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デンマークは似非エコ先進国? (その2)

日本のメディアにはしばしば「風力発電先進国」「エコロジー先進国」などと持て囃されるデンマークですが、変動が激しい不安定電源である風力発電が電力生産の18%も占めるなど、現在の技術レベルを踏まえて常識的に考えればあり得ないことです。このあり得ない状態が何故デンマークでは成り立っているのかといいますと、それは国内で吸収できない変動分を分担してもらうため、風力発電によって作られた電力を近隣国に買ってもらっているからです。

CO2の排出量取引が制度化されているヨーロッパでは風力発電による電力を買えばその分のCO2排出量を削減したとカウントされる仕組みになっています。こうした仕組みが効いて相応の需要もありますから、変動の吸収に余力があるうちは近隣国もこれを買ってくれるわけですね。しかし、全世界が同じレベルで風力発電や太陽光発電などの不安定電源を普及させていったらこんな姑息な手段は使えなくなります。

デンマークの風力発電の割合が高い理由はもう一つあります。彼らは2000年から5年間でエネルギー部門のCO2排出量を11%も削減しました。日本のメディアはこの数字だけを見て風力発電を崇拝しているようですが、実際には巧妙というより奸智に長けたというべきカラクリがあるんですね。

デンマークが風力発電の電力を近隣国に買ってもらっているのは電力が余っているからではありません。あくまでも自国内で変動を吸収しきれないからです。何故そのようなことが断言できるかと言いますと、彼らは2000年からの5年間で近隣国からの電力輸入量を従来の2倍に増やしているからです。そうして国内の火力発電による電力生産を大幅に減らし、CO2排出量の大幅な削減に成功したのです。

近隣国から電力を輸入しながら国内の火力発電による電力生産を減らせば、相対的に風力発電の割合はさらに増えます。18%という高い比率はこうして成り立っているというわけですね。ちなみに、こうしたデンマークのやり方に対するFED(フランスの持続可能な環境連盟)の評価はこうです。

「デンマークは恒常的な電力供給を保証できない風力発電を補完するため、近隣諸国で二酸化炭素の排出を増やしただけだ」

日本のメディアは「エコロジー先進国デンマークを手本にすべし」というようなことをよく言いますが、こんなやり方はちっともエコではなく、むしろ似非エコの範疇に入るといって差し支えないでしょう。自国内で処理しきれないほど無駄に風力発電を増やし、近隣国の火力発電も利用して変動を吸収するという自立できないシステムなど真似してはいけません。

「自分の国さえCO2を減らせれば他国がどうなろうと知ったことではない」というスタンスはエゴそのもので、みんながこんなやり方を始めたらシステムとして成り立ちません。それを承知で日本がデンマークと同じようなことをやるとしたら、どこに変動分の肩代わりをしてもらえばいいでしょう? 中国ですか? 韓国ですか? ロシアですか?

いずれにしても、島国の日本が近隣国と電力を融通し合うとなれば、海底に長大な送電線を敷設するという莫迦みたいなインフラを整備しなければなりません。莫大なカネとエネルギーを投じ、送電による損失で折角の電力を目減りさせ、インフラの維持にカネとエネルギーを継続的に投入し、それで国内のCO2をいくらか削減しても、近隣国に帳尻合わせを押しつけたのでは何の解決にもなりません。こんな詐欺的なシステムを手本にしろというのは、こういうカラクリになってることを知らないか、風力発電をカルト的に盲信しているか、どちらかということになるでしょう。

それでアチラのCO2の排出量がどのような状況で推移したかといいますと・・・

欧米各国のCO2排出量
1997年以降のCO2排出量の推移

ご覧のようにドイツやスウェーデンでさえほぼ横ばい、全体としては増加傾向を示す中でデンマークの一人勝ちです。要するに、デンマークのようなやり方は一人勝ちになるような状況でしか成り立たないと見るべきなんですね。こうしたインチキなやり方が許容されるのも、デンマークが人口500万人という千葉県にも満たないような小国だからでしょう。

同様に世界屈指の風力発電大国であるスペインはデンマークのように他国の火力発電で変動を補完するような手段を選ばず、国内の火力発電を強化してこれに対応する道を選びました。こういう真っ当なやり方をするとどうなるかといいますと、逆にCO2の排出量が増加するという皮肉な結末に至ってしまうのです。

イタリアのように原発廃止を撤回し、これを見直そうとする風潮がヨーロッパでは広がりつつあります(それもCO2温暖化説を既成事実化した狙いの一つかも知れません)が、原発が電力生産の約20%を占めるスペインは相変わらず脱原発路線を維持しており、昨年7月にもサパテロ首相が「公約通り段階的廃止を進め、新規投資はしない」と宣言しています。

