酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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デンマークは似非エコ先進国? (補足・その2)

先般、デンマークの風力発電は自立できないシステムであるということを述べたエントリについて、『デンマークは自らを「環境大国」だとは言っておらず、それは日本のメディアが勝手に作り上げたイメージではないか?』という趣旨のご指摘を頂きました。デンマークは風力発電を世界に売り込んでいますから、それには「エコ」というキーワードが欠かせないハズで、そのような状態を私は想像だにしませんでした。

が、もしご指摘の通りであれば常々批判してきた日本のメディアに踊らされただけということになり、私にしてみれば非常に屈辱的なことですし、デンマークに対する批判もお門違いということになります。そこで、日本のメディアを通さない具体的な事例はないか、色々調べてみることにしました。

まず、デンマークは今月17日、ユトランド半島の西側に世界最大の風力発電所を竣工しました(ロイターによるそのレポートはコチラです)が、そのセレモニーでラスムセン首相はこのようなことを語っています。

デンマークが green growth laboratory になること、それが我々の大志です。


世界最大の風力発電所の竣工式に当たってデンマークの首相がこのようなスピーチをしたということは、やはりデンマークは国を挙げて風力発電事業を推進し、「green growth laboratory」となることを望み、世界をリードする「環境大国」であらんことを志していると考えるべきでしょう。

また、2005年に在日デンマーク大使館と阪神トラベルが「デンマーク環境対策研修旅行」というツアーを主催し、環境技術と農務の専門担当官である大使館員が各々1名ずつ全行程に同行したのだそうですが、そのツアーのトップページにはこう書かれています。

デンマークは福祉,酪農・畜産そして環境国家として世界的に有名です。 これは人間だけでなくその周りの動物や環境に配慮する事が国民の QoL(Qualityof Life)を保証するのだと国が認識している結果だと思います。

(中略)

デンマークは1985年にエネルギーを原子力に頼らないと国会決議し、「持続可能な発展」をエネルギー政策の中心に据えています。 自然エネルギーの積極的開発もこの基本的スタンスのもと進められました。 現在ではデンマークの総電気消費量の12%を風力で賄っています。 2010年までに総電気消費量に占める自然エネルギーの割合を29%(日本は3.5%が目標値) することを目指しています。


本題とは関係ありませんが、日本では現在のところ水力発電が電力生産の9%ほどを担っていますが、これを「自然エネルギー」としてカウントしないのは偏見としか言いようがありません。もっとも、日本でも多くの人が同様の認識ですから、「再生可能エネルギー」とか「自然エネルギー」といったものはイメージばかり先行し、実態は全く認識されていないという状況が浮き彫りになっていると思います。

さらに、同サイトの「ハイライト」という頁にはこうも書かれています。

クリーンエネルギー先進国のデンマークは、風力およびバイオガスの分野において世界をリードしています。


デンマーク大使館が主催したツアーの案内にこのようなことが書かれている以上、デンマーク政府が自国を「環境国家」「クリーンエネルギー先進国」と考えているのは疑いようがありません。

トドメはデンマークの公式サイトで、以下の3つの画面が切り替わるFlashが流れます。

デンマーク政府公式サイト1
デンマーク政府公式サイト2
デンマーク政府公式サイト3

トップページの冒頭からこんな問いかけをし、そのリンク先では自国の風力発電やバイオマス燃料などの開発事業を大々的にPRしているデンマークが自国を「環境大国」だと主張していないとはどう考えても言えないでしょう。日本のメディアによる創作や誇張などではなく、彼ら自身がそのようなアピールをしていると断定して良いと思います。

しかし、FEDが指摘したとおり彼らは恒常的な電力供給を保証できない風力発電を補完するため、近隣諸国でCO2の排出を増やしただけです。こうした状況を鑑みれば、彼らを「似非エコ先進国」と批判することに問題はないでしょう。

いずれにしましても、今回のご指摘はさらに視野を拡大して状況を捉えることに繋がりました。そういう意味でも貴重なご意見を頂けたということで、大変感謝しています。

少しだけ欲をいわせて頂けば、私の書いた記事の内容が正しいか間違っているかはともかく、疑問をお感じになった点があった場合はご自分でも一度お調べになって、実態はこうなっていると具体的な補足を頂ければ私としては手間が省けて助かります。

(おしまい)
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デンマークは似非エコ先進国? (補足・その1)

先日、デンマークの風力発電は自立できないシステムであるということを述べ、そうした実態を知らずに「エコロジー先進国」だと日本の多くのメディアが賞賛していることを批判しましたが、こうした論旨にご納得頂けなかった方からご意見がありました。非公開で頂いたコメントですのでその扱いをどうするか迷いましたが、大変に良いご指摘だと思いましたのでこれは話題にすべきだと判断しました。

やはり非公開コメントという性格を踏まえ、そのままの引用は避けることにしますが、ご主旨としては以下のようなご指摘でした。

・もともとデンマークは自分たちを「環境大国」だと言っていないのではないか
・日本のメディアが勝手にそうした印象を与える報道をしているだけなのではないか
・もしそうならデンマークを批判し、「似非」だというのはいかがなものか


確かに、デンマーク人が自分たちの風力発電やその運用方法に対して「エコ」とか「クリーンエネルギー」といったことを主張しておらず、単に営利を目的としたビジネスとして淡々とこれに取り組んでいるというなら、まさにご指摘の通りで、デンマークに対する批判は完全にお門違いということになります。

デンマークでは国の制度や補助金などで風力発電の所有者には利益が出るような仕組みになっています。もっとも、それは電力会社の負担や税金の投入を伴うものですから、トータルでは黒字になっていないハズですが、とにかく風力発電所を構えればそのオーナーは儲かるようになっており、彼らにとっては営利事業になっています。デンマークでは風力発電の民間所有が全体の約80%を占めていますが、それもこうした事情を反映したものでしょう。

以前、デンマークの共同所有・個人所有の民間風力発電所を取材した番組(どこの局の何という番組かは失念しました)を見たことがありますが、こうした風力発電を所有している人たちがこれを「エコ」だと信じて胸を張っている様子が伝えられていました。ですから、私もデンマーク人が自国を「エコロジー先進国」と考えているのだと感じたわけです。が、よくよく思い返してみますと、これは日本のメディアが製作した番組ですから、ありがちなバイアスがかかっていた可能性も十二分に考えられます。

たまたま、取材されたオーナーが極まれにしかいない意見の持ち主で、現状のシステムでは環境保護に寄与するとは言い難い風力発電を「エコ」だと信じていただけかもしれません。あるいは、ヤラセを屁とも思わない日本のメディアが全てを仕込んでそのように語らせていただけかも知れません。もし、そうした日本のメディアの創作したデンマークのイメージに私も乗せられていただけだったとしたら、それは非常に屈辱的なことです。そういう意味でも大変良い視点からのご指摘を頂いたわけで、これは本当に感謝すべきことです。

デンマークはスペインとの合弁事業を含めると風力発電事業の世界シェアの約65%を握る圧倒的な風力発電大国ですが、そうした事業を単なる営利事業と捉え、医薬品や豚肉に次ぐデンマークで3番目の売上高を誇るだたの輸出品目と考え、国を支えるただの基幹産業としているだけで、「エコ」とか「クリーンエネルギー」といったことを彼らは謳っていないのかもしれません。

ただ、現実問題として、出力が非常に不安定で電源としての品質が極めて低く、コストも高い風力発電を売り込むには「エコ」を標榜しないわけにはいかないでしょう。ですから、彼らが風力発電を「エコ」だとか「クリーンエネルギー」だとかそういうことを言っていないとは、まず考えられないところですが、実態はどうなっているのでしょうか?

また、デンマークは北海に油田やガス田を持ち、毎年1億3000万バレルを超える原油と、3億3500万ギガジュールにもおよぶ天然ガスを産出しており、エネルギー自給率は140%にも達します。これを火力発電に用いて普通に電力を供給すれば、わざわざ近隣国から電力を輸入する必要などありませんが、現在のエネルギー政策ではそのようになっていません。その目的は国内でのCO2排出量を削減する以外に考えにくいところで、ほかにどのような思惑があるのか私の頭では想像が付きませんが、本当のところはどうなのでしょう?

果たして、デンマーク人は自国を「環境大国」だと主張しておらず、それは日本のメディアが勝手に作り上げたイメージでしかなく、私はそれに踊らされてお門違いの批判を書いてしまったのでしょうか?

そこで、こうした疑問を解決すべく、具体例がないか調べてみることにしました。

(つづく)

デンマークは似非エコ先進国? (その2)

日本のメディアにはしばしば「風力発電先進国」「エコロジー先進国」などと持て囃されるデンマークですが、変動が激しい不安定電源である風力発電が電力生産の18%も占めるなど、現在の技術レベルを踏まえて常識的に考えればあり得ないことです。このあり得ない状態が何故デンマークでは成り立っているのかといいますと、それは国内で吸収できない変動分を分担してもらうため、風力発電によって作られた電力を近隣国に買ってもらっているからです。

CO2の排出量取引が制度化されているヨーロッパでは風力発電による電力を買えばその分のCO2排出量を削減したとカウントされる仕組みになっています。こうした仕組みが効いて相応の需要もありますから、変動の吸収に余力があるうちは近隣国もこれを買ってくれるわけですね。しかし、全世界が同じレベルで風力発電や太陽光発電などの不安定電源を普及させていったらこんな姑息な手段は使えなくなります。

デンマークの風力発電の割合が高い理由はもう一つあります。彼らは2000年から5年間でエネルギー部門のCO2排出量を11%も削減しました。日本のメディアはこの数字だけを見て風力発電を崇拝しているようですが、実際には巧妙というより奸智に長けたというべきカラクリがあるんですね。

デンマークが風力発電の電力を近隣国に買ってもらっているのは電力が余っているからではありません。あくまでも自国内で変動を吸収しきれないからです。何故そのようなことが断言できるかと言いますと、彼らは2000年からの5年間で近隣国からの電力輸入量を従来の2倍に増やしているからです。そうして国内の火力発電による電力生産を大幅に減らし、CO2排出量の大幅な削減に成功したのです。

近隣国から電力を輸入しながら国内の火力発電による電力生産を減らせば、相対的に風力発電の割合はさらに増えます。18%という高い比率はこうして成り立っているというわけですね。ちなみに、こうしたデンマークのやり方に対するFED(フランスの持続可能な環境連盟)の評価はこうです。

「デンマークは恒常的な電力供給を保証できない風力発電を補完するため、近隣諸国で二酸化炭素の排出を増やしただけだ」

日本のメディアは「エコロジー先進国デンマークを手本にすべし」というようなことをよく言いますが、こんなやり方はちっともエコではなく、むしろ似非エコの範疇に入るといって差し支えないでしょう。自国内で処理しきれないほど無駄に風力発電を増やし、近隣国の火力発電も利用して変動を吸収するという自立できないシステムなど真似してはいけません。

「自分の国さえCO2を減らせれば他国がどうなろうと知ったことではない」というスタンスはエゴそのもので、みんながこんなやり方を始めたらシステムとして成り立ちません。それを承知で日本がデンマークと同じようなことをやるとしたら、どこに変動分の肩代わりをしてもらえばいいでしょう? 中国ですか? 韓国ですか? ロシアですか?

