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自転車が趣味という人の中にはパーツを自分で交換する人も少なくありません。フレームセットを買ってきて、好みのパーツで1台組み上げるということも、工具が揃っていればそれほど難しいことではありません。どの程度に仕上げられるかは技量の問題ですが、ロードバイクくらいなら上級者でなくてもとりあえずカタチにすることは可能でしょう。
が、完組みホイールが当たり前となった今日にあって、リムとハブを買ってきて、所定の部位を測定した結果からスポークの長さを計算して(ピタゴラスの定理と三角関数が出てきます)適切な長さのそれを用意し、自分でホイールを組んでしまうという人は割合的にかなり少ないと思います。プロショップでも完組みホイールの販売が手組みを下回るところなど滅多にないでしょう。そうした流れのせいか、パーツの選択肢が減っているのは残念ですが。
写真の現像にも似たようなことがあります。中学あるいは高校レベルの部活でもモノクロの現像くらいは普通にやっていると思いますが、カラープリントを経験している人はそれほど多くないでしょう。写真専門学校でもカラープリントを必修科目にしているところはあまり多くないと思います。カメラ好きで知られるTHE ALFEEの坂崎幸之助さんも「モノクロは自分で現像できるけど、カラーは難しいのでできない」というようなことをラジオで語っていたのを聞いたことがあります。
カラープリントの敷居が高いのは現像液の温度管理がシビアだったり、セーフライトもアンバー系のかなり暗いものしか使えなかったり、カラー用の引伸機が高価だったり(次回に詳しく述べますが、モノクロ用でも手間を厭わなければカラーを焼くことは可能です)、他にも色々な要素があります。が、やはり一番の障壁は適切なカラーバランスに整えるための補正が難しいというところに尽きるでしょう。
三原色といいますと、光の三原色である「赤/緑/青」をイメージされると思いますが、これは「加法混色」の三原色です。絵の具などのように特定の波長の光を効率よく反射する物質を混ぜて色を再現する要領は「減法混色」といいまして、その三原色は「シアン/マゼンタ/イエロー」になります。カラープリンターのインクもそれに準じているわけですね。銀塩写真のカラープリントもこの「シアン/マゼンタ/イエロー」三色のフィルターでカラーバランスを調整するのですが、通常はシアンを固定しておきます。
これは平面を水平に整える作業をイメージして頂けば解りやすいでしょう。例えば、テーブルは最低3本の脚があれば天板を固定できます。天板を水平にするために脚の長さを調整するとき、3本とも適当に延ばしたり縮めたりしていたのでは高さも角度も定まりにくくなります。そこで、1本を基準にして残りの2本の長さを調整してやれば、天板の高さも狙ったところからさほど狂わず、水平も得やすくなります。
カラー引伸機のヘッド部 これは私が所有しているLPL C7700というカラー引伸機で、 普段は固定しておくシアンの調整ダイヤルが向かって左側、 頻繁に調整するマゼンタとイエローのダイヤルが右側にあり、 右利きの私には非常に使いやすいレイアウトだと思います。 ちなみに、モノクロを焼くときはシアンの調整ダイヤルの下にある 黄色いレバーを引いてカラーフィルターをキャンセルします。 写真のカラーバランスも同じで、テーブルの天板の高さは即ち露出に相当し、その水平が得られているかどうかはカラーバランスに相当すると理解すればよいでしょう。シアンを固定しておいて、マゼンタとイエローの2色のフィルターを調整し、色の水平を得ようというわけです。
が、これは言葉でいうほど簡単ではありません。まずはテストプリントをしてみて、全体にどの色に偏っているかを確認し、それを見ながら補正を行います。どの色相にどの程度偏っているかを見抜き、その色をマゼンタとイエローの2色で補正していくのですから、色彩に関する知識と色を判別する鋭い感覚がないと殆ど手探り状態の作業になります。なかなか一筋縄ではいかないわけですね。
例えば、赤に偏っているとすれば、マゼンタとイエローを同量、偏っている分だけ足してやります。青に偏っていればイエローを減らし、黄緑に偏っていたらマゼンタを減らしてイエローを足すといったことをするわけですね。
色相環 が頭に入っていて、ある色の補色がどれに当たるのか、そのバランスや量についてもすぐに見当を付けられる職人的な感覚が必要になってきます。
ま、カラーアナライザーという道具もありますが、これはやはり機械的です。サービスプリントなどはこうしたアナライザーを装備したオートラボでプリントされますが、画面に占める割合の多い色の補色に偏る「カラーフェリア」と呼ばれる現象が生じたりします。
例えば、画面に赤い色が多く占めていると、その中にいる人物の肌の色が青ざめた感じになってしまうといったことがあるんですね。これはデジカメでも起こり得ますが、最近は画像処理エンジンが賢くなってきたせいか、それなりのレベルで補正されるようになったと思います。
フィルムはメーカーが異なればもちろん、同じメーカーでも銘柄が変われば同じ補正で正しい色が出せるとは限りませんし、下手をすれば同じ銘柄でも生産ロットによって微妙に違う場合もあります。いうまでもありませんが、撮影時の光源によっても大きく変動します。なので、私は初めて使うフィルムや、光源の状況によっては補正の基準となるグレイサンプルを撮っておいたものです。
グレイサンプルといいますと、グレイカードを撮れば良いと考えがちですが、そこにはちょっとした落とし穴があります。グレイカードの中には反射式メーターで露出を測るために反射率18%に整えてあっても、カラーバランスがちゃんとニュートラルグレイになっていないものがあるようなんですね。
銀一のシルクグレーカード やコダックのR-27ようにカラーバランスもニュートラルに整えられたものならともかく、そうした性能を謳っていないグレイカードは露出判定用と考え、カラー補正の参考にはしないほうが無難でしょう。
また、グレイカードはA4判やエイトバイテン(8×10インチ)などが一般的で結構嵩張ります。小さくカットしても良いのでしょうが、画面一杯に写し込みたいと思っても色々制約が生じやすく、何かと面倒だったりします。なので、私は脇色彩研究所の「RWカラーバランスシステム」というキットに付属していた専用のディフューザーを用いていました。これは18%グレイカード(もちろん、カラーバランスがニュートラルなもの)を画面いっぱいに写しこんだのと同じコマが撮影できるというスグレモノです。
RWカラーバランスシステム カラーの自家現像をサポートするために開発されたもので、 写真手前右に見えるCCフィルタの補正値を示すカラーチャートなどと キットで販売されていました。(当時でも入手しにくいキットでしたが。) グレイサンプルを撮影する白色半透明の専用ディフューザーはケンコーのSQフィルター用マルチホルダー での使用が推奨されていました。 ちなみに、左のほうに見えるヒョウタン形のギザギザした黒い物体は ハンザの露光判定ツールで、グレイサンプルを焼くとき 印画紙の上でコマのように回すと中心に向かって順に露光時間が短くなり、 適切な露光時間の判定をするのに便利というアイテムです。 前述のように、シグマDP2は色分離が悪いフォビオンセンサの宿命ゆえか色転びしやすいのですが、光源に由来するホワイトバランスを補正するにはグレイサンプルを撮っておくとかなり楽になります。カラープリントに入れ込んでいた学生時代には当たり前のように撮っていたグレイサンプルですが、社会人になると忙しさにかまけてカラープリントは殆どやらなくなり、このキットも引出しの奥底に眠らせていました。まさか、こんなカタチで復活させることになるとは夢にも思いませんでした。
(つづく)
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普通のデジカメの場合、画像を拡大していくと最終的に少しぼやけた感じになり、エッジ部分もクッキリと際立たないものです。それは偽色を抑えるために仕込まれているローパスフィルタのせいです。
一般的なデジカメ画像の等倍表示 上の写真はEOS 5D MarkⅡを三脚に据えて厳密にピント合わせを行い、F11まで絞り込んで撮影したものです。A4にプリントしてもクッキリと鮮鋭な画像が得られているのですが、モニタ上で等倍表示しますと、ご覧のようにエッジが甘くなっています。ま、この画像は元の5616×3744画素から440×330画素を切り出したもので、ここまで極端なトリミングをすることなどまず考えられませんから、このレベルでの解像力を問うのもあまり意味はないかも知れませんが。
一方、各画素で三原色を分離し、画素間で情報を保管し合う必要がないフォビオンセンサは原理的に偽色が発生しませんから、ローパスフィルタも必要ありません。そのため、このイメージセンサがとらえた画像を拡大していってもぼやけた感じにはならず、非常にクリアな質感の画が得られます。
