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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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Allez! Japonais!

インターマックスの会社案内を見ると、こうあります。

インターマックスは、日本人として初めてツール・ド・フランスに出場した今中大介が、1998年に自転車と関連商品の輸入を業務の中心として発足させた会社です。


同じページにある今中大介氏のプロフィールにはこうあります。

1996年 日本人のプロロードマンとして唯一、ツール・ド・フランスに出場する。


しかし、これが誤りであるのはそれなりにサイクルロードレースを知っている人の間では有名でしょう。

日本人として初めてツール・ド・フランスに出場したのは川室競(かわむろ・きそう)さんという横浜生まれの人物です。彼は兵役を終了すると川崎造船に入社、2年後の1918年(大正7年)に完成した船の引き渡しのためマルセイユへ渡り、そのままフランスに留まりました。エンジニアだった彼はファルマン航空社に入社、1923年(大正12年)に航空機や自動車などのメーカーだったサルムソンへ移り、パリ周辺で開催されていたアマチュア自転車レースに参戦し始めたといいます。

それから3年後、国際自転車競技連盟にプロ資格の申請をし、これが認められると、彼は間もなくプロデビューしました。そして、その年(1926年)のツール・ド・フランスに日本人として初めてエントリーしました。当時はまだ現在と違ってアドベンチャーレースの趣が強く、この年のツールは史上最長となる5745kmで、これを僅か17ステージに割り振っていましたから、1ステージの平均が340km近くにもなっていました。

オービスク峠のリュシアン・ボイセ
オービスク峠を駆け抜けるリュシアン・ボイセ
パヴェ(石畳)を走るツール・デ・フランドルやパリ~ルーベも真っ青
現在なら確実にMTBのコースとなるであろう山道を
当時はロードレーサーで駆け抜けていました。
この年は雪が降り、史上希に見る悪コンディションだった
と伝えられています。


チーム参加が44名、個人参加が82名の計126名だったこの年は、ツール史上初となるパリ以外でのスタートで、ミネラルウォーターで有名なエヴィアンから北上するコースだったといいます。残念ながら、川室選手は第1ステージでリタイヤしたそうですが。

彼は翌1927年(昭和2年)にもツール・ド・フランスに個人参加しますが、やはり第1ステージでリタイヤとなってしまいました。後にトラックレースへ転向すると、誘導用モーターサイクルを追走するドミフォンの選手として活躍したそうです。

川室競
トラック転向後の川室選手

今中大介氏は日本人としてツール・ド・フランスの出場を果たした2人目の選手です。川室選手も既にプロ登録されていましたから、プロロードマンとしても今中選手は2人目です。ま、時代が違うといえば全然違います。ツール・ド・フランスは何度か国別対抗だったこともありますが、プロチームでの対抗戦として定着してからは本当に実力のある選手しかチーム内で選抜されませんから、出場までのハードルが格段に上がったのは確かです。

しかも、今中氏が選手時代に所属していたチーム・ポルティは、シャトーダックスから始まって現在のチーム・ミルラムに通じる一流チームです。典型定期なオールラウンダーでスプリントも得意だったジャンニ・ブーニョ選手をエースとし、史上屈指のスプリンターといえるジャモリディネ・アブドジャパロフ選手も擁するイタリアの強豪チームだったポルティですから、それはもう、このチームのメンバーとしてツールの出場を果たしたというだけで日本人としては大変な快挙です。

ですから、「日本人として初めて」などというウソのプロフィールなど書かなくとも、全く色褪せることのない名誉のハズなんですけどねぇ。

今中選手のツールでの内容はあまり芳しくなく、風邪を引いて体調を崩したり、膝の故障なども重なって第14ステージで残念ながらタイムオーバーのリタイヤとなりました。つまり、いまのところ日本人でツールを完走した人は一人もいないということです。

ブイグテレコムの新城幸也選手に続いて、今日(6月29日)、スキルシマノの別府史之選手もツールの出場が決まりました。彼らはアシスト役の選手となるわけですから、求められるのは完走ではなく、アシストとして良い仕事をすることです。が、やはり日本人である私としては7月26日にシャンゼリゼを疾走している彼らの姿を見たいものです。
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ラルフ・ミラーの功績を無視するトヨタ (その3)

マツダのミラーサイクルエンジンは過給器を用いたり、自然吸気でオットーサイクルに近づけたり、高膨張比サイクルの弱点を克服するために色々手を尽くしてきたようです。が、コスト的に引き合わなかったり、ミラーサイクルである必然性を見出せなかったり、これが成功しているかというと微妙な感じです。

一方、トヨタはプリウスの高度なハイブリッドシステムで電気モーターと組み合わせましたが、この相性が非常に良かったようで、ミラーサイクルエンジンはやっと本来のポテンシャルが発揮できるようになったのではないかというのが私の個人的な感想です。

しかし、トヨタは何を血迷ったのか、このミラーサイクルエンジンを「アトキンソンサイクル」と称しているんですね。当然のことながら前々回でご紹介したようなリンク機構とクランク機構を組み合わせピストンストロークそのものが変化する本来のアトキンソンサイクルの構造にはなっていません。バルブの遅閉じで実質的な吸気・圧縮行程を小さくし、膨張比に対して実効圧縮比を小さくしているだけですから、マツダが先鞭を付けたミラーサイクルそのものです。

1NZ-FXE.jpg
1NZ-FXE型エンジンのカットモデル
この写真は2代目プリウス用のエンジンですが、
ご覧のようにアトキンソンサイクルの
特徴的なリンク機構を設けたものではなく
普通のクランクシャフトしかありません。


広義には「アトキンソンサイクル=高膨張比サイクル」となりますから、当然ミラーサイクルはその一種です。なので、ミラーサイクルを「広義のアトキンソンサイクルだ」といえば間違いではありません。しかし、プリウスに採用されているエンジンの仕組みはミラーサイクルと呼ぶのが常識で、これをアトキンソンサイクルというのは恐らく世界中でトヨタだけでしょう。

この辺はもはや良識の問題になってくるでしょう。私はミラーサイクルというべきエンジンをアトキンソンサイクルと称すれば混乱を招くだけだろうと思いましたが、実際にネットで一般の方が書いている記事などを見てもそうした傾向が見られます。例えば、Wikipediaの「ガソリンエンジン」の項を見ますと、

一時期日本のマツダがリショルム・コンプレッサと組み合わせたミラーサイクル機関を量産していた。 トヨタのハイブリッドカーであるプリウスのエンジンはアトキンソンサイクル機関である。


と書かれています。これは両者を違うものと受け止めているのか、プリウスに採用されたエンジンが狭義のアトキンソンサイクル(クランクにリンク機構を組み合わせたオリジナルのアトキンソンサイクル←このようにいちいち説明しなければならないのですから、ミラーサイクルをアトキンソンサイクルと称することがいかに罪作りなことかトヨタは知るべきです)と勘違いしているのか、いずれにしても正しく理解されていない様子を窺わせるものだと思います。

恐らく、トヨタとしては「ミラーサイクル」という言葉を使って「マツダの後追い」というイメージで見られるのを嫌ったのでしょう。これは先日当blogで批判したホンダの福井社長の「ディーゼルという言葉を使わない方が良いかも」という発想と全く同じで、ユーザーを莫迦にした言葉遊びと見るべきです。メディアはこうした態度を大いに批判すべきですが、一般メディアはミラーサイクルが何なのか理解していないでしょうし、理解するつもりもないのでしょう。一方、専門メディアにとって自動車メーカーのスポンサーシップは命脈そのものですから、批判などできないのでしょう。

思えば、ABSが普及し始めた時もトヨタは「4-ECS」と称し、ホンダは「4W-ALB」と称し、日産は「4-WAS」と称し、他にも「WSP」だの「アンチスキッドブレーキ」だの「ファインスキッドブレーキ」だの、あたかも独自技術であるかのように各社各様の呼び名が付けられていました。が、結局のところ各社ともボッシュとナブコの合弁会社である日本ABSから部品を調達していたり、ボッシュにパテントの使用料を払っていたり、全然独自じゃなかったというハナシもあります。日本の自動車メーカーの虚栄心というのはこの頃から全く変わっていないということですね。

現実を見れば、ミラーサイクルと言っても大抵の人はピンと来ないでしょう。現に、デミオのテレビCMを見ていてもミラーサイクルエンジンを売りにはしていません。マツダ自身がそれほどのメリットを引き出せていないと自覚しているからかも知れませんが、ミラーサイクルエンジンと言われても何が凄いのか解らない人にわずか15秒ないし30秒のCMでその価値を理解してもらうのは不可能だと悟ったのでしょう。広告代理店もそんな蘊蓄などより戸田恵梨香さんのキレのないダンスのほうがまだ広告効果があると考えたのだと思います。

逆に、ミラーサイクルといっただけでそれが何だか解る人は、本来ミラーサイクルと称すべきエンジンをアトキンソンサイクルなどと称しているトヨタの言葉遊びに幻滅するか、怒りを覚えるか、失笑するか、いずれかになるでしょう(私は失笑しましたが)。

トヨタはミラーサイクルと称すべきこのエンジンをアトキンソンサイクルと称して発明者であるラルフ・ミラーの功績を無視しました。が、この選択はイメージ的にマイナスにはなってもプラスには働かないでしょう。ここはマツダが充分に引き出せなかったミラーサイクルエンジンの特性をトヨタはプリウスの高度なハイブリッドシステムで生かし切ったと胸を張るべきだったのです。

(おしまい)

ラルフ・ミラーの功績を無視するトヨタ (その2)

ユーノス800に搭載されたKJ-ZEM型というエンジンは世界で初めて量産車に採用されたミラーサイクルエンジンでした。企画されたのがバブル期だったとはいえ、実にマツダらしい野心的なアプローチだったと思います。しかしながら、効率をあまり悪化させずにミラーサイクルエンジンの弱点である出力およびトルク特性を補うリショルム式コンプレッサーのスーパーチャージャーがアダとなった印象です。

マツダはこのコンプレッサーをIHIと共同開発したようですが、ローターの形状が比較的単純なルーツ式とは異なり、リショルム式は二つ組み合わされたローターに螺旋状の複雑な曲面加工を要するため、どうしても製造コストがかさんでしまうようなんですね。自動車用としてはメルセデスなどにも採用実績があるようですが、いずれにしても追加コストを吸収しやすい高級車以外での採用は厳しいように思います。

KJ-ZEM.jpg
KJ-ZEM型エンジンのCG
バンク内に見える星形断面と三つ葉型断面のローターが
件のリショルムコンプレッサーです。


このミラーサイクルエンジンを積んだユーノス800は2.3Lで3L並みの動力性能と謳われていましたが、メディアには「価格も3L並み」などと揶揄されたものです。2.3LのV6も3LのV6も部品のサイズなどが違う程度で、工場原価でいえば原材料費に多少の差は生じるかも知れませんが、加工費もアッセンブリーコストも大きな差はつかないでしょう。高価なリショルムコンプレッサーを奢った分だけコスト面で不利になっていたと思います。

ユーザーサイドとしてみれば、3L並みの動力性能で2L並みという燃費の良さに価値を見出せたかも知れませんが、FFの中型セダンにもうワンランク上の車格に匹敵する値段が付いているとなれば、なかなか食指は動かしにくかったと思います。また、メーカーサイドにしてみても、利益率を上げづらく、あまり旨みのない商売だったように思います。結局、後追いもなく、マツダ自身も諦めてしまったのは、双方にとってコストパフォーマンスがあまり良くなかった故でしょう。

現在、デミオの一部に搭載されているZJ-VEM型エンジンもやはりミラーサイクルですが、カタログ値の膨張比は11.0で、ミラーサイクルの本分である高膨張比とは言い難いレベルです。最近のエンジンでは珍しくない可変バルブタイミングが採用されていますから、条件によって吸気バルブを閉じるタイミングが異なっています。資料によりますと、ZJ-VEM型の実効膨張比は10.4、実効圧縮比は走行状況に応じて7.0~9.6になるとのことです。

恐らく、大きなトルクが欲しい低速時はバルブを早めに閉じて実効圧縮比で最大となる9.6にしているのでしょう。圧縮比:膨張比=9.6:10.4ということは、その差わずか0.8ですから、高膨張比であるミラーサイクル本来の特性を薄めてオットーサイクルにかなり近づけていると見ることもできます。こうすることで自然吸気でも実用レベルに仕上がったわけですね。

ZJ-VEM.jpg
ZJ-VEM型エンジンの透視図
吸気バルブの閉じるタイミングが普通より少し遅いだけですから、
見た目は普通の直列4気筒エンジンと全く変わりませんね。
ま、性能もほとんど変わらないようですが。


しかし、オットーサイクルに近づけ過ぎたせいか、このエンジンには熱効率に優れているハズのミラーサイクルである明確なアドバンテージが見当たりません。具体的には、同じデミオに搭載されている1.3Lエンジンでミラーサイクルが23.0km/Lなのに対し、オットーサイクルは21.0km/Lとなっています(いずれも10-15モードです)。

え?ミラーサイクルのほうが優れているじゃないかって?

