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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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羽根が見えない騒々しい扇風機

発表が昨年の9月だったとは知りませんでしたが、サイクロン式掃除機で知られるイギリスのダイソン社から画期的な扇風機として発売されたエアマルチプライアーは「羽根のない扇風機」と謳われ、個人的にかなり気になっていました。

エアマルチプライア―をプレゼンするダイソン氏

ダイソンらしい非常にユニークなデザインで、普通の扇風機ではモーターと羽根が鎮座しているところがソックリ素通しになっています。私も某家電量販店の店頭で実物を間近で見たり色々弄ってみたりしましたが、あの素通しの輪っかのところから風が吹いてくるのは原理が解っていても面白いと思いました。

が、「羽根のない扇風機」というフレーズは厳密に構造を確認するとウソになりますので、この言い回しはやめたほうが良いと思います。

普通に考えれば解ることですが、電気モーターを動力源として空気を送るにはタービンの類か、あるいはルーツ式やスクロール式などのブロワー類、レシプロコンプレッサーの類などを用いるしかないでしょう。より高い圧力が求められるならともかく、送風ということで効率を考えればタービンを選ぶのが常識で、それ以外の選択肢はちょっと考えにくいところです。

ダイソンのエアマルチプライアーも台座の部分に下の写真のような直径100mmほどのタービンが仕込まれています。つまり、ちゃんと羽根はあるのですが、それが外から見えないだけです。この小さなタービンが回転することで送り出す気流を上手に操り、その気流の15倍にもなる風をあの輪っかの部分で作り出すというのがこの製品のミソです。

エアマルチプライアーの内蔵タービン
メーカーは「羽根がない」と称していますが、
実際には9枚の羽根で構成されるタービンが
台座部分に仕込まれています。


扇風機としては非常に画期的な構造かも知れませんが、原理については古くから知られているベンチュリ効果を応用しています。

空気の流速を上げると圧力は低下します(ベルヌーイの定理)。このエアマルチプライアーの場合は空気の流れを絞ってやることでさらに流速を上げ、負圧(大気圧より圧力が低い状態)を生じさせるわけですね。台座の中に仕込まれたタービンで空気を送り、その気流は輪っかの内側にある約1.3mm幅の細い開口部付近で絞られて流速を増します。

エアマルチプライアーの断面

輪っかは上の写真のような翼断面になっており、写真では右側に見える細い開口部から高速の気流を出して左方向へ流します、その気流を飛行機の主翼でいえば上面、レースカーのウイングなどでいえば下面に相当する形状に沿わせることでさらに負圧を増しているわけですね。

この負圧によって輪っかの向こう側(上の写真でいえば右側)の空気を吸い込んで手前側(上の写真でいえば左側)に吐き出させ、さらにその気流が輪っかの外側の空気をも巻き込んで風量を大幅に増やし、最終的にタービンが送り出すそれの15倍にもなる気流を作り出すというわけです。

こうしたベンチュリ効果を応用したものは昔から存在しました。ガソリンエンジンのキャブレターやエアーブラシなどのように液体を吸い出すものだけでなく、このエアマルチプライアーと同様に周囲の空気を吸い出す応用製品も既に存在しており、エアーダスターの増量ノズルなどはかなり前からあるアイテムです。

余談になりますが、私も空気の流量を3.8倍にするという増量ノズルを持っています。もっとも、これは風を切るような高周波の耳障りな音が混ざるので、滅多に使わず、普段は標準的なノズルよりかなり静かになる静音ノズルを使っています。

エアマルチプライアーはタービンから送られる空気の流れ、特に負圧を作る輪っかの部分については相当な試行錯誤を重ねて効率の良い形状が追求されたのでしょう。流体力学的にはそれなりに高度なことをやっているのだと思います。エアーダスター用の増量ノズルが4倍弱なのに対してエアマルチプライアーの15倍という流量アップはやはり凄い値になると思います。

しかしながら、扇風機としてみた場合、実際の風量は大したことありません。つまみを最大に回してみてもウチにある20年選手の扇風機に劣るレベルですし、何よりもその音がうるさ過ぎます。家電量販店のガヤガヤした店頭でもハッキリ「うるさい」と感じられる程でしたから、これを静かな住宅へ持ち込んだら相当やかましく感じるでしょう。私の場合、これをベッドサイドに置いて安眠できるほど神経は太くありません。

そもそも、タービンというのは径が小さくなるほど翼面積が小さくなったり、形状設計の制約が大きくなったりで、高効率なものを作りにくくなる傾向があります。また、騒音を低減させる場合も直径の小さなタービンを高速で回すより、大きなタービンを低速で回すほうが有利です。ノートPCの冷却ファンに騒々しいものが多いのに対し、デスクトップのそれのほうが静かなことが多いのはそれゆえです。

ダイソンのエアマルチプライアーは小さなタービンをブン回して作った気流を絞り、その流速をさらに速め、翼断面に沿わせて流すことで負圧を作り、それが周囲の空気を吸い出したり巻き込んだりして15倍にも増量させているわけです。が、それでも風量は普通の扇風機に劣っているくらいですし、逆に消費電力は普通の扇風機よりもやや大きい40Wです。

要するに、まわりクドイことを色々やって結局は効率面で普通の扇風機に劣ってしまったというわけですね。「策士策に溺れる」感が漂っているような気もします。(あくまでも個人的な感想です。)

ステーターブレード(静止羽根)を組み合わせて渦を作り、遠くまで風を循環させるサーキュレーターの類や、シロッコファンなどを用いたスリム型の扇風機にはこれくらいうるさいものもありますが、普通の扇風機としてみればイマドキここまでうるさいものは滅多にないと思います。

あのうるさい作動音は小径タービンを高速回転させることによるものと輪っかの部分から出てくる高速の気流によるものの合わせ技だと思いますが、構造的に見てこれを静音化させるのはかなり厳しいように感じます。日本の大手家電メーカーも掃除機では後追いでサイクロン式の亜種(ダイソンのパテントに抵触しないような変化を付けたもの)を市場投入させましたが、この扇風機については騒音がかなり大きなネックと思われますので、類似方式による後追いもなさそうな気がします。

羽根が切り取る空気の塊がない「スムーズな風」というのもエアマルチプライアーでは売りの一つになっています。実際、脈動がある扇風機の風に長時間当たっていると疲れるという人もいます。逆に、誰にでも子供の頃に経験があると思いますが、この脈動で声が震えるのを面白がり、回転する羽根の前で「あ"~」とかやって遊んだりします。エアマルチプライアーのスムーズな風でそういう遊びはできないわけですね。

スムーズな風を求めるならほかにも選択肢はあります(詳しくは後述します)から、私だったらより静かなものを選びたいところです。価格も一般的な扇風機が1万円以下くらいで売られている今日にあって、その3~4倍にもなります。それでも普通の扇風機と変わらない程度の静かさなら食指を動かしていたかも知れませんが、あの騒々しさは私の許容範囲を大幅に超過しています。(あくまでも個人的な感想です。)