フォビオンセンサによる画像の等倍表示 こちらはDP2で撮影したものです。イメージセンサのサイズも画素数も大きく異なるカメラで撮った画像が等倍表示で同じように仕上げられるようにするのは非常に難しく、またコチラは絞り込むのを忘れたため、被写界深度がかなり浅くなってしまいました。が、ピントが合っている数字の「60」近辺の解像感の高さは一目瞭然ですね。ローパスフィルタが存在しないことのメリットがハッキリ認識できると思います。
もっとも、このフォビオンセンサの例も2652×1768画素から440×330画素を切り出したものです。有効画素数ではEOS 5D MarkⅡの1/4にも満たず、全体の情報量もそれだけの差があるわけですから、同じ画素数を切り出して比較するのはフェアではありませんし、逆に同じ撮影倍率で比較すれば解像感に対する評価もかなり違ってくるでしょう。
近年ではコンパクトデジカメでも1000万画素を超えるものなど当たり前で、一眼レフではAPS-Cサイズでも2000万画素に手が届きつつあります。画素が気になり始めるレベルに拡大したときの解像感が評価されることはそれほど多くないように思います。が、ここに拘るならば、やはりローパスフィルタは邪魔者という印象に繋がってくるでしょう。そうした視点ではフォビオンセンサの画質を好ましく感じるようになると思いますが、個々の趣味の問題でもあります。
また、世の中そんなに甘くないもので、前回軽く触れましたように、この3層構造のフォビオンセンサは3層であるがゆえの大きなデメリットがあります。普通のイメージセンサは前回示した図のようなベイヤー配列でカラーフィルタを用い、それで色を分離させます。必要な光以外はかなりの部分をフィルタが濾し取ってくれるわけですから、それだけ色分離が良いと考えられます。
一方、フォビオンセンサはシリコンの膜を光が透過していく際、波長の短い光から順に下の層へ届きにくくなるという性質を利用しています。一番上の膜は全ての光を受けますが、その下層には青やそれより波長の短い光があまり届かなくなり、さらにその下層へは赤やそれより波長の長い光以外は届きにくくなります。
各々の膜に届いた光のデータを引き算して三原色のデータとして扱うわけですが、光がシリコンの膜を透過するのとカラーフィルタを透過するのとでは能率やそのバラツキにかなりの差があるでしょう。色分離が悪く、感度が低いという欠点が生じているのは、こうした仕組みに因むと見てよいと思います。
シグマは頑張ってこのじゃじゃ馬のようなセンサを乗りこなし、明るいところなら非常に美しい画像が得られるところまで持っていきましたが、それでも色が転びやすく、薄暗いところではノイズまみれになるという欠点は克服できていません。ま、全般的に優れた特性でデメリットが殆どないなら、とっくの昔に他社もこうした多層センサを採用しているでしょう。
ベイヤー配列による偽色の発生やそれを抑えるためのローパスフィルタというのはデジカメ特有のクセに繋がるわけで、原理的にそれらを必要としないフォビオンセンサはより素直な画像が得られます。しかしながら、色分離の悪さが原因と思われるカラーバランスの崩れやすさ、それに加えて感度の低さという素人にも解りやすい欠点に弄されることになるわけですね。
偽色の発生などベイヤー配列の欠点は解像度を上げることで目立たなくなります。例えば、中判の
ペンタックス645D (645と名乗っていますが、本来の645判が55×41mmで35mm判の約2.7倍の面積になるのに対し、このカメラのイメージセンサは44×33mmで約1.7倍しかありませんが)などは約4000万画素数という高解像度ということもあって、ベイヤー配列のイメージセンサでもローパスフィルタを設けていません。
今後、35mm判やAPSなどでもこのレベルの画素数に至れば、ローパスフィルタレスという流れになるかも知れません。あるいは、画像処理エンジンによる誤魔化しのテクニックが向上していくかも知れません。ベイヤー配列のイメージセンサが持つクセはこれまでにも改善されてきましたし、現段階でも全く気にならない人は少なくないでしょう。
それに比べて、採用実績が極めて乏しいフォビオンセンサは弱点の克服やそれを目立たなくさせる術がまだまだ磨かれていないといったところでしょうか。同様の多層センサは富士フイルムやキヤノンなども開発を進めているという噂ですが、まだまだ技術的な課題が山積しているのでしょう。
現段階においてこうした扱いづらいセンサは、「80点主義」でトータルバランスを重視したら、とても採用に踏み切れる状況ではないというのが普通の大手カメラメーカーの判断なのでしょう。ま、かく言う私も1台で大概のことをこなす必要がある状況だったらDP2を選ぶということはまずありません。薄暗いところでも撮る必要があるなら迷わずEOS 5D MarkⅡを選びますし、長時間で体力が必要なときはEOS kiss x3に委ねるでしょう。
このシグマDPシリーズは特異な素性を理解した上で割り切って使う必要があるわけですね。個人的には明るい野外で散歩でもしながら、のんびりとスナップを撮るといったシチュエーションに丁度良いのではないかと思います。(あくまでも個人的な感想です。)
近年のカメラ、否、近年の日本の工業製品としてここまでメリットに拘り抜きながらデメリットを許し、それゆえに突き抜けたキャラクターを持つものは非常に珍しいと思います。が、どれもこれも同じような性能に子供騙しの付加価値を設けて差別化しようとする大手メーカーのそれに辟易している人には、未完成ながら極めて野心的なこのカメラのほうが面白いと感じられるでしょう。
(つづく)
昔のデジカメは動作が鈍く、電源を入れてから撮影が可能になるまで時間がかかり、10秒以上待たされるというのもザラでした。私が前に仕事用として使っていたカシオの
EXILIM EX-Z3 は当時の世界最速である2秒弱という起動時間を実現し、シャッターのタイムラグやデータの書き込み、再生画面の切り替え速度などにも注力され、「サクサク動くデジカメ」という路線を示したモデルでもありました。(関連記事『
デジカメ代替え 』)
近年ではごく当たり前となった「機敏な動作」という面でもシグマDPシリーズは大きく劣っており、ありとあらゆる点がスローで、かなり前時代的な使用感です。DP1に比べてレンズの繰り出し量が大きいDP2の起動時間が約4秒と遅めなのは仕方ないにしても、ピント合わせもかなり遅いといわざるを得ません(この原稿の執筆をモタモタやっている間にマイナーチェンジ版の
DP2s が発売され、DP2の半分くらいの時間で合焦するように改善されているそうです)。
何より遅いのはデータの書き込みで、最もファイルサイズが大きくなるRAWでは1ショット約7秒という遅さです。もちろん、バッファメモリもありますからRAWでも3ショットまでなら連続撮影できます。が、3ショット連写すれば、それが書き込み終わるまで20秒くらい待たされますから、どちらにしても連写は苦手です。
私は公称30MB/sで書き込めるサンディスクのSDHCを奢ってみましたが、安価なトランセンドのClass6(実質8~9MB/s程度になるようです)でも大差ありませんでした。やはり、全般的な処理速度が遅いのでしょう。その原因がハードの問題なのかソフトの問題なのか両者ともに問題なのか解りませんが、大手メーカーほどの総合力を持たないシグマのウィークポイントといわざるを得ないでしょう。
また、イメージセンサの物理的な感度が非常に低いようで、これもまたかなり前時代的だと思います。マトモに使えるのはISO400くらいまでで、それ以上はかなり画質が荒れます。それゆえ薄暗いところは大の苦手で、感度を高めに設定しようが、低めに設定して露光時間を長くしようが、何をしてもノイズまみれとなります。夜景はもちろん、夕景でも辛いと感じる場面がしばしば巡ってきます。
今日ではコンパクトデジカメに当たり前の装備となった手ブレ補正も備えていませんが、個人的にはこの種のマニアックなカメラに手ブレ補正など不要で、むしろシンプルであるほうが好感が持てるくらいです。そもそも、上述のように暗いところが非常に苦手なカメラですから、手ブレ補正が威力を発揮するような場面では初めから割り切る必要がありますし。
取り急ぎ改善してもらいたいと思うスペックは液晶モニタの解像度です。約23万画素でも構図の確認には支障ありませんが、被写界深度の確認にはかなり辛いものがあります。一眼レフではEOS kiss x3のようなエントリーモデルでさえ約92万画素という高精細モニタ(x4ではアスペクト比が3:2となって、横方向が拡大され、当代随一といえる約104万画素になりました)を搭載している昨今です。このカメラを好んで使う人たちの多くはそうした改善のためのコストアップなら受け容れるでしょうから、是非とも検討してもらいたい部分です。
もっと細かいところでいえば、起動時にレンズを繰り出す際、「ウィヨ~~ン!」という盛大なメカニカルノイズが鳴り響くのもどうかと思います。電源OFF時に沈胴するときは何故かずっと静かなので、同じように静かに作れなかったものかと思ってしまいます。バッテリーやSDカードのスロットがある底蓋を開けた部分もプラスチック表面に質感を持たせるような加工が何も施されていないため、トイデジカメのように色気がありません。
