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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

かくてアル・ゴアは教祖となる

今週の『Newsweek(日本版)』にアル・ゴア氏の新著『私たちの選択』に因んだレポート『「環境伝道師」ゴアのプロジェクト第2章』が掲載されていました。

Newsweek日本版2009.12.2

個人的な感想を率直に言わせて頂けば、彼もいよいよ焼きが回ってきたようです。それを象徴するのが以下の部分です。

(前略)

大半のアメリカ人が気候変動の脅威を真剣に考えないのは心理的な壁のせいだと分析し、理性だけでなく感情も人の決断を左右すると認めているのだ。「事実を並べるだけでは駄目だ」とゴアは書いている。

その認識と本書の理屈っぽい内容はどう折り合うのか――そう訪ねると、ゴアは一瞬困った顔を見せた後、気候変動問題の精神的な面に言及したページを指さした。そこには、人間は神から地球の「世話役」を任されており、将来の世代のために地球を守ることは神聖な義務だと書かれている。

(中略)

事実を並べるだけでは駄目という認識が、最もよく表れているは最終章だ。ゴアはここで、私たちがどうやって破滅的な気候変動を回避したのかを未来の世代に尋ねさせている。

ゴアのシナリオでは、答えはこうだ――アメリカで09年に温暖化対策の新たな法案が成立し、気候変動枠組み条約がまとまり、世界は「(エネルギーの供給と使用に関する)多くの変化が安上がりなだけでなく、利益を生むことにうれしい驚き」を覚える。「私たちは過ちを犯した。それでも希望が消えそうに思われたとき、天を仰いで、やるべきことを理解した」

(後略)

(C)Newsweek(日本版) 2009年12月2日号(通巻1179号)


彼の前著『不都合な真実』については当blogでも『不都合でもない真実』と題したエントリで評価しましたように、過去と近年の写真を対比してごく短いキャプションを付し、「明らかに、私たちのまわりの世界に、ものすごい変化が起きている」といった短絡的な結論を導く決して科学的とは言えない手法でアピールする頁が目に付きました。

大衆も莫迦ではありませんから、こんなものを鵜呑みにしない人は沢山いるでしょう。日本でも大型書店へ行けばこの本と同じ棚に科学的な考察で人為説の矛盾点や疑問点を指摘する本が幾つも並べられています。ある程度科学的に物事を考えられる人が各々を手にとって読み比べてみれば、「人為説が正しく、それを疑うのはトンデモだ」といった結論には決して至らないでしょう。

いずれにしても、ゴア氏が科学的とはいえないアピール手段を駆使してきたのは明白で、それゆえ『不都合な真実』はイギリスの高等法院に「科学的な誤りが9箇所ある」と指摘されたわけです。新著では「事実を並べるだけでは駄目だ」と述べているそうですが、これまでも彼の事実の捉え方は極めて偏っており、その事実と気候変動との因果関係は証明どころか説明すら満足にできておらず、感情に訴えかけるような構成も少なからずありました。

ここにきて、それでも不充分ということで「神」を持ち出すことにしたというわけですね。敬虔なキリスト教徒に対してはこうした宣伝もある程度の効果を期待できるでしょう。実際、アメリカではダーウィンの進化論に懐疑的な人が少なくないのですが、中でもキリスト教の教義を固く信じている人たちの間では根強い反感があります。最近の話題としてもダーウィンの人生を描いた映画『クリエーション』の上映見送り騒動がありました。しかし、こうした方向性は地球温暖化問題をより宗教色の強いものにしてしまう分だけ損だと思うんですけどねぇ。

同レポートによれば、ピュー・リサーチセンターの最新の世論調査で地球温暖化を示す確かな証拠があると考えるアメリカ人は2008年4月の71%から57%に減少し、温暖化の原因は人間の活動によると考える人も47%から36%に減少しているといいます。ゴア氏はこの原因を石油業界や石炭業界が巨額の宣伝費をつぎ込んで混乱させたせいだと考えているそうです。ま、それを言ったら地球温暖化問題そのものが原子力業界の陰謀だとする見方もありますから、そこで言い争っても水掛け論にしかならないでしょう。

それはともかく、日本ではメディアバイアスが強いせいかエルニーニョのあった1998年をピークに気温が上昇していないことを知る人はあまり多くありません。が、アメリカではウォールストリート・ジャーナル紙を筆頭に懐疑的な姿勢で報じているメディアはそれなりにあり、温暖化が進んでいないことを知っている人は日本よりも遙かに多いようです。こうした状況に彼も焦り始めたのでしょうか?

いずれにしても、ゴア氏の新著は以前にも増して感情に訴えかけることに心を砕き、神の威光を借りて大衆を扇動しようという方向性を打ち出したようです。これはもはや環境問題に取り組む姿勢ではなく、宗教活動に大きく近づいたと見るべきでしょう。

彼の新著の最終章に書かれている “世界は「(エネルギーの供給と使用に関する)多くの変化が安上がりなだけでなく、利益を生むことにうれしい驚き」を覚える。” といった部分は、まるで再生可能エネルギーなどの開発推進が人類をシャングリラに導くとでも言わんばかりです。何をどのように考えたらこうした発想に至るのか、私の頭ではもはや理解不能な領域に彼は踏み込んでしまったようです。
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スーパーコンピュータは打出の小槌じゃない

民主党政権による例の事業仕分けで下されたスーパーコンピュータの開発事業凍結という判断に保守系の2紙が噛み付きました。

読売新聞 社説「スパコン凍結 科学技術立国の屋台骨が傾く」(2009年11月22日付)
産経新聞 主張「次世代スパコン 戦略なき開発凍結に異議」(2009年11月17日付)

しかし、これらの言い分には誤解が多く、全般的な論点も定まっていないというところで共通しており、全く説得力がありません。特に酷いのは読売新聞の以下のくだりです。

 日本の次世代スパコンは、これを1桁(けた)上回ることが目標だ。1桁でも、例えば航空機開発なら、単純計算で開発期間が10分の1になるのだから恩恵は大きい。

 しかし、最先端で1桁性能を向上させるのは容易でない。基本部品である半導体の開発など幅広く手がける必要があり、民間だけでは挑めない。

 米国など各国も、政府発注により開発を進めており、日本も来年度予算の概算要求に約270億円を盛り込んでいる。

 事業仕分けでは「1位を目指す必要があるのか」「海外から買えばいい」などの声が出た。こんな現状認識は甘い。

 1位を目指すくらいでないと世界に伍(ご)せない。2002年に日本のスパコンが計算速度で世界1位になったが、2年半で抜かれ、今は31位だ。中国、韓国が保有するスパコンにも後れを取る。

 海外から買うにも最先端技術は各国が詳細を秘している。一般的な性能のものしか買えない。

 日本で最先端スパコンが使えないと、優秀な研究者が流出することにもなりかねない。スパコン凍結で日本の科学技術は衰退に向かう、との海外報道もある。


これを書いた論説委員は論点が絞り込めていないようです。スーパーコンピュータが科学技術の発展に不可欠という論点でいくなら、それが国産であろうとアメリカ製であろうと関係ありません。世界最速の国産スーパーコンピュータをつくること自体が目的なら、その凍結によって「日本の科学技術は衰退に向かう」というのは全くの筋違いです。

「日本で最先端スパコンが使えないと、優秀な研究者が流出することにもなりかねない」というのなら、むしろ海外の安いスーパーコンピュータの導入を進めるべきで、演算速度の単価で比較すれば国際相場の4倍になるともいわれる莫迦みたいな高コストの国産に固執するほうが「日本で最先端スパコンが使えない」という状況に繋がると考えるべきです。

「基本部品である半導体の開発など幅広く手がける必要があり、民間だけでは挑めない」というのも全くの誤解で、これを書いた論説委員は近年のトレンドを何一つ把握していないのでしょう。専用プロセッサを必要としないスカラ型でも専用プロセッサを必要とするベクトル型に劣らない速度での演算が可能になってからは、市販サーバなどに搭載されているプロセッサを用いるのがごく当たり前になっています。

例えば、2008年6月からの1年間にわたって世界最速の座にに君臨し、先日発表された最新ランキングでは1位を譲ったものの、現在でも世界第2位にランクされているIBM製の「Roadrunner」などはAMDのOpteronプロセッサ6,562個、4社(ソニー、ソニー・コンピュータエンタテインメント、IBM、東芝)の共同開発によるCellプロセッサ12,240個で構成されています。後者は家庭用ゲーム機「プレイステーション3」にも搭載されているそれを改良したもので、市販のブレードサーバ「QS22」のアーキテクチャをベースとしています。

IBM製スーパーコンピュータ「Roadrunner」
IBM製スーパーコンピュータ「Roadrunner」
スカラ型が全盛となった現在においては
家庭用ゲーム機のプロセッサを応用したマシンでも
世界のトップを獲れるという良い見本になりました。


また、読売新聞は「中国、韓国が保有するスパコンにも後れを取る」と述べていますが、現在5位にランクされている中国のNUDT(国防科学技術大学)のそれもプロセッサはインテルのXeonを用いています。KISTI(韓国科学技術情報研究院)が保有している韓国最速で世界14位の「スーパーコンピュータ4号機」に至ってはサンマイクロシステムズ製で海外から買ってきたものに過ぎません。

「1桁でも、例えば航空機開発なら、単純計算で開発期間が10分の1になるのだから恩恵は大きい」とも述べてますが、航空機の開発は機体の空力設計、強度設計、エンジンも自前でいくならその燃焼状態のシミュレーションなどに至るまで開発に必要な分野は多岐にわたります。速いマシンが1台あってもそれを各々の部門でシェアして使うことになるなら、速さは多少劣っても複数のマシンを導入すれば済むハナシです。それでマシンの導入コストが1/4に抑えられるなら、開発コストの低減に繋がると考えるのが常識的なビジネスというものです。

だいたい、このプロジェクトでは国産スーパーコンピュータの開発を推進しても、それを産業として育んでいこうという明確なビジョンが全く見えません。産経新聞の社説でも触れられているように、ベクトル型に拘ってきたNECと日立はこのプロジェクトから撤退しています。残った富士通はスカラ型でやってきたメーカーですから、ベクトル型とスカラ型の複合型で進められてきた設計を根本的に見直す必要に迫られるでしょう。

しかも、富士通はこれまで最高で110TFLOPSしか実績がありません。現在世界最速のさらに1桁上を目指すとなれば、富士通が経験した最速のさらに100倍のスピードを実現しなければなりません。わずか2年でそれほどのものを作れるのかも怪しい感じです。よしんば、それが可能であったとしても、スーパーコンピュータの国際市場で通用する価格競争力を持つ産業に発展できるとは考にくいところです。

実際、2002年から2年半にわたって世界最速に君臨した「地球シミュレータ」も実質的には単発の事業として終わっており、世界トップレベルのスーパーコンピュータ市場に踏みとどまって継続的な事業展開を進めることはできませんでした。しかも、上述のように「地球シミュレータ」を開発したNECは今回のプロジェクトから撤退を決めています。

10年に1度くらいのペースで単発的に世界最速のスーパーコンピュータをつくっただけではその先の展望など全く見込めません。こんなことのために莫大な国費を投入し、技術者をつなぎ止めておくなどナンセンスの極みです。産経新聞はタイトルを「戦略なき開発凍結に異議」としていますが、国産スーパーコンピュータを再び世界最速にしたその後には、どんな「戦略」があるというのでしょう?

