酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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pomeraは良くも悪くも電子メモ帳である (その3)

pomeraはキーボードを二つ折りにし、その上に液晶ディスプレイが重なるという構造であるうえ、キーボードの左半分がスライドする構造でもありますから、畳んだ状態ではベースになる部分とキーボードの左半分と右半分と液晶ディスプレイの4層を重ねる格好になります。

電池は本体と液晶ディスプレイとをつなぐヒンジ部分に収める格好ですから、それによって厚みが増加するということはありませんが、いかんせん4層を重ねれば1層を薄く仕上げてもそれなりの厚さになってしまいます。滑り止めのラバーなど突起部を含めた全体の厚さは28mmにもなっています。

こうした構造を考えますと、スペースの確保はシビアなのかも知れません。が、ストレージがmicroSDカードというのは少々邪魔くさい感じです。PCとデータをやりとりするにはこのmicroSDを経由するか、USBケーブルでつなぐか、どちらかということになります。が、私の場合はデジカメでそうしているようにSDカードを抜いてPCのスロットに差し込むほうが一々ケーブルを取り回すより便利だと思います。これがmicroSDとなると、私の環境ではアダプタを用いなければなりませんから、少々面倒になります。

そもそも、頻繁に抜き差しすることを考えますと、microSDは小さ過ぎて扱いにくく感じます。耐久性の面でもやや不安がありますし、ここはやはりフルサイズのSDカードのほうが良かったように思います。近年のコンパクトデジカメは驚くほど薄くなっていますが、安易にmicroSDに走らないのは、要するにカードを抜き差しするユーザーが多く、そのほうが使い勝手がよいと考えているからでしょう。

pomera 03
pomeraのmicroSDスロット
microSDカードには爪などを引っかけて抜き差ししやすくする
出っ張りがありますが、何を思ったのか、このスロットは
それが下を向くように設計されています。
要するに、これを設計した人はUSBケーブルで繋ぐことを
デフォルトと考え、microSDは拡張メモリとして入れっぱなし
ということを想定しているのでしょう。
しかし、裏面には様々な張り出しがあるのですから、
バルジを設ければフルサイズのSDカードを収めるスペースは
充分に確保できたように思います。


あと、細かい部分になりますが、電源を入れる際にスイッチを2秒ほど長押ししなければならないという仕様になっているのもどうかと思います。私が昔使っていた日立のPERSONA(HPW-200JC)というWindowsCE機の電源スイッチはキーボード右上(厳密には一番右上にあるデリートキーの左隣)にありましたが、長押しする必要はなく、それでも不用意に電源が入ってしまうことは一度もありませんでした。普段持ち歩くときは液晶ディスプレイを畳んで外にスイッチボタンが露出することなどないのですから、当然のことですが。

pomeraの電源スイッチもキーボード右上にありますが、スイッチボタンと同じ高さの囲いがあり、不用意に押しにくいような構造になっています。しかも、そのキーボード自体を半分に折りたたみ、さらにその上に重なるような格好でディスプレイを畳み込むわけですから、何かの拍子に電源を入れてしまうということはPERSONA以上にないといえるでしょう。また、pomeraの場合、使わないときは畳んでおきたいと思わせるような構造でもありますし。これでスイッチ長押しを要求する仕様というのはちょっと理解しがたいものがあります。

起動まで約2秒ではありますが、それだけに2秒の長押しは煩わしい感じです。そもそもバックライトがなく、消費電力も非常に小さく、オートパワーオフ機能もあるのですから、そこまで神経質になる必要もないと思うんですけどねぇ。例えば、長押しにするか否かもユーザー設定が可能なようにしておき、オートパワーオフを切っている場合のみデフォルトで長押しの設定となるようにしておくとか、そんな自由度を持たせても良かったのではないかと思います。

その電源ですが、エネループも使えるため、ランニングコストの面でも優れています。アルカリ乾電池などより電圧が低いせいか、フル充電でも比較的早いタイミングで残量の表示単位が一つ減りますが、実用時間は特に問題ないと思います。圧倒的に長い駆動時間だけでなく、予備電池も嵩張らないというメリットから、バッテリー残量を気にするという呪縛からは完全に解き放たれた感じです。

メーカーが「デジタルメモ」と称しているように、余計な機能の一切を排除したテキストエディタとして明確なコンセプトであるのは良いのですが、能力的には(特にIMEの能力は)充分と言い難く、個人的に使いにくいと思う点はこれまで述べてきましたように沢山あります。そのうちのいくつかはファームウェアのアップデートでも対応できそうですから、何とかして改善して欲しいところです。

ま、色々文句を垂れましたが、長文入力にストレスのないキーボードを備え、これだけコンパクトに仕上げてきた点は賞賛すべきでしょう。もし、モデルチェンジが行われ、上述のような不満点の解消と、もう少しのスリム化がなされたなら、個人的には買い替えても良いと思わせる魅力を感じています。

(おしまい)
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pomeraは良くも悪くも電子メモ帳である (その2)

「文章を書くだけ」という非常に潔く割り切ったコンセプトを愚直に製品化したキングジムのpomeraですが、不充分と思われるポイントも少なからずあります。その中でも個人的に強く改善を希望するのは以下の4点でしょうか。

(1) ATOKと称するにはあまりにも脆弱な変換能力で、登録されている単語の数が明らかに少なく、文節の認識能力も低く、使用感としてはATOK for Pocket PCのレベルにも劣っている。また、ユーザー辞書も公称100件までしか登録できないため、鍛えるにも限度がある。

(2) タイトルが36バイト(2バイト文字で18文字)が上限となっており、PCで作成したファイルがそれを超過していた場合、

ファイルをコピーできません。
不正文字使用・最大文字数超えです。


と表示されて開けない。

(3) ストレージはmicroSDに対応しているものの、そのルートディレクトリに設けられた「POMERA」というフォルダ内しか読み書きができず、その中にサブフォルダを設けても認識できない。

(4) ファイルのソートもできない。

基本的にこの製品は文章を書くことに特化したものですから、IMEが脆弱であるのは厳しいものがあります。ただ、機能を高めてしまうとハード側の能力が求められることになりますから、価格やバッテリーの駆動時間など全般的なバランスが崩れてしまう恐れもあるでしょう。

ユーザー辞書は文字数が少なければ100件以上登録できるようですが、例えば「件(くだん)」のような日常的な言葉も登録されていませんから、こうして気付いた言葉を次々に登録していったらあっという間にユーザー辞書に割り当てられたメモリを使い果たしてしまうかも知れません。

本体メモリは2バイト文字で約48,000文字しかなく、1つのファイルは8,000文字までしか対応しないとのことで、要するに96kBしかないということになります。ま、microSDカードは2GBまで対応しているそうですから、ネックになるのは1ファイル8,000文字のほうになると思います。が、当blogでは1つのエントリで長くともその半分に満たないですから、私の用途としては特に問題ありません。

5ヶ月以上使ってきたいまでも慣れず、邪魔くさいと思うのは(2)のようにタイトルの文字数が少なく制限されているところです。当blogを普段からご覧頂いている方はお察しの通りかと思いますが、私にはタイトルを考えるセンスがありません。これまで満足のいくタイトルを付けられたことは数えるほどしかなく、いい加減なタイトルでもすぐに思いつかないことがしばしばです。そういうときは最初の一文を仮タイトルとして保存しておくことも多いのですが、Windows95以降は2バイト文字で127もありますから、全く不足ありませんでした。

pomeraの18文字はMS-DOSやWindows3.1の4文字(1バイト文字なら8文字)程ではないにしても、あの暗黒時代の悪夢が蘇ってくる感じで(私はMacユーザーではありませんのでその悪夢はWindows95以降決別していたわけですが)、かなり鬱陶しく思います。ま、pomera側でもリネームできますし、18文字以下にすれば開けるようにもなりますが、この足かせは個人的にツライものがあります。

また、(3)のようにフォルダが作れないのでジャンル毎に整理しておくということもできなければ、(4)のように名前順や更新順などでソートすることもできないため、沢山のファイルを保存しても探し出すのに難渋することになります。microSDが2GB対応でも、それを満たすほどファイル数をため込むのは非現実的というべきでしょう。当blogの原稿執筆に当たっては過去記事を参照したり引用したいというケースもありますから、最低でもサブフォルダには対応して欲しいところです。

(つづく)

pomeraは良くも悪くも電子メモ帳である (その1)

最近、テレビCM(←リンク先はいきなり音声も流れますのでご注意を)も流れるようになったキングジムのデジタルメモ「pomera」ですが、WindowsCE機の衰退以来、ずっと空白になっていたマーケットを担うアイテムとしてメーカーの予想を上回る人気を博しているようで、昨年12月には同社から供給不足に関するお詫びのコメントが出された程です。

私が入手したのは今年の1月で、まだ若干品薄状態だったことから、現在の実勢価格よりかなり高めでした。以降、当blogの原稿の何分の一かはこのpomeraで書いてきました。

pomera.jpg
KING JIM pomera DM10

折りたたみキーボードはPocketPCの類やスマートフォン向けなど昔からあったアイデアですが、このように液晶モニタを備え、ひとつの製品として完結しているパターンは私の知る範囲ではなかったように思います。その液晶モニタが中央に来るよう、キーボードは左半分をスライドさせながら展開させるという機構になっており、よく練られたものだと思います。

pomera 02

キーボード左側のスライドと右側のスイングは、両者の動きがリンク構造で連携するようになっています。要するに、キーボード右側を畳んだり展開したりすれば勝手に左側がスライドするわけですね。その動きは至ってスムーズです。クリアランスの設定も適切なようで、ガタもなく、比較的大きな応力がかかるであろう部品には金属が使われており、きちんと耐久テストも行われて最終仕様が決定されたという印象です。

キーボードを閉じたときはロックがかかりますが、展開した際はクリックストップのみで、完全にロックさせてしまう構造ではありません。そのため、机の上ならともかく、鞄の上とか、膝の上とか、あまりシッカリしていないところで使用すると、キーボードの土台がシッカリしていない故、やや心許ない感じもします。その対策としてスライド格納式のステーも設けられているのですが、これは構造的にも質感的にもあまり洗練された感じではありません。

キーピッチが17mmというのはこの種のモバイルツールとして妥当だと思います。私は手が大きいのでやや窮屈な印象は拭えませんが、東芝のLibretto 20(キーピッチ13mm)などを使っていた当時を思えば充分に実用的です。「半角/全角 漢字」キーが「ESC」の下ではなく、その右隣にあるため、慣れないうちは「1」を打鍵してしまいがちですが、スペースに限りがあるこの種のキーボードにこうしたアレンジは決して珍しいものではありませんから、これも個人的には許容範囲内です。

キーストロークは実測でほぼ2mmですが、パンタグラフ式で打鍵したときの感触も悪くなく、長文入力にも特にストレスを感じません。ポインティングデバイスを用いないキーボードオペレーションのみですが、ショートカットキーもPCのそれに準拠しており、この点で使いにくいと感じることは全くありません。

驚くべきはバックライトを備えていない液晶モニタのコントラストの高さで、これだけクッキリと見やすければバックライトなど(薄暗いところでも使うことを想定しないなら)必要ないと誰でも納得できるレベルかと思います。こうしたモノクロ液晶モニタは現在でも電子辞書などで健在ですから、技術的にも進歩しているのでしょう。私が愛用している電子辞書はいつ買ったか思い出せないくらい前のものですが、それと比べるべくもないコントラストの高さはその進歩を痛感させるものです。

こうしてバックライトを備えないのも消費電力を抑えて入手しやすい単4電池2本で駆動時間を長くしてやろうという考えの下になるのでしょう。機能が非常に絞り込まれているのはコストダウンという目的もあるのでしょうが、余計な機能を盛り込めばCPUの能力を上げる必要が生じたり、何だかんだと消費電力を増やす方向に向かいがちです。

キングジムも商品開発に当たっては様々な誘惑があったと思いますが、テキストエディタ以外の機能はことごとく切り捨て、電卓すらなく、辛うじて時刻表示があるくらいです。「何か他の機能をお望みなら、皆さんが既にお持ちの携帯電話を利用して下さい」といわれているような気がするくらい、徹底的に割り切って作られています。実際、テレビCMもそうした部分を強調していますし。

ここまで単能のデジタルツールというのは近年ではかなり稀でしょう。最近の電子辞書はワンセグチューナーを内蔵してテレビ視聴も可能なモデルがありますが、徒に機能を拡大すると却って商品コンセプトが散漫になってしまうものです。キングジムの商品企画はその辺を良く理解し、非常に潔い判断をしたと思います。

(つづく)

プリウスは月販18,000台で日本一奪取?

