酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

それでもボクはやりたくない (その2)

裁判員制度が導入される理由として真っ先に掲げられているのが「国民の視点や感覚が裁判の内容に反映される」というものです。が、判決に被告人も検察も不服がない場合(こうした円満な裁判ばかりなら、そもそも裁判員制度を導入する必要もないと思いますが)を除き、最終的には裁判所(特に高等裁判所)の考え方次第で裁判員制度を形骸化させてしまうことができる仕組みになっています。

この制度の導入を進めてきたのは実際に日本の司法権力を握ってきた人たちが中心ですから、彼らは自分たちの権力の一部を国民に譲り渡す意志など初めからなかったのでしょう。なので、当然のように抜け道がつくられているわけですね。

制度の中身を詳しく見ていきますと、日本の裁判員は莫迦にされているのではないかと思えるほど無力な存在になり得ることが解ります。導入に向けて散々大騒ぎしてきた割に、こうした事実は殆ど知られていないように思います。これはアメリカの陪審員制度と比較してみると解りやすいでしょう。

アメリカの陪審員制度の場合、一般市民から選ばれた12人の陪審員で評決が行われます。この際、職業裁判官は1人も同席せず、全て陪審員だけで話し合いが行われます。そして、1人でも反対意見の人がいたら「評決不一致」ということで結論は持ち越しになり、陪審員の意見が一致するまで何度でも評議が繰り返されます。要するに、アメリカの制度では国民の視点や感覚が裁判の「結果」に必ず反映され、陪審員1人の意見も無視されることはないという仕組みになっています。

しかし、日本の裁判員制度では3人の職業裁判官と6人の裁判員が一緒に話し合いのテーブルについて多数決が行われ、その場で結論が出されます。仮に、裁判員4人が無罪を主張したとしても、裁判官3人と裁判員2人が有罪を支持すれば、4人の裁判員の「視点や感覚」は無視され、「結果」にも反映されないわけです。

つまり、一般市民6人のうち4人、即ち約67%になる過半数の民意が無罪だと判断しても、裁判官の判断が一致した場合はそれに抗うことができません。裁判官の意見が一致したとき、それを覆すには一般市民の6人に5人以上、即ち約83%以上の意見が揃わなければならないということです。これでは国民の視点や感覚が「内容」には反映しても「結果」にはなかなか反映されない仕組みと言わざるを得ません。

なお、裁判官が無罪で一致した場合は、裁判員全員が有罪を支持しても有罪にはなりません。これは素人である裁判員が感情に流されて冤罪を生む可能性を考慮すれば当然でしょう。

いずれにしても、日本の裁判員制度では1人の裁判員が及ぼせる「結果」への影響力は極めて軽微です。アメリカの陪審員は12人のうち1人の意見でも結果に必ず影響しますが、日本では6人のうち4人が束になっても無視される場合があるという意味では、天と地ほどの開きがあるといっても過言ではないでしょう。

しかも、それでハナシは終わりません。仮に、裁判官の意見が一致して有罪を支持したとき、これを5人以上の裁判員で覆して無罪判決となっても、結果的にそれが全く無意味なことに終わってしまう可能性が極めて高い仕組みになっているのです。

裁判官全員の意見が一致するということは、つまり法曹界の常識的な判断ということになるでしょう。それを裁判員が覆すということは、一般市民の「視点や感覚」が法曹界の常識を覆したことになり、裁判員制度を導入した意義ある判例となりそうな気がします。(ま、キチガイみたいなのが引っかき回した判例だったとしたら、それはそれで裁判員制度の弊害が出たということになりますが。)

もし、裁判員の判断のほうが健全な社会的常識だったとして、それが法曹界の常識を打ち破ったとしても、ここで喜んではいられません。裁判官全員の意見が無視され、無罪判決となった場合、検察は間違いなく控訴します。こうした状況であれば控訴が棄却されることも絶対にあり得ません。高等裁判所が控訴を棄却することなく、一審に差し戻すこともなかった場合、即ち高裁で控訴審が争われることになったらもうおしまいです。というのも、日本の裁判員制度では

裁判員が参加するのは一審だけ

とされているからです。これが裁判官2人が無罪、1人が有罪、裁判員4人以上が有罪として有罪判決が下されたケースでも、被告人は例外なく控訴するでしょうし、それが棄却されることもないでしょうから、状況は変わらないでしょう。

つまり、法曹界の常識が覆されるような画期的な判決が裁判員制度によってもたらされても、控訴が認められた瞬間に全ては水泡に帰し、これまで通り裁判官だけで裁かれることになるわけです。法曹界から見れば非常識となった一審の判決が破棄されてしまう可能性は決して低くないハズです。高裁以上でも裁判員が加わるというのならハナシは別ですが、一審だけでおしまいというのでは、一般市民の「視点や感覚」が法曹界の常識を打ち破るなど殆ど不可能です。

ちなみに、アメリカの陪審制は陪審員の評決で確定され、それが覆ることのない仕組みになっています。そういう意味でも日本の裁判員制度が如何に国民を軽く扱っているかが解るというものです。

もっとも、アメリカの陪審制も陪審員の心理を操作する法廷戦術が駆使されるなど、本来あるべき司法判断にとって理想的とはいえない状況になっていたり、時々とんでもなく莫迦げた判決が下されることもあります。

例えば、有名な民事裁判になりますが、股間に熱いコーヒーをこぼして火傷した老婦人がマクドナルドに対して熱いコーヒーを出したから火傷したのだという言いがかりのような訴訟を起こして勝訴しています。こうした事例を見れば、それほど優れた制度だとも思えません。が、掲げられている趣旨と具体的な中身が絶望的に乖離している日本の裁判員制度よりはまだマシだと思います。

いずれにしても、日本の裁判員制度は政治家や官僚の得意技である「骨抜き」「形骸化」が駆使されたいつものパターンにはまっていると見るべきでしょう。

(つづく)

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/tb.php/398-0586679d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。