LUMIX DMC-FX35とDP2のスロット部比較 写真では解りにくいかも知れませんが、 LUMIX(上)は普段見えないスロット部も 表面に梨地のシボ加工が施されており、 凹モールドでSDカードやバッテリーのマークを あしらうなど、見られることを意識した仕上げです。 一方、DP2(下)のスロット部は完全にノッペラボウで、 バッテリーやSDカードの挿入方向はスロット内側の側面に ステッカーを貼付することで示しています。 よく見ますと、DP2のほうは単にノッペラボウなだけでなく、フローマークが生じていますね。赤い矢印で示したところが特に解りやすいかと思いますが、年輪のような縞模様になっています。これは金型の中を溶けた樹脂が流れるときに生じるもので、金型に熱を奪われて樹脂が固まりかけながら圧入されると起こる現象です。この写真の場合、向かって右から左に材料が流れていった様子が解ります。
凹凸になっているわけではなく、色ムラになっているだけなので、見た目が悪いという以外に問題はありません。が、見られることを意識している場合はキチンと温度を管理して樹脂の流動状態をコントロールし、こうしたフローマークが生じないように仕上げるものです。LUMIXなどはわざわざシボ加工を施して見られることを意識していますから、それと比べてしまうと如何にも等閑な感じです。こうした細部の仕上げが徹底されていないと、やはり安っぽい印象に繋がってしまうものですね。
ちなみに、自動車の樹脂バンパーなどは大きな部品ということもあってフローマークが生じていることも多いのですが、乗用車の場合は塗装してあるのが普通で、それが解らなくなっています。ただ、商用車の場合は無塗装が当たり前ですから、こうしたフローマークが見られることも多く、特に経年で表面が劣化してくると非常に目立つようになってきます。
ハナシを戻しましょうか。バッテリーは常識的なリチウムイオン電池ですが、消費電力が大きいのか、近年の常識的な感覚では持ちが悪いといわざるを得ません。これをメインで使うなら最低でも1つは予備が必要でしょう。ま、純正でも実勢価格が2000円足らずで比較的リーズナブルですから、それほど大きな不満ともいえませんが。(DP2sでは電源のマネジメントをDP2よりきめ細かくし、この点も少し改善されているそうです。)
で、このDPシリーズ(というより、同じイメージセンサを用いているシグマのデジカメには共通すると思います)において上述の「感度が低い」という欠点に並ぶ大きな問題点が「カラーバランスが崩れやすい」というものです。いずれも「フォビオン」という他に類例が殆どない特殊な構造のイメージセンサを採用していることと深い関係があるのでしょう。逆に、このフォビオンセンサの特性がこのカメラの大きな魅力にもなっており、功罪相半ばする(罪のほうが多いかも知れませんが)イメージセンサというべきでしょうか。
フォビオンというイメージセンサはCMOSセンサの一種で、アメリカのフォビオン社が開発したものです。生産はアメリカのナショナル・セミコンダクタ(2004年にイメージセンサ部門をコダックへ売却)、韓国のハンビジョンなどが行ってきたようです。採用実績は非常に少なく、いまフォビオンセンサを用いたカメラで普通に入手できるのはシグマ製だけでしょう。
かつてはポラロイドx530というカメラにも採用されていたそうですが、日本では発売延期が繰り返されている間に正規代理店のHNJが倒産し、日本では幻のカメラになってしまいました。アメリカではちゃんと発売され、ネット上には作例も見つかりますが、商業的にはやはり失敗だったと見て間違いないでしょう。ちなみに、このポラロイドx530については
『デジカメWatch』で河田一規氏がレポートしています 。
このフォビオンセンサの特徴は、何といっても各画素が3層構造になっており、1画素で3原色を分解するという仕組みに尽きます。
一般的なベイヤー配列のイメージセンサ 普通のデジカメは上図のような「ベイヤー配列」と呼ばれる配列でカラーフィルタを設け、1画素で1つの原色しか受光せず、周囲の画素と色の情報を補完し合っています。こうした方式では色が切り替わるところにある画素が不適切な情報を得てしまい、本来とは違った色を再現してしまう「偽色」の発生に繋がります。特に細かい縞模様などではモアレ(干渉縞)が発生してしまいますから、こうした現象を抑えるため、通常は撮像素子の前にあえて像をぼかす「ローパスフィルタ」というものが設けられています。
フォビオンX3 ダイレクトイメージセンサ 一方、フォビオンセンサは1つの画素が3層に分かれており、画素毎で完結しています。周囲の画素と色の情報を補完し合う必要がないため、原理的に偽色が生じません。上述のように普通のデジカメのイメージセンサは像をぼかすローパスフィルタを設けないと偽色が発生しやすくなりますが、フォビオンにはその必要がなく、それゆえ解像感の高い画質が得られるというわけです。その魅力に取り憑かれた人たちには他に代え難い特性で、DPシリーズ最大の魅力もここにあるといって良いでしょう。
(つづく)
前々回も触れましたが、かつてコンタックスTシリーズあたりが先鞭を付けた高級コンパクトカメラは、単焦点レンズという割り切りで画質に拘るところから始まりました。ま、その後TVSというズームレンズ付を出すなど割り切れないユーザー層も取り込むマーケティングがなされましたけどね。
しかしながら、やはり主流は単焦点レンズで、コンパクトなボディながら一眼レフカメラ並み、あるいはズームレンズを付けた一眼レフカメラを凌ぐレベルの画質が人気を博し、他社も次々に高級コンパクトという市場に参入してきたのは先に述べたとおりです。私がコンタックスT2を買ったのはまだそれ以外の高級コンパクトが殆ど存在しなかった段階でしたが、やはり写りの良さに惹かれました。
あの頃は、安価なコンパクトもプロ向けの一眼レフも35mm判フィルムを使うのが普通でした。一部のマニアックなもの(私もミノックスというキワモノに手を出していますが)や、下馬評ほど普及しなかったAPSなどを除いて、フィルムに関しては初心者向けのコンパクトカメラもプロユースの一眼レフカメラも、35mm判という同じフォーマットが主流でした。
もちろん、フィルムによって画質や全体的な雰囲気なども大きく違ってきますし、それを現像する段階でもかなりの差が出てきます(特にモノクロは印画紙によって質感に大きな差が出ます)。が、それはユーザーのチョイスに委ねられる部分ですから、カメラ側で画質を左右する要素はレンズにかなりの部分が集約されていたといっても過言ではないでしょう。
そうした中で単焦点に割り切れば、下手なズームレンズ付一眼レフカメラを凌駕する高画質をコンパクトカメラで実現できたわけです。コンタックスT2は後に現われたミノルタTC-1やリコーGR1などに比べると大柄ですが、それでもEOS Kissなど最小クラスの一眼レフカメラのボディより遙かに小さく、鞄にしのばせておくのに苦になるようなカメラではありませんでした。
コンタックスT2の外装はチタン、フィルム圧板はファインセラミック、シャッターボタンは人造ルビー、ファインダーはサファイアガラスという贅沢な素材を奢り、カールツァイスレンズにポルシェデザインというブランドを纏っていましたから、定価12万円、当初の市場価格で9万円前後でも欲しがる人は少なくなかったというわけですね。
一方、デジカメはイメージセンサのサイズがコストに直結します。コンパクトカメラにAPSサイズを採用しようとするメーカーが現われなかったのはそれゆえと説明されてきました。が、一眼レフもエントリークラスならモデル末期の市場価格がレンズ付で6万円前後まで下がってしまうのですから、それより構造が簡単なコンパクトでAPSサイズを採用しても、T2などのような贅沢な素材を諦めれば10万円以下に収まる商品を開発できないわけがありません。
最近は性能的にも普及率でもコンパクトデジカメ市場は飽和状態に近づいてきた感が否めません。が、以前のように無難に売れていたときはコストアップに直結するイメージセンサのサイズアップでマーケットに波風を立てる必要はないと考えられてきたのかも知れません。イメージセンサのサイズを変えなくとも画素数は増やせますし、画素数を増やしてもサイズが同じなら原材料費は変わりませんから、「画質=画素数」という売り手の喧伝は、そういう意味でも消費者を都合良く乗せることができたわけですね。
昨年、
オリンパスPEN や
パナソニックLUMIX GF1 などマイクロフォーサーズのコンパクトなレンズ交換式デジカメがリリースされました。ソニーも今月に入ってAPS-Cサイズのセンサを搭載した
α-NEX を発売し、このムーブメントに続きました。ここに来てようやく爪先センサにはない付加価値をアピールしながら比較的コンパクトなサイズの高性能デジカメが出てきたわけですね。それも従来のコンパクトや一眼レフでは限界を感じたゆえでしょう。
もっとも、上記3モデルはいずれもレンズ交換式で、その交換レンズ(特にズームレンズ)はボディに対してやや大きく、最も薄いパンケーキのそれでも普通のコンパクトデジカメほど携行性は良くありません。中でもボディが小さく薄いNEXは相対的にかなりのレンズデッカチになっており、見た目にもアンバランスな印象が否めません。(あくまでも個人的な感想です。)
私がかつての高級コンパクトカメラに感じていた魅力というのは、とにかく単焦点レンズという割り切りがあって、それを交換するといった拡張性も捨て、そのボディの中にやりたいことを押し込めたという「凝縮感」です。