新型プリウスは発売前日までに8万台という驚異的な大量受注で話題になりましたが、それから1週間ほどでさらに2万台を上積みしたそうです。このエントリの本筋とは全く関係ありませが、その上積みされた2万台の中には私の姉の家で契約した1台が含まれています。

のっけから余談が続いて恐縮ですが、姉のところでクルマの買い換えを計画しているハナシは母経由で何となく聞いていたものの、母も姉もクルマにはさほど興味がないせいかプリウスが候補に入っていたとは知りませんでした。姉に至っては私が1年近く前からプリウスに乗っていることを知らなかったそうです(実際には何度か見ているハズなんですが、興味がなくて記憶されていなかったというパターンでしょう)。核家族なんてこんなものですね。

ZVW30プリウス

ハナシを戻しましょうか。『インサイトは安いだけが売り?』と題したエントリで頂いたコメントにお答えしたとき、新型プリウスは年産60万台体制になっている様子から国内の割り当ては毎月15,000台程度ではないかと推測しました。姉のハナシによりますと、発売当日に契約した際、5ヶ月待ちと言われたそうです。このとき既に8万台以上受注していたハズですから、これを5ヶ月でさばくとしたら毎月16,000台というペースになります。

自画自賛で恐縮ですが、8万台受注時点で5ヶ月待ちという情報が確かなら、国内供給能力15,000台/月という私の推測はまずまずのセンだったといえるでしょう。また、このペースで供給されるということは、受注台数が10万台に達している現在、少なくとも6ヶ月半は待たされることになるわけですね。これもだいたい予想通りですが、今後ますます注文が殺到してさらに納期がかかるようになる可能性も十二分に考えられます。

もちろん、それでハナシは終わりません。プリウスは新型だけでなく、私が乗っているのと同じ2代目も廉価バージョンの「プリウスEX」という名で継続生産・販売されます。カローラの場合、アクシオとフィールダーを同銘柄とカウントするのは解りますが、アメリカではサイオンxBという名で売られているカローラ・ルミオンもカローラとしてカウントしているくらいですから、このプリウスEXも新型と区別なくプリウスとしてカウントされるのは間違いありません。

このプリウスEXの販売目標は2000台/月とされています。カタログ値では新型プリウスより1割程度劣るものの、インサイトより優れた燃費性能を誇るプリウスEXがこの状況で売れないわけがないでしょう。ですから、新型の推定16,000台と合わせて当面は18,000台のプリウスが毎月登録されていくのではないかと思われます。

これも以前述べましたが、インサイトは年産20万台体制で国内供給能力が恐らく毎月5000台強と見られます。そうした中で4月に1万台強を登録して国内トップ(軽自動車を除く)を記録したのは「色々遣り繰りしてひねり出した数字」で、メディアが騒ぐことを狙った作為的で瞬間的なものと私は見ています。

が、プリウスの18,000台/月と推測される台数は、この1年間平均1万数千台/月で推移してきたフィットはもちろん、その2割り増しくらいで推移してきたワゴンRやムーヴをも抜き去り、全ての乗用車の中で日本一になる可能性が濃厚になってきました。日本の道路にプリウスが溢れかえり、そのソックリさんであるインサイトもコンスタントに台数を伸ばすという状況はなかなかシュールで、天の邪鬼な私の個人的な心情としてはかなり複雑なところです。

それはともかく、6月8日に発売されることが正式に決まったプリウスEXの気になる価格は1,890,000円とインサイトの最廉価グレードにピタリと合わせてきました。が、あからさまなインサイト潰しと批判されることを避けるためか、トヨタの基本的なスタンスとしては企業などのビジネスユーザーをターゲットにしていると説明しています。

そのため、カラーバリエーションもホワイト、シルバー、ブラックの無彩色3つとし、内装はグレーのみ、グリルをボディ同色として旧モデルとの差別化も意図しているようです。基本装備は従来の「Sスタンダードパッケージ」に準ずる感じで、クルマとしての性能は全く変わらず、細かい装備をディーラーオプションとする方向のようです。

ここで気になるのはナビの設定です。2代目プリウスの場合、液晶のマルチインフォメーションモニタがセンターに鎮座しているため、ナビはそのモニタを共用するメーカーオプションしか設定がありません。が、従来のSスタンダードパッケージにはそのオプション選択ができませんでした。つまり、トヨタ純正扱いのナビは装着できず、これにナビを付けたいと思ったらアフターマーケットで売られている汎用のオンダッシュナビを装着するか、あるいは1DINサイズの小物入れを改造して格納式インダッシュモニタのナビを押し込むしかなかったわけですね。

ビジネスユーザーといってもナビの需要は少なくないでしょうから、メーカーオプションで装着できるようになるとは思います。が、2代目プリウスのメーカーオプションのナビは確か25万円くらいでしたから(私のは初めからナビが付いている特別仕様の10thアニバーサリーエディションですので、うろ覚えになりますが)、ディーラーオプションが10万円台半ばくらいからあることを考えますと、ここで10万円くらい割高になってしまうという点がネックになりそうです。

それはともかく、インサイトの最廉価グレードはカローラ喰い(特にビジネスユーザーの)が懸念されましたが、その心配はかなり減少したといえそうです。ただ、取扱店が相変わらずトヨタ店とトヨペット店のみとなっていますので、カローラ店にしてみれば面白くないでしょう。ま、トヨタもよりコンパクトで廉価な車種にハイブリッドを展開するというハナシは既に公にしていますから、カローラ店やネッツ店はそれ待ちといったところでしょうか。

ハイブリッドカーをLCAで評価すれば世間一般にイメージされているほどのエコカーではないと私は確信していますので、これを手放しで歓迎すべき状況だとも思えません。が、風説に流されやすい日本人特有の現象としてこのブームはしばらく続くのでしょうね。

それでもボクはやりたくない (その5)

アメリカの刑事裁判における陪審制は被告人に与えられた権利です。つまり、陪審員を利用するか否かは被告人が選べるという仕組みになっているんですね。これは先にも述べたように、民主化以前の国家弾圧に苦しめられてきた歴史を経、国に偏った司法権力の行使から人権を守ることを目的として導入されたわけですから、「被告人の利益を優先する制度」となっているのは至って当然のことです。

しかし、日本の裁判員制度は裁判所の判断によって該当する事件に裁判員が導入されるか否かが決まり、被告人の意思とは無関係に強制されます。日本の制度は欧米のそれとは真逆を向いた「裁判所の都合が優先される制度」であると言っても過言ではないでしょう。こうしたことからも欺瞞に満ちた制度であるということが伺えます。

また、これも何度か述べてきましたが、アメリカの陪審制では有罪か無罪かの判断を全て陪審員に委ね、量刑の判断は求めません。ということは、検察の示した罪状を被告人が否認している裁判にしか陪審制は用いられないということです。ちなみに、アメリカ連邦地裁における刑事裁判での陪審利用率(被告人に利用するか否かを選択できる権利があるから「利用率」という表現がなされるわけですね)は、わずか5%程に過ぎないといいます。

上述のように、陪審制では量刑判断すなわち有罪の場合の刑の重さを決めるという負担(特に極刑などは大きな精神的負担になるでしょう)も陪審員には負わされていません。一方、日本の裁判員制度ではご存じのように量刑判断にも裁判員が参加させられますから、被告人が罪を認めている場合、即ち初めから有罪が確定している場合でも裁判員が招集されることになります。加えて、死刑など極めて重い判断についても裁判員に突きつけることになりますから、精神的な負担も非常に大きくなるわけですね。

ヨーロッパの参審制は量刑判断に参審員も加わり、評決も多数決になりますから、日本の制度はこちらに近いといえます。が、事件毎に無作為選出される日本の裁判員やアメリカの陪審員とは違って、参審員は一定期間継続する任期制で、団体などからの推薦によって選ばれます。つまり、裁判員のようにある日突然招集がかけられ、出頭を強制されるというものではありません。余談になりますが、参審制は上訴審も参審員が加わることができる制度になっていますから、一審までしか導入されない日本の裁判員とはやはり向いている方向が違います。

纏めてみますと、アメリカの陪審制の場合、無作為選出された国民は原則として強制参加させられますが、量刑判断のようにより大きな精神的負担を伴う部分については除外されるのに対し、ヨーロッパの参審制は推薦によるものですから、ある日突然強制的に招集されることはない反面、量刑判断にも加わらなければならないという格好になっています。

日本の裁判員制度の場合、陪審制のようにある日突然参加が強制され、参審制のように大きな精神的負担を伴うことがある量刑判断にも参加させられるということになります。要するに、「国民の負担」という部分をクローズアップしてみますと、「裁判員制度は陪審制と参審制の悪いとこ取り」といって差し支えないでしょう。

負担といえば、例えば凄惨な殺人現場の状況を写真などで証拠として確認しなければならないケースもあります。そうしたシーンを見慣れていない人の多くは精神的なショックを受けるでしょう。中にはそれが一生消えない心の傷となることも懸念されるわけですね。これは欧米の参審制・陪審制でも問題になる部分ですが、無料でカウンセリングが受けられるようにするなど、心のケアについてはそれなりの対応ができているようです。

しかし、日本では裁判員制度の導入に当たって企業などを対象に心理カウンセリングの電話相談サービスを行っている民間のカウンセリング機関に24時間の窓口の設置を委託したり、臨床心理士や医療機関を紹介するといった対応しかしていません。仮に通院などの必要が生じた場合、その費用は誰が負担することになるのでしょう?

それ以前に、電話相談の委託料は年間たったの900万円だそうですから、900万円÷365日÷24時間=1,027円/時です。諸々の経費を差し引けば恐らくバイトの時給にも劣るであろうとんでもない薄給で採用されるカウンセラーが全国を網羅するというこのシステムでどれだけのケアができるのか甚だ疑問です。といいますか、国民を莫迦にするのもいい加減にしてもらいたいものです。

(追記) 最高裁判所は7月10日付でこうした心のケアに臨床心理士らによる診察を5回まで無料とする旨を発表しました。が、5回で済まなければ当然受診料は自己負担となるわけですね。少しはマシになったと言えますが、これで充分とまでは言えないように思います。

裁判員制度の導入に当たっては、散々「できるだけ国民の負担は軽くなるように」といいながら、心のケアなどを含めた全般的な配慮は全く以て不充分としかいいようがない状態です。公判前整理手続きで争点を絞り、集中審理で裁判の期間を短縮するということだけが「国民の負担軽減」ではないハズですが、この制度を推進してきた人たちにとって、「国民の負担=時間的な拘束」という図式でほぼ完結してしまって、それ以外の負担はことごとく軽視(というより、殆ど無視)されてきました。

こうした点を見ても、また対象となる事件が殺人など時間のかかるものが中心であるという点を見ても、この制度の導入によって確実に変化するのは「裁判のスピード」というところに繋がっています。「国民の負担を軽減する」というのは単なる方便で、本当の目的かと疑われる「裁判のスピードアップ」を図るため、その手段として国民を巻き込もうとしているのではないかと思われることだらけです。

この欺瞞に充ち満ちた裁判員制度の導入によって裁判の手続きが簡略化・迅速化されることで労務負担を軽減し、労働の時間単価を引き上げることが目的なのか、この制度を導入するために必要な予算の拡大が狙いなのか(実際、施設整備などの費用として約300億円を計上しているそうです)、あるいはその両方か、その辺は想像に委ねるしかありませんが、私は裁判所の思惑がこうしたセンにあるのではないかと疑っています(くどいようですが、あくまでも個人的な想像です)。

また、死刑という執行されれば取り返しのつかない刑を科し、後になって冤罪であることが解った場合、職業裁判官だけでなく「一般市民である裁判員の意見も加わった判断であるから、自分たちだけの責任ではない」とする言い訳にも使われれてしまうかも知れません。

いずれにしても、大きな負担をかけられながら、裁判員に与えられる権利は絶望的に軽微です。現実的に高裁の判断一つで裁判員による画期的な一審判決は破棄されてしまうことも十二分にあり得ることで、裁判員は単なるお飾りに過ぎないという状況も多々あるのではないかと懸念されます。

しかも、守秘義務(これが課せられた情報については死ぬまで漏らしてはいけないことになっています)に反した場合、最高6ヶ月の懲役または50万円以下の罰金という非常に厳しい罰則まで設けられています(ちなみに、裁判官にはこんな罰則などありません)。

私は陪審ないし参審制度など国民が裁判に参加する制度そのものを否定するという立場ではありません。しかし、日本の裁判員制度は司法権力にとって都合の良すぎる制度設計がなされ、国民は莫迦にされているようにしか見えません。こんな制度に利用されるなど、真っ平ゴメンです。もし、私のところへこの召集令状が届いたら、何としても忌避したいと考えています。具体的な方策は現在思案中ですが、いずれその辺についても述べてみたいと思います。

(とりあえず、おしまい)

それでもボクはやりたくない (その4)

「国民の視点や感覚が反映され、司法への理解や信頼が深まり、国民と社会とのつながりを深め、より良い社会を作る」などとする裁判員制度導入の理由は学生運動のごとき青臭い理想論としか評しようがありませんが、海千山千の政治家や官僚達がこうした白々しい理想論を唱えること自体は決して珍しくありません。ここで注意したいのは、こうした趣旨説明が白々しければ白々しいほど、その裏には彼らにとって都合の良い仕掛けがしてあるものだということです。

裁判員制度の場合も前回までに述べてきたように、その理想は制度の中身に全く反映されていません。彼らが唱える理想論は実に白々しく、極めて胡散臭いものです。要するに、あの裁判員制度導入の理由というのはありがちな「建前」であって、他に何か「別の目的」があり、そのための「方便」として裁判員という制度が設けられ、国民が巻き込まれようとしているのではないかと疑われるわけです(あくまでも個人的な想像です)。

こういうケースでありがちなのは、「手段と目的のすり替え」というパターンです。つまり、本来の目的は別にあり、その目的を成すための手段として用いられることが、実は本当の目的だったというものです。裁判員制度も国民を裁判に参加させるのが本当の目的ではなく、別の目的を成すための手段に過ぎないのではないかと私は疑っているわけです。

結論を先に言いますと、裁判員として動員される国民の負担を軽減するために「公判前整理手続」という制度が導入されたことになっていますが、実は逆で、時間のかかる裁判を簡略化する「公判前整理手続」を導入するための手段として裁判員制度が導入されたのではないかと私は想像しています(くどいようですが、あくまでも個人的な想像です)。

この「公判前整理手続」についてはご存じの方も多いと思いますが、そうでない方のために簡単にご説明しておきましょう。この手続きは裁判を迅速に進めるため、事前に裁判官と検察官と弁護人が争点を絞っておくというものです。要するに一種の談合ですね。法廷で争われるのはこうして絞り込まれた争点に集中することになるわけですから、これが済んだ後になって被告人に有利な証拠や証人が出てきたとしても、採用が制限されることになりかねません。

NHKのニュースで裁判員制度の導入について取り上げられるとき、彼等は必ず「裁判官と裁判員は対等な立場で」とか「開かれた裁判」といった大ボラを吹きます。対等な立場というのなら、公判前整理手続にも裁判員を参加させなければなりません。あらかじめ裁判官・検察官・弁護人の三者が密室で筋道を作っておき、それに従って公判が行われるところから裁判員が加わるというのでは到底「対等な立場」でもなければ「開かれた裁判」でもありません。

実際、私の知り合いの知り合いが模擬裁判に参加しているのですが、気になった部分について質問したところ、それは「公判前整理手続きで争点から外されている」ということでマトモに取り合ってもらえなかったそうです。その後も彼にとっての疑問点が何故争点から外されたのか釈然としないまま審理はどんどん進められ、「参加している」というより「立ち会っている」だけでしかない気分だったといいます。これの何処が「対等な立場」で「開かれた裁判」で、「国民の視点や感覚が反映される」といえるのでしょう?

