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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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テスラへの出資はやはりイメージ回復が目的? (その1)

アメリカのベンチャー企業テスラ・モーターズ(以下テスラ)へトヨタが出資し、技術提携するといったニュースが話題になりました。先週、この一件についてかなり書き進めたところで契約がまだ正式に結ばれていない旨や、テスラが年内に株式公開できなければトヨタの出資も実現できない可能性があるといったハナシが出てきました。

そうした状況も踏まえて修正を加えたり、仕事が色々立て込んだり、ジロ・デ・イタリアが佳境になってきたり(バッソ、復活優勝おめでとう)、何だかんだで頂いたコメントへのリプライもほったらかしに一週間が過ぎてしまいました。

さて、後から報じられましたように、今回の提携話はテスラの株式公開と、今春閉鎖したNUMMI(詳しくは次回に)の処理を巡る思惑が重なったというのが最重要ポイントだったと見て間違いないでしょう。テスラの株式公開が早期に実現できなければトヨタの出資もなくなる可能性があるというのも、要するにそこが大きな条件だったと考えればスッキリとします。

中には「テスラの技術をトヨタが欲した」的な報道もありましたが、それは全くの的外れといって良いでしょう。そもそも、大衆メディアは「高性能なバッテリーさえ供給されれば電気自動車は簡単」などと寝言のようなことを言っていましたが、自動車をつくる上でもっともコストと技術を要するシャシーの開発だけでなく、電気自動車として肝心なパワーコントロールユニットや回生ブレーキシステムなどの技術的な奥深さを彼らは何一つ理解していません。

燃料電池車は電力供給の方法が異なるだけで、あとは電気自動車そのものです。プラグイン・ハイブリッド車もどの程度の速度まで電気で走らせるかでモーターの要求仕様は違ってきますが、基本的には電気自動車と同じ技術を要します。「高性能なバッテリーが供給されれば電気自動車は簡単」というのは、トヨタのように燃料電池車やプラグイン・ハイブリッド車の開発にも余念のないメーカーに対して言うべきことで、シャシー開発能力のない新興企業に言うべきことではありません。

燃料電池車に対しては並々ならぬ力を入れてきたホンダも同様で、彼らも電気自動車の開発についての動向を聞かれた際には「燃料電池車から燃料電池スタックと水素タンクを降ろしてバッテリーを積めば電気自動車になるから、電気自動車の現実性が高まればすぐに対応できる」といった主旨のコメントを繰り返してきました。

逆に、日産や三菱や富士重工などのようにコストのかかる燃料電池やハイブリッドシステムの開発にあまり投資してこなかった(思うように投資できなかった)メーカーが電気自動車で気を吐いて存在感をアピールしていると見るべきでしょう。燃料電池やハイブリッドシステムの開発でも先頭グループで走ってきたトヨタやホンダは、まだ実用性が極めて低い電気自動車の市販を焦る必要などないというわけです。

トヨタも本気で電気自動車の市販に動こうとするなら、現状でも日産や三菱などと同等以上のものを作れるでしょう。市場性などを考慮しなくて良いなら、テスラを上回る航続距離と動力性能を持ったそれを作ることも可能でしょうし、テスラ・ロードスター程度のクルマで良いならトヨタ本体が出てくるまでもなく、トヨタテクノクラフトあたりでも作れそうな気がします。

テスラはベンチャー企業らしい柔軟性があってそれなりの企画力を持っていると思いますが、総合的な技術力はそれほど高いとはいえないでしょう。彼らにとって唯一の市販車であるロードスターは、そのキャラクターだけでなく、全般的なつくりもマニアにしか相手にされないような未熟で荒削りなものです。トヨタのような大メーカーが本気で相手にするようなマーケットとは別世界のクルマに過ぎません。

テスラの電気自動車については以前にも『電気自動車は遠い過去のクルマであり遠い未来のクルマである (その8)』などのエントリで取り上げました。件のロードスターはノートPCなどに用いられている汎用の18650型リチウムイオン電池を6831個寄せ集めただけで、マンガン酸リチウムを正極に用いた専用バッテリーの開発を伴う三菱のi-MiEVや日産のリーフと比べても技術レベルがまるで違います。

また、テスラはシャシーの開発能力がありませんでしたから、ロードスターはイギリスのロータスに丸投げされたものです。一応は別物とされていますが、基本設計はエリーゼをベースとし、部品の一部もエリーゼと共有しているようです。これに大量のバッテリーと高価な軽量素材を奢り、市販の電気自動車としてはそこそこ実用的といえる航続距離を得たわけです。

が、所詮は2座のスポーツカーです。乗用車としての実用性はそれなりでしかありません。電気自動車としては水準を超える航続距離がメディアにも大きく取り上げられ、世界中から注目されるに至ったわけですが、これを以て電気自動車の実用性が高まったと見るのは拙速というものです。

テスラは回生ブレーキひとつとっても、トヨタと比較になるような技術を持っていません。特に先進的なシステムを持つプリウスは普通のクルマから乗り換えても違和感のない制動特性を保ちながら高いエネルギー回収効率を実現しています。それは走行条件やブレーキペダルの踏みかたなどによって回生ブレーキと摩擦ブレーキのバランスが最適になるよう制御され、回生ブレーキ作動時にも自然なブレーキフィールが得られるよう、油圧ラインが工夫されているからです。

トヨタはこうした複雑なシステムを採用しましたが、3代目プリウスではABSの作動時にごく短時間ながら油圧が不足してブレーキフィールが損なわれ、制動距離が若干伸びるというミスを犯しました。2代目まではABS作動時に油圧ポンプをフル稼働させることでラインの油圧不足を補っていましたが、ポンプの作動音がかなり耳障りだったといいます。3代目ではこれを改善すべく導入された技術が不完全で、それがアダになってしまったわけですね。

3代目プリウスなどに採用されたシステムは、回生ブレーキ作動時のブレーキフィール、つまりブレーキペダルを踏んだときの踏み応えを再現するために用いている油圧を摩擦ブレーキのラインに送り、足し油をすることでポンプの稼働レベルを抑え、耳障りな作動音を低減させました。が、その足し油のためのバルブを切り替えるタイミングが不適切で、ペダルの踏み応えがごく短時間ながら抜けてしまい、それが「空走感」に繋がってしまいました。同時に、ペダルを踏んだ分の制動力に達しない状態もごく短時間生じてしまい、制動距離が若干延びるという問題が生じたわけですね。