デザインの面白さに価値を見出してオブジェ的にその存在を楽しみたいという人や、原理がよく解らずに不思議がる人、子供がいるので安全性を求めたいといった人などには良いかも知れません。(個人的には危険なものを子供の前から排除してしまうより、危険であると子供に理解させるほうが教育的見地からいけば有益ではないかとも思いますが。)

私としてはジェームズ・ダイソン氏のような独自の着想を持って構造から従来の固定概念に挑戦するような工業デザイナーは大好きで、あの掃除機もなかなか面白いところを突いてきたと思いました。うるさいという点では同じですが、掃除機は静かであるほうがむしろ商品付加価値となるようなものですから、あのレベルの騒音なら大抵の人は許容範囲内と認めるでしょう。

しかし、この扇風機はアイデア倒れとまでは言いませんが、見た目と風の質と安全性以外は劣る部分のほうが多いと思います。騒音や価格以外にもタイマーがないとか、上下の角度調節が狭い範囲に制限されるといった使い勝手の悪さも気になります。

また、手入れが簡単といわれていますが、それは輪っかのところを拭くことだけを想定した売り文句でしかありません。実際には台座部分に内蔵されているタービン周りが使っている間にホコリまみれになるハズです。最大で毎秒27Lもの空気を吸い込んでいるのですから、まず間違いないでしょう。あれを分解して掃除するのは普通の扇風機より遙かに手間がかかるように思います(それ以前に分解して保証が利くのか心配されますが)。

こうしてみますと、エアマルチプライアーは独自のアイデアで得たものより失ってしまったもののほうが多く、普通の扇風機と比べても不足している部分のほうが多いといった印象を受けます。現段階では価格に見合った完成度は得られていないというのが私の個人的な結論で、現物を見て正直なところかなりガッカリしました。私のダイソン氏に対する期待値が高すぎたのでしょうか?

ちなみに、ダイソンのエアマルチプライアーと同様、羽根が切り取る空気の塊がなく、スムーズな風が得られるという扇風機にはバルミューダデザイングリーンファンというものもあります。

グリーンファン

内周と外周とでピッチを変えてファンを設け、内側のファンによる気流に外側のファンによる気流をぶつけることで各々の羽根が切り取った空気の塊を拡散させるという仕組みになっています。ダイソンのエアマルチプライアーとは全く異なるアイデアで、より簡便な方法ながら同じようにムラが少ない滑らかな風を作れるというわけですね。

グリーンファンの概念図

ブラシレスモーターによって効率の良いファンを低回転で回すため、極めて静粛で消費電力も大幅に抑えられている(カタログ値では最大で20Wですから、エアマルチプライアーの半分です)とメーカーは謳っています。ただし、購入者の方々のレビューでは件のブラシレスモーターから独特の音が生じているそうで(磁歪音の類でしょうか?)、首振りをさせるとカタカタという異音が生じるケースもあるようです。

また、電源がACアダプタになっていて取り回しが悪かったり、ACアダプタはコンセントから抜かなければ僅かとはいえ無駄な電力消費があったりしますから、コチラも完成度がイマイチっぽい印象です。ついでにいえば、「グリーンファン」というネーミングも私には何となくエコミーハーっぽい軽い響きに感じられますし。(あくまでも個人的な感想です。)

ここに来て「高級扇風機」ともいうべき商品が同程度の価格帯で相次いで発売されました。個人的には比較的簡単に改良でき、尚かつコストダウンも難しくなさそうなグリーンファンのほうが期待できると思いますが、現時点ではまだ完成度が高くなさそうです。当初は本気でグリーンファンを買うつもりでしたが、改良の余地があるということは改良される可能性も低くないと踏み、今夏の購入は思いとどまりました。

今後の動向も非常に気になりますが、果たしてマーケットはこうした高級扇風機をどのように評価することになるのでしょうか?
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本当は凄い即身仏

100歳以上の高齢者で所在不明が多数あったという問題ですが、8月14日までに全国で281人になったそうですね。こうした確認調査が行われるようになった発端ともいうべき東京都足立区のケース、約30年前に自室に閉じこもってミイラ化していた男性の事件が報道されたとき、私は仏教に対する等閑な扱いに少々驚きました。いえ、私も仏教との付き合いは深くなく、仏事などでそのしきたりに従うくらいですが、それでもかなり気になりましたね。

この事件について、遺体で見つかった男性の家族は「約30年前に “ミイラになりたい” “即身成仏したい” と言って自室に閉じこもった」との旨を証言していたようですが、私が見聞きした範囲では全てのメディアがその証言に違和感を感じている様子もなく、ストレートに伝えていました。が、この場合「即身成仏」というのは全くの誤りで、「即身仏」とすべきです。そうした修正をするなり注釈を加えるなりして報じるべきだったと思います。

念のために両者の違いを説明しておきますが、「即身成仏」というのは現世の肉体のまま、つまり生きたまま悟りを開いて仏になることをいいます。ゴータマ・シッダールタのように生身の人間が仏になることを指すわけですね。一方、「即身仏」はしかるべき準備をした後、瞑想や読経したまま絶命し、ミイラ化した遺体のことです。「成」という一文字の有無で全く違う意味になるわけですね。

生きたままでなければ「即身成仏」とはいいません。この男性が「即身成仏」を目指していながら途中でうっかり死んでしまったという状況だったのならともかく、「ミイラになりたい」と言って水や食べ物を持たずに自室に閉じこもったそうですから、彼がなりたかったのはどう考えても「即身成仏」ではなく「即身仏」です。

この男性の家族が証言していた段階で既に「即身成仏」となっていたようですが、亡くなってミイラ化した男性自身がそのように言っていたのか、家族が聞き間違っていたのか、勘違いが始まったのはこのいずれかだろうと思います。が、メディアがそうした誤りを誤ったままストレートに伝えるのもどうかと思います。

近年、テレビの報道番組などでインタビューの映像が流されるとき、その内容を掻い摘んだ字幕が付されるというパターンが非常に多くなりました。このとき、明らかに誤りであると解るケースでは修正が入るものです。特にNHKなどはご丁寧に「ら抜き言葉」まで正すことがあるくらいなのですから、本件のように解りやすい誤解を放置すべきではないでしょう。

こうした勘違いがそのまま報じられてしまったのは、要するに殆どの記者が「即身成仏」と「即身仏」の違いを認識していないからでしょう。ま、当の亡くなった男性も即身仏になるための正しい手順を認識していた様子はなく、信仰の厚い仏教徒が本気で即身仏になろうとしていたような状況でなかったのは間違いありません。そもそも、即身仏になるのは仏教のあらゆる修行の中でも最も過酷とされ、生半可なことでは成し遂げられません。