原発は火力発電のように出力を細かく調整することができません。スペインは風力発電の変動分を補完するために出力調整が容易な火力発電を強化したわけですから、いくつかの原発で炉を止めて電力供給量を整えたのでしょう。ま、それはそれで脱原発に向けた筋道とも符合して良いのでしょうけど、火力発電を強化したことで結果的にCO2の排出量を増やしてしまったというわけです。

実際、スペインは2000年からの5年間でエネルギー部門のCO2排出量を10%も増やしてしまい、全体でも上図のようにヨーロッパ随一のCO2排出量増加国となってしまいました。ま、個人的にはCO2温暖化説など信じていませんから原発を火力発電にシフトするのはむしろ良いことだと思いますけど。

デンマークは風力発電以外の電力生産を火力発電に依存し、原発は1基も持っていません(ただし、ドイツからの輸入電力には原発での発電分も少し含まれるようです)。出力調整の容易な火力発電が圧倒的な割合を占めているデンマークが2割足らずの不安定電源を抱えただけで自己完結できないのですから、火力発電が6割程度、原発が3割以上を占める日本で風力や太陽光のような不安定電源を増やしていくとしたら、どうやってその変動分を補完すれば良いのでしょう?

そうした答えもないまま闇雲に風力発電や太陽光発電などの不安定電源を増やせというのは「無い物ねだり」というものです。本来であれば、メディアが率先してこうした現実をキチンと把握して広く知らしめ、環境負荷を抑える実効性の高いエネルギー政策はどうあるべきかという問題提起をしていかなければならないハズです。しかし、日本の殆どの大衆メディアはこの宗教的なお祭り騒ぎをただ煽るだけです。この莫迦げた似非エコブームはいつまで続くのでしょうか?

(おしまい)

(補足へつづく)

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  • 2009/09/26(土) 18:55:57 |
  • |
  • #
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デンマーク

温暖化の問題はCO2による地球温暖化を信じるかどうかで物事の捉え方が大きく違います。石墨さんは信じないというお立場のようですね、私はロシアンルーレット程度には危険だと思っています。

さて、デンマークの件ですが、デンマークが電力供給で自己完結できないこと自身は、非難されるべきことではないと思います。

日本は島国ですが、日本全土で電力会社間の電力融通システムを持っています。デンマークとほぼ同じ経済規模の北海道は昔は相互融通の対象外で苦労したのですが、今では北海道の電力を九州で使う、あるいはその逆というシステムができています。

風力発電、太陽光発電のような自然エネルギーは確かに自然に対して「あなた任せ」なので、発電量の変動が多いのですが、より広域で融通しあえば、変動、不安定さを相当程度相殺できます。ヨーロッパは事実上一つの国家に近づいていますから、ヨーロッパ全域で電力融通システムを作り、デンマークが風力発電を多く行うというのは、全体最適として悪くはないでしょう。

ただ、風力発電は出力の弱さ、低周波被害、機械の耐用年数など、本当に頼りになるか問題は多いと思います。かりに技術的問題が解決すれば(低周波音は難しそうですが)、水力発電も含めた他の自然エネルギーをなるべく多く使い、ベースは原子力発電で確保し(原子力発電の長期定経済性も大きな疑問符が付きますが)、変動分は火力で補うという発電ポートフォリオになるでしょう。

ただ、たまたまその中で風力担当するデンマークが、変動分を他国の火力で補っているのに口を拭って、「我が国はエコ大国」と言うなら、欺瞞と言わざる得ないでしょう。まして、それの尻馬に乗って、デンマーク礼賛をマスコミがやっているのなら、それは無知による誤報、あるいはためにする報道と言われてもしょうがありません。

別の話ですが、原子力発電を嫌うドイツは電力多消費型の工場をフランス国境に集中し、フランスの原子力発電の豊富で安価な電力を買っています。これもまた何かの欺瞞かもしれません。

RealWave Consulting代表 さん>

まず、誤解があるようですので、改めてご説明します。

>デンマークが電力供給で自己完結できないこと自身は、非難されるべきことではないと思います。

そもそも、私は自己完結できないデンマークの風力発電そのものを非難しているわけではありません。FEDが指摘しているとおり彼らは現状で恒常的な電力供給を保証できない風力発電を補完するため、近隣諸国でCO2の排出を増やしているわけですが、そうした実情がありながら自国を「環境国家」あるいは「クリーンエネルギー先進国」と称しています。私はこのことに対して、「似非エコ」だと非難しているのです。

>たまたまその中で風力担当するデンマークが、変動分を他国の火力で補っているのに口を拭って、「我が国はエコ大国」と言うなら、欺瞞と言わざる得ないでしょう。

デンマークが自国を「環境国家」「クリーンエネルギー先進国」と称している具体例も補足(その2)で詳しく述べていますので、ご参照ください。

この件につきましては、以前にも似たようなご指摘があり(RealWave Consulting代表さんの上に投稿されている非公開コメントがそれです)、同様の誤解がないように補足を設けて詳しくご説明したつもりですが、最後までお読み頂けなかったのは非常に残念です。


