
一方、新聞各紙もまた社説でサミット絡みの論評を展開していますね。
サミットと温暖化―現役世代に見える目標を
難題山積で地球が悲鳴を上げている。そんななかでのG8サミット、主要国首脳会議である。
(中略)
「50年までに半減」は、世界の科学者の知恵を集めた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の見立てをもとにしている。
その報告書には、温暖化の悪影響が全地球に及ぶのを避けるシナリオが描かれている。重要なのは、50年に必要な削減幅だけでなく、世界の排出増をいつまでに止めるべきかをセットではじき出していることである。
それによると、50年に半減するなら20年ぐらいまでに排出量を減少に転じさせなければならない。これは密接不可分のひとつながりの目標である。
「50年」が子や孫の時代であるのに対し、「20年」は現役世代がまだ社会の中心にいる近未来である。だからこそ、いま中期目標の旗を振ることが求められているのだ。
(後略)
(C)朝日新聞 2008年6月30日
今般のサミットで主要議題になることははじめから解っていた「2050年までにCO2排出量を半減させよ」というストーリーが出鱈目であることについては以前にも取り上げました。が、少し書き漏らしたこともありましたので、ここで書き加えておきたいと思います。
温暖化人為説を唱える人達は、人類が「膨大な量」のCO2を排出しているため、大気中のCO2濃度が上昇しているのだと言い張ります。が、当然のことながら自然界からも大変な量のCO2が放出されています。人為説論者達は決して自ら口にすることがないので、大衆メディアでも伝えられることはまずありませんが、地球の大気へ放出されるCO2のうち、人為的なものの割合はどれくらいになるか皆さんご存じでしょうか?
人類が1年間に排出しているCO2は炭素換算で約63億tとされていますが、これは自然界から放出されるCO2も含めた総トータルに対してわずか3%程度に過ぎません。63億tという数字だけを扱うことによって「膨大な量」というイメージを刷り込んでいるに過ぎず、人類の営みなど自然界のそれに比べたら微々たるものでしかないというのが実態です。
IPCCや日本の国立環境研究所などはこの3%程度でしかないCO2排出量を半分以下に減らして1.5%程度にすれば気候変動は回避され、このまま放置すれば取り返しの付かない気候変動が進行すると豪語しているわけです。
ご存じのように、自然界は機械仕掛けのようにキッチリと巡っているわけではありません。ちょっとした揺らぎで数%くらいの変動は日常的に繰り返されています。が、彼らは僅か1.5%程度に過ぎない極微細な変動であっても、人為的なものだけは許容されず、暴走状態に陥る可能性を示唆しているわけです。私には荒唐無稽な作り話としか思えません。
私の個人的な印象から言わせて頂きますと、この出鱈目なストーリーは「CO2の排出枠」という名を借りた「化石燃料の消費枠」、すなわち、工業生産能力に決定的な影響を及ぼす「エネルギー分配の枠組み」を固定するための方便というような気がします。
ある年を基準に何%削減するといった方式でCO2の排出枠(=化石燃料の消費枠)を決めようとする現在のやり方では、必然的に基準となる年にたくさんCO2を排出している(=化石燃料を消費している)国、すなわち先進国にとって有利な状況となります。
人口減少(=国力低下)の傾向に頭を抱えている西欧先進国や日本などが先導役となって、新興工業国や発展途上国に追いつき追い越されることのないよう、自分たちに有利なエネルギー分配の枠組みを策定するパワーゲームを展開しているのではないか?地球温暖化問題はそのためのツールではないか?と思われるわけです。
CO2の排出削減が目的なのではなく、ジリ貧を懸念する先進国が保身のために不平等な世の中の仕組みを作ることが本当の目的なのではないかと考えれば、科学的根拠が矛盾だらけの政策指針をゴリ押ししようとするのも不自然には感じられなくなります。
IPCCが繰り出してくるデータも単なる数字合わせに過ぎず、政治的に都合の良いそれを御用科学者達に纏めさせた結果に過ぎないのではないかと考えれば、出鱈目であっても何の不思議もありません。古今東西を問わず、政治家や官僚たちがこうした茶番を繰り返してきたのは歴史の事実ですし。
もちろん、これは私の勝手な憶測に過ぎませんけどね。
(つづく)