ご存じのように遺体を腐らせないように保存しておくミイラ化の風習は世界各地にあり、つとに有名なのは古代エジプトのそれですが、世界中を見渡しても日本の即身仏は異例尽くめといえます。普通、ミイラ化による遺体の保存は腐りやすい脳や内蔵を取り除き、全身を防腐処理します。つまり、遺体が腐らないように処置するのは死んでから別人の手によるわけです。

ところが、日本の即身仏は内蔵を取り除きませんし、それ以前に腐敗させないままミイラ化することに関しては他人の手を一切借りません。それを志した行者が亡くなってから数年間、誰もその遺体には触れないまま、腐敗せずにミイラ化してしまうのです。それは行者が生前に全ての準備を済ませておくからですが、その準備は大変な苦行だといいます。

エジプトのように国土の大半が砂漠でかなり乾燥した風土でも内臓(特に多数の細菌が棲み着いている腸)は腐りやすく、ミイラにするためには取り除いてしまうのですが、日本のように湿度が高い土地で内臓を残したまま誰の手も借りずにその腐敗を防ぐというのは至難の業です。どうしたらそのようなことが可能なのでしょうか? 折角ですので、ちゃんとした即身仏のなり方をザッとご紹介しておきましょうか。

即身仏になるには、兎にも角にも死後に肉体が腐敗しないよう、何年もかけて入念な準備をしておかなければなりません。まずは最初のステップとして「五穀断ち」を行います。カロリーの高い穀物を摂らず、木の実などの粗食に耐え、山野を駆けるなどして脂肪を徹底的に削ぎ落としていきます。一説によればこの苦行を1000日続けてから次のステップである「木食(もくじき)行」へ移行するといいます。

「木食行」というのは字のごとく樹皮や葉、根など、木を食べるというものです。これも腐りやすい肉体の組織を極限まで減らしていくのが目的ですが、同時に渋かったり苦かったりするこれらを食すのは精神的な苦痛にもなります。その苦痛こそが精神を鍛錬することになり、仏に近づく修行になると考えられていたようです。

また、木食に用いられた樹皮や葉や根などには漢方薬となるものもあったようで、過酷なエネルギー摂取量の制限にも衰弱してしまわないよう、経験的にその薬効を活用していたと考えられています。つまり、途中で死んでしまってもダメということです。こうした修行、すなわち即身仏になるための準備は最長で10年にも及んでいたそうです。

もちろん、全ての段取りが完全に同じというわけでもなく、時代によっても地方によっても個々の行者によっても微妙に異なるやり方をしていたと思います。死後も肉体を腐敗させずにミイラ化させ、即身仏となるその成功率は決して高くなかったようで、数多の失敗を重ね、その経験から技を洗練させていったと考えるべきでしょう。

最も盛んだったのは山形県の庄内地方だったようです。日本には18体の即身仏が現存するそうですが、そのうち8体が山形県にあり、4体が鶴岡市にあります。ここで即身仏に挑んだ行者たちは、湯殿山に涌く湯やその堆積物を飲んでいたと考えられています。これにはヒ素が含まれており、その毒が次第に蓄積されて防腐剤として機能し、成功率を高めていたようです。

最後は土中に石や木などで作られた室に入りますが、その直前に漆の樹液を飲むといいます。汗をかき、嘔吐を繰り返し、最後まで身体に残された水分を絞り出したというわけですね。漆の樹液には細菌や蛆などの繁殖を抑える効果もあるそうで、これもまた防腐剤として機能していたと見られます。こうした段取りを踏んで土中の室に入ると、蓋をされ、埋められ、鈴を鳴らしながら読経するなどして死を待ちます。

その際に呼吸を維持できるよう、また鈴の音が外へ聞こえるよう、竹筒などで通気孔が設けられています。何日かして絶命すれば鈴の音が止みますから、周囲にそれを知らせることができます。鈴の音が止むと、通気孔が塞がれ、やはり1000日が経過してから掘り起こされます。腐敗することなくミイラ化し、無事に即身仏になることができたら寺で仏像のように祀られます。

人の手を借りるのは土中に石室や木室などを設えたり、そこに入った後に蓋をして埋めてもらったり、絶命した後に通気孔を塞いでもらったり、約3年後に掘り起こしてもらうといった段取りくらいで、死んでから肉体が腐らないようにする手立ては全て本人が生前に済ませておくというわけです。

極限まで身体から脂肪や筋肉や水分を削り取っていき、ヒ素や漆など人体に有害なものをも利用して死後の肉体が腐敗するのを防ぐわけで、タイミングや程度を誤ればその時点で命を落とすというリスクがつきまとっています。準備の段階で断念したり命を落とした行者も少なくなかったようですし、全てを完璧にこなしても成功するとは限らなかったようです。

これだけ長期に渡って過酷な苦行を成し遂げるのですから、仏として祀られ、人々に信仰の対象とされてきたのは理解できます。また、即身仏になろうと志す行者が絶えなかったのは、現世の人々に及ぼす影響だけではなく、その先の未来に希望を持っていたからだと考えられています。

即身仏になる重要な目的の一つには未来での復活を期すというものがあります。釈迦入滅から56億7000万年後に降臨して世の民をもれなく救済するという誓いを立てている弥勒菩薩に接見するため、即身仏となって未来にその肉体を残すという考えです。古今東西を問わず、肉体を保存しようという動機として非常に多いパターンが未来での復活を望むもので、エジプトのミイラやアメリカのアルコア延命財団の冷凍保存なども発想は同じです。

明治以降、即身仏になることは法律で禁じられ、現在でも土中に埋めるなどの段取りを手伝う行為が自殺幇助と見なされるため、正しい手順で即身仏になることは法に触れる行為を伴います。が、信仰としてその手前の段階、「五穀断ち」や「木食行」などについては現在でもある程度まで経験する人がいるといいます。

件の足立区の男性の場合、こうした段取りを踏んでいる様子は全くなく、単に自室に閉じこもっただけで、「10日後には異臭がした」とか「一部白骨化していた」などと伝えられており、全身ではないにしても腐敗していた様子が窺えます。即身仏の何たるかを知らずにただ部屋に引きこもって飲まず食わずで餓死しただけと見るべきでしょう。これでは即身仏になれたとはいえません。

この事件の後、ネットでも色々話題になっていたようですが、本当の即身仏もただ引きこもって餓死しただけと認識し、この男性と同列に考えている人が少なくありませんでした。即身仏になるためにどれだけ過酷な苦行を乗り越えていく必要があるのか、そもそも即身仏とは何なのか、根本的な部分を理解していない人が沢山いるようです。ま、一般の人で特に興味がなければ無理からぬことではありますが。

かく言う私も即身仏に対して特段の興味があったわけではありません。こうした知識を得たのはアメリカのディスカバリーチャンネルというドキュメンタリー番組専門局で何年か前に放送された『日本のミイラ―即身仏の科学』という番組をたまたま見て、思ったより興味深い内容だったので再放送を録画しておいたというだけです。

ただ、アメリカの番組がここまで日本の風習を深く堀り下げていながら、日本のメディアは「即身仏」と「即身成仏」の区別も付けようとしないのですから、これは少々恥ずかしい状態だと思います。

日経は人に自問を促す前に自身を振り返れ

現在の日本では8月15日が太平洋戦争の「終戦の日」とされています。これは1957年に制定された「引揚者給付金等支給法」がこの日を基準としていたり、1982年に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が毎年8月15日を期日にしているといった流れとも繋がっているのでしょう。(あるいは、お盆と時期的な関係も?)

