酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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実在した「赤い彗星」 (その3)

赤い戦闘機といえば、第二次世界大戦にドイツ空軍が投入したメッサーシュミットMe163というロケット推進で飛行する単座戦闘機もマニアの間では知られる存在でしょう。

恐るべきはその上昇力で、連合国軍の高々度爆撃機が侵入してくる高度1万mまで僅か3分程で到達できました。ドイツの主力戦闘機だったメッサーシュミットBf109の場合、中期モデルであるBf109F-1で19分弱もかかっていました。アメリカのB-29がヨーロッパ戦線に投入されることを想定した高々度迎撃戦の切り札として大戦末期に配備されたフォッケウルフTa152Hでも11分以上かかっていましたから、レシプロ機とはまるで別次元です。

Me163は無尾翼機(水平尾翼がない飛行機)を研究するために試作されたモーターグライダーをベースとし、メタノールや抱水ヒドラジンなどを混合した液体燃料と酸化剤とを反応させるロケットエンジンを組み合わせたものです。が、実際に推力が得られるのはわずか8分間だけという非常に大きな足枷がありました。

また、この化学反応は非常に激しいゆえ危険度も高く、酸化剤である高濃度の過酸化水素は皮膚に付着すると腐食性薬傷を起こしてしまうため、パイロットやこれを扱うクルーたちは防護服を着用するという厄介なものでした。実際、爆発事故で殉職したパイロットもかなりいたようですし、過酸化水素をモロに浴びて半身が溶解したという悲惨な例もあったそうです。

同盟国だった日本にもこの技術情報がもたらされ、三菱重工がこれの国産化を期して「秋水」という戦闘機を試作していますが、初飛行で墜落事故を起こして大破、2号機もエンジンのテスト中に爆発事故を起こして計画は頓挫、実用化される前に終戦を迎えました。

オリジナルのドイツでは実戦投入され、公式には9機の敵機撃墜を記録しているそうです。が、今日のような誘導ミサイルを用いるのであればともかく、攻撃手段は機銃しかありませんでした。敵のレシプロ機との速度差が非常に大きく、弾を命中させるのも容易ではなかったようです。Me163はその速さが逆にアダとなっていたとする意見もあります。

また、絶望的に短い航続時間が連合国軍に悟られると、同機が配備された基地を迂回するルートから侵攻されるようになりました。こうして交戦機会を失ったことも手伝い、Me163は期待されたほどの活躍ができずに終わりました。述べ300~400機程度生産されたそうですが、戦果はそれに見合うものではなく、戦闘によるものより未成熟なロケットエンジンに因む事故で失われた機体のほうが多く、「第二次大戦中に咲いた徒花」といった誹りを受けても致し方ないでしょう。

しかし、Me163はダッソー・ミラージュⅢやコンベアF-102デルタダガーといったデルタ翼、コンコルドのオージー翼、果てはスペースシャトルのダブルデルタ翼など、無尾翼機の礎となりました。設計者アレクサンダー・リピッシュ博士はデルタ翼の提唱者でもあり、後に与えた技術的な影響力は決して小さくなかったでしょう。(戦後は鉄のカーテンで隔てられてしまいましたが、同様のアイデアはソ連のほうが早かったようですから、リピッシュ博士は西側における無尾翼機開発の功労者というべきかも知れませんが。)

また、Me163は水平飛行で1000km/h以上を記録し、音速までもう一歩というところまで迫ったという意味でも歴史に残る機体だったといえるでしょう。枢軸国は戦後しばらく航空機開発を禁止されましたが、もしこうした沙汰が下されなかったら、Me163ないしその改良機はアメリカのベルX-1より先に水平飛行で音速を突破していたかも知れません。

ちなみに、Me163は急降下時に音速を突破していたようですし(引き起こし時の荷重に耐えられず、空中分解で失われた機体もいくつかあったようですが)、1944年7月6日に新型エンジンを搭載したMe163B V18型がテストされたとき、水平飛行で音速に達していたという説もあります。戦時の極秘テストだったゆえ、公式に記録されなかったというありがちなハナシなので、事実か否かは解りません。が、もし事実だったとしたら、X-1が初めて音速を突破した1947年10月14日より3年3ヶ月早くMe163は音速の壁を破っていたということになります。

