酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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かくして流言蜚語は横行する (その4)

あの大地震そして原発事故の発生から3ヶ月半経ちました。最近はメディアも世間一般も冷静になってきたというより、食傷気味になってきたというのが私の個人的な印象です。元バブコック日立の田中氏は前述した圧力容器の歪み修正問題のとき、東電関係者のみならず政府も真相究明より騒動の収束を優先させたと嘆いていました。今般は逆に解決までの明確な目処が立たず、長い時間がかかっていることで原発事故そのものも放射性物質の漏洩も日常のことになってしまい、次第に感覚が麻痺していくことが懸念されます。

さて、これまでも何度か触れてきましたように、5大紙のうち、産経、読売、日経の3紙は明確に原発推進論へ傾倒していました。今回の事故は彼らの主張にとって大きな障害となり、その甘い認識を露呈することにもなりました。安全神話を信じてきた(神話を創作する片棒を担いできた?)論説委員たちも相応に苦い思いをしていることでしょう。ま、リアクションは各紙各様ですが。

日経は以前に比べるとややトーンを下げたように感じます。同紙は昨年メキシコ湾でBPが起こした海底油田事故に対し、低炭素社会を目指す教訓だと述べていました。今回の原発事故は誰がどう見てもあの油田事故と比較にならない惨憺たる有様ですから、それでも原発推進論を高らかに唱えれば明らかなダブルスタンダードになります。さすがに冷却期間が必要だと考えているのかも知れません。

産経は全く態度を変えておらず、むしろ失地回復に躍起という風にも見えます。浜岡原発の停止措置について書かれた5月13日付の主張では特に顕著で、「"脱原発"に流されるな」との中見出しを掲げ、「脱原発に進めば、アジアでの日本の地盤沈下は決定的となる」などという、これまた凄い極論を展開しています。

一方、朝日はリベラル系らしく原発に対して消極的で、チェルノブイリ以降はヨーロッパ諸国のモラトリアムを参考にすべきといったスタンスでした。近年は地球温暖化対策として容認に転じ、「当面の間は、安全性に配慮しつつ今ある原発を活用せざるをえない」という意向を示すようになっていました。しかしながら、今回の事故で原発への依存を窘める姿勢を示し始めました。

5月12日付の社説では「02年の東京電力によるトラブル隠し、07年の新潟県中越沖地震、そして今回と、この10年間に日本で3度起きた電力供給危機は、いずれも原発が原因で、むしろ安定供給の弱点になってきたことがわかる」と、彼らにしては珍しく鋭い指摘をしています。ただし、5月22日付の社説『北欧が示す未来図―自然エネルギー社会へ』ではいつもの自然エネルギー崇拝に傾倒していますから、大した進歩があったわけでもありません。

2002年の東電によるトラブル隠しについてザッと補足しておきましょうか。彼らは福島第一、第二、柏崎刈羽で発生したシュラウド(圧力容器内の隔壁)のひび割れなど、不具合に関する情報を改竄、違法修理の発覚を恐れて隠蔽を図りました。が、この点検に関わったGEグループのアメリカ人技術者による内部告発によって白日の下にさらされ、この不正を質す調査のために順次停止させることになったわけです。

翌2003年の4月15日までに東電が保有する原発17基全てが停止され、調査が行われました。電力需要のピークとなる夏場までに再起動できたのは僅か4基にとどまり、そうした情勢から大規模停電が懸念されたわけですね。(現在、東電の原発で運転中なのは柏崎刈羽の4基(1・5・6・7号機)ですから、数だけで見ればあのときと同じです。)

原発を廃止すれば日本経済は地盤沈下するなどという産経新聞の弁は極論というより暴論というべきかも知れません。確かに、エネルギーコストが経済に与える影響は相応にあるでしょうが、原発のコスト算出には不透明なことだらけで、矛盾が山積しているという実態は少しでも調べた経験がある人ならば誰でも気付いているでしょう。実際、各国の電気料金を比べてみても、原子力による発電比率と比例しているわけではありません。

電気料金の国際比較
このグラフはドル建ての比較で為替レートの影響を受けており、
その点についても考慮する必要がありそうです。
例えば、韓国の電気料金は非常に安くなっていますが、
韓国の自動車や電気製品などが高い価格競争力を持っているのと同様、
猛烈なウォン安の影響も含めて考える必要があるでしょう。


原子力に8割近くを依存するフランスと、2割程度のアメリカを比べても大した差があるようには見えません。一方、ドイツは石炭火力が5割弱、原子力が2割程度でアメリカとよく似た比率ながら、ご覧のように大きな差があります。これはコストに影響する要素が他にもあり、原子力の比率が支配的に作用するものではないということを示していると見るべきです。むしろ、炭素税などの課税が厳しい国ほど電気料金にもその影響が出ているといった相関のほうが顕著かと思います。