実際のところ、1945年8月15日には「玉音放送」で国民に対してポツダム宣言の受諾表明がなされただけです。大本営が停戦命令を出したのは翌16日のことですし、これに反抗した中国派遣軍や南方軍などはしばらく戦闘を続行していましたので、8月15日を以て戦争が終わったわけではありません。

一方、日本政府は連合国に対してポツダム宣言受諾を打電したのが8月10日、中立国に対しても14日にはその旨を通告しており、日本が諸外国に対して降伏の意思を示したのは8月15日より前のことです。

つまり、8月15日というのは日本政府が国民に対してその意思表示をしただけで、法的な手続きがなされていなかったばかりでなく、自軍に対する停戦命令さえも出されておらず(一説によれば、各軍の指揮官にその命令が行き渡るのにさらに2~3日要したといいます)、8月15日の段階では終戦の体をなしていなかったといっても過言ではないでしょう。

日本以外の殆どの国では国際法上の手続き、すなわち降伏文書に調印された9月2日を太平洋戦争が終結した日としています。

降伏文書への署名
降伏文書へ署名する重光外相(当時)
当時の外務大臣・重光葵と陸軍大将・梅津美治郎らが政府の全権を委任され、
東京湾に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリで降伏文書に署名したのは
1945年9月2日のことで、手続き上はこれを以て戦争終結ということになります。
余談になりますが、当初用意されていたテーブルが降伏文書の目録よりも小さく、
かなりはみ出してしまう状態だったそうで、それではみっともないということで
急遽イギリス東洋艦隊のある艦艇の食堂にあった丁度良い大きさのものを借り、
この調印式のテーブルとして用いられるというハプニングが生じていました。
式が終わってそのテーブルが元の場所に片付けられた後になって、
ある兵士が「歴史的価値を帯びたテーブルを保存しなくても良いのか?」
と言いだしたときにはどのテーブルだったか解らなくなっていたようです。
捜索の結果、ある兵士が刻んだイタズラ書きが決め手となって特定され、
現在はサウスカロライナ州の海軍博物館に展示されているそうです。


その翌日に戦勝祝賀会が行われたソ連などは9月3日を「戦勝記念日」とし、現在のロシアでもそれが引き継がれているといった例外もありますが、日本以外で8月15日を記念日としている例は韓国と北朝鮮が「解放記念日」としているくらいでしょうか。要するに、太平洋戦争終結(すなわち第二次世界大戦終結)の日について、世界の常識と日本の常識には大きなズレがあるということですね。

追記:ロシアでは今年7月に法改正があり、9月2日が「大戦終結の日」と定められたそうです。やはり、法的手続がなされたこの日を以て終戦と見なすのが世界の常識というわけですね。

またぞろ前置きが長くなって恐縮ですが、今年も8月15日には各紙とも社説で太平洋戦争に因む話題を並べました。中でも個人的に気になったのは日本経済新聞のそれでした。

敗戦の教訓をいまに生かしているか

(前略)

 この歴史から学ばなくてはいけない。私たち一人ひとりが敗戦の教訓を胸に刻み、日本の進路に生かしていきたい。戦争への深い反省が欠かせないのは言うまでもないが、それは出発点にすぎないだろう。

 なぜ無謀な戦争に走ったのかを徹底的に検証し、同じ失敗を繰り返さない努力を尽くすことが必要だ。

(中略)

 当時、多くのメディアや世論が米英中などへの強硬論に拍手を送っていたことも忘れてはならない。

 ここからくみ取るべき教訓は何か。国際情勢の甘い分析と、国力をかえりみずに大風呂敷を広げた外交、国内の情緒に依拠した対外政策は、国の進路を誤るという現実だ。

(中略)

 情緒と願望に押し流され、現実を踏まえた冷徹な外交を忘れたとき、国の安定と繁栄は危うくなる。この歴史の教訓を改めて肝に銘じたい。


(C)日本経済新聞 2010年8月15日


ここに書かれていることは至極真っ当で、私としても全く以て同感なのですが、果たして日経にこんな偉そうなことが言えるのか?と思ってしまいました。それは当blogでも何度となく批判してきた彼らのエネルギー政策に関する理想論を見ていると戦前のドイツや日本を彷彿とさせるからです。

第一次世界大戦で敗れたドイツはイラク一帯に確保していた石油利権をフランスへ譲渡するハメになりました。大きな石油供給源を失ったドイツは、ナチスが政権を掌握するや化学者に対して石炭を液化する合成石油の開発を進めさせました。ヒトラー曰く「いまや石油を抜きにした経済は考えられない。政治的独立を求めるドイツは、いかなる犠牲を払ってでも石炭液化計画は続行すべきだ」と。

最盛期には需要の46%が石炭からの合成石油で賄われるようになっていましたが、石油の市場価格の4~5倍にもなる高コストゆえ、当然のように財政を逼迫させました。元京大教授でドイツ政治史の権威である野田宣雄氏は「ヒトラーが第二次大戦を始めた当初からソ連の石油を狙っていたとまでは考えられない。だが、最終的にバクー(コーカサス地方の油田地帯)が対ソ戦の目的の一つになった」と述べています。

ドイツに倣った日本も1937年6月に練炭の製造を行っていた海軍の第三燃料廠(徳山海軍燃料廠)で石炭液化政策の会議が催され、同年8月には「人造石油製造事業法」と「帝国燃料興業株式会社法」が発布されました。当時の石油輸入量400万kLの半分を石炭からの合成石油で供給する5箇年計画が立てられ、さらに7箇年計画として400万kLまで引き上げられる壮大なものに発展していきました。

これは当時の国家予算の25%にもおよぶ極めて野心的な計画でしたが、採算度外視の無謀なものでしたから、当然のように挫折することになったわけですね。莫大な国費を投じて作られた石炭液化工場が全て無駄になったのは言うまでもありません。

ドイツが開戦に踏み切った直接的な理由は野田氏の言うように石油狙いではなかったかも知れませんが、日本が開戦に踏み切った直接的な理由としてアメリカによる石油の禁輸措置が非常に大きなウエイトを占めていたのはご存じの通りです。日本もまたインドネシアなどの油田を掌握することが南方侵出の大きな目的となっていました。

その南方資源ルートからの輸送計画も第一次世界大戦時にイギリスが失った輸送船のデータをスライドさせただけの極めて杜撰なもので、現実は潜水艦などによる攻撃でことごとく打ち砕かれました。戦前には世界第3位の海運国であった日本の海上輸送力は、終戦までに95%も喪失するという有様で、戦前の机上論はあっけなく崩壊、日本本土への資源供給は破綻しました。