このMe163の運用開始は1943年ですが、先陣を切ったのはレシプロ機で94機、ジェット機(第二次大戦中に投入された世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262)で5機の撃墜スコアを持つエースパイロットだったヴォルフガング・シュペーテ少佐でした。整備兵は彼の武運を祈り、リヒトホーフェンにあやかって彼の乗機を真っ赤に塗り上げたそうです。

メッサーシュミットMe163_シュペーテ機
メッサーシュミットMe163(シュペーテ少佐機)
出撃時には正面図にあるような車輪を装備していますが、
離陸と共にこれを投棄し、身軽になって上昇していきます。
帰投する際には側面図のように機体下部をせり出させ、
これをソリとして草地などに着陸していました。
危険な燃料を扱うゆえ専用設備を必要としただけでなく、
高温のロケット噴射に耐える滑走路、着陸用の草地など
運用拠点には大きな縛りがありました。
連合国軍がこの機体の運用拠点を避けるようになっても、
容易に対応できなかったという点も戦果が振るわなかった
要因の一つと見て良いでしょう。


この真っ赤なMe163を見たシュペーテは唖然としたといいます。猛烈な上昇力と敵爆撃機の2倍くらいの速度で飛べる迎撃戦闘機とはいえ、必要以上に目立つのは望ましいことではなかったでしょう。わずか8分で燃料が尽きて推力を失うと、あとは滑空で帰投するしかありませんでした。その段階を狙われるとひとたまりもありませんから、できるだけ目立ちたくなかったでしょう。それでもシュペーテは真っ赤なMe163に搭乗して出撃したそうです。結局、彼はこの機体で撃墜記録を残せませんでしたが。

で、このMe163ですが、愛称は「コメート(komet)」といいます。英語でいえば「コメット(comet)」、日本語でいえば「彗星」です。赤く塗られたシュペーテのMe163は、実在した「赤い彗星」だったのです。レシプロ機の3倍を軽く超える圧倒的な上昇力で迫って来る真っ赤なロケット戦闘機に、連合国軍兵士は地球連邦軍兵士が抱いたような恐怖を感じたかも知れません。

(おしまい)
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実在した「赤い彗星」 (その2)

第一次世界大戦当時、というより空戦史全般を見渡して最も名高いエースパイロットというべきドイツ陸軍航空隊のマンフレート・フォン・リヒトホーフェンは貴族出身でした。現在はポーランド領となっているブレスラウ(ポーランド語読みではヴロツワフ)の男爵家に生まれたんですね。

当時の貴族階級は乗馬と狩猟を嗜み、騎士道を是とする風潮も根強く残っており、彼もそうした意識が非常に強かったようです。戦闘機パイロットとして活躍するようになると、その騎士道精神から部下の厚い信頼を得ただけでなく、敵国からも尊敬される英雄となっていきました。

現在はBVR戦闘(レーダーによる索敵と誘導ミサイルで攻撃する視認距離外戦闘)など珍しくもなく、IFF(敵味方識別装置)の装備など常識中の常識で、いわゆるロービジ(低視認性)塗装も当たり前となりました。国によっては目立つ塗装が規制されていることも多いため、部隊マークを色付きにするなど差別化する範囲は限られてしまった感じですが、かつては編隊長が目立つ識別色を機体の一部に用いるというパターンがよくありました。旧日本軍でも隊長機には赤や黄色、明るい空色といった目立つ色の識別帯などを施すケースがかなり頻繁にありました。

こうした識別色が用いられた理由は様々で、パイロットの自尊心に根ざすものだったり、敵に対する威嚇だったり、編隊を組む僚機に対して隊長機を識別しやすくすることで編隊行動の統率が得やすくなる効果を期待したケースもあったでしょう。特に無線機など搭載していなかった第一次大戦時、あるいは第二次大戦時でも旧日本軍みたいに無線機の性能や信頼性が著しく低い場合には有効だったと思います。