トヨタは当初から「感覚の問題」としていましたが、これは間違いとはいえませんし、制動力が失われていたわけでもありません。「シッカリ踏み込めば止まる」というのも事実で、「ブレーキが利かなくなる恐れがある」と騒がれたのは事実に反しています。が、大衆メディアはこうした複雑なシステムを理解する能力がないせいか、執拗に疑いをかけ、ヒステリックにこれを煽ってしまったわけですね。

テスラの回生ブレーキはプリウスなどとは比べるべくもない極めて稚拙なものです。彼らは状況に応じて回生ブレーキと摩擦ブレーキのバランスを制御するという高度な技術を持ち合わせていないようで、2つのブレーキモードをドライバーが任意に切り替える方式になっているそうです。

「スタンダードモード」ではアクセルペダルを戻しただけで回生ブレーキがフル稼働となり、非常に大きな制動力がかかるといいます。なので、ある程度の減速まではドライバーが絶えずアクセルペダルの踏み加減を調整しながら回生ブレーキの利きかたをコントロールする必要があるそうです。停車させる際にはしかるべきタイミングでブレーキペダルに踏み換え、摩擦ブレーキを利かせるというわけですね。要するに、普通のクルマとは全く異なる煩わしいペダル操作を強いられることになります。

そうした煩わしさをなくしてイージードライブが可能となる「パフォーマンスモード」に切り替えると、回生ブレーキの利きそのものがかなりマイルドになるそうです。ガソリンエンジンのAT車に近い感覚で制動できるようになるといいますが、回生ブレーキの利きを弱くしただけですから、エネルギー回収効率も大きく低下し、航続距離にも相応の影響が生じるようです。

こういう大雑把な仕組みはマニア向けのニッチなマーケットなら許されるかも知れませんが、大手メーカーが相手にするマスマーケットではまず許されません。テスラ・ロードスターが謳っている航続距離はエネルギー回収効率を最優先としたチープな回生ブレーキをフルに用いた状態での数値です。が、大手メーカーはこうした不自然なブレーキを採用できません。

テスラ・ロードスターのポテンシャルを評価する場合、こうした完成度の低さも差し引く必要があるわけですね。しかしながら、「電気自動車は簡単」などと寝言のようなことをいっている大衆メディアは高いエネルギー回収効率を維持しながら違和感のない回生ブレーキシステムを構築するにも大変な技術力を要するということを知りません。なので、航続距離という目立つスペックだけを大袈裟に祭り上げ、テスラを過大評価してしまうことになるのです。

テスラ・ロードスターのバッテリー部
テスラ・ロードスターのバッテリー収納部

992ポンド(約450kg)にもおよぶバッテリーモジュールはご覧の通りです。ロータス・エリーゼから基本構造を大きく変えたわけではないため、この巨大なバッテリーモジュールを搭載するにはエリーゼでエンジンベイとなっているスペースを利用するしかなかったといわれています。

一番の重量物であるバッテリーをミッドシップに搭載することで回頭性に直結するヨーモーメントは悪くないようですが、前後左右が限られているスペースに膨大な量のそれを押し込めるには縦に積み上げるしかなかったようです。お陰で重心が高くなり、ロールモーメントはかなり大きく、スポーツカーとしての素質はそれほどでもないようです。

なお、i-MiEVやリーフの専用バッテリーは放熱性も考慮して設計されていますが、汎用のそれを寄せ集めただけのテスラの方式ではかなり熱がこもってしまうようで、バッテリーパックの周囲に冷却用の配管を巡らせ、水冷式として発熱に対処しているそうです。

トヨタがテスラなどと組んでも、技術面では得るものなどないでしょう。上述のようにパワートレーンをはじめとして殆どの部分が電気自動車と共通する燃料電池車をトヨタは長く開発してきましたし、何よりテスラが創業した7年前に発売された2代目プリウスから「EVモード」を備え、ごく短距離なら電気自動車としても走れる機能を持たせていました。実績としても十二分で、テスラなどとは桁違いに高レベルな仕事をトヨタはやってきたわけです。

ホンダはインサイトで多くのことを学んだに違いない (その4)』でザッと触れましたように、トヨタやグループ企業のデンソーはパワーコントロールユニット関係も、そのマテリアル開発においても世界最高レベルにあると見て間違いありません。また、トヨタにリチウムイオン電池を供給しているパナソニックEVエナジーはこの分野に強い三洋電機をグループ内に取り込んだことで一段と競争力を増すでしょう。そのパナソニックEVエナジーは先月テスラとの提携を発表しましたから、この点でもテスラがトヨタをリードする立場にあるとはいえません。

(つづく)
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この蒙昧な環境相はどうにかならんのか?

以前にも『環境相にはもう少し専門知識のある人間を』と題したエントリで小沢環境相の示したロードマップを批判しましたが、またしてもピンボケなことをやっていますね。このところ更新が遅れているので旧聞になりますが、こんな記事がありました。

バイオ燃料対応車 環境相が開発要請

 地球温暖化対策としてバイオ燃料の利用を促進するため、小沢鋭仁環境相は28日、国内の乗用車メーカー8社の幹部と環境省で会談し、ガソリンにバイオエタノールを10%混ぜた「E10」という燃料に対応した車を開発するよう要請した。

 バイオエタノールは、原料の植物が成長過程で二酸化炭素(CO2)を吸収するため使用に伴うCO2排出が少ない。海外では20%混ぜたガソリンを導入している国もある。環境相は「来年度には排ガス基準などを定めて対応車が販売できるようにしたい。早期に市場投入できるよう準備をお願いしたい」と述べた。

 環境省によると、現在の日本のガソリン車でE10を使うと配管の腐食の恐れがあるが、出席したメーカー側は「技術的に問題はない」と指摘。「できるだけ早く開発したい」との意見もあった。

(C)産経新聞 2010年4月29日


バイオエタノールの生産に投入される化石燃料が、得られるバイオエタノールを下回ってちゃんと黒字になっているのか、即ち本当にCO2削減になるのか否かについて意見は分かれています。それに加えて、食糧生産を圧迫したり、農地拡大のために原生林が開墾されるなどの問題にも繋がっています。また、アメリカでは穀物メジャーによる利益誘導など黒い噂も飛び交っています。バイオエタノールも様々な問題を抱えているわけですね。

しかし、今回はそうした問題を全てスルーします。ここで着目したいのは、小沢環境相がこの会談に招集し、バイオエタノール普及のために対応を要請した相手です。何故、「乗用車メーカー」なのでしょう?