そうした凝縮感を持ったコンパクトデジカメという点でリコーのGRシリーズは銀塩時代のそれを引き継ぐもので、なかなか良い線を行っていると思いますが、所詮は小さな小さな爪先センサです。大きなイメージセンサを持ち、一眼レフカメラとも比較し得る内容でありながらちゃんとコンパクトの範疇に収まっているデジカメといったら、やはりシグマDPシリーズしかないでしょう。
薄型のコンパクトデジカメでも光学3倍ズームが当たり前になって久しい今日にあってDPシリーズのような単焦点レンズは非常に売りにくいと思います。PENやGF1やNEXなど大手メーカーの製品が揃いも揃ってレンズ交換式にしているのは、交換レンズやアクセサリ類を幅広く展開することでカバーできるユーザー層を広げておくためだったり、そうした発展性に引き込んで客単価を上げようと考えているのかも知れません。
つまり、レンズ交換式にしておけば普通の人はズームレンズで取り込めるでしょうし、よりコンパクトに纏めながら画質や明るさも拘りたいというマニアックな人は単焦点のパンケーキが喜ばれるだろうといった具合に、マーケティングがなされているのではないかと想像されるわけですね。APSやフォーサーズといった大きなフォーマットを採用したデジカメは、今後もレンズ交換式が主流を成していくのではないかと思います。
DPシリーズにも外付けストロボやビューファインダー、フィルター枠に取付ける専用のクローズアップレンズなどのアクセサリが用意されていますが、交換レンズほどの発展性もなく、基本的には本体でほぼ完結してしまうようなコンパクトデジカメです。大手メーカーはまだこうした割り切りにリスクを感じ、旨みのないマーケットだと感じているのかも知れませんね。
ところで、PENもGF1もNEXも、みんな「一眼」という言葉を用いていますし、「ミラーレス一眼」という呼称も一般名称のように用いられるようになりましたが、私はどうしてもこれに馴染めません。といいますか、反感に近い感情すら抱いています。それは他との違いを適切に表現できる呼称ではないからです。
「一眼レフ」というのは、レフレックスカメラ(レンズから入ってくる光をミラーで反射し、フォーカススクリーンに結像させるファインダーを持ったカメラ)でファインダー系と撮影系のレンズが一本化されていることからこうした名称を持つようになりました。同じレフレックスカメラでもファインダー系と撮影系に各々専用のレンズを備え、2系統のレンズを持っている「二眼レフ」と区別する意味もあったわけですね。
PENやGF1やNEXはレンズ交換可能でフォーカルプレーンシャッターを備えている以外、機械的な構成は普通のコンパクトデジカメと殆ど変わりません。以前はコンパクトデジカメも光学ファインダーを備えるのが普通でしたが、今日では一部の機種を除いて普通のコンパクトデジカメもレンズが1系統しかありません。構造を反映した形式名称として捉えるなら、普通のコンパクトデジカメも「一眼」に括られることになるわけです。
また、昔はレンジファインダーカメラどころかファインダーそのものが外付けになっているカメラでもレンズ交換式など珍しくありませんでしたし、マミヤなどはレンズ交換可能な二眼レフを作っていました。レンズを交換できることが一眼レフにのみ許された特徴というわけではないんですね。なので、「レンズ交換式=一眼」と定義するのも出鱈目な解釈になります。
さらにハナシをややこしくしているのは、レンズ交換式でないカメラにも「一眼」という呼称が用いられていることです。私が以前愛用していた富士フイルムの
FinePix S9000 などは28-300mm相当のズームレンズが固定されていましたが、富士フイルムはこれを「ネオ一眼」と称していました。
要するに、「一眼レフ」とは異なる「一眼」というカメラの呼称には一貫した定義が存在せず、支離滅裂な状態です。ならば、PENやGF1やNEXなどは各々に共通する特徴である「レンズ交換式」というところを素直に表わすべきでしょう。一番無難な呼び方は「レンズ交換式コンパクト」になると思いますが、少々長い上に略しにくいですね。
私はタイトルや名前を考えるのが非常に苦手で、何か良い呼称はないものかと色々考えましたが、この流れで考えると「替玉コンパクト」くらいしか思い浮かびませんでした。「替玉」という言葉はラーメンやうどんのそれをイメージさせてしまいそうですが、「替玉受験」のような不正をイメージする人も多いでしょうし、何となく莫迦にしたような印象も拭えません。
かつて「バカチョンカメラ」などという現在では信じられないような蔑称がごく普通に使われていた時代を思えば遙かにマシだと思いますので、俗称としては悪くないかも知れません。が、メーカーサイドとしては付加価値の高さを売りにしているわけですから、もっとカッコイイ呼称でなければ嫌がるでしょうねぇ。
(つづく)
人によって扱いやすいレンズの焦点距離は様々でしょう。私の場合、35mm判では「標準レンズ」といわれる50mmも好きな焦点距離の一つですが、どれか一つと限定されたら35mmを選ぶでしょう。
風景や路上スナップなどが多い私にとって、50mmは少し長いと感じるシーンが時々あります。28mmくらいになると被写体が近いときの遠近感が広角レンズらしく誇張された感じになり、そうした効果を引き出したいときはともかく、自然に纏めたいときにはやや扱いづらく感じることもあります。
35mmは「準広角」などとともいわれるように、広角レンズらしさが明確になってくる28mmほどではなく、画角の広さと遠近感のバランスも中庸といった感じです。それが「どっちつかずで好きじゃない」という人もいるようですが、私の場合は比較的自然な遠近感と、50mmより少し広い画角は、私のスタイル(というほど洗練されているわけでもありませんが)に合っているようで、扱いやすいと感じます。
それは私がまだ自分のカメラを持っていなかった高校時代、父から借りたミノルタXEやX700といった一眼レフが35mmから始まるズームレンズを付けていたことや、私のカメラ遍歴では初期に入手したコンタックスT2が38mmだったこと、路上スナップ用として愛用してきたコニカHEXARが35mmだったり、中判のマミヤ645PROに55mm(35mm判では35mm相当)から始まるズームレンズを付けていたり、これらに慣れ親しんだことも大いに関係していると思います。
以前 にも書きましたが、私は長年気になる存在だったオリンパスOMシリーズを入手し、調子づいて個体数の少ない40mmのパンケーキレンズにも手を出してしまいました。私はこれで40mmという焦点距離を初体験しました(ズームでそれと意識せずに使っていたことはあると思います)が、どちらかといえば50mmより35mmに近いと感じました。
35mm判において、焦点距離50mmのレンズは水平画角が40度、対角線画角が47度くらいになります。35mmレンズは各々54度、63度くらいといったところでしょうか。ズイコー40mm/F2の公称画角が幾つになるのか解りませんが、計算上は各々48度、57度くらいになります。対角線画角でいえば、50mmより10度広く、35mmより6度狭いということになりますから、数字的に見ても35mmに近いといえるでしょう。コンタックスT2の38mmとは画角の違いもごく僅かですから、実用上の差はあまり認識できないレベルになります。
この焦点距離40mmというレンズが思ったより私には使いやすく感じられたというのが最後に背中を押し、半年ほど前に
シグマDP2 を購入してしまいました。
SIGMA DP2 このDPシリーズは欠点も沢山ありますから、評価は真っ二つに分かれていると思います。ネット上でもボロクソにけなす人と擁護する人とが泥仕合といいますか、宗教戦争といいますか、異なるイデオロギーの対立状態に結論を求めるなど無駄なことなのですが、しばしば論争の的になっているようです。
それこそ「80点主義」とは対極にあるようなカメラですが、そのシグマDP2の購入を決めた決定打は、一眼レフ並みに大きなイメージセンサを搭載し、画質に拘った単焦点レンズが私にとって使いやすい画角であるというところにありました。
シリーズ第一弾であるDP1もかなり本気で欲しかったのですが(その辺は
以前 にも少し触れましたが)、食指が動ききらなかった最大の理由が28mm相当の焦点距離とF4というズームレンズにもありがちな明るくないレンズにありました。
DP2が出たときも41mm相当という焦点距離は中途半端な印象でしたが、上述のようにOMシリーズのズイコー40mmで私の中でのイメージは大きく変わり、それが最後の一押しになりました。
ズイコー40mmというパンケーキレンズはその希少性の高さも手伝って欲しいと思ったわけですが、実際にそれを手にしてみて気に入ったからこそDP2の購入を決心するところに繋がったわけです。逆に辿れば、ズイコー40mmがどこにでも転がっている普通のレンズでそれほど興味をそそられなかったら、私はDP2を買うところまで至っていなかったかも知れません。
シグマDP2は41mm相当で解放F値は2.8になります。画面のアスペクト比もコンパクトデジカメにありがちな4:3ではなく、3:2です。なので、コンタックスT2と同じ明るさのレンズの焦点距離が3mm相当長くなっただけという似たようなスペックで、実用上においてその差異は殆ど感じられないレベルです。