また、近接戦闘の間合いに入った敵に対しても隊長機は少し目を惹いたほうが良いとする考え方もありました。編隊長は当然のことながら高い操縦技術を持ち、豊富な経験を有する優秀なパイロットが務めるのが普通です。練度の高いパイロットは攻撃を受けても巧みな空戦機動でこれを回避する技術を持っていたりします。目立つことで囮になって攻撃を仕掛けさせ、それに集中するあまり隙が生じた敵機を僚機が撃墜するといった戦法に繋げることもできるわけです。

第一次世界大戦時のドイツではその識別色として主に赤が用いられていました(第二次大戦時のドイツは黄色が多かったようです)。当代随一のエースパイロットだったリヒトホーフェンの乗機は隊長機を表わす識別色の赤で全体が塗装されたゆえ非常に目立ち、ドイツ政府のプロパガンダにも利用されたといいます。そればかりでなく、敵国にも「赤い戦闘機乗り」として勇名を馳せていたんですね。

フォッカーDr.1_リヒトホーフェン機(復元機)
リヒトホーフェンが搭乗したフォッカーDr.1の復元機
強力な揚力を発生するこの三葉機はその分だけ高速性能で劣り、
クセが強くて乗りこなすのが難しかったといいます。
が、上昇力と旋回性能で圧倒、ラダー(方向舵)ペダルを踏み込むと
ほぼその場で機首を水平反転する180度キックターンも可能という
とんでもない機動力を有する機体だったといわれています。
それゆえ、リヒトホーフェンやエルンスト・ウーデットなど
第一次大戦時のドイツを代表するエースには好まれていたそうです。


ちなみに、リヒトホーフェンも父親に倣って男爵を名乗っていました(イギリス以外のヨーロッパでは正当な血を引く男子は断りなく爵位を世襲できたそうです)から、彼は「レッドバロン(赤い男爵)」とも呼ばれました。ヤマハオートセンターから転じ、全国でモーターサイクルの販売網を展開する株式会社レッドバロン社名はこのリヒトホーフェンの異名に因んでいます。

リヒトホーフェンの乗機が真っ赤に塗られた経緯についても諸説ありまして、よく言われるのは迷彩塗装を指示した軍の上層部に対し、「身を隠すのは卑怯で騎士道に背く」といった反発によるものとされます。映画『レッドバロン』ではその説を採用していますが、後世の創作である可能性もあります。彼が真っ赤な戦闘機に乗っていたのは史実ですが、その本当の理由はよく解りません。

また、機体全てが真っ赤だった期間はさほど長くなく、通常の塗装の一部を赤の隊長識別色に塗った機体に乗っていた期間のほうがずっと長かったようです。いずれにしても、「赤い戦闘機乗り」として敵味方関係なく英雄視された彼は伝説になったというわけですね。80機を撃墜した彼も26歳の若さで戦死しましたが、敵地で絶命した彼は敵であるイギリス軍によって最高の敬意を払われた葬儀がとり行われ、手厚く埋葬されたといいます。

『機動戦士ガンダム』で最も人気を博した登場人物の一人であるシャア・アズナブルの乗機が赤く塗られていたこととリヒトホーフェンの伝説とが直接関係しているのか偶然なのかは解りません。が、高貴な生まれであったり、部下からの信頼が厚かったり、敵にも勇名を馳せた随一のエースパイロットであったり、赤い機体以外にも共通点がいくつもあります。

そもそも、この作品は子供向けロボットアニメとしては前例のないリアルさで戦争を描き出していました。例えば、旧日本陸軍が強行した「インパール作戦」(参加将兵約8万6000の4割近くが餓死しました)のように補給を等閑にしたら戦争どころではないという事実は改めて述べるまでもありませんが、大人向けの実写映画でさえ見落とされがちな補給についてもこの作品ではキチンと描かれていました。