いずれにしても、島国の日本が近隣国と電力を融通し合うとなれば、海底に長大な送電線を敷設するという莫迦みたいなインフラを整備しなければなりません。莫大なカネとエネルギーを投じ、送電による損失で折角の電力を目減りさせ、インフラの維持にカネとエネルギーを継続的に投入し、それで国内のCO2をいくらか削減しても、近隣国に帳尻合わせを押しつけたのでは何の解決にもなりません。こんな詐欺的なシステムを手本にしろというのは、こういうカラクリになってることを知らないか、風力発電をカルト的に盲信しているか、どちらかということになるでしょう。

それでアチラのCO2の排出量がどのような状況で推移したかといいますと・・・

欧米各国のCO2排出量
1997年以降のCO2排出量の推移

ご覧のようにドイツやスウェーデンでさえほぼ横ばい、全体としては増加傾向を示す中でデンマークの一人勝ちです。要するに、デンマークのようなやり方は一人勝ちになるような状況でしか成り立たないと見るべきなんですね。こうしたインチキなやり方が許容されるのも、デンマークが人口500万人という千葉県にも満たないような小国だからでしょう。

同様に世界屈指の風力発電大国であるスペインはデンマークのように他国の火力発電で変動を補完するような手段を選ばず、国内の火力発電を強化してこれに対応する道を選びました。こういう真っ当なやり方をするとどうなるかといいますと、逆にCO2の排出量が増加するという皮肉な結末に至ってしまうのです。

イタリアのように原発廃止を撤回し、これを見直そうとする風潮がヨーロッパでは広がりつつあります(それもCO2温暖化説を既成事実化した狙いの一つかも知れません)が、原発が電力生産の約20%を占めるスペインは相変わらず脱原発路線を維持しており、昨年7月にもサパテロ首相が「公約通り段階的廃止を進め、新規投資はしない」と宣言しています。

原発は火力発電のように出力を細かく調整することができません。スペインは風力発電の変動分を補完するために出力調整が容易な火力発電を強化したわけですから、いくつかの原発で炉を止めて電力供給量を整えたのでしょう。ま、それはそれで脱原発に向けた筋道とも符合して良いのでしょうけど、火力発電を強化したことで結果的にCO2の排出量を増やしてしまったというわけです。

実際、スペインは2000年からの5年間でエネルギー部門のCO2排出量を10%も増やしてしまい、全体でも上図のようにヨーロッパ随一のCO2排出量増加国となってしまいました。ま、個人的にはCO2温暖化説など信じていませんから原発を火力発電にシフトするのはむしろ良いことだと思いますけど。

デンマークは風力発電以外の電力生産を火力発電に依存し、原発は1基も持っていません(ただし、ドイツからの輸入電力には原発での発電分も少し含まれるようです)。出力調整の容易な火力発電が圧倒的な割合を占めているデンマークが2割足らずの不安定電源を抱えただけで自己完結できないのですから、火力発電が6割程度、原発が3割以上を占める日本で風力や太陽光のような不安定電源を増やしていくとしたら、どうやってその変動分を補完すれば良いのでしょう?

そうした答えもないまま闇雲に風力発電や太陽光発電などの不安定電源を増やせというのは「無い物ねだり」というものです。本来であれば、メディアが率先してこうした現実をキチンと把握して広く知らしめ、環境負荷を抑える実効性の高いエネルギー政策はどうあるべきかという問題提起をしていかなければならないハズです。しかし、日本の殆どの大衆メディアはこの宗教的なお祭り騒ぎをただ煽るだけです。この莫迦げた似非エコブームはいつまで続くのでしょうか?

(おしまい)

(補足へつづく)

デンマークは似非エコ先進国? (その1)

昨今の軽薄なエコブームは風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーを無条件に推進したがりますが、これらはコストなどの問題以外にも運用面で様々な課題があります。特に大きな課題は出力が極めて不安定であるというところでしょう。

風力発電の場合は風の強弱で出力が大きく変動します。風が止んだり一定レベル以下に弱まったりすれば発電できなくなるのはいうまでもありませんが、台風のように強すぎてもタービンブレードの破損やタワーの倒壊を防ぐために止めなければなりません。止めないとこうなりますが、自然相手ですから止めても駄目なときは駄目でしょう。

太陽光発電も曇れば出力が低下しますし、日が沈めば発電できなくなります。パネルに雪が積もっても発電できなくなりますから、豪雪地帯の冬には馴染まないでしょう。こうした「風任せ」「日和任せ」の不安定電源を大規模に導入したら、そのままこれを用いることはできません。電力は常に安定供給されていなければ様々な障害を引き起こしてしまうからです。

日本の商用電源は糸魚川を境に東が50Hz、西が60Hzの交流となっていますが、こうした不安定電源の電力を何もしないで混ぜてしまうと周波数や電圧を乱し、機器の不調を招く恐れがあります。電力供給が少しでも不足すればたちまち停電になってしまいますから、常に需要を少し上回る程度に供給量を整えなければなりません。

現在の日本のようにごく小規模で殆ど役に立っていないレベルならばともかく、将来的に国内電力供給の何十%かをこれらの不安定電源で賄うとなれば、安定化のために様々な施策を講じなければなりません。風が止んだり、日が陰ってしまうなど出力が大きく低下した場合はその分の電力を補わなければなりませんが、電力生産に占めるこれらの割合が上がっていけば火力発電や貯水池式水力発電の出力調整でも補えなくなります。

風力や太陽光を増やしても火力を減らさなければCO2排出量の削減にはなりません。火力発電所を減らせばその分だけ出力調整ができる幅も小さくなってしまうというジレンマがあります。こうした出力調整に頼れなくなったら、揚水式水力発電(余剰電力を利用して水を汲み上げておき、電力が不足するときに汲み上げておいた水で発電を行うというもの)を増やしていくか、バッテリーに蓄えておくなど、大規模なエネルギーストレージを設けなければなりません。

風力発電や太陽光発電などの出力変動を調整するために揚水式水力発電所を設けるくらいなら、初めから風力や太陽光はやめて普通に水力発電所を設けるべきです。失念している人が多いようですが、水力発電だって立派に自然エネルギーを利用した発電方法です。太陽のエネルギーで蒸発した水が雨になって降り注ぎ、その水の力を利用する持続可能エネルギーだということを多くの人が認識していないように感じます。

しかも、普通にダムを設けている水力発電は渇水などの問題がない限り風力や太陽光のように不安定ではありませんし、コストもずっと安く抑えられます。生態系に悪影響を及ぼす懸念もありますが、デンマークやドイツのように洋上におびただしい数の鉄塔を建てて海流や気流を乱す風力発電が自然界に何の悪影響も及ぼさないということはないでしょう。

デンマークの洋上風力発電
デンマークの洋上風力発電
コペンハーゲン港の3km沖合にあるミドルグリン風力発電所です。
タービンブレードの長さを加えると全高100mを超える
非常に巨大な風車がズラリと20基も並んでいます。
これだけ巨大なタワーを設置するには海底を深く掘り下げ、
基礎を深く埋め込んでおかなければなりません。
その工事で海底の地形もかなり変わるでしょう。
もちろん、海流にも影響を与えるのは間違いないでしょうから、
これが水力発電より地球環境に優しいといえるかどうかは
厳密なアセスメントを実施しなければ判断できないと思います。


ダムの建設は環境破壊だとする一方、風力発電を無条件で推進したがるこの風潮を作っているのは、単なる「思い込み」だと感じるのは私だけでしょうか?

一方、日本ガイシが盛んにテレビCMを流しているNAS(ナトリウム硫黄)電池はエネルギー密度がリチウムイオン電池並みに高く、有望なエネルギーストレージとして海外からも注目されています。価格も安く、原材料の資源も豊富で、サイクル寿命も2500サイクル以上と非常に優れているなど沢山のメリットがあるんですね。

しかしながら、作動温度域が300~350℃と高く、現実的にはヒーターで加熱してやらなければならないため、エネルギー効率が優れているとは言えないでしょう。また、他のエネルギー密度が高いケミカルバッテリーと比べて安いとは言っても、電力需要の何%といったレベルの大規模なエネルギーストレージとして用いるとなれば、やはり莫大なコストがかかります。

風力発電や太陽光発電はただでさえコストが割高で効率も悪いのですから、こうした安定化の設備を加えればコストの上昇と効率の低下をさらに拡大してしまうことになるわけですね。メディアはこうした不安定な再生可能エネルギーの利用に消極的な日本政府を批判的に報じますが、要するに彼らはこうした課題をあまりよく理解していないのでしょう。

無知な日本のメディアに「風力発電先進国」と讃えられるデンマークの場合、国内の電力生産の18%くらいを風力発電が占めています。常識的に考えるとこのような高い割合では成り立つわけがありません。では、デンマークはどうやって風力発電の割合をここまで引き上げることができたのでしょうか?

(つづく)

地球温暖化問題はいつも偏向報道される

昨年も「北極海の氷は減ったときしか報道されない」と題したエントリで述べましたように、2007年の夏に北極海の海氷が大きく減少してメディアは大騒ぎしました。しかし、昨年も今年も全く騒がれませんでしたね。何故かといえば、2007年ほどの減少がなかったからです。特に今年は例年並みに戻りましたから、「日々刻々と地球温暖化が進行している」という彼らのストーリーにはそぐわないゆえ、最近の北極海の海氷がどうなっているのか具体的な情報が全く伝えられなくなったというわけです。

北極海の海氷の変動状況
北極海の海氷の変動状況
北極海の海氷は毎年9月中旬くらいに減少のピークを迎えます。
ご覧のように赤線で示されている今年の変動に関しては
9月前半の減少レベルが例年を少し上回っている感じですが、
昨年や一昨年に比べればずっと小さく、減少のピークも2005年並みで
殆ど誤差の範囲というレベルに戻りました。
(出典:IARC(国際北極圏研究センター)-JAXA(宇宙航空研究開発機構)情報システム)


北極海の海氷の変動状況(拡大図)
北極海の海氷の変動状況(拡大図)
上の図では細かいところが解りづらいので拡大したものを載せておきます。
黄色の線で示されている2007年や橙の線で示されている2008年に比べ
赤の線で示されている今年は例年並みに戻っているのが解ります。


人工衛星で観測されている北極海の海氷の分布状況も併せてご覧下さい。

2007年9月15日の北極海海氷分布
2009年9月15日の北極海海氷分布
(出典:JAXA北極圏海氷モニター)

上が2007年9月15日で下が今年の9月15日です。やはり、大騒ぎされた2年前と今年では分布状況が大きく異なっており、特に東シベリア海やアラスカ海の海氷が2007年ほど後退しなかったことが解ります。

先週だか先々週だかにNHKのニュース番組で地球温暖化問題を取り上げたとき、北極海の海氷についても述べていました。が、そのときもやはり人工衛星で観測されるようになってから最も減った2007年のデータを用いており、今年はそこまで減っていないという事実は伝えませんでした。これを「メディアバイアス」あるいは「偏向報道」と言わずして何と表現すべきでしょう?

北極圏の気候変動はかなり特異でこれまでも激しく高下しているんですね。人工衛星での観測が始まった1970年代はむしろ異常低温だとする専門家もいました(それゆえに人工衛星での観測を始めたというハナシも聞いたことがあります)。中には北極海が海氷に閉ざされて船舶の航行ができなくなることを危惧し、原子力エンジンで暖流を北極海まで導こうという地球工学的なアイデアもあったほどです。

地球全体と北極の気温推移
地球全体と北極の気温推移
ピークとなった1940年頃は現在よりも高温で
夏になると北極点の海氷が消失することも
珍しくなかったといいます。
(出典:IARC)


1959年夏の北極点の様子
1959年夏の北極点の様子
世界初の原潜SSN-571ノーチラスの成功を踏まえ
1957年に就役したSSN-578スケートだと思われます。
北極点の潜航通過を果たしたのみだったノーチラスに対し
このスケートは1958年8月に北極海で開氷面に浮上するなど
本格的な作戦行動を初めて実施した原潜なんだそうです。
関係ありませんが、1959年といえばアラスカが
アメリカ合衆国の49番目の州に昇格した年でもあります。
(出典:アメリカ海軍)


ま、この写真などはアル・ゴア氏の『不都合な真実』のパターンを逆手に用いたみたいなものですから、大きく掲げて鬼の首を取ったように騒ぐのは私の趣味ではありませんけどね。いずれにしても、地球温暖化による異常現象がどうのこうのと大騒ぎするメディアにとっては今年の北極海の海氷の分布や、こうした資料は触れたくない「不都合な真実」なのでしょう。

ついでに述べておきますと、ホッキョクグマは泳ぎが非常に得意で、一度に何十kmも泳いで移動することが可能です。小さな流氷に取り残されたように見えるホッキョクグマの映像にそれを哀れと感じさせるようなBGMやナレーションを付しているのもやはりメディアバイアスと言わざるを得ません。

