酒と蘊蓄の日々

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それでもボクはやりたくない (その4)

「国民の視点や感覚が反映され、司法への理解や信頼が深まり、国民と社会とのつながりを深め、より良い社会を作る」などとする裁判員制度導入の理由は学生運動のごとき青臭い理想論としか評しようがありませんが、海千山千の政治家や官僚達がこうした白々しい理想論を唱えること自体は決して珍しくありません。ここで注意したいのは、こうした趣旨説明が白々しければ白々しいほど、その裏には彼らにとって都合の良い仕掛けがしてあるものだということです。

裁判員制度の場合も前回までに述べてきたように、その理想は制度の中身に全く反映されていません。彼らが唱える理想論は実に白々しく、極めて胡散臭いものです。要するに、あの裁判員制度導入の理由というのはありがちな「建前」であって、他に何か「別の目的」があり、そのための「方便」として裁判員という制度が設けられ、国民が巻き込まれようとしているのではないかと疑われるわけです(あくまでも個人的な想像です)。

こういうケースでありがちなのは、「手段と目的のすり替え」というパターンです。つまり、本来の目的は別にあり、その目的を成すための手段として用いられることが、実は本当の目的だったというものです。裁判員制度も国民を裁判に参加させるのが本当の目的ではなく、別の目的を成すための手段に過ぎないのではないかと私は疑っているわけです。

結論を先に言いますと、裁判員として動員される国民の負担を軽減するために「公判前整理手続」という制度が導入されたことになっていますが、実は逆で、時間のかかる裁判を簡略化する「公判前整理手続」を導入するための手段として裁判員制度が導入されたのではないかと私は想像しています(くどいようですが、あくまでも個人的な想像です)。

この「公判前整理手続」についてはご存じの方も多いと思いますが、そうでない方のために簡単にご説明しておきましょう。この手続きは裁判を迅速に進めるため、事前に裁判官と検察官と弁護人が争点を絞っておくというものです。要するに一種の談合ですね。法廷で争われるのはこうして絞り込まれた争点に集中することになるわけですから、これが済んだ後になって被告人に有利な証拠や証人が出てきたとしても、採用が制限されることになりかねません。

NHKのニュースで裁判員制度の導入について取り上げられるとき、彼等は必ず「裁判官と裁判員は対等な立場で」とか「開かれた裁判」といった大ボラを吹きます。対等な立場というのなら、公判前整理手続にも裁判員を参加させなければなりません。あらかじめ裁判官・検察官・弁護人の三者が密室で筋道を作っておき、それに従って公判が行われるところから裁判員が加わるというのでは到底「対等な立場」でもなければ「開かれた裁判」でもありません。

実際、私の知り合いの知り合いが模擬裁判に参加しているのですが、気になった部分について質問したところ、それは「公判前整理手続きで争点から外されている」ということでマトモに取り合ってもらえなかったそうです。その後も彼にとっての疑問点が何故争点から外されたのか釈然としないまま審理はどんどん進められ、「参加している」というより「立ち会っている」だけでしかない気分だったといいます。これの何処が「対等な立場」で「開かれた裁判」で、「国民の視点や感覚が反映される」といえるのでしょう?

ついでにいえば、「法律の条文の解釈について意見が割れた場合、裁判員は裁判官の解釈に従わなければならない」とされています。こうした部分も決して対等とはいえませんし、法曹界の常識を健全な社会常識によって覆させまいとする思惑が見え隠れします。

日弁連も裁判員制度の導入には極めて積極的ですが、現場の弁護士たちには反対の意見も少なくありません。殊に、「国民の負担を軽減させるため」とされる「連日の集中審理」は予期せぬ展開に対応することが難しくなるという意見も少なからず聞こえてきます。経済力があって優秀な弁護士を何人も雇える被告人ならばともかく、国選弁護人をつけるしかない経済的弱者にとって不利な要素となっても有利に働くことは殆どないでしょう。

こうした「公判前整理手続」や「連日の集中審理」によるスピードアップは証拠調べなど裁判の過程に欠くことのできない地道な作業を粗雑なものにしてしまう恐れがあります。人生がかかっている被告人にとってはゆゆしき事態です。仮に無実の被告人がこうした粗雑な裁判で有罪にされてしまったのでは、日本の法秩序は大いに乱れることになるでしょう。

逆に、有罪で間違いない被告人を裁くに当たっても、詳細が明らかにならないまま判決が下されるのは問題です。特に裁判で事件の詳細を明らかにして欲しいと願っている被害者にとって、不充分な証拠調べで事件の内容が詳しく解き明かされぬまま、多数決でとっとと有罪判決と量刑が下されてしまうのは決して望ましい結果とはいえないでしょう。

こうした欠陥を鑑みれば、日本の裁判員制度は「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という格言に逆行するものです。欧米の陪審制・参審制とは似て非なるものというより、180度逆を向いていると言っても過言ではないでしょう。

裁判員を除外したカタチで裁判の方針が予め練られ、決められた筋道の上で判断を求められる裁判員6人中4人の意見が揃っても無視される可能性があり、法律の条文解釈は職業裁判官に従わなければならず、仮に裁判員の意見が法曹界の常識を覆したとしても控訴が認められれば完全に蚊帳の外とされてしまうのですから、この制度の本当の目的が国民を裁判に参加させることでないのは間違いないでしょう。

「公判前整理手続き」も「連日の集中審理」も「国民の負担を軽減する」という理由で導入されるものですが、こうして実現するであろう「裁判のスピードアップ」こそ本当の目的なのでしょう。こうした乱暴な仕組みを導入することを正当化する「国民の負担を軽減する」という理由を付けるために、「手段と目的のすり替え」がなされたカタチで裁判員制度が導入されるに至ったのではないかと疑われるわけです。

(つづく)

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