酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東京都の「ディーゼル車NO作戦」とは何だったのか? (その1)

かつて、東京都建設局の保有車両を代替えする入札案件があえなく不調に終わったことがありました。それは、仕様書に書かれたある一つの条件がネックとなっていたからです。この時点では各社ともこの仕様に対応できなかったという以外に、不調となった理由はありませんでした。

この時点というのは、1999年に石原知事がメディアを集めてペットボトルに入れた粒子状物質をまき散らし、「トラックが1km走ると、これだけの煤をまき散らす」といったインチキパフォーマンスを行い、「ディーゼル車NO作戦」を発表した半年くらい後のことです。

PMを示す石原
ペットボトルに詰めた粒子状物質を示す石原知事
この写真は件の記者会見ではなく、
燃料電池バス運行開始式典でのパフォーマンスですが、
インチキであることに違いはありません。


あのパフォーマンスの何がインチキだったのか?

まず、一口にトラックといっても、最大積載量2tクラスの小型トラックと、10tクラスの大型トラックではエンジンの総排気量に最大で4~5倍くらいの差がありました。また、ディーゼル車の排出ガス規制も昭和54年、昭和58年、平成元年、平成6年、平成10-11年と段階的に厳しくなっていきました。当時最新だった平成10-11年規制車と、当時も現役で走っていた平成元年規制車では、粒子状物質の排出基準も桁違いだったんですね。

つまり、トラックを1km走らせたといっても、それが大型トラックなのか小型なのか、排出ガス基準はどの段階のものなのかで粒子状物質の排出量は何十倍も異なります。それを十把一絡げに「これくらい」としたのは素人を騙すインチキ以外の何ものでもありません。もっとも、このパフォーマンスを思いついた人間も素人だったのでしょうけど。

石原知事が誰に入れ知恵されたのかは解りません。が、あのペットボトルに入れた粒子状物質がどのような条件で出てくるのか説明がなかったことから推して考えれば、東京都は国によるディーゼル車の排出ガス規制がメーカー各社の実現可能な技術開発の進捗度合いを見ながら段階的に進められていたことなど全く知らなかったのは間違いありません。

現に、私はメーカーの方と何度も話をしていましたが、この当初はみな異口同音に「東京都はメーカーに何の相談もなく、マーケットの実態も把握せず、一方的に規制しようとしている」と語っていました。

あのとき石原知事は「国は怠慢」だから「東京から変えていく」と息巻いていました。しかし、彼は元々自民党の国会議員として国政を担ってきました。そればかりでなく、彼は竹下内閣時代に自動車の排出ガス基準を策定する管轄官庁である運輸省(当時)の長、運輸大臣まで務めた人物です。つまり、彼は自分の過去を怠慢だったと認めたことになるわけです。しかし、そのことを指摘する大衆メディアは存在しませんでした。

つまり、あの記者会見場にいた全ての関係者は自動車の排出ガス規制について、どんな仕組みで策定され、どのような条件が科せられているのか、何も知らないズブのド素人ばかりだったということです。

東京都は当初、ディーゼル車を都内の道路から閉め出すとでもいわんばかりの鼻息でした。しかし、それが非現実的であると解ると、代替え可能な小型トラックはガソリン車に置き換えても輸送コストは大して上がらないと主張、「ガソリン車に替えられる小型貨物車を代替した場合の影響は宅配便を例にとれば、1個740円の荷物が4円値上がりして744円になるだけ」という、どこまでアテになるのか解らない机上計算で持説を誇示していました。

一方で、ガソリン車への代替が不可能な中大型車については都内に入ってくる全ての車両にDPF(Diesel Particulate Filter:粒子状物質減少装置)の装着を義務づけるという方向へ転換していきました。

しかし、この段階でのDPFはまだまだ研究途上といった状況で、一般向けで実用レベルに至っているものは殆どありませんでした。特殊用途ではイビデンのセラミック事業グループなどから市販されてはいました。が、粒子状物質で目詰まりしたフィルターを車両から取り外してヒーターで焼くというもので、構内で使用されるフォークリフト向けの製品がボチボチ出始めた程度でした。東京都が求めていた車両に搭載したまま再生できる方式はまだこれからといった状況だったわけです。

現在では酸化触媒とフィルターを併用し、フィルターを連続再生させる方式が一般的です。これは酸化触媒を通すことで排出ガスに含まれる未燃焼物質の酸化を促し、フィルターに捉えられた粒子状物質も触媒で生じる物質を利用するなどして上手に燃焼してやろうという考え方です。その先駆けとなったのはイギリスのジョンソン・マッセイでした。彼らの「CRT(連続再生トラップ)」と呼ばれるDPFは、しかし、当時の日本で供給されていたディーゼル燃料に適合するものではありませんでした。

(つづく)

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/tb.php/200-8f600a59
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。