また、ホッキョクグマの多くは夏場の5ヶ月ほどを陸上で過ごします。この時期は主な獲物となるアザラシなどの捕獲が難しくなりますが、ホッキョクグマは50km/hくらいで走れますから、カリブーやジャコウウシなど陸上に生息する動物を狩ることもできますし、鳥やその卵を狙うこともあります。そもそもクマは雑食性でホッキョクグマも例外ではなく、コケなども食べることがあるそうです。

また、普通のクマが冬眠するようにホッキョクグマはエネルギー消費を抑える能力を備えており(妊娠したメスは出産まで冬眠するそうですが)、一説によれば1頭のアザラシを捕食すれば半年以上生き延びられるといいます。要するに、北極海の海氷が無くなったらホッキョクグマも同時に絶滅してしまうというストーリーもそれほど確実なものではないと見るべきでしょう。上図のように1940年頃をピークとする温暖期や中世の温暖期などもちゃんと乗り越えてきた実績もありますし。

現在のホッキョクグマの個体数は2万~2万5000頭くらい、最近10年で10%程度減っているとされています。しかし、乱獲された1950年代には5000頭くらいまで減っており、後に保護動物に指定されてから数を増やして今日までに4~5倍まで数を増やしてきたわけです。また、乱獲されていた1950年代以前はその具体的な個体数や変動がどのようになったいたのか把握されていません。1940年頃をピークとする北極圏の温暖期にホッキョクグマの個体数がどうなっていたのか解っていないんですね。

2万頭以上という個体数はライオンと同等、トラの5~10倍くらいですから、生態系の頂点にいる大型のほ乳類としてそれほど少なくありません。しかも北極圏という生物の生息環境としては過酷でエサになるような動植物も少ないことを考えれば、むしろ多いくらいかも知れません。それよりも桁違いに個体数が少ない絶滅危惧種は沢山あるのですから、そちらの保護を優先させるべきでしょう。実際、北極海の海氷も戻ってきたことですし。

NHKの『みんなのうた』で流された『ホッキョクグマ』という歌は子供に聴かせるにはあまりにも偏向した内容で、これはもはや洗脳というべき領域に入っています。YouTubeの投稿にもこの詞や映像構成に対する批判的なコメントが大半を占めていますが、政府の犬として偏向報道を屁とも思わない彼らには決して届かないのでしょうね。

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その6)

日産自動車は12年も前に市販車として世界初のリチウムイオン電池車を発売しました。が、今年7月下旬に三菱自動車がi-MiEVを発売したときのような話題にはなりませんでした。いまにして思えば、トヨタが燃料電池車の量産宣言をしてブームを巻き起こし、「燃料電池は自動車の次代を担う切り札」と誰もが信じ込んでいたタイミングでリチウムイオン電池車を出しても全く注目されなかったのは当然の成り行きだったのでしょう。少々割高感はあったものの充分に現実的といえる価格で初代プリウスが発売されたのも同じ年でしたし。

プレーリージョイEV
日産プレーリージョイEV
市販車初のリチウムイオン電池車であるこれはベースとなったプレーリージョイより220kg程重く、
バッテリーの重量もその前後だと想像されます。
諸元表にある航続距離は「200km以上」となってますが、基準となる走行パターンが明示されておらず、
i-MiEV同様に実際はかなり目減りするものと想像されます。
このクルマもまた自治体や大手法人などを対象とし、リース販売されました。
要するに、電気自動車を取り巻く状況はこの12年間殆ど進歩していないということです。


太陽光発電などもそうですが、高額な補助金を注ぎ込まなければビジネスとして成り立たないような状況で、それが10年単位の長い期間続くようであれば、考え方を改める必要があるでしょう。旧態依然の低レベルな製品を無理に普及させようとするより、その予算を基礎研究に投資して、もっと根本的な技術力の底上げを目指したほうが良いのではないかと思います。

もちろん、事業性が見込めれば民間企業も積極的に投資するようになりますし、業界全体の活性化にも繋がりますから、マーケットの創造を促すような補助金にも意味はあると思います。が、電気自動車には昔から補助金が支給されていました。その規模はともかく同じような状況が延々と続いてきただけで、その過程に大した進歩はありませんでした。現在のリチウムイオン電池の能力では実用的なクルマを成立させるのに桁が一つ足りないのですから、無理もないでしょう。

そんな桁違いに脆弱な電池で動くクルマを普及させるために補助金をバラ撒くくらいなら、実用的な電気自動車を成立させるための次世代バッテリーを開発している人たちにそのカネを使ったほうが良い結果が得られるのではないかというのが私の個人的な感想です。

同時に、充電スタンドはビジネス面から見て悪条件が多すぎますから、これも何とかして改善する方法を本気で検討しておかなければならないでしょう。あるいは、バッテリーそのものもインフラを考慮した構造にしなければならないかも知れません。

例えば、ベタープレイスのようにバッテリーを丸ごと充電済みのものに交換するのではなく、中身の一部を入れ替える方式が提唱されています。具体的には、リチウム空気電池を応用したもので、正極を多孔質炭素の空気端子とし、負極をカセット式の金属リチウム端子とします。正極側に水溶電解液、負極側に有機電解液、両者の間にリチウムイオンだけを通す膜を置いて混合を防ぎ、充電スタンドで正極側の水溶電解液を交換するとともに負極のカセットを交換して金属リチウムを補給するといった具合で、これは新種の燃料電池と見なすこともできます。

リチウム空気電池を応用した金属リチウム燃料電池
リチウム空気電池を応用した金属リチウム燃料電池
産業技術総合研究所と日本学術振興会が開発した新型のリチウム空気電池は
新種の燃料電池と見なすことができます。
正極は多孔質炭素ですが、空気中にある酸素を活性物質とするため
理論的に正極の容量密度は無限となります。
負極のリチウムイオンが正極に向かい、水酸化物イオンと結び付いて
水酸化リチウムになるとともに電流が流れます。
スタンドでは正極側の水溶電解液を交換して水酸化リチウムを回収し、
負極の金属リチウムを補充すれば短時間にエネルギーをチャージできます。
回収した水酸化リチウムを再生して負極の金属リチウムとし、
これを循環させるというシステムです。


こうした方法であれば正極の電解液の入れ替えと負極のカセットを交換するだけで済みますから、それほど時間はかかりません。クルマのパッケージングに大きくかかわるバッテリーの形状や搭載方法についても制約が小さくなるでしょう。さらに、充電スタンドに大仰な機械設備を設ける必要がなく、スペースの利用効率もベタープレイス方式より遙かに優れたものになるでしょう。

もちろん、こうした従来の発想とは全く異なる仕組みを実用化するにはバッテリーそのものの構造から充電インフラの在り方を含め、関係するシステムを総合的に検討しなければなりません。その過程には困難な課題を幾つもクリアしていかなければならないでしょう。しかし、それくらいのことをやらなければ結局は従来の延長線上にとどまり、従来の課題をそのまま引きずる状態が続くかも知れません。

現在のリチウムイオン電池に対して容量は桁を一つ上げ、価格やエネルギーチャージの時間に関しては桁を一つ以上下げなければ一般消費者に買い替えたいと思わせるようなクルマにはならないでしょう。従来から続くやり方の延長線上で桁違いの性能を得るにはよほど奇跡的な大発明でもなければ難しいと思います。ま、発想を大きく転換させ、従来とは全く異なるアプローチをすれば上手くいくという保証もありませんけど。

いずれにしても、電気自動車が売れるようになったら充電インフラも後から勝手に付いてくるなどと高をくくっていては、いつになっても電気自動車が主流になる日は来ないでしょう。電気自動車はこれまでにも何度となく市場投入が試みられてきましたが、その度に挫折を重ねてきました。取り立てて大きな変革もないまま同じようなやり方を繰り返しても、同じ結果をなぞるだけです。清水教授をはじめ、関係者やメディアも早くこのことに気付くべきです。

(おしまい)

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その5)

清水教授が開発したエリーカは確かに凄い電気自動車ですから、プロジェクトリーダーとしては大いに尊敬すべき人物であると思います。しかしながら、電気自動車を取り巻く世界観に関してはかなり偏向していますし、何より製品とそれを支えるインフラとの関係についての理解やビジネス面でのビジョンがあまりにも稚拙で、その方面の談話は全く傾聴に値しません。

その全てに突っ込みを入れているとキリがないのですが、特に酷かったのは件の記事の見出しに「10万台、7年で電気自動車が主流になる」と掲げられ、「これはいいなと思える電気自動車を1本のラインで10万台造ったら、そこから7年間で車は電気に入れ替わります。」などと荒唐無稽なことを語っているところです。ここまでの大風呂敷はもはやペテンと見なすべきでしょう。

例えば、プリウスは12年前から生産されていて今年の8月末時点で累計142万9300台に達しています。この12年間で年平均12万台近く生産されているわけですね。そうした状況にありながらハイブリッドカーが主流というべきレベルにはまだ程遠いものがあります。

プリウスは発売から12年を経て3代目になって、日本では圧倒的な人気車種に育ちました。が、アメリカでの人気はそこそこ、ヨーロッパではまだまだといった状況です。インサイトはさらに芳しくなく、4月から7月までの4ヶ月間にアメリカで売れた総台数は僅か9,250台にとどまっています。これは当初目標の年間9万台のペースから見れば1/3にも届かない玉砕状態で、インサイトがマトモに売れているのは世界中で日本だけといっても過言ではないでしょう。つまり、ハイブリッドカーが世界的な主流になるとしても、それはまだ先のことです。

インフラは最初から全く問題なく、価格もかなりこなれてきて、ハイブリッドカーには普及を阻む大きな懸念がなくなってきました。現在の日本では補助金が支給されているものの、それはハイブリッドでない低公害車も同じで景気刺激策的な色あいが強いものですから、電気自動車に対する補助金とは全く次元が異なるものです。実際問題としてハイブリッドカーを売るために補助金など必要ありません。私が2代目プリウスを買ったときも補助金など受けませんでしたし。

ビジネス的にもちゃんと採算性が見込めるレベルに達しているハイブリッドカーですが、それでもまだ主流となるまでの道は平坦といえないのが現状です。電気自動車は車両本体もインフラも採算の目処すら全く立っていないわけですから、10万台造って7年経てば電気自動車が主流になるなどというハナシは完全に根拠を逸しています。こうした発想が出てきた時点でこの技術屋さんの語る自動車ビジネスなど絵に描いた餅でしかないと見切るべきです。

さらに言えば、清水教授は「21世紀型に置き換えれば、温暖化の問題もなくなるし、エネルギーの問題もなくなる」などと、何をどう考えればここまで楽観的になれるのか凡人の私には逆立ちしても理解できないようなことを語っています。が、そこまで言っておきながら原子力発電については「いろいろあるんですけど(笑)、私の本の中でも触れないようにしているんです。」などと黙秘を決め込んでしまいました。こんな無責任なことは許されないでしょう。

現在の日本で電気自動車を走らせるということは、原子力発電所を持たない沖縄電力が電力供給している地域や離島などの独立系統を除いてほぼ例外なく間接的に核廃棄物の排出を伴います。物事には多くの場合メリットとデメリットがあるわけですが、メリットばかりを語ってデメリットには触れず、その話題を振られると完全に口を閉ざしてしまうというのはフェアじゃありません。

結局、電気自動車を推進する人たちは一方的な理屈をこね、それを支える根拠は詭弁になっていることが多く、メリットしか語らず、デメリットには触れないようにし、将来像についてもあらゆる観点からキチンと現実を見据えることができていないというパターンが非常に多いように感じます。

特にビジネスという面では基本的な考え方が信じられないくらい甘すぎます。それこそ箱モノ公共事業の事業予測にも劣る妄想レベルのハナシをまことしやかに吹聴していたりします。それでいながら、彼らの主張のほうが圧倒的に大きく扱われてしまうのですから、この軽薄な電気自動車ブームは政府やメディアや電気自動車を作っている人たちが膨らませた単なるバブルでしかないと考えるべきです。

