酒と蘊蓄の日々

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インフラは後から付いてくる場合とそうでない場合がある (その1)

日経ビジネスの電子版に8輪駆動の電気自動車「エリーカ」を開発した慶應大学の清水浩教授のインタビューが載っていました。が、これまた酷く頓珍漢なことを語っていましたねぇ。電気自動車の開発者だけにこれを普及させたいと願う気持ちは解ります。しかし、こういうビジネスに明るくない技術屋さんに好き勝手なことをしゃべらせてそのまま垂れ流すのも経済メディアとしてはどうかと思いましたね。

「10万台、7年で電気自動車が主流になる」
~祝・社長就任! 「シムドライブ」は未来を開くか?


(前略)

F:電気自動車が普及する用件として、インフラの問題があります。ケータイは、インフラが固定電話に比べて格段に安いという途上国にも合ったメリットがありました。だからこそこれほど早く大量に普及した。電気自動車が普及させるにあたり、給電ステーションを全国展開するには相当なカネと時間が掛かりませんか?

清:インフラね。皆さんそう言います。インフラについても言いたいことが山ほどある。そもそもインフラが整ってから普及した技術なんて無いんです。

F:え?

清:インフラは後で付いてくる。デジカメが出来たときに、フィルム屋さんはいっぱいあったけれども、デジカメをプリントするなんていうビジネスはなかったですよね。携帯が出てきたときもそう。ごく狭い一部の地域でしか通話できなくて不便極まりなかった。でも、あ、コレ良いねとなったらアッという間にエリアが拡大したじゃないですか。2年ぐらいで全国展開。

F:確かにそうでした。発売当初に地方の山奥で掛からないから買わない、という人はいなかったですね。

清:いないですよそんなゼータクな人。クルマだってそう。多少不便だって使う人は必ず使う。高速道路が整備されたからクルマが普及したんじゃない。逆です。アリモノの既存の馬車道で走ってみて、あ、こりゃ調子いいやということで舗装道路ができて高速道路ができた。インフラなんて後から着いてきます。

F:良い製品で市場が望めばそうですね。

清:そうそう。あくまでも人が望む良い製品であれば、です。だから何と言っても最初に良い製品を作ることが大切です。そうすればインフラは間違いなく後から着いてくる。特に電気自動車のインフラなんて簡単ですよ。だってコンセントさえあればいいんですから。

(後略)

(C)日経ビジネスオンライン 2009年8月26日



「コンセントさえあればいい」などという素人考え丸出しでインフラ整備が「簡単」と言いきっている時点でこの人はこのビジネスを語る資格などないでしょう。そのコンセントが非常に高価であること、充電時間がかかって回転率が猛烈に悪いこと、電力供給の原価が安すぎて事業性が極めて低いこと、一般住宅でも充電できるゆえインフラの利用率が上がらないことなど(詳しくは「電気自動車の充電スタンドは商売にならない」と題したエントリをご参照下さい)を全て無視して簡単と言い張るのですから、これはもう笑止千万です。

携帯電話のインフラに対する理解も全くの出鱈目です。インフラの整備と製品の普及について、携帯電話やデジカメのプリントサービスは格好のケーススタディになると思いますので、前半はこれらのインフラ整備に話題の軸足を置くことにします。便宜上、カテゴリーは「自称モーターアナリスト」としますが、クルマのハナシは「その4」まで殆ど出てきません。興味のない方は適当に読み飛ばして下さい。

sony_so101.jpg
SONY SO101
私にとって初めての携帯電話がコレです。
1996年5月に発売されたデジタルムーバSO101は
左手親指で操作するソニーお得意のジョグダイヤル式で
電話帳などの項目選択が素早く的確にできる
というのが売りでした。
まだモノクロ液晶画面で日本語表示は半角カナのみ、
本体サイズは現在の端末と比べものにならないくらい大きく、
待受時間も通話時間も短かったのは言うまでもありません。


私が携帯電話を初めて購入したのは1996年のことで、私の周囲の人たちもだいたいその前後1年くらいに集中していました。しかし、日本で携帯電話のサービスが始まったのはその2年前などではありません。17年も前に遡ります。

第一世代はアナログでしたが、デジタルとなった第二世代のサービスが始まったのは1993年のことです。まだ端末は買い取りではなくレンタルで、料金が非常に高かったこともありますが、何よりインフラが殆ど整っていませんでした。東京を中心とした約30kmのエリアしかカバーできていなかったんですね。端末もまだ巨大なバッテリーを含む本体をストラップで肩から提げる「ショルダーホン」も健在という時代でした。

デジタルショルダーホン
デジタル・ショルダーホン

「ごく狭い一部の地域でしか通話できなくて不便極まりなかった」というのはこの頃のことかと思いますが、その段階では大都市圏でごく限られた人たちしか使っておらず、大部分の人は静観していたという状況でした。本格的な普及は全く始まっていなかったんですね。

私が携帯電話を初めて購入した1996年には全国的にそれなりのエリアがカバーされ、地方都市でもそこそこ繋がるようになっていました。東京23区内では建物の中や地下街などを除いて繋がりにくい場所のほうが少ないといったレベルまでインフラは整っていたんですね。

端末や料金もどんどん安くなっていったことも普及を後押ししましたが、やはり「ちょっと前までは使えなかったあそこでも使えるようになった」という変化も感じられ、将来的に楽観できるレベルまでインフラが拡充されていたからこそ、本格的に普及するようになったんです。

一方、第二世代携帯電話から少し遅れてサービスが始まったPHSは結局のところDDIポケット(現在のウィルコム)しか生き残ることができませんでした。アステルは2002年から段階的にサービスを終了し始め、2007年12月で全てのサービスを終了、NTTパーソナル(1998年にドコモグループへ経営を移譲)も2008年1月に全てのPHSサービスを終了しました。

こうした結果に至ったのもインフラ整備の遅れが最も大きな要因だったと見て間違いないでしょう。これはインフラ整備を巡る事業の成否を見る上で好例ではないかと思いますので、次回でもう少し詳しく述べたいと思います。

(つづく)

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