先のエントリや先日頂いたコメントへのリプライでも軽く触れましたが、Newsweek(日本版)の8月4日号(通巻1212号)では『世界に広がるエコ疲れ』という記事でこのように述べています。

 ドイツの太陽光発電に対する補助金制度は、おそらく世界一無駄な温暖化対策だろう。鳴り物入りで導入されたこの制度は、国民に最大1250億ドルのコストを負わせながら、国内のエネルギー需要の0.25%しか生み出さない。

 メルケル率いるキリスト教民主同盟(CDU)のある有力議員は、「ちっぽけな効果を挙げるために莫大な予算を吸い取る、われわれ自身がつくり出したモンスター」に対して、党内でも議会でも不安が高まっていると語る。


当blogの過去記事をご参照頂けば明らかなように、日経の社説はこうした太陽光発電や風力発電といった高コストの不安定電源、出力調整ができない原子力発電を推進するよう唱えてきました。彼らは需要に応じた電力の供給量をどのようにして調整するのかという肝心な部分を全く無視し、とにかく原子力や風力や太陽光を増やし、火力を減らし、エネルギー自給率を上げろと言い張っているわけです。

この恐ろしく視野の狭い推進論は、戦前のドイツや日本が夢想した石炭の液化による石油の自給率向上と同じくらい無謀なものです。また、嘘ばかり伝えた「大本営発表」と見まごうばかりの偏向報道で環境問題、殊に地球温暖化問題を伝えてきました。同じ日経でも科学面や電子版のコラムなどにはマトモな記事が何度か載りましたが、社説ではとんでもない偏向ぶりが重ねられてきました。

彼らは上掲の社説で「国際情勢の甘い分析と、国力をかえりみずに大風呂敷を広げた外交、国内の情緒に依拠した対外政策は、国の進路を誤るという現実だ」という至極真っ当なことを述べています。が、これを「電力需給に関する甘い分析と、コストをかえりみずに大風呂敷を広げた自然エネルギー利用、国内の情緒に依拠したエネルギー政策は、国の進路を誤る」と言い換えてみると、彼らがあの悲劇的な戦争から何も学んでいないのではないかと思われて仕方ありません。

「当時、多くのメディアや世論が米英中などへの強硬論に拍手を送っていたことも忘れてはならない。」とも述べていますが、これもまた私の目には「温暖化対策への強硬論に拍手を送っている」盲目的な状態を繰り返しているようにしか見えません。

今日、世界のパワーゲームの主戦場は軍事から経済へ移行しました。それに加えて環境問題もまた有力なツールとして経済と絡み合いながら、その影響力を増してきました。Newsweek誌がいうように、この不況とクライメートゲート事件などの不祥事で世界的にはシラケムードも広がりつつありますが、まだ終息したわけではありませんし、ポスト温暖化問題となるような新たなトピックも芽生えつつあります。

日経には「情緒と願望に押し流され、現実を踏まえた冷徹な」政策を「忘れたとき、国の安定と繁栄は危うくなる。この歴史の教訓を改めて肝に銘じ」自身の発した言葉を振り返ってもらいたいと思います。

クライメートゲート事件を具体的に明かす貴重な和書 (その2)

『地球温暖化スキャンダル ― 2009年秋クライメートゲート事件の激震』の原著を記したスティーブン・モシャーとトマス・フラーの両氏はスティーブ・マッキンタイア氏らのblogなど、その種のサイトをこの事件が起こる何年も前から丹念にウォッチし続けていました。なので、彼らがどのように冷遇されてきたかという経緯も従前から熟知しており、そうしたエピソードが本書にはふんだんに盛り込まれています。

例えば、マッキンタイア氏はこの事件の中心人物であるジョーンズ氏らのレポートで用いられたグラフなどが適切に導かれたものか否かを確認するため、どの気候観測ポイントのデータを用い、どのようにそれを処理したのかといった情報開示請求を行ってきました。

データの扱いに錯誤があったり、単純な計算ミスがないとも限りませんから、第三者が検算して根拠を洗い直すのは科学分析の公正さを維持するのに当然の確認作業といえます。また、イギリスにはそうした情報を開示する義務を課した情報公開法がありますから、マッキンタイア氏らはそれに則って至極真っ当に情報開示を請求していたわけです。

しかしながら、ジョーンズ氏らはマトモに対応しませんでした。その顛末がマッキンタイア氏のblogで詳細に綴られていたわけですが、本書ではその記事とこの事件で流出したメールとを対比させています。

ジョーンズ氏らのメールには大学の情報開示担当者がイギリスの情報公開法について詳しく検討し、どの免責事由が適用できるかを確認していたことや、如何にして情報開示を拒むかといった相談が事細かに書かれています。さらには、先にも触れましたように「ここ英国にも情報公開法があると連中が嗅ぎつけたら、ファイルは渡すくらいなら消去する予定」とまでメールに書かれています。

一方、同じ時期に書かれたマッキンタイア氏のblogにはどのような理由で情報開示を拒まれたか、大学から来た回答メールを引用して具体的にその中身を伝えていました。本書ではこれらを並べて見せ、各々の内容が見事に繋がっているということを示し、正当な情報開示請求を不当に拒んできた様子を明らかにしています。

また、IPCCの評価報告書に採用されるには公表済みで査読付の論文であることなどが条件となっていますし、その締め切りもキチンと設けられています。が、彼らは自分たちに向けられた異論に反駁する論文の完成が遅れていたことから、締め切りまでに無理矢理査読付の公開論文とするため、学術誌の編集長に取り入るなどしてかなりアクロバティックな裏工作を行っていました。そのえげつない過程も全てやり取りされたメールを裏付けとして詳細に再現されています。

この事件を受けて「懐疑派が文脈を無視してメールの断片を曲解しているだけ」などと主張する人為説支持者は少なくありませんでした。が、そうした主張はメールの中身を確認していないからこそ言える全くの出鱈目で、極めて見苦しい言い訳に過ぎないと断言して良いでしょう。

本書は冷遇された懐疑派のblog記事や、実際に行われた手続の状況なども確認しており、それを電子メールという物証で裏付け、いずれもがキレイに整合していることを描き出しています。つまり、状況証拠も物証も整っているわけで、これは常識的に考えてかなり高いレベルで真実に近づいていると見るべきでしょう。そこで明らかになったのはジョーンズ氏らの科学を冒涜するような不正行為の数々と、科学者という以前に人間として恥ずべき醜態の数々です。

先のエントリでもご紹介しましたように、件のイーストアングリア大学は現在まで3回にわたってこの事件の調査結果を発表していますが、「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」「IPCC評価報告書の結論を蝕むような行為のいかなる証拠も見出さなかった」といった結論を導いています。本書に書かれているような事実がなかったということを証明しなければ、その調査報告書こそ事実を隠蔽する悪質な捏造と見なさざるを得ないでしょう。