それにしても、これほどビジネスの感覚がズレまくっている清水教授が社長に就任したのでは、電気自動車のプラットフォームを開発するために設立された株式会社シムドライブの前途も非常に険しいものになるのではないかと危惧されます。主要な出資者であるベネッセやガリバー、丸紅などの各位には「カネをドブに捨てたという結果に至らないよう祈ります」としかコメントのしようがありません。

シムドライブ清水社長
シムドライブの「社長からのメッセージ」という頁にある清水氏の写真ですが、
グラフ誌に載っていそうなポートレートをチョイスしたのは少々痛い感じです。
ま、ベンチャー企業の経営者にこの種の勘違いはありがちなパターンですけど。


このような実態のない期待感だけが膨れ上がっている状態はそうそう維持できるものではありません。インフラひとつとっても、自治体などが中心となって補助金制度を設けても、企業に参画を呼びかけても、それに対するリアクションは冷め切った状況が続いています。電気自動車そのものの性能も価格もまだまだ現実的なレベルに達していないのは何度も述べてきたとおりで、こうした状況が何年も続けば多くの人が失望するかそのまま忘れ去ってしまい、この期待感も見る影なく萎んでしまうのは確実です。

こうした状況は燃料電池車が大騒ぎされたときに極めて酷似しています。といいますか、デジャヴュを見ているようです。あのとき象徴的だったのはトヨタでした。1997年の東京モーターショーで燃料電池車のコンセプトカーを展示し、試乗車を走らせ、2005年までに燃料電池車を量産化すると宣言しました。メディアはやはりこれを大々的に取り上げ、いまの電気自動車ブームと全く同様にインフラの整備や非現実的な価格をどうするかといった課題を一切を無視して期待感だけを暴走させ、「近い将来を担うクルマは燃料電池車しかない」と誰もが信じ込まされました。しかし、その結果はご存じの通りです。

(つづく)

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その4)

慶應大学の清水教授は電気自動車のプロジェクトリーダーとして海外でも知られる存在ですが、物事の考え方からして技術屋さんの領域を越えない人物のようです。もちろん、世の中には技術屋さんでもビジネスの感覚に秀でた人はいますが、彼の場合は電気自動車ビジネスの要となる充電インフラについて「後で付いてくる」と高をくくっていますから、そうした能力はないと見るべきでしょう。彼に電気自動車を巡るビジネスを問うても正しい解を得られることはないと思います。

彼は携帯電話も後からインフラが付いてきたと誤解しています。が、携帯電話は基地局がなければ通信端末として何の役にも立ちませんから、必ずインフラの整備が先行していなければなりません。逆に、後から付いてくるインフラというのは「あったほうがより便利だけれど、なければそれでも大きな不都合はない」というものだけで、その製品を成立させるための必須条件ではないものに限られます。

一般道が整備されているならそこを走ればよいわけですから、高速道路も自動車の普及に必須のインフラとはいえませんし、デジカメのプリントサービスもまた然りです。こうした「後から付いてくるインフラ」というのは「最初からなくても良いインフラ」ですから、携帯電話の基地局のように最初から必要不可欠なインフラと同列に扱うこと自体がナンセンスです。

清水教授は「インフラが整ってから普及した技術なんて無い」などという頓珍漢なことを述べていますが、それはインフラの整備と製品の普及について実例を正しく理解していない(というより、とんでもない曲解をしている)からです。そのインフラは製品の普及に必須条件か否か、先行させておかなければならないものか否か、そうした極めて根本的なところの判断で彼は誤った答えを選んでいます。

アナログ電子スチルカメラの時代は高価な周辺機器を揃えられる報道関係はともかく、個人消費者向けのそれは従来のカメラ代わりとして使えるレベルには程遠かったこともあり、失敗に終わりました。これがデジタルになって撮影した画像をPCで扱えるようになると保存も楽になりましたし、アナログ時代に用いられていた電送機などなくてもメールに添付して送信できるようになり、その点ではファックスなどより遥かに高い利便性が得られました。

しかし、それとてプリンタの性能が向上する以前はフィルムカメラの代用になりませんでしたから、本格的な需要も生まれず、かなりマニアックな需要に支えられるのみでした。報道関係のプロユースは別ですが、個人レベルではまだまだニッチなマーケットだったといっても過言ではないでしょう。

背面に小型の液晶モニタを備え、しかも価格をかなり抑え、現在のデジカメへ至る方向付けを決定的にしたカシオのQV-10が発売されたときも、まだ普通の人が普通に使うカメラというより、その種の目新しい電子機器を好む層に支持されたガジェットという色合いが強かった印象です。実際、QV-10の当初月産台数はわずか3,000台でしかありませんでしたし(現在のカシオの一般的なモデルなら当初月産台数15万~20万台が普通ですから、桁が2つも違います)。

casio_qv-10.jpg
CASIO QV-10
1995年に発売されたこのQV-10は税抜きで65,000円という
当時としては破格の低価格だったこともさることながら、
世界で初めて背面にカラー液晶画面(1.8インチTFT液晶)を備え、
撮影したその場で画像を確認できるという画期的な機能を盛り込み
現在へ至るデジカメの基本スタイルを確立しました。
しかし、CCDの総画素数は25万画素と低く、
PCに取り込んで扱えるファイルの解像度はこの写真と同じ
QVGA(320×240ドット)に過ぎませんでした。
それだけに写真を撮るというより画像メモを取るといった
現在の携帯電話のカメラにも満たない用途に甘んずるものでした。


カメラなら庶民レベルの経済力でもフィルムとデジタルの両方を所有し、用途に応じて使い分けることが充分に可能です。実際、初期のデジカメを手にした人の多くはデジカメとプリンタの性能が次第に向上していくのをフィルムカメラと併用しながら待っていたと思います。私のように趣味でしぶとくフィルムカメラを使い続けるような人間でなくても、デジタル一眼レフが普及価格帯に入ってくる以前はデジカメで全てを満たせなかったという人は沢山いたと思います。

しかし、普通のガソリンエンジン車と電気自動車の両方を所有して用途で使い分けるなど、それなりの高所得者ならともかく、庶民レベルではかなり厳しいことで(少なくとも、私の場合はそんなことができるほど経済的な余裕がありません)、その分だけハードルは高くなります。ついでに言えば、そんな風に複数のクルマを同時に所有するなど、走行時以外にかかる環境負荷を考慮すればちっともエコではありません。

航続距離が非常に短い電気自動車はその利用範囲をガソリンエンジン車などと同レベルに拡大するためには充電スタンドの普及が必要不可欠です。電気自動車のこうした性能的な限界と充電にかなりの時間がかかることなどを考慮すれば、ガソリンスタンド以上に沢山のインフラを整える必要があるかも知れません。

こうしたインフラが整備されていない段階では、自宅で充電して往復できる片道何十kmといった狭いエリアでしか安心して利用することができません。そんな状態ではガソリンエンジン車などに置き換わる次世代の主役には絶対になれないと断言できます。

現状での電気自動車は安価で高画質なプリンタが普及する以前のデジカメ同様に、ごく限られた用途でしか使えないガジェットに過ぎず、既存の製品に置き換わるような段階には程遠いと言わざるを得ません。しかも、デジカメのように安価なものではなく、租税公課や保険料、賃貸駐車場を保管場所としている人はその料金など、かなりの維持費がかかりますから、さらに厳しい条件が重なっています。

デジカメの場合はデジカメそのものの性能向上も目覚ましいものがありましたが、プリンタの高性能化・低価格化と、それを動かすためのPCが同じくらいのタイミングで普及するという幸運にも恵まれました。もし、PCも高性能なプリンタも普及していなかったら、デジカメもまた現在のようなレベルまで発達し、普及していたかどうか、そのプリントサービスというビジネスも生まれていたかどうか、かなり微妙だったと思います。

デジカメはそれを支える周辺技術もほぼ同時に花開くというタイミングの良さが一気にブレイクしたポイントになっていたのは間違いないないでしょう。それが伴わなかった家庭用アナログ電子スチルカメラが失敗に終わった例を見てもそれは明らかだと思います。しかし、電気自動車にそのような明るい兆しは全く見えていません。それどころか、電気自動車そのものも充電スタンドも、政府などから補助金が支給されなければすぐにでもコケてしまうような状態です。

デジカメのように従来の製品とオーバーラップして一人のユーザーが複数所有可能なものならマーケットの開拓もそれほどシビアではないでしょう。携帯電話が普及し始めた時のように殆どの人が初めてこれを手にするといった状態からスタートする新規マーケットも、その段階では他に代わるものがありませんから、少々コストがかかっても時々使えない状況が巡ってきてもある程度は許容されるでしょう。

しかし、電気自動車が置かれている現状はそんなに甘くありません。日本ではガソリンやディーゼルエンジンで走るクルマが既に飽和状態まで普及しており、それと併せて所有できる人は高所得者など一部の人たちに限られます。電気自動車がガソリンエンジン車などに替わって主流となるには、性能もインフラも普通の人が普通に買い替えたいと思えるレベルに到達していなければなりません。

デジカメがそうだったように従来の製品より利便性が高く、コストも安く済むといった明らかなメリットがなければわざわざ買い替えてくれる人はそれほど多く見込めないと考えなければならないんですね。例えば、携帯電話が現在よりさらに高速化し、高解像度の動画もストレスなく扱える使えるような次世代サービスがスタートするとして、ここでもあそこでもまだまだ全然繋がらないというような状態だったら、やはり誰もそれに買い替えてくれないでしょう。実際、NTTドコモが第3世代のFOMAをスタートさせたときがそうでしたし。

このように成熟したマーケットに挑戦するとき「インフラは後で付いてくる」などと寝言のようなことを言っていたら全く相手にされません。そんなユーザーを舐め切った姿勢でビジネスを始めたら分厚い壁にあっけなく弾き返されるのがオチです。電気自動車が突き崩していかなければならない障壁は、デジカメや携帯電話とは比べものにならないくらいハードなものだということを覚悟しておくべきなのです。

(つづく)

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その3)

8輪駆動の電気自動車「エリーカ」を開発した慶應大学の清水教授は「インフラなんて後から着いてきます」と言い張ります。その例として携帯電話を挙げ、わずか2年ほどで全国展開したなどと述べていましたが、これは全くの事実誤認です。実際には日本でそのサービスが始まった1979年からインフラの整備は15年程要し、その間は全くといって良いほど個人ユーザーを獲得できませんでした。現在でもインフラが整っていない過疎地などではあまり普及率が上がっていないのが実情です。

NTTパーソナルやアステルのようにインフラの整備が遅れたPHS事業は失敗に終わりましたが、逆にPHS事業者で唯一生き残ったウィルコム(旧DDIポケット)は他の2社に比べてインフラの整備が早く進み、その点が明暗を分けたと見られています。こうした実例からして、インフラがなければ使えない製品はインフラの整備が先行しなければ本格的な普及や定着は見込めないと考えるべきなんですね。要するに、「インフラが整ってから普及した技術なんて無い」という清水教授の認識は根本的に間違っているということです。

また、清水教授はデジカメのプリントサービスという例も挙げていますが、その認識も全くの的外れです。確かにこうしたサービスは後から付いてきたインフラです。が、こうした後追いのインフラは存在しなくてもマーケットの成立に支障ありません。少なくとも、私はプライベートでも仕事でもこうしたサービスを利用していませんが、何の不足もありません。同様にこうしたサービスを一度も利用したことがないデジカメユーザーは沢山いるでしょう。

イマドキの家庭用プリンタはPCレスのダイレクトプリントが可能というものが主流となっていますし、それに特化した製品も数多く発売されています。そうしたものを利用すればPCを持っていなくてもショップへ行かなくても、デジカメで撮った写真を手軽にプリントすることが可能です。しかしながら、そういう機械モノが苦手な人もいますし、それほど利用頻度が高くないからわざわざプリンタを買う必要もないという人もいますから、ショップのプリントサービスにも市場性があるわけです。