いえいえ、この両者はトランスミッションが異なっていて、ミラーサイクルのほうには燃費面でも有利なCVTが奢られているのですが、オットーサイクルのほうは旧来のトルコン4速ATなんです。同じトランスミッションで比較できれば、その差は極めて小さかったでしょう。というより、直接比較できないようにトランスミッションの設定を変えたのだと思います(あくまでも個人的な憶測ですが)。

これが発表された当初、私は高速燃費に優れたエンジンに仕上がっているかも知れないと思いました。高速巡航時には低圧縮比になっていると想像されますので、吸気量が抑えられ、ポンピングロスも緩和されていると推測されたためです。しかしながら、専門誌などの比較テストを見てもフィットなど他社のオットーサイクルをリードしていたわけではありませんでした。といいますか、トータルでも高速燃費でもフィットに若干劣っているようで、結局これは何のためのミラーサイクルなのだろうと肩すかしを食った感じでした。

ま、ユーノス800のときのように製造段階で追加コストがかかっているわけでもないでしょうから、マツダとしては開発費以外に失うものなどないのでしょう。頭でっかちな自動車評論家や専門誌の記者などに付加価値だと判断してもらえれば御の字といったところなのかも知れません。ですから、個人的にはこのエンジンを「マイルド・ミラーサイクル」と呼ぶべきではないかと思ったりもします。

それに比べてプリウスのエンジンは膨張比が13.0と非常に大きく取られています。デミオの11.0などオットーサイクルでもハイオク仕様なら珍しくもない値ですが、13.0となるともはやレーシングエンジン並みです。オットーサイクルだったらレギュラーガソリンで無理なく動かせるレベルではないでしょう。同じ自然吸気ながらプリウスのエンジンはデミオのそれより遙かにミラーサイクル本来の素性を保っていると考えられるわけですね。

プリウスもデミオと同じく可変バルブタイミングですから、やはり条件によって吸気バルブを閉じるタイミングが変わります。吸気量も実効圧縮比も条件によって異なっているハズですが、トヨタはこの実効圧縮比を公表していないようです。とはいえ、レギュラーガソリンで動くエンジンですから、常識的に考えれば実効圧縮比が最も高い状態でも10.0程度にとどまるでしょう。

ここから推測しますと、プリウスは先代まで1200ccクラス、新型でも1400ccクラスの吸気で各々1500ccクラスと1800ccクラスの膨張比を得ており、燃焼ガスの圧力をより効率よく利用できるようになっていると考えられるわけです。(吸気量についてはあくまでも推測ですし、吸気バルブを閉じるタイミングによってもう少し小さな値に変化すると思いますが、原理的な解釈は間違いないハズです。)

では、ミラーサイクルにありがちな低速でのトルク不足にはどう対処しているのでしょうか? などと勿体を付けるまでもありませんね。低速は電気モーターが威力を発揮する領域ですから、プリウスはハイブリッドシステムの特性を大いに生かし、この熱効率の良いエンジンのメリットを遺憾なく発揮しているというわけです。

(つづく)

ラルフ・ミラーの功績を無視するトヨタ (その1)

最初は「新型プリウスは弱点の克服に注力されたらしい」というタイトルで書き始めたのですが、余談としてプリウスのエンジンについて述べていたらいつもの悪い癖が出てしまって、本題よりも長くなりそうな勢いになってきました。そこで、とりあえずプリウスのエンジンが普通のエンジンと違うというところを別に纏めることにしました。

プリウスは高速道路の走行で燃費が悪化します。これは当blogでも以前から何度も触れてきましたし、一般にも広く知られていることだと思います。が、あくまでも「一般道の走行時と比べれば」のハナシです。これを取り違えて「プリウスは高速燃費が普通のクルマより悪い」と勘違いしている人も時々いるようです。

私の場合、状況にもよりますが、一般道で頑張って28~30km/Lくらい、少し意識するだけでも26km/L前後はいける(いずれもアイドリングが多くなりがちな冬場は除きます)のに対し、高速道路ではできるだけ大人しく走るといったことくらいしか頑張りようがありませんから、大抵はクルーズコントロールを使って流しているのですが、100km/h巡航で22km/L前後、首都高のように巡航速度が低いところで24km/L前後といったところでしょうか(コチラは渋滞でもない限りエンジンは停止しませんから、冬場でも悪化しません)。

2代目のプリウスの動力性能は常々2Lクラスとされてきましたから、普通の同クラスのクルマではこの領域までなかなか到達できないでしょう。ウチの社有車のパッソ(1000ccのほう)でも条件が良くて21km/Lくらいが良いところですし。これはプリウスの空力特性が優れているという部分もあるでしょう。が、一番効いているのはエンジンが普通のガソリンエンジンとは異なり、より熱効率の高い特殊なものを採用しているからだと思います。

ご存じのように、レシプロの内燃機関は燃料が燃える際の熱によって燃焼ガスが膨張する圧力をピストンで受け、これを動力として取り出します。一般的なガソリンエンジン(以下、オットーサイクル)は吸気・圧縮行程と膨張・排気行程のピストンストロークが等しく、圧縮比=膨張比となっています。充分な膨張比が得られないと燃焼ガスにまだ大きな圧力が残っていてもピストンが下死点に達して排気バルブが開いてしまい、充分にエネルギーを取り出すことができません。

膨張比を大きく取れればより多くの圧力を動力として取り出せますから、効率の改善が期待できます。しかしながら、オットーサイクルでは膨張比を大きくするとその分だけ圧縮比も大きくなってしまいます。圧縮比が大きくなり過ぎるとノッキングを引き起こしてしまいますから、ここが一つの壁になってしまうというわけですね。

そこで、ジェームズ・アトキンソンというイギリス人が1886年に吸気・圧縮行程より膨張・排気行程のピストンストロークを長くしたエンジンを発明しました。このアトキンソンサイクルは、圧縮比を適度に保ちながら、尚かつ大きな膨張比が得られますから、熱効率の改善が期待できるというわけです。

しかし、このアトキンソンサイクルにはデメリットも多く、結局普及しませんでした。最大の理由はピストンストロークを吸気・圧縮と膨張・排気とで変化させるため、クランク機構に加えてリンク機構を組み合わせ、構造が複雑になってしまったせいでしょう。(アトキンソンサイクルの動作はコチラのフラッシュアニメが解りやすくて良いと思います。)

アトキンソンサイクルエンジン

構造が複雑で信頼性の確保がよりシビアになり、高速回転に向かず、コンパクトに作るのが難しい上に部品点数も増えてしまうことから重量もコストもかさんでしまいます。また、オットーサイクルに比べると同クラスの吸気量のエンジンよりは有利でしょうが、同クラスの排気量のエンジンより出力が小さくなってしまうという点もネックになっていたでしょう。

これを改良したのがラルフ・ミラーというアメリカ人で、1947年に彼が発明したミラーサイクルは従来のオットーサイクルと同じ普通のクランク機構そのまま(つまりピストンストロークはそのまま)で、吸気バルブの遅閉じないし早閉じで実質的な吸気・圧縮行程を短くしてやろうというアイデアです。(ミラーサイクルの動作もコチラのフラッシュアニメをご覧頂いたほうが解りやすいでしょう。)

アトキンソンサイクルのようなピストンストロークそのものを変化させるためにリンクとクランクを併用した複雑な機構を必要とせず、単純に吸気バルブのタイミングをチューニングするだけでアトキンソンサイクルと同じ高膨張比が得られるわけですから、これは実にナイスアイデアです。ただ、これも同じ排気量のオットーサイクルより出力が低く、特に低速でのトルクが得にくいようなんですね。自動車用には何らかの策を講じないとそのポテンシャルを生かすことができなかったようです。

マツダはこのミラーサイクルエンジンを1990年代前半にユーノス800で採用しました。量産車として世界初となったそれは、機械式スーパーチャージャーで加給して出力やトルク特性のデメリットが補なわれていたんですね。もっとも、そのスーパーチャージャーも普通のルーツ式などでは効率があまり良くなかったせいか、より効率の良いリショルム式が奢られていました。それがかなりのコスト増につながっていたらしく、結局ビジネス的に上手くいかずに消え去ってしまったわけです。

(つづく)

誠実な科学者は仮説で断言などしない

昨日(6月21日)、NHKでAM10時からPM5時までの7時間を割いて(途中にニュースなどを挟んでいますが)たっぷりと放送していた『SAVE THE FUTURE』という番組ですが、この種の番組は陳腐な温暖化脅威論を一方的に押しつけ、実効性の乏しい似非エコライフを推奨するというのが常です。なので、見る気などさらさらなかったのですが、何となくザッピングしていたら「日本のアル・ゴア」気取りがすっかり板についた江守正多氏(国立環境研究所地球環境研究センター温暖化リスク評価研究室室長)が地球温暖化問題についていつもの脅迫めいたレクチャーをしていたので、冷やかしでそこだけ見ることにしました。

彼はここ何年か地球の平均気温が下降しているという点について触れていましたが、これは小さな波の一つに過ぎず、全体の流れとしては上昇傾向にあるといった旨を説明し、「温暖化が止まったわけではありません」と確実な根拠も示さずに断言していました。このとき彼が使っていたグラフも1960年代以降のもので、1940年代から1970年代にかけて30年くらい気温が下降を続けていた様子が解らないようなデータを切り出していたのが如何にも作為的で、似非科学がよくやるパターンにはまっていましたね。

また、彼はIPCCが第4次評価報告書で示した予測を抜粋して説明していましたが、これを見ていてもマトモな科学者とは思えない発言が印象的でした。

地上昇温の予測
番組で使われていたグラフと全く同じものではありませんが、
内容としてはこれと同等のものが用いられていました。


地球温暖化の脅威を煽るためにメディアに露出するのも彼にとって重要な仕事ですから、彼が番組で使っていたような「最悪のシナリオ」による予測のグラフは気象庁のサイトにある『IPCC第4次評価報告書第1作業部会報告書政策決定者向け要約』(←リンク先はPDFです)にも載っていません。なので、上図は私が別の素材から合成したグラフになります。

彼は上図の青い線が示している「B1シナリオ(持続発展型社会)」によるグラフを指して「1度から2度程度の上昇なら場所によっては良いこともあるかも知れませんが」と述べ、上図の赤い線が示している「A1F1シナリオ(高度成長型社会)」のグラフを指してこう続けました。「これが4度とか6度になったら悪いことしか起こりません。」

科学者という立場にあって誠実な仕事をしている人は、実験などで証明されない限り、つまり仮説の段階において断言は避けるものです。「・・・であると考えられます」とか、「・・・となっていくものと推測されます」といった言い回しをするのが常識なんですね。しかし、彼はこの気候変動が人為的であるとする証明などなされていないにも関わらず、ことごとく断定的な物言いを繰り返していました。

以前、当blogでは『発掘!あるある大事典2』の捏造発覚から番組打ち切りを受けて朝日新聞の科学欄に掲載されたコラムをご紹介しました。このコラムで述べられていた科学哲学者(科学とは何ぞやという主題を掘り下げる専門家)である伊勢田哲治氏(名古屋大学情報科学研究科准教授)の談話の一部を再録します。

「科学と科学でないものの間には大きなグレーゾーンがあって、線を引こうとしても明確な線引きはできない。ただ『典型的な科学』は存在するし、反対に『典型的に科学でないもの』もあります」

――二つを分けるものは何でしょう。

「仮説の内容というよりは、仮説に対する態度が大きなファクターです。大した根拠のない仮説から研究を始める科学者はいます。科学者であれば単なる仮説として扱いますが、疑似科学をやっている人は、根拠がなくても確立しているかのように言い、不利な証拠が出てきても無視します」


江守氏は昨日の番組でも単なるコンピュータシミュレーションの結果でしかない仮説をあたかも事実であるかのように宣伝し、地球の平均気温が気温が4度以上上昇したらどうなるのか、あくまでも推測でしか語ることのできない領域を「悪いことしか起こりません。」と断言していました。これはおよそ真っ当な科学者のとる態度ではありません。

私も当blogで充分と言い難い根拠を示して語ることはよくありますが、その際には「あくまでも個人的な推測です」といった類の但し書きをしつこいくらい付してきました。中には自信がないからそうしているときもありますが、殆どの場合は「確証のないことを断定的に述べるべきではない」と考えているからです。