日本が今後、世界で存在感を発揮するためにも継続して開発を続ける必要がある。

(中略)

金メダルを目指して必死に競争しなければ、違う色のメダルさえ獲得することはできない。世界一の競い合いに初めから脱落しているようでは、日本の将来について暗澹(あんたん)とした思いを抱かざるを得ない。


産経新聞のこうした発想は「国威発揚」という言葉を連想させます。このプロジェクトを「スパコンの戦艦大和」という人もいますが、まさにその通りかも知れません。

両紙ともこうしたスーパーコンピュータは気候変動予測にも用いられているとの旨を伝えていますが、その予測が全く的外れな結果になっているということは一昨日のエントリでご紹介した通りです。高性能なツールが科学の発展に必要だとする考え方は否定しませんが、高性能なツールを手に入れさえすれば科学が発展すると考えるのは間違いです。ましてや、それがどこの国でつくられたものかなどどうでも良いことです。

そもそも、スーパーコンピュータのハード開発を国家戦略とし、科学技術の発展に不可欠だとする考え方が間違っています。ヨーロッパの主要国は初めからハード面の開発に手を出しておらず、そのソフト開発など運用面に力を入れている状態です。それで彼らの科学技術は日本やアメリカなどと比べて劣っていったでしょうか?

例の事業仕分けのやり方などは色々問題もありますが、このスーパーコンピュータの開発事業を凍結した判断そのものは正しかったと思います。が、何を血迷ったのか、産経新聞が主張したように国家戦略担当の菅副首相がしゃしゃり出てきて日曜日に放送されたNHKの番組で復活させると発言しました。

世界最速のスーパーコンピュータを日本のメーカーにつくらせれば日本のスーパーコンピュータが世界を席巻し、日本の科学技術の発展が担保されるとでも思っているのでしょうか? 彼らはスーパーコンピュータを打てば何でも望みが叶う打出の小槌か何かと勘違いしているのかも知れません。

これでは殆ど「コンピュータ占い」?

寒い日が続いていますね。私は東京在住で寒いのは苦手ですから、この1週間は通勤時にコートが欠かせない感じです。19日には真冬並みの寒さとなり、東京都心の最高気温は平年を6.7℃も下回る9.4℃で、しかもこの最高気温を記録したのは午前0時台でした。通常最高気温を記録する午後2時頃は7.3℃しかなく、11月に最高気温が10℃を下回るのは1992年11月28日以来17年ぶりのことだそうです。

一昨日(22日)も最高気温こそ10℃を少し上回りましたが、平均気温は8.4℃しかなく、19日の8.2℃と大差ありませんでした。東京では17日以降平均気温がほぼ12℃以下で、例年より低い状態が続いています。最低気温も2日に5.5℃を記録しており、下図のように全般的に平年を下回りました。

11月の気温
11月の気温
実線が今年の気温で、点線は平年の気温を表わしています。
初旬を除いて最低気温は平年並みといった感じですが、
17日以降は最高気温が平年を下回ることが多く、
平均気温も低めになっているようです。


これが逆に平年より高い気温を記録していたら、大衆メディアは「地球温暖化の影響だ」といった捉え方をし、来月開催されるCOP15にハナシを繋げて「待ったなしの状況」みたいな感じで大騒ぎしたに違いありません。平年より気温が高ければ温暖化問題を持ち出して異常だ何だと煽り、低ければ「お風邪を召さないように」くらいのコメントで済ますというのも立派な偏向報道と見るべきでしょう。

さて、ここからが本題ですが、こうした結果からして気象庁の季節予報は完全にハズレと見て間違いないでしょう。彼らは10月30日発表の季節予報で平均気温を以下のように予測していました。

10月31日~11月06日・・・低30%:並50%:高20%
11月07日~11月13日・・・低10%:並20%:高70%
11月14日~11月27日・・・低20%:並30%:高50%

10月31日~11月30日・・・低10%:並30%:高60%

これは平年より低い確率が何%、平年並みである確率が何%、平年より高い確率が何%といった見方をします。2週目(11月7日~11月13日)は的中したと見て良いでしょうけど、それ以外は大ハズレといったところでしょうか。月末まで1週間程ありますが、平年より高いというにはよほど暖かい日が続かなければ無理でしょうから、1ヶ月(10月31日~11月30日)の予測も当たらない可能性が極めて高いと見るべきでしょう。

ま、気象庁の季節予報が当たらないなどいつものことですから、取り立てて騒ぐことではないのでしょう。が、こうした長期予報と地球温暖化の予想とは殆ど同じツールを使っているということを踏まえておいたほうが良いかと思い、あえて話題にしました。

気象庁の季節予報のFAQにはこんな例があります。

確率を使わない予報はできませんか。

季節予報では確率を用いた予報表現が基本です。今後、数値予報モデルや予報技術の改善により、予報精度の向上が見込まれますが、その場合でも確率を用いた予報表現が不可欠です。
気象現象や天候の予測には、多かれ少なかれ誤差が伴います。この誤差は予報期間が長くなるにつれて増大します。明日や明後日の天気予報では誤差はそれほど大きくはなく、「明日は雨となるでしょう」などという断定的な予報表現を用いてもそれほど問題にはなりません。しかし、予報期間が1か月を超える季節予報では誤差は無視できないほどの大きさになるため、この誤差の大きさを表現するために確率を用いることが必要となります。


こうしたコンピュータシミュレーションによる予測は、最初のステップの計算結果が次のステップに用いられるのが普通です。最初のステップでは無視できるようなごく僅かな誤差でも、ステップを重ねる毎にその誤差が雪だるま式に膨らんでいきます。ですから、1ヶ月程度の近い未来であっても平年より気温が高いか低いか平年並みなのかを確率で表現するしかないというのが気象庁の言い分です。

ところが、殆ど同じツールを使っていても地球温暖化の研究をしている連中は全く違うことを言うんですね。当blogではお馴染みの国立環境研の江守氏はこう述べています。

Q.コンピュータを使った天気予報で1週間先の天気もあたらないのに、コンピュータを使ったって50年後、100年後のことがわかるはずがないのではありませんか。

A.コンピュータによる日々の天気予報と地球温暖化の予測計算は、計算自体にはよく似た方法を用いますが、結果の見方が全く異なります。そのため、1週間先の天気予報があたるかどうかと、50年後、100年後の温暖化のことがわかるかどうかは全く別の問題です。

簡単に言えば、天気予報の場合には特定の日の「気象」状態(何月何日にどこに雨が降って気温は何度か)が問題であるのに対して、温暖化予測の場合にはそれは問題ではなく、将来の平均的な「気候」状態(ある地域の気温・降水量の平均値や変動の標準偏差などの統計量)のみが問題になります。そして、コンピュータを使って100年後の特定の日の天気をあてることは不可能ですが、100年後の気候を議論することは可能なのです。

(後略)


季節予報の場合、特定の日の「気象」状態を予測するわけではなく、平均的な「気候」状態のみが問題になっています。つまり、地球温暖化の予測計算と同じ結果の見方をしているわけですね。わずか1ヶ月という直近で、しかも具体的な数値ではなく、平年と比べてどうかという確率で予測しているわけです。が、それでも当たらないことが常態化しています。1ヶ月先すら満足に予測できないツールと殆ど同じものを使って100年後の予測ができると言われても、まるで説得力がありません。

IPCCの予測と実測との差

何度も使い回しで恐縮ですが、IPCCが採用した予測と実際の気温を見比べても大ハズレです。彼らはこの気温の下降傾向を自然の変動によるものと説明していますが、それを踏まえてシミュレーションで正確な再現ができなければ、これまでの気温上昇もCO2の温室効果によるものなのか自然の変動によるものなのか判断できません。

江守氏はカオスである日々の「気象」は揺らぐが、平均的な「気候」は「地球のエネルギーのバランスなどの外部条件の影響により大部分が決まる」との旨を述べています。が、エネルギーのバランスなどで計算された予測と実測は全く符合していないという事実を鑑みれば、10年単位の平均的な「気候」も予測できない揺らぎに弄されているといったところでしょうか。

これだけ当たる確率が低いのであれば、いくらコンピュータを用いたシミュレーションであっても占いと大差ありません。 コンピュータの性能が良くなっても、その上に走らせるプログラムが間違っていれば意味がありませんし、そのプログラムをつくる前提となる根本的な概念に誤りがあったとしたら、その計算結果には一文の価値もありません。

低レベルな大衆メディアは高価なスーパーコンピュータによってはじき出された結果というだけで有り難がり、神託のように受け入れてしまうようです。世間一般の関心も極めて低く、こうした実情を知る人はあまり多くないようです。これでは宗教的になってしまうのも無理からぬことですね。

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その11)

テレビCMは多くの人の目に触れる分だけ大きな影響力を持っているといえます。が、通常は15秒ないし30秒しかありませんから、伝えることを1つかせいぜい2つくらいに絞り込まなければ、煩雑になって逆に伝わりにくくなってしまうといいます。それゆえ込み入った内容を反映させることが難しく、勢いイメージ重視になってしまいがちです。

例えば、ホンダ・フィットが発売された当初に流されたテレビCMでは、スペースユーティリティの高さを「センタータンクレイアウト」という一点で猛アピールしました。

センタータンクレイアウト

あのクラスのコンパクトカーでは通常後部座席下に配置されている燃料タンクを前席下に移動させただけですから、そこから生み出されるメリットは後部座席のアレンジにかかるものだけです。燃料タンクがなくなったスペースに座面を落とし込みながら座席を畳めば、フルフラットの荷室が作れますが、こうしてより大きなスペースが得られるといっても、低く抑えられた床面からの高さが増すだけです。

座面を跳ね上げて背の高い荷物を詰めるというアピールも成されましたが、いずれにしてもセンタータンクレイアウトによってもたらされるメリットは後部座席をアレンジしたときに高さが得られるということだけです。タンクの位置が変わっただけで絶対的な空間容積が増すわけがないということは、あまり深く考えなくても誰にでも解ることです。

が、自動車情報誌の記者や自動車評論家までもがこのテレビCMで擦り込まれたイメージから誤解した記事を書いていました。フィットがクラス最大の室内空間を得た理由までセンタータンクレイアウトで説明するような記事が蔓延してしまったんですね。

フィットがクラス最大の室内空間を得た重要なポイントになっているのは、エンジンベイをコンパクトに作り込んだというところにあります。インテークマニホールドをシリンダヘッド上まで持ち上げ、従来はシリンダ後方に突き出していた吸気系をエンジンの上に重ねて配置するという、現在このクラスのコンパクトカーでは常套手段となっているレイアウトをいち早く採用しました。

お陰でエンジンを配置するために必要な前後長を圧縮でき、バルクヘッドを前進させることができたわけですね。それに合わせて前席を前に詰め、後席もそれに従って配置すれば荷室の前後長を稼げます。シートピッチをさほど広げなくともルーフを高くして座面も高めにし、アップライトな着座姿勢とすれば足の置き場の広々感を演出できます。フィットはエンジンも座席も上下方向のスペースを上手に使って前後方向に余裕を持たせたというわけです。

これは3列シートのミニバンなどでよくあるパッケージングの手法ですが、コンパクトカーにそれを応用し、尚かつあまりミニバンぽくないような外観に仕上げたところが画期的だったということですね。ま、二代目は開き直ってワンモーションフォルムを発展させ、横から見るとミニバンを短くしたような外観になってしまいましたけど。

ホンダはSUVブームのとき完全に乗り遅れて苦し紛れにランドローバー・ディスカバリーをOEM供給してもらうということまでやりました。が、ミニバンブームではオデッセイやステップワゴンなどの成功を重ねて一気に主役へ踊り出、そのノウハウをコンパクトカーにも生かしてフットをつくり上げ、車種別販売台数で34年もの長きに渡って首位に君臨していたカローラをその座から引きずり下ろすという快挙まで成し遂げたわけですね。

フィットのテレビCMを製作した人たちは、インテークマニホールドの処理方法などを始めとしてエンジンベイを小さく作り込み、そこから室内空間の根本的な拡大をはかり、ミニバンで培った空間利用術を駆使したといった冗長な説明はスッパリ切り捨てました。そして類例がなく非常に解りやすいセンタータンクレイアウトの一点に集中させ、印象に残るアピールを展開したというわけです。これはこれでプロの仕事といえるでしょう。

