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日本に優秀なリーダーが現れないワケ

派遣切り問題がクローズアップされた折、中日新聞は「雇用の海外流出」といった懸念を全く顧みることなく、製造業への派遣を「禁止に踏み切る時だ」とする近視眼的な社説を展開していました(これに対する私の評価はコチラ)。過去を振り返ったり世界を見渡したりする能力に欠けているメディアばかりで嫌になりますが、中日新聞の能力の低さはかなりのレベルにあります。昨日の社説もまたかなり酷い内容でした。

リーダー不在の不幸 週のはじめに考える

 日本が劣化しつつあります。最近、そんな指摘をよく聞きます。リーダーが不在だからではありませんか。総選挙を前に、指導者像について考えます。

(中略)

 わずか二十年ほど前には「一億総中流社会」といわれた平等社会だったのに、あまりの激しい変化に驚かされます。この流れを決定付けたのは、一九九〇年代のバブル崩壊とその後に続く経済、政治・行政の「改革」です。

 この改革が目指したのは、経済面では「官から民へ」の掛け声とともに「小さな政府」の実現と規制緩和の実施です。民間を主体とする競争の活性化でした。政治・行政面では、官僚支配を脱し、政治主導の実現がうたわれました。

 でも、規制緩和は、例えば「派遣切り」といった歪(ひず)みをもたらしました。強欲とも言える米国流の金融資本主義が破綻(はたん)し、そこから脱却を図るためばらまき型の「大きな政府」が今日の姿です。

 どうして予見できなかったのでしょう。いくつか要因が考えられますが、最大のものは各界でのリーダー不在ではありませんか。とりわけ政治家に傑出した人物を欠きました。戦国時代や明治維新など時代の転換期には優れた指導者が出ましたが、現代の混迷期には相応の人物が見当たりません。

(後略)

(C)中日新聞 2009年4月12日


以前にも述べましたが、戦後からサッチャー政権が誕生するまでのイギリスは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに高福祉を是とする「大きな政府」となっていました。こうした風潮から一時は失業手当てが労働者の最低賃金を上回る事態となり、労働意欲の減退から長期におよぶ経済停滞を招いたいわゆる「イギリス病」に陥りました。こうした堕落からの再建を期し「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相は急進的な構造改革という大ナタを振るい、「小さな政府」とする政策はやがて金融産業などの成長につながっていきました。

一方、フランスのミッテラン大統領は社会党に属する左派政治家でしたから、当初は民間企業の国有化や社会保障費を拡大し、社会主義的な「大きな政府」を進めていきました。が、政府を肥大化させたツケとして、その効率の悪さが問題となっていきました。インフレの進行と失業者の増加に歯止めをかけることもできず、結果的に左派政権でありながら公共支出の削減や国有企業の民営化に転じ、自由主義的な政策を進めていくことになったわけです。

アメリカについても以前に述べたとおり、第1次オイルショック後の不況に対する経済刺激策としてカーター政権が盛んにバラマキを行いましたが、大した実効性はなく、むしろインフレ圧力を高めるばかりでした。そこへ第2次オイルショックによってさらなる景気後退が重なり、未曾有のスタグフレーションに呑み込まれていったわけですね。その後を受けたレーガン政権もまたサッチャー政権と同様に「小さな政府」を唱え、軍事費以外の歳出削減、減税によって労働意欲の向上と貯蓄の拡大を促し、それを企業への投資へ向かわせる政策を展開しました。いわゆる「レーガノミックス」というヤツですね。

要するに、つい最近まで「小さな政府」が推し進められてきた背景には、その前段に行き過ぎた「大きな政府」の失敗があったからです。特に規制緩和によって産業稼働率が上がったアメリカは金融資本主義で我が世の春を謳歌したわけですが、その行き過ぎが今般の歴史的不況をもたらしたと見るべきでしょう。いまここで各国は再び「大きな政府」に舵を切っているわけですが、その舵を戻すタイミングを誤れば、1970~80年代に経験したことを繰り返すに違いないでしょう。

そもそも、こうした「世の中の動きを見極める能力」と「強力なリーダーシップを発揮する能力」は全くの別物です。事態の成り行きを予見できていながら適切なタイミングで適切な方向へ舵を切れなかったというのなら「リーダー不在」が大きな問題といえるわけですが、「予見できなかった」のであればリーダーシップもクソもありません。

実際のところ、こうした金融破綻を予見していた人はいたわけですが、その言葉に耳を貸さなかったことが事態を悪化させた元凶であったように思います。また、その言葉を大きく伝えず、警鐘を鳴らすことを怠ったメディアにも責任の一端はあるような気もします。

そもそも、この社説は「リーダーが今こそ必要」と唱え、その出現を望むばかりで、何も建設的なことが書かれていません。優秀なリーダーを望むのなら、そのような人物がリーダーとして活躍できるような世の中を作っていくことが必要です。いまの日本では自民党内での政治的な駆け引きで国のリーダーが決まってしまうため、自民党員以外は直接的にリーダーを選ぶことができません。が、それでも世論という圧力である程度の方向付けはできるでしょう。

そのためにはリーダーとしてふさわしい人物かどうか、その点を見極める目を持つことが大事です。聞こえの良い政策を掲げているだけでは駄目で、それをどう実現するか具体的な裏付けを確認する必要があります。国民の機嫌を取るようなバラマキでダボハゼのように釣られてしまうなど言語道断です。

また、改革を唱えるスローガンばかりを強調し、そのイデオロギーを詳しく確認しないまま理想のリーダー像と重ね合わせ、そのイメージばかりを徒に膨らませていくメディアも少なくありません。ですから、そうした低レベルな情報を排除できる能力も必要でしょう。そういう意味では多くのメディア同様、中日新聞も排除されるべき低レベルな情報を垂れ流していますので、充分な注意が必要です。例えば、上で抜粋した社説の続きにはこうあります。

 作家塩野七生さんが「ローマ人の物語4」で指導者に求められる五つの資質をこう書いています。

 「知性。説得力。肉体上の耐久力。自己抑制の能力。持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた」

 たしかに、これを全部備えている人は世界中を見渡してもほとんどいないでしょう。米国のオバマ大統領の顔が浮かびますが、真価を問われるのはこれからです。


当blogでは具体例を示してきたように、オバマ大統領がイデオロギーをコロコロ変える日和見主義者であることは明白です。また、これも以前に述べましたが、彼は携帯メール中毒でこれを片時も手放すことができず、ついにはセキュリティを強化した大統領専用機が作られるに至りました。この男のどこに「持続する意志」と「自己抑制の能力」が備わっているというのでしょうか?

このように人を見る目のないメディアが徒にヒーローを仕立て上げ、そこへ世論を乗せてしまうことが優秀なリーダーの出現を阻んでいるのかも知れません。

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まとめ

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