実際のところ、ブラジルでは既にサトウキビ由来のバイオエタノールを20~25%混合したE20~E25が普通に流通しています。新車販売台数の60%以上が純粋なガソリンとエタノール混合ガソリンとを兼用できる「フレックス燃料車」になっており、GM、フォード、VW、フィアット、ルノー、プジョーなどの欧米メーカーも、日本の主要メーカーも既に対応済みです。

パジェロTR4_Flex
三菱パジェロ TR4 Flex
ブラジル市場ではホンダが先行、トヨタや日産などに続いて
三菱自動車も2007年からエタノール混合ガソリンに対応する
フレックス燃料車を輸出しています。


燃料がキチンと規格化され、性状の安定したものが供給されれば、日本のメーカーはそれに対応できるノウハウも実績も備えています。そもそも、日本のメーカーは世界中でクルマを売りまくり、ときには妬まれて理不尽なバッシングを受けるくらいなのですから、この程度のローカライズはお手の物といったところでしょう。上掲の記事にある“技術的に問題はない”というメーカーのコメントもそれを示しています。

日本の政策の舵取りをする立場にある人間が何の予習もせずに会合の席を設け、的外れといっても過言ではないような要請をするのは非常に情けないハナシです。趣味として片手間で運営しているblogのネタにその手の話題を扱うことがあるというだけで、ただの素人でしかない私ような人間でも解っているようなことを知らない人間が環境相の職にあるのですから、これには呆れるしかありません。

下世話なハナシになって恐縮ですが、日本の国務大臣の推定年収は3,753万円くらいだそうです。こんな低レベルな人間をこれだけのコストをかけて環境相として据えておくのは税金の無駄というものです。また、こんな人物を環境相に指名した人間も同様に無知で無責任といわざるを得ないでしょう。ま、既に様々な問題を処理しきれず、満身創痍になっている無能な政権に対する批判を展開すると際限がなくなってしまいますので今日のところはやめておきますが。

では、バイオエタノール混合ガソリンを普及させることが正しい判断だと信じている小沢環境相は誰に対応を要請すればよかったのでしょうか?

その答えは毎日新聞の記事(モタモタしているうちにリンク切れになってしまいましたので、全文はGoogleのキャッシュをご参照下さい)にあった最後の一文が全てを物語っていると思います。

メーカー側からは「スタンドでE10の供給が進まないと、開発しても無駄になる」と、供給体制整備の要望も出た。


バイオエタノール混合ガソリンを普及させることが正しい選択であるか否かはともかく、本気でそれを普及させたいのであれば、現在の日本おいて一番の課題は自動車メーカーではなく、供給体制にあります。

経済産業省が何年か前に『エタノール混合ガソリンの国内流通インフラへの影響』(←リンク先はPDFです)という資料を出していますが、ここにはブラジルやアメリカでの実績、日本国内にこれを流通させる際の問題点やコストの推算などなど様々な要点が箇条書きで解りやすく纏められています。

もちろん、この経産省の資料に書かれていることが全て正しいとは限りません。特に推算は前提条件の読み違いでいくらでも誤差が出るでしょう。例えば、バイオエタノール混合ガソリンの導入に要する設備投資額を3300~3600億円としていますが、これもどの程度信頼できる数字なのか解りません。

かつて日本もガソリンといえばアルキル鉛を添加した有鉛ガソリンが当たり前でしたが、1970~1980年代にかけて無鉛化されました。このとき供給インフラの整備に要した設備投資額がザッと3000億円だったといいます。

バイオエタノール混合ガソリンの導入に当たって全ての供給施設を対応させる必要はないと思いますが、それにしても30~40年前に有鉛ガソリンを無鉛化しただけで3000億円かかったのですから、当時と現在の物価水準の差も考慮すれば、同程度のコストで済むのか微妙な気もします。

とはいえ、この資料では“対応設備内容が未検討の項目、設備基準がまだ未決定の項目があるため、さらに設備費用が増加する可能性もある”と釘を刺していますので、環境省やNEDOなどにありがちな都合の良い値を寄せ集めたような資料とは違う印象です。どちらにしても、小沢環境相のように思いつきで自動車メーカーを呼んで極めて意味の薄い要請をしたのと比較するのは失礼というべきレベルの仕事を経産省はやっていると思います。

思えば、京都議定書を策定する前段でも、当時の環境庁は大雑把な試算と精神論に近い対策案で1990年を基準とした温室効果ガス削減目標を「-6%」と掲げました。それに対し、当時の通産省は企業に対しても綿密な調査を行って「現状維持も困難」と結論づけ、両者は対立状態にありました。結果を見れば通産省の調査結果のほうが正確な予測だったといえますし、環境庁のそれは単なる机上論でしかありませんでした。今回も似たようなことが繰り返されているわけですね。

今回の小沢環境相のアクションが間抜けだったのは、環境省に有用な情報がなかったからという可能性も否定できません。実際、上掲の記事にも“環境省によると、現在の日本のガソリン車でE10を使うと配管の腐食の恐れがあるが、出席したメーカー側は「技術的に問題はない」と指摘。”と書かれています。この程度の認識ではマトモな政策を検討することもできないでしょう。いずれにしても、日本の国益を考えるならこの役に立たない人たちを何とかすべきです。

毎日新聞も一歩前進?