しかし、こうした簡潔なアピールは細かい部分を表現できません。イメージを擦り込む力が非常に強くなるのは良いのですが、イメージというのは人によってブレやすく、また拡大解釈されがちです。「センタータンクレイアウトのお陰で広々とした室内空間が得られた」といった誤った認識で書かれた記事が蔓延してしまったのも、擦り込まれたイメージによる拡大解釈によるものと見るべきでしょう。こうしたところがテレビCMの恐ろしいところといえます。

ついでに言えば、小泉元首相が電通の成田会長から提言されたと言われる「ワンフレーズ・ポリティクス」も全く同じ手法で国民を誘導したと考えられます。「構造改革なくして景気回復なし」といった簡潔で解りやすいアピール方法は上手く使えば人を引きつけるのに絶大な効果を発揮しますが、使い方を誤ると人を惑わすことにもなる「諸刃の剣」といったところでしょうか。

モーターショーはテレビCMなどと違って、ある程度時間をかけながらジックリと語りかけることができます。しかも、映像と音声しか伝えられないテレビCMと違って、実際に触れて感触を確かめてもらったり、匂いを感じてもらったり、五感を全て活用して体験してもらうことも可能です(ま、この分野の場合、味覚は関係ないでしょうけど)。

ユーザーを再教育するというと何だか偉そうに聞こえてしまいますが、技術的な部分にも興味を持ってもらい、その理解を深めてもらうという努力はもっと積極的にしていくべきです。モーターショーはそうした取り組みを行う上で理想的な環境が得やすい場といえます。もちろん、こうした場でのアピールはメディアの再教育にも繋げられる可能性があります。

やり方は今回の横浜ゴムのようなもの以外にも色々あるでしょう。各社がそうした部分に力を入れるようになり、新技術の発表の場としてその注目度を上げていくことができるなら、それは一つの武器になり得ます。「東京は技術にうるさい」ということが定評となり、そこで注目を集めたものは優れた技術として箔が付くといった状況になればしめたものです。もし、こうした状況になれば「新技術を発表するなら東京モーターショーで」といった流れを作ることができるかも知れません。

いまのままではマーケット規模の大幅な拡大が期待できる上海に欧米メーカーがなだれ込み、東京モーターショーは敬遠される状況が続いてしまうかも知れません。欧米メーカーを東京に引き戻すには、東京ならではというアピールポイントを示す必要に迫られるかも知れません。

私が望む理想の姿はやはり「新技術を発表するなら東京モーターショーで」といった流れを作ることです。お祭り的な雰囲気もあったほうが良いとは思いますが、そればかりで推しても上海に奪われてしまった株を取り戻すのは困難でしょう。

LEGACY B4 GT300(がこの人垣の向こうにあります)
LEGACY B4 GT300(がこの人垣の向こうにあります)
今年、スーパーGTのGT300クラスにレガシーB4をデビューさせましたが、
それは今年5月にフルモデルチェンジしたレガシーのプロモーション
という側面があるのでしょう。
車両単体で展示されているときはあまり人が集まっていませんでしたが、
レースクィーンのようなコスチュームを着せたモデルを1人立たせただけで
ご覧のようにモデル撮影会状態に突入してしまいました。


現在の東京モーターショーではピレリや富士重工がやっていたように美しいモデルを立たせると、たちまち黒山の人だかりになってしまいます。低コストで注目を集められるという点では効率の良い方法かも知れませんが、こうして集まった視線は本来の主役であるクルマやその関連製品・関連技術などにではなく、モデルに向けられたものだというところが問題です。モデル撮影会のようなことを繰り返しても東京モーターショーの未来に何の光明も見出せないのは間違いありません。

それどころか、会場のアチコチでモデル撮影会が始まってしまうと、真面目にクルマそのものや技術、文化といった部分に向き合いたい私などは辟易してしまい、嫌気がさしてきます。今回は横浜ゴムのような素晴らしい取り組みもありましたし、ダイハツのような注目すべき技術もありましたから、個人的には久しぶりに満足して帰れましたが、こうした収穫もなく、カメラ小僧たち醜態ばかりが目に付くようであれば、しばらく距離を置きたいと感じるようになってしまうでしょう。

東京モーターショーが何処へ向かうのかはやはり主役である出展者の取り組み方が鍵を握っていると考えるべきでしょう。わざわざここへ足を運ぶ人は、女性目当てのカメラ小僧を除いて基本的にクルマを愛する人たちです。カメラ小僧のニーズに応えるのか、クルマと真面目に向き合いたい人たちが望む環境をつくっていくのか、どちらが東京モーターショーの将来にとって良い流れをつくるのかは考えるまでもないでしょう。

私たちのような真面目に向き合いたい人間も徐々に興味を失っていくようでは日本の自動車文化の先行きには大きな暗雲が垂れ込めることになります。今回のような状況から立ち直ることができなければ、若者のクルマ離れに歯止めをかけることも難しくなっていく一方でしょう。

ま、でも、クルマ離れが進んだほうがどんなエコカーを作るよりも地球環境にとって良いことに違いないのですけど。

(おしまい)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その10)

技術屋というのは案外虚しい思いをするものです。技術的には低レベルで取るに足らないものでも、妙に大衆ウケしてしまうことがあるかと思えば、アイデアにしてもそれを実現させるための努力にしても、非常に高いレベルの仕事をしているのに、その内容が込み入っていたり、応用製品として解りやすいカタチになっていなかったりすると世間一般にはあまり理解されず、大して評価もされないということがあります。

今回の東京モーターショーに出品されたものの中でダイハツの新型燃料電池「PMfLFC」は個人的に一番の収穫でした。これはもっともっと大きな注目を浴び、高く評価されてしかるべき技術だと思います。

ダイハツの新型燃料電池PMfLFC
ダイハツの新型燃料電池PMfLFC
実用化に向けての課題など細かい部分はまだよく解りませんが、
概要を見た範囲においては従来の水素燃料電池でネックとなっている
コストやインフラなどの問題を一気に切り崩せるポテンシャルがありそうで
非常に大きな可能性を感じました。


従来の水素と酸素を反応させる燃料電池は水素から電子を奪うため強酸性の環境になります。従って、電極に耐腐食性の高いプラチナなど非常に高価なレアメタルを必要とし、それがコスト高に直結しています。が、ダイハツのPMfLFCは燃料となるのが水素ではなく、抱水ヒドラジン(H2NNH2・H2O)という物質で、これを酸化して電気を取り出します。その反応はアルカリ性環境になり、電極に用いる素材はニッケルなど比較的安価な金属で済みます。

また、従来の水素燃料電池は車載可能な改質器の開発も遅れているため、当初アナウンスされていたようなガソリンやメタノールを改質して水素を得る方式はまだ試作レベルで、リース販売されているものはいずれも水素を気体のままタンクに蓄えておく方式となっています。航続距離を稼ぐため、このタンクはアルミライナーに炭素繊維を巻くことで200~300気圧の超高圧に耐えるよう作られています。こうした贅沢な構造ゆえ、やはり大変なコストがかかります。

一方、ダイハツのPMfLFCが燃料としている抱水ヒドラジンは液体であるため、扱いがガソリン並みに容易です。この部分でも大幅なコストダウンが期待できますし、インフラ整備の面でも圧倒的に有利といえるでしょう。従来の水素燃料電池は旧態依然といいますか、袋小路に迷い込んでいるような印象が拭えませんが、ダイハツのPMfLFCは基本的な部分で好条件が揃っています。

もちろん、実用化までの課題など生々しいハナシには触れられていませんでしたから、手放しでこの技術に期待するのは拙速かも知れません。が、概要を見渡しても従来の水素燃料電池やリチウムイオン電池などのように根源的なネックは見当たらない感じですから、これらよりは期待できるかも知れません。

大衆メディアがこうした画期的な技術を大きく取り上げないのはいつものことだと諦めるしかないのでしょう。が、これを出品したダイハツのプロモーションの仕方も確かに上手ではなかったと思います。このシステムが展示されていた場所は決して悪くなかったと思いますが、普通の人はこうした模式図を立体的にしたような展示にボタンを押せば説明が流れるといったパターンではなかなか食い付いてくれないでしょう。

例のプリウスのハイブリッドシステムを展示していたのはトヨタのブースの一番奥まったところであまり良い場所とは言い難いと思いますが、その知名度ゆえか沢山の人に注目されていました。しかし、PMfLFCはもっと良い場所に展示されていたにも関わらず、驚くほど閑散としており、全くといって良いほど注目されていませんでした。この展示が何を意味しているのか、その場で価値に気付くことができた人は殆どいなかったというわけですね。お陰で私はゆっくりと写真を撮ることができましたが。

大きな可能性を秘めた技術であっても、このようにあまり注目されないことがあります。逆に、こうした技術を理解できるユーザー層が拡大し、メディアもこれを正当に評価できる能力があれば、様々な面で好循環に繋がるでしょう。ユーザーやメディアの認識力を高めることは、巡り巡ってメーカーの技術水準を高めることになるハズです。そうしてより一層のレベルアップを図れば、より高い競争力を身につけていくことになります。

特に近年は新興工業国でもそれなりの技術力を持つようになりました。そこそこの技術で作れる製品の場合、価格面で競争しても太刀打ちできないというケースが増えてきました。子供騙しの技術に詭弁を弄してマーケットを丸め込むようなことを続けていたら、いずれ新しい波に呑み込まれてしまうことになるでしょう。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その9)

技術展示はコンセプトカーに比べると地味な分だけ大衆ウケは今一つです。昔に比べれば次第に数を減らし、その見せ方も昔ほど丁寧ではなくなっているというのが四半世紀以上東京モーターショーを見てきた私の感想です。

こうした状況にあって一筋の光明といいますか、高く評価したいと思ったのが横浜ゴムです。個人的に今回の東京モーターショーの「ベスト出展者」を選ぶとしたら、横浜ゴム以外に考えられません。今回の横浜ゴムは製品展示を二の次とし、「ECOタイヤ研究所」と称するブースに仕立てました。主に転がり抵抗と空気圧について基礎となる知識を丁寧に解説するというもので、実験装置を置き、実演ショーを展開して子供にもそれを理解してもらおうというコンセプトです。

横浜ゴムのブース「ECOタイヤ研究所」の様子
横浜ゴムのブース「ECOタイヤ研究所」の様子
横浜ゴムのブースで行われていた実演の内容は非常に真面目で
説明もシッカリと基本を抑えたかなり理論的なものでした。
しかしながら、小学生レベルを想定した非常に解りやすいものゆえ
ご覧のように子供連れだけでなく、足を止めて説明に聞き入っている
大人だけのグループも少なくありませんでした。
説明を聞いている子供の表情を見ても、その親の表情を見ても、
その内容が非常に優れていたことが伺えます。


実演ショーのMCを務めていたスタッフも白衣を着て理科の先生のような感じで、転がり抵抗について説明したり、空気圧がそれに与える影響を説明したり、様々な工夫を凝らしたパフォーマンスや展示などで理解を深めてもらおうとしていました。内容は非常に知的で真面目ですが、決して堅くなることもなく、小学校の理科の実験のような取っ付きやすい雰囲気を保っていました。実際に興味を示すだけでなく、遊び感覚でそれを楽しんでいる子供も沢山いたようです。

転がり抵抗を理解させる実験道具
転がり抵抗を理解させる実験道具
転がり抵抗については摩擦係数の異なるタイヤを付けた
2台の模型を実際にスロープから転がして到達距離の違いを見せる
という実験で説明していました。
この写真の奥の方に製品であるタイヤも展示されているのが伺えますが、
完全に脇役となっており、技術解説がメインになっている状態でした。