ま、私は科学者ではありませんし当blogも個人の趣味として完全非営利で運営しているだけですから、そこまで責任を感じる必要もないのでしょう。が、私のような素人でも守っているマナーを江守氏のような影響力のある立場で守れないのは大いに問題です。

科学者という立場でテレビという非常に影響力の大きなメディアを通じ、一般視聴者に向けた解説をするのであれば、断言して良いこととそうでないことをキチンとわきまえなければなりません。自分の支持する説が正しいと確信していても、証明されていないことはあくまでも仮説として扱い、断定的にそれを語ることは許されません。

また、彼は日経Ecolomyのコラム『人為起源CO2温暖化説は「正しい」か?』でこんなことを述べています。

懐疑論の中には科学的な認識が明らかに間違っていたり、不勉強だったり、決め付けだったり、言いがかりだったりする部分も多いものです。

 だからといって僕らがいちいち目くじらを立てて反論すると、一般の市民からは単なる水かけ論に見えてしまい「ああ、やっぱり温暖化はまだよくわかっていなくて、論争状態にあるのだなあ」と思われてしまう危険性があります。相手が間違っているのに五分五分の論争だと思われるとしたら、僕らにとっては反論するだけ損ですよね。だからといって沈黙していると、今度は「専門家は傲慢で、市民に説明しようという姿勢を見せない」といわれてしまうわけです。どうです、難しいでしょう。


もう滅茶苦茶ですね。そもそも、地球温暖化が人為的なのか否か、まだ論争状態であるのが現実です。彼らはIPCC等を中心にコンセンサスが固まっているかような演出をしていますが、科学的な決着などまだまだ全然ついていないのが実態で、本来であれば「ああ、やっぱり温暖化はまだよくわかっていなくて、論争状態にあるのだなあ」と世間一般にも広く認識されていなければならないのです。むしろ、彼らが人為的温暖化説を既成事実化しようとしていることのほうが遙かに危険です。

また、科学的に証明されている事実に対して間違った認識による異論がぶつけられても、議論の余地など一切ありません。「水掛け論」になるという状況は両者ともに科学的な確証が得られていない状態でしか起こり得ません。「相手が間違っているのに五分五分の論争だと思われる」ということは、どちらか一方でも科学的に疑いようのない裏付けがあればあり得ないことです。科学的に誤りのない確固たる裏付けを以て反論し、完全に論破してしまえば、それを見て「水掛け論」だと思ったり、「五分五分の論争」だと思う人など一般市民でもまずいないでしょう。

こうして見れば江守氏は科学者として失格であるのは明らかです。彼は政府が誘導したがっている危機管理の建前をプロパガンダするスポークスマンに過ぎず、科学者を名乗る資格などありません。

この電気自動車ブームはメディアが創作している (その2)

リチウムイオン電池を搭載した電気自動車は12年も前に日産から市販されていましたし、性能的にも大して進歩しているわけではありません。政府や地方自治体、一般社団法人・次世代自動車振興センター(旧・日本自動車研究所電動車両普及センター)などの補助金も金額についてはともかく、支給そのものはいまに始まったことではありません。最近になってにわかに電気自動車が注目され、騒がれているのは、このエコブームに乗ってメディアが創作したシナリオによるものだと見るべきでしょう。

こうしてバイアスがかかりまくっている状態を認識した上で様々な報道を冷静に受け止めると、やはり偏りが実感できます。例えば、三菱のi-MiEV(アイミーブ)は「1kmあたりのコストが1円以下」だとか、「ガソリン車の何分の一で済む」とか、そのテの報道がそうですね。日経トレンディネットの記事には

例えば東京電力の「おとくなナイト10」プランの場合、午後10時から翌朝の午前8時までの電気料金は1kWhあたり9円17銭。i-MiEVのバッテリー容量は16kWhだから、単純計算するなら1充電あたりの電気代は160円以下だ。

 つまりi-MiEVは約160円で160km、約1円で1km走れる計算になる。ベース車「i」のターボモデルは10-15モード燃費が18.6km/Lだから、ガソリンが120円/Lとすると1km走るのにかかるガソリン代は約6.5円。あくまでも机上の計算だが、i-MiEVの燃料代はガソリン車よりも6倍以上安くなるわけだ。


と書かれていますが、やはり都合の良い数字を引き出していると言わざるを得ません。そもそも、「おとくなナイト10」はPM10時からAM8時までの10時間が1kWhにつき9.48円になります(記事の「9円17銭」は誤りで、「おトクなナイト8」の料金と取り違えています)が、このプランにすると電力需要の多いAM8時からPM10時までの電気料金は通常の概ね1.3倍になってしまうんですね。その分のコスト増は完全に無視されているというわけです。

また、i-MiEVはバッテリーが空の状態から満充電まで家庭用の充電器(100V・15A)で14時間かかりますから、「おとくなナイト10」の割引時間帯では満充電まで4時間足りません。ですから、一晩で空の状態から満充電にしようと思ったら、9.48円/kWh×10時間+30.74円/kWh×4時間で計算する必要があります。

これで計算しますと、「1充電あたりの電気代は160円以下」ではなく、188.5円くらいになります。1km走るのにかかるコストは1.18円ほどになり、記事の見積よりおよそ20%高くなってしまうことになるわけですね。もちろん、これも充電時に生じるエネルギー損失の一切が無視されていますから、現実的にはもっと大きな数字になるのは間違いありません。

また、燃費の悪いターボモデルと比較しているというところも数字を良く見せようという作為を感じずにはいられません。自然吸気なら19.2km/Lになりますから、ガソリンが120円/Lとすると1km走るのに6.25円となります。「6倍以上」ではなく、5.2倍まで縮まってしまうわけです。

さらに、ガソリン1Lのうち53.8円はガソリン税ですから、これを考慮してあげなければガソリンエンジン車にとって非常に不利な結果になるのは当然です。120円/Lなら、これを差し引いた正味価格は66.2円ということになり、1km走るのにかかるコストは3.45円ほどになります。すると、両者の差は2.9倍まで縮まり、「6倍以上」という数字とは倍以上違う結果になります。さらに言いえば、「i」のほぼ2倍の燃費を実現している新型プリウスとの比較なら、その差は1.5倍を切ってしまいます。

ここでふと思ったのですが、ガソリン税53.8円/Lのうち5.2円/Lは地方道路税です。この課税根拠は、「自動車の運転によって道路を毀損させる者に道路の整備、補修費用を負担させるもの」となっているわけですね。ガソリンを使って公道を走る乗り物は原付自転車も含め、すべからくこの税金が徴収されているわけですから、電気自動車についてもこれを課税しなければ不公平ということになります。

ハナシを戻しましょうか。このように税制の違いを考慮し、充電時のエネルギー損失や「おとくなナイト10」で契約すれば割引時間帯以外の電気代が約1.3倍になってしまうことなどを考慮すると、電気自動車のランニングコストが特別に優れているとは言い難くなってきます。ま、だいたい世の中というのは上手くバランスが取れているもので、やはり劇的な変化をもたらす魔法のような技術など、そんなに簡単に手に入れられるわけではないということですね。

いつものことではありますが、大衆メディアはこうした現実を見ず、推進派の示す一方的なメリットだけを取り上げる傾向が極めて強いように思います。電気自動車についても量産効果で価格が下がり、充電施設などのインフラが整えばすぐにでも普及していくのではないかと勘違いさせるような勢いで盛んに持ち上げています。

しかし、これは風力発電や太陽光発電のように問題山積の自然エネルギー利用を盲目的に崇拝しているのと全く同じことで、実情を直視しない夢物語に過ぎません。確かに、リチウムイオン電池の採用で蓄えておける電気エネルギーは倍増したかも知れませんが、それは「五十歩百歩」というレベルでしかない現実を知るべきです。

iMiEV用バッテリーLEV50
i-MiEV用のバッテリー「LEV50」
単セルの電流容量が50Ahになるこのリチウムイオン電池は、
GSユアサと三菱商事、三菱自動車の出資による
リチウムエナジージャパンの滋賀工場で生産されています。
1個の価格は約3万円、重量は約2kgと見られていますから、
これを100個搭載するi-MiEVはバッテリーの原価だけで約300万円、
その重量だけで約200kgになってしまうというわけですね。
これで160km走行可能とされますが、10-15モードでの値ですから、
実走行でかなり目減りするのは間違いないでしょう。
また、これが寿命を迎え、交換が必要になった場合、
やはり300万円ほどのコストがかかることになります。


そもそも、あれだけ大量のリチウムイオン電池が使われているからには、その生産から最終処分までライフサイクルを通じた環境負荷を無視すべきではありません。そこで調べてみましたところ、東京都市大(旧・武蔵工大)の環境情報学部が携帯電話用のリチウムイオン電池のLCA(←リンク先はPDFです)についてレポートしているのを見つけました。これによりますと、コバルト酸リチウムの製造にかかるCO2排出量が大きく、製造時にかかるトータルのCO2排出量は使用時の1.5倍におよぶと分析されています。

これをリサイクルするとそのまま廃棄したときに比べて20%もCO2排出量が増えてしまうそうです。リサイクルには適したものとそうでないものがありますが、リチウムイオン電池のCO2排出量を見た場合はリサイクルしないほうが良いことになります(i-MiEVのリチウムイオン電池はリサイクルされることになっているようです)。いずれにしても、きちんとLCAを検討し、評価しなければ、「電気自動車は環境に良い」と断定することは出来ないでしょう。

電気自動車の性能はモーターの能力や回生ブレーキなど効率を上げるマネジメントなども軽視できません。が、何といってもバッテリーの性能に縛られる部分が圧倒的です。そういう意味でリチウムイオン電池は従前のバッテリーに比べれば電気自動車の性能をそれなりに向上させたといって間違いないでしょう。

しかし、私はリチウムイオン電池で現在のガソリンやディーゼルに代替し得る実用的な自動車を成立させることは絶対に不可能だと確信しています。リチウムイオン電池とは桁違いのエネルギー密度で、またエネルギー容量当たりの単価も桁違いに安く抑えられるような、とんでもない技術革新による夢の新型バッテリーが開発されない限り、電気自動車が主流となる日は来ないでしょう。こうしたハナシは別の機会に改めて述べたいと思います。

(おしまい)

この電気自動車ブームはメディアが創作している (その1)

間もなく三菱自動車から軽自動車のi(アイ)をベースとした電気自動車i-MiEV(アイミーブ)が、富士重工から同じく軽自動車のステラをベースとした電気自動車ラグイン・ステラが発売されます。これに加えて政府や自治体などから高額の補助金が支給されるといった状況も受け、メディアは過去に例がないほど大騒ぎ(というより空騒ぎ)していますね。今朝もNHKの『おはよう日本』で神奈川県が国とは別に独自の補助金を出すということでこの2台を登場させつつ中継で報じていました。

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i-MiEV(左)とプラグイン・ステラ(右)

i-MiEVの場合、政府の補助金などで320万円ほど(さらに神奈川県独自の補助金を加えれば250万円ほど)になるとはいえ、本来の車両価格はほぼ460万円と決して現実的なレベルではありません。プラグイン・ステラも472.5万円ですから全く同様です。こうした補助金は例外なく「期間限定」ですから、それを過ぎてこれらのクルマを買おうなどと思う酔狂な人は滅多にいないでしょう。いえ、320万円でも普通の個人は買わないでしょうけど。

思えば、あまり遠くない過去においても電気自動車は何度か実験的に市販されてきました。私の印象としましては、日本で最も積極的だったのは日産だったように思います。1997年には市販車として世界初のリチウムイオン電池車となるプレーリージョイEVを発売していますし、翌年にもルネッサEVを発売していますし、その翌々年にも超小型電気自動車のハイパーミニを発売しています。私は当時仕事で東京都庁へ行く機会が多く、すぐ脇にある東京都道路整備保全公社の駐車場にこの充電施設があったので、ハイパーミニをよく見かけたものです。

日産ハイパーミニ
日産ハイパーミニ
改造車ではなく、電気自動車の専用車として日本で初めて
国土交通省の型式認定を取得したのがこのハイパーミニです。
2座のみというパッケージングはスマートに近い感じでしょうか。
リチウムイオン電池で10-15モードの走行距離は115kmでした。
i-MiEVが160km、プラグイン・ステラが90kmですから
実力的には現在と大差ないレベルだったわけですね。
こうした電気自動車の存在が単に見過ごされてきたということと、
この10年くらいの間に大した進歩がなかったということ、
リチウムイオン電池を現実的なレベルで搭載するとこの程度が限界
といったことなどをこのクルマの存在が示しているように思います。