ついでにいえば、「法律の条文の解釈について意見が割れた場合、裁判員は裁判官の解釈に従わなければならない」とされています。こうした部分も決して対等とはいえませんし、法曹界の常識を健全な社会常識によって覆させまいとする思惑が見え隠れします。

日弁連も裁判員制度の導入には極めて積極的ですが、現場の弁護士たちには反対の意見も少なくありません。殊に、「国民の負担を軽減させるため」とされる「連日の集中審理」は予期せぬ展開に対応することが難しくなるという意見も少なからず聞こえてきます。経済力があって優秀な弁護士を何人も雇える被告人ならばともかく、国選弁護人をつけるしかない経済的弱者にとって不利な要素となっても有利に働くことは殆どないでしょう。

こうした「公判前整理手続」や「連日の集中審理」によるスピードアップは証拠調べなど裁判の過程に欠くことのできない地道な作業を粗雑なものにしてしまう恐れがあります。人生がかかっている被告人にとってはゆゆしき事態です。仮に無実の被告人がこうした粗雑な裁判で有罪にされてしまったのでは、日本の法秩序は大いに乱れることになるでしょう。

逆に、有罪で間違いない被告人を裁くに当たっても、詳細が明らかにならないまま判決が下されるのは問題です。特に裁判で事件の詳細を明らかにして欲しいと願っている被害者にとって、不充分な証拠調べで事件の内容が詳しく解き明かされぬまま、多数決でとっとと有罪判決と量刑が下されてしまうのは決して望ましい結果とはいえないでしょう。

こうした欠陥を鑑みれば、日本の裁判員制度は「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という格言に逆行するものです。欧米の陪審制・参審制とは似て非なるものというより、180度逆を向いていると言っても過言ではないでしょう。

裁判員を除外したカタチで裁判の方針が予め練られ、決められた筋道の上で判断を求められる裁判員6人中4人の意見が揃っても無視される可能性があり、法律の条文解釈は職業裁判官に従わなければならず、仮に裁判員の意見が法曹界の常識を覆したとしても控訴が認められれば完全に蚊帳の外とされてしまうのですから、この制度の本当の目的が国民を裁判に参加させることでないのは間違いないでしょう。

「公判前整理手続き」も「連日の集中審理」も「国民の負担を軽減する」という理由で導入されるものですが、こうして実現するであろう「裁判のスピードアップ」こそ本当の目的なのでしょう。こうした乱暴な仕組みを導入することを正当化する「国民の負担を軽減する」という理由を付けるために、「手段と目的のすり替え」がなされたカタチで裁判員制度が導入されるに至ったのではないかと疑われるわけです。

(つづく)

それでもボクはやりたくない (その3)

前々回のおさらいになりますが、裁判員制度が導入される理由を箇条書きにしますと以下のようになります。

(1) 国民の視点や感覚が裁判の内容に反映される
(2) 裁判が身近になり、司法に対する国民の理解と信頼が深まる
(3) 国民が社会について考えるようになり、より良い社会への一歩となる
(4) 欧米などでも国民が裁判に参加する制度がある

(1)の理由に掲げられている国民の視点や感覚が「裁判の内容」に反映されることが期待されているわけですが、二審以上に裁判員は参加できませんから、最終的に裁判所がこれを無視しようと思えば無視できてしまえる「骨抜き」にされた仕組みになっているのは前回述べた通りです。

仮に、私たち国民の「視点や感覚」がちゃんと反映されることがあったとしても、その対象が極端すぎるというところがまた釈然としません。ご存じのように、裁判員制度の対象となる事件は何故か私たちの日常生活から最もかけ離れた「殺人」や「強盗致死」や「傷害致死」などの凶悪犯罪が中心になります。

私たち一般市民の「視点や感覚」を生かしたいというのに、また(2)の理由に掲げられているように裁判を「身近に」したいというのに、殺人事件など私たち善良な市民にとって極めて非日常的で、普通に暮らしていれば殆どの人は生涯関わることのない事件の刑事裁判を扱わせるのは何故なのか全く以て理解できません。こうした事件は私たちにとって極めて縁遠いものですから、そこに生かすべき「視点や感覚」など普通の生活を送って養われるものではありません。

もし、本当に一般市民の「視点や感覚」を生かし、裁判を「身近に」したいというのであれば、まずは民事裁判にこそ裁判員制度を導入すべきでしょう。

テレビでも司法判断について考えさせる番組がいくつかありますが、レギュラーとなっているのは例えばNHK大阪放送局の『生活笑百科』とか日本テレビの『行列のできる法律相談所』とか、いずれも「民事紛争を司法はどう解決するか」がテーマです。私たち善良な一般市民にとって身近な司法というのはこういうものであって、殺意の認定だの何だのといったハナシは最も縁遠い世界です。

また、(3)の理由に掲げられているように「国民が社会について考え、より良い社会への第一歩」としたいのであれば、殺人事件などの刑事事件を扱わせても殆ど意味がありません。むしろ国や地方自治体などの対応の不手際や、誤った政策などによって不利益を被った被害者が損害賠償を求める民事裁判、あるいは住民訴訟のほうが、よほど社会の在り方について考える良い機会につながり、「より良い社会への一歩」となるハズです。また、こうしたケースこそ一般市民の「視点や感覚」を反映させるべきです。

また、行政の政策や対応などが憲法に反するか否か、即ち違憲審査が含まれる裁判も「より良い社会」の在り方を国民に考えさせるには極めて重要なことですが、やはりこれも裁判員制度の対象とはなり得ません。導入の理由として「国民のみなさんが、自分を取り巻く社会について考えることにつながり、より良い社会への第一歩となることが期待されています。」と謳っておきながら、社会にとって殺人事件などより遙かに重要な司法判断については裁判員に触れさせないという大きな矛盾を抱えているわけです。

こうした民事裁判や住民訴訟、違憲審査を含む訴訟は除外され、対象とされたのは刑事裁判で、しかも真っ先に来るのが「殺人」となっているのは何故でしょう? 制度を導入する趣旨を最大限に汲むなら、上述のような民事裁判等こそ対象にすべきですが、そうしない理由は全く説明されていません。私の目には趣旨が掲げている思想と制度の中身は絶望的なまでに乖離しているようにしか見えません。これを「欺瞞」といわずして何と評したら良いのでしょうか?

あくまでも個人的な感想ですが、そもそも上記4つの導入理由のうち、特に(2)と(3)などは学生運動のごとき青臭い理想論にしか見えません。(4)にあるとおり、欧米などでも国民が裁判に参加する制度はありますが、世界広しといえど、「裁判を身近に」などという理由を掲げている国は日本以外にないでしょう。日本以外の国で陪審制・参審制が導入されているのは、前々回の冒頭に掲げたこの格言につながるものといって良いと思います。

「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」

欧米で一般市民が裁判に参加する制度が導入された背景には、民主化以前の国家弾圧に散々苦しめられてきた歴史が深く関わっています。国家権力の行使によって侵害されてきた市民の人権を守るため、国家による不当な司法判断に偏らないようにするため、市民が裁判に参加するということが陪審制・参審制導入の根源的な理由です。

しかし、日本の裁判員制度にそのような趣旨は伺えません。上記(1)の理由がそれに近い雰囲気もありますが、前回も述べたように国民の2/3が無罪と思っても裁判官の意見が揃ってしまえばそれを覆すことはできず(有罪の場合は裁判官が1人以上有罪を支持しなければなりませんが)、仮に裁判官の判断を覆すことができたとしても控訴が認められた瞬間に裁判員の出る幕はなくなります。

「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」の精神を理想とするなら、裁判員制度はこれと180度逆の方向へ進んでしまう恐れがある致命的な欠陥があります。 それは裁判員制度導入に先立って「公判前整理手続」という、ゆゆしき制度が導入されてしまったからです。

(つづく)

それでもボクはやりたくない (その2)

裁判員制度が導入される理由として真っ先に掲げられているのが「国民の視点や感覚が裁判の内容に反映される」というものです。が、判決に被告人も検察も不服がない場合(こうした円満な裁判ばかりなら、そもそも裁判員制度を導入する必要もないと思いますが)を除き、最終的には裁判所(特に高等裁判所)の考え方次第で裁判員制度を形骸化させてしまうことができる仕組みになっています。

この制度の導入を進めてきたのは実際に日本の司法権力を握ってきた人たちが中心ですから、彼らは自分たちの権力の一部を国民に譲り渡す意志など初めからなかったのでしょう。なので、当然のように抜け道がつくられているわけですね。

制度の中身を詳しく見ていきますと、日本の裁判員は莫迦にされているのではないかと思えるほど無力な存在になり得ることが解ります。導入に向けて散々大騒ぎしてきた割に、こうした事実は殆ど知られていないように思います。これはアメリカの陪審員制度と比較してみると解りやすいでしょう。

アメリカの陪審員制度の場合、一般市民から選ばれた12人の陪審員で評決が行われます。この際、職業裁判官は1人も同席せず、全て陪審員だけで話し合いが行われます。そして、1人でも反対意見の人がいたら「評決不一致」ということで結論は持ち越しになり、陪審員の意見が一致するまで何度でも評議が繰り返されます。要するに、アメリカの制度では国民の視点や感覚が裁判の「結果」に必ず反映され、陪審員1人の意見も無視されることはないという仕組みになっています。

しかし、日本の裁判員制度では3人の職業裁判官と6人の裁判員が一緒に話し合いのテーブルについて多数決が行われ、その場で結論が出されます。仮に、裁判員4人が無罪を主張したとしても、裁判官3人と裁判員2人が有罪を支持すれば、4人の裁判員の「視点や感覚」は無視され、「結果」にも反映されないわけです。

つまり、一般市民6人のうち4人、即ち約67%になる過半数の民意が無罪だと判断しても、裁判官の判断が一致した場合はそれに抗うことができません。裁判官の意見が一致したとき、それを覆すには一般市民の6人に5人以上、即ち約83%以上の意見が揃わなければならないということです。これでは国民の視点や感覚が「内容」には反映しても「結果」にはなかなか反映されない仕組みと言わざるを得ません。

なお、裁判官が無罪で一致した場合は、裁判員全員が有罪を支持しても有罪にはなりません。これは素人である裁判員が感情に流されて冤罪を生む可能性を考慮すれば当然でしょう。

いずれにしても、日本の裁判員制度では1人の裁判員が及ぼせる「結果」への影響力は極めて軽微です。アメリカの陪審員は12人のうち1人の意見でも結果に必ず影響しますが、日本では6人のうち4人が束になっても無視される場合があるという意味では、天と地ほどの開きがあるといっても過言ではないでしょう。

しかも、それでハナシは終わりません。仮に、裁判官の意見が一致して有罪を支持したとき、これを5人以上の裁判員で覆して無罪判決となっても、結果的にそれが全く無意味なことに終わってしまう可能性が極めて高い仕組みになっているのです。

裁判官全員の意見が一致するということは、つまり法曹界の常識的な判断ということになるでしょう。それを裁判員が覆すということは、一般市民の「視点や感覚」が法曹界の常識を覆したことになり、裁判員制度を導入した意義ある判例となりそうな気がします。(ま、キチガイみたいなのが引っかき回した判例だったとしたら、それはそれで裁判員制度の弊害が出たということになりますが。)

もし、裁判員の判断のほうが健全な社会的常識だったとして、それが法曹界の常識を打ち破ったとしても、ここで喜んではいられません。裁判官全員の意見が無視され、無罪判決となった場合、検察は間違いなく控訴します。こうした状況であれば控訴が棄却されることも絶対にあり得ません。高等裁判所が控訴を棄却することなく、一審に差し戻すこともなかった場合、即ち高裁で控訴審が争われることになったらもうおしまいです。というのも、日本の裁判員制度では

裁判員が参加するのは一審だけ

とされているからです。これが裁判官2人が無罪、1人が有罪、裁判員4人以上が有罪として有罪判決が下されたケースでも、被告人は例外なく控訴するでしょうし、それが棄却されることもないでしょうから、状況は変わらないでしょう。

つまり、法曹界の常識が覆されるような画期的な判決が裁判員制度によってもたらされても、控訴が認められた瞬間に全ては水泡に帰し、これまで通り裁判官だけで裁かれることになるわけです。法曹界から見れば非常識となった一審の判決が破棄されてしまう可能性は決して低くないハズです。高裁以上でも裁判員が加わるというのならハナシは別ですが、一審だけでおしまいというのでは、一般市民の「視点や感覚」が法曹界の常識を打ち破るなど殆ど不可能です。

ちなみに、アメリカの陪審制は陪審員の評決で確定され、それが覆ることのない仕組みになっています。そういう意味でも日本の裁判員制度が如何に国民を軽く扱っているかが解るというものです。