ま、所詮はAPS-Cサイズです(といっても、ニコンの23.6×15.8mmやキャノンの22.3×14.9mmよりさらに小さい20.7×13.8mmです)から、フルサイズに比べるとやはり被写界深度が深く、そうした部分も含めると全く同じ感覚とはいえませんが。
シグマのDPシリーズは発売前からその筋では話題になっていました。コンパクトデジカメのスタンダードは「爪先センサ」などと揶揄される小さな小さなイメージセンサで、それはキヤノンのPowerShot GシリーズやリコーのGRシリーズなど高級路線でも変わりません。コンパクトデジカメにも一眼レフと同等のAPSサイズが欲しいという潜在的なニーズはそれなりにあったと思います。
そんな中、レンズメーカーとしてのイメージが強いシグマ(といっても、銀塩時代から一眼レフを手掛けてきた立派なカメラメーカーですが)から、どの大手メーカーもやろうとしなかったAPSサイズの大きなイメージセンサを搭載したコンパクトデジカメがリリースされたのですから、それは話題にもなるでしょう。
しかしながら、世間一般にはあまり話題にならなかったと思います。それは価格と全般的なコストの割り振りが普通の大手メーカーの考え方と大きく異なっていること、メーカーの知名度そのものが低いことなどが主な理由でしょう。特にシリーズ第一弾となったDP1の発売当初は店頭価格が10万円前後でしたが、作りのほうは決して高級ではなく、普通の人にはあまり解りやすくない商品だったと思います。
前回も触れました銀塩時代の高級コンパクトカメラは価格帯こそ初期のDP1と同程度でしたが、ボディにチタンやマグネシウムなどの特別な素材を奢ったり、デザインも凝っていたり、カメラとしての基本性能以外の部分でも高級感を漂わせる演出に抜かりがなく、価格に見合った品質の高さを体現していました。
一方、DPシリーズはAPSサイズの大きなイメージセンサ、非球面レンズを奢った画質重視の単焦点レンズなど、デジタルカメラとして最も重要な部分にはコストが裂かれたものの、それ以外のところは普及モデルとも大差ない安っぽい作りです(詳しくは「その4」で)。コンパクトカメラしか知らない人にはシグマというメーカーもあまり認知されていないでしょうし、シグマをよく知っている人にとっても決してブランドバリューが高いメーカーではありません。
要するに、見た目や手に取ったときの質感、全般的なイメージなど、いずれも価格のバランスが一般的な消費者の感覚とは一致しにくいポジションにあったわけですね。さらにいえば、これまで「画質=画素数」と短絡的に喧伝されてきたセールストークに感化されている人たちにとって、有効画素数が470万足らずのこのカメラは何が良いのか非常に理解し難いでしょう。
また、一般的なデジカメに採用されているものと全く異なる構造のイメージセンサは功罪相半ばする非常にクセの強いものです。全般的なキャラクターからして、普通の大手メーカーでは商品化できないようなカメラではないかと思いますが、逆にいえばシグマのようなメーカーだからこそ、こうした野心的なカメラを発売できたのでしょう。
(つづく)
いきなりですが、枕として書き始めた余談が例によって長引いてしまいまして、本題に入る前にかなりの分量になってしまいました。かといって折角書いたものを削除する気にもなりませんでしたので、タイトルにあるカメラのハナシは次回以降になります。また、その後も脱線しがちになりますので、興味のない方は適当に読み飛ばして下さい。
さて、まずはタイトルに用いました「80点主義」について触れておきましょうか。トヨタのクルマはしばしば「80点主義」で面白くないといわれます。ま、トヨタに面白くないクルマが多いのはその通りだと思いますが、この「80点主義」という考え方は大いに誤解されているようです。この考え方を理解するにはトヨタの初期の大衆車戦略を振り返る必要があります。
1961年に発売された大衆車パブリカは700ccという小排気量で、基本コンセプトは徹底的な低価格化と良好な燃費による維持費の安さに設定されました。それはインドの低価格車タタ・ナノと全く同じ発想で、自動車の大衆化が始まる時期には当たり前のコンセプトといえるでしょう。こうして高い実用性と低コストを両立させるとステイタスシンボル的な部分が置き去りになりがちです。
初代パブリカの発売当初は商業的に失敗でした。それはタタ・ナノの最廉価モデルと同じく「ないない尽くし」のチープカーであったゆえでしょう。当時「新・三種の神器」の筆頭に挙げられたクルマにはそれなりのステイタスが求められていました。実用性と低コストを追求するあまり色気を欠いていたパブリカはそうした空気にそぐわなかったわけですね。デラックスモデルやスポーツモデルなど付加価値の高いバージョンが追加され、パブリカはようやく支持されるようになったといいます。
こうしたニーズが読めなかった反省から、初代カローラの開発主査を務めた長谷川龍雄氏が打ち出した方針が「80点主義」でした。
一部の機能や性能で飛び抜けたものを追い求めるのではなく、まずは全体の性能を最低でも合格ラインである80点以上とし、その上でさらなる性能を求めようというのが本来の80点主義の主旨です。現在に至っても長谷川氏が提唱した80点主義の思想をトヨタが貫いているかどうかはともかく、80点主義というのはトータルバランスを重視し、それを成し遂げた上でプラスアルファを求めるという考え方です。
世間一般には「80点に達したらそこから先は手を抜いても良い」とか、「突き抜けたキャラクターを与えて好き嫌いが分かれるのを避けるために均質化しておいたほうが良い」とか、そんな風に誤解されることが多いようです。が、本来の80点主義というのはそういう意味ではないんですね。もっとも、トヨタ車には均質的なものが多いですから、こうした誤解を招いてしまうのは仕方ないことかも知れません。
また、これはトヨタに限ったものではなくなってきたように感じます。もちろん、クルマに限ったハナシでもないでしょう。昔は欠点が多くとも一点に拘り抜いた個性的な製品を日本のメーカーも数多く作っていたように思います。技術力やコストの問題で全ての要求を網羅できなかったという消極的な理由もあったでしょうが、限られた枠の中で仕様を煮詰めるには何を生かして何を捨てるかといったセンスが非常に重要になってきます。
時代が進んで様々なことが可能となる技術を得、そのコストダウンが進むと、かつてのような取捨選択のセンスは不要になりがちです。多くのメーカーが大抵の仕様を網羅できるようになってくると結局は同じような製品ばかりになってしまうものです。今日のコンパクトデジカメでは「ペットの顔認識」のようなものまで付加価値としてアピールするようになってきました。根本的な作りを変えずに差別化しようと思っても、そろそろ手詰まりなのかも知れません。
以前 、EOS Kiss x3について述べさせて頂きましたが、あれもトータルバランスが非常にハイレベルで、スペック的には中級機にも見劣りしません。というより、少し前の中級機を完全に凌駕しています。条件にもよると思いますが、実用上はプロユースにも耐える使い方だってできるでしょう。少なくともエントリーモデルとしてはオーバースペックでは?と思うほどの完成度だと思います。
が、高性能というだけでEOS kiss x3ならではという飛び抜けた個性みたいなものは感じられませんでした。私がこれを買う決断をしたのは「軽快に扱えるデジタル一眼レフが欲しい」というところから始まっていますが、EOS kiss x3を選んだのは単にこれまで愛用してきたEFレンズをはじめとしたEOSシリーズのシステムを使い回すことができるとか、インターフェイスも馴染みがあるとか、あまり積極的な理由ではありません。
思えば、銀塩時代も一眼レフカメラはどんどん没個性的になっていったように思います。特にAF全盛期になってからは各社とも変わり映えしない感じで、写真を撮ることに関してはともかく、カメラと会話するといいますか、機械と戯れるといいますか、そういう精神的な部分ではどんどんドライになっていって面白くないと感じたものです。私がM42マウント(いわゆるプラクチカマウント)のレンズに走ってみたり、古いライカⅢcに手を出したり、中判のマミヤの重さに耐えたりしたのも、そちらのほうが面白かったからです。
一方、コンパクトカメラのほうも普及モデルは同じような製品ばかりでしたが、コンタックスのTシリーズなどが火付け役となった高級路線にはなかなか個性的なモデルがありました。ま、個性といっても多分に演出的なものではありましたが、それはそれでユーザーの心理をよく研究していたと思います。私もポルシェデザインによる洗練されたオールチタンボディにカールツァイスレンズを備えたコンタックスT2にはやられてしまいました。
いまではソニーがカールツァイス、パナソニックはライカといった具合にかつて世界の頂点で双璧をなした大ブランドのレンズをデジカメに搭載し、それを大安売りすることが当たり前になっています。が、コンタックスTシリーズが発売された当時のカールツァイスレンズといえば、35mm判はコンタックス、中判はハッセルブラッドやローライフレックスといったいずれ劣らぬ超弩級の高級カメラに用いられていたくらいです。