先週、日本経済新聞の社説『温暖化問題で科学の信認を取り戻せ』(リンク切れの場合はコチラ)で例のクライメート・ゲート事件以降の騒動について取り上げられましたが、人為的温暖化説の支持者たちが主張していることを受け売りするような内容に偏っている印象でした。同紙は科学面や電子版などで見所のある記事を載せることもありますが、論説委員は人為説を盲信するところから始まっているのが残念でなりません。

毎日新聞も5月17日付の社説でこの問題を取り上げました。基本的なスタンスは日経新聞と共通するところもありますが、認識の度合いと柔軟性ではかなりマシと評すべきでしょう。

温暖化疑惑事件 科学者はもっと発信を


 温暖化をめぐる疑惑が昨年11月から世界をゆさぶっている。これまで、日本ではあまり関心が高まらず、科学者の反応も鈍かった。

 4月末には日本学術会議がこの問題を取り上げる公開討論会を開いたが、参加者が自説を述べるにとどまった。データ操作は否定されているが、放置すれば温暖化対策への不信感にもつながりかねない。今後、科学者集団として、検証や対策を発信していくことが重要ではないか。

(中略)

 一連の疑惑やミスは、「人間活動による地球の温暖化」という基本的な考えを揺るがすわけではない。科学者にとっては、ささいなことだという見方もあるだろう。しかし、「結論は変わらないのだから」と静観するのは誤りだろう。

 科学者の判断の背景には、専門的な知識やデータがある。一般市民にはその土台がない。特に、地球科学や気候科学は不確実性を内包する科学である。「問題ない」というだけでは納得できない人がいて当然だ。科学者は、その不確かさまで含めて説明し、信頼を得る必要がある。

 地球科学は純粋な科学の営みを超え、国際政治の場に持ち込まれている。科学者集団には、そのことを念頭に置いた上で行動する知恵も覚悟も求められている。

(C)毎日新聞 2010年5月17日


やはり“一連の疑惑やミスは、「人間活動による地球の温暖化」という基本的な考えを揺るがすわけではない”として人為説を支持する立場は変わりませんが、“しかし、「結論は変わらないのだから」と静観するのは誤りだろう”と述べたり“地球科学や気候科学は不確実性を内包する科学である”と認めている部分には進歩の様子が窺えます。

日経新聞も“政府や科学者は、温暖化の科学的事実について国民の疑問に答え、改めて説明していく必要がある”としていますが、冒頭に“「二酸化炭素(CO2)などが温暖化の主因」という基本的な認識を否定する議論を招いていることは憂慮される”などと述べていることからも説明する必要があるのは「疑問を差し挟む不埒な輩の口をつぐませるため」というニュアンスが感じられます。

一方、毎日新聞はIPCCの杜撰なレビュープロセスや閉鎖的なこの分野の現状を問題視し、改善を求めるところまで踏み込んでいる点でもマトモなリアクションといえます。ま、一連の騒動でIPCCが編纂した評価報告書には全く以て出鱈目としかいいようがない箇所がいくつも指摘されているのですから、本来であればこのようなリアクションがあって当たり前なんですけどね。

しかし、これまでの日本のメディアはバイアスをかけまくり、こうした当たり前のリアクションすらできませんでした。第3次評価報告書のときも従来の古気候学の常識に反する「ホッケースティック曲線」が問題になり、欧米ではそれなりの論争を巻き起こしたというハナシは以前にもご紹介したとおりですが、日本のメディアはそれをほぼ完全にスルーしました。そうした過去を振り返れば、毎日新聞のように足元を見直そうとする姿勢は一歩前進したと見なしてあげても良いでしょう。

人為説を支持する人たちはこれまで何度となく「地球温暖化について科学的な是非を問う議論の時は終わった。これからは如何にして対策を実行に移すかだ。」といった主張を繰り返してきました。しかし、本当の議論はこれから始まると考えるべきです。毎日新聞のこの社説でも“4月末には日本学術会議がこの問題を取り上げる公開討論会を開いたが、参加者が自説を述べるにとどまった”とあるように、まだ本格的な議論は始まっていません。

「気候の変動」と「人類の営み」とを結びつける根拠はシミュレーションという計算の上にしか存在しません。人類が地球の気候メカニズムを知り尽くし、それをほぼ完璧に再現できるコンピュータモデルを創り上げているというのなら、そうした計算の信頼性も認めるべきでしょう。が、現実にはそんなレベルに到底及んでいません。

この問題は地球の気候メカニズムについて充分な知見を得ているとはいえない人類がコンピュータの中に創り上げた「バーチャルな地球」を用いて確認しただけであって、殆ど机上論というべき脆弱な根拠しか持たない仮説に過ぎません。そうして導かれた結論が多くの人に信じられているというのは、結論に至るまでのプロセスを知らない人が圧倒しているという背景もあるでしょう。

かく言う私も地球温暖化問題について積極的に知ろうとする以前はこうした実態など全く知らず、人為説を正しいものだと思い込んでいました。同様に、殆どの人はこうした実態を知らないまま人為説に偏った状況に流されているのでしょう。メディア自身も多くはその程度の認識で報道を繰り返し、一方的な情報の流布に荷担してきたという状況なのでしょう。

まずはこうした状況を打破しなければなりません。そういう意味でも“「結論は変わらないのだから」と静観するのは誤り”とした毎日新聞には少しだけ期待できるかも知れません。

何故インサイトのタクシーは存在しないのか (その2)

これまでにも何度となく触れてきましたが、インサイトの後部座席は天井が低く、かなりの圧迫感があります。私は中背(身長169.5cm)ですから、深く腰掛けても頭が天井に触れることはありませんが、頭上にあまり余裕がないのは確かです。

私より身長が10cmも高ければ標準よりかなり座高が低いか、背中を丸めて浅く腰掛けるような人でない限り、確実に頭が天井につっかえてしまうでしょう。もっとも、長身でも座高が低かったり浅く腰掛けたりしても、こんどは脚の置場が絶望的に窮屈な状態になると思いますけどね。

ルーフが後ろ下がりになっているインサイトの後部座席は、ドア開口部だけでなく、ルーフそのものの地上高も低くデザインされています。乗るときは特に上半身を一般的なセダンより深く屈める必要があり、普通の感覚で乗り込もうとすると頭をぶつけてしまうかも知れません。

インサイトの後席着座例

老舗自動車専門誌『カーグラフィック』の電子版にはインサイトのインプレッション記事が数本あります。上の写真に写っているのは同誌の編集長を務めたこともある熊倉重春氏で、インサイトにはかなり好意的なレポートを書いていますが、この写真には「後席のヘッドルームには余裕なし」とのキャプションを付し、本文でも以下のように述べています。

実用的なセダンとしては、後席の広々感が薄い。膝もそうだが、天井までの距離が最低限で、座高90cmを超える大柄の乗客にはキツいかも。髪が微妙に天井に触れるのは、想像以上にイラ立つものだ。

