酒と蘊蓄の日々

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それでもボクはやりたくない (その1)

「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」

周防正行監督が痴漢冤罪をテーマに日本の法曹界の実情をリアルに描いた映画『それでもボクはやってない』の冒頭で映し出されるのがこの格言です。また、映画の中盤では裁判官と司法修習生との間でこのような台詞が交わされます。

裁判官 「刑事裁判の最大の使命は何だと思いますか?」
修習生A 「真実を見極めること。」
修習生B 「公平であること。」
修習生C 「公平らしさ?」
裁判官 「最大の使命は、“無実の人を罰してはならない” ということです。」

私は法律や司法制度に関して全くの素人ですが、間もなくスタートする裁判員制度がこうした考え方に逆行する可能性が大いにあることは理解できます。「戦後最悪の司法制度改悪」という人もいますが、私もその見解に同感という立場です。

当blogに初めていらした方以外はお察しのことと思いますが、私は人間が作った世の中の仕組みで純粋に理想だけを追求したものはそう多くないと思っています。特に政治家や官僚たちが何か新しいことを始めようとするときは、その裏に何か「別の目的」が多かれ少なかれ秘められているものだと想定し、注意深く観察するようにしています。

こうしたとき、新しい制度の導入について公に述べられている趣旨と、その制度の具体的な中身を比べてみます。制度の中身に趣旨が完璧なカタチで反映されていれば、とりあえず保留とします。もちろん、整合性に破綻がなくても有害な「別の目的」が秘められている場合もあると思いますが。

一方、趣旨が掲げている思想と制度の中身に相容れない部分があったり、私のような素人でも趣旨に見合った最善の在り方がほかにあるとすぐに気づくにも関わらず、それが採用されていないケースがあります。つまり整合性という部分においてほころびがある場合、「別の目的」を成すための方便として新しい制度が設けられようとしている可能性が大いにあり得ると考えます。

そういう観点から裁判員制度を見てみますと、趣旨が掲げている思想と制度の中身に相容れない部分が沢山あり、趣旨に見合ったもっと良い在り方がほかにありますから、「別の目的」を成すための方便として導入される典型的なパターンに属している可能性が極めて高いと想像されるわけです(あくまでも個人的な想像です)。

ということで、まずは裁判員制度が導入される趣旨をおさらいしておきましょう。これは法務省の「裁判員制度コーナー」と称するサイトの「裁判員制度導入の理由」に纏められています。詳しくはリンク先をご覧頂くとして、その理由を箇条書きにしてみますと以下のようになります。

(1) 国民の視点や感覚が裁判の内容に反映される
(2) 裁判が身近になり、司法に対する国民の理解と信頼が深まる
(3) 国民が社会について考えるようになり、より良い社会への一歩となる
(4) 欧米などでも国民が裁判に参加する制度がある

(4)は導入の理由として全く意味を持ちませんし、残り3つの理由も制度の具体的な中身と全く整合していません。

まず、(1)ですが、これは俗に「霞ヶ関文法」とか「霞ヶ関作文」といわれるものを念頭に置いたほうが良いかも知れません。私たち一般市民の感覚でいけば、「国民の視点や感覚」が反映されるべきなのは裁判の「内容」ではなく「結果」としたいところです。仕事を遣り繰りするなど日常生活を犠牲にして強制的に参加させられ、忌避すれば10万円以下の科料という重い金銭罰が科せられているのですから、私たちの意見が「結果」に反映しなければ何のために参加させられるのか解らないということになります。

裁判員制度導入の理由に「結果」ではなく「内容」と書かれているのは何故でしょうか? それは恐らく、アメリカの陪審員制度が全員一致になるまで評議を繰り返すのとは大きく異なり、日本の裁判員制度は多数決でとっとと結論を出してしまう仕組みになっているからでしょう。多数決で少数となった意見は無視される仕組みであるゆえ、全ての裁判員の視点や感覚が必ず裁判の結果に反映されるとは限らないことを踏まえ、それを正確に表現しようとしたから「内容」という言葉を用いることになったのだと思います。

しかし、実際に制度の中身を詳しく検討してみますと、少数意見どころか、裁判所サイドに「国民の視点や感覚」を「結果」として生かす気がなければ、完全にこれを排除してしまえる仕組みになっていることが解ります(詳しくは次回に)。

そもそも権力者はその権力を易々と手放さないのが普通です。司法権力を握っている人たちも一部とはいえそれを安易に譲り渡す気などないでしょう。裁判員制度は司法権力を国が維持し続け、裁判所が国民にそれを解放する気がなければ制度そのものを完全に骨抜きにしてしまえるよう巧妙に仕組まれていると考えることができます。

例の政治資金規正法などもそうですが、予め抜け道を設けておいて、法律を都合良く運用できるように仕組んでおくということにかけて、日本の政治家や官僚達は天才的な能力を発揮します。裁判員制度についてもこうした点を踏まえ、国民はもう一度その中身を見直してみるべきです。綺麗事しか伝えようとしない法務省などの言うことや、その受け売りばかりのメディアが伝えることを鵜呑みにすると、良いように利用され、莫迦を見るだけです。ということで、具体的なハナシは次回に。

(つづく)

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