さて、本題ですが、電力の安定供給には少なくとも以下に示す二つの条件が満たされていなければなりません。

①安定した供給を継続できること
②供給量を需要に応じて調整できること

この点で問題がないのは火力発電(石炭火力は②について石油や天然ガスほど柔軟ではないようですが)と貯水池式水力発電くらいでしょう。原子力は②の条件で、風力や太陽光など多くの自然エネルギーは①②ともに適していません。

もちろん、ご指摘のように広範囲で電力を融通し合えば風力や太陽光の割合が増えても短期的な変動をいくらか緩和できるようになるかも知れません。しかしながら、天気予報でも「今日は全国的に穏やかな1日でした」とか「全国的に雨がちな1週間になるでしょう」といったフレーズがよく聞かれるように、広範囲で風が吹かなかったり、全国的に曇りや雨の日が何日も続くことは決して珍しいことではありません。特に日本は北海道を除いて梅雨の時期や今頃は全国的に長雨が続きます。

このように広範囲での連携でも対応しきれないケースが巡ってくることはそれなりの頻度であると思います。それに対応するためにバックアップの確保は欠かせないわけですが、出力調整が容易な火力発電を減らすとなればそれを補完するためにとてつもない規模のエネルギーストレージが必要になってくるでしょう。

また、北海道を「日本のデンマーク」という人がいることを私も知っていますし、北海道・本州間連系設備を活用すれば北海道をデンマークと同じような風力発電の中心地とする事も可能かも知れません。が、日本全体をデンマークのようにすることは現実的といえないでしょう。

そもそも、安定化というと多くの方が上記①しか考慮しない傾向にありますが、②で対応しなければならない変動幅も決して小さくありません。1日の間にも電力需要は大きく変動していますから、それに合わせて供給量を調整しなければならないのは本文でも述べた通りですが、原子力、風力、太陽光とも発電設備単体では出力を調整できません。

既に現段階でも1日の電力需要の変動幅を吸収するのに火力発電や貯水池式水力発電の出力調整では補いきれない状態で、揚水式水力発電というエネルギーストレージを活用している状態です。出力調整の利かない電源をこれからさらに増やしていったら、需要に見合った供給量に調整するにはどうしたらよいでしょう?

実は、この辺のハナシは明日アップする予定のエントリとかなり被っており、今日の段階であまり突っ込んだことを書くとネタに困ってしまうので程々にしておきますが、出力調整が利かない電源を増やし、尚かつエネルギーの利用効率を下げないようにするためには大規模なエネルギーストレージをどう整備していくかという問題を避けて通ることはできないと思います。

私は自然エネルギーの利用を無下に否定するつもりなどありませんが、水力以外の自然エネルギーは殆どが不安定で出力調整もできない非常に扱いづらいものです。これを使いこなすには、発電設備の数を増やしていくよりも前に安定化と供給量調整に必要なインフラの開発を進めていかなければなりません。

不勉強なメディアだけでなく、政治家までもが「とりあえず風車を立て、ソーラーパネルを置けばよい」と簡単に考えているようなところがあります。それは非常に稚拙な短絡思考だということを指摘するのが今回の主題でした。

ま、私はタイトルを考えるのが非常に苦手で、あのようにセンスのないタイトルにしてしまいましたが、デンマーク批判を主眼として書いたものでなく、日本のメディアがデンマークを「エコロジー先進国」としていることに対するアンチテーゼとするつもりで、この辺のことは補足を含めてよく斟酌して頂ければご理解頂けるかと思います。


ところで、一般的なリボルバーの装弾数は5~6発です。過去にはオモチャのような小口径弾で20発、あるいはそれ以上というものもありましたが、常識的にはやはり5~6発でしょう。これを用いるロシアンルーレットは参加人数にもよりますが、1人1回引き金を引くだけでも16.7~20.0%というかなり高い確率で命を落とす非常に危険なギャンブルということになります。

IPCCの評価報告書ではこの気候変動が人為的である可能性を90%以上としていますが、それによって奪われる人命については具体的な値を示していなかったように思います。もっとも、全てのレポートを読んだわけではないので見落としているだけかも知れませんけど。

一方、国連のアナン前事務総長が率い、IPCCのパチャウリ議長も理事を務めているシンクタンク「グローバル・ヒューマニタリアン・フォーラム」が今年5月末に出した報告書には、地球温暖化に関連した自然災害などによる死者が2030年までに世界全体で50万人に達するとしています。現在の世界人口約68億人を分母にすると僅か0.007%ですから、ロシアンルーレットで命を落とす確率に比べると桁が4つも違います。

そこでお伺いしたいのですが、地球温暖化が「ロシアンルーレット程度には危険」というのは何を根拠にされているのでしょう? 単なる比喩であれば無粋なツッコミをして申し訳ないと思いますが、少々気になりましたので。

  • 2009/10/07(水) 23:48:43 |
  • URL |
  • 石墨 #PxDbU/1w
  • [ 編集]