普段からクルマを利用していてもタイヤの空気圧などあまり頓着しないという人は少なくないでしょう。タイヤというのは縁の下の力持ち的な存在で、特に子供から注目を集めるのはなかなか難しいものです。が、今年の横浜ゴムの取り組みは狙い所もその内容も非常に良いところを突いていたと思いますし、写真でもお解りのようにかなり盛況でした。

商売上でいえば、彼らが今回の東京モーターショーで最もアピールしたかったのは「AIRTEX advanced liner」と称する新素材のインナーライナーでしょう。従来のゴムだけのライナーと異なり、特殊樹脂を融合させることによってエア漏れを軽減し、空気圧を調整してから時間が経過しても転がり抵抗が増加していくのを抑えて燃費向上に繋げるというものです。

ま、多くのユーザーが小まめに空気圧をチェックしていればそれほど意味のある性能ともいえません。が、実際には空気圧が低い状態で走っている人も少なくないようですから、そういうユーザーにはある程度の効果が見込めるのでしょう。また、従来のインナーライナーに比べて厚さも1/5で済むことから軽量化にも繋がるといいます。

普通ならこうした素材をPRするとしても、せいぜい素材の特性を示すデモやタイヤのカットモデルなどを展示すると共に説明VTRを流すくらいでしょう。転がり抵抗や空気圧といったところから実演を交えて丁寧に解説するところまで徹底するケースは希だと思いますし、子供でも理解できるような解りやすさを求めるといったことも普通ではあまりないことです。

新素材インナーライナーAIRTEXのデモ
新素材インナーライナーAIRTEXのデモ
従来であればこうした空気漏れの違いを示す比較モデルによるデモや
カットモデルなどを置いて解説VTRを流すくらいだったでしょう。
しかし、今年の横浜ゴムのブースはこれすらも脇役といった感じで、
タイヤの転がり抵抗と空気圧の関係を丁寧に説明するという部分に
重きが置かれていました。


もちろん、過去にも似たような子供向けのパフォーマンスが展開された例はあります。が、今回の横浜ゴムのように製品展示も脇に押しやってブース全体でこれに取り組むといったパターンは記憶にありません。大人でもこうした基本的な知識が整理されていない人は少なくないでしょうから、今回の取り組みはユーザーの知識の底上げにも繋がるもので、大いに評価すべきでしょう。

一方、横浜ゴムとは極めて対照的だったのが同じタイヤメーカーであるピレリのブースで、キレイどころを集めて並ばせ、完全にモデル撮影会と化していました。モーターショーというイベントはクルマやそれに関連する製品や技術などをアピールする展示会であって、女性の写真を撮るためのイベントでないのは言うまでもありません。そういう写真が撮りたいのであれば、その種のイベントを別に催して、そっちで存分にやってもらいたいものです。(あくまでも個人的な希望です。)

モデル撮影会と化していたピレリのブース
モデル撮影会と化していたピレリのブース
人の子の親なら横浜ゴムのブースは積極的に見せたいと思うでしょうが、
こういう状況を我が子に見せたいと思う親はまずいないでしょう。
世の中にはモデルの撮影を目的とした撮影会もあるのですから、
女性の写真を撮りたいのならそういう催しでやって欲しいものです。
特に、縦位置で不自然な影が出ないようにストロボをブラケットに付け、
「視線下さ~い」とか言っているそこのアナタ、場違いですよ。


確かに、こうしたモデルを使うのも広告手段の一つに違いありませんから、私の個人的な趣味で全否定するのは主観の押しつけになってしまうでしょう。ですから、出展者と来場者の利害が一致してこうしたモデル撮影会状態になってしまうのは諦めるしかないのかも知れません。

が、女性スタッフと見れば誰彼構わずカメラを向けるのは非常に見苦しいのでやめてもらいたいものです。インフォメーションカウンターに座っていたり、パンフレットを配っていたりする普通の女性スタッフに対しても写真を撮りたがるカメラ小僧を見ると後ろから蹴り倒したくなります。

モデル事務所やイベントコンパニオンを派遣しているような会社から派遣されていて、写真を撮られるのも業務の一つと始めから割り切っている人にカメラを向けるのはまだ良いでしょう。大手メーカーではそういう人をインフォメーションカウンターに座らせているケースも多いようですから、そこで撮影が始まってしまうのもある程度は仕方ないと思います。

しかし、どう見ても出展している会社の女子社員にしか見えない人までカメラを向けられてしまうことがあります。特に部品メーカーなどのブースでよく見られるパターンですが、ただ接客業務に当たっているだけのスタッフに対してもモデルを撮るのと同じ感覚でカメラを向けるカメラ小僧が結構いるんですね。これはいくら何でもマナー違反でしょう。

相手が客であるという認識から立場上ストレートに拒絶しづらいゆえ、やんわりと断っているのにしつこく拝み倒して写真を撮っていくというのは一種のハラスメントと見るべきです。そういう無節操で迷惑なカメラ小僧をつまみ出すような警備員を配置すべきだと思うのは私だけでしょうか?

ハナシを戻しましょうか。今年の東京モーターショーは全般的に例年のような派手さが抑えられていました。しかし、イメージ先行で上辺だけのエコを標榜し、その詳しい内容については等閑となっている状態は相変わらずといった印象です。そんな中で横浜ゴムはブース全体を使ってその基本となる部分を丁寧に解説していたという点で、非常に素晴らしいコンセプトだったと思います。

もちろん、全ての出展者が今回の横浜ゴムのようになって欲しいとは思いません。が、これまで大手の自動車メーカーは軽薄なコンセプトカーに無駄なカネを使い過ぎ、新しい技術の解りやすい説明という部分に充分な手間とコストを割いてきたようには見えません。本気でユーザーのことを思うのなら、その知識の底上げに繋がるような手助けにもっと積極的な姿勢で取り組むべきです。

確かに、ユーザーの目が肥えてしまうと販売戦略上不都合なことも色々起こってくるかも知れません。が、厳しい目で見られながら商売をしていけば、メーカーの技術水準も否応なく上がっていくものです。こうして鍛えられていけば必然的にメーカーの競争力も増していくでしょうし、それはいずれ良い流れとして巡るようになるものです。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その8)

従来の東京モーターショーでは大したことのないライフスタイルやユーティリティを提案するような軽薄なコンセプトカーが幾つも展示されていましたが、今年は大幅に減りました。市販を想定したデザインスタディというべき参考出品車も減ったように思います。そんな中で特に注目度が高かったのはトヨタのFT-86だったと思いますが、逆にこの程度のクルマが注目されていたくらいですから、全般的に参考出品がかなり小粒だったということでしょう。

いきなり脱線しますが、ついでですのでFT-86に対する私見を少々述べておきましょうか。

トヨタFT-86
トヨタFT-86
トヨタグループに入った富士重工お得意の水平対向エンジンとインラインレイアウトを生かし、
そこからフロントアクスルを抜いたフロントエンジン・リヤドライブという構成になります。
全長こそ伝説のAE86より短くなりましたが、ホイールベースと全幅が大きく拡大され、
全般的には全く異なるカテゴリーのクルマになったと見て間違いないでしょう。
AE86の重量は1トンに満たないライト級でしたが、これはどう見てもミドル級以上といった印象です。


このクルマはネーミングからしてあのAE86を強く意識したものであるのは明白です。AE86が発売されたのは今から26年前ですから、当時20代だった人は現在40代後半~50代前半くらいになっています。かつて現役時代のAE86でヤンチャしていた彼らは、子供も手が離れてそろそろファミリーカーを卒業しようといった世代になっていると考えられます。トヨタがFT-86を企画したのは、そうした需要を睨んだマーケティングによるのではないかと想像されます。(あくまでも個人的な想像です。)

ハナシを戻しましょうか。こうして電気自動車を中心としたコンセプトカー以外は全般的に緊縮状態で、注目されるような展示が例年よりも大幅に減っていました。その分だけ技術的な展示品やその解説が書かれたパネルなどを見ている人が例年よりも増えたように思います。これらの技術展示はいつもならちょっと待っていればすぐに人影がなくなってゆっくりと写真を撮ることができたのですが、今年は少しイライラするくらい待たされることが度々ありました。

歴代プリウスのハイブリッドシステムのカットモデルを見る人たち
歴代プリウスのハイブリッドシステムのカットモデルを見る人たち
初代から最新の3代目までそのエンジンとモーターとそれを結ぶシステムと
モーターの制御ユニットやバッテリーユニットがカットモデルで展示されていました。
ご覧のようにこうした地味な展示でも例年以上に興味を示す人が増えた印象です。
特にここでは人が写り込まないタイミングをはかるのが厳しく感じました。


しかし、これは非常に良い傾向だと思います。こうした技術展示は下手なコンセプトカーなどよりずっと低予算でできるハズですが、メカに興味のない人はきらびやかなコンセプトカーに目を奪われる傾向が極めて強く、実際にそういう人のほうが圧倒的に多くなっていたと思います。それだけに最近はこうした技術展示が以前より淡泊になっていました。

例えば、富士重工が世界で初めて実用化した乗用車用の無段階変速機「ECVT」のカットモデルを見たのは、高校1年生のときの東京モーターショーだったと思います。カットモデルといってもただ切って中身を見せただけではなく、実際にプーリーとベルトが動き、どのようにして減速比を無段階で変化させているのかということを示していました。

あの動きを見ればよほど理解力が乏しい人でない限り、その仕組みを理解できないことはないというくらい解りやすく、私もそれを見た瞬間にCVTの仕組みを理解しました。同様に、フォルクスワーゲンが「Gラダー」と称していたスクロールコンプレッサーもどんな説明図より「動くカットモデル」のほうがその動作を理解するのが容易でした。

メルセデスはSクラスなどで導入を始めたばかりのエアバッグを知ってもらうために大仰な装置を使って実際に作動させるという実演を行っていました。インフレーターに火薬を用いているというのもあの「バンッ!!」という耳をつんざく大きな衝撃音を聞けば直感的に誰でも想像が付いたでしょう。余談になりますが、エアバッグを発明したのはアメリカ人でもドイツ人でもありません。日本人の小堀保三郎という人物です。

特に晴海時代はライフスタイルやユーティリティを提案するような軽薄なコンセプトカーよりもこうした技術展示のほうが多かったくらいで、私は東京モーターショーで自動車の技術とその進歩をより深く理解することができました。あの頃は技術展示を見るのが東京モーターショーに行く楽しみの中でも非常に大きな部分を占めていました。

晴海時代にもカメラ小僧的な人はいましたし、家族連れもそれなりにいましたが、全体的には現在よりもずっとマニアックな雰囲気がありました。しかし、幕張に移って規模がどんどん拡大していくとメーカーもあの手この手で来場者の気を惹こうとし、食い付きの良いコンセプトカーや美しいコンパニオンを並べることに力を入れるようになっていった気がします。それに伴って技術展示も実際の動作を再現する凝ったものが減っていき、それがさらに興味を失わせるという悪循環になっていたような気がします。

上掲のプリウスのハイブリッドシステムも動かないただのカットモデルでした。プリウスがハイブリッド車として孤高の存在で、ホンダのようにフライホイールを薄型モーターに差し替えただけの安物のシステムと次元が違うのは、遊星歯車を用いた合理的な動力混合/分割システムにも大きな秘密があります。その仕組みを理解させようとしないのは何とも勿体ないハナシです。

実際にカットモデルないし説明用の模型などで遊星歯車の動きを再現し、ガソリンエンジンと電気モーターの連携を見せれば、どれだけ解りやすかっただろうと思いました。が、あの展示は3世代の動かないそれがただ並んでいるだけでした。切ってその断面に色を塗っただけのカットモデルが並んでいても、よほどメカに明るくなければその仕組みを理解するのは難しいでしょう。