この日本語版に関しては、価格が2,310円でやや高めであることと、プロの翻訳家ではない東大の渡辺正教授による和訳があまりこなれていない感じ(原文のニュアンスを汲もうとして日本語のリズムが悪くなってしまったような印象を受けました)などが少々気になりました。

人物名や略称の一覧を設けるなど、この分野にあまり詳しくない人に対して一定の考慮がなされている点は良かったと思います。私も本書に登場する人物の半分くらいは知りませんでしたので、人物一覧は特に役立ちました。ただ、私の場合は積極的にこの方面の情報を得ようとしてきたという素地があったので難なく読めましたが、何も知らない人がいきなり読んだら整理しきれないのではないかと思われる点もあります。

本書は事件から1ヶ月程で書かれたゆえその後の余波には触れられていません。そのため、訳者の渡辺氏は、前回ご紹介した月刊『化学』に寄稿された同氏のレポートも併せて読んで欲しいとの旨を後書きで述べ、出版元である日本評論社のサイトに設けられているダウンロードコーナーのURL(http://www.nippyo.co.jp/download/climategate/index.php)が示されています。が、現在は「諸般の事情」(要するに著作権に関わる事情でしょう)で本書の正誤表しかなく、件のレポートは月刊『化学』の公式サイトへ当たるように書かれています。

ま、それ自体は仕方ないことなのでしょうが、せめて本書の後書きに記載されているURLから直接リンクを張っておくべきです。そのURLにアクセスしても何処から当たればよいのか全く書かれていません。同サイトの検索機能を用いるなどして本書の詳細ページにアクセスし、そこに張られているリンクを辿らなければなりません。極めて解りにくい不親切な状態で、私も最初は全く解りませんでした。この辺はもう少しキメ細かい対応をすべきでしょう。

とはいえ、この事件をこれだけ具体的に纏めたレベルの高い著述はそう多くないと思います。少なくとも日本語でここまで述べられているものは現在のところ類例がなく、非常に貴重な存在だと思います。原著が書かれた時期的な問題もあると思いますが、内容的にもかなり的が絞れていた分だけ主題が散漫にならなかったという点でも成功していると思います。

これまで日本の紙媒体においては一部の週刊誌月刊誌などで数頁の特集が組まれたくらいで、しかもIPCCの評価報告書で問題になったヒマラヤの氷河消失に絡む誇張など、事件後に次々発覚したレビュープロセスの杜撰さも纏めて総括するような内容でした。それらとは全く次元の異なる非常に内容の濃い情報が本書には詰まっています。

クライメートゲート事件についての詳細を欲している方にはもちろんですが、この事件を「懐疑派たちが無用に騒いでいるだけで取るに足りないもの」「懐疑派が仕組んだ陰謀で、人為説の信用を不当に落とそうとした卑劣な事件」などと誤認されている方にこそ読んで頂きたい一冊です。ま、盲目的な人為説信者や人為説が飯のタネで絶対にこれを手放したくない人たちには何を示しても無駄なのでしょうけど。

(おしまい)

クライメートゲート事件を具体的に明かす貴重な和書 (その1)

クライメートゲート事件が日本の主要メディアで詳しく報じられることはありませんでした。大手新聞各紙も極めて小さな扱いでお茶を濁し、私の見てきた範囲でこの事件を報じたテレビの報道番組は皆無で、週刊誌などごく一部のメディアを除いてはぼぼ黙殺してしまったといっても過言ではないでしょう。5大紙では読売新聞が社説で触れたりしましたが、それも単発的なものでしたから、広くこの事件を知らしめるには扱いが極端に小さ過ぎたと言わざるを得ません。

私の周囲では知らない人のほうが少ないのですが、それは私が散々話題にしてきたからに他なりません。実際、私以外からはこの事件について聞いたことがないというのが皆に共通する反応で、恐らく日本人の大半はこうした事件があったことを全く知ることなく終わってしまったのでしょう。

しかしながら、欧米では大変なスキャンダルということで、この事件に関する報道がかなりの頻度で繰り返されていました。その影響は世論調査の結果にも現れてきたような気がします。震源となったイギリスでは特に顕著で、地球温暖化の原因が人為的な温室効果ガスの排出によると考える人は事件が起こる前の調査で41%でしたが、現在は26%まで減少しており、完全に少数派となってしまいました。

従前からウォールストリートジャーナル紙やFOXテレビのように保守系メディアが人為的温暖化説に懐疑的な論評を重ねてきたアメリカもそうした傾向は強く、ビュー・リサーチセンターが21の政策課題の優先順位を問うた世論調査を行ったところ、地球温暖化対策は最下位にランクされたといいます。また、ギャラップ社による世論調査でも温暖化が重大な懸念と回答した人は昨年の33%から今年は28%に減っています。

世界屈指の環境政策重視で知られるドイツでも温暖化を脅威と感じている国民は2006年の62%から今年3月には42%へ減少し、過半数を割り込みました。先々週発売されたNewsweek(日本版)では『世界に広がるエコ疲れ』というベルリン支局の記事が載りました。“「環境に優しい政治」は無駄だらけの金食い虫 ─ 効果もプロセスも不透明な温暖化政策に、各国の政府や世論が背を向け始めた”という副見出しを掲げ、各国の情勢と共にドイツでもその熱が急速に冷めてきた模様を伝えています。

一方、日本の世論調査はまず例外なく「地球温暖化は人為的なもの」という前提で質問事項が策定されており、私が調べた範囲ではイギリスのように人為説を信じるか否かを問うものには全く行き当たりませんでした。最近の調査では温暖化によってどんな悪影響があるかといった知識レベルを確認するものだったり、どんな対策を実践しているかといった意識レベルを問うものが多く、温暖化を脅威に感じるか否かといった問いさえ見つけるのが困難になっている印象です。

今年に入ってから発表された調査で温暖化に対する不安を問うたものは愛知県の県政モニターアンケートくらいしか見つけられませんでしたが、それによりますと、96.3%が温暖化を「不安に思う」と回答しており、「心配していない」と回答した人は僅か2.3%に過ぎませんでした。この一方的な結果は、つまり一方的な情報しか扱われないプロパガンダの成果というほかないでしょう。

欧米諸国と日本で天と地ほどあるこの温度差は、即ち日本の絶望的な情報鎖国ぶりを示し、日本の主要メディアは北朝鮮や中国並みのバイアスをかけているということを明らかにするものです。が、これまでも書店へ行けば環境問題関係の棚には人為的温暖化説に懐疑的な本が何冊も置かれており、新聞やテレビなどとは比較にならない健全さが維持されていました。