日本国内の電気料金を見ても同じようなことがいえます。関西電力は日本で最も原子力による発電比率が高く、約48%に達しています(福井県の承認が得られずに定期点検後の再起動ができない現状から関西電力でも電力不足が懸念されていますが、この高い比率と無関係ではないでしょう)。しかし、同社の料金を他社と比べても大差なく、原発を1基も持っていない沖縄電力と比べても概ね15%程度の差にとどまっています。

ご存じのように、沖縄は多数の島に分断されているうえ、関西圏に比べれば産業規模も桁違いに小さく、効率面でかなりの悪条件が重なっています。こうした不利を斟酌すれば沖縄の料金が高めになってしまうのは当然のことで、推進派が言い張るような「原子力の比率が下がると電力供給コストの上昇に直結する」といった理屈が成り立っているようには見えなくなります。

また、日本には発電方法を問わず、販売した電気に対して一定の割合で「電源開発促進税」が課せられ、その一部はいわゆる「電源三法交付金」として分配されています。朝日新聞によれば、2004年の交付総額は約824億円だったそうで、福島第一/第二がある福島県へ約130億円、柏崎刈羽がある新潟県へ約121億円、敦賀/美浜/大飯/高浜がある福井県へ約113億円、六ヶ所村核燃料再処理施設などがある青森県へ約89億円交付されたとのことです。47都道府県のうちこの4県だけで約453億円、全体の約55%を占めているというわけです。

そもそもはオイルショックを契機とし、火力への依存を抑える電源開発を目的としてつくられた法律に基づく交付金ですから、火力発電所を抱えるのみでは分配されるわけがないのでしょう。が、原発や原子力関連施設を抱える自治体へ重点的に分配されているのは明らかで、誰がどう見ても圧倒的に優遇されています。常識的に考えて、この交付金は原発などを受け容れさせるための懐柔策(いわゆる迷惑料)として機能している部分が大きいと捉えるべきでしょう。

原発が本当に低コストだというのなら、その分だけ課税を大きく設定し、こうした交付金の負担比率を高めてしかるべきです。実際の分配比率を考えれば尚更そうあるべきでしょう。しかし、実質的には他の発電方法による電力販売から徴収された税金も原発の立地を支える一翼を担っているという、非常に矛盾した構造になっているわけです。

矛盾といえば、福島第一原発の古い原子炉を延命させようとした点からも、それは強く感じられます。この連載の「その2」でも触れましたが、東電は設計寿命が40年とされている原子炉を60年使う方向で様々な理由付けを行っていました。これは主要なインフラの建設と解体処分にかかるコストの償却期間を1.5倍延長するということと同義です。低コストなハズなのに、何故このように設備投資をケチる必要があるのでしょう?

先日、関西電力の八木社長は京都府と滋賀県へ足を運び、両知事に節電の協力を要請したそうです。このとき滋賀県の嘉田知事から「老朽化している美浜原発1号機はできるだけ早く卒業してほしい」と求められましたが、八木社長は「高経年化で福島第1原発事故が起きたと思っていない」とその場で拒否する姿勢を示しています。美浜原発1号機の運転開始は1970年ですから、これも設計寿命の40年を超えています。

推進派たちはライフサイクルコストでも原発は安価だと言い張ってきました。それならば姑息な延命などせず、とっとと新型に切り替えて然るべきです。設計年次の新しい原子炉のほうが安全性、エネルギー効率とも優れ、機器の補修や交換などの作業性もより熟慮されているゆえ稼働率の向上も期待できるとされています。政府も自動車や家電ごときに買い替えを促す制度を実施するくらいなら、古い原発の延命など認めず、これこそ新しくさせるべきでしょう。が、電力会社は一様にこれを渋り、政府もそれを認めています。何故こんな出鱈目なことになってしまうのでしょう?

ちなみに、フランスのアレバ社が「第三世代プラス」と称しているEPR(欧州型加圧水型炉)だったら「福島のような事故にも耐えられただろう」と同社のリュック・ウルセルCOO(次期CEOが決定している人物)は述べています。最新のEPRは航空機の衝突や洪水にも耐え得る2つの建屋に分散して6基の自家発電装置を備え、水素爆発を防ぐ「水素再結合装置」を設けているなど、最新の安全策を講じているのがその理由だそうです。ま、原発事故の多くが「想定外」で起こっていますから、個別の事例はともかく、総論としてこれで万全といえるかどうかは別問題でしょうけど。

当blogでは度々触れてきたことですが、日本の原発は常に一定の出力で運転されています。それは、原子炉に対して日常的に温度変化を与えると、そのストレスが安全率を狭めるとの認識からです。これでは電力需要の変動を吸収できませんから、他の発電方法に頼っても調整しきれない余剰電力については受け皿が必要になります。現在、その殆どは揚水発電に依存しています。これはオフピークの余剰電力で下池から上池へ水を汲み上げ、電力需要の上昇に合わせて上池から下池へ水を流して発電するというもので、約30%の損失があるといわれています。

火力や水力は出力調整が可能ですから、電力需給のバランスを取るために揚水発電のようなエネルギーストレージがなくても単体で機能させられます。が、現在の日本において原発はそのような運用ができません。日本の電力供給システムを総合的に考えるとき、原発の機能的な問題を補完するために揚水発電は不可欠な存在といっても過言ではありません。