こうした不親切な展示でも軽薄なコンセプトカーが減ったせいか、今年は明らかに見ている人が増えました。ならば、メーカーもカネのかかるコンセプトカーなどより、こうした真面目な展示物にこそ手をかけてその技術を深く理解してもらえるようアピールすべきです。莫迦げた寸劇でホンダとの違いを比喩的に表現した例の比較広告を展開するくらいなら、その具体的なメカニズムの違いを解りやすく解説し、より高度な技術が導入されているということを示すべきです。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その7)

東京モーターショーで各社がメインステージにエコカーと称するコンセプトカーや新型車などを展示し、「CO2排出量を削減した地球環境に優しい次世代の・・・」みたいな宣伝文句で盛んにアピールする光景はかなり前から繰り返されてきました。しかし、こうしたアピールにはことごとく「LCA:ライフサイクルアセスメント」という考え方が無視されているんですね。

今回は電気自動車ブームに乗った軽薄なアピール合戦が目に付きましたが、特に力の入っていた日産や三菱などは「走行時に」と断りを入れながらも「CO2を排出しない」などと標榜し、「ゼロエミッション」というキーワードを殊更強調していました。電気で動く乗り物は(鉄道の場合もそうでしょうが)特にLCAを無視したいのでしょう。

電力供給の3割以上を原子力発電に依存する日本でこれらを運用すれば、沖縄や離島など一部の例外を除いて間接的に核廃棄物というエミッションがあります。LCAという考え方を導入すると、こうした部分にも触れないわけにはいきません。それゆえ、電気自動車の環境性能をアピールしたい人たちは絶対にLCAという考え方を用いたくないのでしょう。実際、8輪駆動の電気自動車「エリーカ」を開発した慶應大学の清水教授も原発については黙秘を貫いていますし。

逆に、今年のマツダが掲げていたコンセプトはもっとLCAを高らかにアピールしたほうが良いのではないかと思われました。

マツダ清
マツダ・清(きよら)
全面ガラス張りのルーフは非常に重そうですし、冷暖房効率も悪くなってしまうと思います。
ガルウィングドアも余計な構造が加わるものですから、普通に作れば軽量化には向きません。
この種のコンセプトカーにありがちな外観はこのクルマのコンセプトに全く似合わず、
デザイナーのセンスの悪さが際立ってしまいました。
が、彼らの掲げているコンセプトそのものは電気自動車で浮かれている日産や三菱などより
ずっと骨太な意思を感じました。


このクルマはハイブリッドなどの技術を用いず、その燃費を32km/Lまで引き上げているといいます。ま、現状で本当にそこまでの性能が得られているのかやや疑わしい感じもしますが、実際には「2015年を目標に2008年比でマツダ車の平均燃費を30%向上させる」という技術的な指針を集約させたコンセプトカーといったところかも知れません。

その中身を見てみますと、とにかく効率アップを徹底させようという強い決意が感じられ、それはそれで一つの明確なコンセプトとして訴求力を持つレベルに達しているように思います。内容自体はかなり地味なだけに万人受けはしないかも知れませんし、クルマ音痴の大衆メディアにはその意図が正確に伝わらないかも知れませんけどね。

エンジンに関しては既にいくつかの車種で展開している直噴式をさらにきめ細かくマネジメントすることによって熱効率をより改善していこうと考えているようです。直噴の特性を生かしてセルモーターを使わずにエンジンを再始動させる例の「i-stop」と称するアイドリングストップ機構も導入しているでしょう。

トランスミッションについてはCVTではなく、昔ながらのトルコンATを用いるようです。CVTは効率の良いエンジン回転数を維持しやすいのですが、反面、プーリーを可変させるのに油圧が必要で、その油圧ポンプに出力を奪われたり、プーリーとベルトの摩擦による発熱などエネルギー損失が大きいというネックもあります。そこでマツダはトルコンやクラッチの滑りを極限まで減らし、ロックアップ領域を極限まで広げることで効率アップを図ろうと考えているようです。

中でも面白いと思ったのは、ハイブリッドでもないのに回生ブレーキを採用するというアイデアです。普通、回生ブレーキといえば減速時のエネルギーで発電し、それを再び加速時などに利用するかたちになりますから、ハイブリッド車や電気自動車、燃料電池車など電気モーターの動力を用いるクルマの専売特許みたいなイメージがありました。

しかし、マツダのこれは減速時のエネルギーで発電したその電気を電装用として用いるのだそうです。普通のクルマは普段からエンジンの出力の一部でオルタネータを回し、エンジンがかかっている間はそれなりの頻度で発電しています。が、マツダのこれは減速時の大きなエネルギーを利用して発電することで、エンジンの動力による発電を極力減らそうと考えているようです。

ハイブリッド車は電気モーターを追加したシステムでガソリンエンジンと出力特性の違いを補完し合い、最適化を図ってエネルギーの利用効率を向上させています。一方、今回マツダが提案したコンセプトは従来技術のレベルアップを図り、回生ブレーキのように無駄を見逃さないようにして効率を改善しようというわけですね。

こうした方法ならハイブリッド車のような追加の資源投入やエネルギー投入をあまり必要としないと考えられます。それでいながらハイブリッド車と同等の燃費が得られるとしたら、LCAで評価した場合にハイブリッド車よりも数段優れた環境性能を得ることになるでしょう。

しかし、どういう訳かマツダはLCAをアピールする素振りがありませんでした。彼らが今回の東京モーターショーで中心に据えたこのコンセプトはLCAを用いて評価してこそ輝きが増すものですし、広く横展開すればグロスで大きな効果が見込めるだけに、何とも勿体ないハナシではあります。

無知なのか謙虚なのか、将来的にハイブリッド車を展開する際にこの部分をアピールしてしまうと商売がやりにくくなると考えているのか、マツダお得意の水素自動車もLCAで見ればちっともエコじゃないところをつつかれないようにするためなのか、その真意は解りません。

マツダ・プレマシーH2-RE-HV
マツダ・プレマシーハイドロジェンREハイブリッド
マツダはまだ水素自動車を諦めきれないらしく、今年もしぶとく展示車両を持って来ました。
水素燃料はエネルギー密度が低いゆえ航続距離が短いという欠点がありますが、
ハイブリッドシステムの導入で燃費を向上させ従来の2倍に航続距離を伸ばしたのだそうです。
ま、それでもたったの200km程ですけど。


内燃機関で水素燃料を燃やして動力を得るクルマは旧武蔵工大(現東京都市大)が古くから取り組んできましたが、大手の自動車メーカーではBMWとマツダが熱心ですね。水素を燃やしても水しか出ないとして、これをゼロエミッションだと豪語する人もいます。が、燃焼時は筒内の温度と圧力が相応に上がりますから、大気中の窒素と酸素が結びついて窒素酸化物が生成されてしまいます。つまり、このエンジンがゼロエミッションだというのは間違いなんですね。

また、燃料となる水素は天然ガスから「水蒸気改質」という方法で生産されるのが一般的です。当然、全般的なエネルギー投入量は天然ガスをそのまま燃料として用いたほうが圧倒的に少ないですから、こうして得られた水素燃料を燃やすというのは非常にエネルギー効率が悪い方法といえます。このように表面的な部分以外もキチンと評価に加えてみれば水素自動車も大してエコとはいえません。

燃料電池車も同じ水素を用いますが、アチラはエネルギー変換効率が非常に高い分だけマシかも知れません。が、現状ではやはり水素を天然ガスから得ていますから、その際にかなりの熱エネルギーを投入する必要から間接的にCO2を排出してしまうことになりますし、天然ガスを改質した水素燃料を用いるのであれば化石燃料を消費しているわけですから、持続可能エネルギーでもありません。

風力や太陽光による発電で水を電気分解して水素を得るというのなら、色々なところで目をつぶれば持続可能エネルギーと言えなくはないかも知れません。が、こんな猛烈に効率の悪い方法ではコストがかかりすぎて全くハナシにならないでしょう。また、こんな効率の悪い方法で需要に見合った供給量を確保できるかも怪しいところです。

読売新聞の10月25日付社説「モーターショー エコが握る自動車産業の未来」をはじめ、大衆メディアはおしなべて今年の東京モーターショーについて各メーカーが最先端の環境技術をアピールしたと評価しています。しかしながら、全般的にLCA的な考え方が置き去りになっている旧態依然とした状況が続いており、イメージばかりを先行させているという点では私が見てきた四半世紀の間に何の進歩もありません。

一部分だけを取り出してみれば都合よく見えるような技術であっても、全体を通じて評価しなければ片手落ちも良いところです。が、日本ではいつまで経ってもLCAという考え方が浸透していく気配すら感じられません。こんな状態で毎日「エコ」「エコ」と唱えてみても、カルト教団の信者が唱える呪文と大した違いはないでしょう。いい加減に独善的な性能のアピールなどやめ、評価の仕方に偏りのない本質を見据えた考え方に改めるべきです。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その6)

まだまだ現実性の乏しい電気自動車を普及させるために1台当たり百何十万円という高額な補助金を支給するくらいなら、原付に認められた出力の上限を緩和し、電動バイクにもガソリンエンジンのそれと同程度の動力性能を与え、普及を促すほうが遙かにマトモな政策といえるでしょう。もちろん、その前にLCAによる環境負荷の評価をしておく必要はありますが、電動のほうが環境負荷を低減し、エネルギーの利用効率を向上させられるのであれば、電気自動車などよりずっと現実的といえる電動バイクの普及を優先させるべきです。

今回の東京モーターショーではヤマハだけでなく各社から電動バイクが提案されていましたが、メーカーはこうした基準緩和についてももっと大きな声で叫ぶべきだったと思います。また、メディアも電気自動車のようにまだまだ先行きが不透明な乗り物に入れ込むより、もっと近い将来に可能性が期待できる電動バイクについて、もう少し力を入れるべきでしょう。

特に新聞というメディアにとって原付は配達に不可欠な乗り物といえます。少なくとも、私の家の近所の新聞販売店では自転車など殆ど使っておらず、毎朝4時くらいになると静まりかえった住宅地を彼らのビジネスバイクのエンジン音が行き交って安眠を妨げられることがあります。彼らにしてみればこの問題は決して他人事ではありません。

ビジネスバイクの4サイクルエンジンは比較的静かではありますが、どうあがいても電気モーターには敵いません。新聞販売店の多くは早朝にこれを何台も走らせているのですから、そうした部分も含めてもっと話題にし、真剣に導入を検討していくべきです。ま、本気でCO2を減らしたいというのなら猛烈に非効率な紙媒体などやめてしまい、電子配信へ移行していくべきですけど。

また、日本郵政グループは集配用の二輪車を全国で8万9000台以上保有しているといいます。いきなりこの全てを電動化させるのは無理でしょうし、使用年数の少ないものを代替するのも資源の利用効率を考えるとマイナスになってしまう恐れがあります。仮に代替サイクルを10年として、新車への代替時に電動へ切り替えていくとしても、毎年9000台近い需要が見込めます。かつてヤマハが販売していたパッソル-Lが年産3000台程度だったことを考えれば、日本郵政グループだけでその3倍という数字は侮れないでしょう。

ホンダEV-Cub
ホンダEV-Cub
ホンダもスーパーカブの電動コンセプトモデルを展示して、
ビジネスバイクの分野でも電動化を提案していました。
もっとも、ホイールの意匠などを見てもショーモデル然としており、
市販を臭わす雰囲気はまだまだ感じられませんでしたが。


