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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

釈迦に説法 (その1)

今回のトヨタバッシングに対してアップルの創業者の一人であるスティーブ・ウォズニアック氏はトヨタを擁護する発言を重ねていました。彼はこれまで9台のプリウスを購入し、「私はプリウスを愛している」と公言して憚らない人物です。が、その一方で「トヨタは機械技術は素晴らしいが、ソフト技術は別物。IT業界の人間は問題を理解している」とも述べています。これはいくら何でも言葉が過ぎるでしょう。

自動車に電子制御が取り入れられるようになったのは決して最近のことではありません。真空管は振動や衝撃に弱く、当初のゲルマニウムトランジスタは熱に弱いといったネックがありましたが、この時代から自動車の制御に使えないかという試行錯誤が重ねられてきました。

デンソーの元技術者である河合寿氏がこの業界に入った頃はまだゲルマニウムトランジスタの現役時代で、熱に弱いこれを基板に半田付けする際に何個か壊してしまい、「さすがに、これでは自動車に使用できないなぁ…。そう嘆いていたところに、登場したのがシリコン半導体です。これなら半田付けで壊れる心配をしなくて済みますし、何より自動車に使える! と喜んだ記憶があります。」と語っています。

集積回路が登場する以前からトランジスタなどを用いたアナログ回路による電子制御は既に行われていました。有名なボッシュのDジェトロニックは世界初の電子制御式燃料噴射装置で、これが登場したのは1967年のことです。Dジェトロニックの「D」は、ドイツ語で「圧力」を意味する「Druck」のイニシャルになります。

Dジェトロニックはその名の通り、インテークマニホールド内に設けられた圧力センサによって空気量を検出し、ディストリビューターと同軸のトリガーコンタクトによってエンジン回転数を検出し、他にもスロットルバルブの開度や水温などの情報も拾っていましたが、噴射量を制御したのはやはりアナログ回路で、後のデジタル式に比べるとかなり大雑把なものでした。燃料噴射も各筒個別ではなく、4気筒の場合は2気筒ずつのグループ噴射でした。

大きな転機となったのは1970年代でしょう。1970年12月にアメリカで改正された大気汚染防止の法律、通称「マスキー法」によって自動車の排出ガスに厳しい規制が設けられ、エンジンの制御をきめ細かくしていかなければならない方向へ導かれました。また、この頃からマイクロプロセッサが発展したことで状況が大きく変わっていきました。

1976年にはインテル製の4ビットマイクロプロセッサを使用したイグニッションの制御装置がGMから発表されたのを皮切りに、燃料噴射や点火などをデジタルで制御する技術開発が進められ、日米欧の主要メーカーはこぞってこの分野へ注力していきました。トヨタグループのデンソーも1960年代にはIC研究室を開設しており、自動車のデジタル制御技術を開発する準備を進めていました。

世界で初めてエンジンを総合的にデジタル制御する乗用車が市販されたのは1979年のことで、日産の430系セドリック/グロリアにECCS(Electronic Conetrated engine Control System:エックス)と称するシステムが採用されました。このシステムの生産を担当したのは日立オートモティブシステムズになります。

日産セドリック-セダン280Eブロアム
日産セドリック(430系)セダン280Eブロアム
1979年6月に発売されたセドリック/グロリアのL28E型エンジンは
世界で始めてマイクロプロセッサによる集中制御システムが導入されました。
同年10月に追加されたL20ET型エンジンは乗用車として日本初のターボ過給で、
私の父が乗っていた初代レパードのエンジンも全く同じものでした。


今回の騒動で「エンジンの電子制御技術が導入されたのは10年くらい前から」というような報じかたをしているメディアが多かったのには驚きましたが、アナログ電子制御は40年以上の歴史があり、マイクロプロセッサによるデジタル制御も30年以上の歴史があります。私が小学生のとき、父が買った初代の日産レパード(F30系)も直列6気筒のL20ET型エンジンをターボで過給し、ECCSで燃料噴射や点火を制御するといったことを既にやっていました。