(中略)

リアドア自体はCピラーに深く食い込んでいるので、乗り降りに際して頭の邪魔になるものはないが、鴨居が低いのは要注意。


最後にある「要注意」という言葉は、裏を返せば「注意しないと頭をぶつける恐れがある」と読むべきでしょう。私も実車に触れたときそのように感じましたし、昨年の東京モーターショーに展示されていたそれに乗り込もうとして実際に頭をぶつけている人もいました。

他にも同サイトのブリーフテスト(上の記事とは別の記者によるレポート)ではインサイトの後部座席について★印を用いた5段階評価で最低評価の★1つになっており、以下のように酷評されています。

ドアの切り方やタイヤとの位置関係など色々な要素があるのだろう。乗降性がいまひとつの後席は、いざ乗り込んでみても、空気抵抗低減のため全高を下げた影響を如実に味わわされるハメとなる。身長177cmの筆者の場合、頭頂部はルーフに触れる

(中略)

正直、後席だったら短距離の移動以上のドライブの誘いは遠慮したい。この席で育った子供が将来クルマ嫌いにならないことを祈りつつ……。


実は、私の姉のところでも昨年プリウスを購入ました。そのときインサイトも比較検討していたそうですが、義兄曰く「インサイトのあの後部座席はねぇ・・・いまは子供が小さいから良くても、すぐに手狭になるだろうからアレではダメ」という理由で却下となったそうです。ま、普通の感覚ならみんなこうなるでしょう。これをタクシーにして客を乗せようという発想のほうが普通じゃないというべきかも知れません。

プリウスも3代目では改善されましたが、2代目はルーフ後部がかなり絞られています。それでもルーフの絶対的な高さがインサイトほど低くはありませんから、乗降性はそれほど悪くありません。ホンダ自身、インサイトの後部座席やそのドア周りはかなり割り切った上でデザインしているのでしょうから、「提案についてはコメントできない」という素っ気ないリアクションだったのはその辺を反映しているのかも知れません。

また、ごく短距離ではありますが、私もディーラーの試乗車でインサイトのドライブを経験しています。あの無意味に硬い足周りのお陰で、現代の乗用車として乗り心地は「かなり悪い」といわざるを得ない点もネックになるでしょう。タクシーにできるよう制度上の問題をクリアにしても、タクシー会社がこれを積極的に導入するとは非常に考えにくいところです。上田知事は一度でもインサイトに乗ったことがあってあのようなアクションを起こしているのでしょうか?

もし、インサイトをタクシーにアレンジしたら、プリウスよりも有利になる点があります。それは以前にも触れましたが、ドアの開閉機構に関係する部分です。

停車中は殆どアイドリングストップ状態となるプリウスは吸気負圧を利用した自動ドアが馴染まず、ドライバーのレバー操作による手動式にせざるを得ません。が、インサイトはセレクターをPレンジに入れると何故かエンジンが始動してアイドリング状態になってしまうという謎の仕様になっています。そのお陰で吸気負圧を利用した自動ドアが使えますから、その分だけドライバーの負担が軽減されることになります。

ま、この程度では大したメリットともいえませんね。それ以前に、駅前のタクシー乗り場などで付け待ちしているとき、すぐにドアを開けられるようにアイドリング状態にしておくのは環境面を考えても望ましくありません。

プリウスはエアコンのコンプレッサーが電動になっていますから、バッテリーの残量があるうちはエンジンを停止させていても冷房を効かせることができます。バッテリーの残量が不足してくると数十秒間アイドリングしては数分間のアイドリングストップを繰り返し、ちゃんと冷房が効きます。もちろん、外気温や日照条件などによってアイドリングと停止のサイクルは変わってきますが、それでもアイドリング状態を連続させなければ冷房が効かない普通のクルマより燃費と環境負荷の点で有利でしょう。

一方、インサイトは安く上げるために電動コンプレッサーを諦め、エンジンで直接それを回す普通のクルマと同じ構造です。なので、冷房を欠かさないようにするためにはずっとエンジンを回していなければなりません。イマドキのタクシーが冷房の効いていない状態で客を乗せるということはあまりないでしょう。タクシーのような使い方ではプリウスとインサイトの性能差はより大きく出るように思います。もちろん、タクシー会社にとって特に重要な燃費に関してもプリウスのほうが有利でしょう。

記事には「HVタクシーの普及を後押しし、環境保護につなげることを提案理由に挙げる」とありますが、制度を弄ってまでインサイトに固執する必要はないでしょう。ホンダにはシビックハイブリッドだってあるのですから、何故そちらではダメなのかという理由も用意しておく必要があると思います。また、トヨタは2代目プリウスを「プリウスEX」として継続販売しており、その価格はインサイトの最廉価グレードと全く同じです。なので、車両価格云々という理由も通用しません。

ちなみに、シビックハイブリッドのタクシーについてはその実例がホンダの公式サイト内にある「働くシビックハイブリッド~環境を考える企業の取り組み~」という記事で紹介されていました。シビックハイブリッドなら特区などというイレギュラーな手段を講じなくても普通にタクシーとして運用できるということです。もしかしたら、上田知事はシビックハイブリッドの存在を知らないのかも知れません。

シビックハイブリッドもプリウスと同じようにエアコンのコンプレッサーが電動化されており、付け待ち時の空調を考慮すればインサイトより有利です。もちろん、乗降性や居住性、乗り心地など、あらゆる面でシビックハイブリッドはインサイトよりタクシーに向いていると見て間違いありません。

トヨタに独占させたくないのならこのシビックハイブリッドを用いれば済むことですし、価格がネックならプリウスEXを用いれば済むことです。わざわざ特区にしようと画策してまでインサイトを依怙贔屓する理由が私には理解できません。どうしても特区にしてインサイトをタクシーにしたいというのであれば、こうした疑問に対する合理的な説明が必要になるでしょう。

政治家には深く物事を考えずに大衆ウケするようなイメージ重視の行動や言動を平気でする人が少なくありません。民主党もそうして昨年の総選挙で大勝し、政権を奪取することに成功しました。が、実務ではその無能ぶりをさらけ出し、メディアからも世論からも集中砲火を浴びている昨今です。元民主党員の上田知事もそういうタイプなのかも知れません。

