酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

それでもボクはやりたくない (その5)

アメリカの刑事裁判における陪審制は被告人に与えられた権利です。つまり、陪審員を利用するか否かは被告人が選べるという仕組みになっているんですね。これは先にも述べたように、民主化以前の国家弾圧に苦しめられてきた歴史を経、国に偏った司法権力の行使から人権を守ることを目的として導入されたわけですから、「被告人の利益を優先する制度」となっているのは至って当然のことです。

しかし、日本の裁判員制度は裁判所の判断によって該当する事件に裁判員が導入されるか否かが決まり、被告人の意思とは無関係に強制されます。日本の制度は欧米のそれとは真逆を向いた「裁判所の都合が優先される制度」であると言っても過言ではないでしょう。こうしたことからも欺瞞に満ちた制度であるということが伺えます。

また、これも何度か述べてきましたが、アメリカの陪審制では有罪か無罪かの判断を全て陪審員に委ね、量刑の判断は求めません。ということは、検察の示した罪状を被告人が否認している裁判にしか陪審制は用いられないということです。ちなみに、アメリカ連邦地裁における刑事裁判での陪審利用率(被告人に利用するか否かを選択できる権利があるから「利用率」という表現がなされるわけですね)は、わずか5%程に過ぎないといいます。

上述のように、陪審制では量刑判断すなわち有罪の場合の刑の重さを決めるという負担(特に極刑などは大きな精神的負担になるでしょう)も陪審員には負わされていません。一方、日本の裁判員制度ではご存じのように量刑判断にも裁判員が参加させられますから、被告人が罪を認めている場合、即ち初めから有罪が確定している場合でも裁判員が招集されることになります。加えて、死刑など極めて重い判断についても裁判員に突きつけることになりますから、精神的な負担も非常に大きくなるわけですね。

ヨーロッパの参審制は量刑判断に参審員も加わり、評決も多数決になりますから、日本の制度はこちらに近いといえます。が、事件毎に無作為選出される日本の裁判員やアメリカの陪審員とは違って、参審員は一定期間継続する任期制で、団体などからの推薦によって選ばれます。つまり、裁判員のようにある日突然招集がかけられ、出頭を強制されるというものではありません。余談になりますが、参審制は上訴審も参審員が加わることができる制度になっていますから、一審までしか導入されない日本の裁判員とはやはり向いている方向が違います。

纏めてみますと、アメリカの陪審制の場合、無作為選出された国民は原則として強制参加させられますが、量刑判断のようにより大きな精神的負担を伴う部分については除外されるのに対し、ヨーロッパの参審制は推薦によるものですから、ある日突然強制的に招集されることはない反面、量刑判断にも加わらなければならないという格好になっています。

日本の裁判員制度の場合、陪審制のようにある日突然参加が強制され、参審制のように大きな精神的負担を伴うことがある量刑判断にも参加させられるということになります。要するに、「国民の負担」という部分をクローズアップしてみますと、「裁判員制度は陪審制と参審制の悪いとこ取り」といって差し支えないでしょう。

負担といえば、例えば凄惨な殺人現場の状況を写真などで証拠として確認しなければならないケースもあります。そうしたシーンを見慣れていない人の多くは精神的なショックを受けるでしょう。中にはそれが一生消えない心の傷となることも懸念されるわけですね。これは欧米の参審制・陪審制でも問題になる部分ですが、無料でカウンセリングが受けられるようにするなど、心のケアについてはそれなりの対応ができているようです。

しかし、日本では裁判員制度の導入に当たって企業などを対象に心理カウンセリングの電話相談サービスを行っている民間のカウンセリング機関に24時間の窓口の設置を委託したり、臨床心理士や医療機関を紹介するといった対応しかしていません。仮に通院などの必要が生じた場合、その費用は誰が負担することになるのでしょう?

それ以前に、電話相談の委託料は年間たったの900万円だそうですから、900万円÷365日÷24時間=1,027円/時です。諸々の経費を差し引けば恐らくバイトの時給にも劣るであろうとんでもない薄給で採用されるカウンセラーが全国を網羅するというこのシステムでどれだけのケアができるのか甚だ疑問です。といいますか、国民を莫迦にするのもいい加減にしてもらいたいものです。

(追記) 最高裁判所は7月10日付でこうした心のケアに臨床心理士らによる診察を5回まで無料とする旨を発表しました。が、5回で済まなければ当然受診料は自己負担となるわけですね。少しはマシになったと言えますが、これで充分とまでは言えないように思います。

裁判員制度の導入に当たっては、散々「できるだけ国民の負担は軽くなるように」といいながら、心のケアなどを含めた全般的な配慮は全く以て不充分としかいいようがない状態です。公判前整理手続きで争点を絞り、集中審理で裁判の期間を短縮するということだけが「国民の負担軽減」ではないハズですが、この制度を推進してきた人たちにとって、「国民の負担=時間的な拘束」という図式でほぼ完結してしまって、それ以外の負担はことごとく軽視(というより、殆ど無視)されてきました。

こうした点を見ても、また対象となる事件が殺人など時間のかかるものが中心であるという点を見ても、この制度の導入によって確実に変化するのは「裁判のスピード」というところに繋がっています。「国民の負担を軽減する」というのは単なる方便で、本当の目的かと疑われる「裁判のスピードアップ」を図るため、その手段として国民を巻き込もうとしているのではないかと思われることだらけです。

この欺瞞に充ち満ちた裁判員制度の導入によって裁判の手続きが簡略化・迅速化されることで労務負担を軽減し、労働の時間単価を引き上げることが目的なのか、この制度を導入するために必要な予算の拡大が狙いなのか(実際、施設整備などの費用として約300億円を計上しているそうです)、あるいはその両方か、その辺は想像に委ねるしかありませんが、私は裁判所の思惑がこうしたセンにあるのではないかと疑っています(くどいようですが、あくまでも個人的な想像です)。

また、死刑という執行されれば取り返しのつかない刑を科し、後になって冤罪であることが解った場合、職業裁判官だけでなく「一般市民である裁判員の意見も加わった判断であるから、自分たちだけの責任ではない」とする言い訳にも使われれてしまうかも知れません。

いずれにしても、大きな負担をかけられながら、裁判員に与えられる権利は絶望的に軽微です。現実的に高裁の判断一つで裁判員による画期的な一審判決は破棄されてしまうことも十二分にあり得ることで、裁判員は単なるお飾りに過ぎないという状況も多々あるのではないかと懸念されます。

しかも、守秘義務(これが課せられた情報については死ぬまで漏らしてはいけないことになっています)に反した場合、最高6ヶ月の懲役または50万円以下の罰金という非常に厳しい罰則まで設けられています(ちなみに、裁判官にはこんな罰則などありません)。

私は陪審ないし参審制度など国民が裁判に参加する制度そのものを否定するという立場ではありません。しかし、日本の裁判員制度は司法権力にとって都合の良すぎる制度設計がなされ、国民は莫迦にされているようにしか見えません。こんな制度に利用されるなど、真っ平ゴメンです。もし、私のところへこの召集令状が届いたら、何としても忌避したいと考えています。具体的な方策は現在思案中ですが、いずれその辺についても述べてみたいと思います。

(とりあえず、おしまい)

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/tb.php/401-39b6b99b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。