
Nissan Silvia (P311)
トヨタ博物館のコレクションは全般的にもの凄くキレイですが、この初代シルビアは特にキレイで、未登録のデッドストックがあったのではないか?と思ってしまうほど素晴らしいコンディションにレストアされていました。
それにしても、このスタイリングには惚れ惚れします。ドイツ系アメリカ人の工業デザイナー、アルプレヒト・グラーフ・ゲルツはBMW507のデザインでも知られていますが、彼が監修したとされるこの初代シルビアも珠玉の1台ですね。個人的には歴代の日本車の中でも屈指の美しさだと思います。
が、末代のシルビア(S15)はドリフト系御用達の酷く下品な姿に堕していきました。こんなスタイリングのクルマにシルビアの名を与えるとは、初代に関わった人達にとっては屈辱以外の何ものでもないでしょう。
ゲルツというと、フェアレディZ(S30)にも関与していたとする意見もあります。

Nissan Fairlady Z (S30)
が、Zに関しては松尾良彦の手になるというのが定説です(ゲルツのスケッチを元に松尾が発展させたとの説もありますが)。初代シルビアに関しても木村一男によるものとされますが、これについては監修していたゲルツの影響力も決して小さくなかったと思います。
当時、ゲルツは日産のデザイン顧問でしたから、多くの日産車に関わっていたでしょう。カーデザインというのは一人で一から十までやるものでもなく、特に今日では総合的な取り纏め役のチーフデザイナーがチームを指揮するのが当たり前ですし、誰がどれだけ仕事をしたのかは外部になかなか伝わるものでもありません。
ところで、ゲルツはトヨタ2000GTも手がけたとする俗説が以前から根強くありました。そもそも、このスポーツカー開発プロジェクトは当時提携関係にあったヤマハと日産の共同で企画されたものでした。が、コスト面などの問題から破談となり、ほぼ時を同じくしてヤマハと日産との提携も解消、ヤマハは間もなくトヨタに接近するようになりました。
件のスポーツカー開発プロジェクトも提携先をトヨタに鞍替えして継続されたといわれています。そして出来上がったのがトヨタ2000GTで、もし日産がこれを投げ出さなければトヨタ2000GTとして世に出たクルマは日産フェアレディZ(S30)に当たるスポーツカーになっていたかも知れないという人もいます。
この流れで、日産とヤマハが共同で製作したプロトタイプをスタイリングしたのがゲルツだったのではないかという憶測から、最終的にトヨタ2000GTとして世に出たクルマもゲルツのデザインが元になっているのではないかという俗説が出来上がったようです。
しかしながら、最近になってトヨタ2000GTは同社の野崎喩によるデザインであることが公表され、当人によるデザイン過程についての談話も出されたことから、現在では「ゲルツ説」は否定されているようです。

Toyota 2000GT
そのトヨタ2000GTも非常に素晴らしいコンディションで保存されています。このクルマが世に出るまでの経緯からして「ヤマハ2000GTというべきクルマ」とする意見もよく聞かれます。当事者であるトヨタもヤマハも詳しい分担内容は恐らく「大人の事情」で明かさなかったのだと思いますが、ヤマハの立場は表向き「技術供与」となっているようです。
ただ、個人的な印象としましては、史上最もトヨタ臭のしないトヨタ車といいますか、そもそもこんなクルマがトヨタのディーラーで売られていたなど、いまのトヨタの企業イメージからしてみれば信じられないハナシで、逆にヤマハの企業イメージから考えたほうがキャラクター的にはしっくり来るような気もします(あくまでも個人的な感想です)。

いずれにしても、これほどのカリスマをいまのトヨタでは逆立ちしても創造し得ないでしょう。
(つづく)