以前のメディアはこれらの電気自動車を大々的に取り上げることはなく、世間一般にも話題になることは滅多になかったと思います。しかし、このところのエコブーム(といっても多くは似非エコですが)は電気自動車を極めて好意的に受け入れ、メディアも手のひらを返したように盛んに取り上げています。(例のクレーム隠しが発覚したときは車両火災などの偏向報道で「三菱自動車を倒産に追い込もうとしているのでは?」と疑われるほど盛大なバッシング大会が繰り広げられたことを思うと、彼らの得意技「必殺・手のひら返し」炸裂といった印象です。)

その一方で、日刊自動車新聞の記者を経、現在は自動車関連のフリージャーナリストをされている池原照雄氏はこんなことを述べています。

 ありがたいことにメディア関係者からEVの展望について聞かれることがよくある。「軽自動車だが、価格はレクサス並みというクルマが普及しますか」とコメントすると、取材は大体終わってしまうし、筆者の談話が使われることもない。メディア側があらかじめ用意した筋書きにそぐわないからだろう。

(C)日経ビジネスオンライン 『電気自動車の「現実」が見えてきた』より


いま日本の大衆メディアは電気自動車をエコカーとして大々的に取り上げ、ブームを創り上げていますが、それは「悲観的な意見は排除される」という完全にメディアバイアスがかかった状態の上に成り立っているというわけですね。近年のエコブームが如何に都合の良い情報ばかりを寄せ集めた乱痴気騒ぎに過ぎないかを如実に示す証言と見ることもできるでしょう。

(つづく)

アメリカでは思うように売れていないらしい

日本では新型プリウスの発売後も受注ペースは落ちておらず、その影響は殆ど受けていないという(訂正:コチラの記事をソースとしてプリウスの影響は殆ど受けていないと書きましたが、実際には影響を受けているようです。関連記事「インサイトは日本でもジリ貧か」をご参照ください。やはりディーラーレベルのハナシはアテにならないようですね。)インサイトですが、アメリカでの売れ行きはあまり芳しくないそうです。目標とされていた9万台/年の達成は困難な状況のようで、5~6万台にとどまる可能性もあるといいます。

ホンダ「インサイト」:初年度の米販売台数、目標を33%下回る公算

 6月15日(ブルームバーグ):ホンダのハイブリッド車「インサイト」の米販売台数が目標を33%下回る可能性がある。ガソリン価格の下落や景気の落ち込み、トヨタ自動車の「プリウス」との競争が背景にある。

ホンダの米国担当執行副社長ジョン・メンデル氏は11日のインタビューで、3月後半に米ディーラーで発売されたインサイトの初年度の販売台数が5万-6万台にとどまる可能性があると説明し、目標の「9万台には届かないと思う」と語った。

米国のガソリン価格が過去1年間で35%下落したのを受けて、燃費の良い乗用車の需要は縮小している。トヨタはインサイトに対抗するためプリウスの基準価格を1000ドル引き下げた。

(後略)

(C)Bloomberg.co.jp 2009年6月15日


インサイトは当初の年産20万台から3月末の時点で25万台体制となり、4月にはさらに上乗せされているという情報もありました。私も色々想像を巡らせて数合わせをしてきましたが、5月の国内販売台数が私の予想より数千台多かったのは増産によるもののほか、アメリカでの不振の影響もあった可能性が出てきました。

日本ではプリウスに大差を付けられてしまったとはいえ、いまだ少なからぬバックオーダーを抱えて好調をキープしていますが、アメリカでは目標割れになっているとのことですから、その分が国内に振り向けられたと考えても全く不自然ではありません。

また、日本のメディアは「アメリカのビッグ3がコケたのは低燃費車を等閑にしてきたから」というストーリーを盛んに唱えてきましたが、当blogではアメリカの低燃費車市場は原油価格の下落に伴って縮小しており、コンパクトカーは軒並み長期在庫を抱えている状況から、こうしたストーリーは現実を反映していない旨を述べてきました。手前味噌で恐縮ですが、私の記事のほうが正しかったということがこのブルームバーグのレポートでも明らかになったわけですね。日本のメディアの妄想癖に付ける薬はなさそうです。

honda_insight.jpg

いずれにしても、インサイトの正念場はこれからでしょう。以前にも触れましたが、インサイトのエアコンはプリウスやシビックハイブリッドなどのように専用のモーターでコンプレッサーを回すのではなく、普通のクルマと同じようにエンジンの動力を直接利用する仕組みです。エアコンがフル稼働となるこれからのシーズンはアイドリングストップの機会が激減し、燃費の悪化が顕著になるのは間違いありません。ハイブリッド専用車でありながらシビックハイブリッドよりも全般的なシステムは簡易的というインサイトの中途半端さがこれから迎える初めての夏でどう評価されるか気になるところです。

また、かなり細かいところゆえ最近になって知ったのですが、インサイトは停車時に「Dレンジ+フットブレーキ」という状態でないとアイドリングストップが働かないそうです。酷い渋滞とか駐車場の空車待ちとか、停車時間が少し長くなりそうなときはNもしくはPレンジでパーキングブレーキをかける人が少なくないと思いますが、そうしたときインサイトはアイドリング状態のままになってしまうという仕様なんだそうです。

インサイトのハイブリッド用のバッテリー容量が小さく、アイドリングストップ状態で電装品を使っているとバッテリーが上がってしまうとか、そこまでいかなくてもモーターのアシストが不足してしまうとか、何らかのネックがあるのでしょうか? しかし、重ねて言いますがシビックハイブリッドもアイドリングストップ状態でバッテリーからの電力でエアコンを効かせられるくらいなのですから、それは考えにくいところです。もしかしたらマイナーチェンジなどで修正できるレベルのハナシかも知れませんが、現状のインサイトはアイドリングストップの仕様が全く以て意味不明です。

信頼できる筋のハナシに寄りますと、ディーラーへインサイトを見に来た客がフィットに流れるというケースも決して少なくないといいます。フィットも燃費の良いクルマですから、その差でトータルコストの逆転が難しいうえ、居住性などではフィットのほうが数段勝っています。インサイトよりフィットのほうが安くて実用的と判断する人がかなりの頻度でいるというわけですね。

環境性能もLCAで比較したらインサイトとフィットは大差ないかも知れません。新型プリウスのLCA先代に比べて劇的に良くなっているのでかなり胡散臭い感じですが、インサイトはそれすら示さないのですから、やはり大したことがないからでは? と勘ぐりたくなります。

常々述べていますが、私はハイブリッドカーなど世間一般に信じられているほどのエコカーだとは思っていません。そもそも、現在のエコブームの大半はイメージ先行の似非エコであると見ていますから、こうした軽薄な潮流に乗りたくないという抵抗感もあります。が、プリウスのよく練られたハイブリッドシステムはレクサスやエスティマやホンダなどの簡易的なシステムとは一線を画すもので、その面白さを楽しんでいたりします。案外、プリウスのユーザーには私のような「テクノロジー満喫派」も少なくないかも知れません。

本来、インサイトはプリウスと車格が違いますから、マトモにいけばインサイトの上位グレードとプリウスの下位グレードが価格的に重なるものの、装備など差でそれなりに棲み分けができたハズなんですね。しかし、トヨタは明らかにインサイトの中間グレード以上をターゲットに価格設定を引き下げてきました。アメリカではそれが顕著に結果として表れたのかも知れません。

日本国内においてインサイトはまだしばらくは売れ続けると思いますが、次第に話題性が薄れ、プリウスとの素性の違いが広く知られるようになっていったら、日本でも苦戦することになるかも知れません。クルマオンチ揃いの日本の大衆メディアはインサイトとプリウスをハイブリッドカーであるというところで一緒くたにする傾向を強く感じますが、そのときになって初めて両者のシステムの違いを認識することになるのかも知れません。

ル・マンはディーゼル強し (その2)

2007年のデトロイトショーでホンダの福井威夫社長が「ディーゼルには偏見があるので、ディーゼルという言葉を使わない方が良いかもしれない」と記者団に発言したことがありました。私はこれを聞いて非常に腹が立ちましたね。こうしたユーザーを見切ったような言葉遊びは無礼千万ですし、何よりディーゼルエンジンの排ガス浄化という難しい技術革新(関連記事はコチラ)に努めて来たエンジニアたちをも莫迦にしていると思いました。

ディーゼルエンジンの排ガスは高度な技術で見違えるほどクリーンになってきましたし、吹け上がりやパワー感もガソリンエンジンと遜色ないレベルに達しているものは少なくありません。そうした実情を丁寧に説明して偏見を取り除き、理解を得ようとするのがユーザーに対する誠実な態度というものですし、エンジニアたちの努力に報いることにもなります。また、全般的なイメージの悪さも様々な形で払拭していくのがメーカーの務めというものでしょう。呼び名を変えて違うエンジンであるかのように思わせようというのは、姑息な発想と言わざるを得ませんし、下手をすれば市場の混乱を招きかねません。

ホンダはこれまでもモータースポーツでその存在感を示してきましたが、特に福井社長はHRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)の取締役を務めるなど、長くレース畑を歩んできた人でもあります。中でも1978年のWGP(ロードレース世界選手権)の最上位カテゴリーだった500ccクラス(現在のMotoGPに相当)へ復活したときの逸話はいまでも語り草になっています。

4サイクルエンジンにハンデキャップが設けられていなかった2サイクル時代に、あえて4サイクルで挑み、しかも長円形ピストン(←リンク先はPDFです)という無謀とも思える野心的なエンジンを搭載したNR500の開発は入交昭一郎氏がイニシアチブを執っていたようですが、柳瀬弘一氏、吉村年光氏らと並んで福井氏もその数人の若手によるプロジェクトに加わっていました。

NR500のピストン
NR500のピストン
俗にUFOピストンとも呼ばれたこれは8つのバルブと
2本のコンロッドに組み合わされましたから、
要するに2気筒を1気筒に繋げてしまった感じです。
このお化けみたいなピストンをV型で4つ連ね、
最終的には130ps/19,500rpmを達成したそうです。
この技術は耐久レース向けのNR750で楕円ピストンに
発展しています。


この特殊なピストンおよびシリンダは独特の形状から筒内の渦流生成が極めて良好で火炎伝搬の特性も優れており、高出力を得るために超ショートストロークとしても高い効率を得られたそうです。ただ、特殊な構造ゆえ極めて高い加工精度が要求され、信頼性や耐久性などの面で彼らはたっぷり苦しめられたといいます。このチャレンジによる戦績は惨憺たるものでしたが、あの当って砕けた若々しさというのも実にホンダらしく、このエピソードは私の中で殿堂入りです。

それから四半世紀近くを経、従来のWGP500ccクラスは500cc以下の2サイクルと990cc以下の4サイクルとが混走になり、名称もMotoGPへ変更されました。このとき楕円ピストンを使用する場合は重量ハンデが負わされましたが、2007年から2サイクルが禁止になったのに伴い、楕円ピストンも開発費がかさむなどの理由から禁止されることになりました。見方を変えれば、FIAはあのときのホンダのチャレンジをちゃんと記憶しており、近年になって再評価していたということですね。

もし、「ディーゼルという言葉を使わない方が良いかも」などという下らない言葉遊びを提唱したのが豊田一族の社長だったなら、私は失笑しても失望はしません。豊田一族などに初めから希望など持っていませんから。しかし、この言葉を発したのは福井氏で、私は彼のキャリアを知っていただけに、ショックは小さくありませんでした。(逆に、こうしたことがありましたから、第3期F1活動の終了を彼が宣言したとき、私はあまりショックを受けませんでした。)

レース畑を歩んできた福井社長が率いるホンダなら、「レースでディーゼルエンジンのイメージをリファインさせてみせる」くらいのことを言って欲しかったと心底思いましたね。ま、私の勝手な思い入れが過ぎただけなのかも知れませんが。

しかし、ディーゼルに代わる何か別の名前を考えてプロモーションするくらいなら、予算的にいきなりル・マン24時間は無理だとしても、せめてグループAの市販車改造クラスでも総合優勝を狙えるニュルブルクリンク24時間をディーゼルエンジン車で制覇してみせるくらいのことはやって欲しいところです。1998年にはシュニッツァー・モータースポーツのBMW320dがディーゼルエンジン車として初めて総合優勝した前例もあるのですから。