そもそも、こうしたサービスはフィルムの現像やプリントを生業としてきたいわゆるDPEショップが生き残る手段として発展させたものと見るべきでしょう。現在最大手のパレットプラザと55ステーションを運営するプラザクリエイトイメージングのフランチャイズが全国で約1,100店舗、業界全体では4,000店舗程度のDPEショップが現存しているようですが、それでも毎年確実に店舗数を減らしています。

もちろん、フィルムカメラ全盛時代にはもっと沢山あったハズで、こうしたサービスを手掛けてこなければもっと早い段階でこの業界は崩壊していたでしょう。彼らは生き残りをかけてちゃんと利益を出せるビジネスモデルを成立させたわけですね。ユーザーも特に高い料金を取られるわけではないため、人によってはプリンタを購入するといったイニシャルコストがかからない分だけ高い利用価値があります。

例えば、私の母などは生まれてこのかたPCに触ったことがなく、一度はエプソンのダイレクトプリンタを買いました。が、プリントするのは旅行などに行ったときの写真くらいですから、利用頻度はせいぜい何ヶ月かに1度といったレベルで、半年以上使わないこともあるそうです。インクジェット式ではこれくらい放置しておくとノズルのインクが乾燥して目詰まりし、その交換で高く付いてしまい、次第にこれを使うのをやめてしまいました。

昇華型プリンタならそういうことがありませんから、それに買い替えてみたらどうかと提案してみましたが、買い物のついでにショップへ寄ればいいので、そんな必要はないと却下されました。ま、私のように機械モノが好きで、しかもフィルムでも現像を自分でやらなければ気が済まない(カラーリバーサルは除く)といった性分ではこうした結論には至りませんが、私の母くらいの使用頻度でしかないデジカメユーザーならむしろこれが普通の判断なのでしょう。

いずれにしても、こうしたショップでのサービスが始まったことでデジカメユーザーの裾野をさらに拡大させたのは確かだと思いますが、こうしたサービスがなくてもデジカメは既に大規模なマーケットを成立させていました。それは家庭用のカラープリンタでもキレイな写真が得られるようになっていたからです。

逆に、こうしたプリントサービスもマトモな家庭用カラープリンタも存在せず、撮った写真はテレビに映して観賞するといった使い方くらいしかなかった時代、1980年代に登場した電子スチルカメラ(当時はまだデジタルではなくアナログのFM信号を専用のフロッピーディスクなどに記録するといった方式でしたから、「デジカメ」とはいえません)は全く普及せず、今日に至っては完全に忘れ去られた存在といって良いでしょう。

このジャンルはソニーのマビカが元祖だったと思いますが、キヤノンのキューピックは家庭用レベルまで価格が抑えられ、テレビCMを流すなどしてかなり大々的に売り込んでいた記憶があります。家庭用ビデオプリンタも発売されて画像のハードコピーも可能でしたが、非常に高価だったにもかかわらず、画質はフィルムのそれと比較できるようなレベルにはありませんでした。

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Canon Q-PIC RC-250
これ以前の電子スチルカメラは専用プリンタや電送機など
併売の周辺機器とシステムを構成する報道関係者向けのカメラとして
本体だけでも40万~60万円という業務用らしいハイプライスでした。
これを初めて10万円未満の家庭用としたのがこのRC-250でした。


初の家庭用電子スチルカメラというべきキューピックは定価でほぼ10万円ですから、一眼レフのような本格的なカメラではないという点を差し引けば決して安くはありませんでした。この後追いになるような一般消費者向け製品が他社から発売された記憶もありません。

その画像をハードコピーするためのビデオプリンタはさらに高価で、家庭用として初の昇華型ビデオプリンタは1986年に日立製作所から発売されましたが、25万円というハイプライスでした。翌年に価格を抑えた2世代目が発売されましたが、それでも定価は17万円近く、プリントできる用紙は手札サイズ(80×120mm)と小さく、最高画質モードだとプリントアウトまで1分20秒もかかりました。

それでいて、解像度は480×512画素(24万6000画素弱)という現在のトイデジカメの足元にも及ばないレベルですから、普通の人はビデオ出力をテレビの外部入力に繋いで再生するという使い方がデフォルトだったんですね。もちろん、こんな使い方では一部のマニアなどを除いて訴求力は殆どなかったといって良いでしょう。結局、アナログ時代の電子スチルカメラは全く普及しませんでした。このハナシをしても「ああ、そんなカメラあったね」と反応してくれる人は私の身近に数えるほどしかいません。清水教授もこうした歴史は全くご存じないのでしょう。

一応製品は作ったけれどもそれを活用するために必要なインフラや周辺機器などが脆弱だと、マスマーケットには全く相手にされないという現実をこの家庭用電子スチルカメラは示しているといって良いでしょう。そしてデジカメの場合、それが普及した背景には自宅でのプリントが可能な高性能プリンタの存在が極めて大きく、DPEショップなどでのプリントサービスは普及に必須の条件ではなかったということです。

アナログ電子スチルカメラの時代には現在のような高性能で安価なプリンタもなければプリントサービスも普通のDPFショップで対応しておらず、しかも画質はフィルムカメラと全く比較にならなかったのですから、全く普及しなかったのは当然のことです。電気自動車も家庭用電源で充電するには半日もかかり、充電スタンドも殆ど整備されておらず、しかも航続距離はガソリンエンジン車と全く比較にならないという状況ですから、失敗に終わったアナログ電子スチルカメラと状況は大差ありません。

現在のデジカメは驚くほどの性能向上と、安価で高性能なプリンタの普及など、明らかなブレイクスルーがあったからこそ、ここまで普及させることができ、フィルムカメラと世代交代を果たすことができたわけです。電気自動車にそのようなブレイクスルーなど起こっていませんから、今日のデジカメと見比べるのは全くのナンセンスです。こうした過去の歴史や現在の状況を清水教授は全く理解できていないからこそ、あのような頓珍漢な発言が飛び出してくるのでしょう。

(つづく)

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その2)

電気自動車の充電スタンドについて、ビジネスという側面をリアルに考察できない人たちは、無責任にも電気自動車が(高額な補助金で下駄を履かせてもらっていようが何であろうが)とりあえず売れ始めれば放っておいても充電スタンドも普及すると楽観しています。慶應大学の清水教授は「インフラが整ってから普及した技術なんて無いんです」などと救いようのない勘違いをしているわけですが、それが誤りであることはPHS事業の成否が如実に物語っています。

携帯電話の基地局の規模はいくつかあるようですが、一般的には1つの基地局で半径2km程度のエリアをカバーするといいます。一方、PHSは最大で半径500m程度と狭いため、携帯電話よりも多くの基地局を設置しなければなりません。しかしながら、携帯電話の基地局は1箇所設置するのに数千万~数億円のコストがかかるといいます。PHSは数十万~数百万円で済むため、インフラにかかるコストをかなり抑えられます。PHSが携帯電話より安い料金プランでスタートしたのもここに由来するわけですね。

DDIポケットが生き残れた最大の理由は、PHS事業に認められた最大の半径500m程度をカバーできる基地局を設置していったからだと見られています。半径2kmの携帯電話のそれと比べて面積比で16倍の差がありますから、机上計算では携帯電話の基地局1つ分のエリアをカバーするのに16の基地局が必要になるわけですね。それでも16倍で済んでいるので電波が届かないエリアを潰していく作業があまり遅くならずに済んだというわけです。

DDIポケットはDDI(第二電電)という京セラを筆頭とした25社の出資で「市外通話を安くする」を売り文句にした新電電が母体になっています。DDIは自前の長距離回線を持っていましたが、市内はNTTの回線を利用するといった形態になっていました。つまり、ポイントを結ぶインフラはあってもエリアをカバーする既設のインフラがなかった彼らは、極力少ない基地局で済むようにこの半径500m程度をカバーする規格を採用したといいます。

逆に、失敗に終わったNTTパーソナルもアステルも1つの基地局がカバーできるエリアが半径200m程度という規格を採用していました。これは電波の出力が小さくて済むため、携帯端末の消費電力を抑えられ、小型化や長時間の使用が可能になるなどのメリットも見込まれたためだと思います。

NTTパーソナルはNTTグループの電話回線網や公衆電話など既存のインフラにアンテナを付加すれば簡単に基地局を作れました。アステルも電力会社の出資によるPHS事業者でしたから、既に送電線に併設されていた自前の通信ケーブル網と無数にある電柱にアンテナを付加すれば簡単に基地局を作れました。両者ともにグループ内の既設インフラを活用できるという立場であったため、このカバーエリアの狭い方式を採用したわけですね。

しかし、1つの基地局が半径200mしかカバーできないということは、半径2kmのエリアをカバーする携帯電話と面積比で100倍の差があり、携帯電話の基地局1つ分を100の基地局で対応しなければならないということになります。DIIポケットは携帯電話に対して16倍で済んでいますが、NTTパーソナルとアステルは100倍もの基地局を設けなければならなかったというわけです。これではいくら設置費用が安くても、膨大な数をこなさなければならないという猛烈な手間がかかってしまいます。

こうしたことからNTTパーソナルやアステルのPHSサービス網には大都市圏でも電波が届かないエリアが所々に残り、地方の穴埋め作業はさらに遅れ、その解消が携帯電話やDDIポケットのそれのように速やかには進みませんでした。そうこうしているうちに携帯電話は加入者を爆発的に増やし、その分だけインフラにかかるコストの頭割り人数が増え、料金をどんどん値下げしていくことができました。こうなると安さが売りだったPHSのメリットは失われ、繋がりにくいというデメリットがより際だち、次第に敬遠されるようになっていったわけです。

私の友人や知人にも何人かNTTパーソナルやアステルのPHSを使っていた人はいましたが、やはり「繋がらない」というインフラ整備の遅れを理由に次々と携帯電話へ乗り替えていきました。清水教授は電波が届かないことを理由に敬遠する人は「いないですよそんなゼータクな人」と言い張っていますが、PHSから携帯電話に乗り替えた人たちは普通ではあり得ないような「ゼータクな人」だったとでもいうのでしょうか?

また聞き手のフェルディナント・ヤマグチ氏は「発売当初に地方の山奥で掛からないから買わない、という人はいなかったですね 」と発言していますが、これも無責任極まりないものです。山間部で電波が届きにくいところはもちろん、地方の過疎地では携帯電話の基地局が設置されていなかったり、あったとしても町の中心部や駅のすぐ近くに1基だけというところがまだまだ残されています。ついでにいえば、市区町村に基地局を1基設置しさえすれば、その市区町村の人口はカバーしたというのが「人口カバー率」というインチキなデータの実態です。

村にたった1基しかない基地局から半径2km程しか繋がらず、生活圏の殆どで携帯電話が繋がらないという人はいまでも地方に行けばそれなりにいます。そういう人たちは現在でも携帯電話を持っていないのが当たり前なんですね。特に過疎地では採算性が見込めないため、基地局が設置されないというケースが少なくありません。ですから、中には若者の流出を少しでも食い止めようと、基地局の設置に補助金を支給するといった制度を設けている自治体もあるくらいです。

いまでも過疎地などを中心にインフラの整備が充分になされていない地域は現実に残されており、そうしたところでは携帯電話があまり普及していません。彼らはこうした実情を全く知らず、自分たちの生活環境だけを見て適当なことを語っているに過ぎないというわけです。

NTTドコモFOMAのサービスエリア
NTTドコモFOMAのサービスエリア
普通のFOMAは上図のピンク色のエリアを外れると
FOMAプラスでもピンク色と橙色のエリアを外れると
圏外になってしまいます。
山間部や過疎地などサービスエリアに入っていない
という地域はまだまだ沢山残っており、
生活圏の殆どがそういう地域にある人は
いまでも携帯電話を持っていないのが普通です。


PHS事業で唯一成功したDDIポケットと失敗したNTTパーソナルやアステルとを分けた最大のポイントもやはりインフラの整備が素早くできたか否かというところにあったと見て間違いないでしょう。携帯電話も第三世代に切り替わっていくとき、NTTドコモのFOMAが完全に出遅れたのはインフラの整備が遅れたからというのが一般的な見方です。