これはもう、いまの感覚では信じられないくらいの物凄いブランドバリューがあったわけですね。ま、若気の至りかも知れませんが、当時の私はこうしたブランド戦略に免疫がなかったようで、思わずこのコンタックスT2を買ってしまいました。
CONTAX T2 先代のコンタックスTはレンジファインダーによるマニュアルフォーカスで、レンズを沈胴させる仕組みも至ってクラシカルな手動式でした。フィルムの巻き上げも手動でしたから、要するに当時としてもかなり前時代的な構成だったわけですね。ストロボもオリンパスXAなどと同様にボディの横に並べて接続する外付けで、割り切れる人以外はなかなか馴染めないような極めてマニアックなカメラでした。
後継機のT2はそれを反省して企画されたのか、ずっと常識的な構成のカメラになりました。が、拘る人たちのニーズはちゃんと掴んでいたように思います。例えば、この当時のコンパクトカメラはボケ味の悪い絞り兼用のレンズシャッターが普通でしたし、そもそもシャッターボタンを押すだけの全自動が隆盛を極めていました。要するに、使い手の意思を反映させるような要素はかなり限られていたものが殆どだったわけです。
対して、T2は7枚の絞り羽根でボケ味に拘り、プログラムAEに加えて被写界深度をコントロールできる絞り優先AEも備えていました。露出補正を可能としたのもポジフィルムユーザーを視野に入れたからでしょう。こうして押さえるべきツボはちゃんと押さえ、適度な個性と洗練された外観は相応の訴求力があったのだと思います。
AFが赤外線測離でステップ数がやや粗かったため、「カールツァイスレンズの良さを生かし切れないのでは?」という意見もありましたが、三脚に据えてブレボケも排除し、大伸ばしにも耐える仕上がりを求めるようなシビアな目で見ない限り充分鮮鋭といえる画質が得られたと思います。
ま、いずれにしても、コンタックスT2は商業的に成功を収め、高級コンパクトカメラというマーケットを構築しました。間もなく、その新しいマーケットに向けて雨後の竹の子のごとく各社各様のコンパクトカメラが投入されました。ニコン35Ti、ミノルタTC-1、リコーGR1などですが、それらは単にT2をコピーしたわけではありませんでした。
35Tiなどはアナログメーターを備えてみたり、TC-1は完全円形絞りを採用したり、GR1はマグネシウムボディにしてみたり、いずれもあまり類のない特徴を備えていた訳ですね。そうした差別化こそがこの高級コンパクトカメラというカテゴリーにとって命脈であることを各社ともよく認識していたのでしょう。
リコーのGRシリーズなどは現在でもデジタルでその血統が守られており、いつも気になるデジカメでした。が、所詮は1/1.7型クラスのコンパクト用イメージセンサ(俗にいう爪先センサ)ですから、なかなか食指が動かなかったんですね。コンパクトデジカメでも高級路線というべきモデル展開はありますが、銀塩時代のそれほどではない感じです。
そんな中にメチャメチャ個性的なアイツが現われ、猛烈に突き刺さって来ました。
ただ、そのときの私はEOS 5Dの後継機待ちを決めていましたので、しばらくカメラを買うのは控えようと自重しました。で、実際にEOS 5D Mk2を購入し、マウントアダプタを使ってM42マウントのレンズを本来の画角で楽しめたのは良いのですが、その重さに閉口してEOS kiss x3を買い足し、気軽に持ち歩けるようになったのは良かったものの、その没個性に物足りなさを感じ、悪い方にループが巡ってしまったようです。
こうしてカメラ熱が再燃してしまい、銀塩のほうでは
念願のオリンパスOMシリーズを手に入れて溜飲を下げた ものの、デジタルでは何だか満たされず、ついに堪えきれなくなってしまったという次第です。
(つづく)
トヨタにリチウムイオン電池などを供給しているパナソニックEVエナジーは「パナソニック」を冠していましたが、実際にはトヨタの子会社です。今年4月に実施された第三者割当増資を全てトヨタが引き受け、パナソニックが持つ株式の一部もトヨタが買い取りました。その結果、出資比率はトヨタが80.5%でパナソニックが19.5%となったんですね。ま、それ以前からトヨタ:パナソニックの出資比率は6:4でしたが。
この4月の増資段階で既に社名変更が検討されていたようですが、6月2日付でパナソニックEVエナジーは「プライムアースEVエナジー」に変更されました。この新社名は従来の略称「PEVE」をそのまま使えることも考慮されたといいます。ちなみに、「PEVE」を社名にする案もあったそうですが、フランス語で「交通違反」を意味する言葉(スラング?)に当たるので避けたのだそうです。
昨年5月、ダイムラーがテスラから電気自動車仕様のスマート用にリチウムイオン電池ユニットを1000セット調達する契約を結ぶと共に、10%の株式を取得する旨が報じられました。今般のトヨタは2%程度といわれていますので、その約1/5に過ぎません。トヨタはPEVEのような子会社を持っている以上、ダイムラーの投資とは全く意味が違うと見るべきです。
トヨタのテスラに対する出資額はたかだか5000万ドルですし、それも早期の株式公開といった条件が課せられているようですから、かなり慎重な印象です。また、ダイムラーがテスラから調達するバッテリーユニットもわずか1000セットという小規模にとどまっています。
いずれも電気自動車の展開を進める動きには見えますが、数字を見れば至って冷静なもので、大手自動車メーカーとしてみた場合の本格的なビジネスには程遠い規模に過ぎません。やはりトレンドに乗ったイメージ戦略的な動きと見るのが妥当なのかも知れません。これらに比べますと日産の動きは少々無謀ではないかと心配されるレベルに達しています。
度々余談になって恐縮ですが、日産は電気自動車への投資を驚くほどのペースで加速させています。先月26日にはテネシー州スマーナ工場の隣接地にリーフ用の電池工場の起工式が行われました。2012年の生産開始を目指し、同工場の車体生産設備と合わせて電気自動車関連に総額1500億円を投資する計画だそうです。
また、2013年にはイギリスのサンダーランド工場でもリーフの生産を開始する予定です。日産はその資金を調達するため、まずは今年4月21日に機関投資家を対象として1000億円の普通社債を発行すると発表しました。が、日産は今夏までに償還期限を迎える社債が2000億円近くありますから、それほど余裕があるわけでもありません。
ま、恐らく償還期限となった社債は新たな社債発行で借り換えるつもりでしょうけど、そんな中でハイリスクな事業投資を強気に進めていくのはどうかと思います。トヨタは3ヶ月以内に現金化できる金融資産が6兆円あるとされ、「トヨタ銀行」などといわれるほどの資金力がありますが、それでも電気自動車に関して日産のような強気の投資は控えていますから、両者の動きは実に対照的です。
先日、ゴーン社長は2012年までに「全世界で年間50万台の電気自動車を販売する」という意向を示しました。「技術革新や新技術に直面し、ますます強気になる人もいれば、ますます弱気になる人もいる」「50万台という数字は自動車市場のわずか0.8~0.9%にすぎない」と述べ、アナリストや他社の論評によって「思いとどまることはない」と主張しました。
全世界での販売台数が50万台/年という数字は荒唐無稽であると私は考えます。何故なら、この数字は現在のプリウスに匹敵する規模に達するものだからです。プリウスがこのレベルにマーケットを拡大するのに10年余りの歳月を要しました。インフラには全く懸念がなく、通常のクルマより車両本体価格が多少割高という以外に大きなマイナス要因がないハイブリッド車でこの状況です。同じハイブリッド車でもインサイトのように中途半端なものはこの1/4がやっとというのが現実です。
日産リーフは政府が支給する高額の補助金を受けても同クラスのガソリンエンジン車の2倍にならんとする高額です。航続距離や充電時間などの性能もインフラも問題だらけの未成熟な電気自動車で2年後には現在のプリウス並みのマーケットを獲得するとゴーン社長は豪語しているわけです。彼が広げたこの超特大の風呂敷は民主党のマニフェストも真っ青の現実無視と言わざるを得ません。もし、こうした発言が投資家を惑わせてしまうようであれば、これはもはや詐欺の領域に近いというべきかも知れません。
ゴーン社長の電気自動車イケイケ路線は冷静な判断によるものとは見なし難く、日米欧で進められている生産体制の整備は常軌を逸しているように見えます。補助金の支給が必須という現段階でこうした急速な事業展開を推し進めると、補助金の支給が中止されたり減額されるだけで破綻の危機に直面します。高額な補助金は台数が増えるほどに財源の確保が難しくなるという現実が彼には見えていないのでしょう。
補助金が支給されなければ事業として成り立たないということは、要するに「他力本願」の事業ということです。また、充電インフラの整備は自動車メーカーだけではどうにもならない領域です。いまの段階で電気自動車の本格的な普及を推進している人たちはそうした認識が甘すぎるように感じます。特にゴーン社長は上述したプリウスとの比較からも明らかなように、独善的というべき数字の解釈で電気自動車事業を急拡大させています。社内に彼の暴走を止めようとする人はいなかったのでしょうか?