二元論はいけないということです

ロシアンルーレットはもちろん比喩です。地球温暖化がどう転ぼうと、私も石墨さんもそれで死ぬような目に会うことはないでしょう。

少し問題を厳密に定義してみましょう。まず、地球温暖化で2100年ごろに3-5度ほど地球の平均気温が上がるのは、人類的危機だと仮定します。この程度のことで人類文明が破滅の淵にさらされるかどうかも議論の余地は大いにありますが、未知との遭遇であることは間違いありません。ここは議論の外に置きます。

そこで2100年ごろに人類の経済活動によって、3-5度地球の平均気温が上昇するという、地球温暖化が発生する確率を考えてみます。まぁ、本当のところ確かな確率など計算のしようもないでしょう。ここでは不可知論や不毛な技術論に陥るのは避けるために、「相対性理論が未来永劫誤謬とされないことを証明しろ」とか「原子力発電所が絶対に安全だということを証明しろ」とか野暮なこことは言わないことにします。

このような意味で絶対的な証明は本質的に不可能ですから、このレベルで論争すると、自分は自分の信じることをあくまでも信じて、相手には「お前の言っていることが絶対に正しいことを証明しろ」と言いあっているだけになってしまいます。これは宗教論争、イデオロギー論争ではあっても科学論争ではありません。

さて、地球が人類の経済活動で温暖化する確率はどれくらいと思うべきなのでしょうか。どうも原子力発電所がチャイナシンドロームを起こす確率よりは高そうです。恐竜を滅ぼしたような隕石が100年以内に落下する確率よりも高そうです。では、仮にロシアンルーレットで6連装のピストルに1発弾丸を入れた程度の確率16.7%だったらどうでしょうか。もちろんこれは主観確率です。16.7%がどこまで妥当かはわかりません。

この程度の確率で2100年までに人類が破滅的状態に陥ると信じたら(ここは「信じる」ということです)どうしたらよいでしょうか。ここからは、妥当と考えられる対策のコストと危険の期待値とを秤にかけることになります。あくまでも考え方ですが、地球全体のGDPを70兆ドルとして、その1%7,000億ドルくらいは保険金としてかけてもよいのではないかという気がします。

もちろん、損害保険は損害が生じたとき保険会社ちゃんとお金をはらってくれますが、この保険はちゃんと支払ってもらえるかどうかもわかりません。もしかすると保険ではなく、神様へのお供え物程度の意味しかないかもしれません。でも少なくとも気休めにはなります。

ちなみに1%の保険金は日本なら5兆円程度です。25%の温暖化ガス削減策のコストはどれくらいでしょうか。産業が崩壊してしまえば、それどころのコストではなくなりますが、この程度の補助金を出せば(どちらにせよ国民の懐からですが)、産業界もあまり文句は言わなそうです。ま、ここは慎重に後から計算しましょう。

話を元に戻します。私は地球温暖化が人類の経済活動で起きるのではないかと考えていますが、別に「信じている」わけではありません。少なくとも、「地球は太陽の周りを回っている」ほどには信じていません。温暖化ガス削減策は「保険」としてあるいは「神様へのお供え物」として意味があると思っているだけです(本当にただの「お供え物」と分ったらバカバカしくなるでしょうけど)。

石墨さんに限らず、多くの反地球温暖化派(勝手に名前を付けて申し訳ありません)は科学的な厳密さを、「地球は温暖化する」という説の分析には使っても、「温暖化しない」という説には使っていないように見えます。コンピューターシミュレーションが当てにならないのは確かだとしても、それは「温暖化する」という証明はなされていないのと同様に、「温暖化しない」という説が証明されたことにもなりません。

本当に地球温暖化が起こったら人類文明が崩壊する危険があるとしたら、議論は精密、慎重であるべきです。少なくとも二元論、「相手の説の否定には厳密な科学的根拠を求め、自分の説の肯定には厳密な科学的根拠を求めない」態度は避けるべきです。

破滅的な地球温暖化が2100年ごろまでに起きる確率は私には「そんなもの気にするなよ」と言えるほど低いとは思えません。ロシアンルーレットよりは高いと感じられます。それとも石墨さんは何か根拠があって、「そんな確率は1%(あるいは石墨さんが無視できると思える低い値)以下だよ」とおっしゃっているのでしょうか。私にはそうは思えませんが。

RealWave Consulting代表 さん>

やはり誤解があるようですね。

ジックリお答えしなければならないと思いますが、
本編の執筆を優先させますので、しばらくお待ち下さい。

  • 2009/10/09(金) 00:33:15 |
  • URL |
  • 石墨(仮投稿) #PxDbU/1w
  • [ 編集]