こうしてみますと、アウディやプジョーのアプローチは至って正攻法だと思います。ル・マンというモータースポーツ界でも屈指の伝統と格式を誇り、四輪の耐久レースとしては誰もが別格と認める最高峰のレースでディーゼルエンジンの悪いイメージを払拭しようとしているわけですから。福井氏は彼らの爪の垢でも煎じて飲むべきだと思いましたね。もっとも、あれ以降「ディーゼルという言葉を使わない方が良いかも」といった発言はしていないようですから、思い直したか周囲に諭されたのかも知れませんけど。

そのアウディとプジョーですが、今年もなかなか見応えのあるレースを展開してくれたようです。やはり一強支配よりも接戦が見られるほうがどんなスポーツでも面白いものです。

昨年のル・マンは近年稀に見る接戦でアウディとプジョーがやり合っていましたが、今年はプジョーがリードし、アウディがそれに食らい付いてなかなか離されないといった展開だったようです。カーNo.8のプジョーはポールポジションから序盤の接触事故を経てもトップを守っていましたが、スタートから6時間くらいの時点で予定外のピットインとなりました。原因は左リアタイヤの装着不良という単純ミスだったようですが、その間に同チームのカーNo.9へトップを譲ることになりました。以降は上位に大きな順位変動もなく進んでいったようです。

ただ、20時間を経過した終盤にあってもトップと3位に付けていたカーNo.1のアウディとは僅か2周差だったそうですから、ケアレスミスやマイナートラブル一発でも逆転はあり得るという状況で、実力伯仲の二強が予断を許さないレースを展開していたようです。

結果を見れば1-2フィニッシュを決めたプジョーの完勝といったところですが、今年投入されたアウディR15の熟成が今ひとつだったというハナシもありますから、今後もしばらくはこのディーゼルエンジン車二強時代が続くのかも知れません。

audi_r15tdi.jpg
Audi R15 TDI
従来のV12からV10に改められたディーゼルエンジンの詳細は
明かされていませんが、大幅に軽量コンパクト化されながら、
従来通り1000Nmを超える強大なトルクを得ているといいます。
(F1は超高回転で出力を得ていますので、最大トルクは300Nm程度です。)
空力的にもより洗練されているようですが、フロント開口部の付加物に
プジョーからクレームがつくなど、よく見られる小競り合いもありました。
眩いヘッドライトはロービームがLEDになっているそうで、
バッテリーもリチウムイオン電池が採用されたといいます。


日本人である私は日本のメーカーもワークス体制で参戦し、この間に割って入って欲しいと願ったりするのですが、いまのような経済状況では難しいのでしょうねぇ。せめてテレビ中継だけでも(地上波じゃなくても良いので)復活して、スタートと中盤とゴールシーンだけでも生中継で見たいというささやかな願いは叶って欲しい今日この頃だったりします。

(おしまい)

ル・マンはディーゼル強し (その1)

日本のワークスチームが姿を見せなくなって以降、日本では人気が下降してしまったせいか、ル・マン24時間レースはテレビ中継されなくなってしまいましたね。地上波では1980年代初頭から20年くらいテレビ朝日がダイジェストや実況中継を行っており、1991年にはマツダ787Bが日本車として初めて(現在のところ唯一)総合優勝を成し遂げましたが、あのときまだ大学生だった私はテレビ画面にかじり付いて見たものです。

テレビ朝日が放送権を手放した後も2年間はスカパー!等でスポーツ・アイESPN(現在のJスポーツESPN)が24時間完全生中継をやっていました。が、その後の3年は(私は最近まで知りませんでしたが)やはりスカパー!等で日テレG+がダイジェスト版を放送するのみで、今年はまだその放送予定が示されていないようです。あのル・マン独特の雰囲気が好きなファンにとっては寂しい時代になりました。

2000年以降はアウディの天下といって良い状態が続き、2003年に同じフォルクスワーゲングループのベントレーが(恐らくグループ内の政策的なオペレーションで)勝ちましたが、その後もアウディスポーツジャパン・チーム郷やADTチャンピオン・レーシングなどのプライベーターを含みながらアウディの牙城は崩されずに年月が重ねられていきました。これがマンネリ感に繋がっていたという側面も無視できないでしょう。

2006年にはアウディR10がディーゼルエンジン車として初めてル・マンで総合優勝を果たし、昨年まで3連覇を続けていました。しかし、今年はプジョーが再参戦3年目にして王者アウディを破り、総合優勝を遂げました。これもまた5.5リッターV型12気筒のディーゼルエンジンを搭載しており、ディーゼルエンジン車4連覇ということになったわけですね。

peugeot_908hdi.jpg
PEUGEOT 908HDi
クローズドボディのよく見慣れた感じの
プロトタイプレーシングカーですが、
ディーゼルエンジン特有の低い周波数で
シフトチェンジ時にも抑揚の少ない排気音は、
やはり静止画だけでは解りませんね。


F1マシンの形状が「最も速く走るための理想的なカタチ」と信じている人がよくいるように、モータースポーツ界で活躍していると、それが理想に近いものだと勘違いする人は少なくないようです。が、レースカーの機構や形状、素材など、あらゆる要素はレギュレーションの許す中で最高を求め、レギュレーションに反することのない範疇で理想に近づこうとするもので、純粋に絶対的な性能を追い求めたものではありません。

こうしてル・マン24時間でディーゼルエンジン車が優位に立っているのも、要するにレギュレーションがディーゼルエンジン車に有利なようになっているからです。もし、F1を始めとした他のカテゴリーでも同様の考え方でレギュレーションが改められれば、例え二輪のMotoGPであってもディーゼルエンジンが主流になるでしょう。

ル・マンでディーゼルエンジン車に有利なレギュレーションが設けられている背景には、やはりディーゼルエンジンのイメージアップに繋げたいという意志が働いているのだと思います(あくまでも個人的な憶測です)。西ヨーロッパでは「ガソリンエンジンに比べてCO2の排出量が少ない」とか、「燃費が良いゆえランニングコストが安い」とか(日本のようにガソリン税と軽油税に差があって軽油のほうが安いということではないようですが)、これらの理由で、ディーゼルエンジン車のシェアは年々上がっています。

2007年の時点では西ヨーロッパ全体でディーゼルエンジン車のシェアは53.3%にもなるそうです。冬場に燃料が凍ってしまう恐れがあり、燃料ヒーターが必要になるスウェーデンなど北欧圏では極端にシェアが落ちていますが、フランスとスペインでのシェアは特に大きく、70%前後にもおよぶといいます。このようにル・マン24時間の開催国であるフランスは際立ってディーゼルエンジン車が普及していることもありますから、商業的な思惑も働いているのかも知れません(くどいようですが個人的な憶測です)。

ディーゼルエンジンはガソリンエンジンほどスムーズに吹け上がらないイメージが根強く(実際にはそうでないエンジンも少なからずありますが)、独特のディーゼルノックによる音や振動がガサツな印象に繋がるなど、パワーユニットとして官能的な面で劣るとか、スポーティではないといったイメージも根強いでしょう。モータースポーツ界屈指のイベントであるル・マン24時間での活躍はそうしたネガティブなイメージを払拭するのに最高のプロモーションとなるのは間違いありません。

(つづく)

オバマ政権は米自動車産業を何処へ導くのか? (その2)

経営破綻したクライスラーの債権処理において、有担保債権に対する弁済率が僅か28%であったのに対し、UAW(全米自動車労働組合)が有する担保権のない劣後債権に対しては43%という高い弁済率であったことが批判されています。そもそも、担保権のない債権がこのような優遇措置を受けていたら「劣後債権」という言い方自体がおかしなことになってきます。こうしたインチキがまかり通るのは、UAWがオバマ政権にとって非常に重要な支持基盤であるという以外に納得のいく説明をつけることはできないでしょう。

以前、GMについて述べたときにも触れましたが、アメリカの自動車産業がこうした状況に至った大きな要因の一つが「強すぎる労組」の存在でした。厚遇を求める労組によって企業年金や医療費補助などのレガシーコスト(GMの場合は新車1台あたり1000~1500ドルともいわれています)が膨れ上がっていったことが収益率を低下させ、財務状況を悪化させていった元凶だという人もいます。私も今回の経営破綻の原因がそれだけによるものとは考えませんが、非常に大きな要素の一つであったのは間違いないと見ています。

クライスラーのケースで有担保債権より優遇されたUAWの劣後債権というのは、こうした企業年金や医療費補助などの未払い分がその大半を占めているものと見られます。いまここに至って、一般の債権者の財産よりこうしたレガシーコストを優先するということは、これまでに何度となく繰り返されてきた「労組への譲歩」というスタンスから何も変わっていないことを示すものです。これでは業界の体質改善など期待できず、むしろ増長させてしまう可能性さえ懸念されます。

新生クライスラーの筆頭株主はアメリカ政府でもなければ経営を主導することになったフィアットでもありません。もちろん有担保債権者たちでもありません。過半数となる55%の株式が割り当てられたのはオバマ政権の支持基盤であるUAWです。これまでストライキなどを武器として経営者に厚遇を迫った彼らは、これから筆頭株主として新生クライスラーの経営者たちと対峙することになるわけです。

一方、UAWに割り当てが予定されている新生GM株は17.5%にとどまっています。アメリカのメディアはこれを好意的に報じたようですが、日本のメディアでもありがちな取材不足を露呈するもので、表面的な数字に踊らされ、上手く煙に撒かれただけのようです。

いすゞとGMの提携やトヨタとGMの提携なども取り成してきたビジネスコンサルタント、ということはGMに関してかなり深いところまで知っているであろうジェイ・W・チャイ氏(彼の奥さんは私が尊敬してやまないモーターアナリストのマリアン・ケラー氏)は、このGMの再建計画について「実態はさらなるUAW優遇」と批判しています。彼のレポートにあるGMの再建計画におけるUAWへの処置を箇条書きにしてみますと以下のようになります。

・VEBA(UAW退職者および家族に対する健康保険基金)への未払い分200億ドルのうち、100億ドルは現金によって支払われる

・残りの100億ドルは新生GMの株式によって補填される

・新生GM株17.5%に加え、65億ドルの優先株をVEBAに発行して年間9%の配当(5億8500万ドル)を約束

・25億ドルの約束手形を発行して金利年9%(2億2500万ドル)で2017年まで3回分割払いされる

つまり、当面は合計8億1000万ドルもの現金が毎年UAWの管理下にあるVEBAに振り込まれるというわけです。この見返りとしてUAWが譲歩したのは2015年までストライキを行わないということと、有給休暇を1日減らしたこと、医療費補助の項目からバイアグラの購入を外すことくらいだといいます。こうした実態をチャイ氏は皮肉たっぷりにこう評しています。

シナリオ通りに新生GMが立ち上がれば、米国で最も生産性の高い企業として生まれ変わり、「世界のトヨタ」といえども大変な苦戦を強いられることになるのでしょうね。なにしろ、UAW組合員1人当たりに約100万ドルもの国費をGMとクライスラーの救済に投入するわけですから。



インディアナ州の年金基金の運用を担うマードック財務担当官がクライスラーの優良資産の売却を差し止めるよう最高裁に求めたのは前回触れたとおりですが、そのとき彼は「オバマ政権の超法規的措置が認められれば、アメリカの資産は海外に逃避するだろう」と述べていました。

これはクライスラーの債権者にとどまらないもっと広範囲の悪影響を端的に示すものです。倒産した自動車会社を一時的に国有化しながら、投資家や債権者の財産が大きく損なわれる一方、政権の支持基盤は優遇されるという無秩序を許してしまうと、もっと真っ当な債権処理ができる国へ投資したほうがリスクは少ないと判断され、資本の海外流出が加速しても不思議ではないでしょう。

オバマ政権は超大型倒産となったGMとクライスラー両社の再建に当って、債権者の財産より自身の支持基盤であるUAWの利益を優先しました。その一方で債務削減に応じなかった債権者を「反国家的な態度」とまるで反逆者のごとく罵りました。もし私が資本家だったとして、このような誹りを受けたなら、この業界には二度と投資すまいと誓うでしょう。

普通の企業や個人が借金を踏み倒せば与信度はガタ落ちになり、その後は借金しにくくなるのが当たり前です。これまで投資してきた人たちへの弁済を軽々しく考え、無下に扱えば、これからの投資も募りにくくなるということに彼らは気づいていないようです。民間からの投資を得ずに今後もずっと国有としてやっていくつもりなら関係ないかも知れませんが、民間企業として再生させたいというのであれば最初のボタンを掛け違えているような気がします。

オバマ政権はアメリカの自動車産業を何処へ導こうとしているのでしょうか?