そこへクライメートゲート事件について詳細に書かれた『CLIMATEGATE: THE CRUTAPE LETTERS』が和訳された『地球温暖化スキャンダル ― 2009年秋クライメートゲート事件の激震』が6月14日から並びました。こうした健全さが確保されるのは先進国なら当然であるべきですが、日本の殆どのメディアにはそれができませんでした。もはや私の彼らに対する残念と思う気持ちは枯れ、この情報鎖国にあってこうした書籍が発売されたことを喜ばしく感じるしかありません。

地球温暖化スキャンダル
和訳は東京大学生産技術研究所の渡辺正教授によります。
同氏はこれまでにも人為的温暖化説に懐疑的な立場を貫いており、
関係する主な著書には『地球温暖化論のウソとワナ
これからの環境論―つくられた危機を超えて』などがあります。
また、月刊『化学』にも本件に関するレポート(以下のリンク先はPDFです)
Climategate事件―地球温暖化説の捏造疑惑
続・Climategate事件―崩れゆくIPCCの温暖化神話
を寄稿されています。


このクライメートゲート事件を巡っては、これまで虐げられてきた懐疑派の人たち、殊に情報開示を拒まれたり、人為説の反証となる論文の発表を妨害された人たちなどが様々な角度から検証を行ってきました。流出したメールやファイルの類は3000を超える膨大なもので、中にはデータの加工に用いられたと思しきプログラムスクリプトの類も含まれています。

本書は事件発覚から1ヶ月くらいで書き上げられたもので、今年に入ってからの動きは反映されていませんし(日本語版の発行に寄せた著者のコメントや訳者のコメントでは今年に入ってからの動きも少し触れられていますが)、事件の全貌を満遍なく網羅できているわけでもありません。

また、人為的温暖化説の反証を行うものでもありません。原著を記したスティーブン・モシャーとトマス・フラーの両氏は「懐疑派」ではなく、「どっちつかず派」を標榜しています。それゆえ、当blogで述べてきた私の見解と大きく食い違う部分も少なからずあります。が、それは本書の主旨に直接関わる部分でもないため、私はさほど気にならずに読めました。

本書で最も重点が置かれているのは、この事件で流出したメールから真相を読み解くことです。そのため、イーストアングリア大学のフィル・ジョーンズ氏や、いわゆる「ホッケースティック曲線」の作者であるマイケル・マン氏ら事件の中心人物たちの間でやり取りされたメールについて非常に詳しく検討されており、時系列を追って丁寧に纏められています。

事件発覚から僅か1ヶ月程で書き上げられたとはいえ、著者らはそれまでの経緯にかなり精通しています。流出したメールは、彼らに新たな事実を伝えたというより、これまでの流れを裏付ける物証という意味のほうが大きいといえるかも知れません。

(つづく)

クライメートゲート事件を闇に葬ろうとする人々 (その2)

UEA(イーストアングリア大学)がいわゆるクライメートゲート事件を調査した結果には呆れることだらけですが、中でも飛び抜けて酷かったのは、前回(2回目)の調査結果報告書が出されたとき委員長のオックスバーグ卿が以下のように述べていたことです。

「批判家たちによって要求されたような環境データの管理に対して英国政府がどこでも用いられているような政策を導入したことは不適切であり、この動きは研究者間でのデータの流れを妨げた。」

しかし、実態は全く異なります。UEAの気候研究所所長であるフィル・ジョーンズ氏ら本件の中心人物たちは「ここ英国にも情報公開法があると連中が嗅ぎつけたら、ファイルは渡すくらいなら消去する予定」などといったメールをやり取りし、都合の悪いデータが懐疑派に渡らないよう腐心していました。

彼らは自分たちのレポートで用いたグラフなどの元データやその解析方法の開示を拒み続け、データの解析過程を第三者が検証できないように画策するメールを交わしていたのです。つまり、どれほどインチキなデータ処理がなされ、結論に都合の良い集計がなされていても、チェックのしようがない出鱈目なレポートが大手を振って発表され、それが人為説の根拠の一部として扱われてきたということです。

スティーブ・マッキンタイア氏ら懐疑派の急先鋒たちはデータの扱いに間違いがないか確認したいと訴え、再三に渡ってジョーンズ氏らにどの観測ポイントの値を用いたのかといった元データとその解析方法について開示を求め、イギリスの情報公開法に則った請求を重ねてきました。が、煙に巻くような返答しか得られないという状態が何年も続いてきました。

マッキンタイア氏らが望んだように第三者がデータ処理を再現し、その妥当性を確認するのは科学分析の精度を維持するために不可欠なことです。逆に、どのようなデータをどのように処理したかも明らかにせず、結果だけを以て一方的な理屈をこねるのは似非科学そのものです。しかし、マッキンタイア氏らがしつこく情報開示を請求したことについて前回の調査委員長であるオックスバーグ卿は「迷惑行為に及んでいたかもしれない」と言ってのけました。

データを精査したいという当然の請求を「迷惑行為」といい、その開示を拒んできたジョーンズ氏らには問題がなかったとし、そのうえ、イギリス政府が2005年に導入した情報公開法の対象に大学の研究データなども組み入れたのは「不適切」だったというわけです。どのように曲解すればここまで酷い錯誤に陥ってしまうのでしょうか?

今回(3回目)の調査報告ではUEAの情報開示が不充分で「理にかなった情報要請」への対応は「役に立たず、身構えた」ものだったということを認めました。「適切な度合いの開示を怠るという一貫したパターン」があったことを報告書の中で批判していたのはそれなりに前進したといえるかも知れません。が、前回のオックスバーグ卿の「迷惑行為」発言に対する批判の集中を緩和するために譲歩した結果と見るのが妥当なところでしょう。

実際のところ、ジョーンズ氏らがマッキンタイア氏らを侮辱しながら情報開示を拒み続けてきたことが流出メールを追えば確認できます。また、マッキンタイア氏のように冷遇された人たちはUEAからの回答メールも引用しながらその顛末を自身のblogに綴っていたのですが、その記事と件の流出メールでやり取りされた内容がキレイに整合していますから、これも事実であることは疑いの余地がないでしょう。

彼らは学内の情報開示担当の専門職員と共に、どうすれば開示請求を退けることができるか、どの免責事由が利用できるかといった検討を重ねてきました。今回の報告では「開示を怠る」とされ、単なる怠慢であったかのように伝えていますが、実際には極めて積極的に開示拒否の方策を練っていたと見て間違いありません。(こうした経緯は次のエントリで紹介する本に詳しく書かれていますので、そこで改めて触れることにします。)

いずれにしても、UEAが発表したこれらの調査報告では全体として問題がなかったという結論を導いていますから、不正の隠蔽を全面的に支援する以外の何ものでもありません。要するに、UEAは外部の人間に調査させ、疑いが晴れたといいながら、実際には保身のために都合の良い結論を出させただけで、人選の段階から大いに問題があった何の役にも立たないゴミ同然の報告と見なして良いでしょう。