こうした実情がありながら、世間一般に扱われる原発のコストには揚水発電にかかるそれが算入されていません。私の感覚で言わせて頂けば、これも都合の悪い数字を無視した誤魔化しと見なせます。立命館大学の大島堅一教授も同様に考えているようで、財政支出を含む総計値として「原発+揚水発電」のコストを12.23円/kWh、火力発電を9.9円/kWhと推計しています。(余談になりますが、今夏は電力が不足するという東電の試算でも当初は何故か揚水発電が除外されており、こうした情報操作を批判しているメディアもあります。)

電源別発電コスト
電源別発電コスト(円/kWh)
(1)電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(2004年1月23日)
設備規模、設備利用率、運転年数に想定値が置かれている。割引率3%で試算。
(2)大島堅一『再生可能エネルギーの政治経済学』東洋経済新報社(2010年)


総合資源エネルギー調査会のデータも立命館の大島教授のそれも推計ですから、どこまで現実に見合った計算ができているのか私には解りません。が、これまで莫迦の一つ覚えのように「原発は低コスト」と唱えてきた人たちがいくつもの点で誤魔化しを重ねてきたのは間違いありません。計算する人によって結果が大きく違ってくるというところでも原発のコストは正確に把握されていないと理解すべきでしょう。こうした部分も徹底的に洗い直す必要を感じます。

さらに、原発のコストについて私が特に大きな疑念を抱いてきたのは廃棄物処理にかかるそれで、適切な計算ができているとはとても思えません。というのも、処分しなければならない高レベル放射性廃棄物は現在のところただ保管されているに過ぎないからです。最終的には地下深く埋める「地層処分」になりますが、何処へ処分するかさえ決まっていません。つまり、受け容れ先を懐柔するためにどれだけのカネを積む必要があるのかということも定かではないということです。

しかも、その放射性物質には半減期が数千~1万年を超えるものもあり、そんな長大な時間単位で安全性を保証する見積りなど精密にできるわけがありません。例えば、日本では「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」で地層処分の記録を経済産業大臣が永久保存すると定められています。こうした情報管理も「永久」というからには精密なコストの見積りなど不可能です。

放射性廃棄物の処分全般を通じたコストについて様々な文献を当たってみましたが、曖昧な部分が非常に多く、この点に何の疑問も感じていない人は全くの無知か盲目的な原発推進論者以外いないでしょう。ま、いまとなってはコスト云々以前に、これを受け容れる場所を探すこと自体が非常に困難になったと思います。

ついでに言わせて頂くと、私はこの事故の前から原発について慎重派というスタンスで、安全性に対して全く楽観していませんでした。それは発電所そのものの安全性よりも「地層処分」という処理方法に関する疑念を払拭できないことのほうが大きかったというのが正直なところです。(なので、私も今回の事故では考えを改めなければいけないと思わされた一人です。)

日本でも地層処分は既に法制化され、NUMOなどは既に確立された技術かと勘違いさせるようなプロパガンダを繰り返してきました。が、法的手続で先行してきたアメリカでさえ、まだ実施されていない未知の分野です。盛んに安全性が唱えられてはいますが、いまのところ何も経験していない机上論の段階ですから、どんな落とし穴が待っているか解ったものではありません。これまで同様に安全性が強調されてきた原発のそれは根拠が極めて脆弱であったことが証明されたばかりです。今後の議論ではこうした廃棄物処理の問題についても徹底的に追求しなければなりません。

先に触れましたように、日経はメキシコ湾の油田事故を社説で取り上げていましたが、低炭素社会を目指す理由の一つにこう書かれていました。「今後、海底油田に対する規制の強化が進み、開発費が増えるのは避けられない。安い値段で得られる石油は、長期的に少なくなる。」こうした見解そのものは正しいと思います。同様に、今回の原発事故も原発のコストを押し上げることに繋がると考えるべきでしょう。

「原発を止めればその分を火力で補う必要があり、その燃料代はどれくらいになる」という理屈もまた、様々な要素を全て無視し、ごく一部分を抜き出した情報に過ぎないというのが私の見解です。今般ような重大事故が起これば、その賠償に莫大なコストがかかってしまうということも従来は一切考慮されてきませんでした。こうしてみれば、産経の「脱原発に進めば、アジアでの日本の地盤沈下は決定的となる」という短絡した主張には流言蜚語と何の差異も認められません。

もちろん、全ての原発を速やかに廃止しろという要求も現時点ではあまり現実的とは思えません。が、今後は日本でもその是非論を避けて通ることができなくなったと見て間違いありません。そして、私の親戚を含む福島第一原発の近隣住民がどのような目に遭わされたか、農業や漁業などにどれだけ広範囲の損害を与えたか、こうした経験を忘れることさえなければ、日本国内に新たな原発を誘致することはほぼ不可能になったといっても過言ではないでしょう。

(つづく)
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まとめ

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