実は、現在日本全国で何台の原付を保有しているのか、正確な数字は解っていません。以前は国土交通省の自動車交通局が集計していたのですが、2006年で打ち切られているんですね。そもそも、原付には車検がなく、ユーザーが転居などで越境しても登録手続を怠るケースが少なくないといった理由で追跡が困難だったり、保有状況の調査に人員を割けない市区町村が増えて協力が得られなくなってきたなど、データの信頼性が確保できなくなってきたことから調査が打ち切られたのだといいます。

調査が行われていた2006年以前の傾向から推測しますと、第一種原付の保有台数は700万~800万台、第二種は120万台前後といったところでしょうか。第一種だけでも国民16人に1台という割合ですから、減少傾向が続いているとはいえ潜在的なマーケットの規模は決して小さくありません。

200kgにもなるリチウムイオン電池で公称160km、正味はその半分くらいしか走れない電気自動車に対し、電動バイクはたかだか6kg程度のそれで公称40km少々、正味での目減りはそれほど大きくないようですが、半減すると想定しても日常的な用途にはそれなりに対応できるでしょう。

三菱の電気自動車i-MiEVを80%(実用上の満充電)まで30分で充電できる急速充電器と同程度のものを用いれば、バッテリー容量がi-MiEVの1/27程度でしかないヤマハの電動バイクEC-02なら1分少々で充電完了となります。もし、こうしたインフラが整えば、ガソリン車と比べてエネルギーチャージという点でも大きく見劣りすることはなくなるでしょう。もっとも、このレベルの充電器は非常に高価ですから、その普及は容易ではないと思いますが。

EC-02は付属の充電器で約6時間かかるそうですが、これは充電器のコストを抑えるために能力の低いものを付属させているからでしょう。これもi-MiEVに付属する100V電源用と同程度の充電器を用いれば25分足らずで充電できる計算になります(あくまでも単純計算ですが)。i-MiEVを30分で急速充電できるそれは高価なだけでなく、一般的な住宅や商業施設など100V電源しか確保できない状態では対応できないのもネックです。

i-MiEVに付属するものと同程度の充電器ならそこまで高価ではありませんし、家庭用100V電源で使えるものですから、電源の確保については非常に容易です。電動バイクの充電用としては、このレベルの充電器を用いるのが現実的といえるでしょう。こうしてみますと、インフラの整備についても電動バイクならそのハードルは電気自動車ほど高くないと考えて間違いありません。

バッテリー容量が小さくても良いということは、バッテリーの性能の低さに因むデメリットが軽減されるというところへ繋がります。航続距離にしても充電時間にしても製造コストにしても、電気自動車では普及を阻む大きな障壁がいずれもバッテリーの性能の低さに起因しているといっても過言ではないでしょう。が、容量が小さいバッテリーでもそれなりに製品として成り立ちやすい電動バイクは、その障壁がずっと小さいと見て良いでしょう。

物事には順番というものがあります。どの国を見ても乗用車が普及する前段にはほぼ例外なく自動二輪が普及しています。この連載の初回冒頭でもご紹介しましたように、第1回目の東京モーターショーに出品された個人ユーザー向け製品は自動二輪が圧倒していたように、最初の波は二輪車からやってくると見るべきです。

現在急速に経済を発展させているアジア諸国ですが、庶民にとって自動車はまだまだ高嶺の花という国のほうが多いのが実情です。しかし、その一方で自動二輪が爆発的に普及している国は少なくありません。こうした部分を見ても、やはり彼らは日本や他の先進国が歩んできた道を同じように辿っているわけですね。

ガソリンエンジンが電気モーターに置き換わっていくのもまずは二輪車からでしょう。前述のように長い航続距離を求めるユーザーが比較的少ない原付などは、法的な制限によるパワー不足の問題を除いて性能面で現実性を欠いているというほどではありません。価格面でもかつてヤマハから発売されたパッソルなどリチウムイオン電池を奢ったものでも20万円少々に収まっていますから、原付スクーターの上級モデルや一般的なビジネスバイクと同レベルです。

しぶとく生産が続けられているホンダ・モンキーなど、いまや30万円弱というハイプライスになってしまいました。これを考えれば、仮に法規が緩和されてよりパワフルなモーターが与えられ、それで航続距離が短くなってしまわないようにバッテリーの容量をより大きいものにして多少コストアップしても、ランニングコストの安さでメリットをアピールできるでしょう。

ただし、長期の継続使用でバッテリーの交換が必要になった場合はランニングコストのメリットが大幅に損なわれてしまいます。ですから、そうした部分については当面のあいだ政府や地方自治体などが補助金を支給してサポートしたほうが良いかも知れません。それでも電気自動車に支給されるべらぼうな金額の補助金を考えれば遙かに現実的といえるでしょう。

長距離ツーリングを楽しみたいという人にとって、航続距離が短く充電施設も皆無に等しい電動バイクは論外でしょう。しかしながら、日常的なコミューターとして原付を利用している人にとっては、現在の法規上パワー不足になってしまうという不都合を除けば実用上の能力に問題ないというケースも少なくないでしょう。そうした使用条件を想定すれば、電動バイクの普及は電気自動車より遙かに容易だと思われます。

逆にいえば、原付を電動に置き換えていくことすらままならないようでは、電気自動車の普及など夢のまた夢と理解しておくべきでしょう。私は今回の東京モーターショーを見てそうしたことを感じました。が、これを伝えたメディアの殆どは電気自動車にご執心です。こうした物事を見る目のない低レベルなメディアにも現状を悟らせられるような情報が提供されるような場であってくれれば、東京モーターショーに対して私は何も言うことがなくなるでしょう。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その5)

現状を冷静に鑑みれば、電気自動車などより電動バイクのほうが遙かに現実的だということが解ります。電動バイクならべらぼうに高額な補助金を支給しなくても、既存のバッテリーの性能でも、そこそこ実用的な製品としてある程度の規模のマーケットを構築することができるでしょう。それこそ、5年から10年くらいの間にガソリンエンジンのそれのシェアに食い込んでいけるくらいに成長させられる可能性があります。

特に、原動機付自転車(以下、原付)は業務用としても配達など近距離での使用が多く、個人ユーザーにも日常生活の足として自転車のように用いられるパターンは割合的に低くないと思います。連続して何十kmも走れる性能を必要としない人は決して少なくないでしょうし、そういう人にとってみれば、自宅でエネルギーチャージが可能で、そのコストも安く、静粛で早朝深夜の利用もあまり気兼ねしなくて済むといったメリットはかなり魅力があるハズです。

既に、中国メーカーのそれを輸入したり、独自に企画したものを中国メーカーに作らせたりしているベンチャー企業は日本国内に何社もあり、補助金なしの裸の値段でも15万円前後という低価格な製品がいくつか売られています(例えば、ココとかココとか)。航続距離が数十km程度で問題ないのなら安価な鉛電池でも成立しますから、こうした低価格が実現可能というわけですね。

大手ではヤマハがリチウムイオン電池の電動バイクを単発的に発売してきました。例えば、2002年に発売されたパッソルや2005年に発売されたパッソル-LおよびEC-02などです。これらを軌道に乗せることができなかったのは、バッテリーのリコールという不運にたたられたのが一番の原因でしょう。その改善処置に大変なコストと時間がかかってしまったことから事業計画が大幅に狂ってしまい、一時的に撤退を余儀なくされたようです。

ま、こうしたトラブルは黎明期にはつきものですが、ヤマハは全く諦めていません。今回の東京モーターショーに参考出品されたEC-03と称するそれも従来の電動パッソルの新型と見るべき外観で、細かい部分の仕上げを見ても量産仕様と考えて間違いなさそうですから、近々このモデルでリトライするということなのでしょう。

ヤマハEC-03
ヤマハEC-03
今回の東京モーターショーに参考出品されていたEC-03は
フレームの溶接部や金型整形されたプラスチック部品など
全般的な仕上げからして、量産型の仕様に準じていると思われます。
多少の手直しは入るかも知れませんが、近い将来にほぼこのままの姿で
市販されることになると思います。


しかし、原付に分類される電動バイクには一つ大きな足枷があります。それは法的な枠組みです。原付の第一種で内燃機関を原動機とする場合はご存じのように総排気量50cc以下となっていますが、内燃機関以外の原動機を用いる場合は定格出力0.6kW以下と定められていて、明らかにパワー不足なんですね。ちなみに、第二種は総排気量125cc以下、定格出力1.0kW以下となっています。コチラもやはり内燃機関以外に規定された出力の上限が低すぎます。

原付免許ないし普通免許で乗れる電動バイクの出力が判で押したように定格で0.6kW以下となっているのは、こうした法規に従ったものです。ヤマハEC-03も定格出力は「0.6kW以下の原付第1種相当」と表示されていました。が、0.6kWというのはたったの0.8PSです。例えば、ホンダ・トゥデイの場合、最高出力は4.1PS(3.0kW)、同スーパーカブでも3.4PS(2.5kW)です。もちろん、定格出力と最高出力を比べるなどナンセンスなのは承知しています。

過去に発売されたヤマハの電動バイクの場合、定格出力が0.58kWとされ、最高出力は1kW前後(EC-02の場合、1.2kW)と表示されていました。ガソリンエンジンと電気モーターではトルク特性が大きく異なりますから、その点も考慮する必要があります。が、それでもやはりこの差は大き過ぎます。加速性能や登坂力などに少なからぬ影響がある部分で一般的なガソリンエンジン車と3倍もの差があるというのは同列に並べる商品としてハンデが重すぎると言わざるを得ません。

実際、ユーザーや乗車体験のある人たちからパワー不足が指摘されていますし、数値を見てもガソリンエンジンとの差は明らかです。配達で比較的重量のあるものを扱うとか、アップダウンが激しい土地に住んでいるから自転車ではなく原付に乗っているといった人たちにとって、こうした脆弱な動力性能は小さからぬネックになるでしょう。

もちろん、一般的なユーザーにとっても交通の流れに乗りづらいような状況が度々あるようでは敬遠したくなるでしょう。そもそも、人間は一度快適を味わってしまうと、それよりも劣る状況には身を置きたくないと思ってしまうものです。ガソリンエンジンの加速性能を味わった後、それよりも格段に劣る電気モーターを選ばせるには、「妥協」とか「我慢」といった言葉が必要になります。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その4)

三菱i-MiEVのリチウムイオン電池は巻回形電極を用いるタイプですが、その両端に集電体と端子とを最短距離で接続した独自の構造を採用してコンパクト化に成功しています。一方、日産リーフに採用されたリチウムイオン電池で特徴的なのはシート状の電極を積層した薄型電池をラミネートフィルムで包むという構造になっているところです。

リーフのラミネート型リチウムイオン電池
リーフのラミネート型リチウムイオン電池
三菱はGSユアサとの合弁でリチウムエナジージャパンを立ち上げ、
i-MiEVに専用のリチウムイオン電池を供給していますが、
日産もNECとオートモーティブエナジーサプライを立ち上げ、
リーフに専用のリチウムイオン電池の供給体制を整えています。


こうしたラミネート型は三菱電線工業などにも類例がありますのでオートモーティブエナジーサプライの固有技術とはいえませんが、コチラのほうが巻回形電極より放熱特性に優れています。また、このラミネート型は薄いシート状であるゆえ、バッテリーモジュールの形状設計においてその自由度を高めることができると思われます。

こうした特徴はちょっとしたデッドスペースを有効活用できる可能性を広げるでしょう。電気自動車はまだまだエネルギー密度が小さいバッテリーのせいで全体的なパッケージングに大きな制約が生じてしまうものです(テスラ・ロードスターが2座なのも航続距離を伸ばすために大量のバッテリーを搭載したことが理由の一つでしょう)。バッテリーの搭載方法について自由度が高まれば、パッケージングの問題もある程度緩和できる可能性が広がります。