いま角界が野球賭博や暴力団絡みの騒動で袋叩きにされていますが、相撲協会がその調査委員会の委員長に大相撲の後援会関係者を選んだり、相撲協会を擁護するような発言をしたメディア関係者、元相撲協会職員などをメンバーに含めていたら当然のように中立性が疑われ、火に油を注ぐような状態になっていたでしょう。実際、暴力団へのチケット譲渡に関与したボクシングジムの最高顧問がこの調査委員の一人になっていたことがメディアに大きく報じられ、程なく解任される騒ぎになったくらい潔癖さが求められています。

クライメートゲート事件を巡ってはこうした疑義を押し潰してでも事を収めようとする雰囲気を感じます。その報告書をストレートに「報道資料」として垂れ流した環境省も(悪意の有無はともかく)彼らと同じ側にいると考えて差し支えないでしょう。

少なくとも、環境省はUEA側の「研究協力者の嫌疑が晴れたことが広く報道されることを望む」というコメントを載せておきながら、WSJが報じたように調査そのものにバイアスがかかっているのではないかという懸念は伝えない一方的なものです。ついでにいえば、この事件そのものや調査報告を殆ど黙殺した日本のメディアの多くも同じ側にいると見なせます。

こうして多数派が形成されると日本ではその空気に流されてしまいがちですが、多数派工作をしても真実を隠し通せるとは限りません。環境省もメディアもその辺を弁えて身の置き場を定めないと、いずれ大恥をかくことになるかも知れません。

(おしまい)

クライメートゲート事件を闇に葬ろうとする人々 (その1)

昨年11月、イギリスのイーストアングリア大学(以下UEA)のサーバーから電子メールほか諸々、合計3000点を超える電子ファイルが流出、その内容から地球温暖化問題の知見を形成する過程に重大な問題があったと疑われた事件、いわゆる「クライメートゲート事件」については当blogでも取り上げました。(関連記事『クライメートゲート事件は大山を崩すのか?』)

そのUEAへは当然のように疑いの目が各国(メディアが極めて小さな扱いでお茶を濁したゆえ殆どの国民に知られていない日本などは除くべきでしょう)から向けられ、彼らも事態を収拾させる必要に迫られました。そこで「独立レビュー組織」が設置され、外部の識者や科学者に調査を依頼したという体裁が整えられました。今月7日、その3回目の調査報告書が提出されましたが、前2回と同じく保身を目的とした自分たちに都合の良い結論を導いています。

今回の報告書でも事件の当事者たちについて「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」としていますから、これにはもう笑うしかありません。ま、この種の茶番劇などどこにでもあるハナシですし、そもそもUEAは都合の良いように情報を操作してきた独善的な組織です。建前上は外部に調査を依頼したことになっていますが、結局のところ都合良くバイアスをかけたということなのでしょう。私はハナから期待などしていませんでしたが。

この調査報告について日本のメディアは当然のように触れず、事件そのものを有耶無耶にしたいようです。大きな話題にならずに済んだところで、いまさら蒸し返す必要はないと判断したのでしょう。メディア自身が喧伝に荷担してきた人為的温暖化説がこの事件を詳しく扱うことで揺らぐのは望ましくないという意思が働いたといったところでしょうか。

一方、環境省はこの調査報告を報道資料として発表しましたので少しはマシかも知れませんが、結局はUEAの発したそれをただ垂れ流したに過ぎません。

平成22年7月8日
英国イーストアングリア大学により設置された独立レビュー組織による「クライメートゲート事件」レビュー結果の公表について(お知らせ)

 英国イーストアングリア大学(UEA)に設置された独立レビュー組織(The Independent Climate Change Email Review)により、7日、昨年11月に同大学の気候研究ユニット(CRU)から流出した電子メールから生じた問題に関するレビュー結果をまとめた報告書が公表されましたのでお知らせします。

 昨年11月、英国イーストアングリア大学(UEA)の気候研究ユニット(CRU)から流出した電子メールから生じた問題流出に端を発するいわゆる「クライメートゲート事件」が報道され、データの捏造、IPCC評価報告書の結論への不信感などが報じられました。
 同大学(UEA)は、ミューア・ラッセル卿(元グラスゴー大学学長)を中心としたチームによる独立レビュー組織(The Independent Climate Change Email Review)を設置し、同組織は本件に関するレビューを実施し、7日、そのレビュー結果をまとめた報告書が公表されました。
 本レビューは、CRUの科学者への疑惑について、
・「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない。」
・「IPCC評価報告書の結論を蝕むような行為のいかなる証拠も見出さなかった。」
 と結論づけ、また一方でデータ処理の透明性や情報公開請求への対応の改善などについての提言を行いました。

(後略)


UEAはこうした報告をもって潔白が証明されたと主張していますが、欧米メディアの反応は極めて冷ややかで、この独立レビュー組織の人選からして胡散臭いという声が上がっています。

特に2回目の調査で委員長を務めたロナルド・オックスバーグ卿は風力発電の強力な推進派だと指摘されていました。地球温暖化対策から利益を得る団体とのつながりもあって、中立な立場ではない人間が委員長を務めている事に疑義が示されていましたし、調査期間がわずか3週間に過ぎなかったことから拙速な結論ではないかと欧米のメディアには酷評されていました。

今般発表された3回目の調査結果に対してもウォールストリートジャーナルはバイアスがかかっているのではないかと疑う声を以下のように紹介しています。

当初から、今回の調査はバイアスがかかっているとの疑いが持たれていた。調査に参加していたネイチャー誌編集長フィリップ・キャンベル氏は2月に辞任した。その2カ月前のインタビューで同大の研究者の行為を擁護したために公平さが疑われたためだ。

 また、やはり調査に参加していた著名地質学者ジェフリー・ブルトン氏について、1986年まで18年にわたり同大で働いていたことを挙げて批判する声もある。ただ、同氏は、その後は仕事関連で大学と接触したことはないとしている。


そもそも、この事件では学術誌に圧力をかけるなどして人為説に対抗するような論文の発表を妨害しようとしたり、データの開示請求を如何にして拒むかといった相談が繰り返されてきたことが流出したメールによって明らかになっています。

また、IPCCの評価報告書に採用されるには、既に発表されている査読付き論文でなければならないという条件が課せられています。彼らは自分たちに向けられた異論に反駁する論文の完成が遅れ、IPCCが規定してる締め切りに間に合わないといった状況の中で条件をクリアさせるため、かなり強引な手段で裏工作を重ねてきたことも件の流出メールで明らかになっています。

これらのメールが本物であることはUEA自身も認めていますから、その時点で「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」などという結論には絶対になり得ず、この報告書にバイアスがかかっているのは明白です。

メールは本物でも書かれている内容が実はフィクションで、関係者たちが膨大な手間暇をかけて事実無根の空想物語をメールでやり取りしていたというならハナシは別です。が、メールに書かれた内容と実際の手続きのタイミングやその方法が符合しているのですから、これは動かしようのない事実です。それでいて「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」というのは、この調査報告をした人間に厳格さと誠実さが備わっていないということに他なりません。

(つづく)

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まとめ

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