市場も視野に入れるナノとは、どの程度のものか。同社のテストコースで試乗した。

 乗ったのは、装備の異なる三つのモデルのうち、最も安い約11万ルピー(約22万円)の車。丸みを帯びた小さな車体が愛嬌(あいきょう)を感じさせる。コスト削減のため、ドアミラーは運転席がある右側だけ。ワイパーも1本だ。

 運転席に足を踏み入れると、まずはその広さに驚く。外形は日本の軽自動車より小さいが、シートを一番後方まで動かすと足が伸びきってしまうほど。記者の身長は176センチ、体重80キロ。健康診断では「太り気味」と指摘されるが、助手席に人が座っても、窮屈さを感じない。

 「広さの秘密は、インドの乗用車としては初めてエンジンを自動車の後部に置いたこと」とタタのエンジニア。重さを支えるため、後輪は前輪よりも2センチほど太く、直径も若干、長い。

 座席は通常の乗用車より高く、SUV(スポーツ用多目的車)のような感覚。上から見下ろせる景観を重視したという。天井と頭の間には拳が二つ入るほど広く、圧迫感はない。座り心地はふんわりとしている。難点は、後部座席の狭さか。

 いざ、エンジンを始動。2気筒(日本の軽乗用車は3~4気筒)なので、エンジン音と振動を懸念していたが、走り出しても音は全く気にならず、振動も感じない。4速のギアチェンジも滑らか。10秒以内で時速60キロに達した。

 ただ、この先はアクセルを踏み続けてもなかなか加速しない。80キロまで上がったところで、直線で2キロのテストコースの行き止まりまで来てしまった。プロでも100キロに達するまでにはスタートから31~32秒かかるという。

 冷や汗をかいたのは、ブレーキだ。威力を増幅させるためのブースターがついていないため、日本車のように少し踏み入れただけでは減速しない。また、パワーステアリングがなく、ターンではハンドルさばきも重い。とはいえ、デリーなどでは高速道路でも法定の速度規制が80キロ。渋滞もひどく、このスピードやブレーキでもおそらく難はあるまい

 タタ会長は6年前、二輪車に3人も4人も乗せて雨の中を走る家族の姿を見て、「庶民でも手の届く車を」と心に決めたという。安全性や耐久性は未知数。日本車に乗り慣れた記者には欠点も目につくが、「この値段で、よくぞここまで開発した」というのが素直な感想だ。

(C)asahi.com 2009年4月4日


まず、この試乗レポートで残念だったのは、肝心の記者が同紙の経済部出身で現在はニューデリー支局の特派員という経歴のせいか、クルマに関して全くの素人で、この種の取材経験は皆無だと思われるところです。簡単に確認できる外寸こそ比較しているものの、「その広さに驚く」としている室内について日本の軽自動車などと比べてどうなのか全く評価されていません。それは彼が最近の日本のコンパクトカーや軽自動車に乗ったことがないからでしょう。

そのことを如実に物語っているのが「座席は通常の乗用車より高く、SUV(スポーツ用多目的車)のような感覚。」というくだりです。外観からしてSUVのように最低地上高が高いわけではなく、わずか3本のボルトで固定されるホイールは日本の軽自動車同様に径が小さく、SUVとは全く逆にフロアは低く抑えられています。これは単にシートの座面が高い位置に設定されているだけで、ドライバーのアイポイントが高くなっている理由はSUVと全く異るわけですね。

ナノのシート配置
タタ・ナノのシート配置
これはプロトタイプのカットモデルになると思いますが、
ご覧のようにフロアに対して座面が非常に高くなっています。


一般的なセダンのように座面が低いと足を前に投げ出して座る格好に近くなりますが、座面を高くして着座姿勢をアップライトにさせるほどフロアに足を置く位置がシートに近づき、バックレスト(背もたれ)の角度も立ち気味になります。要するに、前後方向のスペースを稼ぐために上下方向のスペースを利用するという考えかたです。こうした手法は3列シートを押し込み、シートピッチを詰めても狭く感じさせないという理由でミニバンなどには早くから採用されていました。