もっとも、アメリカの陪審制も陪審員の心理を操作する法廷戦術が駆使されるなど、本来あるべき司法判断にとって理想的とはいえない状況になっていたり、時々とんでもなく莫迦げた判決が下されることもあります。

例えば、有名な民事裁判になりますが、股間に熱いコーヒーをこぼして火傷した老婦人がマクドナルドに対して熱いコーヒーを出したから火傷したのだという言いがかりのような訴訟を起こして勝訴しています。こうした事例を見れば、それほど優れた制度だとも思えません。が、掲げられている趣旨と具体的な中身が絶望的に乖離している日本の裁判員制度よりはまだマシだと思います。

いずれにしても、日本の裁判員制度は政治家や官僚の得意技である「骨抜き」「形骸化」が駆使されたいつものパターンにはまっていると見るべきでしょう。

(つづく)

それでもボクはやりたくない (その1)

「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」

周防正行監督が痴漢冤罪をテーマに日本の法曹界の実情をリアルに描いた映画『それでもボクはやってない』の冒頭で映し出されるのがこの格言です。また、映画の中盤では裁判官と司法修習生との間でこのような台詞が交わされます。

裁判官 「刑事裁判の最大の使命は何だと思いますか?」
修習生A 「真実を見極めること。」
修習生B 「公平であること。」
修習生C 「公平らしさ?」
裁判官 「最大の使命は、“無実の人を罰してはならない” ということです。」

私は法律や司法制度に関して全くの素人ですが、間もなくスタートする裁判員制度がこうした考え方に逆行する可能性が大いにあることは理解できます。「戦後最悪の司法制度改悪」という人もいますが、私もその見解に同感という立場です。

当blogに初めていらした方以外はお察しのことと思いますが、私は人間が作った世の中の仕組みで純粋に理想だけを追求したものはそう多くないと思っています。特に政治家や官僚たちが何か新しいことを始めようとするときは、その裏に何か「別の目的」が多かれ少なかれ秘められているものだと想定し、注意深く観察するようにしています。

こうしたとき、新しい制度の導入について公に述べられている趣旨と、その制度の具体的な中身を比べてみます。制度の中身に趣旨が完璧なカタチで反映されていれば、とりあえず保留とします。もちろん、整合性に破綻がなくても有害な「別の目的」が秘められている場合もあると思いますが。

一方、趣旨が掲げている思想と制度の中身に相容れない部分があったり、私のような素人でも趣旨に見合った最善の在り方がほかにあるとすぐに気づくにも関わらず、それが採用されていないケースがあります。つまり整合性という部分においてほころびがある場合、「別の目的」を成すための方便として新しい制度が設けられようとしている可能性が大いにあり得ると考えます。

そういう観点から裁判員制度を見てみますと、趣旨が掲げている思想と制度の中身に相容れない部分が沢山あり、趣旨に見合ったもっと良い在り方がほかにありますから、「別の目的」を成すための方便として導入される典型的なパターンに属している可能性が極めて高いと想像されるわけです(あくまでも個人的な想像です)。

ということで、まずは裁判員制度が導入される趣旨をおさらいしておきましょう。これは法務省の「裁判員制度コーナー」と称するサイトの「裁判員制度導入の理由」に纏められています。詳しくはリンク先をご覧頂くとして、その理由を箇条書きにしてみますと以下のようになります。

(1) 国民の視点や感覚が裁判の内容に反映される
(2) 裁判が身近になり、司法に対する国民の理解と信頼が深まる
(3) 国民が社会について考えるようになり、より良い社会への一歩となる
(4) 欧米などでも国民が裁判に参加する制度がある

(4)は導入の理由として全く意味を持ちませんし、残り3つの理由も制度の具体的な中身と全く整合していません。

まず、(1)ですが、これは俗に「霞ヶ関文法」とか「霞ヶ関作文」といわれるものを念頭に置いたほうが良いかも知れません。私たち一般市民の感覚でいけば、「国民の視点や感覚」が反映されるべきなのは裁判の「内容」ではなく「結果」としたいところです。仕事を遣り繰りするなど日常生活を犠牲にして強制的に参加させられ、忌避すれば10万円以下の科料という重い金銭罰が科せられているのですから、私たちの意見が「結果」に反映しなければ何のために参加させられるのか解らないということになります。

裁判員制度導入の理由に「結果」ではなく「内容」と書かれているのは何故でしょうか? それは恐らく、アメリカの陪審員制度が全員一致になるまで評議を繰り返すのとは大きく異なり、日本の裁判員制度は多数決でとっとと結論を出してしまう仕組みになっているからでしょう。多数決で少数となった意見は無視される仕組みであるゆえ、全ての裁判員の視点や感覚が必ず裁判の結果に反映されるとは限らないことを踏まえ、それを正確に表現しようとしたから「内容」という言葉を用いることになったのだと思います。

しかし、実際に制度の中身を詳しく検討してみますと、少数意見どころか、裁判所サイドに「国民の視点や感覚」を「結果」として生かす気がなければ、完全にこれを排除してしまえる仕組みになっていることが解ります(詳しくは次回に)。

そもそも権力者はその権力を易々と手放さないのが普通です。司法権力を握っている人たちも一部とはいえそれを安易に譲り渡す気などないでしょう。裁判員制度は司法権力を国が維持し続け、裁判所が国民にそれを解放する気がなければ制度そのものを完全に骨抜きにしてしまえるよう巧妙に仕組まれていると考えることができます。

例の政治資金規正法などもそうですが、予め抜け道を設けておいて、法律を都合良く運用できるように仕組んでおくということにかけて、日本の政治家や官僚達は天才的な能力を発揮します。裁判員制度についてもこうした点を踏まえ、国民はもう一度その中身を見直してみるべきです。綺麗事しか伝えようとしない法務省などの言うことや、その受け売りばかりのメディアが伝えることを鵜呑みにすると、良いように利用され、莫迦を見るだけです。ということで、具体的なハナシは次回に。

(つづく)

インサイトは安いだけが売り? (その2)

6月にトヨタの社長に就任することが決まっている豊田章男氏は新型プリウスに自信満々で、その発売に向けてメディアに「本物のHVをお見せする」と述べ、インサイトの簡易的なハイブリッドシステムとは役者が違うということを強調しています。マーケットの反応もハイブリッドシステムに詳しくない人やイニシャルコストの安さを求める人は(アンチトヨタの人も?)インサイトに飛びついた感がありますが、総合的な実力が解っている人はやはりプリウスを支持しているようです。

今年の3月初旬にプリウスとインサイトについての意識調査がモバイルリサーチを展開するネットエイジアによって実施されました。これは自分専用のクルマを保有している全国の20~50代の男女各々250名、計500名を対象としたアンケートになります。これによりますと、男性の支持は圧倒的にプリウスだったといいます。

具体的には、プリウスを支持した男性が99.6%だったのに対し、インサイトを支持した男性はわずか0.4%でした。250倍もの差がついてしまったわけですが、分母が250人ですから、要するにインサイトを支持したのは1人だけだったということですね。一方、これが女性になると様子が大きく変わってきまして、プリウスを支持した人は56.4%、インサイトを支持した人は43.6%とかなり接近する結果になりました。

「プリウス」と「インサイト」のどちらが好みか

一般的に女性ユーザーは男性ユーザーほどクルマの仕組みについて詳しくない傾向が極めて強く、恐らく殆どの女性はプリウスとインサイトのハイブリッドシステムの違いを理解できていないように思います。逆に、女性は男性より価格に対してシビアな傾向が強いと思いますので、女性のインサイト支持が伸びたのはそのせいだと思われます。

この意識調査では、複数回答形式で各々のイメージに対するアンケートも行われています。ここでもやはり「技術力の高い」「先進的な」といった項目でプリウスはインサイトにダブルスコアを付けています。プリウスとインサイトのシステムの違いを充分理解しているとは言い難い大衆メディアにはあまり振り回されていないといったところでしょうか。

逆に、インサイトがプリウスを大きく上回った項目は「低価格である」とか「コストパフォーマンスの良い」といったイメージで、この意識調査の結果を見た範囲でもインサイトを支持する人たちが重視しているのは車両本体価格の安さにあるようです。

「プリウス」と「インサイト」のイメージ

また、この意識調査ではハイブリッドカーを購入する意向のある人を対象にした「ハイブリッドカーの購入想定価格帯」というアンケートも併せて実施されていますが、200万円以上と回答している男性が44.0%だったに対し、女性で200万円以上と回答したのは16.4%しかおらず、女性のほうが男性よりずっと低価格志向が強いという結果になっています。

ハイブリッドカーの購入想定価格帯

ご存じのようにインサイトの最廉価グレードは189万円となっており、この価格が低価格志向に強くアピールしたため、低価格志向の強い女性票がインサイトの支持を伸ばしたと見られます。

ただ、アンケートが行われた時期は3月3~5日とのことですから、既に新型プリウスも値下げが伝えられており、最廉価グレード同士の価格差がそれほど大きくなくなることはハイブリッドカーの購入を検討している多くの人が知っていたのではないかと思います。男性の殆どがプリウスを支持したのは、この程度の差ならプリウスのほうがお買い得ということを見抜いたからかも知れません。

ということで、この意識調査の結果は信頼できるものという前提で書いてきましたが、個人的には男性250人中249人がプリウスを支持するという結果はあまりにも偏りすぎているように思います。サンプリングに問題があったか、何らかのバイアスがかかっている可能性も懸念されます。

とはいえ、新型プリウスに対するマーケットの評価がインサイトのそれを圧倒しているのは発売前に8万台も受注する見込みという事実からも明らかです。少なくとも、インサイトの発売時にプリウスを抜いたと騒いだメディアよりマーケットのほうがずっと冷静に両者のポテンシャルを見極めているといえるでしょう。

ところで、このところ夏めいてきて、日なたにクルマを停めておくと車内がサウナのようになることもあり、そろそろクルマに乗るときはエアコンを稼働させ始めているかと思います。ここで気になるのは、これからの時期にインサイトの燃費はどんどん悪化していくのではないかと懸念されることです。

シビックハイブリッドもプリウスと同様にエアコンのコンプレッサーを駆動する専用モーターを搭載し、アイドリングストップ時にも冷気が供給される仕組みになっています。しかし、コストダウンを徹底させたインサイトは普通のクルマと同じようにエンジンの動力を直接利用してコンプレッサーを駆動する方式になっています。つまり、アイドリングストップ時は送風のみとなり、車内温度が上昇して冷気を作る必要が生じてきたら、エンジンを始動させなければならないというわけですね。

インサイトが発売された折には自動車専門誌などメディア対抗の燃費競争が実施され、デモ走行でそこそこの燃費を示しました。が、それはエアコンが必要ない冬場だったからという見方もできます。私はインサイトの発売時期が冬場に設定されたのはそうした理由もあったのではないか?と穿ったりしました。エアコンのフル稼働が必要な時期にあのようなデモを行ったとしたら、プリウスより遙かに低い評価が下されたのではないかと想像されたからです。

昨年の6月後半、私はトヨタ博物館まで往復して732kmを走り、メーター表示で平均29.7km/Lという良好な燃費を記録しましたが、あのときも全行程でフルオートエアコンをONにしたまま、冷房がかかりっぱなしという状態でした。プリウスはエアコンを使用してもさほど燃費が悪化しないということが確認できたわけですね。

しかしながら、走行中もエンジンを完全に停止させて燃費を抑えられるプリウスは、冬場になると暖房に必要な水温が維持できずにエンジンの始動頻度が上がります。あくまでも私の場合ですが、燃費が15%以上悪化しました(当然のことながら、条件によって結果は異なると思います)。新型プリウスの発売が暖房の必要がないこの時期に設定されたのも、これが無関係ではないかも知れません。

プリウスの場合、冬場は水温を上げるためにアイドリングしますが、通常の補器類に奪われる以外の負荷がかかるわけではありません(新型は補記類についても電動化が進んだようです)。一方、インサイトの場合、夏場に冷気を作るために必要なアイドリングは、プリウスのような低負荷ではなく、コンプレッサーを駆動するためにそれなりの負荷がかかることになります。こうした違いを考慮しますと、インサイトにとって冷房が必要な時期は冬場のプリウス以上に燃費がガタ落ちになるのではないかと想像されます。

こうしたコストダウンのためのマイナス要素が広く知れ渡るようになったら、「ホンダのハイブリッドカーは安かろう悪かろうだ」などという烙印が押されてしまう恐れもあります。が、上掲の意識調査を見てもプリウスの受注状況を見ても、マーケットはメディアよりずっと冷静に実力を見極めているようですから、こうした心配は無用かも知れませんね。

インサイトは安いだけが売り? (その1)

日本の大衆メディアの多くは自動車オンチですから、インサイトの登録台数がいきなりプリウスを抜いたということで何やら騒がしくなっていました(例えばココとかココとか)。また、判で押したように「プリウスを抜いたその勝因はインサイトの低価格戦略にあり」としています。ま、インサイトが好評を博している主因がその安さであるのは確かだと思います。が、登録台数でプリウスを上回った一番の理由は全く別なところにあると考えるべきです。

そもそも、プリウスの購入を検討している人たちの殆どは今年1月のデトロイトショーで発表された新型を見ているに違いありません。また、当blogでも何度か触れてきましたように、トヨタは比較的早い段階からホンダの低価格路線に真っ向勝負する構えを示し、インサイトの発売前には新型プリウスも最廉価グレードを200万円程度まで値下げするというコメントを出していました(非公式な情報ならデトロイトショーでの発表直後くらいには流れていました)。