などと書いていたら、イギリスの前政権がサンダーランド工場でのリーフの生産に2070万ポンド(約28億円)の補助金を支給するとしていた件について、キャメロン新首相が「明確な答えを持っていない」と述べ、反故にされる可能性が出てきたというニュースが入ってきました。ま、生産設備の構築に要する総費用に照らせば大した金額ではありませんから、大勢に影響はないかも知れません。が、1台毎に支給される補助金がこのようなことになったら目も当てられなくなるでしょう。
私はメディアや日産が吹聴しているような急激な電気自動車の普及はないと読んでいますので、日産の動きにはかなりのリスクがあると感じています。ゴーン社長は日産の経営状態をV字回復させた救世主のように語られることもありますが、このまま無謀な電気自動車の拡大路線を推し進めていけば、逆V字を描かせることになってしまうかも知れません。
同様に、テスラの将来も決して楽観できるものではありません。彼らは確固たる収益基盤がないまま、投資によって何とか存続できている極めて脆弱な企業です。その投資も将来に向けた「期待感」に依存する部分が大きいわけですから、少しでも足踏みの時間が長引けば、それだけでも危機的な状況に直面しかねません。私の目にはやはり実体が伴わないバブル状態に見えます。
テスラ・ロードスターのような少量生産のスポーツカーなどマニア向けのクルマだけではいつまで経ってもニッチなマーケットにとどまり、これまでかき集めてきた資金に見合う利益を出せるような状況には至らないでしょう。少なくとも、彼らが本格的な大量生産を目論んでいるモデルSの発売を急ぐ必要があります。
モデルSのシャシーは全くのオリジナルと言われていますが、デトロイトではなくシリコンバレーに居を構える門外漢の彼らが開発した初めてのオリジナルシャシーに社運をかけるというのも非常にリスクが大きいと感じます。が、彼らは一刻も早くこれを量産して利益が見込める筋道をつくらなければ、存亡の危機に立たされる可能性が一段と高くなるでしょう。
TESLA model S 2012年に発売予定とされているモデルSは 容量違いで3つのバッテリーを用意しているそうです。 航続距離は各々160マイル(約257km)、230マイル(約370km)、 300マイル(約483km)と謳われています。 ご覧の外観と動力性能でスポーティ路線を堅持しているようですが、 驚くべきことに、ラゲッジルームには折り畳み式の座席があり、 7人乗りのミニバンにもなるという何でもありのパッケージングです。 こうして仕様を欲張るほどいずれの性能も中途半端に終わりがちですが、 経験の浅い彼らには恐れるものなど何もないということなのでしょう。 ベースプライスの4万9900ドルで本当に商売になるのでしょうか? NUMMIの一部を獲得できるというハナシは、テスラにしてみればGMの経営破綻から巡ってきた棚ぼたのようなものでしょう。トヨタにとってもイメージ回復を狙った企業広告を露骨に展開するより、こうした行動で話題を提供し、自然に群がってくるメディアを通じて好印象を振りまいたほうがよりスマートで、コストもそれに見合うと判断したのかも知れません。
ま、これはあくまでも私の個人的な想像に過ぎません。状況から導いた勝手な解釈でさしたる確証もありません。が、少なくとも「トヨタがテスラの技術を欲した」などというような報道ほど的は外していないと思います。
もし、テスラがコケてもトヨタはそれほど大きな痛手を被らない範囲で彼らとの関係に線を引いているのは間違いないでしょう。でなければ、出資の条件に早期の株式公開を絡めることもなかったハズです。この一件も電気自動車バブルに浮かれている大衆メディアがイメージしている夢や希望を膨らませたストーリーよりも、もっと現実的で生臭い関係がその裏には渦巻いていると見たほうが良さそうです。
(おしまい)
アメリカではカネのある企業が社会に貢献するようなカネの使い方をしないと、批判の的になる傾向があるようです。1980年代のジャパンバッシングも日本企業がアメリカで利益をむさぼる一方、アメリカ社会に還元しなかったところが大きな反感に繋がっていました。
あの一件はそういう筋書きで世論を煽動しておいて、地に墜ちていたアメリカのメーカーが回復するまでの時間稼ぎがなされたと見る向きもあります。ま、そうした意図の煽りが入っていたにしても、それにメディアと多くのアメリカ国民が反応したということは、企業の社会貢献にシビアな目が向けられる傾向があるからでしょう。
先般のトヨタバッシングもGMやクライスラーの経営破綻から半年程度しか経っていなかったことを思えば似たような力を感じます。が、ここで深追いしても意味は薄いでしょう。いずれにしても、1980年代のジャパンバッシングを経、日本のメーカーは如何にしてアメリカ社会へ溶け込むかに心を砕いてきました。現地の部品メーカーを使い、現地に工場を構え、現地の人たちを雇い入れることで、アメリカ社会に貢献しているというスタンスを示してきたわけです。
結果、例のトヨタバッシングの際にもトヨタの工場がある3州の知事らはトヨタを擁護しました。逆に、NUMMIの閉鎖決定を受け、主力車種のカローラとタコマは他州へ、それ以外は海外の生産拠点へ移管されるという事態に至ると大いに批判されました。雇用の流出には断固反対というのがオバマ政権にとって重要な票田でもある全米自動車労働組合の意向ですから、アメリカのメディアもそれに鋭く反応した格好だったのでしょう。
余談になりますが、日本にはそういう視点が全く存在しないようです。昨年1月、『
主力車種の海外流出第一号 』と題したエントリで取り上げましたように、日産の主要車種であるマーチの生産を今年発売になる新型からタイへ移管し、逆輸入することになりました。が、私の見聞きした範囲でこれを批判的に報じているメディアは皆無でした。
マーチの逆輸入は日本国内でその生産を担ってきた追浜工場の仕事がタイへ流出するということを意味します。日産は追浜工場で電気自動車のリーフを生産するとしていますが、それがマーチの実績に匹敵することはまずあり得ないでしょう。ゴーン社長は電気自動車のことになると何かに取り憑かれたかのように強気ですが、現実をシッカリと見据えればマーチの穴をリーフが埋めるなどということは考えられません。
一昨年、例の派遣切り騒動の際にこの追浜工場でも数百人規模の派遣切りがありました。上掲のエントリでもご紹介しましたように、このとき極めて批判的な記事が書かれましたが、その主要車種の生産が海外へ流出してもそれが意味するところを日本のメディアはリアルに理解できていないようです。
あるいは、ゴーン社長の言葉を鵜呑みにしてリーフがその穴を埋められると本気で信じているのかも知れませんが、リーフは追浜工場だけでなく欧米でも生産される予定です(詳しくは次回に)。リーフがガソリンエンジン車の人気車種並みに売れるというとんでもないミラクルが起こらない限り、追浜工場の仕事は確実に減ります。彼らの狭い視野ではこうした簡単な状況判断もできないのでしょう。
ハナシを戻しましょうか。トヨタはリコールを巡る騒動とほぼ同時期にNUMMIの処遇を巡る問題でも大いに批判され、アメリカでの評判を大きく落としました。後者は日本のメディアであまり伝えられませんでしたから、ご存じない方も多いでしょうし、日本のメディアもこうした状況を詳しく把握していないでしょう。今回の提携に関する報道でも極めて軽く触れられるにとどまったのもそのせいだと思います。
しかし、私は今回のトヨタとテスラの提携話は、NUMMIを巡る問題も含めてそのイメージ回復を図ろうというのがトヨタの主たる目的なのではないかと考えています。工場が再開されればその分だけ雇用も生まれますし、電気自動車は世間一般に好感度が高いですし、強まっていた風当たりを抑えるのにも相応の効果があるでしょう。発表の際にシュワルツェネッガー知事が列席したのもNUMMIの再興あってこそでしょう。
テスラ・モデルSの前で談笑するシュワルツェネッガー知事と豊田社長 NUMMIの閉鎖時に解雇されたのは約7500人、うち再就職先が決まらなかったのは約4700人、 テスラが再雇用するという従業員数は約4500人にものぼりますから、 要するに、NUMMIの閉鎖で失業した人の殆どを引き受けるというわけですね。 トヨタとテスラの提携発表会見の会場にシュワルツェネッガー知事が駆けつけたのは、 ひとえにこうした再雇用を伴うNUMMIの再興計画があったゆえでしょう。 トヨタはハイブリッドシステムや燃料電池など、将来に向けた技術開発に年間9000億円程度の投資を続けてきました。トヨタがテスラに出資するという5000万ドルはこの9000億円のコンマ5%に過ぎない微々たる数字です。トヨタが本気で電気自動車の性能向上に期待をかけた出資だとしたら額が小さ過ぎると言わざるを得ません。
一方、テスラは新規株式の公開に向けた申請書類の中で、トヨタと「協力する意向を表明した」としているそうですが、トヨタが合意した総額5000万ドルの出資は年内にテスラが株式を公開できなかった場合、実現しない可能性があることも明らかにしているそうです。こうした条件はトヨタのリスクを大幅に減じるものと考えられます。
ま、第一報から少々軌道修正されていますので予断は禁物ですが、トヨタの出資にこのような条件が絡んでいるというのであれば、NUMMIの一部売却を含めてトヨタにもそれなりに旨みのある提携話といえるでしょう。テスラの株式が公開されればそれなりの高値が付くと見られていますから、トヨタが取得するであろうテスラ株も相応の含み益が見込まれます。
逆に、テスラが株式公開を果たせず資金調達も行き詰まり、経営状態がさらに悪化していったとしても、トヨタが批判されることはないでしょう。また、株式公開が果たせなければ出資もなしというのなら、トヨタは大した実害を受けることもないでしょう。こうした点も踏まえますと、やはり話題づくりにテスラを利用できる間は大いに活用しようというのがトヨタの思惑であるように私には感じられます(あくまでも個人的な憶測です)。