念のため

石墨さん、
ゆっくりご返事いただければ幸いです。念のために私の理屈を申しあげておきます。最初の文章は飾りが多いので、こちらが肝になります。

(1) 地球温暖化への人類活動の影響は否定論、肯定論とも十分な論証が行えている段階ではない
(2) 論証できないという意味では否定論、肯定論とも対等だが、肯定論が正しい確率は無視できるほど小さくはない。少なくとも巨大隕石の落下確率ほど小さくはない。ただし、地球温暖化の確率を正確に知る方法はないので、確率は主観確率となる
(3) 肯定論が正しい確率が無視できなければ「保険」として温暖化ガス削減は意味がある。保険の額は、一般的に受け入れられる範囲にとどめるしかない
(4) 多くの地球温暖化否定論者の論理的な問題は、温暖化肯定論に厳密な証明を求めるのに、否定論も同様に仮説に過ぎないことを無視していること

以上です

RealWave Consulting代表 さん>

大変お待たせしました。少々長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

RealWave Consulting代表さん(入力が大変なので申し訳ありませんが、以下「あなた」と呼ばせて頂きます)が述べられている内容からしますと、どうも根本的なところで誤解をされているように思います。IPCCの評価報告書とアル・ゴア氏の著書の内容がかなり食い違っているように、人為的温暖化説に懐疑的あるいは否定的な人たち(面倒なので便宜上ここでは「懐疑派」ということにします)の中にも様々な見方があります。

例えば、殆どの観測ポイントが陸にあることから地表の7割を占める海上の気温があまり考慮されていなかったり、陸上の観測ポイントも都市部に偏っていることからヒートアイランド現象などの要素を混ぜ込んで評価している可能性が拭えなかったり、それ以前に観測ポイントが信じられないくらい滅茶苦茶な状態(例えば、エアコンの室外機のそばに百葉箱が置かれているなど)のデータも含まれているため、地球の平均気温が上昇しているというデータそのものの信憑性が疑われるという横浜国大の伊藤公紀教授のような人もいます。

あるいは、温暖化しているのは確からしいが、それは自然変動の範囲内であると考え得ることで、人為的に排出された温室効果ガスの増加によるものとは考えにくいという人もいます(私の見解も概ねこれに属します)。この気候変動が人為的である可能性は充分に考え得るが、気温の上昇が人類にとって危機的な状況を作るとは考えにくいという人もいます。

要するに、「温暖化説」に懐疑的であったり、「人為説」に懐疑的であったり、「脅威論」に懐疑的であったり、全てに懐疑的という人もいるでしょうし、同じ懐疑派の中でも人によって捉え方は様々で、統一見解など存在しないということです。

しかし、あなたのコメントを読んでいますと、「懐疑派=温暖化しないと思っている人たち」と定義されてしまっているようです。聞きかじった知識で一方的なことを言っている人、ネット掲示板などに稚拙な書き込みをしている野次馬みたいな人、そういう無責任な人の中にはそんな人もいるかも知れませんが、懐疑派の中でもキチンと科学的根拠に立脚した議論を展開している人の中で根拠もなく「温暖化しない」と主張している人はまずいないでしょう。

科学的に真面目に取り組んでいる懐疑派(以下、懐疑派というときはこういう人たちを指すことにします)は「科学リテラシー」として人為的温暖化説に述べられている現象の把握の仕方やそのデータ、将来の予測に関することなど様々な内容を精査し、矛盾点や疑問点を指摘しているだけです。つまり、懐疑派は「人為的温暖化説には間違いがある」という説を唱えているのです。もちろん、その説はちゃんと科学的な根拠を伴っていますから、あなたのいう「自分の説の肯定には厳密な科学的根拠を求めない」というのはとんでもない誤解です。

同様に、「温暖化しない」という説に科学的な厳密さを求めていないと仰っていますが、そもそも「懐疑派=温暖化しない説論者」ではありません。もし、「温暖化しない説」を唱えている人がいるとして、そこに述べられている内容に科学的な矛盾点や疑問点があった場合、私はそれをおかしいと指摘するでしょうし、恐らく他の懐疑派の人たちの中にも同様に間違い探しを始める人は出てくると思います。

やや余談になりますが、過去には「地球は寒冷化する」と唱えていた人たちが沢山いました。その中で現在でも著名な気候学者としてはスタンフォード大学のスティーブン・H・シュナイダーという人物がいます。彼も1940年代から70年代前半くらいまで続いた気温の下降期に、寒冷化説を唱えていたのですが、「この気候変動は人為的なものだ」と主張していたんですね。

曰く、化石燃料の燃焼時に生じる粒子状物質が太陽光を放射する「エアロゾル効果」によるものだと。エアロゾルが4倍になれば「平均気温が3.5℃も下がりうるだろう。もしこれが何年間か続いたら、このような気温低下は氷河期を引き起こすのには十分なものになりうるだろう」とした論文(S・イチティアク・ラスール氏との共著)が発表されたのは1971年のことでした。