ここからは余談になりますが、DDIポケットはDDIグループごとKDDグループおよびIDOグループと経営統合し、KDDIグループに組み込まれました。それ以前から同じDDIグループのセルラー系携帯電話とも競合していましたが、DDIセルラー系がIDOと統合されてAUとなったKDDIグループ内ではさらにその立場が微妙になり、音声通話よりもPCのデータ通信に注力していくことになったわけですね。

しかしながら、そのポテンシャルの高さを見抜いたアメリカの投資ファンド、カーライル・グループとDDIを立ち上げた京セラの共同出資で2004年にDDIポケットはKDDIグループから独立し、翌年に現在のウィルコムへ社名が変更されました。

カーライルが目を付けたポテンシャルというのは、ウィルコムのPHSは携帯電話より1桁多い基地局で構成されるというその方式が将来的に高速モバイルデータ通信で圧倒的な優位に立つだろうという読みがあったからです。1つの基地局で広いエリアをカバーする、即ち沢山のユーザーを少ない基地局でカバーしなければならない携帯電話は、電波の利用効率が低く、ユーザー1人当たりのデータ通信量が増えるほど通信速度が遅くなるなどの問題が生じてきます。

一方、PHSは携帯電話よりずっと狭いエリアしかカバーできないゆえ、1つの基地局がカバーしなければならないユーザー数も相対的に少なくて済みます。「マイクロセル」と呼ばれるPHSの狭いカバーエリアは、逆に限りある電波資源を分散して利用できるというメリットに繋がるわけですね。

カーライルはハイリスクのベンチャー企業ではなく、安定した経営基盤を持ちながらそのポテンシャルを生かし切れていない中堅企業をターゲットに出資するファンドだといわれていますが、ウィルコムはまさにそうした可能性を秘めていると見込まれたのでしょう。私が10年近く使い続けたNTTドコモからウィルコムに鞍替えしたのもこの将来性に期待したからです(PCでのデータ通信料金が安いという点のほうが大きな理由でしたが)。

(つづく)

インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その1)

日経ビジネスの電子版に8輪駆動の電気自動車「エリーカ」を開発した慶應大学の清水浩教授のインタビューが載っていました。が、これまた酷く頓珍漢なことを語っていましたねぇ。電気自動車の開発者だけにこれを普及させたいと願う気持ちは解ります。しかし、こういうビジネスに明るくない技術屋さんに好き勝手なことをしゃべらせてそのまま垂れ流すのも経済メディアとしてはどうかと思いましたね。

「10万台、7年で電気自動車が主流になる」
~祝・社長就任! 「シムドライブ」は未来を開くか?


(前略)

F:電気自動車が普及する用件として、インフラの問題があります。ケータイは、インフラが固定電話に比べて格段に安いという途上国にも合ったメリットがありました。だからこそこれほど早く大量に普及した。電気自動車が普及させるにあたり、給電ステーションを全国展開するには相当なカネと時間が掛かりませんか?

清:インフラね。皆さんそう言います。インフラについても言いたいことが山ほどある。そもそもインフラが整ってから普及した技術なんて無いんです。

F:え?

清:インフラは後で付いてくる。デジカメが出来たときに、フィルム屋さんはいっぱいあったけれども、デジカメをプリントするなんていうビジネスはなかったですよね。携帯が出てきたときもそう。ごく狭い一部の地域でしか通話できなくて不便極まりなかった。でも、あ、コレ良いねとなったらアッという間にエリアが拡大したじゃないですか。2年ぐらいで全国展開。

F:確かにそうでした。発売当初に地方の山奥で掛からないから買わない、という人はいなかったですね。

清:いないですよそんなゼータクな人。クルマだってそう。多少不便だって使う人は必ず使う。高速道路が整備されたからクルマが普及したんじゃない。逆です。アリモノの既存の馬車道で走ってみて、あ、こりゃ調子いいやということで舗装道路ができて高速道路ができた。インフラなんて後から着いてきます。

F:良い製品で市場が望めばそうですね。

清:そうそう。あくまでも人が望む良い製品であれば、です。だから何と言っても最初に良い製品を作ることが大切です。そうすればインフラは間違いなく後から着いてくる。特に電気自動車のインフラなんて簡単ですよ。だってコンセントさえあればいいんですから。

(後略)

(C)日経ビジネスオンライン 2009年8月26日



「コンセントさえあればいい」などという素人考え丸出しでインフラ整備が「簡単」と言いきっている時点でこの人はこのビジネスを語る資格などないでしょう。そのコンセントが非常に高価であること、充電時間がかかって回転率が猛烈に悪いこと、電力供給の原価が安すぎて事業性が極めて低いこと、一般住宅でも充電できるゆえインフラの利用率が上がらないことなど(詳しくは「電気自動車の充電スタンドは商売にならない」と題したエントリをご参照下さい)を全て無視して簡単と言い張るのですから、これはもう笑止千万です。

携帯電話のインフラに対する理解も全くの出鱈目です。インフラの整備と製品の普及について、携帯電話やデジカメのプリントサービスは格好のケーススタディになると思いますので、前半はこれらのインフラ整備に話題の軸足を置くことにします。便宜上、カテゴリーは「自称モーターアナリスト」としますが、クルマのハナシは「その4」まで殆ど出てきません。興味のない方は適当に読み飛ばして下さい。

sony_so101.jpg
SONY SO101
私にとって初めての携帯電話がコレです。
1996年5月に発売されたデジタルムーバSO101は
左手親指で操作するソニーお得意のジョグダイヤル式で
電話帳などの項目選択が素早く的確にできる
というのが売りでした。
まだモノクロ液晶画面で日本語表示は半角カナのみ、
本体サイズは現在の端末と比べものにならないくらい大きく、
待受時間も通話時間も短かったのは言うまでもありません。


私が携帯電話を初めて購入したのは1996年のことで、私の周囲の人たちもだいたいその前後1年くらいに集中していました。しかし、日本で携帯電話のサービスが始まったのはその2年前などではありません。17年も前に遡ります。

第一世代はアナログでしたが、デジタルとなった第二世代のサービスが始まったのは1993年のことです。まだ端末は買い取りではなくレンタルで、料金が非常に高かったこともありますが、何よりインフラが殆ど整っていませんでした。東京を中心とした約30kmのエリアしかカバーできていなかったんですね。端末もまだ巨大なバッテリーを含む本体をストラップで肩から提げる「ショルダーホン」も健在という時代でした。

デジタルショルダーホン
デジタル・ショルダーホン

「ごく狭い一部の地域でしか通話できなくて不便極まりなかった」というのはこの頃のことかと思いますが、その段階では大都市圏でごく限られた人たちしか使っておらず、大部分の人は静観していたという状況でした。本格的な普及は全く始まっていなかったんですね。

私が携帯電話を初めて購入した1996年には全国的にそれなりのエリアがカバーされ、地方都市でもそこそこ繋がるようになっていました。東京23区内では建物の中や地下街などを除いて繋がりにくい場所のほうが少ないといったレベルまでインフラは整っていたんですね。

端末や料金もどんどん安くなっていったことも普及を後押ししましたが、やはり「ちょっと前までは使えなかったあそこでも使えるようになった」という変化も感じられ、将来的に楽観できるレベルまでインフラが拡充されていたからこそ、本格的に普及するようになったんです。

一方、第二世代携帯電話から少し遅れてサービスが始まったPHSは結局のところDDIポケット(現在のウィルコム)しか生き残ることができませんでした。アステルは2002年から段階的にサービスを終了し始め、2007年12月で全てのサービスを終了、NTTパーソナル(1998年にドコモグループへ経営を移譲)も2008年1月に全てのPHSサービスを終了しました。

こうした結果に至ったのもインフラ整備の遅れが最も大きな要因だったと見て間違いないでしょう。これはインフラ整備を巡る事業の成否を見る上で好例ではないかと思いますので、次回でもう少し詳しく述べたいと思います。

(つづく)

日本の25%は世界の1.5% (その2)

民主党のマニフェストや鳩山代表のハナシには抽象的な努力目標しか出てきません。そもそも、最新のマニフェストで彼らが「具体策」として掲げている『「ポスト京都」の温暖化ガス抑制の国際的枠組みに米国・中国・インドなど主要排出国の参加を促し、主導的な環境外交を展開する。』という政策の何処が「具体策」なのでしょう?

温室効果ガスの排出削減には主要排出国であるアメリカや中国やインドなどを参加させることが不可欠なのは解りきったことで、問題は「どうしたら彼らを引き込むことができるか」というところにあります。その具体的な方策が述べられていなければそれは抽象論でしかなく、とても「具体策」とはいえません。要するに、民主党は「具体策」という言葉の意味を履き違えているのです。

いつも具体的なハナシができない彼らは努力目標だったり抽象論だったり、極めて中途半端なレベルで満足してしまうので、ここで具体的な数字を確認しておきましょうか。

京都議定書の基準年(詳しくは前回をご参照下さい)における日本の温室効果ガスの総排出量(CO2換算)は約12億6130万トンでしたから、この25%減ということは毎年の排出量を約9億4600万トンまで減らさなければならないということになります。2007年にはこれが約13億7430万トンに増えていましたから、2007年比では約31.1%も削減しなければならないということになるわけです。

京都議定書の基準年から2007年まで日本の温室効果ガスの総排出量は約9.0%増え、現状維持すらままならないというのが実情です。こうした現状にあって総排出量の1/3近い4億2800万トンをわずか11年で減らすなど、絶対に不可能と断言して良いでしょう。

これを無理強いすれば産業界にどれほどの大打撃を与えることになるのか、あるいはそれを避けるために製造業の多くが工場を海外へ移転させることになってしまうのか、いずれにしてもこれほど急峻で現実を無視した目標をゴリ押しすればロクな結末には至らないでしょう。

本筋とは関係ありませんが、彼らのマニフェストにある「39.製造現場への派遣を原則禁止するなど、派遣労働者の雇用の安定を図る」などという愚かな政策を実施したら、海外移転が可能な製造業の多くは流動性の高い雇用を求めて工場を海外へ移してしまうに違いありません。とんでもない温室効果ガス排出削減目標といい、派遣禁止といい、民主党は日本から製造業を追い出したいのでしょうか? それとも物事を深く考える能力がないだけなのでしょうか?

こうした政策が進められれば日本の国内産業の空洞化は一気に加速することになり、海外に雇用を流出させてしまうと「ワーキングプア」と呼ばれる人たちの何割かを「失業者」にしてしまいます。こうした懸念を抱かせる民主党の政策は選挙の1ヶ月以上前に発行されたマニフェストに明記されていました。つまり、民主党が掲げている近視眼的な政策を実施した結果、本当にこのような事態へ至ってしまったら、その責任は先の選挙で民主党に投票した人たちにもあるということです。

ハナシを戻しましょうか。こうして莫大な負担を国民に強いて、現状から4億2800万トンの温室効果ガスの排出削減に成功したとしましょう。しかし、この削減量は現在の全世界の温室効果ガス総排出量約290億トンのわずか1.5%弱にしかならないんですね。日本だけがこの程度の削減を行っても大勢に与える影響は殆どないといっても過言ではありません。

要するに、こんな排出削減目標では実効性など殆ど期待できず、実質的にはメッセージ性しか持たない政策ということになります。地球温暖化を巡るハナシはいつもこうして精神論や政治的な思惑に向かい、科学的な検証は等閑にされるわけですね。ま、人為的温暖化説そのものが科学的に見れば精度の低いコンピュータシミュレーションにしか根拠を持たない低レベルな仮説に過ぎませんけど。

世界的に見てもエネルギーコストが高い日本は、それゆえエネルギーの利用効率を向上させる技術を磨いてきた省エネ先進国です。なので、CO2の排出量を削減できる幅が元々小さいわけで、ここから経済活動に悪影響を及ぼさないレベルで削減幅を拡大するにも限度というものがあります。逆に電気代が日本の半額ほどでしかないなどエネルギーコストが安いアメリカはその消費量が非常に多く、利用効率が悪く、その分だけCO2排出量の削り代があります。