プリウスはモデル末期ながら昨年1年間(1~12月期)の車種別新車登録台数(軽自動車を除く)で5位にランクされましたが、新型が発表された直後から当然のように買い控えが始まったと見るべきでしょう。現行モデルの納車待ちをしていた人の中にはキャンセルし、新型の商談に切り替えた人もいたかも知れません。また、メーカーも新型への切り替えで現行の生産調整に入った可能性もあります。

具体的な推移を見てみますと、昨年12月(単月)では6,047台で3位までランキングを上げていたプリウスですが、1月には5,730台で5位に下げ、2月には4,524台で12位まで下げ、3月は期末ということもあって5,997台に増えていますが、ランキングは13位に下げ、4月には1,952台に落ち込んで21位に下げています(といいますか、新型の発売直前でそのテレビCMもガンガン流れていましたから、恐らく数ヶ月の納車待ちの間に契約をキャンセルせず、間もなく旧型になる2代目を律儀に買った人が2000人近くいたと見ることもできるでしょう)。

一方、2月に4,906台でいきなり10位にランクされたインサイトですが、本来台数が伸びるべき3月には何故か4,088台に減って21位にとどまりました。これは上記のように5,997台で13位だったプリウスを下回る結果です。そして、4月に入ると一気に10,481台を登録し、フィットをも抜き去って国内トップ(軽自動車を除く)に躍り出たという格好です。

これは、期末の追い込みを経てその反動で台数が落ち込む4月を睨み、3月の供給を意図的に絞って翌月に繰り越し、海外向けも絞って国内に振り向け、一気にトップをさらってメディアの注目を浴びることを狙ったホンダの策略だったような気がします。実際、3月のトップだったフィットは15,997台、2位だったヴィッツは12,854台でしたが、4月に入るとフィットは9,443台、ヴィッツは6,706台へ大きく落ち込んでいます。もちろん、こうした傾向は殆どの車種で見られるものです。

主要車種の登録台数推移
主要車種の登録台数
最近6ヶ月の主要車種の動きをピックアップし
エクセルでグラフに纏めてみました。
インサイト以外は全て3月に上昇し、
4月はその反動で下降しています。
こうしてみますと、インサイトの動きが
如何に不自然か解りますね。
(出典:社団法人日本自動車販売協会連合会)


4月に車種別登録台数でトップに立ったインサイトは、案の定メディアの話題をさらいました。が、これはホンダの策略にメディアがまんまと乗せられただけのような気がします。インサイトの供給能力はこれが発売されている日米欧トータルで年間20万台とされていますから、仮にその1/3を日本国内向けに確保しても月5,555台が限度です(当初の国内販売目標が月5,000台でしたから、このセンは当たらずとも遠からずでしょう)。

こうしてみますと、4月にいきなり1万台供給できたのは、やはり話題づくりのためではないかと疑われます。2月の発売からわずか2ヶ月で生産ラインを倍増させるなど、あのトヨタだって不可能でしょう。3月の国内供給と4月の海外供給を絞ったから可能だった1万台と見るべきで、インサイトがトップに君臨していられるのは4月だけの「1ヶ月天下」だと私は見ています。(あくまでも個人的な憶測です。)

さて、買い控えに回った人たちが待望している新型プリウスですが、その発売は来週月曜日(5月18日)になります。驚くべきことに受注台数が発売前日で8万台に達する見込みだそうです。インサイトは発売前の予約が約5000台でしたから、プリウスはその16倍に達するというわけですね。このことからもインサイトがプリウスを抜いたというのは一時的で表面的なことに過ぎず、プリウスの購入希望者が新型の発売待ちに回っていただけだったという現実が浮き彫りになります。

インサイトとは比べものにならない圧倒的な支持を受けている新型プリウスですが、その正式な受注開始は先月からだったようで、先月のトヨタの国内総受注台数約12万9000台の半数近くがプリウスだったとのことです。しかも、このプリウス1車種の国内受注台数だけで日産の国内総受注台数を上回ってしまったという恐るべき状況になっています。

ネックとなるのはやはり供給体制で、従来の20%増となる月産5万台に拡大されているそうですが、同時期に欧米での発売も予定されているだけに、日本国内の割り当て台数にも限度があります。また、発売になってディーラーに試乗車が置かれるようになれば、さらに受注が伸びてバックオーダーが拡大するのは必至でしょう。

インサイトの場合は発売後1ヶ月で3倍くらいにバックオーダーが膨れ上がりました。が、プリウスはハイブリッドカーの元祖として既に確固たる評価を得ていますから、インサイトに比べれば試乗なしに契約する不安は小さいでしょう。インサイトと単純に比較はできないかも知れません。

ただ、仮に受注台数が現在の数倍に跳ね上がったとしたら、生産ラインを倍増させるとか、よほどの増産体制に入らなければ、いきなり半年あるいはそれ以上の納車待ちを強いられることになるかも知れません。もしそうなれば、早く欲しいと思う向きにその筋の業者がプレミア付で販売するようになるでしょう。実際、2代目も当初半年待ちとなっていたとき、アメリカではそういう動きがありました。この8万台という凄い受注台数の中には、それを見越した業者の先物買いが入っているかも知れません。

新型プリウスの生産はとっくに始まっていますから、今年中の総生産台数は50万台に達する見込みだといいます。昨年(1~12月期)のカローラの生産台数が約53万6000台で、今年はこれより減少する可能性が低くないと見られます。ということは、いよいよプリウスがトヨタの最多生産車種に躍り出ることになるかも知れません。

また、上記のようにプリウスは現状でも月産5万台(年産60万台)体制となっており、インサイトの3倍に及ぶ供給力があります。4月のインサイトのように小細工(という確証はありませんが)をしなくても、昨年(1~12月期)174,910台(月平均約14,600台)登録したフィットと本気のトップ争い(軽自動車を除く)を展開することは充分に可能だと思います。

(つづく)

高速道路の値下げは逆モーダルシフトを引き起こした (その2)

ご存じのように、今年の大型連休は高速道路の利用者が増加しました。高速道路会社の集計によりますと、前年比で16.5%増となったそうです。昨年はガソリン価格が高騰していましたが、それでも平成19年比で1.2%しか減少していませんでした。ですから、今回の高速道路料金引き下げ効果は決して小さくなかったと見るべきでしょう。

逆に鉄道の利用者は前年比で約7%減とのことですから、この全てとはいえないまでも、かなりの人が自動車へ流れたと見て間違いないと思います。要するに、逆モーダルシフトとなってしまったわけですね。

ゴールデンウィークの曜日配列
一昨年は5月1日と2日を休業して9連休となるケースも
少なくなかったと思いますが、昨年も今年も前半が分散し、
旅客の移動には好条件と言い難かったかも知れません。
が、今年は後半が5連休となるケースが多かったでしょうから、
昨年よりはマシだったと言えるかも知れません。
それでも鉄道の利用者は減少してしまいました。


こうした人の流れの変化から高速道路のパーキングエリアなどでは売上を大幅に伸ばし、郊外型のショッピングモールも堅調だったといいます。金子国交相は「それなりの経済効果はあった」という見解を示していますが、駅の売店など鉄道に付随する商業施設は売上を落としているハズですから、それを差し引くとどの程度の効果があったのか不明瞭と言わざるを得ません。少なくとも、CO2排出量の削減という部分においては完全に逆行してしまったのは間違いないでしょう。

以前取り上げましたように、国交省のメールマガジンは高速道路の平日3割引が効いてCO2排出量の削減になるとする稚拙な読みをしていました。ま、本気でそう考えているのか、単なる方便なのかは解りませんが。いずれにしても、そもそもは「自動車の利用を促進する」という政策なのですから、こうした結果に至るのは当然のことです。

民主党のマニフェスト(←リンク先はPDFです)も「高速道路は、一部大都市を除いて無料とします」と謳う一方、「京都議定書の温室効果ガス6%削減の達成はもちろん、中期的には2020年までに1990年比20%、長期的には2050年よりも早い時期に50%の温室効果ガス排出量の削減をめざします。その際、人為的排出の削減を優先します」と謳っており、相反する要素を並べるという愚を犯しています。ついでにいうなら、1990年というのはEU諸国が強硬に主張する彼等にとって都合の良い基準年ですが(詳しくはコチラ)、民主党はその基準を何の疑いもなく採用している時点で彼等の術中にはまっているというべきかも知れません。

交通手段別旅客輸送量の国際比較
交通手段別旅客輸送量の国際比較
これは人口比ではなくグロスでの比較ですから、
人口が日本の半分ほどでしかないヨーロッパ各国と大差なく
また、エネルギー効率に優れた鉄道輸送の占める割合が大きい日本が
如何に少ないエネルギーで遣り繰りしているかが解ります。
大風呂敷を広げるばかりのEU諸国をイメージだけで崇拝するのは
いい加減にやめるべきです。


メディアも高速道路の値下げはCO2排出量削減に逆行するという点は認識しているようで、5月11日の毎日新聞の社説にもそうした点は触れられています。が、「今年は9月にも5連休がある。連休前後にも割引を行うなど、渋滞を緩和するための方策を検討してもらいたい。」などと本質が理解できておらず、かなり頓珍漢なことが書かれています。

各高速道路会社では先の大型連休で起こった渋滞原因の多くが事故によるものと分析していますから、交通集中の緩和だけで渋滞が防げるとは限りません。それ以前に、連休前後も割り引いたところで、本当に分散させることができるでしょうか? 既に仕事をリタイヤした高齢者や個別に仕事や学校を休む人は喜んで利用するでしょうが、そうした人たちが占める割合など全体から見れば微々たるものです。こんな現実を無視した発想で分散利用が進み、渋滞を緩和できると考えるのは、全く以て浅はかとしか言いようがありません。

また、この毎日新聞の社説は渋滞が起ったことがCO2の排出増加に繋がり、時代に逆行したとしか読めない点も問題です。仮に渋滞が起こらなかったとしても、鉄道による移動でも良いと考えている人を自動車に引き込むのは逆モーダルシフトとなり、やはりCO2排出削減に逆行するという考え方ができていないようです。こうした初歩的なことも理解できていない、ツッコミどころ満載の社説を載せるのは恥をさらすだけだと思うんですけどねぇ。

ま、私もクルマをよく利用しており、プリウスに買い替えたといってもその燃費の良さから走行距離は以前より格段に増えています。特に昨年の秋に左膝を痛めてからスポーツやレジャーとして自転車に乗る機会が減り、普段の足としても以前なら自転車を使っていたような距離をクルマにすることも増え、私個人も逆モーダルシフト状態になっていると認めざるを得ません。

私はレジ袋の利用を控えたり、ハイブリッドカーに乗っていたり、世間一般のイメージではCO2の排出を抑えるエコなライフスタイルと見られているかも知れません。が、そのイメージが根本的に間違っています。本質を捉えれば、私のライフスタイルは全くエコではありません。

ということで、私も偉そうなことを言える立場でないのは重々承知しています。それだけに先日の朝日新聞の社説にもみられるような、ハイブリッドカーに乗っている人は「環境指向」とする認識は、私にとって心外なことです。あえていうなら、偽善的なエコミーハーと同列に見られることに嫌悪すら感じます。

政治家や官僚やメディアなどの多くは物事を深く理解していないのか、理解していながら安易にダブルスタンダードを許容しているのか、いずれにしても環境問題に関して支離滅裂な主張を繰り返しています。ここで取り上げたようにクルマの利用を拡大するような高速道路料金の値下げ政策を示しながら、一方ではCO2排出量の削減を唱えるこの分裂状態を看過すべきではありません。私のように非を認めてしまえば、偽善とは言えなくなるだけマシだと考えるべきなのです。

エコカー(何処まで本当にエコなのか解りませんが)に対する減税は、あの偽善的なトヨタの「エコ替え」を国策的に推進するものです。明日から始まる(未定だらけで訳のわからない)家電のエコポイント制度も全く同様ですが、要するに「エコ」という聞こえの良い言葉を使って国内の個人消費を掘り起こすのが本当の狙いで、自動車や家電製品を生産する際に生じる環境負荷を無視した似非エコロジーであるという現実にやっている本人達が何処まで気付いているのかが問題です。

私の周囲にも「最近はあまり乗らなくなったのでクルマを手放そうか?」と考えている人はいます。カーシェアリングというシステムはこうした人たちに支持されて急拡大しているのは前回触れたとおりです。こうしたクルマを手放そうとしている人たちに対して、例えば、これまで支払ってきた税金を還付し、それを促す政策を展開したほうが、代替を促すより遙かに「環境指向」であるのは間違いありません。

本当に環境のことを考えてクルマを手放す決心をした人たちには何一つメリットがない政策を「環境指向」などと有り難がる人は、世の中の仕組みを理解していない己の無知を恥じるべきです。プリウスのようなクルマを持つ私のような人間より、クルマを持たない人のほうが遙かにエコなライフスタイルであるという事実を正しく認識しなければ、いつまで経ってもイメージ先行の似非エコブームから抜け出すことはできません。

高速道路の値下げは逆モーダルシフトを引き起こした (その1)

貨物の輸送手段は大きく分けて陸運と海運と空輸の3つがあります。日本国内の貨物輸送量(重量×輸送距離)で空輸の占める割合は1%にも満たないため、中心は陸運と海運になります。このうち海運は40%弱、残りの60%強が陸運になりますが、陸運の90%以上をトラック輸送が担っています。要するに、日本国内の貨物輸送は60%弱がトラック輸送、40%弱が船舶輸送、残りの数%が鉄道輸送、コンマ数%が航空輸送ということです。

トラック輸送がこれだけのシェアを握っているのはその柔軟性にあると見て良いでしょう。特に日本ではトヨタのカンバン方式に代表される「ジャスト・イン・タイム」の要求がコンビニの商品配送から個人向け宅配便の時間帯指定サービスに至るまで広く深く浸透しています。こうしたことから、運行の時間や経路などでフレキシブルに対応できるトラック輸送が強みを握ってきたといったところでしょう。