こうした点で、日産の(というより、オートモーティブエナジーサプライの)電池の構造には期待も感じられます。が、所詮はリチウムイオン電池で走る電気自動車に過ぎません。そのポテンシャルはガソリンエンジンやディーゼルエンジンの代替動力源として性能面では桁が一つ足りず、コスト面では桁が一つ多いというところでまだまだ現実性は低い状態が続いています。

それは三菱のi-MiEVなども全く同じで、以前詳しく述べたように5年や10年での普及などよほどのこと(例えば、とてつもなく莫迦げた予算をブン取って政策的に無理矢理普及させようとする狂信的な勢力が台頭してくるとか)がない限り無理でしょう。今回のモーターショーで実際に各メーカーの電気自動車やその関連技術を見てその印象はより強いものになりました。

また、これも以前に触れたことですが、ゴーン社長はこのリーフを発表したとき、どこの間抜けなシンクタンクがでっち上げた数字なのか知りませんが、2020年には世界の自動車需要の10%が電気自動車になるという、極めて無責任な数字を高々と掲げていました。加えて、彼はハイブリッド車の世界シェアが2%に満たないニッチなものゆえ現状では「量産車とはいえない」などと断じ、電気自動車は10%のシェアを獲得して量産車になれると豪語していました。

いくらハイブリッド車でトヨタやホンダに大きく遅れをとり、存在感を示せないまま10年余りを送ったとはいえ、日産のこの負け惜しみはあまりにも無様です。ここまで厚顔無恥な放言には呆れるというよりも、むしろ哀れを感じます。かつて私にとって日産はホンダと並んで好きなメーカーの代表格でしたから、こんな醜い姿など見たくはありませんでした。

ゴーン氏が日産の社長に就任してから良くなった部分は少なくありません。が、逆に悪くなった部分も沢山あります。最近の日産を見ていると、特に電気自動車のアピールの仕方を見ていると、その悪くなった部分が露骨に現れています。

これに比べれば、i-MiEVの発売に当たって「2010年代半ばまでに顧客の負担額が200万円を切るレベルを実現したい」とし、電気自動車が補助金と決別できる目処など立っていないということを暗に認めた益子社長のコメントの方が遙かに電気自動車の現実を表わし、その限界を認識している分だけずっと好感が持てます。

日産は12年前に世界で初めてリチウムイオン電池車を市販し、この分野で先鞭を付けたということを私はよく知っています。ですから、ここに来て三菱に話題をさらわれ、巻き返しに躍起になっているその気持ちもよく解ります。

が、それにしても2020年には総需要の10%などという莫迦げた大風呂敷やハイブリッド車を量産車と認めない滅茶苦茶な曲解は言語道断です。この東京モーターショーでも、LCAを完全に無視し、「ハイブリッド技術では(温室効果ガス排出の)完全な解決にならない」とスピーチするなど、彼の独善的で子供だましの屁理屈は目に余ります。ま、それを言ったらトヨタやホンダの燃料電池車市販宣言も五十歩百歩かも知れませんが。

モーターショーのような注目を浴びる場で代表者が軽々しく全く目処の立っていない事業予測を世界中のメディアに向けて発するのは控えるべきです。こうして次世代の動力源に期待を持たせておいて、結局目処が立たないことがハッキリしてきたら有耶無耶にするということを何度も重ねていけば、いずれそうした計画発表は眉唾で見られるようになります。それがアピールされる場でもあるモーターショーに対する期待感も損なわれていくことになるでしょう。

もちろん、非日常的な夢のコンセプトを示すこと自体は問題ありませんし、未来を見据えたビジョンを掲げるのはむしろ良いことだと思います。が、現実との境目はある程度解りやすくしておくべきでしょう。特に事業計画と理解されるような領域においてはもっと地に足をつけ、慎重に言葉を選ぶべきです。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その3)

今年の東京モーターショーでは、多くのメーカーが電気自動車をメインステージに配置し、期待感だけで盛り上がっている電気自動車ブームに乗じたアピールに力を注いでいるような状態でした。中でも12年前に世界で初めてリチウムイオン電池車を発売したのに殆ど空回りに終わってしまった仇を討とうとしているのか、日産のそれは特に気合いが入っている印象でした。

日産リーフ
日産リーフ
次代のマーチは日本国内向けもタイでの生産による逆輸入が決まり、
追浜工場はこの電気自動車の生産拠点になるとされています。
プレスデーにはゴーン社長が「ハイブリッド技術では
(温室効果ガス排出の)完全な解決にならない」とスピーチするなど
日産は何処までもLCAを無視し続け、子供騙しの環境意識で
これを推進していこうと考えているようです。


で、予てから気になっていたポイントを解決しておこうと思い、日産のブースにいた説明員に質問してみました。例のベタープレイス方式(充電済みのバッテリーに丸ごと換装する方式)を日本にも導入する計画があるのか? また、日産はこれを主軸にして電気自動車の普及を目指していこうとしているのか? というところです。

その答えは「NO」でした。2010年末に日本国内で市販が予定されているリーフの車体構造もベタープレイス方式のバッテリー換装は現在のところ想定していないといいます。この説明員はベタープレイスとルノーと共に計画しているイスラエルでの電気自動車普及プロジェクトについてはあまり詳しくご存じないようでしたが、現段階で日本に同様の計画はないと断言していました。

では、あの横浜で行われたデモは何だったのかということになります。これについても質問してみましたが、どうやらベタープレイス・ジャパンが日本市場向けに行ったプロモーションに過ぎず、日産はそれに協力しただけということのようです。ま、あの方式で多様な車種に対応するとなれば扱うバッテリーの規格もたくさん設けなければならず、システムも大袈裟になり過ぎるなど問題点が多すぎます(詳しくは以前にも述べていますので、コチラをご参照下さい)。

私はこんな方法が上手くいくとは最初から思っていませんでしたから、日本への導入にも懐疑的でしたし、イスラエルでのプロジェクトもかなり実験的なものになるような気がします。そもそも、まだまだ発展途上であるバッテリーを下手に規格化してしまうと、新技術導入の足かせにもなりかねません。このシステムには根本的に縛りが多すぎるように思います。

また、同時に提案されていたバッテリーのリースに関しては住友商事をビジネスパートナーとし、二次利用を想定したビジネスプランを検討しているといいます。詳しく述べていると長くなってしまいますので割愛しますが、興味のある方は住友商事のサイトにある今年10月20日付のニュースリリースを参照されると良いでしょう。

なお、この説明員は電気自動車の将来的な展望について纏めた資料展示のところにいた方で、当然のことながらこの分野に詳しい担当者でした。が、こんな質問をした人は私の他にいなかったようです。特にイスラエルでのプロジェクトについては非常に歯切れが悪く、この部分についてはあまり予習をしていない様子でした。

ま、私のような偏屈な人間ばかりが来場するようなイベントだったら東京モーターショーは決してこんな雰囲気になっていないでしょう。恐らく、プレスの人間もしなかったであろう込み入った質問に対して適当にあしらうでもなく、きちんと対応して下さったことに感謝すべきですね。

ここで少し技術的な部分についても触れておきましょうか。リーフのリチウムイオン電池もi-MiEV同様、正極にマンガン酸リチウムを用いています。これまで主流だったコバルト酸リチウムを正極に用いたものは資源供給の問題と熱暴走の問題がありましたが、マンガン酸リチウムはこれらの点で有利です。

かつてマンガン酸リチウムで欠点とされていた寿命の短さは、残留水分や60℃以上の高温で正極のマンガンが溶出してしまうことが原因でした。が、こうした欠点を克服したことが電気自動車にマンガン酸リチウムのリチウムイオン電池を採用できたポイントといえます。この点については一応の進歩と認めるべきでしょう。

しかし、それでもなお残されている欠点は、コバルト酸リチウムよりエネルギー密度の伸び代が小さく、その向上が難しいと考えられるところでしょう。現在、実行値ではマンガン酸リチウムもコバルト酸リチウムと同等のエネルギー密度を得られているようですが、理論値では倍近い差があるんですね。ま、世の中そんなに甘くないといったところでしょうか。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その2)

かつて、自動車に求められた環境性能は専ら排出ガスに含まれる大気汚染物質(窒素酸化物、硫黄酸化物、粒子状物質、一酸化炭素、炭化水素など)を如何にして減らしていくかといったものでした。

ガソリンエンジンに関しては旧式のディーゼルエンジンに見られた副燃焼室を応用したホンダのCVCCなど特殊な例もありましたが、三元触媒コンバーターの実用化で大幅に前進し、最近は燃焼状態のマネジメントもより高度になり、セラミックス技術の向上で触媒の効率も高まるなど排出ガスの後処理技術にも一層の磨きがかかっているようです。

ディーゼルエンジンもコモンレール式の燃料噴射やDPF(粒子状物質を濾し取って酸化処理するフィルタ)の進歩、あるいは日産ディーゼルが先鞭を付けた尿素SCR(尿素液を用いて窒素酸化物を後処理するシステム)などで浄化が大幅に進みました。

特に粒子状物質に関してはかつて石原都知事がペットボトルに詰めたそれをぶちまけて見せるというパフォーマンスでメディアもこれに食い付き、殊更に注目されました。当の東京都は使用過程車にたった一度だけ規制をかけて終わりでしたが、国の規制は段階的に厳しさを増し、もはや「測定技術が追いつかなくなるのでは?」というレベルまで強化されてきています。

ですから、今回の東京モーターショーもそうした技術については日産がクリーンディーゼルを積極的にアピールしていたのが目立ったくらいで、メディアや多くの来場客が注目しそうな環境性能は明らかにCO2の排出削減に集約されているといった印象でした。各メーカーもそこに最も力を入れて存在感を示そうとしていたといっても過言ではないでしょう。

こうした方向性がより明確になったのはやはり12年前でしょう。1997年といえば12月に京都議定書が採択され、程度の低い仮説に過ぎないCO2の温室効果による地球温暖化というストーリーが世界をまたぐ環境問題としていよいよ既成事実化されました。世論もメディアも企業もさらにそのイメージが深く擦り込まれてしまった年でもあります。プリウスが市販されたのもこの年でしたし、燃料電池車が大いに持て囃され、これを2005年までに量産・市販するとトヨタが宣言したのもこの年でした。

ついでに言えば、日産が世界で初めてリチウムイオン電池で走る電気自動車、プレーリージョイEVを市販したのもこの年でした。が、当時は殆ど話題になりませんでした。それは自動車業界全体が燃料電池ブームに沸き立ち、メディアもこれを大いに煽っている真っ只中だったからではないかというハナシは以前にもしましたね。

結局、この12年間でこの分野に劇的な進歩はありませんでした。リチウムイオン電池もコストやエネルギー密度はそれほど向上していませんし、燃料電池車などいつになったら個人消費者向けの市販レベルまでコストダウンできるのかその目処すら全く立っていません。12年前にはトヨタのメインステージを華々しく飾った燃料電池車は、今年トヨタのブースの端っこにひっそりと佇んでいる状態で、まだ諦めたわけではないということをさりげなく示しておくために展示されていたというような雰囲気でした。

トヨタFCHV-adv
トヨタFCHV-adv
前回は大阪府庁前から東京のMEGA WEBまでの約560kmを
エアコン常時使用のまま途中で水素燃料をチャージすることなく走破した
というトピックがありましたが、今回はその手のネタもなかったようです。
カラーリングも例年より大人しく、そのためのカネも惜しんだという印象です。
トヨタのブースの端っこ(レクサスではなくご覧のようにダイハツ寄り)に
ひっそりと佇んでいるといった風情で、来場客の関心も極めて薄く、
12年前の市販宣言を思い起こせばとても信じられないくらい
ぞんざいな扱いになっているのが現在の燃料電池車が置かれている
その立場を物語っているようでした。