この物語はゲリラ掃討作戦からの帰還途中だったシャアが地球連邦軍のモビルスーツ開発とその運用母艦の建造を軸とした「V作戦」を捉えたところから始まります。偵察に差し向けた部下の独断専行で2機のザクを失いましたが、直後に補充を要請し、補給艦とのドッキングの様子まで描かれていました(TV版ではそのタイミングでホワイトベースが攻撃を仕掛けており、それまで防戦一方だった彼らにとって初めての積極的な攻撃として描かれました)。

また、主人公が所属していた戦艦ホワイトベースにも何度か輸送機が接触しています。敵制空権下にありながら、使命感の強い女性士官率いる補給部隊がこれを強行突破するという、決死の補給作戦も展開されていました。成り行きで現地徴用兵ばかりとなった急造部隊ながら、軍上層部はちゃんと戦績を評価し、その戦力維持に努めていたというわけですね。

よく「作戦と兵站(へいたん)は車の両輪」といわれますが、この作品でも補給は戦力の維持に不可欠なものであるという認識が色濃く反映されていました。こうした点を見ても作者は実際の戦争をよく研究し、そこから多くを学んでいたのではないかと思われます。なので、作者がリヒトホーフェンを知っていて当然だと思いますし、それを彷彿とさせる赤い機体も、もしかしたら偶然ではないかも知れません。

(つづく)

実在した「赤い彗星」 (その1)

最初にお断りしておきますが、今回の連載は少々他愛のない話題になります。知人との雑談の流れで何となく触れたら案外好評だったので、纏めてみることにしました。「赤い彗星」が何のことか解らない方が読んでも多分面白くないと思いますので、そういう方はスキップされたほうが良いでしょう(連載は3回を予定しています)。いえ、「赤い彗星」を知っている方が読んでも面白いと感じるかどうか、個人差は非常に大きいと思いますが。

では、本題に入りましょうか。

私の小学生時代にもいくつかのブームがありましたが、いまでも引きずっているという意味ではスーパーカーブームとガンダムブームの影響が私にとっては特に大きかったかも知れません。保育園児のころからクルマ好きだった私にとってスーパーカーはまさに「究極」で、職場のデスクにもミニチャンプス製1/43スケールのランボルギーニ・カウンタックを飾っているほどです。一方、『機動戦士ガンダム』には数多くの名台詞があり、それを引用したり真似た言い回しはいまでもアチコチで見られますが、当blogでも何度か用いたことがあります。

私の場合、大人になってから再びDVDなどでこの『機動戦士ガンダム』という作品を振り返ってみると、知識の乏しかった子供の頃には全く理解できなかった高度な内容が盛り込まれていることに気付き、改めて感心することがあります。特に舞台設定に関しては下手な大人向けのSF映画よりずっと丁寧に作り込まれているのではないかとさえ思います。

それまで戦闘ロボットもののアニメは単純な勧善懲悪というパターンが多く、巨大ロボットを開発・製作して運用する正義の味方も悪の集団も、「何処からどういうカネが出ているのか?」ということさえ不明瞭なケースが多く、とりあえず正義のロボットが悪のロボットを必殺の武器なり攻撃方法なりで破壊するというのがお約束でした。

が、『機動戦士ガンダム』で用いられたロボットは兵器であり(運用形態からすると戦闘機に近いでしょうか?)、そのコストは当然軍事費で賄われています。舞台設定も非常に凝っており、プリンストン大学のジェラルド・K・オニール教授らが提唱したスペースコロニーをモデルとして、なかなかリアリティがある世界観で描かれていました。

地球と月の重力場が遠心力と拮抗する「ラグランジュポイント」にスペースコロニーを配置すると、軌道修正の頻度が少なくて済むというメリットが生まれます。本作ではこうしたオニール氏のアイデアを拝借していたわけですが、地球から最も遠い月の裏側にあるラグランジュポイントに置かれたコロニー群の宇宙移民者が地球連邦からの独立を求めて戦争を起こすというプロットは子供向けアニメとは思えない本格的なものだったと思います。