一方で、トラック輸送も「ハブ&スポーク」という考え方が導入されており、ターミナル間の集約的な輸送を大型トラックが担い、その先の細かい配送を小型トラックが担うといった合理化も進められてきました。そうした管理体制が充実してくると、ターミナル間輸送をエネルギー効率が高く、渋滞の影響を受けない鉄道輸送に置き換えてはどうかという考え方も生まれてきます。

もっとも、現実問題として鉄道貨物は路線もターミナルも旅客輸送ほど充実しておらず、また運行本数にも限りがあることなどから、まだまだトラック輸送に取って代わるだけの実力が備わっているとは言い難い状況です。が、同じくエネルギー効率の高い船舶輸送と共に鉄道輸送を見直す動きは強まっていて、「モーダルシフト」という言葉も以前より耳にする頻度が高まってきました。先日のNHK『週刊こどもニュース』でも海運が取り上げられ、この「モーダルシフト」という言葉が使われていました(エコという部分の認識に錯誤があったのはいつものことですが)。

この「モーダルシフト」は「輸送手段の転換」といった意味になりますが、専らエネルギー効率の低い自動車や航空機から効率の高い船舶や鉄道へ転換することを示します。例えば、国土交通省の調査によりますと、鉄道で1トンの貨物を1km運ぶのに消費するエネルギーは494キロジュールとなり、これはトラックの1/5程度とされています。こうしたことから、低炭素社会への移行(これで地球の気候変動を防げると考えるのは誤りだと思いますが、化石燃料の依存を抑える一方策と考えれば一概に悪とはいえないでしょう)が叫ばれる今日にあって、以前よりさらにクローズアップされてきたわけですね。

一方、日本国内の旅客輸送量(人数×輸送距離)も自動車が他を圧倒するシェアを握っています。

旅客輸送の分担率
国内の旅客輸送の輸送機関別分担率
注釈にありますように、1990年まで軽自動車と自家用貨物車は
カウントされていなかったということを考慮しますと、
ここ30年くらいは自動車と鉄道の分担率に関しては
大きな変化はなかったと見るべきかも知れません。


上図は4年前までのデータですから、新車の販売台数が落ち込んでいる最近の動向は把握できません。もっとも、メディアは新車販売台数の減少と若者のクルマ離れについて大騒ぎしていますが、以前にも述べましたように代替サイクルが伸びていることと、若年ユーザーの縮小を上回る高齢ユーザーの拡大などから、国内の乗用車の保有台数そのものは現在も微増を続けています。

日本の乗用車保有台数

乗用車の保有台数が減少していない以上はその利用率が増減することで他の交通機関(といっても日常的に競合するのは専ら鉄道でしょう)との分担率が微妙に変化するカタチになると考えられます。ここに影響を及ぼすのは専ら景気動向や燃料価格などの変動によるのだと思います。もちろん、高速道路料金の影響も決して小さなものではないでしょう。

特にクルマを持たず、レンタカーを利用している人たちはこうしたコストの変動に敏感で、かなり流動的に振る舞うものと想像されます。近年ではこうした人たちを取り込んだカーシェアリングが物凄い勢いで拡大していますから、この層は旅客輸送分担率の変動にかなり大きな影響を与えていくことになるような気がします。

カーシェアリング車両台数と会員数
日本のカーシェアリングの車両台数と会員数
ご覧のようにここ数年で4~5倍増という
物凄い増加率で推移しています。


貨物輸送においては随分前から言われ続けてきたモーダルシフトですが、旅客輸送については鉄道会社(特に東海道新幹線を運行しているJR東海)を除いてモーダルシフトを積極的に唱える人たちは案外多くない印象です。特に大衆メディアは若者のクルマ離れで不要な乗用車の保有が減少しようとしている状態を喜ぶべきこととは捉えておらず、むしろ経済面を憂慮してこれを嘆くような論調が目に付く印象です。

確かに、自動車産業は日本の基幹産業であり、波及する分野は機械工業だけにとどまらず、エレクトロニクスやケミカルなど、裾野は広範囲に渡っています。さらに、損害保険やローン、リースといった金融面でも自動車は無視できない大きな存在です。ですから、クルマが売れなくなることによる経済的なダメージは決して小さくないでしょう。

しかしながら、「経済成長と環境保護は両立できるもので、経済成長を言い訳に環境保護の手を緩めてはならない」というのが大衆メディアの(特に朝日新聞や日経新聞などリベラル系の)常套句になっています。これを正論として貫こうと思うのなら、自動車の保有台数が減ってもそれに耐え得る経済社会の構築を望むのが筋というものです。

例えば、彼等はあの胡散臭い「グリーン・ニューディール」とやらが有効なものだと言い張っているわけですから、自動車産業のように環境負荷を生むだけのものなど擁護せず、自然エネルギー開発などに全力を注ぐよう望むべきでしょう。そして、風や太陽の光で作った電気を利用した鉄道にモーダルシフトすることを促し、自動車の保有や利用そのものを減らしていくことを推奨すべきです。彼等の抱いている理想が幻想ではないという前提でのハナシですが。

しかし、彼等はライフサイクル全般の環境負荷を無視して燃費の良いクルマに買い替えれば環境負荷を抑えられるなどいう根拠を逸した偽善的なトヨタの「エコ替え」の片棒を担ぐような立場です。先日取り上げた朝日新聞の社説もまさにそうしたインチキな概念で書かれています。

ま、彼等にしてみれば自動車メーカーは大切な大切な大口の広告主様ですから、その提灯持ちのような論調になるのは世の中の力関係として当然ではありますけど。そういう立場でいい加減なイメージ先行の環境論を唱えるから、勢い偽善めいて胡散臭くなるのです。

(つづく)

67アルテは79デュラと完全互換ではない?

シマノのサイトでも既に正式発表されている6700系アルテグラ(以下67アルテ)ですが、その互換性についてはまだ諸説が飛び交っていてハッキリしていません。ただ、色々調べていましたら、シマノの技術資料が取り纏められているtechdocs.shimano.comには既に取説や展開図などもアップロードされており(全て出そろったわけではありませんが)、断片的ながら正確な情報も解ってきました。

リヤに関しては7900系デュラエース(以下79デュラ)も旧モデルと互換性がありますから、キーとなるのはフロントの互換性ですね。そこでクランクセット・FC-6700の取説(←リンク先はPDFです。以下も取説のリンク先は全てPDFになります)を参照してみました。スペックシートを抜粋してみますと、以下の通りになっています。

FC-6700の仕様

ご覧のように、適応チェーンがトリプルに関しては旧モデル互換となりますが、ダブルはコンパクトクランクも含めてCN-7900とCN-6700が並記されており、駆動系は79デュラと互換性があることが解ります。

一方、デュアルコントロールレバー・ST-6700の取説にはブレーキについて書かれています。BR-6700はST-6700もしくはST-6703(フロントトリプル用)、BLTT-79(79デュラのTTハンドル用ブレーキレバー)を用い、旧モデルは使用しないようにとなっています。ということで、ブレーキとブレーキレバーの関係も79デュラ互換であるのは間違いありません。

さて、問題となる変速系の互換性ですが、これに関しては明確な記載がありませんでした。ST-6700の取説には79デュラとのチャンポンについて何も触れられていませんが、それは66アルテ/78デュラの時もおなじでした。しかしながら、フロントディレイラー・FD-6700の取説を見ますと、ケーブル張り調整の項に「トリム操作を行います。(ST-6700)」とありました。

FD-6700ケーブル張り調整

ご存じのように79デュラは「トリム操作不要」が売りの一つになっていますから、この点が異なるわけですね。これはチェーンガイドなどディレイラー側の構造的な問題なのか、アウターとインナー各々のチェーンリングの間隔などクランク側の構造的な問題なのか、本当は問題などないけれどもビジネス上の都合で互換性がないことにしておこうとしているのか、その辺りの判断は非常に難しいところです。

ただ、67アルテを79デュラと同じようにトリム操作不要としなかったのは、コストダウンのためのスペックダウンか、79デュラを別格にすることでブランド価値を引き上げようとしているのではないかと想像されます。いずれにしても、67アルテと79デュラは殆どの部分で互換性があるものの、フロントの変速系については構造が異なっています。この点については互換性がない可能性も拭えなくなり、両者が完全互換ではないとする噂も間違いではなさそうな気がしてきました。

ま、シマノが保証していなくても実際には使えてしまうということもあり得ることですけどね。

(ご注意)上記はあくまでも断片的な情報に基づくもので、内容の正確さについては一切保証できません。悪しからず。

追記:シマノから正式に互換性が発表されていますので、詳細はコチラでご確認ください。

アルコールが覚醒剤のように効く人たち

以前にも取り上げたように朝日新聞は大相撲界で大麻汚染が問題になった折に以下のような莫迦げた社説を掲載しました。

 大麻などの薬物は、何かを達成したときに脳の中で満足感を生じる「報酬系」と呼ばれる部分に作用すると考えられている。いわば生きる活力を生む源泉に働いて、依存や異常を引き起こすのが違法薬物のこわさだ。

 身体への害が大きいたばこやアルコールと、単純に比較はできない。それぞれ、質の違う健康への脅威と考えるべきだ。


これを普通に読むと「アルコールは身体への害が大きく、精神的な依存や異常を引き起こす違法ドラッグとは違う」としか理解しようがありません。しかし、昨日のエントリで触れたデビッド・ハッセルホフ氏の事例を見ても、依存症という心の病においてアルコールと他の薬物とを区別する意味などないことが解ります。朝日新聞のような浅薄な認識がアルコール依存症に対する誤解を生み、偏見を広げるのです。

先月26日、フジテレビで放送された『エチカの鏡』という番組に漫画家の西原理恵子氏が出演していました。自殺した父親のことも語られていましたが、中心となったのは戦場カメラマンでアルコール依存症だったご主人、鴨志田穣氏との半生を綴った内容で、彼女はこのようなことを語っていました。

「アルコール依存症は本人が怠けているわけではなく、れっきとした病気。アルコールが人によっては覚醒剤のように効いてしまう」

彼女はこの番組の中で何度も「人によってアルコールは覚醒剤と同じ」との旨を唱え、アルコールの危険性を甘く見てはいけないことを重ねて述べていました。この病は本人がなかなか自覚を持てないゆえ、本人の意志だけで克服することは殆ど不可能だといいます。専門の医療機関に入るか、専門医の指導を受けながら家族の協力を得ながら、完全にアルコールを断って生涯それと決別しなければ何度でも同じことを繰り返してしまうそうです。

アルコールは違法ドラッグと違ってコンビニや駅の売店、街角の自販機でも簡単に入手できます。普通に生活していても仕事の打ち上げや冠婚葬祭など、振る舞われる機会が少なからず巡ってきます。しかし、一度アルコール依存症から立ち直った人でも再びアルコールを口にするとかなりの確率で元の木阿弥になってしまうといいます。つまり、生涯戦い続けなければならない病ということですが、違法ドラッグよりもずっと身近に沢山の誘惑が存在する分だけアルコール依存症の克服は難しいといえるかも知れません。

家族と共にこの難しい病と闘っている人がどれだけいるのか、その具体的な数字は解りませんでした。日本国内のアルコール依存症患者はWHOの算出方法で約230万人と推計されています(久里浜式アルコール症スクリーニングテストによる推計では427万人とされています)が、重度の依存症の割合がどれくらいかとか、詳しいデータには行き当たりませんでした。本人はもちろん、共に闘っている家族を含めれば、その数が決して少なくないのは確かだと思います。西原氏のあの言葉はこうした多くの人たちを代表する非常に重みのあるものだと感じました。

朝日新聞のあの愚かな社説は違法ドラッグを許さない意思を強調したかっただけなのかも知れません。そのためにアルコールなどの合法ドラッグと明確な線を引きたいと思ったのでしょう。しかし、それを書いた論説委員は一度依存症になってしまえばアルコールも違法ドラッグも全く同じものだという実態を知りませんでした。結果、こうした病と闘っている人たちの苦悩を踏みにじる社説になってしまったのです。

公称では毎日800万部を発行しているという大新聞の社説がこのような無知で罪深い内容になっているのは憂うべきことです。

悪夢の一週間

経営再建に向けて合理化を進めているGMですが、ご存じのように同社のブランドの一つである「ポンティアック」の廃止が決定しました。私はポンティアックのクルマそのものが好きというわけでもありませんが、映画『トランザム7000』とかTVドラマ『ナイトライダー』などファイヤーバード・トランザムが活躍した物語を見て育ちましたので(トランザム7000のほうは殆ど覚えていませんが)、少なからぬ思い入れがありました。

特に『ナイトライダー』に登場した漆黒のトランザム「ナイト2000」は何故か理由は解りませんが好きでしたね。あの出来過ぎた人工知能は荒唐無稽と知りつつ、フロントの赤いフラッシャーランプもアメコミチックなわざとらしい演出と知りつつ、ストーリーそのものもかなりベタではありましたが、それでも何故か惹かれました。


ナイトライダー
撮影用に制作されたナイト2000は全部で4台存在していたそうで、
そのうち3台は制作総指揮を務めたグレン・A・ラーソン氏に贈呈され、
そのうち1台がカリフォルニア州ダブリンのカサビアン・モーターズから
約15万ドルで売りに出されたといいます。


アオシマからプラモデルも発売されていましたが、私はエレキットかどこかのフラッシャー回路と極小のLEDを組み合わせ、チョロQを改造してそれを再現したことがあります。さすがにあの小さなボディの中に回路の内蔵は無理でしたので、入手可能な最小のLEDと8Pコネクタだけ埋め込み、展示台を設けてその中に回路と電池を仕込み、そこに載せている時だけフラッシャーが点灯、コネクタを外して展示台から下ろせば普通のチョロQと同じように遊べるという方式にしました。