このとき、人為説が主流になることはありませんでしたが、寒冷化の脅威を煽る気候学者は少なからずいました。シュナイダー氏もその中の1人にすぎません。しかし、1970年代後半くらいから気温が上昇傾向に転ずるや彼らは主張を180度翻し、今度は人為的に排出された温室効果ガスの増加による温暖化というシナリオにアッサリと乗り換えてしまいました。地球の平均気温が下がったり上がったりする度に人類存亡の危機だと脅かされ、振り回されるというのも何だか莫迦莫迦しいハナシです。

ちなみに、シュナイダー氏の主張で当時も現在もブレがないのは、化石燃料の消費拡大が気候変動をもたらしているから、その消費を抑え、原子力へシフトすべきだというところだけです。そんなシュナイダー氏は原子力業界の御用科学者だと揶揄されることもしばしばですが、そういう人物がIPCCの第4次評価報告書で第2作業部会の統括執筆責任者を務めていたりします。

かつてシュナイダー氏が唱えていたような「人為的寒冷化説」がリバイバルしてきて、現在の「人為的温暖化説」と同じように脅威として社会を大きく揺るがすような影響力を持つようになったら、私たち懐疑派の多くは同じように科学的な厳密さを求めて内容の精査を始めるでしょう。もちろん、こうした場合も「懐疑派=寒冷化しない説論者」ではなく、「科学リテラシー」としてこれに取り組むという格好です。

ですから、私を含めて「懐疑派」を「反地球温暖化派」と括って、「温暖化する」説には科学的な厳密さを求める一方、「温暖化しない」説には科学的な厳密さを求めない人たちと定義されてしまうのは極めて不本意なことですし、個人的には非常に不愉快なことでもあります。


さて、それでは地球の将来はどうなるでしょうか?

全ての懐疑派の意見が纏まっているわけではありませんから、断言はできませんが、懐疑派の多くの人たちが考えているのは「現在のコンピュータシミュレーションでそんな予測などできない」という方向ではないでしょうか。ま、中には太陽の活動周期などをベースに予測を立てようとする人もいるかも知れませんが、それも不確かな仮説にしかならないでしょう。

私の個人的な意見としましては、しばらく温暖化が続くかも知れませんし、あまり変化がないかも知れませんし、あるいは寒冷化していくのかも知れませんし、要するにどうなるのか解りません。過去にあった大きな気候変動の経過を見た印象からして、いずれはウルム氷期に続く第5氷期が来そうな気もしますが、それも明確な根拠などありませんから、科学的な確からしさを掲げて論じることはできません。


では、人為的な温暖化を完全に否定できない現状でこのリスクに備える必要がないのかという議論ですが、個人的には人為的温暖化説が間違っていたと解った場合でもメリットになるような対策なら積極的にやっていくべきだと考えます。例えば、省エネの徹底やそのための技術開発、化石燃料に依存しないエネルギー開発などです。逆に、人為的温暖化説が間違っていた場合、大きな損失に繋がってしまう可能性が高い対策はすべきでないと考えています。例えば、地下や深海へのCO2貯蔵技術の開発とか、CO2排出量取引などです。

「地球温暖化問題は良性の脅威だ」という人もいます。私もそれは一理あると思います。人為的温暖化説が間違っていたと解った場合でもメリットになるような対策を進める分には人類の将来にとって最終的に良い結果をもたらすだろうと思うからです。

人為的な温暖化によって人類が大きな打撃を受けるというストーリー通りになる可能性は、科学的な根拠が不確かなだけに高くはないだろうと思います。が、このままのペースで化石燃料を使い続け、これを枯渇させてしまったら、現在約68億人いる人類を養いきれなくなるのはまず間違いないと思います。いえ、現状でも全世界の栄養不足人口が8億5000万人くらい、餓死者が毎年1500万~1800万人くらいといわれていますから、とても養いきれているとは言えませんが。

いずれにしても、いまのような状態でただ年月を重ねていけば、化石燃料の枯渇が人類にかなりのダメージを与えるのは間違いなく、人為的温暖化説で唱えられていることとは全く比較にならないくらい遙かに確度の高い脅威になると見て間違いないと思います。そうした危機を回避するためにはできるだけ早い段階から備えておいたほうが良いと考えています。

中には「いくら口を酸っぱくして『エネルギー消費を抑えよう』とかけ声をかけても笛を吹いても踊らない大衆を誘導するための『方便』として地球温暖化問題は利用価値がある」と考える人もいるでしょう。しかし、それはそれで大きなリスクがあります。

ここまで多くの人に事実であると信じ込ませてしまった地球温暖化問題が実は間違っていた(白黒ハッキリとした決着は付きにくいと思いますが、世間一般の認識が一気に逆転してしまうことはあり得ると思います)ということになったら、環境問題を解析する科学に対する信頼は大きく失墜するでしょう。その直後に本当の脅威がやってきて、全人類が一丸となってその対策に取り組まなければならないとしたら、そのときはどうやってかけ声をかけ直せば良いでしょう?