同様に室内長の制約が大きいコンパクトカーや軽自動車にも応用されるようになり、このクラスのクルマに高い座面はもはや常識となりました。実際、私の実家でセカンドカーとして乗っていたフィット(初代)も、私が社用で時々乗るパッソも、座面はかなり高めに設定されています。こうした近年のコンパクトカーや軽自動車では至極一般的なパッケージングを知らない記者に「その広さに驚く」といわれても全く参考になりません。

ワゴンRのパッケージング
スズキ・ワゴンRのパッケージング
日本で一番売れている乗用車は軽自動車を含めると
このワゴンRになりますが、その人気を支える大きな要素は
外寸に制限のある軽自動車にあって室内の広さを追求してきた
そのパッケージングにあるのだと思います。
1993年のデビュー当時から高い座面でアップライトな着座姿勢とし、
上下のスペースを有効に用いて前後のスペースに余裕を持たせる
今日の軽自動車やコンパクトカーの基本となるパッケージングを
採用してきました。


やや余談になりますが、こうした高い座面も善し悪しがありまして、確かに限られたスペースをより広く感じさせ、高い視点で見晴らしがよくなれば、閉塞感が抑えられるといったメリットもあります。が、逆に座面が高くなると従来のようなドライビングポジションに慣れた人間には大きな違和感を与える場合があります。私の場合、長時間のドライブなら適度に座面が低いほうが疲れにくく感じます。

それは座面が高くなるほどペダルを上から踏み下ろす格好に近くなるため、特に高速道路などの長距離ドライブでアクセルの踏み込み量を長時間一定に保つのが辛いポジションになりがちだからです。一般的なセダンのように低い座面であれば、足を前に伸ばしたところにアクセルペダルがありますから、それを奥に踏み込むアクセルワークが可能です。一定の踏み込み量を維持するのに足首の角度だけでなく膝の動きも使えるため、長時間の運転でも筋肉疲労を分散できるメリットがあります。

一方、座面が高く設定され、ペダルを上から踏み下ろすカタチになればなるほど、その踏み込み量を加減するのは足首の角度に依存する比率が高くなります。足首の角度をキープするのは、ふくらはぎなど下腿の筋肉になりますが、ここに疲労が集中する傾向が高まっていく訳ですね。

ついでに言えば、ブレーキなど必要に応じて強い踏力が求められる場合も高い座面は難があります。座面が低ければブレーキペダルを踏み込んだときの反作用をバックレストが受け止めてくれますから、足の力をあまり逃がすことなく踏み込めます。が、座面が高くペダルを上から踏み下ろすような格好になるほど力を込めにくくなり、強い力で踏み込んだときの反作用で身体が浮き上がろうとします。特に小柄で体重が軽い人は座面が高くなるほど大きな力でブレーキを踏みにくくなるでしょう。

いずれにしても、ナノも最近の日本のコンパクトカーや軽自動車も、室内寸法を如何に大きく取るか、限られたスペースで如何にゆとりがあるよう演出できるかというところに重きが置かれる傾向が強まっているようです。が、そのためのアップライトな着座姿勢は上述したようにスペース効率こそ高いものの、ペダルの操作性を考慮した場合、ドライビングポジションにやや難があるように思います。

このように「室内が広いほど良くできたコンパクトカー」と讃えられる風潮は、「画素数が多いほど高性能なデジカメ」と誤解されているそれに近似する短絡的で歪んだ価値観だと私は思います。が、デジカメのそれのようにシワ寄せとなっている部分が正当に評価されていないのは、メディアによるミスリードも少なからず影響しているからでしょう。

(つづく)

BMDの宣伝に明け暮れた週末

弾道ミサイルと宇宙ロケットは紙一重です。実際、アメリカ初の有人宇宙飛行を成功させた「マーキュリー計画」は、先行するソ連の「ボストーク計画」を追って突貫工事で進められたミッションだったゆえ、その打ち上げには弾道ミサイルのレッドストーンやアトラスが転用されたものでした。

北朝鮮が発射した「飛翔体」がミサイルだったのか人工衛星だったのか私には解りませんが、弾道ミサイルの性能確認とそれを世界に誇示するのが狙いだったのは恐らく間違いないでしょう。ご存じのように彼等は「平和的宇宙開発」を主張していましたが、レッドストーンのような前例がある以上、彼等にとって都合の良い方便としてこの建前は利用され続けるのでしょう。