LEDを点滅させる回路はちゃんと左右に往復する点灯順序が再現されていましたが、残光はありませんでした。LEDは規定電圧未満になるとパッタリと光らなくなりますから、コンデンサを付けても白熱球のように尾を引くような残光を再現することはできなかったでしょう。また、本物より2つ少ない6つのLEDしかコントロールできませんでした。もっとも、改造対象はチョロQでスペースは限られていましたから、6つで丁度良かったのですけど。

Wikipediaの「ナイト2000」の項には「近年ではトランザムをナイト2000にカスタムする為のパーツを販売するメーカーも登場している。」とありますが、実際、そうしたカスタムパーツでナイト2000化したトランザムを都内で何度か目撃したことがあります。ま、それだけあのナイト2000は男子のハートに突き刺さるものがあったのでしょう。

私にはこうした思い入れがありましたから、4月27日に発表された「ポンティアック廃止」は非常に残念なニュースでした。また、その週末の5月2日には『ナイトライダー』の主役を務めたデビッド・ハッセルホフ氏がアルコール中毒による意識不明の重体で病院へかつぎ込まれたというニュースも入ってきました。

彼は2002年頃からアルコール依存症の治療を始めていたそうですが、この数年で少なくとも10回はアルコール中毒で病院へ搬送されていたといいます。今回もロサンゼルスの自宅で倒れているところを娘さんが発見し、救急車で運ばれたものの、病院に到着したときには殆ど自発呼吸ができない状態だったとのことです。

先週は『ナイトライダー』ファンにとって悪夢のような一週間になってしまいました。

朝日新聞も原発活用へ転身

最近は読売新聞も真っ青というくらい右に傾いている産経新聞は随分前から「地球温暖化対策として原発を推進すべし」といった主旨を声高に唱えてきました。かつては殆どの国内メディアが原発に批判的だったことを思えば、地球温暖化問題の影響力はやはり凄まじいものがあります。それでもリベラルなメディアは原発について反対や慎重論を根強く唱え続けていました。が、ここに来て朝日新聞もついに転身したようです。

原発と温暖化―安全に、うまく使いたい

(前略)

 原発稼働率が落ちることで不足する電力は主に火力発電で補われるため、二酸化炭素(CO2)の排出が増えてしまう。稼働率の低迷は、地球温暖化の防止の点から問題を抱えている。

 温室効果ガスの削減を先進国に義務づけた京都議定書で、日本は「08~12年度の平均で90年比6%削減」という義務を負っている。それ以降の次期枠組みでは、さらに意欲的な削減目標を国際的に求められるだろう。

 原発は運転の際にCO2をほとんど出さない。さまざまな負の側面を抱えているとはいえ、こうした国際公約を達成するには、少なくとも当面の間は、安全性に配慮しつつ今ある原発を活用せざるをえない。

 今年、原発の定期検査の間隔を、従来の13カ月から最大24カ月にまで広げることに道を開く新たな仕組みができた。政府が安全性を認めた原発に適用される。電力各社の品質管理の努力によっては、諸外国なみの稼働率の実現も可能になる。

(中略)

 だが、そもそも原発の新たな立地が難しいことを考えると、原発にばかり依存していては日本の温暖化対策は進まない。

 社会や産業のグリーン化で温暖化に立ち向かうことを基本にしたい。長い目で見れば、自然エネルギーの拡大やエコカーの普及など、原発に頼らない低炭素化の充実が不可欠だ。

(C)朝日新聞 2009年5月6日


ま、朝日新聞の論旨は産経新聞のようにあからさまな原発推進ではなく、「原発に頼らない低炭素化の充実」に至るまで当面の間、今ある50基あまりの商用原発の稼働率を上げてCO2排出量を削減すべしといったところなのでしょう。が、9年前にドイツ国内の電力4社が19基ある原発を段階的に全廃する方向で政府と合意したとき、朝日新聞は社説でこのようなことを述べていました。

「原発を増やせる時代ではなくなった。ドイツでは、先進国が共通して直面するこの現実を政治が受け止め、新しい道を示した」「日本への新鮮なメッセージである」

要するに、「日本もドイツを見習って脱原発に邁進すべし」ということを暗に唱えていたわけですね。このことを思えば、原発の活用を訴える今回の内容は転身と見て間違いないでしょう。地球温暖化問題を巡って、当初から原発業界の陰謀説は語り草になってきましたが、こうした意識の変化を見れば疑惑の目で見られるのも無理からぬことです。

余談になりますが、日本のメディアはあのドイツでの合意を「脱原発宣言」と受け止めたようですが、あの段階では具体的な全廃時期が示されておらず、安全基準を維持して法律に則っている限り、寿命を全うするまでの操業を保証していました。なので、ドイツ国内のメディアや環境保護団体からはむしろ非難の声が上がっていたといいます。こうした事実関係を彼等は知らず、いつもの曲解で崇拝していたわけですね。

それはともかく、上掲の社説では「原発は運転の際にCO2をほとんど出さない」とし、わざわざ「運転の際」と断りを入れています。つまり、これを書いた論説委員も核燃料の精製や核廃棄物の処理などに莫大なエネルギーが投入されることを知っており、システム全般を考慮すれば相応のCO2が排出されることをちゃんと認識しているわけです。にも関わらず、その部分には一切触れませんでした。地球温暖化問題を巡る欺瞞をこの社説も単純になぞっているということですね。

さらにいえば、原発は基本的に出力調整ができません。また、風力や太陽光発電も自然任せですからコントロールできる範囲が限られますし、発電できない状況も度々巡ってきます。少なくとも太陽光は夜間の発電ができません。冬場の電力需要は日没前後にピークを迎えますから、太陽光発電の比率を高めた場合、このタイミングを別の発電方法で補わなければなりません。しかも、以前から何度か示してきたように電力供給はその需要に見合ったレベルに制御しなければなりません。

電源の組み合わせ

原発に多くを依存するフランスも風力発電でかなりの電力を賄っているデンマークも隣国へ余剰電力を輸出しなければ帳尻が合わないというのが現状です。結局は出力調整が容易な石油火力や天然ガス火力などが調整代(しろ)とならなければ、上手くいかないということですね。自然エネルギー推進派の人たちはそうした一切合切を無視して盲目的に理想のイメージを膨らませているだけで、きちんと現実を見据えているようには見えません。

ところで、同じく昨日の朝日新聞の社説にはこんなことも書かれていました。

エコカー―低価格で普及に弾みを

 ガソリンエンジンとモーターを併用するハイブリッド車が、ガソリン車と同じぐらいに安くなってきた。新しいクルマの世紀がいよいよ開く。

 ホンダが2月に発売した新型「インサイト」(排気量1.3リットル)は189万円だ。トヨタ自動車も対抗して、今月発売の3代目「プリウス」(1.8リットル)では、現行型より30万円近く安い205万円ほどに抑える。

 ハイブリッド車の燃費は軽自動車を上回り、二酸化炭素の排出量を大幅に減らすことができる。

 だが同クラスのガソリン車より数十万円割高で、買うのは環境志向の人に限られていただけに、低価格競争で普及に弾みがつくよう期待したい。

(後略)

(C)朝日新聞 2009年5月6日


何度も繰り返しになって恐縮ですが、ハイブリッドカーは電気モーターを制御するためにインバータなどの半導体を多用した装置を要し、生産時のエネルギー投入が普通のクルマより大きくなる分だけ、イニシャルにかかるCO2排出量が多くなる傾向があります。当blogでも「プリウスのジレンマ」と題したエントリで検討したように、生涯走行距離が短くなるほどアンチエコカーになる可能性が高くなるというわけですね。

朝日新聞はプリウスを買うのは「環境志向の人に限られていた」などといつもの思い込みで断言していますが、LCAで見ればプリウスもエコカーとして胸を張れるほど大したクルマでないことを私は看破しています。それ以前に私はCO2温暖化説にかなり否定的な立場で、「CO2排出量が少なければ環境負荷が小さくエコである」とする考え方は全く信じていません。

そもそも、ここで似非エコという偽善を厳しく批判してきましたが、私自身のライフスタイルは決して環境指向というわけではありません。私がプリウスを買った理由は、その凝ったメカニズムの面白さに惹かれたことと、原油価格の高騰が続いていた昨年、日常的に出て行く燃料代を抑えられるメリットを買ったからです。

私が時々利用する会社のクルマはパッソですが、あれは普通のガソリンエンジンに普通のトルコンATですが、思った以上に燃費が良く、高速なら20km/Lくらい、一般道でも頑張れば17km/L前後はいけます。下手な人が乗るハイブリッドカーにも遜色ないでしょう。ま、プリウスで培った省エネ走法を駆使してのハナシですから、誰でもというわけにはいかないかも知れません。こうした乗り手に依存する部分が大きいのは確かですが、パッソもLCAで見ればプリウスと大差ないかむしろ優れているかも知れません。

しかし、世間一般にはこうしたコンパクトカーも軽自動車もプリウスやインサイトなどのハイブリッドカーには劣ると見られているます。要するにランニングにかかる性能しか評価せず、イニシャルにかかる部分を無視してイメージをだけを膨らませているわけですね。この辺は先ほどの燃料精製や廃棄物処理を無視した原発のハナシと全く同じです。

朝日新聞の社説がいう「環境志向の人」とは、こうした断片で結論を得ようとする極めて短絡的な人たちで、自己満足に浸るだけの似非エコ信望者ということになるでしょう。少なくとも、朝日新聞の論説委員の「環境指向」はそういうレベルでしかありません。

コードレスはやっぱり便利

かつて、電動ドリルはオモチャのような安物を除いて殆どが業務用で、ホームセンターに並んでいるそれもプロユースのものばかりでしたから、私のようなアマチュアは指をくわえて見ているしかありませんでした。それがニッカドバッテリーを搭載したコードレスになると輪をかけて高価になりましたが、ここ十何年かの間にこうした電動工具は劇的に安くなり、いまや有名メーカーのそれも充分にリーズナブルといえる価格帯になりました。

ウチのカーポート脇にある物置にはエアーコンプレッサーを備えており、以前はタイヤのローテーションなどでエアーインパクトレンチを使っていました。が、バッテリー駆動の電動インパクトレンチ(WRCなどのラリーカーに車載されているような高価なものではなく、リョービの比較的安いモデルですので、能力的にはさほど高くありませんが)を入手して以来、コンプレッサーを回す機会がめっきり減りました。

そんなこともあって、タイヤの空気圧を調整するためのエアキャリーに充填する以外に使う機会が殆どなくなり、コンプレッサー本体のタンク容量やモーターの能力が大きくても電力とスペースの無駄だと判断しました。そこで、そのエアーコンプレッサーは自転車イジリをする廊下の脇に移し、クルマ用にはもっと小さなオイルレスコンプレッサーに入れ替えました。

yamada_ATC-99L.jpg
ヤマダ エアキャリー ATC-99L
定価は117,600円(税込)と非常に高価ですが、
某有名ネットオークションで新品未使用が
半額近い安値で出品されていました。
開始時の価格では絶対に落ちないだろうと思い、
落札する気などなく、軽い気持ちで入札したところ、
他に入札者が現れませんでした。
これは出品者がカテゴリーを誤ったと見るべきでしょう。
「自動車、オートバイ > 工具 > タイヤゲージ」なら
もっと高値になって私が落札することもなかったでしょうが、
「住まい、インテリア > 工具、DIY用品 > エアーツール」
のカテゴリーで出品されていました。


このエアキャリーを入手する前も安物の小型サブタンクを使っていました。それ以前はエアーコンプレッサー本体からホースを延ばしていたのですが、長いホースを取り回すのも巻き取って片付けるのも邪魔くさかったゆえ、長いホースを用いなくても済むようにこうしたアイテムを使うようになった次第です。

こうしてコードやホース等の呪縛から解き放たれていくと、昔からコードがあって当たり前というアイテムでもコードレスにならないかと思うようになっていくわけですね。ですから、そうしたアイテムを見つけると半ば衝動的に買ってしまうことがあります。そうして購入してしまった2つのコードレスアイテムがこの連休に活躍してくれました。

この連休は会社のクルマを持ち帰って洗車したり車内に掃除機をかけたり、色々手入れしたのですが、メインの作業はバックカメラの取り付けでした。以前はバックカメラなど必要ないと思っていましたが、昨年買ったプリウスにそれが付いていて、バックで駐車するときなどに非常に便利だということを知り、それに慣れて11ヶ月が過ぎました。

今年の3月に入れ替えになった社用車は経費節減ということでパッソになってしまったのですが、以前からウチの会社のクルマにはバックカメラなど付いていませんでしたから、この代替えで付けてくれとリクエストできるような状況ではありませんでした。

ただ、ディーラーオプションのナビ(最廉価モデルですが、DVD-ROMなので情報量としては不自由ありませんし、当然リバースレンジでバックカメラに切り替わる機能もあります)が付いていますので、社外品の安いカメラとハーネスを買って来てDIYで取り付ければ7000~8000円くらいの出費でバックカメラ付きになります(純正なら部品代だけでもその2~3倍はします)。ということで、そのDIYをこの連休を利用してやることにしたわけです。

正味の作業時間は2時間程度だったと思いますが、電源ケーブルの長さが足りなくて途中で買いに行ったり、ビデオケーブルのピンプラグがナビに繋がるハーネス側もカメラに付属していたそれも両方ともオスだったので、メス-メスの中継プラグが必要になり、それもまた買いに行ったり、そうこうしているうちに日没でサスペンドになってしまったり、段取りが悪くて正味の作業時間の何倍も余計な時間を食ってしまいました。