もし、アメリカの1人当たりのCO2排出量を日本並みに抑えることができたら、全世界のCO2総排出量の約10%を削減できることになります。逆に中国全土で生活水準が向上し、1人当たりのエネルギー消費量が日本並みになってしまったら、全世界のCO2総排出量は約20%増えてしまうでしょう。中国などの途上国にCO2の排出削減を求めるということは、要するに「オマエら途上国の貧民どもは低い生活水準で我慢していろ」というのも同然なんですね。

現在、日本政府は毎年1兆円を超える地球温暖化対策予算を計上し、これを主に国内の温暖化対策に投資しています。が、上述のように減るどころか微増を続けているのが実情です。もし、全世界のことを考えるなら、日本よりずっと削り代が大きい国の排出削減に寄与するよう、この毎年1兆円超の予算を使って最先端の省エネ技術の無償提供といったカタチで削減しやすい国に投資したほうが遙かに高い実効性が見込めるハズです。

しかし、こうした政策は誰も口にしません。それは、この温室効果ガスの排出削減というテーマが秘めている本当の目的が「地球温暖化を抑制し、全人類の将来を危機にさらさないようにするため」などではなく、「エネルギーの分配を巡る国際的なパワーゲーム」に他ならないからでしょう。

(おしまい)

日本の25%は世界の1.5% (その1)

ご存じのように昨日(9月7日)開催された朝日地球環境フォーラム2009で民主党の鳩山代表が日本の温室効果ガス排出削減の中期目標として2020年までに1990年比で25%削減するという数値を掲げ、各メディアはこれを大きく伝えました。

しかしですね、こうした数値目標は7月27日に発行された民主党のマニフェスト(←リンク先はPDFです)で既に明文化されていたことで、昨日になって初めて出てきたハナシではありません。1ヶ月以上も前から解っていたことを今更メディアが騒ぎ立てたということは、要するに彼らは民主党のマニフェストなどロクに読まず、先の衆議院議員総選挙を煽っていたということです。

朝日地球環境フォーラムでスピーチする鳩山代表
朝日地球環境フォーラムでスピーチする鳩山代表
「我々のマニフェストに掲げた政権公約で、
政治の意思としてあらゆる政策を総動員して
実現を目指していく」と語ったそうです。


念のため、民主党のマニフェストから件の政策を抜粋しておきます。

42.地球温暖化対策を強力に推進する

【政策目的】
○国際社会と協調して地球温暖化に歯止めをかけ、次世代に良好な環境を引き継ぐ。
○CO2等排出量について、2020年までに25%減(1990年比)、2050年までに60%超減(同前)を目標とする。

【具体策】
○「ポスト京都」の温暖化ガス抑制の国際的枠組みに米国・中国・インドなど主要排出国の参加を促し、主導的な環境外交を展開する。
○キャップ&トレード方式による実効ある国内排出量取引市場を創設する。
○地球温暖化対策税の導入を検討する。その際、地方財政に配慮しつつ、特定の産業に過度の負担とならないように留意した制度設計を行う。
○家電製品等の供給・販売に際して、CO2排出に関する情報を通知するなど「CO2の見える化」を推進する。


微妙に違うのはマニフェストが「CO2等」の排出量としているのに対し、件のシンポジウムで鳩山代表が語ったのは「温室効果ガス」の排出量だったわけで、ま、この辺は取るに足りないことでしょう。ただ、少々細かいツッコミになりますが、「温室効果ガス」というと普通はCO2以外の温室効果ガスも全て含めるのが常識で、その場合は基準年の扱い方がやや面倒になるんですね。民主党のマニフェストも昨日の鳩山代表のスピーチも、そうした部分の認識が足りていないというのが私の個人的な感想です。

「温室効果ガスの総排出量」という場合、CO2以外の温室効果ガスの排出量は各々のGWP(CO2を基準としてその何倍の温室効果があるかを定めた係数)を乗じ、全てをCO2排出量に換算して表わすのが常識です。が、ここで問題になるのは京都議定書では温室効果ガスの種類によってその基準年が一定ではないというところです。具体的にはCO2、CH4、N2Oの基準年は1990年(一部の経済移行国を除く)、HFCs、PFCs、SF6の基準年は1995年も選択可能とされており、日本はこれらの基準年を1995年としています。

なので、民主党のマニフェストにあるように「CO2等」という表現の場合はやや微妙ですが、昨日の鳩山代表のスピーチにあったように「温室効果ガスの排出削減」という題目で語るなら、「京都議定書の基準年」とするのが一般的なんですね。環境省が報告書やプレスリリースを出すときも必ずそうしてきましたし。

いずれにしても、彼らは1990年を基準として「温室効果ガスの排出削減」の目標を掲げたわけですから、独自の基準ということになるわけですが、その独自基準の根拠はどこにあるのか全く説明がなされていません。というより、温室効果ガスそのものや基準年の定義についてキチンと理解していないのでしょう。

そもそも、民主党のマニフェストを見ても「具体策」として謳われている内容が全く具体的ではありません。産経新聞の今日の主張でも指摘されているように、この目標は純粋な削減目標なのか排出量取引を併用するものなのか、それすらも説明されない極めて抽象的なものです。またぞろ具体的な根拠をロクに示さない、いつもの大風呂敷を広げたというわけですね。

また、保守系の産経新聞だけでなく、件のシンポジウムを主催した朝日新聞の今日の社説でさえ、このとんでもない目標について見出しで『「25%削減」―実現へ説得力ある道筋を』と釘を刺し、「ガソリン税などの暫定税率廃止や高速道路の無料化など、排出削減に逆行しかねない政策の賢い見直しも忘れないでもらいたい」と注文を付けています。

リベラル系の筆頭ともいうべき朝日新聞は、これまでも環境問題については特に短絡思考に走りがちでした。が、その彼らでさえ民主党の根拠を逸した荒唐無稽な目標は他の政策との矛盾もあり、手放しで受け入れられるものではないという立場をとったわけですね。あの朝日新聞にさえこのような扱い方を受けるということは、要するにマトモな政策ではないという烙印を押されたも同然です。

(つづく)

電気自動車の充電スタンドは商売にならない (その3)

10年かそこらの近い将来、電気自動車とその充電インフラが普及するという理想論など現実の壁にぶち当たって木っ端微塵に砕け散るのがオチでしょう。しかし、日産自動車は「2020年には世界の自動車需要の10%が電気自動車になる」などと吹聴しています。彼らが掲げるこのとんでもない数字は、シンクタンクによる予測とされていますが、日産自身が本気でそうなると信じているのか、単に希望を抱かせるネタで盛り上げようとしているだけなのか私には解りません。

が、いずれにしても、こういう予想は電気自動車そのものも、充電スタンドも、補助金なしにビジネスとしての採算ラインが見えてから言うべきことです。補助金に「おんぶにだっこ」状態の電気自動車がたかだか10年少々で世界の自動車需要の10%も占めるなどということは絶対にあり得ませんし、ゴリ押ししてそんな状態をつくってしまったら他の分野にしわ寄せが行くのは確実です。

良識のある企業はこんな無責任でいい加減な予測など口にしないものですが、日産自動車や三菱自動車などはこうして目立っておかないと他に「エコ」や「次世代」といったイメージに繋がる技術的なトピックがないのでしょう。「貧すれば鈍する」とはこのことかも知れません。

日産リーフの発表会にてスピーチするゴーン社長
日産リーフの発表会にてスピーチするゴーン社長
電気自動車は2020年までに世界需要の約10%、
550万~600万台規模のマーケットに成長する
という夢物語のような事業予測をゴーン社長は語っていました。
単なるハッタリでメディアを煽っているだけなのか
本気でそう信じ込んでいるのか、どちらにしても現在の日産は
救いようのないレベルまで堕落してしまったという印象です。


仮に、電気自動車が普通のガソリンエンジン車と同程度の使われ方をすると想定した場合、当然のことながらその分のエネルギーはガソリンから電力へ置き換わります。日本国内の乗用車が消費するガソリンの総量は年間500億L程度になります。日経ビジネスの推計によれば、日本車の平均燃費は10-15モードで15.4km/Lとのことですから、1年間で日本国内の乗用車が走る距離(実走行での距離ではなく10-15モードでの試算)の総合計は7700億km程度となります。

i-MiEVの電力消費率は10-15モードで125Wh/kmとのことですから、日本中の乗用車が全てこのクラスの電気自動車に置き換り、上述の7700億kmを走行すれば1年間に962.5億kWhくらいの電力が必要になります。定格出力110万kWクラスの軽水炉1基を持ち、東京電力と東北電力に電力供給している東海第二原発の年間発電量が最大で96.4億kWhくらいですから、この規模の発電所を10くらい増設して電力を供給しなければ対応できないということになるかも知れません。電気自動車を本気で普及させ、ガソリンエンジン車の代替を目指すということは、こうしたことも考えなければならないということです。

もっとも、電気自動車の充電は夜間の余剰電力を用いるケースが圧倒的に多くなると思われます。そうした使用形態が主流になればエネルギーの有効活用に繋がって良いでしょうし、発電所の増設もあまり大規模に行わずに済むかも知れません。が、そうした状況になるとしたら、それは充電スタンドの利用者があまり見込めないということを意味します。

この電気自動車ブームは政府や地方自治体(特に神奈川県)、三菱自動車や日産自動車といった電気自動車に注力してきたメーカーなどがソースを作ってメディアがそれを大々的に取り上げているに過ぎません。このブームに水を差すような意見は黙殺されるという完全にメディアバイアスがかかった状態であるのは以前にも述べた通りです。

昨年、当blogで取り上げた「空気で走るクルマ」や「水で走るクルマ」など詐欺的なものと電気自動車を比べるのはナンセンスです。が、これを伝えるメディアはソースを発している側のコメントしか扱わず、様々な角度からその情報を精査して矛盾点や問題点がないかといったバランスの取れた報道が全くできていないという部分では空気や水で走るクルマを扱ったときと全く同じです。

「事実をありのまま正確に伝える」というジャーナリズムの基本理念は、ある特定の人たちが語っていることをそのまま受け売りするのとは根本的に違います。情報を精査せずにそのまま垂れ流すようでは、メディアは勢いデマを流布するだけの集団となってしまいます。そこのところを厳粛に捕え、情報の取扱いには慎重を期してかかるのがジャーナリズムに求められる能力です。が、日本の大衆メディアにそれを求めるのは無理なようです。

(おしまい)

電気自動車の充電スタンドは商売にならない (その2)

コスモ石油の試算によれば、充電スタンドという事業者としての電力供給契約をベースに、電気自動車への充電1回にかかる電気代を見積もると、原価は200円程度にしかならないといいます。これに経費や利益を乗せても、売り上げはガソリンに比べて1桁小さく、事業性がないというのが彼らの結論なんですね。

ま、本来は石油を売る会社ですから電気を売るビジネスはあまり乗り気ではないと考えられなくもありません。が、そうは言っても2008年現在で43,700近くのSSを擁するコスモ石油ですから、電気自動車が普及したときの状況についてキチンと見据えておく必要があります。そういう状況に置かれている彼らが、そういうビジネスのプロとして「事業性なし」と結論づけたのですから、電気自動車推進派の根拠の薄い楽観論よりはリアルな事業予測ではないかと思います。

いずれにしても、200円分の電気をチャージするのにその何倍もの利益を乗せられたのでは普通のユーザーは必要に迫られたときしか寄りつかないでしょう。普段は自宅で充電し、スタンドを利用するのはバッテリーが空になりかけた急場しのぎだったり、長距離ドライブの途中といったパターンのみで、それ以上の需要が殆ど見込めないようでは、市場規模は相当小さくなってしまいます。

かといって高価な急速充電器を数十分使用させても大した料金を徴収できないというのでは、営利事業として独立採算で運営するのは非常に困難なものになるでしょう。そもそも、都内の駐車場は30分停めておくだけで何百円も取られます。目的は駐車させることではなく電気を売ることで、そのために高価な急速充電器を設置しても客単価はそれほど大きくできないというのでは、そんなビジネスは誰もやりたがらないと考えるべきです。