当blogでは以前にもミサイル防衛システム(以下BMD)など役に立たないと述べました。日本政府は昨年9月のテストで成功したと大喜びしていましたが、アレは標的となるミサイルの発射時刻も弾道も予め解っていただけでなく、通常想定される速度より低く設定した上での実験でした。ここまで実戦とかけ離れたユルユルの条件で15億4000万円もの経費を投じて何の意味があるのかという内容でした。

ましてや、今回のように誤探知があったり、予め展開されていたPAC3の射程内を通過しなかったりといった状況でこれを撃ち墜とそうなどと考えるのは、もはや楽観的とかそういうレベルの問題ではなく、いつぞやの「竹槍でB-29を墜とす」という発想に極めて近似していると見るべきでしょう。

北朝鮮が発射した飛翔体の経路
北朝鮮が発射した飛翔体の経路
2段目もしくは部品が本州上空を通過したようです。
が、これがもし地上に落下する恐れがあったとしても
秋田と岩手の駐屯地に展開されたPAC3では射程外だったため、
破壊は不可能だったようです。


北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の観測では衛星軌道に何も乗らなかったとしていますが、北朝鮮政府は国威発揚を狙ってこれを人工衛星の打ち上げ成功とプロパガンダしているようです。同時に、日本政府はこの騒動をBMDのテスト(実際に迎撃ミサイルを発射しなくとも、追尾システムのテストにはなっていたでしょう)と世間一般への知名度アップに利用したわけですね。メディアもこれを煽って便乗したといったところでしょうか。

そういう意味では日朝双方の利害が一致していたといえるのかも知れません。となれば、同じことが今後も繰り返される可能性は低くないような気もします。ま、北朝鮮の経済力ではそれほど頻繁にできないかも知れませんが。

今回は日本政府によるBMDの宣伝も誤探知による信頼の失墜で相殺された感が否めません。が、これを教訓に次はもう少しマシな戦略を練ってくるでしょう。差し当たっては今回のように展開されたPAC3の射程ではカバーできなかったということのないよう、予算をぶんどって配備を拡大する方向でハナシを進めていくのだと思います。実際、自民党内ではそういう議論が既に始まっているようですし、今回の騒動はBMD推進派にとって都合の良い口実になったでしょう。

F1という陰険な世界

ブラウンGPとトヨタとウィリアムズが採用したいわゆる「二段ディフューザー」を巡る問題はシーズン前のテストセッションの段階から燻っていました。開幕から2連勝となったブラウンGPや上位入賞を重ねて勢いづくトヨタなど、彼等の快走はこの恩恵ではないかと見る向きが多く、レギュレーション違反ではないかという声がいよいよ高まっています。

ルノーのフェルナンド・アロンソ選手は地元スペインのスポーツ紙『AS』に「彼ら(ブラウンGP)は他の誰とも違うレベルにいる。」「僕たちとは世界が違うから、彼らの圧勝だね。」「もし裁判所が4月14日に何もしなかったら、彼らの17勝(全勝)を想像できるよ。」と語っています。「裁判所が4月14日に何もしなかったら」というくだりは、このディフューザーに抗議している5チーム(BMWザウバー、レッドブル、マクラーレン、フェラーリ、ルノー)からの提訴を受けて4月14日にFIAの国際控訴裁判所で公聴会が行われることを示しています。ま、これまで同様の裁定を求められてその訴えが認められたのは僅か4%だそうですが。

BGP001のダブルディフューザー
問題となっているBGP001のリヤディフューザー
レーススチュワードの判断では合法とされ、車検を通過しているものの、
5チームからクレームが付き、法廷で争われることになりました。


こうしたディフューザーを巡る論争について、あのニキ・ラウダ氏はこう述べています。「ディフューザーのみが秘訣だなど言うのはまったくの間違いだ。そんなものは安っぽい言い訳に過ぎない。単にロス・ブラウンが最高の仕事をしたというのが事実だ。」