ラグランジュポイント
ラグランジュポイント
『機動戦士ガンダム』では地球と月がなす5箇所のラグランジュポイントに
スペースコロニー群を配置するという設定になっています。
L1が一年戦争の緒戦となるルウム戦役で壊滅したサイド5、
L2がジオン公国を名乗り独立戦争を仕掛けてきたサイド3、
L3がジオン公国から最も遠いゆえ「V作戦」が遂行されたサイド7、
L4がサイド2および開戦後間もなく中立宣言したサイド6、
L5がジオンの要塞ソロモンが置かれたサイド1およびサイド4です。
(この設定はいずれも一年戦争時のものです。)


オニール氏が提唱したプランはより安定した均衡点であるL4とL5にスペースコロニーを配置するというもので、『機動戦士ガンダム』の世界で描かれた5箇所に分散させるというものではありませんでした。が、より安定しているL4とL5に各々2つのサイドを設けたというのは合理的といえるでしょう。また、月の陰にあって地球から監視しにくいコロニー群「サイド3」が極秘裏に軍備を進め、独立戦争を仕掛けるといったストーリーに繋げるためにも、本作で採用された設定は巧妙だったと思います。

細かいところでは疑問に感じる点も多々あります。例えば、ジオン公国は一年戦争の口火を切る先制攻撃としてサイド2のコロニーを地球へ落下させる「コロニー落し」を敢行しました。いわゆる「ブリティッシュ作戦」ですね。しかし、上述のようにサイド2があるL4付近はより安定した均衡点であるため、サイド5があるL1付近より軌道を逸脱させるのにずっと大きなエネルギーが必要になります。

こうした点で合理性を求めるなら、最初に狙うべきなのはサイド5だったように思います(サイド7はジオンから遠いですし)。サイド5を狙えない理由はなく、実際、コロニー落しの第二弾はサイド5がターゲットになりました。ジオン軍が核パルスエンジンを装着している途中で地球連邦軍との交戦が始まったわけですが、この攻防戦がいわゆる「ルウム戦役」です。

結局、サイド5のコロニーを地球への落下軌道に投入することすらできませんでしたが、『機動戦士ガンダム MS IGLOO -1年戦争秘録-』第1話「大蛇はルウムに消えた」によれば、初のモビルスーツによる艦隊攻撃を敢行するため、コロニー落しの情報がリークされたという筋書きになっていました。なので、このときは本気で落とす気などなく、地球連邦軍の宇宙艦隊をおびき寄せるための疑似餌だったのかも知れません。

ブリティッシュ作戦の本来の目的は地球連邦軍の総司令部がある南米ジャブローにコロニーを落下させ、その壊滅を期したものでした。が、落下軌道に投入されたサイド2のコロニーは地球連邦軍の猛攻によって大気圏突入40分前の段階で破壊され、破片がアチコチに大きな被害をもたらしたものの、所期の目的を果たすことはできませんでした。

上述のように、サイド5のあるL1のほうが地球への落下軌道に投入するのが容易で、同じ出力のエンジンならより速度を稼げたハズですし、地球との距離も近いですから、作戦成功の可能性もずっと高かったのではないかと想像されます。もっとも、つまらない判断ミスや行き違いで最善策を選択しなかったというハナシは現実の戦争でもかなり頻繁にあることです。全ての筋書きがパーフェクトであるより、このようなつまずきがあったほうがリアルと言われればそうかも知れませんが。

もう一つ気になったポイントを挙げるとしたら、サイド6の立場でしょうか。ジオン公国は地球連邦からの独立を求めていたのに認められず、それゆえ戦争に至ったわけですが、サイド6は開戦後間もなく中立を宣言しました。この宣言を以てサイド6は地球連邦に対しても原則として戦争協力を拒否、自衛軍を保有し、領空内で戦闘行為が行われれば高額の罰金を徴収するという規定を地球連邦軍にも遵守させていました。これはサイド6が地球連邦に従属する立場ではなくなっていたということを意味します。

しかも、主人公たちがサイド6に立ち寄った際、食糧の調達に当たって「お金は両替してもらったの?」という台詞が出てきます。つまり、サイド6は独自通貨を発行していたということですね。こうした状況を鑑みれば、サイド6は事実上の独立を果たしてしまったということになります。戦争のドサクサで上手いこと立ち回ったのかも知れませんが、これでは同じ宇宙移民者であるジオンの人たちも納得がいかなかったに違いありません。