ま、それでもあまり望まれていないオリンピックの招致に失敗して巨額の損失を出したり、1000億円の税金を投入して欠陥だらけの銀行を作り、当然のようにその経営が傾くとさらに税金を注ぎ込んだり、そういう大迷惑なことを続けている某知事に比べればカワイイものですけどね。

(おしまい)

何故インサイトのタクシーは存在しないのか (その1)

そもそも、インサイトのように後部座席の乗降性や居住性など二の次に考えて設計されたようなクルマをタクシーにしようとは、どのタクシー会社も考えないでしょう。が、制度上の問題もあったとは私も知りませんでした。このところ更新が遅れがちで旧聞になってしまいましたが、こんな報道がありました。

インサイトもタクシーに…埼玉知事が特区提案

 埼玉県の上田清司知事は20日、縦90センチ以上と決められたタクシーのドア基準を緩和し、独占状態にあるトヨタ「プリウス」以外にもハイブリッド車(HV)のタクシー転用を可能にする構造改革特区の提案を内閣府に行ったことを明らかにした。

 提案は3月31日付。

 道路運送車両法の保安基準では、タクシーのドア開口部は非常時に客が脱出しやすいよう縦90センチ以上と決められている。

 埼玉県内には、ホンダの工場や部品会社があるが、同社の「インサイト」は基準に1センチ足りず、タクシーとして使うことができない。

 県では、ドアの高さ規制を弾力化することで、HVタクシーの普及を後押しし、環境保護につなげることを提案理由に挙げるが、地元企業の「インサイト」普及も狙う。

 上田知事は記者会見で、「プリウスのタクシーはあるが、インサイトはない。1センチなんかどうでもいい。提案は全国に広げるため」と力説した。

 ホンダ広報部は「ホンダ車は個人ユーザーが中心なので、デザインの際にタクシーのことは特に考えなかった。提案についてはコメントできない」とする。

(C)読売新聞 2010年4月21日


三菱自動車の水島製作所でi-MiEVが生産されていることから、地元の岡山県庁はそれを8台購入しています。日産もこれまで試験的に電気自動車を発売してきましたが、本格参入を期したリーフは横須賀市にある追浜工場で生産されます。神奈川県が電気自動車の補助に力を入ているのもそれと無関係ではないでしょう。地方自治体が地元の産業を支援するのはよくあることです。

が、インサイトと埼玉県とはあまり深い関係がないハズなんですけどねぇ。「埼玉県内には、ホンダの工場や部品会社がある」と書かれていますように、埼玉県狭山市にホンダの埼玉製作所があるのは確かです。しかしながら、ここで生産されているのはレジェンドやアコード、オデッセイなどで、インサイト、シビックハイブリッド、CR-Zといったハイブリッド車が生産されているのはいずれも三重県の鈴鹿製作所です。

ホンダの本社があるのは東京都港区ですし、ホンダ本体の工場は埼玉県や三重県だけでなく栃木県にも静岡県にも熊本県にもありますし、無論、海外にもあります。ハイブリッドシステムの基幹部品であるモーターは鈴鹿製作所での内製です。

同じくハイブリッドシステムの基幹部品であるPCU(パワーコントロールユニット)はホンダ系部品メーカーのケーヒンで生産されていますが、埼玉県内にある同社の狭山工場はエアコンのキット組立がメインです。(インサイト用のPCUを生産しているのは恐らく宮城県にある角田工場だと思います。)

この業界を知っている人の間では非常に有名なハナシですが、メーカーである本田技研工業(株)は開発部門を持っていません。それを担うのは(株)本田技術研究所という別会社になるんですね。埼玉県には本田技術研究所の四輪R&Dセンター(和光)がありますが、こちらはデザイン関連部門が集約されていますから、あのプリウスそっくりの外観を最終的に纏めたのもここになるのだと思います。

が、肝心の環境性能や空力などを含む車両全般の開発や試験が行われているのは四輪R&Dセンター(栃木)になります。

インサイトの風洞実験の模様
インサイトの風洞実験の模様
ホンダの四輪車は、栃木県芳賀町にある
本田技術研究所四輪R&Dセンター(栃木)で
研究・開発が行われているそうです。


こうしてみますと「地元企業のインサイト」というにはあまりにも関係が希薄すぎるような気がします。恐らく、上田知事もこの記事を書いた記者もそこまで深く考えていないのでしょうね。

それはともかく、実際に保安基準を「構造改革特区」で緩和させることは訪問診療用の自動車を緊急自動車の指定対象として追加したなど前例もありますから、やり方次第だとは思いますが、不可能ではないかも知れません。ただ、冒頭でも述べましたように、インサイトがタクシー向きの車両か否かは実車を見れば自ずと解りそうなものです。上田知事もこのニュースを伝えたメディアも実際にインサイトの後部座席に座ったことがあるのでしょうか?

(つづく)

読売新聞は本当に開眼したようだ (その2)

以前、『読売新聞はついに目覚めた?』と題したエントリでもご紹介しましたが、同紙は地球温暖化問題について日本の多くのメディアがタブー視してきた部分に踏み込んだ社説を展開するようになりました。5月4日付の社説『地球温暖化 科学的な根拠の検証が急務だ』は、例のクライメート・ゲート事件以降の流れに触れ、日本のメジャー紙としては極めて画期的と評すべき内容になっています。

地球温暖化 科学的な根拠の検証が急務だ


 地球温暖化の科学的な信頼性が揺らぐ中、日本の科学者を代表する日本学術会議が初めて、この問題を公開の場で論議する会合を開いた。

 だが、会合では、専門家がそれぞれ自説を述べるだけで学術会議の見解は示されなかった。このまま終わらせてはならない。

 取り上げられたのは、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が過去4回にわたってまとめてきた温暖化問題に関する科学報告書だ。次々に、根拠の怪しい記述が見つかっている。

 報告書の作成には、日本人研究者も多数関与している。

 しかも、この報告書は、日本をはじめ各国の温暖化対策の論拠にもなっている。学術会議自身、これをもとに、早急な温暖化対策を求める提言をしてきた。

 どうして、根拠なき記述が盛り込まれたのか。国連も、国際的な科学者団体であるインターアカデミーカウンシル(IAC)に、IPCCの報告書作成の問題点を検証するよう依頼している。