そのとき様々な科学的根拠を並べて間違いのない脅威だと訴えて、大衆は必ずそれを素直に信じてくれるでしょうか? まるでイソップ童話の狼少年(正しいタイトルは『嘘をつく少年』だそうですが)のようなハナシではありますが、もしこのようなことになったらそれこそ悲劇です。

私が懸念しているのは、日本で普通に暮らしている人たちの間では人為的温暖化説など単なる仮説に過ぎないということが殆ど知られておらず、事実であると信じられていることです。主要メディア以外からも積極的に情報を得ようとしている人の中には実態に気付いている人もそこそこいますが、大抵の人は事実だと信じ込まされています。学校でもそのように教えているのですから、普通の人はまず疑わないでしょう。

全ての人があなたのように地球温暖化の脅威が可能性の一つでしかないと理解していれば、狼少年のような結末を心配する必要もありません。が、実社会においてはありとあらゆることが人為的温暖化説を事実として扱っています。世界各国でそれに立脚した法整備も進められています。日本でも既に「地球温暖化対策の推進に関する法律」という法律が1998年に施行されており、今度の新政権も「地球温暖化対策税」と仮称している税制を4年以内に導入する方針です。

こうして世の中は(特に日本やヨーロッパは)人為的温暖化説を既成事実化して突っ走っていますが、多くの懐疑派の人たちはこの暴走状態を鎮めたいと考え、人為的温暖化説の疑問点や矛盾点を指摘し、単なる仮説に過ぎないという理解を広めたいと考えているのだと思います。少なくとも私はそういう立場で、こんな零細なblogでは何の影響力もないと知りつつ、人為的温暖化説が単なる仮説でしかないということを訴え続けています。


昨年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は「科学というのは肯定のための否定の連続」と述べています。「科学は異論反論によって鍛えられる」という人もいます。ですから、私は人為説論者たちと懐疑派はもっと議論を重ねるべきだと思っています。そうすれば少しは真実に近づけるかも知れませんし、そうした論争を一般の人も見聞きすれば狼少年のような事態も心配する必要はなくなるでしょう。

懐疑派でこうした議論を望まない人はまずいないと思いますが、残念なことに人為説論者やその支持者たちにはそれを望まない人が沢山います。

例えば、名城大学の槌田敦教授らが日本気象学会の機関誌に人為的温暖化説を否定する内容の論文を寄稿したところ掲載を拒否され、同学会の今年の春季大会で一般講演を申請しても拒否されました。槌田氏はこれを不服として東京地裁へ慰謝料の請求というカタチで訴訟を起こしています。

学会側の答弁書では「理論の展開の過程で説明の不足する部分や過去の観測事実との矛盾がいくつか見られ、現時点の原稿では著者らの主張が十分な説得力を持って伝わってこない」といった理由を述べていますが、科学誌や学会で発表されるレベルの論文であっても説明不足や矛盾点があるケースなど珍しくもありません。そもそも、人為的温暖化説にも沢山の説明不足と矛盾点があるのですから、これではダブルスタンダードといわざるを得ないでしょう。

それ以前に、科学的に証明されていないものは全て仮説でしかなく、多かれ少なかれ不確実な要素を含んでいます。学会というのはまさにそうした不確実な部分を議論し合って妥当性を探るための場というべき存在です。いくつかの矛盾点や説明不足があったくらいで排除していたら、何の為に学会というものが組織されているのか解りません。

一方、2006年くらいから国立環境研の江守正多氏や東北大の明日香寿川教授ら、メディアを通じて大衆に情報を発信している人為的温暖化説の主要な論客たち約10名が集まり、懐疑派の指摘に反論を試みています。そうした取り組み自体は非常に良いことで、私としても大歓迎です。が、そのチーム名が「懐疑派バスターズ」というのはいくら何でも無礼千万です。

彼らは「異論を封じるのではなく、懐疑派との討論を通じて社会に温暖化の実相を伝えるのが目的」と主張しているようですが、ならば、何故こんな相手を莫迦にしたような名称にするのでしょう? 読売の記事では「次々とわき出る懐疑論に目を光らせ」などと懐疑派がまるで害虫であるかのような言い様です。

自分たちの説に異を唱える人たちを「異端」扱いするだけでも良識を疑いますが、「害虫」扱いとなるともはや正常な社会人とは見なせない無神経さと非常識ぶりです。異論と真面目に向き合う気があるなら、何故「バスターズ」などと名乗るのでしょう?