(おしまい)

オバマ政権は米自動車産業を何処へ導くのか? (その1)

オバマ大統領は世界的にもそうですが、日本のメディアからもことごとく美化され、英雄視されてきました。が、これまでにも当blogで何度か取り上げてきましたように、彼はメディアが持ち上げるような理想の政治家などではなく、表と裏の顔を使い分け、利権を私的に振り回す何処にでもいるようなタチの悪い政治家であるのは間違いなさそうです。今般のGMやクライスラーの再建計画においても彼の独善的な行動が目立っています。

ご存じのように、昨日(6月10日)クライスラーの優良資産の売却が完了し、フィアットが経営の主導権を担う「新生クライスラー」が発足しました。この売却手続きが完了するまで連邦破産法の適用申請から1ヶ月余りを要したのは、最高裁判所へその差し止めが請求されていたからです。

インディアナ州の年金基金もその一つで、これを預かるマードック財務担当官は「有担保債権者への弁済率が低すぎる」として新会社への資産売却の差し止めを求めました。つまり、同州の年金基金はクライスラーの大口債権者で、政府が提示した弁済率28%、即ち債権額1ドルに対する弁済(今回のケースでは新会社の株式による補填)は僅か28セントですから、これには納得できないとしたわけですね。同様の債権者は沢山おり、インディアナ州の年金基金以外からも300件以上の差し止めが請求されていました。

クライスラー本社
クライスラー本社ビル

さらに問題なのは、彼ら有担保債権者に対する弁済率があの有様なのに、担保権のない劣後債権者であるUAW(全米自動車労働組合)に対する弁済率は遙かに高い43%となっているところです。これは誰がどう考えても滅茶苦茶です。こんな理不尽な依怙贔屓は常識的に考えればあり得ないことです。が、UAWはオバマ政権にとって非常に重要な支持基盤であるという事実を認識すれば、こうした処置に至ったのは何故かという疑問は氷解するでしょう。

クライスラーの債権者たちが資産売却の差し止めを請求したのは当然のことで、それを受けた最高裁はこれまで留保を命じ、判断を延期してきました。が、今月9日に売却を承認したことから翌日に新生クライスラーの発足となったわけです。300件以上にもおよぶ差し止め請求が棄却されたのは、ソトマイヨール最高裁判事がオバマ政権によって指名された人物だったことと関係があったのか否か、私には解りませんが。

私が個人的に許し難いと思ったのは、オバマ大統領本人の発言です。上述のように有担保債権者に対して非常に低い弁済率で債務削減を求めたわけですが、それに応じない債権者に対して彼は「反国家的な態度を取った投資家」と言ってのけました。

普通に考えれば債権者に対して「借金を棒引きにしろ」ということ自体が非常に厚かましいハナシで、それに応じないのは当たり前のことです。そこを説得するために様々な取引材料を提示して理解を得ようと務めるのが常識的な対応というものです。しかし、オバマ政権は自分たちの支持基盤を優遇し、本来保護されるべき債権者を冷遇しました。そのうえ債務削減に応じなかった人たちは反逆者のように罵られたわけです。

彼は大統領選のときも皆保険制度の導入など手厚い社会保障の実現を公約し、それに向けた財源として企業や高所得者層の増税などを掲げました。当然、増税の対象とされた人たちから批判の声が上がったわけですが、彼は「増税に反対する人たちは利己的」と一蹴しました。要するに、オバマ大統領は以前から自分の意に沿わない人たちを「悪」と決めつける傾向があったということですね。まるで独裁者のようです。

こうしてクライスラーの再建計画はオバマ政権の支持基盤をあからさまに優遇する一方、インディアナ州の年金基金に大きなダメージを与えても、同様に多くの債権者の財産が損なわれても、これを顧みることはなく、強引な手法で独善的に進められることになったのです。

(つづく)

出生率が上がらない本当の理由 (その2)

少子化の原因としてよく語られる「女性の社会進出」だの「晩婚・未婚の増加」だのといったことは、むしろ枝葉に属するものと見るべきです。かつてのように一家の生活、特に老後を自分の子供たちに支えられていた時代とは異なり、庶民もそれなりの安定した生活水準を維持しやすく、国や社会が高齢者を支える仕組みに移行していったことが、先進国に共通する少子化の根源とみるべきです。

かつてこうした制度が整備されていなかった時代、頼れるのは自分の子や孫だけといった環境にあっては子供を沢山作って自分の老後の担保とする必要があったわけです。結婚して子供をもうけるということに対して積極的にならざるを得ず、人生設計において誰しもが切実な問題となっていました。

また、当人だけでなく周囲の人もそうしたことに世話を焼くケースは少なくなかったでしょう。人生設計を怠った親類の経済支援をしなければならなくなったら困るとか、見捨てて犯罪にでも走られたら自分の生活にも悪影響が及ぶと考えた人もいたと思います。核家族化が進み、何親等か離れた親戚は他人同然という現在とは違って、かつてはもっと一族の繋がりが密接で、良くも悪くもお互いに干渉し合う機会が多かったでしょう。

世間一般に信じられている「子育てを支援すれば子供が増える」というのも間違いとはいえませんが、現実問題としてはあまり強力な動機付けになりません。少なくとも、かつてのような自分の身に直接関わる切実さがないからです。

多くの人が「子供は1人か2人くらいで良い」と思ってその程度しか子供をつくらなければ、出生率が2.00を超えることは絶対にあり得ません。「3人以上は欲しい」と思う人が大多数を占めるようにならなければ人口減少を懸念しなくて済むレベルには至らないでしょう。特に日本は移民の受け入れに極めて消極的ですから。

現在の日本で出生率が2.00を超えるように仕向けるには、「子供を3人以上産んだほうが得」と思わせるような思い切った政策を実施しなければ難しいでしょう。が、現実的にはコストもかかりますから、容易なことではありません。だからといって「老後の生活は自分の子供に支えてもらいましょう」と、これまで構築してきた社会保障制度をご破算にするわけにもいかないでしょう。

こうなっては少子化を食い止めることを考えるより、当面は少子化にも耐える社会を目指すほうが現実的かも知れません。高齢者の増加で若者の負担が増すというのであれば、高齢者にも働ける間は働いてもらい、経済的に自立しやすい世の中にしていくほうが差し迫っている諸問題をクリアしやすいかも知れません。年金の支給を一方的に遅らせるのではなく、遅らせるからには高齢者の再雇用をもっと積極的にバックアップしていく必要があるでしょう。

私の父は昭和11年生まれで今日73歳の誕生日を迎えましたが、いまでも現役バリバリで仕事を続けています(仕事人間である父がリタイヤしたら一気に老け込むかも知れません)。ま、私のような会社員と違って自営業だからそれも可能なわけですが、自営業を営まれている方の中には私の父と同じように高齢になってもそれなりの働き方をしているという人は少なくないでしょう。特に農業を営まれていて後継者がいないという方はむしろこうしたケースのほうが普通と言えるかも知れません。

日本の長い歴史の中で「定年でリタイヤしたあとは悠々自適の生活」などというライフスタイルが富裕層以外で確立したのは高度成長期以降のせいぜい半世紀くらいのことでしかありません。こうした「豊かな老後」という理想が様々な歪みを生じさせている現実を直視し、それを社会的に維持するため「産めよ増やせよ」と号令をかけてもなかなか上手くいかないということに早く気付くべきです。

医療技術の進歩で人の寿命はまだ延びていくであろう状況を考えれば、人口を増加傾向に維持しない限り若者の負担は増え続けます。こうしたしわ寄せがある「豊かな老後」という理想は、むしろ幻想というべきかも知れません。人口を増加傾向に維持しなければ成立しない国家体制を全ての国がとり続け、人口が増え続けることを許していたら、破綻を避けることはできないでしょう。

中国のような荒っぽいバースコントロールには弊害がたくさんありますから、もっと上手な人口の減ら方を考えるべきですが、自然に人口が減り始めたのなら問題の生じにくい体制移行の方策を真剣に考えるべきでしょう。減り過ぎて国家体制を崩壊させてもいけませんが、現在の1億3000万人弱という総人口が日本にとって適正な規模でこれを減らしてはならないという理由を私は知りません。

ま、人口減少は国力低下に直結しやすいものです。そういう意味でも人口減少を回避したいと考えている政治家や官僚や財界人などは少なくないハズで、「少子化は解消しなければならない課題」と世論形成されているのはそのせいかも知れません。また、人口減少に勝る環境負荷の軽減はほかにありませんが、日本では環境問題と人口問題が切り離されて扱われることが殆どというあたりも二重規範めいているように思います。

出生率が上がらない本当の理由 (その1)

先週発表された統計で日本の出生率が若干上がったことが話題になり、4日の読売新聞と毎日新聞、5日の産経新聞、昨日も朝日新聞と日本経済新聞が社説で取り上げていましたね。いずれも「子育て支援はまだまだ不充分」「さらなる国家的な対策が必要」といった論調で、目新しいことは何一つ書かれていませんでしたけど。

少子化の原因としてよく言われるのは女性の社会進出による晩婚・未婚の増加、あるいは晩産化、高学歴化による養育コストの増加、ワーキングプアの問題、日本では婚外子を忌避する文化が根強いことから社会制度などの面で不利といったものなど様々です。が、どれも一次的な原因というより二次的な原因だったり、枝葉に属するものといった印象です。

特に婚外子を巡る問題は大した原因といえないでしょう。実際、婚外子も婚内子と同等に扱われる制度が整っているフランスでさえ1994年には1.65まで下がっており、現在は2.00を僅かに超えていますが、それは国や企業が手厚い支援を実施するようになったからです。日本では婚外子の割合が欧米諸国に比べて圧倒的に少ないのも確かですが、ここ20年ほどで2倍以上に増えていますから、「結婚できないから子供も産まない」と考える人は日本でも着実に減っています。また、一部には未婚のシングルマザーという生き方が美化されることもあるくらいです。

私は少子化に向かおうとする根源が一般的によく語られている上述のような原因説の中には含まれていないと考えています。かなりの予算が投じられていながら国や地方自治体の少子化対策があまり上手くいっていないのも、その辺の読みが間違っているからだと思います。では、そのあまり語られることのない根源とは何でしょうか? これは出生率が高い国と低い国を比較してみれば見えてくるでしょう。

フランスやアメリカなどは先進国として珍しく2.00を超える出生率を維持しています。が、1人の女性が2人生んだだけではこの水準は維持できません。子供を産む年齢に達する前に病気やケガなどで亡くなってしまう人もいますし、不妊症で子供が欲しくてもつくれない人もいますし、何の問題がなくても様々な理由や巡り合わせで子供を産まない人も少なからずいます。

ですから、子供を産める女性が2人以下しか子供を産まないのであれば出生率が2.00を上回ることはありませんし、人口減少の傾向から逃れることもできません(平均寿命が伸びて減少分が相殺されたり、移民を受け入れたりすればハナシは別ですが)。こうしてみますと、主要な先進国で楽観できる国は非常に少ないと思われます。

高福祉国家というイメージが強いスウェーデンも1980年代に1.6台まで下げたことから政府による支援で一時は2.0台に乗せました。しかし、財政悪化に伴う各種手当ての一部廃止や減額などで2000年には1.5台まで急落し、その後さらなる体制の見直しで再び上昇に転じ、2006年には1.85まで戻しました。要するにスウェーデンのケースも国家支援に大きく左右される格好になっており、自然に少子化が解消されるような方向付けをすることは非常に困難であるという現実を示しているように思います。

他のヨーロッパ諸国も似たり寄ったりで、ドイツやイタリアは日本と大差ない1.3台、イギリスやオランダの1.7台後半も決して高い出生率とは言えませんが、先進国の中では比較的マシな方といったところでしょうか。

一方、出生率が高い国を見てみますと、東ティモールやニジェールの7.8、アフガニスタンの7.4、ウガンダの7.1、マリやリベリアなどの6.8などとなっています。いずれも内戦や貧困に喘ぐ国ばかりといった感じで、先進国のような高福祉とは無縁です。ま、こうした異常に出生率が高い国は成人になるまでの死亡率が高いとか、特殊な事情も少なくないようですが、おしなべて見ますと、高福祉で社会保障が充実した先進国のほうが出生率が低い傾向にあるのは明らかです。

出生率が高い国に共通しているのは、「子供を沢山生み育てて労働力を確保しないと一家の生活が成り立ちにくい」とか、「国や社会が老後の面倒を見てくれない」といった状況が挙げられます。要するに、社会が支えてくれない以上、自分の子や孫たちに支えてもらわないと生活が困窮してしまったり、老後の生活が破綻してしまうということですね。こうした状況に甘んじている国は例外なく出生率が高くなっています。かつての日本もそうでした。