1998年のシーズン途中からブレーキステアリングシステムを禁止されても快走を続けたマクラーレンMP4-13のようになるのか、同様に2006年のシーズン途中からマスダンパーを禁止されて失速したルノーR26のようになるのか、それ以前にこのディフューザーは提訴が認められてNGとなるのか、今後の動向が注目されます。提訴した5チームも裁定が下る5月まで待ってお咎めなしとなっては手遅れになる恐れがあるため、既にその開発に着手しているそうですし。

この問題を巡ってはFOTA(F1チーム協会)内に亀裂を生んでいるといわれており、FOTAで商業関連の責任を担っているルノーの代表であるフラビオ・ブリアトーレ氏がブラウンGPの代表であるロス・ブラウン氏(FOTAの技術関連責任者でもあります)を手厳しく批判しています。曰く、リヤディフューザーを規定するレギュレーションの解釈について、FOTAの技術責任者として速やかに報告すべきだったと。

しかしながら、F1に限らず、モータースポーツにも限らず、スポーツの世界では(特に白人が主導権を握るジャンルでは)レギュレーションの穴を見つけたらそこを徹底的に突くとか、ライバルを出し抜くとか、そういうことを繰り返してきました。レギュレーションに都合よく解釈できる部分を発見したら、そこは攻めるべきポイントであって、他チームにもそれを教えて塩を送るようなことをする必要はないでしょう。

ブリアトーレ氏はブラウン氏に対して「私がFIAかエクレストン(F1運営組織のCEO)の所へ行くときには、ルノーではなく、FOTAのメンバーとして行く」などと語っているそうですが、これは全くの綺麗事で、FOTAの技術責任者としてレギュレーションの懸案事項をクリアにしなかったと批判するのはお門違いとも思います。彼も同じ立場なら同じことをしていたのは間違いないでしょう。

一方、F1の支配者であり、それに対抗するFOTAを疎ましく思っているバーニー・エクレストン氏は『Time』誌の取材に対して「ロス・ブラウンは各チームによる技術委員会を運営しており、恐らく誰よりも早く何が起きるかを知る立場にいる。もしくは、物事を導く人物だ。非常に大きな利益の対立があるということだ。」と述べ、亀裂を深めるべく煽っているように見えます。

私がF1を本格的に見始めてから四半世紀が過ぎました。途中、こうした陰険な揉め事に嫌気がさし(それ以上に古舘伊知郎氏の軽薄で無礼で下品でやかましい実況に辟易し)、しばらく距離を置いた時期もありましたが、再び見始めるようになってから十数年経ちます。さすがにもう慣れっこになりました。足の引っ張り合いと裏にうごめく政治力こそF1界の実態であり、これを拒絶することはF1を拒絶するということになるくらい表裏一体になっているのでしょう。これはもはや世の中の縮図と理解し、様々な教訓が得られる文化として見るべきかも知れません。

喰い損ねたボタ餅

先日のF1開幕戦で表彰台に上がったトヨタのヤルノ・トゥルーリ選手ですが、その約2時間後にペナルティが科せられて12位へ繰り下げとなり、マクラーレンのルイス・ハミルトン選手が繰り上げの3位になった旨は当blogでもお伝えしたとおりです。当初、トヨタはこの判定を不服としてFIAの国際控訴裁判所に異議を申し立てるとしていましたが、覆る見込みがないと判断し、この裁定を受け容れると発表したばかりでした。しかし、FIAサイドが新たな証拠を確認し、トゥルーリ選手への処分を撤回、逆にマクラーレンチームを失格とすることになったそうです。

そもそも、このペナルティが科せられることになった顛末はこうです。オーストラリアGPのレース終盤、2位争いをしていたレッドブルのフェテル選手とBMWザウバーのクビサ選手が絡み、セイフティーカーが導入されました。ご存じのようにこの状態での追い抜きは禁じられており、トゥルーリ選手はこれに反したと見なされていたんですね。

ペースカーが導入された直後の段階で1~2位はブラウンGPの二人、3位がトゥルーリ選手、4位がマクラーレンのハミルトン選手でした。このとき、トゥルーリ選手はタイヤが冷えたせいかホイールロックを犯してコースアウトしてしまい、結果的にハミルトン選手が前に出てしまいました。この後、ハミルトン選手がスローダウンしたため、トゥルーリ選手はハミルトン選手のマシンにトラブルが生じたものと思って前に出たと主張していましたが、これが「セイフティーカー導入中の追い抜き」と判断されてしまったんですね。