「V Flow FCスタック」と称する独自の燃料電池を搭載したFCXクラリティという専用車を仕立て、燃料電池車には並々ならぬ投資を続けてきたホンダは、今年もメインステージにこれを配置してアピールには余念がありませんでした。様々なマネジメントをリファインさせて航続距離も年々伸ばしているようです。が、やはりネックとなる価格面には何の進歩もないのでしょう。個人向けの販売を臭わせるような要素は微塵も感じられないのは3年前にロサンゼルスオートショーでこのクルマが発表されたときから何ら変わっていません。

ホンダFCXクラリティ
ホンダFCXクラリティ
今年の展示車両を見ても概要説明を聞いても進歩を感じさせる要素は一切なく、
個人向けの販売まで道のりはまだまだ険しいという印象がより強くなりました。
2006年のデトロイトショーでは3~4年以内に市販すると豪語しましたが、
昨年11月から政府機関や企業向けのリース販売を開始しただけです。
これまで内閣府や環境省、帝都自動車交通㈱に納車したほか、
今年新たに出光興産㈱と岩谷産業㈱の2社に納入が決まったくらいで、
個人向けの発売がいつになるのかは全くの白紙状態でしょう。


ま、300気圧に耐えるアルミライナーにカーボンファイバーを巻いたコンポジット構造の超高圧水素タンクだけでも中級車並みのコストだといいます。同様に超高圧タンクを必要とするCNG(圧縮天然ガス)車もここがネックとなっていますが、燃料電池車はさらに高価な燃料電池ユニットが必要ですから、現在のような構成で大衆車レベルまでコストダウンするなど夢のまた夢といったところでしょう。

ちなみに、FCXクラリティのリース料は定期メンテナンスと自賠責保険料込み、消費税込みで毎月84万円というとんでもない金額です。1台当たり年間1000万円超という莫迦げたリース料を内閣府や環境省は支払っているわけですが、これが我々の血税であるのは言うまでもありません。こんなイメージ先行の応用製品に投資するより、燃料電池そのものの基礎研究をもっと支援し、抜本的な技術革新を促すべきです。

当初アナウンスされていたガソリンもしくはメタノールを改質して水素を取り出す方式などいつになったら政府や企業向けにでもリース販売に漕ぎ着けることができるのでしょう? あのブームの最中には10年ほどで目処が立つような口ぶりでしたが、実際に10年以上経った現在は全く混沌とした状態です。

燃料電池車は特に航続距離などで徐々に性能を向上させているのは確かです。が、コスト面では現実的なレベルまで桁が違う状態が続いています。ま、それはリチウムイオン電池車も全く同じ事で、そこそこ現実的といえる航続距離を実現しているテスラ・ロードスターなどもやはり現実的な乗用車のコストと桁が一つ違い、両者の置かれている状況に大きな違いはありません。

今年は多くのメーカーがリチウムイオン電池をメインステージに飾っていましたが、政府による高額な補助金とメディアの偏向報道によって創作されたリチウムイオン電池車ブームに乗っただけと見るべきでしょう。

トヨタFT-EVII
トヨタFT-EVII
トヨタもメインステージにはリチウムイオン電池車を配置し、
今年になって急激にブレイクした電気自動車ブームに乗ったようです。
ちなみに、このコンセプトカーは近距離移動用のシティコミューター
といった位置づけになるようで、現在のバッテリーの性能を考えれば
至極妥当なコンセプトといえます。


もちろん、三菱のi-MiEVや富士重工のプラグイン・ステラなど、既に市販が始まっている電気自動車も大々的にアピールされていましたが、実質的な航続距離の短さと、充電ステーションの少なさと、ベースとなったガソリンエンジン車が丸々買えてしまうほど高額な補助金を受けてもベース車の2~3倍にもなる非現実的な価格という三重苦ですから、この電気自動車ブームが去るのも時間の問題でしょう。このブームが去る前に現実的な電気自動車を成立させられるような次世代バッテリーが実用化されることもたぶんないでしょう。

技術的な確定要素が少ないまま期待感だけが著しく膨らんでいるという現状を冷静に受け止めれば、この電気自動車ブームも12年前の燃料電池車ブームと同じ流れを繰り返すのがオチだと思います。今回のモーターショーで実際に幾つもの電気自動車やその主要技術の展示を見て、旧態依然の状態を再認識した私は、その印象がより強いものになりました。

ま、地球の平均気温もエルニーニョがあった1998年をピークとして、それ以降は上昇傾向が一切見られず、近年はむしろ下降しています。あれだけ地球温暖化問題を煽ってきたBBCも電子版に「What happened to global warming? (地球温暖化に何が起こったのか?)」というタイトルで「最近11年間の地表の平均気温は1998年よりも低く、その原因は太陽活動の減衰期に入ったことで太平洋の海洋循環が寒冷期に入ったため」といった趣旨のレポートを載せたくらいです。

リチウムイオン電池車も燃料電池車も地球の平均気温も、この12年間で状況は殆ど変わっていないというわけです。

(つづく)

東京モーターショーは何処へ行くのか? (その1)

東京モーターショーが始まったのはいまから55年も前で、私が生まれるずっと以前のことですから、当時のことは資料などで読んで知っている限りです。第1回の東京モーターショーは日比谷公園で開催され、254社が参加、展示車両は267台だったそうです。が、そのうち乗用車は僅か17台のみだったといいます。まだクルマは庶民にとって高嶺の花で、そのときのモーターショーはトラックとモーターサイクルが主役だったそうです。

晴海の見本市会場に移ったのは1959年からだそうで、この時点でも私が生まれるずっと前です。私の親はそれほどのクルマ好きではないゆえ子供時代には縁遠く、私が初めて東京モーターショーに行ったのは中学生の時でした。当時親しかった友人と連れだって行ったのを昨日のことのように覚えています。私が知っている晴海の東京モーターショーは終わりのほうの3回だけですが、クルマの見本市なのにクルマでの来場を禁止するというチグハグさが自動車評論家の間で酷評されていたそんな時代です。

それが千葉県の幕張メッセに移転したのはいまから丁度20年前です。このときはまだ京葉線が東京駅まで乗り入れておらず、しかも最寄りの海浜幕張駅には鈍行しか停車しませんでした。都心からは総武線もしくは京成線の幕張本郷駅のほうが早かったのですが、会場まで2km以上ありましたから徒歩では往復で1時間以上かかりました。現在はメッセの会場に隣接している巨大な駐車場も当時は存在せず、電車で行ってもクルマで行っても多くの人はシャトルバスのお世話になるという、そんなアクセス面が未熟な状態だったんですね。

しかしながら、一気に広がった会場は圧巻でした。ホンダのNSX(このときは発表だけで発売は翌年からですが)や日産のスカイラインGT-R(R32)をはじめとして、フェアレディ300ZX(Z32)、二代目MR2(W20)、セリカGT-FOURラリー(T180)、後に私の愛車となったユーノス・ロードスター(NA6)等々あの年はスポーツカーやその種のハイパフォーマンスカーの当たり年でした。それだけに絵に描いた餅のようなコンセプトカーが並んでいる例年のモーターショーよりずっと興奮したのを覚えています。

私にしてみれば自宅から遠くなり、足代が高くつくようになった上に当時はあのアクセスの悪さですから、会場へ着くまでは晴海の方が良かったと思っていました。が、あのバブル全盛期のイケイケ状態は自動車メーカーをも確実に狂わせ、あの広い会場なのに内容はむしろ濃くなっているという状態に私もついつい浮かれてしまいました。

幕張メッセに移転してから3回目となった1993年はバブル崩壊後の不況下でしたが、コンセプトカーなどはむしろ増え、東京モーターショーだけは不況をものともしないといった感じでした。基本的には拡大路線が続いたこともあって1999年~2004年は乗用車と商用車を交互に毎年開催としてみたり、2005年から隔年の総合モーターショーに戻したり、途中には色々ありました。が、今年ほど急激に規模を縮小したのは55年・41回に渡る東京モーターショーの歴史の中でも前例がないでしょう。

ということで、今年の会場の雰囲気がどうなっているのか実際に見ておきたいと思いました。最近は変わり映えしない展示内容とコンパニオンのお姉さん目当てのカメラ小僧に辟易していましたので、ここまで積極的に会場へ行きたいと思ったのは久しぶりです。

で、結論から言いますと「大して変わらなかった」というのが率直な感想です。いえ、変わった部分も沢山あったのですが、全体の雰囲気そのものは良くも悪くも例年通りという印象なんですね。

事前に想像できた状態は三つありました。一つは会期が短縮され展示スペースも大幅に縮小されたことから混雑が激しくなっている状態、一つは内容が薄くなったことから興味を失った人が増えて混雑が緩和されている状態、一つは規模の縮小と来場者数の減少がバランスして例年と大差ない混雑具合に保たれている状態、結果は例年と大差ない混雑具合だったと思います。ついでにいえば、コンパニオン目当ての忌々しいカメラ小僧どもの密度も例年並みといった感じです。

前回は乗用車と部品に南側の1~8ホールを用い、北側の9~11ホールを二輪車および商用車に割り振っただけでなく、タイヤ・オーディオ館としてアリーナまで利用し、要するに幕張メッセをフル活用していました。しかし、今回は1~8ホールのみとなり、会場の延べ床面積はほぼ半減しています。

それでいながら、フェラーリや現代自動車など撤退の判断が遅れたメーカーがいくつかあったせいか、スペースを持て余しているといった印象を強く感じました。ラウンジがやけに広かったり、子供の描いたクルマの絵の展示など従来ならホールを繋ぐ中央モールなどに設けられていたようなものまで展示ホールにドーンと大きなスペースを取ったり、TOKYO FMのサテライトスタジオなどは観覧席が設けられ、ヤマハのブースよりも広いくらいでした。

従来のようなスペース配分であれば1~6ホールでも足りていた(東京モーターショーのガイドマップでいう東ホールは不要だった)かも知れないと思わせるような状態でしたね。

幼児くるま絵画展
幼児くるま絵画展
今年参加した海外メーカー3社(ロータス、ケーターハム、アルピナ)
のブースを足したくらいの広大なスペースを割いていました。
これだけ広くする必然性が何処にあったかといえば、
それは余っていたからとしか考えようがないでしょう。
ご覧のように展示された作品を見ている人は殆どいませんでした。


前回は輸出が堅調で多くのメーカーが増収増益という好況だったと思います。それゆえ、国内メーカーは特にボリュームがあって、ブースを二階建てにするというのも上位メーカーではすっかり当たり前になっていました。二階建てにするメリットは、展示スペースを大幅に増やせることと、立体的な空間設計でゴージャスな感じがすること、メインステージを吹き抜けにして二階からも見下ろせるようにし、より多くの人が同時にそれを見られるといったところでしょうか。

TMS2007日産のメインステージ
前回の日産のメインステージ
メインステージにはGT-Rが置かれていてご覧のような人垣に囲まれ、
よほど根気がなければステージに近づくことができませんでした。
が、吹き抜けになっている二階なら一階ほど多くない人垣を抜ければ
比較的容易にメインステージを見下ろすことができました。
この写真もそうして二階から撮影したものです。


こうしたレイアウトを最初に始めたのがどこだったかは覚えていませんが、ここ何年かはこの二階建て構造が国内大手メーカーではよく見られる手法になっていました。しかし、今年はこの二階建てをやっているところが一つもなく、トヨタでさえ昔ながらの平屋に戻ってしまいました。浮ついた感じのコンセプトカーも激減しており、各社とも大幅に予算を絞ったということがありありと解る状態でしたね。

もっとも、市販の可能性を秘めたデザインスタディのような試作車などは別ですが、コンセプトカーの多くは中身がなく、出品されていようがいまいが私にとってはどうでも良いようなものばかりでした。これが大幅に減ったといっても私には喪失感など微塵も感じられず、かえって余計なものがなくなった分だけスッキリしたというのが率直な感想です。

(つづく)