一方、ウォズニアック氏がスティーブ・ジョブズ氏らとアップルコンピュータを法人化したのは1977年のことです。彼がローカルなコンピュータクラブで知り合った仲間と安価なパソコンの開発を始めるより早い段階から、自動車業界では社内に専門的な部門を設けたり、グループ内外の電装メーカーと共同で電子制御システムの開発を進めていたのです。こうした経緯も踏まえず、自分たちのほうが専門的だと思い込んでいるのは少々滑稽です。

もちろん、IT業界の革命児たちの底力も侮れません。風通しが良いとはいえない自動車業界の中だけでやってきた人たちと全く違うアプローチになる革新的なシステムを創り上げることができるかも知れません。

が、「IT業界の人間は問題を理解している」というような偉そうなことは、実際にシステムを試作し、実際にクルマを動かして見せ、自分たちの技術のほうが優れているということを具体的に示してから言うべきです。ウォズニアック氏はまるで「自動車メーカーはITの素人」とでも言わんばかりですが、それは自動車業界を見くびり、関係者を侮辱するものです。彼は素人ゆえ自動車の電子制御技術を簡単に考えすぎているのかも知れません。

今日の自動車はマイクロプロセッサを数十~百個以上搭載しています。パワーウィンドウやドアミラーなどにもその動きを制御するサブシステムが設けられ、個々に専用のプロセッサを備えており、それらをCAN(車載LAN)で統べる仕組みになっています。簡易なサブシステムはOSといえるレベルの複雑なものになっていません(その必要もないでしょう)が、エンジンやトランスミッションなどにはリアルタイムOSが採用されるようになっており、近年はその標準化に向けた作業が進められています。

車載制御基盤ソフトの標準化に向けていち早く動き始めたのはヨーロッパで、OSEK/VDXやMISRA、HISといったコンソーシアムがあり、これらはAUTOSAR(the Automotive Open System Architecture:オートザー)に踏襲されています。

日本でも経産省が音頭をとって多くの自動車メーカーや電装メーカーなどが参画するJasPar(Japan Automotive Software Platform and Architecture:ジャスパー)という社団法人が立ち上げられました。AUTOSARとJasPerは対立関係にあるわけではなく、JasPerは「海外の標準化団体に対する日本企業のワンボイス化」を目的のひとつとしていますので、基本的に両者は協調関係にあります。

AUTOSARにはコアパートナーとしてトヨタが、プレミアムメンバーとしてホンダ、マツダ、デンソー、日立、富士通、NECエレクトロニクスなど日本企業も数多く名を連ね、その殆どがJasPerの参画企業でもあります。先月行われたJasParの成果発表会で披露された試作車もAUTOSARをベースとしたJasPar仕様というべきシステムを搭載したものでした。

JasPar成果発表会の様子
JasPerの開発成果発表会の様子
2010年2月4日に東京・台場にある日本科学未来館で
自動車向け共通基盤ソフトウェア開発事業成果発表会が開催されました。
写真左からステアリング系制御にこれを適用した日産フーガ、
ITS(高度道路情報システム)系制御に適用したホンダ・レジェンド、
安全制御に適用したレクサスLS460になります。
いずれもAUTOSARをベースとし、個々の制御系ソフトウエアに最適化した
JasPar仕様の車載制御共通基盤ソフトを搭載しているといいます。


ウォズニアック氏のようなIT屋が自動車業界にアドバイスしたいというのなら、まずはこうした総合的なシステム面からアプローチすべきでしょう。いきなりエンジンの制御系など専門的な分野に口出しするのは適切ではないといいますか、身の程を弁えていないように感じます。

また、彼は「自動車もコンピューターが入ったほかの製品と同じように、トラブルが起きそうなときは一度シャットダウンしてシステムを再起動させるのがいいと助言した」とも報じられていますが、AUTOSARはエラー処理においてスタートアップ/シャットダウンシーケンスに対応しています。 ウォズニアック氏も口を挿むならもう少し勉強してからにしたほうが余計な恥をかかなくて済んだと思います。

メディアがこうした素人の発言をそのまま垂れ流してしまうのは何故なのか、それは考えるまでもありませんね。

(つづく)
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