表彰式では3位の表彰を受けたトゥルーリ選手でしたが、その後この問題でレーススチュワードに呼ばれ、ハミルトン選手やマクラーレンチームも同様に事情聴取されましたが、やはりトゥルーリ選手に違反があったと判断され、25秒のペナルティが科せられることになったわけです。

しかし、レース直後のインタビューでハミルトン選手がチームからトゥルーリ選手を前に行かせるよう無線で指示があったと語っていたことが問題になりました。レーススチュワードの事情聴取でハミルトン選手もチームもそのような指示はなかったと証言していたからです。そこでFIAは無線の交信記録を確認したところ、マクラーレン側の証言は虚偽であったことが確認され、マクラーレンをチームごと失格処分(ハミルトン選手だけでなく、序盤でリタイヤしたコバライネン選手も含む)とし、トゥルーリ選手に対するペナルティを撤回することになったというわけです。

マクラーレンが何故トゥルーリ選手を前に行かせるようハミルトン選手に指示したのかよく解りませんが、相手のミスだったとはいえセイフティーカー導入中に順位が入れ替わってしまったことを追い抜きと見なされたらペナルティが科せられると判断したからかも知れません。

レーススチュワードは4輪ともレーシングサーキット上から外れたトゥルーリ選手の前にハミルトン選手が出たことは問題なしとし、その後にトゥルーリ選手がハミルトン選手を追い抜いたことを問題視して両者に事情を聴いたようですが、このときマクラーレンは口裏を合わせて本当のことを言わなかったわけですね。FIAはこれを「故意に誤解を招くような情報を提供した」と見なし、悪質な判定妨害に当たると判断したようです。失格という厳しい処分を下したのはそれ故でしょう。

正直に証言していれば、彼等は少なくとも4位(5ポイント)をキープできていたハズで、順位1つと1ポイントの上乗せという欲を出したばかりにチャラとなり、さらにメディアなどからは「ウソつき」の誹りを受けることになってしまったわけですね。

そもそも、マクラーレンはトゥルーリ選手に順位を譲る指示を出す前にFIAのレースディレクターに確認していれば、そのまま何の問題もなく3位をキープできていた可能性が極めて高かったと思われます。ですから、この段階でつまらない判断ミスを犯していたともいえるでしょう。実際、無線の交信記録を見てみますと、トゥルーリ選手を前に行かせるよう指示した後にFIAのレースディレクターに確認するというようなことをチーム側は言っており、それに対してハミルトン選手はトゥルーリ選手をもう前に出してしまったと返答しています。

ま、後味の悪い結果となりましたが、マクラーレンがこうした棚ボタに食い付いたのはそれだけ現状のマシンでは戦闘力が不足しており、シーズン序盤で失うポイントを少しでも小さくしておきたいと考えていたのかも知れません。


MP4-24(発表時のモデル)
リヤディフューザーと大きなフロントウィングによってダウンフォースを得、
リヤウイングを小型化してドラッグを減らそうという空力コンセプトだと
見られていますが、まるで80年代初頭までのウイングカーを彷彿とさせる
小さなリヤウイングがひときわ目を引きます。
しかし、本来あるべきダウンフォースが得られていなかったようで
2月のへレス・テストでは昨シーズン用のリヤウイングを引っ張り出し、
不足するそれを補ってテストを行う有様でした。
3月のバルセロナ・テストにはフロア形状を大きく変更して周囲を驚かせましたが、
結果を見る限りはあまり好転していないようです。
こうした状況からチーム代表のマーティン・ウィットマーシュ氏も
「上位で戦えるような技術的パッケージを持っていないことを完全に認識している」
と述べ、MP4-24のコンセプトが失敗だったこと認めているようです。


今日もマレーシアGPの予選でブラウンGPとトヨタの速さが目立ち、マクラーレンは13~14位に沈んでいます。ま、このチームはマシンの開発が遅れるスロースタートも多く、中盤以降から実力を発揮し始めたシーズンも過去に何度かあります。勝ち方を熟知し、チームの立て直しも心得ている老舗ですから、このまま最後まで低迷を続けるということはないでしょう。また、低迷しているのはマクラーレンだけでなく、フェラーリやルノーなども同じで、むしろこうした実力のあるチームの巻き返しが期待できる分だけ、今後の混戦が楽しみともいえます。