ま、それはどうでも良いハナシですが、このとき用いたコードレステスターとコードレスハンダごてはどちらも比較的安価なものですが、非常に使い勝手が良く、重宝しました。

電源をシガーライターソケットなどから取るのは私の趣味ではありませんので、ACCのヒューズから取っているのですが、既に別のアイテムのためにその方法で取り出していましたので、コードの途中から電源取り出しコネクターを使って分岐させました。

こうしたとき、ちゃんと通電するかテスターで確認するのがセオリーで、以前はワニグチクリップが付いた検電テスターを使っていました。が、素手でアースが取れるコードレステスターは非常に使い勝手が良く、作業もスムーズに進められました。

コードレステスター
ストレート・コードレスコードテスター
ボディはステンレスになっており、ここを素手で握って
もう一方の手で金属部分に触れるだけで通電が確認できます。
単5電池2本を必要としますが、コードが届く範囲内に
クリップを噛ませられる場所を探さなくて済むのは便利です。


こうして取った電源をカメラに繋ぐわけですが、カメラから出ている電源ケーブルは非常に細く、ギボシを直接噛ませられなかったため、適当な太さのケーブルを介してギボシを付ける必要がありました。もちろん、導線同士を寄り合わせただけではいつ接触不良を起こすか解りませんから、当然ハンダ付けということになりますが、これもコードレスで簡単にクリアしました。

bp645.jpg
ウェラー・電池式コードレスハンダごて BP645
昔からガス式などもありましたが、これは単3電池3本で駆動します。
電池式ということで能力的には全く期待していませんでしたが、
わずか15秒ほどで使用可能な温度に達しますし、
電池の種類にもよるでしょうが48分連続使用可能が謳われています。


ハンダごてといったら「good」ブランドの太陽電機産業ハッコーホーザンなどしか知りませんでした。この「ウェラー」というドイツブランド自体知らず(会社そのものはアメリカのクーパーハンドツールズに買収されているようですが)、業務用など本格的なモデルも手がけているメーカーだということはこれを買った後で知りました。ですから、買うときはあまり期待していなかっただけに、この「ちゃんと使える」性能と機動力の高さ、しかもこの価格ですから、感動的といっても過言ではありません。

ガス式のハンダごてはライター用のブタンガスで対応できるものも少なくありませんが、どうあがいても単3電池ほどの簡便さはないでしょう。特に私はたばこを吸いませんから、ハンダごてのためだけにブタンガスボンベをストックしておくのも面倒です。が、単3電池ならいくらでも用途がありますし、どこのコンビニに行っても(売り切れでない限り)置いていないこともありません。

ということで、今回は作業前に確認を済ませておくべき部分で段取りが悪かったこともあって、貴重な休日の時間を少々無駄にしてしまいました。が、こうした便利なツールにいくらか助けられたところがあります。この種の便利ツールはハズレが多いアイデアツール(というより、アイデア倒れツール?)と紙一重ですが、今回ご紹介した2点はいずれも「大当たり」だったようです。

これだけ騒ぐのにはワケがある? (その2)

今般、インフルエンザにかかる報道が異常に過熱している裏にタミフルを巡る「諸般の都合」が関係しているのかどうか、本当のところは解りません。一方で、これとは別に「リレンザ」の拡販が今回の騒動に繋がるのではないかと考えている人もいるようです。

リレンザはタミフルが登場する以前からインフルエンザウィルスの増殖を抑制する抗ウィルス薬として用いられてきましたが、バイオアベイラビリティ(服用した薬物が全身循環に到達する割合)が約2%と非常に低く、経口投与では対応できないため、吸入投与という方法をとらなければなりません。要するに、ぜんそくの薬などでよくあるパターンの吸入器を用いる方法ですね。タミフルが登場すると、カプセルの経口投与で済むその簡便性が買われ、あっという間にシェアを奪われたという経緯があります。

relenza.jpg
Relenza
タミフルのような経口投与ができないリレンザは
ご覧のような「ディスクへラー」と呼ばれる
独自の吸入器が必要になります。
写真上のブリスターディスクをセットし、
吸入器に設けられた突起で穴を開け
パウダー状の薬剤を吸引します。
扱いが面倒な分だけ後発のタミフルに
アッサリとシェアの大部分を奪われました。


リレンザの発売元はイギリスのグラクソ・スミスクライン社(以下GSK)ですが、同社の主力薬の多くが今年から3年後くらいにかけて特許切れとなるため、そのマーケットをジェネリック医薬品に奪われてしまう危機に直面しています。こうしたことから、GSKはこの4月にファイザー社と抗エイズウィルス薬事業の統合を発表したかと思えば、皮膚薬を専門に手がけるスティーフェル・ラボラトリーズ社を約3500億円で買収することも明らかにし、矢継ぎ早の事業展開が話題になったばかりです。

これらとタイミングを同じくして新型の豚インフルエンザ騒動が始まったということもありますが、これまで何度となく陰謀説のネタとなってきたユダヤ系資本のロスチャイルドがGSKの後ろ盾であることなどから、好事家の間では「WHOを巻き込んで毒性は季節性インフルエンザと大差ない新型ウィルスをパンデミックの危機として騒がせているのではないか?」と疑われているわけですね。ま、個人的には少々強引だと思いますが。

他にも、この豚インフルエンザのワクチンの製造に手を挙げ、ウィルスのサンプルを入手して解析に入った製薬会社の中に、度重なるスキャンダルで悪名高いバクスター社が含まれていたことも物議を醸しています。

同社はHIVに汚染された血液凝固因子製剤(非加熱製剤)で薬害エイズ問題を引き起こしたり、やはりHIVに汚染されたB型肝炎ワクチンを販売したり、人工透析に必要な血液凝固阻止剤の「ヘパリン」を過硫酸化コンドロイチン硫酸で水増ししたことが原因と見られるアレルギー反応で少なくとも81人を死亡させたり、数々の薬害問題を繰り返してきました。

同社は今年に入ってもインフルエンザウィルスで汚染されたワクチンを18カ国に輸出するという不祥事をしでかしています。こうしたこともあって、今回の騒動は「インフルエンザウィルスをバラ撒いてそのワクチンを売る自作自演ではないか?」とする人もいます。ま、彼等が出荷した汚染ワクチンのウィルスはH5N1型で、今回の豚インフルエンザウィルスはH1N1型と全く異なる型ですから、この陰謀説は荒唐無稽と言わざるを得ませんが。

個人的には耐性ウィルスが続々と見つかったことから現在流通しているタミフルを処分したいという思惑が働いたとする考え方はあり得ると思いますが、それ以外の陰謀説はやや発想が飛躍しすぎという印象が拭えません。

また、日本のメディアがロシュ社や中外製薬やラムズフェルド氏から利益を供与されているとも考えにくいですから、日本国内での過剰反応は単にメディア側がこの祭りに便乗しただけではないかと思います。ただし、厚労省と製薬会社は国交省とゼネコンのような太い太いパイプで繋がっているのは皆さんもご存じの通りですから、国策的な煽りが入っている可能性は充分に考えられます。

地球温暖化問題もそうですが、大学教授や国の機関の研究員などが発するコメントもハナシを大きくする方向に引っ張ろうとするのは自然な流れです。彼らにしてみれば脅威が大きければ大きいほど研究費の増額が見込めます。「カネの流れるところに人も流れる」というのは世の常ですから、それなりの発言力を与えられた人たちが大騒ぎし、「危機管理」のために予算がつぎ込まれるようになれば、自然とそちらへコンセンサスも付いてくることになります。

こうして「使える道具」が軌道に乗ると、大勢の人がそれに群がり、便乗しようとします。「危機管理」という題目なら、国を挙げ、国民を巻き込んで進められるものですから、そこには巨大な利権も生まれます。かつての東西冷戦時代は比較的シンプルなミリタリーバランスの問題で済んでいましたが、東側の自滅で終息しました。すると、「テロとの戦い」であったり、「地球温暖化」をはじめとする環境問題であったり、この「新型インフルエンザ」のようなパンデミックの脅威であったり、様々な方向に「危機管理」の題目が拡散していったというのが私の個人的な印象です。

最近10年はちっとも気温が上がらなくなり、各国の思惑もすれ違ったまま収拾がつかなくなりつつあり、地球温暖化問題はボチボチ閉幕となるのかもしれません。もしかしたら、今後の主役となる「脅威」はこうした「パンデミック」が担うことになるのかも知れません。インフルエンザに加えて耐性結核菌や重症急性呼吸器症候群(SARS)、口蹄疫なども頻繁に騒がれるようになったら、その方向へ世界が進み始めたと見るべきでしょう。

(おしまい)

これだけ騒ぐのにはワケがある? (その1)

ここ数日のニュースはメキシコに端を発した豚インフルエンザ関係で埋め尽くされた感があります。今日の5大紙を見ても社説でこれを扱っていないのは産経新聞だけでしたし。メディアは「落ち着いて」とか「冷静に」みたいな言葉を発してパニックに発展しないよう配慮する素振りを見せていますが、実際には最も落ち着きがなく、誰よりも冷静さを欠いているのが当のメディア自身であるところが何とも滑稽です。

NHKなどもこうした言葉をことある毎に発していますが、昨日の『ニュースウオッチ9』などは1時間の放送枠の殆どがこの話題で、他のニュースはその合間に伝えたといった印象でした。もっと視聴者を落ち着かせたいのなら、無用に長い時間を割いてしつこく伝えるのではなく、要点だけを数分に纏めればよいのです。あれだけ大騒ぎするのは、視聴者の不安を煽り、情報を欲する気運を盛り上げることで視聴率が上がることと自分たちの存在感が増すことを目論んでいるのでしょう。(そのほかにも何らかの力が働いている可能性もありそうですが。)

それはともかく、今般の騒動に限らずインフルエンザを巡る政策には様々な黒い噂が流れています。一つは抗ウイルス薬を巡るもので、有名な「タミフル」もその裏には政治的な匂いがプンプン漂っています。

tamiflu.jpg
Tamiflu

タミフルはスイスのロシュ社がライセンス生産しているもの(日本代理店は中外製薬)で、そのライセンスを供与しているのがアメリカのギリアド・サイエンシズ社というバイオテクノロジー企業になります。同社は1997~2001年までラムズフェルド元国防長官が会長を務め、現在でも大株主となっています。タミフルが売れれば売れるほどラムズフェルド氏の資産も増えるという構図になっていますから、政府によるタミフルの備蓄には彼の政治力が少なからぬ影響を与えているのではないかと噂されてきたわけです。

日本が国策的にタミフルを大量備蓄してきたのはご存じの通りですが、その消費量も他国を圧倒しており、全世界で使用されるタミフルの75~80%を日本が占めているという異常な状態になっています。アメリカで使用されるタミフルは日本の1/20程度(アメリカの人口は3億人強ですから、人口比でいえば日本の1/50程度)でしかないことから、「日本はアメリカに利益を捧げているだけでなく、人体実験にも協力しているのではないか?」という人もいるくらいです。

日本では12歳以下の子供に好発する「インフルエンザ脳症」に対してヒステリックに反応したことから、子供に対してもためらわずにタミフルが投与されてきました。嘔吐や下痢といったよく知られる副作用以外の異常、例えば意識障害、皮膚超過敏症、異常行動などの精神病的な症状、あるいは死亡例の殆どが日本での症例で、海外ではあまり報告されていないといいます。こうしたことから「人体実験」というラディカルな表現がなされるのでしょうが、実際のところはこれらの症状とタミフルとの因果関係がハッキリと解明されているわけではありません。

そもそも、このタミフルにはインフルエンザウィルスを撃退する効能などありません。こうした抗ウィルス薬は「ノイラミニダーゼ阻害薬」と呼ばれるもので、感染した細胞からインフルエンザウィルス(A型およびB型)が遊離する際に必要な「ノイラミニダーゼ」という酵素を阻害することによって他の細胞への感染を抑制するだけなんですね。要するに、タミフルを投与しても、インフルエンザウィルスの増殖を抑えるだけで、ウィルスそのものを撃退するのは人間が初めから持っている免疫力によるというわけです。

こうしたことから、タミフルは回復を1~2日ほど早めるだけで大した効果はないという専門家もいます。それに加えて数年前からタミフルに耐性を持つウィルスが続々と見つかってきました。それまで上述のようなノイラミニダーゼを持たないC型インフルエンザウイルスに無効であることは知られていましたが、昨冬流行したAソ連型にもタミフルが効かない耐性ウィルスがかなりの高率(35株中34株)で見つかったといいます。こうしたことから、厚労省はインフルエンザに用いられるもう一つの抗ウィルス薬である「リレンザ」の備蓄を拡大する検討に入っています。

タミフルが効かない耐性ウィルスが世界各国で多数見つかり、世界最大のタミフル消費国である日本ではその対抗馬であるリレンザのシェアが拡大する動きが始まりました。ということは、現在流通しているタミフルの消費にも少なからぬ影響があると見られるわけですね。製造元のロシュ社も必要に応じて「改良したタミフルの製造を行う」としていますから、今般の騒動について「効果が疑われはじめたタミフルの在庫処分が目的なのでは?」といった疑惑が生じるわけです。

製薬会社を巡る様々な問題は薬害エイズのときにも明らかになりました。患者よりも企業の利益が優先されることなど珍しくもありませんし、厚労省がその後ろ盾となっても何ら不思議ではありません。ま、今回の一件は状況証拠も充分とは言い難いところですから、個人的には何とも言えませんが、WHOと各国政府とメディアが執拗に危機を煽るこの異常な状況には「裏に何かあるのではないか?」と勘ぐりたくなるのも人情というものです。

(つづく)

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まとめ

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