 国際的に多くの疑問が指摘されている以上、科学者集団として日本学術会議は、問題点を洗い直す検証作業が急務だろう。

 IPCCは3~4年後に新たな報告書をまとめる予定だ。学術会議は、報告書の信頼性を向上させるためにも、検証結果を積極的に提言していくべきだ。

 現在の報告書に対し出ている疑問の多くは、温暖化による影響の評価に関する記述だ。

 「ヒマラヤの氷河が2035年に消失する」「アフリカの穀物収穫が2020年に半減する」といった危機感を煽(あお)る内容で、対策の緊急性を訴えるため、各所で引用され、紹介されてきた。

 しかし、環境団体の文書を参考にするなど、IPCCが報告書作成の際の基準としていた、科学的な審査を経た論文に基づくものではなかった。

 欧米では問題が表面化して温暖化の科学予測に不信が広がり、対策を巡る議論も停滞している。

 日本も、鳩山政権が温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年比で25%削減する目標を掲げているが、ただでさえ厳しすぎると言われている。不満が一層広がりはしないか。

 欧米では、危機感を煽るのではなく、率直に論議する動きが出ている。この10年、温室効果ガスは増える一方なのに気温は上がっていない矛盾を、温暖化問題で主導的な英国の研究者が公的に認めたのはその例だ。参考にしたい。


(C)読売新聞 2010年5月4日


前回取り上げた朝日新聞の社説が語る理想とは、CO2温暖化説という仮説を土台としたものです。が、読売新聞の社説に書かれているように、それには幾つもの綻びが生じています。土台がアチコチ崩れてきたのなら、まずは総点検を最優先すべきです。ロクな点検もしないまま崩れているのは末端のごく一部で全体は堅固なものだと判断するのは危険です。その上に楼閣を築きあげようと急ぎ、それが完成してから脆い砂の上に建てていたことに気付くといった愚かなことは避けなければなりません。

こうして朝日新聞と読売新聞の社説を見比べますと、各々の視野が決定的に違うことが明らかになってきます。朝日新聞も一般記事のほうではクライメート・ゲート事件をいち早く伝えたりIPCCの評価報告書に記載されたヒマラヤの氷河消失に科学的根拠がなかったことを報じたり、五大紙の中ではなかなか良い動きを見せていました。が、論説委員はこれらの記事を無視してよいものと判断したようです。

一方の読売新聞は情報鎖国状態の日本にあって、クライメート・ゲート事件以降の世界的な動きをキチンと捉えています。本来であればこれが当然というべきで、取り立てて褒めることではないかも知れません。が、他の殆どのメディアの腰抜けぶりを見ていると、ここまで社説で踏み込んだというところに「勇気」を感じてしまうほどです。

各紙で極めて軽く扱われたクライメート・ゲート事件などの記事も大抵は海外メディアが伝えたそれを孫引きしただけで、まるで他人事のようでした。しかし、社説は自分たちの考え方を主張する場ですから、外電として扱う情報とは大きく異なります。読売グループに対する私の個人的な印象は決して良いものではありませんが、地球温暖化問題に対する読売新聞の論説委員のスタンスは日本の主要メディアの中では模範的と感じます。

この社説でも「報告書の作成には、日本人研究者も多数関与している」と指摘されていますが、こうした点を他のメディアはどのように考えているのでしょう? 以前ご紹介した『WEDGE』の4月号の記事には、ヒマラヤの氷河消失に関して日本の国立環境研究所参与だった人物も査読を行って問題点を指摘したものの、「間違いに気付いていたが、その方がインパクトが強くなる」という理由で無視されたという経緯が伝えられています。

こうして日本人も関わった部分が出鱈目な状態で掲載されたわけですから、関係者はIPCCに対してもっと毅然とした態度で洗い直しを迫る必要があります。また、読売新聞の社説に「この報告書は、日本をはじめ各国の温暖化対策の論拠にもなっている」と述べられているように、ここで間違いがあれば日本の政策も間違った方向へ進んでしまう可能性が低くないのです。こうした由々しき問題を看過するのはジャーナリズムとして極めて無責任な態度といわざるを得ません。

例えば、不二家のシュークリームの原材料に賞味期限を過ぎた牛乳が使われていたことが発覚したとき、「他の製品にも同じような問題はないのか」と、メディアはしつこく追求しました。TBSに至っては勢い余って捏造報道までやらかしました。しかし、IPCCの評価報告書にいくつもの問題が生じていても不二家のように追求などされず、他人事のようにあしらうという有様です。これは価値判断基準の倒錯というより、もはや茶番というべきかも知れません。

ところで、今回の本筋から少し逸れますが、この読売新聞の社説でも「この10年、温室効果ガスは増える一方なのに気温は上がっていない矛盾を、温暖化問題で主導的な英国の研究者が公的に認めた」と書かれているように、CO2温暖化説を支持する人たちは少々旗色が悪くなってきました。

こうした脆弱な仮説を吹聴して回ってノーベル平和賞を受賞したアル・ゴア氏もこのところ少しずつ軌道修正を始めています。化石燃料の燃焼によって生じた煤煙によるアルベド効果も温暖化には大きな影響を及ぼしており、CO2による影響は40%程度とする仮説もあるのですが、彼は昨年くらいからこの仮説を支持するようになってきたんですね。

思えば、1960~1970年代に「地球は寒冷化している」「氷河期に突入するのではないか」と騒がれたとき、そのトレンドに乗っていたスタンフォード大学のスティーブン・H・シュナイダー氏ら(後にCO2温暖化説へ転向)が寒冷化説の要因として化石燃料の燃焼によって発生する煤煙のエアロゾル効果を唱えていました。

かつてのシュナイダー氏が唱えていたように煤煙そのものが太陽光を妨げたり、それが核となって雲が生じやすくなることで気温を引き下げるという仮説は正しいのでしょうか? それとも最近のゴア氏が支持しはじめた黒い煤煙が太陽光を吸収して気温を引き上げる方向に作用するという仮説のほうが正しいのでしょうか? 実際に煤煙ごときが気候を左右するような力を持っているのでしょうか?