同じ穴のムジナ

週刊新潮は今年の1月下旬から4号に渡って「朝日新聞阪神支局襲撃事件」の実行犯と名乗る人物の告白手記を連載していました。しかし、朝日新聞はこれを「虚報」と断じ、2月23日の朝刊で1頁全面を使って真っ向から反論していました。それから1ヶ月余り経ってまた朝日新聞は社説で週刊新潮に対する批判を繰り返しています。

朝日襲撃事件―「虚言」報じた新潮の責任

 未解決の殺人事件で、「真犯人」がメディアに名乗り出てきた。その証言を報道するにあたっては当然、真偽を詳しく吟味するのがメディアの責任だ。だが、週刊新潮にとってはそうではないらしい。

 87年5月3日、憲法記念日に記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件をめぐり、週刊新潮は実行犯を自称する島村征憲氏の手記を1月から4回にわたって掲載した。

(中略)

 ところが、元職員は新潮社に「手記はまったくの虚偽」と抗議し、訂正と謝罪を求めた。これに対し、新潮社は先月、現金を支払うことで和解した。金銭で解決を図ったのは、誤報を認めたと考えざるを得ない。

 だが、新潮社は和解内容を明らかにせず、取材の経緯も説明しようとしない。報道に携わる出版社の責任を意識しているとは言えない。

 そもそも週刊新潮が島村証言の裏付けをとろうとしたのかすら疑わしい。犯行声明を書いたと島村氏が名指しした右翼活動家の周辺など、関係者に取材をした形跡がほとんどないからだ。

 当然なすべき取材をしていれば、島村氏の主張が「虚言」であることはわかったはずだ。実際、朝日新聞社が島村証言の裏付け取材をしたところ、事実と異なる点が数多く含まれていた。

 捜査当局の努力にもかかわらず、一連の事件はすべて時効になった。だが朝日新聞社は、今も真相解明に努めている。それは同僚の記者が殺されたからというだけの理由ではない。言論を暴力で封じ込めようとする、成熟した民主主義社会には決してあってはならぬ犯罪への怒りからだ。

 「虚報」は事件の真相を追及しようとする努力をさまたげ、混乱させるものだ。伝統ある週刊誌の一つがこうした報道をし、過ちを一向に認めないのは残念というよりも悲しい。

 このところ、週刊誌の記事で名誉を傷つけられたと訴えた裁判で、週刊誌側に賠償を命じる判決が相次いでいる。いずれも取材が十分に尽くされていなかったことが指摘された。

 週刊誌報道が、不正の告発や重要な問題提起をした例は数多い。だからこそ、根拠の薄いうわさや危うい証言に頼らない、慎重な取材による事実の発掘という基本はゆるがせにできない。

 今回の週刊新潮の報道は、メディアの信用を著しく傷つけた。新潮社は、その責任を明確にすべきである。

(C)2008年4月1日


週刊新潮には個人的に好意も義理も一切ありません。実際、待合室などその辺に転がっているのを読んだことはありますが、自分で買ったことは一度もありませんし。ですから、彼らを擁護するつもりなど毛頭ありません。が、朝日新聞がそれを言うなら「NHK番組改編問題」を巡る報道はどうだったのか、人を批判する前に自分たちの過去を振り返ってみるべきだというのが私の率直な感想です。

朝日新聞はこの「NHK番組改編問題」を巡ってNHKに「虚偽報道」と批判され、読売新聞、日経新聞、毎日新聞、週刊新潮などからも「証拠不十分」の烙印を押されています。鍵を握る証言を収めた録音テープが本当に存在するのか否か私には解りませんが、仮に朝日新聞の報道が真実だったとしても、誰もが納得できるような根拠を伴わずに報じられたという事実は揺るぎません。状況としては今般の週刊新潮の一件と同類ということです。

(追記:週刊新潮はこの一件を誤報と認め、謝罪記事を掲載しました。これを受けて各紙の社説で批判が相次ぎました。詳しくはコチラ)

