(前略)
ただ、ひとつ解せないのは、2004年頃から、何故、脱輪事故が多くなったのでしょう。車両がデリケートになったのでしょうか?
私の印象としましても、以前はこれほど多く車輪脱落事故があったように感じませんでした。言われてみれば確かにその通りで、奇妙なことのように思います。そこで、この件について詳しく検討してみることにしました。ただ、どうしても専門的な内容が避けられない部分もありますので、一般の方は適当に読み飛ばして下さい。
「ハブボルト折損は不可避なのか (その2)」でも書きましたが、私が某トラックメーカーの技術の方と話をしたとき、やはり製造者サイドは日本のトラック業界の整備品質が決して高いレベルにないことを見越していると悟りました。バス業界ではきちんと自社整備する業者が多いため、日本でもISO方式の10穴ホイールが既に導入されていますが、トラックは未だJIS方式の8穴ないし6穴ホイールが殆どなのもそのせいだということですね。
JIS方式とISO方式の違いは下図の通りになります。

特に大きく異なるのはナットの座面とそれを受けるホイールの構造で、JIS方式が球座面となっているのに対し、ISO方式は平座面になっているところです。ついでながら、後輪のダブルタイヤに関してはISO方式がひとつのナットで共締めするのに対し、JIS方式はインナーナットで内側のホイールをアウターナットで外側のホイールを個別に締めるという点、ホイールのセンタリングについても異なります。が、その辺は今回の内容とは直接関係ないでしょうから、特に言及しません。
平座面であるISO方式の場合、取付け時に座面の管理(異物を噛み込んだり傷や変形などの異常がないか確認するなど)が球座面のJIS方式よりもシビアになるそうです。
また、日本のトラックの整備現場では「強く締めたほうが緩みにくくなって安全」という認識が未だに根強く、メーカーの指定トルクを無視して過締めする傾向があります。が、球座面のJIS方式に対して平座面のISO方式のほうが同じ締め付けトルクでも軸力が出るため、こうしたオーバートルクには却って耐久性の面で厳しくなると見られています。
日本のトラックメーカーは国際化の波に乗り遅れないよう、ISO方式へ移行したいと思いつつ、しかし現場の整備品質を憂慮してなかなかそれに踏み切れないというのが実態のようなんですね。以前にも述べたようにJIS方式は左側を逆ネジとし、制動時にかかるトルクをナットが締る方向に作用させるという点もありますが、JIS方式よりデリケートな扱いが求められるISO方式は日本のマーケットに馴染まないのではないかという懸念も大きいようです。
仮に日本のトラックにもよりデリケートな扱いが求められるISO方式が導入され、その直後から車輪脱落事故が多発するようになったという状況だったとすれば、ハナシも明解でした。しかしながら、実際にはメーカー自身がこの旧態依然のマーケットをどう扱うべきか悩んでいるフシがあり、ISO方式の導入には消極的です。こうしてみますと、2004年以降から突然ハブボルト周りがデリケートになったとは考えにくいのではないでしょうか?
ということは、事故が増えたという印象のほうが実態に即していないと考えるべきかも知れません。そこで、具体的なデータを調べてみましたら、国土交通省による「大型車のホイール・ボルト折損による車輪脱落事故のデータ」(←リンク先はPDFです)というものがありました。一部抜粋してみます。

ご覧のように平成11~15年までの5年間で34件だったのに対し、平成16年が71件、17年が69件、18年が47件と激増しています。それまでは年平均6.8件だったものが2004年を境に62件強へ突然10倍近くも増えているということは、事故件数が10倍近くに跳ね上がったというより、データそのものに問題があると考えるべきでしょう。
実際、上に抜粋したグラフのすぐ脇にこのような注意書きがありました。
(注)平成16年3月以降、事故件数が増加したのは、車輪脱落等により運行できなくなった事故について報告を徹底する通達を発したことによるものと思われる。また、平成17年2月には、自動車事故報告規則を改正し、車輪脱落を含む車両故障により運行できなくなった事故について報告の義務化を行った。
要するに、2004年(平成16年)2月に北海道で起きた死亡事故が契機となって、それまであまり顧みられることのなかったハブボルト折損による車輪脱落事故について積極的に情報を収集するようになったということですね。事故があった2月の翌月から事故件数が跳ね上がったのも、こうした理由によるものと考えてまず間違いないでしょう。
報道に関しても全く同様で、それまで看過されてきた事故がきちんとチェックされるようになったことから、事故数が増えたような印象につながっていっただけで、実態は全く変化していない可能性が高いのではないかというのが私の読みです。
こうしたパターンはよくあることで、例えば三菱ふそうのトラクタのハブが割れ、死亡事故に至った例の一件も、その直後から大衆メディアによる三菱バッシングが展開され、三菱車の車両火災が相次いで報道されるようになりました。この騒動については松永和紀著『メディア・バイアス-あやしい健康情報とニセ科学』や、Wikipediaの「偏向報道」の項でも「偏向報道とされる主な例」として紹介されるなど、典型的な偏向報道の実例と見られています。
このケースで問題だったのは、日本国内で発生している車両火災が年間6000~8000件、一日平均16~22台くらい燃えているという実態が顧みられなかったことです。当時の三菱自動車の国内シェアは5%前後でしたから、2日に1台くらい三菱車が燃えても何の不思議もないハズですが、三菱バッシングに明け暮れていた大衆メディアにはこうした冷静な分析ができなくなっていたんですね。
また、車両火災の原因も放火やタバコなどの火の不始末、電気配線の不正改造などメーカーの責任範囲から外れるものが殆どですが、当時の大衆メディアは事故原因が特定されていなくとも三菱車が燃える度にこれをニュースとし、他社のクルマが燃えても無視するということが続いていました。その結果、あたかも三菱車に限って車両火災が多発し始めたような印象を与えてしまったわけです。
後に毎日新聞などは過剰な報道があったと反省するコメントを出していましたが、注目を浴びる中に置かれることで従前は見過ごされてきたことがクローズアップされるということはよくあることだと思います。
「何だか最近、似たような事故(事件)が続くね」
と思うことが時々ありますが、実際に調べてみると「それまでは単に見過ごされてきただけで、いまに始まったことではなかった」というパターンも珍しくないようです。
2006年に家庭用シュレッダーで幼児が指を切断される事故が相次いで報道されましたが、このときの対応は比較的速やかでした。経済産業省が実態調査に乗り出したところ、最初に報道された事故以前にも消費者センターに寄せられた報告だけで同様の事例が5件あったことが解りました。
これを受けた大衆メディアの論調も個別のメーカーに対する批判から業界全般へ向けたものとなり、消費者センターに寄せられた事故の情報が直ちに生かされなかったことへの批判へ軌道修正されました。が、いつもこのようになるとは限りません。
殊に大衆メディアは古今東西を問わず問題が大きくなるほど、事故や事件が悲惨になるほど「正義」という錦の御旗を振りかざして暴走する傾向が見られがちですから、私たち受け手もその心づもりはしておいたほうが良いかと思います。
ある日突然「似たような事故や事件が頻繁に報道されるようになった」とか、「認知される件数が急激に増えた」といった場合、「それまで看過されていただけではないか」あるいは「データの取り方が変わったのではないか」という捉え方も考えに入れておいたほうが良いのかも知れません。