リターンが小さくてもリスクが小さければやろうと思う事業者は現われるかも知れません。が、高価な急速充電器を導入する必要から初期投資の額が大きくなれば、それは即ち大きなリスクを背負うことになります。それで大きなリターンが見込めないというのでは、市場原理からしてそんなビジネスはなかなか成立しないでしょう。企業イメージの向上など別の目的があり、多少の赤字でも広告宣伝費とみなして許容されるといったパターンがせいぜいかと思います。

恐らくローソンが連絡車としてi-MIEVを導入し、フランチャイズのコンビニに充電設備を設置しようという計画も、急速ではない200V用(i-MiEVの100%充電に7時間もかかるタイプ)という実用性の低いものでしかありませんから、そういうレベルにとどまるでしょう。

ローソン向けi-MiEV
ローソン向けのi-MiEV
無粋にもこれ見よがしに「電気自動車」と漢字で書かれているのは、
世代を超えて解りやすくそれをアピールするためなのでしょう。
いずれにしても、電気自動車を連絡車として走らせることより
電気自動車を連絡車として導入していることを世間にアピールし
企業イメージの向上を図ることが本当の目的なのでしょう。


上述のように、ガソリンや軽油で走るクルマと違って電気自動車は普通の住宅でもエネルギーをチャージできます。ということは、スタンドの利用率が著しく低下するのは間違いありません。必然的にマーケットの規模そのものがガソリンスタンドより遙かに小さくなります。

加えて、電気代の安さから利益も上げにくいという悪条件が重なりますから、電気自動車の充電スタンドの置かれる状況は、現代の公衆電話が置かれている状況によく似ているといえそうです。いえ、公衆電話は携帯電話より料金が安いのですから、公衆電話より条件が悪い部分もあると考えるべきでしょう。さらに、前回述べましたように回転率も非常に悪く、急速充電器は非常に高価という四重苦です。

ガソリンスタンドも立地などによっては経営が苦しく撤退を余儀なくされるというのは決して珍しいハナシではありません。ちょっと前までガソリンスタンドだったところが中古車の買い取り業者や消費者金融の営業所に模様替えしているなんてこともザラです。上述のように2008年現在で全国に43,700近いSSを抱えるコスモ石油の場合、5年前には5万以上のSSがありましたから、13%近くも店舗を減らしています。

電気自動車の充電スタンドはそれより基本的な条件がさらに悪くなるのは間違いありません。それを維持しようとなると、やはり補助金として税金の投入が避けられないでしょう。クルマを直接利用しない人たちにも負担をかける歪んだ社会になってしまうというわけです。

実際のところ、既に一部の自治体では充電スタンドの設置に補助金を出す政策を始めていますが、それでも採算の目処が全く立たないことを理由に打診を受けた業者(ガソリンスタンドや駐車場などを経営している業者など)は一様に消極的だといいます。

多くのメディアは充電スタンドの普及で電気自動車は本格的にガソリンやディーゼルエンジン車に取って代わるものになっていくと信じているようです。が、ここで検討したような「ビジネスとしての充電スタンド」というものを現実的に検討しているわけではなく、単に推進派の空論を受け売りしているだけに過ぎません。

ま、こういうハナシは風力発電や太陽光発電なども全く同様で、推進派のいう一方的な理想論ばかりが先行してしまうものです。技術的な問題点だけでなく、ビジネスとして現実の市場構造を見据えた検討もマトモに成されません。逆に問題点を指摘してブームに水を差すような意見の殆どが排除されるというのが常なんですね。

このエコブーム(といってもその多くは似非エコですが)に乗った新しいムーブメントはいつもこうしたバイアスがかかった状態で部分的な情報しか伝わらないものですが、電気自動車を巡るハナシも同様にいつものパターンがスライドしてきて、夢物語がまことしやかに語られているというわけです。

(つづく)

電気自動車の充電スタンドは商売にならない (その1)

以前、このカテゴリー最長となる8回の連載で電気自動車について沢山のことを述べさせて頂きました。ま、片手間で原稿を書いている状態ですからあまりキチンと編集しているわけでもなく、重複箇所も少なからずありましたし、脱線することもしばしばでした。なので、どれだけの方に最後まで読んで頂けたか解りませんが。

電気自動車の欠点については様々なことを何度も述べましたが、充電スタンドなどのインフラを整えていくことも非常に難しいという点については詳しく述べていませんでしたので、今回のテーマはここになります。また、日産自動車が提携しているアメリカのベンチャー企業ベタープレイス社の方式(バッテリーを丸ごと充電済みのものに換装する方式)についてはその問題点を既に述べていますので(詳しくはコチラをご参照下さい)、今回は車載状態のバッテリーに充電設備から充電する一般的な方式について検討することにします。

充電スタンドが普及しにくい最大の理由は電気自動車そのものがまだ普及していないというところにありますが、それを度外視しても難問山積の状態に変わりはありません。殊に、営利事業としてこれを考えた場合、構造的な障害となりそうな大きな問題点は以下の4つが考えられます。

・急速充電器は高価で、イニシャルコストを安く抑えられない
・急速充電器を導入しても充電には時間がかかるため、回転率が非常に悪い
・電気代が安過ぎるため、あまり利益を乗せられない
・普通の住宅でも充電できるため、充電スタンドの利用頻度が上がらない

充電スタンドは既存の電源インフラを活用できるため、駐車場などを利用して比較的安価に普及させることができるという推進派の見解がまるで正論であるかのようにメディアは伝えています。が、実際問題として三菱自動車のi-MiEV(アイミーブ)を30分で実用上の満充電である80%まで充電できる急速充電器は1基800万円もします。十数台設置すると億単位のコストがかかるわけですから、「比較的安価に普及させることができる」などというハナシは現実を正しく反映しているとはいえません。

この高価な急速充電器はいま(2009年9月3日現在)のところ三菱自動車直系のディーラー網にさえまだ1基も設置されていません。それどころか、三菱のディーラー網にさえ100%までの充電に14時間もかかる100V電源用が36箇所、7時間かかる200V用が58箇所、全国でまだわずか15都府県に合計94箇所しか充電設備が用意されていません。32道県ではバッテリー切れになりそうな状態のとき目の前に三菱のディーラーがあったとしても、そこでは充電できないという体たらくです(詳細は三菱自動車のサイトにある販売会社充電ポイント一覧をご参照下さい)。

ちなみに、エコ・ステーションで電気自動車の充電に対応するのは全国でわずか55箇所しかありません。私が住んでいる東京都では3箇所、そのうち急速充電対応は1箇所のみです。

お台場EVステーション
お台場EVステーション
東京都港区台場のシンボルプロムナード公園駐車場A棟にある
エコ・ステーションで、急速ではない普通の充電スタンドです。
利用料金は2時間で600円、以降30分毎に150円取られます。
都内の駐車場として見れば安いといえますが、
電気を買うという視点で見れば猛烈に高いといえます。


ローソンもこの電気自動車ブームに乗っかった企業の一つで、彼らも駐車場がある郊外の店舗に200V電源用充電器を設置する計画があるそうです。が、200V電源用で急速充電器ではないということは、上述のようにi-MiEVの100%充電に7時間かかります。例えば、コンビニで買い物をしている間に充電するようなケースを想定しますと、仮に10分で買い物を済ませてクルマに戻った場合、バッテリー容量の2~3%程度しか充電できません。走行距離でいえばメーカー公称値で計算しても4~5km程度、東京電力での運用実績で推定すれば2~3km程度といったレベルにとどまります。これでは大した足しにはならないでしょう。

地方で生活している方の場合、最寄りのコンビニまで片道1km以上あるケースも珍しくないと思います(私の父の実家などはそうです)。店まで出掛けた分をそこで充電するといった程度にしかならず(それすら満たせないケースもあるでしょう)、煩わしいだけで実用性は極めて低いと言わざるを得ません。30分で80%充電できる800万円の急速充電器なら10分で27%近く充電できる計算になりますから、これならば現実性があるといえますが、コンビニの付帯設備としてこれだけのコストをそう簡単に割けるとも思えません。

また、充電時間が数分で済むなら1基でもある程度は対応できるでしょうが、1人のユーザーの利用時間が30分もかかり、その間1台のクルマが充電器を独占することになれば、かなり気の長い人でないと付き合いきれないでしょう。既に充電している人が終わるのを待った上で、自分の充電にまた30分も待つとしたら、それだけで1時間近くロスしてしまうこともあるでしょう。

1基の充電器に何人か順番待ちをしていたら、それが急速充電器であっても自分に順番が回ってくるまで数時間待たされるということになりかねません。忙しい現代人がクルマのエネルギーチャージごときにそんな時間を割けると思うほうがどうかしています。かといって、800万円もする急速充電器を何台も並べるなどコスト的にそうそうできることではないでしょう。そもそも、充電の順番待ちでコンビニの駐車場が占拠されてしまったら、本業の売り上げにも大きく響くことになりかねません。

この「回転率が非常に悪い」という問題はガソリンスタンドに代わる充電スタンドという業態にとって命脈に関わる極めて大きなネックになってきます。普通のガソリンスタンドように駐車スペースに限りがある店舗で充電スタンドを運営しようと思ったら、この絶望的な回転率の悪さは致命的な欠陥と考えなければなりません。

ガソリンや軽油などの場合、大きなタンクを積む大型車でも数分で給油完了となります。1台のクルマが給油機を使う時間はその程度の短時間で済みますが、これが電気自動車への充電で30分もかかるとなれば店の回転率は1桁も悪化します。クルマの大きさは動力源が電気モーターだろうと内燃機関だろうと大して変わらないのですから、駐車スペースが同じならエネルギーチャージにかかる時間が長いほどビジネスとして厳しくなります。

かといって、それを数でカバーするために駐車スペースを数十台分取り、急速充電器も数十基設置するとなれば、それこそ莫大な初期投資を求められます。電気自動車に充電するというビジネスはこれほどまでに前提条件が悪いわけですが、こんなに酷い条件で利益がちゃんと見込めるビジネスプランなど成り立つのでしょうか?

(つづく)

効果てきめん

当blogはFC2のサービスを利用しており、単なる個人の趣味として片手間で運営していますから、管理が徹底しているとは言い難いものがあります。現状ではコメントを自由に投稿できるようにし、管理者の認証も必要ないように設定しているため、スパムコメントの削除に少々手間を取られてきました。

これまでスパム避けには当初からあった「禁止ワード」によるフィルタリングで対応してきました。が、この種の機能は伏せ字や半角文字をランダムに取り混ぜられたり「ス」と「ヌ」のように字面が似たものに書き換えるといった類の小細工を使われると際限がなくなってしまいます。ま、それでも「禁止ワード」のリストをコツコツと整備していくことで(ネット上で使われるエロワードの一覧表みたいになってしまいましたが)かなり数は減っていきました。

FC2の場合、このフィルタリング機能は本文に有効でもタイトルには効かないようで、タイトルに禁止ワードとして設定している言葉を使われても本文に使われていないと弾いてくれないという片手落ちの仕様になっています。最近はそういうパターンもチラホラありましたが、全体としてはスパムコメントが投稿される頻度が2~3日に1件くらいまで減っていましたので、我慢ならんというほどではなく、とりあえずそのままにしていました。

ある日、同じFC2のサービスを利用している方のblogに誤りを見つけたのでそれを正してあげようとコメントを投稿しようとしたところ、イメージ認証を求められました。「あれ? こんな機能あったっけ?」と思い、自分の管理ページを開いてみたところ、やはりありました。

イメージ認証の例
投稿時にこのようなイメージが出てきます。
この例では「6033」と半角数字で打ち込んで頂くと、
コメントを投稿できるようになります。


いつからこの機能が使えるようになったのか知りませんが、こんな便利な機能があるならもっと大々的にアナウンスしてくれれば良かったのにと思いつつ、早速設定しました。それから1ヶ月以上経過しましたが、この間のスパムコメントはゼロになりました。効果てきめんですね。

ということで、当blogをご覧頂くだけでなくコメントまで下さる奇特な皆さんに一手間頂くのは少々申し訳ないと思いますが、ご理解を賜りたくお願い申し上げます。

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まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。