この他にも、日本共産党の幹部だった伊藤律氏の単独会見が担当記者による捏造記事だったということもありました。沖縄の珊瑚に「KY」というイニシャルが彫られていたことを伝えた記事も、実は同社のカメラマンによる捏造だったということもありました。新党日本の旗揚げの経緯についての記事でも亀井静香氏と田中康夫氏が長野県内で会談を行なったとしたのは虚構のメモを元に書かれた虚報だったということもありました。

朝日新聞の捏造記事
この記事にはこう書かれていました。
「八〇年代の日本人の記念碑になるに違いない。
百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷付けて恥じない、
精神の貧しさの、すさんだ心の。」
しかし、これは朝日新聞がネタを得るためには
百年単位で育ってきたものを瞬時に傷つけて恥じない
精神の貧しさの、すさんだ心の記念碑となりました。


週刊新潮に対する批判はともかくとして、「慎重な取材による事実の発掘という基本」を忘れ「メディアの信用を著しく傷つけた」行為を何度も繰り返している朝日新聞がジャーナリズムの有り様を得々と語るとは、この厚顔無恥には呆れるほかありません。この社説に書かれている主旨は、まず自分たちに向けて投げかけるべきものです。

・・・それとも、エイプリルフールのネタ?

キューバの経済制裁解除へ

キューバは47年も続いているアメリカの経済制裁をものともせず、2007年までに化石燃料の自給率を50%にまで高めてきました。また、1977年の三者(アメリカ、メキシコ、キューバ)協定でキューバの排他的経済水域となったキューバ島北西部(フロリダ半島南西部)の海域には大規模な海底油田が存在しています。

その埋蔵量は900億バレル(2007年の確認可採埋蔵量で世界一のサウジアラビアが約2643億バレルですから、その1/3を超える量になります)にもおよぶと見られ、2006年からはキューバ政府の委託を受けた中国石油化工集団が試掘を行っています。

これに対し、アメリカでは本土から150マイル(約230km)の自国海域内での海底油田開発は環境保護上の理由から一部を除いて原則禁止とされており、手出しができない状態です。また、キューバの海底油田は深海にあるため、技術力の乏しい中国では原油の漏洩による海洋汚染が懸念されたり、傾斜掘削によってアメリカの排他的経済水域内のそれが吸い出されてしまう恐れもあるなど、どこかで聞いたことのあるような懸念にアメリカ議会は猛反発してきました。

一方、アメリカとの関係悪化でキューバに歩調を合わせ、反米色を強めていったベネズエラも確認可採埋蔵量870億バレル(世界第6位)を誇る中米最大の産油国ですが、その国有化法案が昨年可決され、エクソン・モービルやシェブロンなど石油メジャーからオリノコベルトの油田開発事業の権利を取り上げたばかりです。

オリノコベルトというのは、オリノコ川北岸の約5万km2という広大な土地に分布している超重質油の鉱脈になります。原始量で1兆2000億バレル、そのうち将来的に開発可能なものが2600~2700億バレルと、サウジアラビアの確認可採埋蔵量に匹敵すると見込まれているんですね。

ただし、超重質油というだけあって、通常の原油より比重が大きく、また硫黄分や重金属を多量に含むため、通常の製油施設で精製できません。従って、改質工程で軽質化、脱硫、脱重金属化を行い、合成原油として市場に出されることになります。その分だけ手間とコストがかかり、価格競争力はまだアラブ系に敵いません。

とはいえ、こうして失った石油利権はアメリカの石油メジャーにとって小さくなく、この絡みもあってキューバの排他的経済水域にある海底油田開発に彼等は熱い視線を注いでいるわけですね。今年からは外資へ解放されることが決まっており、スペインやベネズエラなどの7企業に59ある鉱区のうち24について採掘権が与えられています。

キューバが解放した海底油田

アメリカの石油メジャーも経済制裁さえ解かれれば、ここへ積極的に資本投入するのは間違いありません。中国が試掘を始めた2006年にはエクソン・モービルなどがキューバ石油公社と情報交換をしていましたし、この油田開発に参入できるよう下院に法案を提出させてもいました(審議段階で却下となり、採決にさえ至らなかったそうですが)。ここにきて外資に開放されるキューバの油田開発が進み、オイルマネーが流れ込むようになれば、アメリカの経済制裁は完全に空回りすることとなり、逆に利権からあぶれるだけ損というべき状態になるかも知れません。