ただ、労働力として沢山の子供を抱えていても、そこは零細な事業経営と同じですから、様々な理由で(煎じ詰めれば経済的な理由ですが)養いきれなくなることは充分にあり得ます。そうしたときは子殺しが行われたり、人身売買などが行われたりといったことが多くの国で見られました。

もちろん、「口減らし」という言葉がある日本も例外ではなく、かつては子殺しも行われていましたし、身売り同然の年季奉公などは第二次大戦が終わってGHQによる法整備が成されるまで決して珍しいことではありませんでした。NHKの連ドラ『おしん』でも明治から昭和を生きた主人公が数え年で7歳のとき、材木屋へ奉公に出されたのは皆さんもよくご存じのことと思います。

経済が発展し、暮らしが安定すれば一家を支える労働力として子供を増やす必要もなくなりますし、何より公的年金や医療制度、介護制度などが整備され、高齢者を社会全体が支えようとする福祉政策が充実してくると、自分の子供に面倒を見てもらわなくても良いという状況になります。要するに、現在の日本や他の主要先進国では子供がいないという状態が自分たちの暮らしにとってかつてほど切実な問題ではなくなっているわけです。

(つづく)

すするなよ

些細なことで恐縮ですが、最近流れはじめた日清食品のテレビCM、レンジSpa王「ミルクのお願い」篇(←リンク先は音が流れますのでご注意を)が非常に気になっています。ま、あのベタなプロットはともかく、滝沢秀明さんがズルズルとスパゲッティをすすり込むのはいくら何でもマズイでしょう。

日清レンジSpa王「ミルクのお願い」篇

いえ、スパゲッティをすする人は私の身近にもいますし、グルメ番組を見ていてもそういうシーンに出くわすことはよくあります。「美味しく食べられれば食べ方なんて何でも良いじゃないか」という人もいるでしょう(ただし、そういう人は外国人が日本料理をどんなに滅茶苦茶な食べ方をしていても文句を言う資格はありません)。

が、これはイメージが重要な商品CMなのですから、この品を欠いた食べ方はどう考えてもNGでしょう。それとも、このCMを制作したディレクターは音を立てたほうが美味しそうに感じるとでも思って意図的にそういう演技指導をしたのでしょうか?

つい先日、テレビ東京の『ルビコンの決断』という番組で日清食品の創業者であり、インスタントラーメンの開発者(注)でもある安藤百福氏を取り上げた「“食の安全”をどう守ったのか?~インスタントラーメン開発者の決断~」を見て感心したばかりだっただけに、また過去にはカップヌードルのCM「Hungry?」シリーズがカンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを獲得するなど良質なテレビCMを繰り出していた日清食品だけに、あのカットを見過ごしたのは残念でなりません。


(注) よく安藤百福氏が「インスタントラーメンの発明者」とか、チキンラーメンが「世界初のインスタントラーメン」と紹介されることがありますが、これは誤りです。チキンラーメンが発売された1958年より3年早く、当時の松田産業(現在のおやつカンパニー)が「味付中華めん」というインスタントラーメンを発売しています。また、中国では清朝の時代に油で揚げた「伊府麺」という日持ちする麺が作られていたといいます。つまり、チキンラーメンが世界初なのは「商業的に成功したインスタントラーメン」と定義すべきです。

何と、いきなりプリウスが首位

昨日(6月4日)、自販連から5月の統計結果が発表されましたが、新車販売台数でプリウスが10,915台を記録し、ランキング(軽自動車を除く)2位のフィットに2,000台以上の差を付けていきなり首位(軽自動車を含む全体では3位)に躍り出ました。新型の発売が18日でしたから、月末まで僅か2週間しかなかったことを考えると、これは凄い数字です。それなりにタマ数を持って速やかにデリバリーできるよう周到に準備していたのかも知れません。

主要車種の登録台数推移08.12-09.05
主要車種の登録台数(2008年12月~2009年5月)
ご覧のようにプリウスとインサイト以外は年度末の駆け込み以降、低調が続いています。
新車効果が見られる一部の車種を除くと殆ど前年同月比でマイナスになっており、
全体では19.4%減(10ヶ月連続前年割れ)で、いわゆる「エコカー減税」の効果は見られません。
発売から5年経過した(モデル末期と思われる)パッソが前年同月比2.8%増と例外的に健闘していますが、
同じ販売店の稼ぎ頭だったカローラは53.5%減とかなり深刻な不振に陥っています。
(出典:社団法人日本自動車販売協会連合会)


意外だったのはインサイトで、4月に1万台超を記録したのはメディアの注目を集めるための(PR会社に手引きされた?)作為的な供給調整によるもので、すぐに5,000台強のペースに落ちるものと私は見ていました。ところが、4月に比べれば2,300台近く減らしたものの、5月も8,183台を記録して3位に踏みとどまっています。

ま、私の「1ヶ月天下」という予想は当たりましたが、この供給能力は想像以上でした。インサイトは4月からさらに増産されているという情報もありましたから、その効果かも知れません。もちろん、欧米への割り当てを各々1000台程度絞っている可能性もありますが。

今日(6月5日)の毎日新聞の朝刊にある「新車販売:プリウス首位 ハイブリッド快走 減税追い風、トヨタとホンダ好循環」という記事には以下のように書かれています。

プリウスの攻勢で、インサイトの5月の販売台数は前月比21・9%減の8183台だった


しかし、これは読みの浅い稚拙な解釈と言わざるを得ません。これを書いた記者はインサイトがまだかなりのバックオーダーを抱え、納期が2ヶ月程度かかっている状況を失念しています。5月にインサイトを購入した人は、恐らく3月くらいの契約だったと思われます。プリウスの攻勢によって減少したのではなく、4月に1万台超を供給できたのが特別だったというだけで、この8,183台は現状での国内供給能力の限界と見るべきです。

そもそも、当初計画の年産20万台から約5万台分上乗せされていたという3月末時点で鈴鹿製作所の生産能力のほぼ40%に達していたそうですから、フィットなどの主力車種も生産しているこの鈴鹿でさらに大規模な増産体制を構築するのは非常に困難でしょう。

ハイブリッドシステムの根幹を成す専用モーターも鈴鹿製作所内に新設されたラインで組み立てられているそうですから、当面はシフトを増やして稼働率を上げるしか対処できないと思われます。鈴鹿製作所には埼玉製作所から100人規模の応援スタッフが派遣されているといいますから、そうした取り組みを既に始めているようです。

もちろん、部品メーカーからの供給(日本の自動車メーカーの部品内製率はせいぜい2~3割といったところでしょう)にも限界がありますから、自社の製造ラインの稼働率を上げれば良いという単純なハナシでもありません。

ということで、国内の供給能力に関しては依然としてインサイトのおよそ2倍はあると見られるプリウスがしばらく首位に君臨し続けるのは間違いないでしょう。今月からはプリウスEXも発売になりますから、さらに毎月2,000台くらい上乗せになるハズで、当面この差を埋めることはできないでしょう。もっとも、インサイトの需要がプリウスのそれを上回るという状態も考えにくいところですが。

今年1~5月で29,118台販売されたプリウスが、先般予測したように18,000台/月でコンスタントに推移すると仮定した場合、12月までに15.5万台を超えます。年度(4~3月)では19万台を超える計算になりますから、2008年度に205,354台を売り上げたワゴンRと良い勝負になり、年度でもいきなり日本一になってしまう可能性が出てきました(軽自動車を除けばフィットを抜いて日本一になるのは間違いないと思います)。ま、あくまでも個人的な推測に過ぎませんけど。

トヨタにとって当面の課題は、このバカ売れしているプリウスの製造原価を如何にして引き下げ、利益率を向上させるかというところにあると思います。インサイトの低価格路線に対抗して値下げを敢行した現状では「利益なき繁忙」というべき状態に陥っている可能性も否めません。

GMは小型車に消極的ではなかった (その2)

GMの経営破綻を巡る各紙の社説はどれも似たような論調ですが、ピントが外れているところも似ています。毎日新聞の社説

GM破綻の究極的な原因は、魅力のある車をつくることができなかったところにあるわけだが、この点には日本の自動車産業も留意してもらいたい。


としていますが、これもかなりピントが外れています。例えば、軍用車のハンヴィーを民生用にアレンジしたのがハマーH1ですが、シボレー・コロラドというピックアップをベースに都会的なセンスを取り入れ、かなりマイルドに仕上げられたハマーH3は日本国内でも時々見かける人気車です。それだけに右ハンドル仕様も用意されていますし、輸入開始直後には完売となり、しばらくバックオーダーを抱える状況が続きました。

ハマーH3
HUMMR H3
ハブリダクションという手法で最低地上高を稼ぎながら
全高を抑えたM998四輪駆動軽汎用車(通称ハンヴィー)を
民生用にアレンジしたハマーH1は、しかし一般の道路では巨大すぎ
アメリカの道路事情でも持て余したのか、H2、H3と次第に小型化され
(といっても普通のSUVと比べれば決して小さくありませんが)
メーカー自身が「プレミアムSUV」と称する普通のクルマに
なっていきました。


ま、私の個人的な趣味とは全く重なりませんが、ハマーにしてもシボレーのフルサイズピックアップにしても、アメ車らしいビッグスケールのクルマはそれなりの魅力を持っており、多くのファンを抱えています。殊にハマーは車両価格が高価なため、絶対的なマーケット規模こそ大きくありませんが、この種のクルマが好きな人にとっては羨望の的になっているといっても過言ではないでしょう。

しかしながら、このハマーブランドも今般の再編計画で不採算部門として中国の四川騰中重工機械に売却が決まりました。要するに、魅力のある商品を供給できていても、自動車のように初期投資が巨額になるビジネスでは特に採算ラインの見極めが難しくなるのでしょう。こうしたビジネスの基本に忠実であるなら、読売新聞の社説の見出し「GM破綻 “売れる車”が再建のカギだ」のほうが正鵠を射ているといえます。が、

最大の問題は、エコカーなどの「売れる車」を開発し、競争力を回復することができるかどうかだ。


として、「売れるクルマ=エコカー」と短絡しているところに認識の甘さを感じます。確かに、近年の風潮はクルマに限らずエココンシャスなスペックが商品付加価値の一翼を担っています(もっとも、エコを標榜していても実効性があるとは限らず、単なるイメージに過ぎない場合のほうが多いくらいですが)。日本ではプリウスやインサイトが好調であったり、いわゆる「エコカー減税」が話題になったりしている風潮から読売新聞の論説委員はこうした発想に至ったのでしょうが、現実にアメリカでエコカーが売れているかというと、それほどでもありません。

アメリカでは日本ほど「地球温暖化人為説」が盲信されていませんし、原油価格が下がったことから昨年までに比べれば低燃費車の需要は高まっていません。以前にもお伝えしたように、ホンダ・フィットやトヨタ・ヤリス(日本名ヴィッツ)やシボレー・アビオ(大宇・カロスのOEM)などのコンパクトカーは急激に売上が鈍化し、大量の在庫を抱えてきたのが現状です。トヨタやホンダはボチボチ通常の在庫期間に戻っていると思いますが、シボレー・アビオなどはまだ3ヶ月分くらいの長期在庫が残っているハズです。

日本でもエコカー減税に関してはメディアが話題にしているだけで、先月も前年比19.4%減、10ヶ月連続の前年割れという状態でしたから、効果は殆どなかったと見るべきでしょう。そもそも、アレはトヨタの独善的な代替促進キャンペーンである「エコ替え」を国策的にやっているだけですから、その辺の胡散臭さが国民に見透かされているのかも知れません。

GMが経営破綻に至るまでには様々な要因が積み重なっています。最近の短期的な要因としては、以前「木を見て森を見ず」と題したエントリでも触れたように9.11テロ以降の市場縮小にも生産調整を行わず、大量の在庫を抱えてしまった問題や、それを売りさばくためにインセンティブをバラ撒いたことから収益を悪化させ、新車販売価格の低下は下取価格の下落を招いてユーザーから敬遠される悪循環を生んだり、フィアットとの提携話が破綻して巨額の違約金を支払わされたり、他にも色々ありますが、こうした判断ミスが重なっていました。

日本のメディアが諸悪の根源としたがっている「燃費の悪いSUVに注力してきた」というハナシも、間違いではありませんが、数多ある短期的な判断ミスの一つに過ぎず、破綻へ至る決定的な要因というべきものではありません。

長期的には労働者への厚遇、とりわけ退職者に支払われる企業年金や医療費などが財政面を圧迫し続けてきました。アメリカにも公的年金制度はありますが、日本のような皆保険制度はなく、医療費の負担に関しては日本と状況が大きく異なります。とはいえ、私たち日本人の常識からすればとても考えられないコスト負担になっていたという事実があります。GM凋落の元凶はここにあるという専門家も少なくありませんし、私もGMの体力を奪っていった最大の要因がこうした「負の遺産」にあったのは間違いないと見ています。