それは気候モデルをやっている研究者たちの間でも意見が分かれているようですから、そう簡単に決着はつかないでしょう。要するに、答えが出るまで時間がかかる問題を掲げ、「答えが出るまで待っていたら手遅れになる」とし、これまでと同じように脅すつもりなのでしょう。

煤煙説を絡ませても、それを鵜呑みにしたり便乗したりする人たちが多数派を形成すれば、CO2説と同じように「低炭素化」という流れを維持することが可能です。これからの地球温暖化問題はCO2に加えて煤煙もクローズアップされるようになり、これらを組み合わせてより複雑なプロセスが語られるようになるかも知れません。

もし、こうした流れになれば困る人もいます。例えば、国立環境研の江守正多氏などは人為的温暖化説の根拠について「近年の気温上昇が異常であるからではなく、近年の気温上昇が人為起源温室効果ガスの影響を勘定に入れないと量的に説明できないから」と主張してきました。その誤りを認めなければこうした流れに乗ることはできません。ま、そのときになれば彼もまた都合の良い理由を付けながら軌道修正して人為的温暖化説を唱え続けるのは間違いないでしょうけど。

地球温暖化問題は企業の「金儲けの道具」としても政治家や官僚たちの「駆け引きの道具」としても科学者が研究費を獲得する「研究テーマ」としても絶大な威力があります。こうした便利なツールを手放したくない人は山のようにいるでしょうから、何とかしてこれを堅持したいという思惑が働いているのは間違いないと思います。もっとも、どんな仮説を唱えようとも、気温が上がらなければ温暖化そのものを信じる人は減っていくでしょうけど。

いずれにしても、この問題は感情論や政治的な思惑などを完全に排除し、科学的な検証を徹底してもらいたいものです。読売新聞の「科学的な根拠の検証が急務」とする主張はまさに正鵠を射貫いています。彼らも以前は朝日新聞などと同じように仮説を盲信して論を進めていましたが、クライメート・ゲート事件以降の情勢でついに開眼したようです。

(おしまい)

読売新聞は本当に開眼したようだ (その1)

5月2日付の朝日新聞の社説『温暖化防止と日本―低炭素へ、列島の改造を』(リンク切れの場合はコチラ)は相変わらずの盲信状態です。

温暖化防止と日本―低炭素へ、列島の改造を


 よく晴れた大型連休の朝、家族で遊園地に出かけることにした。

 おとといもマイカーの電気自動車で遠出したばかりだが、バッテリーは満タンだ。きのう、家庭エネルギー情報管理システム(HEMS=ヘムス)の指示通り、屋根の上の太陽電池パネルからの電気で充電をすませた。

 家族で出発したあとは、太陽光発電がフル稼働する。留守中はほとんど電気を使わないし、蓄電池代わりの電気自動車もいない。つくった電気は送電網にどんどん流して売電する。

■スマートなエコ生活

 そのころ電力会社には、発電量が使用量を上回ったという情報が各家庭のスマートメーター(通信機能付き電力量計)から相次いでいた。電気がだぶつかないよう、自動制御システムが火力発電の出力を下げ始める――。

 近い将来、日本で低炭素時代が幕を開け、こんな風景が当たり前になっているようにしたい。

(中略)

 いま、地球温暖化防止の新たな枠組みである「ポスト京都」をつくる国際交渉が難航している。

 昨年末、デンマーク・コペンハーゲンであった国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)で先進国と新興国・途上国が激しく対立した。その後遺症が残り、「最終合意は早くても来年のCOP17になる」という悲観的な空気も漂っている。

 そんな状況下で、「日本だけが温暖化対策に踏み込みすぎるのはどうか」という声も経済界にある。

 だが、交渉が難航しているいまだからこそ、日本が低炭素化の強い決意を示し、ポスト京都について積極的に提案していくべきではあるまいか。

 同時に「低炭素列島」への改造を急ぎ、その過程で培う技術やシステムを海外に広めていきたい。たくさんのメード・イン・ジャパンを国際規格にできれば、国際社会は日本の提案を無視できなくなるだろう。

(後略)

(C)朝日新聞 2010年5月2日


「交渉が難航している」という状況の大きな要因には、例のクライメート・ゲート事件や、それを追うようにしてIPCCの評価報告書の欠陥が次々と指摘された一連の騒動があります。日本では一部の週刊誌や月刊誌などで大まかな経緯が伝えられたものの、多くはこの断片を小さく扱い、軽くいなしただけでした。それゆえ、世間一般にあまり知られていないようです。

が、さすがに大手新聞社で社説を書くような立場にある人間がこうした状況を知らないハズはないでしょう(知らないような人間が社説を書いているとしたら、それはそれで問題です)が、件の朝日新聞の社説では一切触れられていません。ここで唱えられている理想論を根底から覆すようなことには触れたくないのでしょう。

もちろん、「低炭素化=化石燃料の消費削減」と読み替えれば、これは積極的に目指すべき方向といえます。そういう意味でこの社説を全て否定するつもりはありません。しかしながら、「CO2排出量削減」「低炭素社会」といった錦の御旗を無闇に振りかざすことには弊害もあると認識すべきです。

CO2温暖化説が間違いだと見なされるようになったとき、科学に対する信頼が失墜するばかりでなく、「化石燃料の消費削減」という目指すべき方向性についてもモチベーションを低下させてしまう恐れがあります。これまであたかも事実であるかのように宣伝されてきたことが間違っていたとなれば、「何を信じればよいのか」という空気が漂うものです。石油が枯渇する時期についても何度となく修正され、正確な予測などできていないのですから、タガが緩んでしまう可能性も軽んずるべきではないでしょう。

CO2温暖化説が誤りだったと見なされたとき、少なくともCO2排出量取引などは泡となって弾け散るでしょう。その市場は2007年現在で約6兆円ともいわれる規模に成長しており、年々拡大を続けてきました。これが消し飛んだときの経済的な影響とその責任もシッカリと見据えておくべきです。また、CO2を集めて地下や海中などに貯留させる技術も検討されていますが、これなどもCO2温暖化説が誤りであったらエネルギーの浪費と環境破壊でしかなく、得るものはないでしょう。

こうしたリスクを考えれば、いま何を優先させなければならないのか必然的に答えは絞られてきます。それは5月4日付の読売新聞の社説『地球温暖化 科学的な根拠の検証が急務だ』に書かれています。朝日新聞の論説委員はこの問題に関して読売新聞を見習うべきです。

(つづく)

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まとめ

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