オバマ大統領は中南米政策についても「Change」を唱えており、昨年5月の演説で

アメリカのごう慢さと中南米での反米意識を変えるときだ。中南米諸国とは、お互いに耳を傾け、お互いに学ぶときだ。


と語っています。これまでの確執にとらわれない柔軟な姿勢をアピールし、彼が一貫してきた変革路線を力強く示してきたわけですね。そうした彼のイデオロギーには中米諸国も期待を高めてきました。

今月中旬には米州機構(OAS)の首脳会議がトリニダード・トバゴで開催されますが、キューバのカストロ前議長と親交の深いベネズエラのチャベス大統領はこの席でキューバのOAS復帰やアメリカによる経済制裁解除を提案する意向を表明しています。この首脳会議にはオバマ大統領の出席も予定されており、雪解けが一気に進むことになりそうです。



といったところで今日がエイプリルフールだというネタばらしをしますが、ここまでに書いてきた中でウソなのはこのエントリのタイトルと最後の一文にある「雪解けが一気に進むことになりそう」という部分だけです。実際には既に政府筋がその可能性をキッパリと否定していますし、先日バイデン副大統領も「キューバ国民が自由に生き、経済的繁栄への見通しを抱けるようにすべきだ」と内政に干渉するコメントをしており、経済制裁解除の考えはないことを強調しています。

アメリカのごう慢さを変え、中南米諸国とはお互いに耳を傾け合い、学び合うべきだと語り、「Change」を合言葉に選挙を勝ちあがってきたオバマ政権ですが、結局のところ従来どおりキューバの内政に干渉を続けながら自分たちからは何一つ「Change」する気はないようです。要するに日本の政治家にもよくいるタイプのウソつきということですね。当blogでは彼が大統領に就任する以前から彼をヒーロー視するイメージはメディアが創作したものと指摘してきましたが、やはり間違いではなかったようです。

思えば、アメリカはキューバへの経済制裁という目的のために野生動物保護政策もツールとして利用してきました。ワシントン条約が定めているI種(絶滅危惧種)に全てのウミガメが登録されており、その国際商業取引を禁じているのはまさにアメリカの陰謀であり、キューバに対する経済制裁の一貫であると見られています。

キューバでは古くからウミガメの一種であるタイマイを食用として消費してきました。彼等にとっての蛋白源である海洋資源を守るために調査を重ね、計画的な漁獲プログラムを実施してきました。また、既に人工繁殖にも成功しているそうです。こうした活動もあってキューバ沖には現在約10万頭のタイマイが生息しており、少なく見積もって毎年約1%増加しているといいます。

食用として消費されたタイマイの甲羅にキューバ国内で大した利用価値は見出されていませんが、それを輸出すればべっ甲細工の原材料として貴重な外貨獲得手段となります。アメリカはこの流通を阻止し、経済制裁を強化する狙いでワシントン条約を利用しているというわけですね。

ワシントン条約では人工繁殖に成功すれば3世代目からの商業取引が認められることになっていますが、アメリカ政府の意向を受けた研究者達は成熟に時間がかかるウミガメにおいてはその証明が困難という理由でキューバの人工繁殖が3世代以上になっているとは認めたがらず、全てのウミガメという大雑把な括りを解く気はなさそうです。

また、アメリカはこのインチキな保護政策を徹底するために国内法をASEAN諸国へも無理矢理押しつけ、ウミガメがエビ漁の網にかからないよう、「TED」と呼ばれる柵状の混獲防護装置の導入を強要しました。実際にはASEAN諸国のエビ漁の網にウミガメがかかることなど滅多になかったにもかかわらずです。

この問題も地球温暖化やオゾン層破壊などと同じく、「環境保護」という概念が政治的な思惑に利用され、プロパガンダされてきたという一例を示すものと私は見ています。彼等はエイプリルフールでなくとも自分たちのイデオロギーを押し通すツールとしてこのようなウソを年中無休でつきまくっているということですね。

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まとめ

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