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電気自動車は遠い過去のクルマであり遠い未来のクルマである (その7)

ガソリンエンジンやディーゼルエンジンといった内燃機関のエネルギー効率はそれほど高くありません。それは折角得られた熱エネルギーの大部分を廃熱として捨ててしまうからで、これらに比べれば電気モーターのエネルギー効率は数倍優れています。しかし、ガソリンや軽油のエネルギー密度はリチウムイオン電池と比べて桁が2つ違います。尚かつ非常に安価であるゆえ、誕生から百数十年を経た現在、他の動力源がことごとく淘汰されていった中で王者の地位を守り抜いてきたわけです。

この実力は伊達ではなく、この牙城を簡単に崩せると思うのは楽観的に過ぎると言わざるを得ません。「ハイブリッドカーは電気自動車が実用化されるまでの繋ぎだ」とする意見もよく聞こえてきますが、そういう人は恐らくケミカルバッテリーの性能を過大評価し過ぎているか、とんでもない技術革新が明日にでも起こるかも知れないという夢を追い続けているのでしょう。要するに現実をきちんと見据えていないか、そもそもそういう能力を欠いている人たちになるのだと思います。

初代プリウスが発売されてから今年で12年になります。もうそろそろガソリンエンジン車を代替し得る本格的な電気自動車が普及する具体的な目処が立っていなければ「繋ぎ」だとはいえなくなるでしょう。ハイブリッドカーが商品として成立する状態が何十年も続くのであれば、それはもはや一つの「時代」であって、「繋ぎ」と評価すべきものではありません。

前回ご紹介したように経産省のロードマップで目標とされている2030年も全く具体性を欠いたものでしかなく、本格的な電気自動車時代がいつになったらやってくるのか確実な予測は全く立っていない状態です。一方で、トヨタやホンダを中心にハイブリッドカーはこれからいよいよ車種を増やし、来年には日産もスカイラインで参入し、その存在感がさらに増していくような状況です。

余談になりますが、カメラの世界ではピントリングと距離計が連動するレンジファインダーが1932年にライカⅡで採用されて以降、レンジファインダー機が主流を成す時代が続きました。正立正像のアイレベルファインダーとクイックリターンミラーが採用され、本格的な一眼レフ時代が到来したのは1950年前後のことです。その後も信頼性などの面で報道カメラマンはレンジファインダー機を好んで使っていましたが、1958年にニコンFが登場すると、業務用カメラも一眼レフが圧倒する時代へ突入しました。レンジファインダー機の全盛時代は30年に満たないものでしたが、これを「繋ぎ」と評する人など一人もいません。

大衆メディアは「2009年は電気自動車元年」などと無邪気に盛り上がっています。が、それは日産のハイパーミニのように同程度の電気自動車が10年ほど前にも量産・市販されていた事実に全く気付いていないゆえの空騒ぎに過ぎません。そもそも、電気自動車は決して「新しいクルマ」ではありません。その歴史はガソリンエンジン車よりもさらに古いものなんですね。こうした事実も世間一般には全く知られていないからこそ「2009年は電気自動車元年」などという莫迦なフレーズが出てくるのでしょう。

ガソリンエンジン車が作られるようになったのは19世紀後半のことですが、電気自動車はそれよりも50年くらい早かったとされています。その明確な第一号は解っていません(それだけ古くからあったということです)が、1834年にはオランダで作られていたという説が有力なようです。世界で初めて100km/hを超えたのも電気自動車のほうが早く、1899年のことでした。あまり関係ありませんが、世界で初めて速度超過で警察に取り締まられたのも電気自動車だったといいます。

ル・ジャメ・コンタント
ル・ジャメ・コンタント
ベルギー人のカミーユ・ジェナッツィが製作した
この「ル・ジャメ・コンタント」は「決して満足しない」という意味だそうで、
60馬力のモーター2基をそれぞれ後輪に直結させていたそうです。
魚雷型のボディにはバッテリーを満載し、105.92km/hをマークしました。
19世紀にこれだけのスピードが出ていたのですから、
21世紀に作られたi-MiEVの最高速度130km/hなど驚くに値しません。


ガソリンエンジンが実用性や信頼性を高めていく以前の主流は電気自動車が担っていたというのが歴史の事実です。ついでに言えば、その端境期には電気モーターとガソリンエンジンのハイブリッドカーも製作されていました。

ローナー・ポルシェ
ローナー・ポルシェ
世界初のハイブリッドカーといわれるこのクルマは
オーストリアの馬車メーカーだったローナー社の求めで
あのフェルディナンド・ポルシェ博士が設計を担当しました。
モーターは慶應大学のエリーカと同じホイール・イン方式です。
要するに、ガソリンエンジンは発電器を回すことに徹し、
走行時の動力は100%モーターによる直列式ハイブリッド
ということになります。
しかし、当のポルシェ博士はハイブリッドではなく、
純粋な電気自動車の開発を望んでいたといいます。


自動車の黎明期には当然ですが大衆車など存在しませんでした。上記のローナー社も宮廷馬車の製造を請け負っていたようなメーカーで、商売相手は王侯貴族を中心とした上流階級に限られていました。ま、その黎明期はまだ馬車が主役でしたから、自動車は大金持ちの道楽みたいなものと見るべきでしょう。

実用性など皆無に等しくても新しモノ好きの大金持ちは喜んで買っていたようですし、航続距離が絶望的に短い電気自動車でも充分に商品となり得ていたのでしょう。要するに、実用性を求めるなら馬車に乗り、自動車に乗るのはスポーツとかレジャーといった遊びの感覚といったところでしょうか。

ガソリンエンジン車を発明したのはゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツの両者とされています。ニコラウス・オットーが発明した4サイクルエンジンは当時まだ充分な実用レベルに手懐けられておらず、液体燃料を気化したり点火したりといった技術がまだまだ洗練されていなかったんですね。それをダイムラーやベンツが改良し、車載動力源として利用できるようにしたというわけです。

ダイムラーとベンツは「自動車の発明者」と勘違いされることも少なくありませんが、彼等は「ガソリンエンジンを自動車の動力源として利用できるように改良した技術者」と見るのが正しい認識です。ガソリンエンジンは低速でのトルクがありませんから、発進時に合わせた減速比で固定していたのではスピードが伸びません。実用的なトランスミッションの開発なくして馬車や電気自動車に並ぶような速度での走行が難しかったわけです。

上記のローナー・ポルシェのようなハイブリッドカーも、要するにこうしたエンジンの出力特性を補うためのもので、実用的なトランスミッションが作られるようになると姿を消したわけですね。第二次大戦中にポルシェ博士はナチスの求めに応じて超重戦車を設計していますが、このときも同じ直列ハイブリッドが採用されています。その理由もまた総重量188トンにもなる重い車体とそれを駆動するための1200馬力にもなる大出力エンジンに耐えるトランスミッションを作ることができなかったということです。

こうしてガソリンエンジン車の実用性が高められ、信頼性も向上されていくと、その航続距離の圧倒的な差から電気自動車は一気に廃れました。見方を変えれば、航続距離の短い電気自動車が商品となり得ていた時代の自動車は大金持ちの遊びの道具というべき存在だったわけです。充分な航続距離を得たガソリンエンジン車の完成とその信頼性の確立を以て自動車は実用的な輸送手段となり、ガソリンスタンドなどインフラの整備とともに陸上輸送手段の主役に躍り出たといったところでしょうか。

(つづく)

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