他にも難癖を付けられるポイントは色々あります。そもそも「あのような人型ロボットが兵器として最適な形態といえるのか?」という疑問をぶつけたら身も蓋もないでしょう。そういう無粋なハナシはともかく、この作品は私にとって考察に値する作品といえるわけで、そういう意味でも従来の子供向けアニメとは一線を画しているといえます。

この作品は主人公もまたありがちな正義に燃える熱血漢とは路線が異なっていました。パイロットとしての自覚が芽生える以前は内向的で未熟さも目立つ機械オタクの少年といったキャラクターで、従来のヒーロー像とはむしろ対照的でした。ここから圧倒的な能力を持つに至る彼の成長ぶりも本作の見所の一つというわけですね。

主人公が自分探しをやっている間にも至ってクールでミステリアスな大人の男性として描かれていたライバルのほうがむしろ人気を博していたように思います。そのライバルには作者のシャンソン好きという趣味から、アルメニア系フランス人のシャンソン歌手シャルル・アズナヴールをもじった名が与えられました。

彼が搭乗した機体の多くは赤く塗られていましたが、それはアニメの制作上の都合でガンダムの白と対比するためといわれています。が、ガンダムは白といっても頭部と腕と下半身くらいで、目立つ胸部は青ですし、腹部や脚底部は赤ですし、大きな面積を占める盾も赤が主体でしたから、トリコロールといったほうが相応しいくらいです。また、ガンダムの僚機であるガンキャノンなどは頭部や手足以外の殆どが赤く、丸かぶりでした(ま、コチラと絡むことは殆どありませんでしたけど)。

彼の機体色が赤だったことについては諸説ありまして、中にはこの物語の中に登場する「ミノフスキー粒子」という架空の電磁波攪乱物質が特定の波長域の可視光も妨げるとし、実はその特定の波長域というのが赤で、むしろカムフラージュを狙ったものという突飛な俗説もあります。また、第一次世界大戦で活躍した実在のエースパイロットをモデルにしたのではないかという説もあります。

(つづく)

橋田さん、考証がちょっと甘かったね。

TBSが開局60周年の記念番組として5夜連続で『99年の愛 ~JAPANESE AMERICANS~』というドラマを放送していますね。私はさほど興味がなかったので1話目はザッピングしながら適当に流し、イモトアヤコさんの芝居で「やっぱりコントくらいしか経験がないとこんなものか」と思いつつ「でも、泉ピン子に役を引き継ぐには顔のつくりからするとまぁまぁのキャスティングかな?」などと納得し、適当なところで切り上げ、溜まっているCSのドキュメンタリー番組のビデオを見ることにしました。

昨日もザッピングしていると一つの山場となりそうな太平洋戦争突入間近というところに当たりました。「さすがに真珠湾の戦闘シーンはないだろうな」と思いつつ、しばらく見てしまいました。というのも、不謹慎なのは承知していますが、私は戦闘機による空中戦に少し興味があり(殊に誘導ミサイルなどない時代の空中戦は機銃の射線に敵機を捕捉する必要から空戦機動の重要度がより高く、操縦技術という点で非常に興味深くなってくるからです)、ついついそうしたシーンを期待してしまうんですね。

案の定、そういう主題のドラマではないので、私が期待したような戦闘シーンは当然のようにありませんでした。もっとも、真珠湾攻撃で迎撃に上がれた米軍戦闘機の数はあまり多くなく、それもカーチスP-36やP-40といったさほど性能の良くない機体でした。しかも、実戦経験がなかった米軍パイロットに対して日本は1937年から4年半近く中国と戦争をやっていて、非常に経験豊富なパイロットがあのゼロ戦を飛ばしていました。実際、このときは殆ど勝負にならなかったそうで、あまり見所もなかったでしょう。

