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裁判員制度の本当の問題点は何故看過されるのか (その1)

ご存じのように裁判員裁判が実施されました。それを受けて各紙とも社説で論評を展開していました(各紙電子版の無料で読める頁は殆どリンク切になっていますので、五大紙+中日新聞の社説をコチラに纏めておきました)が、相変わらずの勉強不足で幾分マトモだった毎日新聞を除いて大概は本質が解っていないと思わされるものばかりでした。

以前、「それでもボクはやりたくない」と題した5回にわたる連載で裁判員制度に対する私見を述べさせて頂きましたが、あれほど矛盾に満ちた制度について殆どのメディアはフィーリングだけで捉え、本気でその内容を精査する気がないようです。日本の制度が海外のそれと比べてどう違うのかといった基本的な部分もロクに確認しておらず、稚拙な認識の中で適当なことを書いているだけといった印象のものが殆どでした。

最も多かった意見は「厳しすぎる守秘義務を見直すべき」というものでした。が、そんなものは枝葉末節の問題点に過ぎません。裁判員を参加させずに法廷外で予め争点を絞ってしまったり、二審以上に裁判員は参加できないなど裁判員の影響力をゼロにしてしまえる骨抜きにされた制度設計がなされているというもっと根幹に関わる欠陥を問題視しているメディアは毎日新聞を除いて殆どありませんでした。

こうした仕組みを理解できていないのか、何らかの力が働いているのか、その真相は解りませんが、制度そのものに対しては判で押したように好意的な論評となっているのが非常に気持ち悪く感じるところです。

いつも酷い社説を載せている朝日新聞は今回も滅茶苦茶でしたが、特に酷かったのが8月4日付の社説『裁判員始動―市民感覚を重ね合わせて』にある以下の部分です。

 司法に市民が参加してきた歴史を持つ欧米では、陪審員や参審員の目の前で行われる法廷での審理が中心だ。それとは異質な日本の刑事司法の姿は、「ガラパゴス的」といわれてきた。その孤島へ、裁判員といういわば「新種」が上陸してきたわけだ。

 裁判員に求められているのは、日々変わりゆく社会に身を置き、虚々実々の世間を生きている庶民ならではの感覚だ。プロの裁判官が持ち得ないような視点こそが大切なのだ。

 そんな市民の視点を反映するには、裁判官との評議で裁判員たちが自由に意見を言えることが前提となる。その雰囲気を作るのは裁判官の責任だ。


「欧米では、陪審員や参審員の目の前で行われる法廷での審理が中心」などと書いている時点でこの論説委員は何も勉強していないということを露呈しています。以前にも触れましたように、アメリカの刑事裁判では検察が示した罪状を被告人が否認し、尚かつ被告人が望んだ場合に限って陪審員裁判が行われます。しかも、陪審員の利用率は僅か5%ほどでしかありません。

また、ヨーロッパの参審制も協会などの推薦によって選ばれた参審員が特定の期間を継続する任期制となっていますから、それほど沢山の裁判に参加できないのは明らかです。要するに、「欧米では、陪審員や参審員の目の前で行われる法廷での審理が中心」などというのは、この論説委員の妄想に過ぎません。

繰り返しになりますが、欧米における陪審制・参審制は民主化以前、国家弾圧で不当な裁判が行われてきた反省に立ったもので、その第一義は「被告人の利益」にあります。国が司法権を行使するに当たってそれが一方的な内容となり、被告人に不利な裁判が行われないことを最も重要な目的としているのが欧米の陪審制・参審制です。

しかし、日本の裁判員制度には「被告人の利益」など何処にも謳われていません。しかも、「裁判員の負担軽減」という理由で裁判員を参加させずに「公判前整理手続」という制度を用いて法廷外で予め争点を絞り、裁判そのもののスピードアップを図るという異常な制度になっています。被告人にとっては不利益にしかなりそうもない制度設計がなされている日本の裁判員制度は、欧米のそれとは180度逆を向いているといっても過言ではないでしょう。

欧米流の裁判制度に比して従来の日本が「ガラパゴス的」だったというのなら、「被告人の利益」を第一義としている欧米流に対して「被告人の利益」より「裁判員の負担軽減」に重きが置かれている本末転倒の日本流は「ガラパゴス的」な度合いがさらに高まったというべきでしょう。

また、股間に熱いコーヒーをこぼして火傷した老婦人が熱いコーヒーを出したマクドナルドを訴えて勝訴するとか、雨が降っていたのでバスルームにバーベキューコンロを持ち込んでバーベキューを始めたところ、バスタブに火が燃え移って自宅を全焼させた莫迦オヤジが「説明書にバスタブの中で使用するなという記載がなかった」とバーベキューコンロのメーカーを訴えて勝訴するとか、陪審員裁判の結果として非常識な判決が出されている訴訟大国アメリカも十二分に「ガラパゴス的」というべきでしょう。

余談になりますが、アメリカ人のジョークのセンスに対して敬服するのは、毎年こうしたバカバカしい訴訟を起こした人に対して「ステラ賞」というものを授与しているところです。この賞が冠する「ステラ」とは、上述のマクドナルドから60万ドル程度の和解金をせしめたステラ・リーベックという老婦人の名にちなんでいます。

これも以前に述べたことですが、私の知人の知人が裁判員制度導入前の模擬裁判に参加した際、疑問を感じた部分について質問したところ、それは「公判前整理手続で争点から外されている」ということでマトモに取り合ってもらえなかったといいます。裁判官・検察官・弁護人の三者が密室で談合し、事前に争点を絞ってしまう「公判前整理手続」などというインチキな制度が導入されて朝日新聞の言うような「プロの裁判官が持ち得ないような視点」を裁判員が遺憾なく発揮できるとは到底思えません。

この論説委員は「裁判官との評議で裁判員たちが自由に意見を言えることが前提となる。その雰囲気を作るのは裁判官の責任だ。」などと述べていますが、現実には自由な意見が「公判前整理手続」という制度の存在によって排除されてしまうことがあり得るのです。「裁判員の負担を軽減する」という建前の下、こうしたゆゆしき制度が導入されているという事実をこの論説委員は全く気付いていません。

中日新聞の8月4日付の社説『裁判員スタート 扉は市民に開かれた』で述べられている「透明で市民常識の反映する司法を築きたい」などという期待も全く的外れなものです。あのような密室での談合制度が導入された現状のほうがむしろ閉鎖的で公平性を欠くことになりかねない危険があると危惧すべきで、そうした点をもっと声高に叫ぶべきなのです。

こうした問題点をことごとく見過ごし、法務省などが唱える宣伝文句を鵜呑みにしてしまう彼らの目は完全に「節穴」としか言いようがありません。

(つづく)

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