日本経済新聞の社説は「小型車を軽視してきた」という点で正しいとは言えないものの、こうした「負の遺産」についてはキチンと述べられています。

こうなった理由の一つは「強すぎる労組」だろう。全米自動車労組はグローバル競争の現実を直視せず、譲歩を拒み、退職者向け年金負担などレガシーコスト(負の遺産)は膨らんだ。新車1台当たりの同コストは1000ドルを超えるとされ、これが米国車の価格競争力を縛った。

 労使一体でコスト削減する日本的慣行があれば、事態はここまで悪化しなかったに違いない。


GM車1台当たりのレガシーコストについては1500ドルに達しているという試算もありますが、いずれにしても従前のような体制のまま債務を積み重ねていかないようにするなら、この少なからぬ額を新車販売価格に上乗せしなければなりません。が、そうして価格競争力を失えばビジネスそのものが成り立たなくなっていたでしょう。要するに、「負の遺産」を何とかしなければ首が回らない状態に陥っていたということです。

経営破綻と前後してこの問題は概ね解消されていたようですが、こうした巨額のレガシーコストを抱えるようになっていった背景には、労組が年金や医療費をなどの保障を労使交渉の具にしてきたことと、経営サイドが安易な譲歩を繰り返してきたところによるでしょう。加えて、こうしたコストを容認してきた株主たちのチェックも甘かったというべきかも知れません。

結局のところ、小型車に関する取り組みなどGMの凋落に直接的な影響は殆どなかったでしょう。会社そのものが無駄に肥大化し、様々な既得権が足かせとなっていった典型的な「大企業病」に蝕まれていたということだと思います。今般の再建計画ではこうした無駄を徹底的にそぎ落とし、何より効率を改善していくことが最重要課題であるのは間違いありません。要するに、大型化で失敗して小型化が必要だったのは製品であるクルマより、GMという企業のほうだったということですね。

何より滑稽なのは、レーガン政権以降の「小さな政府」を否定し、「大きな政府」へ転じたオバマ政権が、新生GMの「小型化」へ向けた舵取りをするという点です。

(おしまい)

GMは小型車に消極的ではなかった (その1)

ご存じのように最近まで世界一の自動車メーカーだったゼネラル・モーターズ(以下GM)が連邦破産法の適用を申請し、経営破綻しました。この超大型倒産について各紙とも社説で論評を展開していますが、やはり彼等の認識は燃費の悪いSUVなどに傾倒していたというもので、小型車に消極的だったことが破綻に至った主因とする論調が支配的です。

特にこの点に関する勘違いが酷いのは日本経済新聞の社説です。

GMなど米国車の弱みがあらわになったのは1970年代の2度の石油ショックだ。燃費のいい小型車の人気が高まったが、「小さいクルマは利益も小さい」として小型車を軽視してきた米国車メーカーは対応が遅れた。


確かに、直近においては収益率のアップとシェアの回復を期してGMがピックアップやSVUに投資してきたのは確かです。が、オイルショック以来「小型車を軽視してきた」というのは正しくありません。特にGMは大宇やスズキなどからのOEM車を北米市場でもシボレーブランドで販売してきましたが、その成果は決して悪いものではありませんでした。そのシボレーはキャデラックと並ぶ採算部門で、今般の再建でも中心と位置付けられています。今後の成否の鍵を握る最も重要なブランドと見るべきかも知れません。

過去においてもGMは小型車マーケットに切り込むべく、様々なアプローチを試みてきました。例えば、「サターン」というブランドは北米市場に台頭してきた日欧の中小型車対策として立ち上げられたもので、2000cc前後の(アメ車としては小排気量の)ベーシックカーを展開してきました。が、今般のリストラ策ではポンティアックなどと共に不採算部門として切り捨てられることが決まっています。

また、彼らはシボレーの代理店を通じて「ジオ」というブランドを展開していました。このジオというのはGMがトヨタと合弁で設立した「ヌーミ(NUMMI)」で生産したプリズム(スプリンターがベース)や、スズキとGMカナダの合弁会社「カミ(CAMI)」で生産したトラッカー(日本名エスクード)、いすゞで生産したストーム(日本名PAネロ)など、OEMやそれに近い車種を軸としていました。

このプロジェクトの狙いは、日本のメーカーと手を組んでカンバン方式などの管理技術と小型車の生産手法を学び、そのマーケティングを経験し、小型車市場において、特に若年層をターゲットとした競争力を高めようというものだったわけですね。逆に、GMと合弁会社を設立したトヨタやスズキは北米での現地生産を行うに当たって、その叩き台にする意向もあったようで、各々の思惑が一致していたと見るべきでしょう。

ジオブランドそのものは1989~97年で終了していますが、一部の車種はその後もシボレーブランドでの販売が続けられてきました。2004年にトラッカーの打ち切りを以てその直系のラインナップは消滅していますが、上述のようにシボレーブランドでスズキや大宇などのOEM車が販売されるビジネスモデルは受け継がれています。また、生産拠点のヌーミもカミも健在です(ま、今後どうなるかは予断を許しませんけど)。

1980年代にメルセデスが190EをBMWが3シリーズを展開したように、キャデラックもシマロンという小型車を投入しています。190Eは「小(こ)ベンツ」3シリーズは「六本木のカローラ」などと日本でも投入された当初は散々揶揄されたものですが、これらのドイツ車はそれなりに良く纏まっており、190Eは後にCクラスとして、3シリーズはいまも同じシリーズ名で主力を担うラインナップを形成しています(今日ではかなり肥大化してしまいましたけどね)。

一方、シマロンという小型キャデラックは、前輪駆動のJプラットフォームに1835ccの直列4気筒OHVエンジン(88ps)という、要するにシボレー・キャバリエと同じコンポーネンツで成り立っていました。これにキャデラックのエンブレムとそれらしきボディを与え、オプションで本革シートなどの高級装備も選べるようにしていただけで、メルセデスやBMWなどのように本格的な作り込みが成されていたわけではありません。こうした安普請をユーザーに見透かされてしまったのが僅か6年という短命に終わった原因でしょう。

キャデラック・シマロン
Cadillac Cimarron
全長4,392mm、全幅1,694mmですから、
現在のカローラ・アクシオよりも僅かに小さいボディサイズになります。
メカニカルコンポーネンツはキャバリエとほぼ同じものでしたが、
贅沢なオプションをフル装備すると、価格はその2倍にも達したそうです。
さすがに直4ではチープということでV6も追加されましたが、
それからあまり時間を置かずに生産が打ち切られました。


サターンはそれほど上手くいっていなかったなりにも何だかんだと四半世紀近く存続してきましたが、キャデラックの小型車路線はブランド価値を損なう危険もありましたから、早々に見切りを付けたといったところでしょうか。ジオというプロジェクトに関してはヌーミやカミで日本式の生産手法を学んだという一面もありますから、商業的な失敗を以て全てが無意味だったとは言えないでしょう。

日本の大衆メディアの多くはGMがこのように小型車市場へ様々な形でアプローチを試みてきた経緯を知りません。ただガソリンをがぶ飲みするSUVばかりを作ってきたと思い込んでいる彼等がGMの経営悪化のプロセスを正しく理解できていないのは明らかです。日経が言うように「軽視」してきたわけではなく、やり方があまり上手ではなかったゆえ、マーケットを掴むことができなかったと見るべきでしょう。そういう意味では、朝日新聞の社説で述べられている

燃費のいい小型車を作ることが不得手だった。


という一文は「取り組んでは来たものの上手くいかなかった」という様子を窺わせる表現になっていますから、そこそこマトモな(朝日新聞にしては上出来というべき)捉え方ができていると言えるでしょう(たまたまそう読める書きぶりになっただけかも知れませんが)。

(つづく)

マイナスの経済効果はカウントされない

例の高速道路休日1000円乗り放題をはじめとした料金値下げは、経済効果があると試算されています。実施前に報じられたMSN産経ニュースの記事によりますと、国土交通省は2年間で7300億円、第一生命経済研究所も2年間で7900億円と似たような値を弾いていました。

しかし、ゴールデンウィークを経て公共交通機関、とりわけ高速バスなどから利用客が減少していると不満の声が相次いでいます。

「高速千円」バスに打撃 乗客減少、大渋滞で延着も

 地方の高速道路の大幅値下げの影響で高速バスの利用客が減っていることが、日本バス協会の調べでわかった。渋滞のあおりで大幅な到着遅れも報告された。協会は「想像以上の影響。高速バスは収益力が比較的高く、一般道の路線バスを補う側面もあるだけに痛い」としている。

 協会がJRバス関東や名鉄バス、神姫バスなど大手5社から大型連休を挟む11日間の状況を聞き取ったところ、運行回数あたりの輸送人数は前年同期比で10%減。マイカーが「上限千円」となった土日祝日の7日間は同12%減で、平日4日間の同6%減に比べて落ち込み幅は2倍だった。

 到着遅れも各地で相次いだ模様だ。名鉄バスによると、ゴールデンウイーク中の同社の到着遅れの幅はおおむね例年の2倍に達し、定刻なら約6時間20分で結ぶ名古屋―香川・丸亀では最大で4時間遅れた。「リピーターが離れないか心配」という。

 国土交通省は「景気後退だけでなく、高速値下げも影響したことがうかがえる」(自動車交通局)と副作用を認める。(山本精作)

(C)asahi.com 2009年5月23日


西鉄社長 1000円高速に怒り バス乗客減、4時間遅れも

 西日本鉄道(福岡市)の竹島和幸社長は26日の定例会見で、自動料金収受システム(ETC)利用による高速道路料金割引について言及。大型連休中に九州の高速バス乗客数が約12%減少したうえ、渋滞により到着が4時間以上遅れる便もあったとして、怒りをにじませながら「1000円高速」施策を批判した。

 国土交通省がお盆期間など平日の割引実施を検討していることに対し、現行の土日祝日以外への適用拡充をしないよう、九州の82社が加盟する九州バス協会会長として、同省に要請していることも明らかにした。

 竹島社長によると、西鉄高速バスの4月24‐5月6日の乗客数と収入を前年と比較したところ、乗客は約3万6000人、収入は約5400万円減った。また福岡‐鹿児島線では、渋滞に巻き込まれ、通常の倍となる8時間以上かかった便もあった。「尋常でない遅延で、こういう状況が続けば客離れにつながる」と強い危機感を示した。

 九州の他のバス事業者も同様で、乗客が平均12.3%減少。中には20%を超す減少率だったところもあったという。

 お盆のほか正月期間の割引適用拡大については「(西鉄の)減収が2億円くらいになるのではないか。赤字路線は見直しを考えざるをえないかもしれない」と指摘。「環境問題の観点からも、おかしいのではないか」と不満をあらわにした。

 高速バス対象の割引もあるものの「十分ではない」として、九州のバス業界を代表して22日、国交省に(1)上限1000円施策の拡充防止(2)高速道渋滞緩和策の検討(3)バス事業に対する支援措置‐を求める要請書を提出。6月中に具体的な改善策を提示する考えを示した。

(C)西日本新聞 2009年5月27日


もちろん、鉄道会社からも同様に乗客を奪われたとか、トラック輸送業界からも渋滞で業務に支障をきたしているとか、不満の声がアチコチから上がっています。こうした副作用の影響を集計すれば、少なからぬマイナスの経済効果をもたらしているのは間違いありません。が、それが一体どのくらいの金額になるのか、この政策を推進してきた人たちが積極的に試算することはないでしょう。要するに、都合の良い数字だけを拾い集め、政策の正当性を誇示する一方、都合の悪い部分は無視するといういつものパターンですね。

当blogでは「高速道路の値下げは逆モーダルシフトを引き起こした 」と題したエントリで主に環境面についての矛盾を指摘しましたが、NHKのように「明日のエコでは間に合わない」などと毎日せっせと宗教的な擦り込みを行っているメディアもこうした矛盾点についてはあまり厳しい批判を展開していません。(余談になりますが、NHKがいつも手本としているイギリスのBBCは至って冷静に「most commentators say it isn't too late to do anything about it」として、「明日のエコでは間に合わない」などと煽るNHKとは全く逆の主張を展開しており、格の違いを感じさせます。)

中国や北朝鮮などは国策的に情報が操作されてしまいますが、日本はNHKのような政府の犬を別にしても、大衆メディアは阿吽の呼吸で足並みを揃えてしまいます。同じ情報鎖国であるにしても、日本は自由報道の雰囲気を漂わせている分だけ却ってタチが悪いといえるのかも知れません。

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まとめ

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