それはともかく、この2話目で草剛さんが演じる日系2世の平松一郎という大学生が、日本がアメリカに攻撃を仕掛けたと学校で噂になっているというようなセリフを言いながら駆け戻ってくるシーンがありました。それを見た私は「橋田さん(脚本を担当した橋田壽賀子さん)、やっちゃったね」と思いましたね。

真珠湾攻撃の第一波は1941年12月、日本時間では8日の午前3時くらい、現地時間では7日の午前8時くらいでした。彼らがいたシアトルはハワイと3時間の時差がありますから、午前11時くらいだったでしょう。なので、真珠湾が攻撃されたことが彼らに伝わる時間的な設定に特段の無理はなかったと思います。が、問題なのは曜日です。

本作では真珠湾攻撃の日を「1941年12月7日」と現地時間で表示したところまでは良かったと思いますが、曜日まで気が回らなかったのはやっぱり考証が足りなかったと言わざるを得ないでしょう。私も太平洋戦争についてそれほど詳しいとは思っていません(クルマやカメラや自転車などの知識に比べたら全然でしょう)が、真珠湾攻撃を綴った本やドキュメンタリー番組などは幾つか見ており、1941年12月7日が日曜日だったことくらいは当然のように知っていました。

あのシーンは別に学校から駆け戻ってくるといった展開でなくてもストーリーに支障などなかったでしょう。教会に行っていたとか、あるいは街まで買い物に行っていたとか、そういうシチュエーションでも全く問題なかったと思います。

気にならない人にとっては重箱の隅をつつくようなハナシかも知れません。が、真珠湾攻撃はあえて現地時間で日曜日の朝、休日で気が緩んでいたであろうタイミングを狙ったのです。こうした戦術上のポイントは、この戦いについて少し囓っただけでも知らないわけがありません。逆に、この程度のことも知らないということは、真珠湾攻撃について殆ど何も知らないということになると思います。

もう少し詳しくなってくると、何故「夜討ち」ではなく「朝駈け」になったのか、それもまだ人々が寝静まっているような早朝ではなく、午前8時頃になったのかも見当が付くようになるでしょう。いずれにしても、あれだけカネをかけて制作しているドラマですから、関係するスタッフなどの数も少なくなかったでしょう。どうして誰も「この日は日曜日だから学校は休みだったハズで、この筋書きは変だ」と気付かなかったんでしょうか?

さらに個人的な印象で言わせて頂くと、彼の2人の妹が日本に帰され、引き取り先が沖縄と広島に分かれてしまったという展開にも引いてしまいましたね。これはどう考えても凄惨を極めた沖縄戦や原爆投下にストーリーを絡めようとしているとしか思えません。「橋田さん、それはちょっとあざとすぎるのでは?」と思ってしまいましたね。(現段階では本当にそうした展開になるか解りませんが、たぶん間違いないでしょう。)

戦争によって人生が翻弄される人物を描いた作品はステレオタイプになりがちで、殊に太平洋戦争を時代背景として日本で制作された作品には焼き直しも多いように感じます。近年はCGやデジタル合成などを駆使して映像そのものは凝っていても、肝心の中身は旧態依然の歴史認識のまま進歩がなかったりします。そうした中で本作のように在米邦人を取り上げたのは比較的珍しいケースになると思います。

が、この戦争について日頃から興味を持って勉強してきた人が数多あるエピソードの中でも選りすぐりのそれを下敷きにして丹念に作り込んだという雰囲気を感じることはできません。「太平洋戦争で翻弄された在米邦人のドラマを描くためにちょっと関係資料を読んで纏めてみました」といった付け焼き刃的な印象が拭えません。橋田壽賀子さんといえば開戦時は大阪に住む16歳の女学生でした。それなりの体験はしていると思われるだけにちょっと残念ですね。

ま、このドラマについて途切れ途切れでしか見ていない私が言うのは適当じゃないかも知れませんし、5話完結で2話目までしか放送されていない段階で拙速かも知れませんが、かつて「ドラマのTBS」といわれたテレビ局の60周年で制作されたドラマにしては、あまり厚みを感じさせるような出来ではない気がします。(あくまでも個人的な感想です。)

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まとめ

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