(つづく)
トヨタが本気を出せばテスラより洗練された高性能な電気自動車を作れるのは間違いないでしょう。現在手持ちのコンポーネンツを組み合わせるだけでもテスラ・ロードスターより乗車定員や荷物の積載スペースなどで実用性が高く、航続距離の長い電気自動車を作ることは可能だと思います。
例えば、燃料電池車の
FCHV-adv から燃料電池スタックと高圧水素タンクを降ろし、プラグイン・ハイブリッド仕様のプリウスに用いているリチウムイオン電池を大量に搭載、回生ブレーキシステムもプリウスなどと同等のものに変更するといった方法でもテスラ・ロードスターより実用性も完成度も高い電気自動車になるでしょう。ベースとなったクルーガーはエリーゼなどよりずっとスペースに余裕がありますから、より多くのバッテリーを積むことができるでしょうし。
TOYOTA FCHV-adv 昨年の東京モーターショーの写真の使い回しで恐縮ですが、 トヨタもこのFCHV-advをホンダのFCXクラリティ と同じく 環境省などへ毎月83万円×30ヶ月のリースを行っていますので、一応は市販車です。 現状では燃料電池スタックや156Lにもなる高圧水素タンクなどとの兼ね合いで バッテリー容量を大きくしにくいゆえ、回生ブレーキはかなり控えめだそうです。 が、それらを大量のリチウムイオン電池に換装すれば自動的に容量の問題は解決し、 プリウスと同等の回生ブレーキシステムを導入することができるハズです。 それだけでもテスラよりずっと洗練された電気自動車になるでしょう。 しかしながら、トヨタのような大メーカーはコストを二の次にした市場性の低い商品を手掛けるような立場にありません。FCHV-advやFCXクラリティなどのように官公庁や企業向けのリース販売で様々なデータをとるといった方法がせいぜいでしょう。個人向けにやるとしたら、やはり補助金を受けてユーザーの負担額が300万円前後にとどまる価格帯を狙い、結局はi-MiEVやリーフなどと同レベルの性能に抑えるしかないのが現状だと思います。
そもそも、テスラ・ロードスターは少量生産のスポーツカーで、アルミ製のシャシーにCFRPボディというおよそ大衆車には採用できない構成です。あの航続距離は大衆車の価格帯に抑えるなど絶対に不可能な高コストの素材と大量のバッテリーを用い、大衆車のユーザー層にはとても受け容れられないような効率最優先の不自然な回生ブレーキから成り立っています。こんなクルマはフェラーリやポルシェなどとも比較し難いところですが、大衆車と同じ尺度で測るなどナンセンスの極みというものです。
ただ、これだけ贅沢な素材を用い、リチウムイオン電池もあれだけ大量に用いているわけですから、9万8000ドルほどの車両価格はむしろ安いと見るべきでしょう。が、それは無理に無理を重ねた価格設定といったところでしょうか。テスラはこのロードスターを昨年末まで937台、その後も何十台か売って1000台余りに達しているとのことです。ということは、1億ドル程度の売上になっているハズですが、彼らは常に資金難に喘いできました。
テスラは創業から7年を経た現在に至っても利益を出せるような状態には程遠く、かき集めた資金を食いつぶしながら期待値の高さだけが命綱みたいな、ベンチャー企業にありがちなパターンにはまっています。2007年には先行きの見えない経営状態を投資家から咎められた創業者のマーク・エバーハンドCEOが解雇され、その後も2年足らずの間にCEOが3人も入れ替わりました。
現在、同社のCEOを務めているのはイーロン・マスク氏で、ネット決済サービスのPayPalを立ち上げた人物でもあります。同氏はその株式を売却して莫大な富を得、投資家として宇宙開発関連などに入れ込んできたようです。そうした嗜好から電気自動車のような近未来をイメージさせるビジネスにも惹かれたのでしょう。テスラの創業時からかなりの額を投資してきたようです。
現在のテスラはマスク氏が奔走して経営状態の回復を期しています。昨年6月には米エネルギー省から融資を取りつけたり、今年1月には米証券取引委員会に新規株式公開計画を届け出たりして、さらなる資金調達を目論んでいます。エネルギー省から受ける融資の総額は4億6500万ドル、株式公開で調達が見込まれる資金は1億ドル程度と試算されています。
テスラがこれまでどのくらいの資金を集めたのか情報が錯綜していてどれが正しい数字なのかよく解りません。が、日経新聞の報道によればトヨタが出資を予定している5000万ドルは全体の2%程度と見られるようです。だとすれば、これまでテスラは25億ドルに上る資金をかき集めてきたということになるわけですね。
しかし、テスラ・ロードスターによる売上(利益ではなく、あくまでも売上です)は1億ドル程度、ダイムラーにEV仕様のスマート向けバッテリーパックを供給するハナシもどこまで進んでいるのかあまり続報が伝わってこないのでよく解りませんが、大した規模にはなっていないでしょう。
現状において彼らはビジネスの実態に見合わないレベルのカネを集め、現在も営利事業として全く軌道に乗っていない状態というわけです。こんな会社が7年間も存在し続けることができ、しかも政府から5億ドル近い融資が受けられるのですから、色んな意味でアメリカは凄い国だと思います。
トヨタをしてこのような状況のテスラと組む気にさせたのは何かと考えますと、やはり要になっているのはNUMMIの存在ではないかと思われます。
当blogでも以前に何度か触れましたが、NUMMIはGMが日本式の合理化を学ぶため、トヨタは北米での現地生産の足掛かりとするため、双方の思惑の一致が生んだ共同事業でした。GMが1982年に閉鎖したカリフォルニア州の工場を1984年にトヨタとの合弁で復興させたのがNUMMIです。ま、その背景には日本車がアメリカのマーケットを席巻し、その反感から巻き起こったとされるジャパンバッシングも浅からぬ因縁となっていたでしょう。
いまからほぼ1年前にGMが経営破綻して国費を投入した再建策が講じられたわけですが、その際にGMはNUMMIから撤退しました。トヨタもまた単独でのNUMMI存続を諦め、閉鎖に至ったわけですね。一方、テスラは昨年の夏に政府に対して新工場を建設するための融資を申請していたといいます。ここでまた双方の思惑が重なったのでしょう。
トヨタはNUMMIを閉鎖するに当たって約7500人の従業員を全て解雇し、再就職先が決まらなかった約4700人が失業したことから批判が高まっていました。元々GMとの合弁でやっていた工場からGMが撤退し、トヨタも同様に身を引いたわけで、トヨタだけが責められるのはどうかとも思います。が、その背景にはトヨタの言い分が反感を買ったという側面もあったのでしょう。
NUMMIはアメリカ中西部の物流拠点から遠いという立地の悪さに加え、設備の老朽化も進んでいました。また、トヨタは北米への設備投資を過剰に行ってきたツケで、かなり深刻な余剰生産問題を抱えていました。こうした状況を実直に説明し、それまでの事業展開に非があったことを認めた上でNUMMIの閉鎖を表明すればあそこまでの批判は浴びなかったように思います。
が、トヨタは「GMによる合弁の解消という決断が工場の経済的存続を著しく損ない、一気にこの状況を招いてしまった」とコメントしてしまいました。当時、NUMMIでのGM車の生産比率はわずか15%に過ぎない状況でしたから、こうしたトヨタの主張はGMに責任を押しつけるものと受け取られても仕方なかったでしょう。
例のリコール騒動も時期を同じくしており、それと相乗的に煽られていたような印象もあります。が、いずれの問題もトヨタの態度が生意気に見えてしまったという感情的な摩擦も少なからず影響していたように思います。アメリカでの過剰なトヨタ叩き(特にリコール騒動)は魔女狩り的な印象もありましたが、トヨタも同時多発的な問題に対して基本姿勢を保身に傾けすぎたことが火に油を注いでしまったといったところでしょうか。
とはいえ、フォードとブリヂストン・ファイアストンの問題のようにとりあえず謝ってしまうと全ての責任を押しつけられる恐れもありますから、その辺は慎重に対応を考慮しなければならない難しさはあるでしょう。トヨタは例の騒動以来、アメリカでクレーム対応の部門を強化しています。彼らのことですから、同時に訴訟などを見据えた対策方針の意思決定についても相応の人材なりマニュアルなりを準備をしているかも知れません。
GMの経営破綻を受けてNUMMIの先行きが不透明になっていた頃、プラグイン・ハイブリッドのスポーツカーを展開する
フィスカー もこれに興味を示していたといわれています。結局、フィスカーはデラウェア州ハミルトンにあるGMの工場を買収することになり、身の振り方が決まらなかったNUMMIは今年3月末に閉鎖されました。
テスラは予てから新工場建設とそのための融資を求め、奔走を続けていました。当然、NUMMIも興味深い物件だったに違いありません。恐らく、水面下ではかなり前から交渉が重ねられていたのでしょう。閉鎖から2ヶ月足らずでその一部をテスラが買収する運びとなったのは、それまでの交渉で条件が折り合わなかっただけと考えたほうが自然かも知れません。ま、いまでもちゃんとハナシが纏まっているわけではないようですが。
当初はテスラによるNUMMIの一部買収にかかる費用が明らかにされていませんでしたが、その後の報道で4200万ドルになるとされました。トヨタの出資予定額が5000万ドルですから、800万ドルのノシを付けてNUMMIの一部をテスラにプレゼントするという格好にも見えます。ま、悪い立地と老朽化が進んだNUMMIを売り払うにしても、どの程度の回収ができるかということを考えれば、ネームバリューだけは高いテスラに提供してみせるほうがメリットがあると考えたのかも知れません。
(つづく)
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まとめ