また、江守氏は「僕らがいちいち目くじらを立てて反論すると、一般の市民からは単なる水かけ論に見えてしまい『ああ、やっぱり温暖化はまだよくわかっていなくて、論争状態にあるのだなあ』と思われてしまう危険性があります。相手が間違っているのに五分五分の論争だと思われるとしたら、僕らにとっては反論するだけ損ですよね。」とも述べています。

東大の小宮山宏総長も「温暖化は本当なのか嘘なのかという、そんな議論は国際的にはほとんど終わっています。今は、今後の具体的な行動をどうするんだという議論がされています。」と述べています。ま、真摯な科学者ならそんなことはないかも知れませんが、このように「もはや議論のときは終わった。あとは如何にして行動に移すかだ。」みたいなことを主張している人為説支持者は山のようにいます。

将来のことを真剣に考えるのであれば、まずはこうした独善的で傲慢な人たちをどうにかすることから始める必要があるように思います。このままの状態を許していたら、本当に狼少年のような悲劇的な結末が待っているかも知れません。


再生可能エネルギーなど化石燃料に依存しないエネルギーを如何にして利用価値の高いものにしていくかというのは極めて重要な課題です。が、世間一般には風力発電や太陽光発電を増やせばいいと単純に考える傾向が強く、このエントリもそうした短絡思考に釘を刺すのが本当の目的でした。

繰り返しになりますが、化石燃料に依存しないエネルギーの開発が進んでいない現状のまま化石燃料の消費を続けていけば、人類はいずれ確実に大きなダメージを受けるでしょう。本来であれば、この化石燃料の枯渇という極めて確度の高い危機に備えて全力を尽くしていくべきで、これに取り組めば可能性として排除できない温暖化対策にもなると考えるべきです。

しかし、世の中的には地球温暖化こそ差し迫った脅威であって、この対策を進めればエネルギー問題も良い方向へ向かわせることができるという筋書きになっています。私に言わせて頂くなら、これは全くの本末転倒です。他の懐疑派の人たちがどう考えているかは知りませんが、私はこうした本末転倒状態を早急に解消すべきだと思っています。

「あと40年で石油は枯渇する」と何十年も前から言われ続け、新たな油田が開発される度にそれが先延ばしになってしまい、もはや化石燃料の枯渇が人類に大きなダメージを与えるといっても多くの人は差し迫った危機だと感じにくくなっています。これもある意味では不確実な予測がもたらした「狼少年効果」というべきかも知れません。

かといって、いつになったらその危機が訪れるのか全く目処が立たなければ、なかなか人は動いてくれません。そこが非常に難しいところです。(ま、かく言う私も仕事では締切りギリギリになることが多いですから、あまり偉そうなことは言えませんが。)

地球温暖化問題はエネルギー問題に関して感覚が鈍ってきた大衆を目覚めさせるカンフル剤になっているようなところもあります。が、上述のようにこれを無闇に打ちすぎると、それはそれで好ましくない副作用が出てくる可能性も否定できません。

どのような取り組みをしていけば良いのかは非常に難しい問題ですが、重要なのはバランスだと思います。現在は地球温暖化が確度の高い脅威だと信じられ、非常にアンバランスな状態で世の中が動いています。何しろ、私たちのような懐疑派が声を上げられる機会があまりにも少なく、上述のように「議論のときは終わった」という人が山のようにいて、中には異端扱いどころか害虫扱いするような人もいるのですから、こうなってしまうのは当然です。

まずはこうした議論を妨げるような状態を解消し、バランスを整えることを急ぐべきだと思います。恐らく殆どの懐疑派の人たちはそう考えていると思います。

  • 2009/10/14(水) 00:27:37 |
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  • 石墨 #PxDbU/1w
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ご返事ありがとうございます。

石墨さん、

ご返事ありがとうございます。 ちなみに「RealWave Consulting代表」は長すぎるので、ハンドルネームでは普通「RealWave」使っています。もちろん「あなた」でも構いません。

ご返事を拝読して、私には石墨さんと私の事実認識は、「人類が排出する温暖化ガスによる地球温暖化は仮説に過ぎない」という点ではほとんど同じだと思います。ただ、仮設の信ぴょう度を信じる割合が、おそらく私の方が高いのでしょう。何度も比喩で使ったように、私は地球温暖化は少なくともロシアンルーレットの16.7%よりは高そうだと思っています(主観仮説ですが)。

後、ターゲットにしている相手が違うかもしれません。石墨さんが環境原理主義者なら、私はイデオロギー的反地球温暖化派(懐疑派に対しイデオロギー派と呼びましょう)です。 たとえば櫻井良子などが典型なのですが、イデオロギー派はの多くは、相手の誤りは、何でもかんでも自説の正しさを証明するという粗雑な論法を使います。

相手の論法を批判すれば自説の正しさが証明できるわけですから、相手は馬鹿な方がいいことになります。イデオロギー派の攻撃対象は通常、人類が滅んでも環境を守ろうという環境原理主義者、あるいはエコバックでCO2が削減できると考える素朴な人たちです。相手のレベルを下げて論争することは百害あって一理なしです。

私は「懐疑派」に関しても同じような疑問(不満と言っても良いでしょう)を持っています。懐疑派の人たちの論法が、相手の説の誤り、不完全さを指摘することが中心で、積極的な意味でも温暖化説の否定にはなっていないと感じるからです。

少々乱暴でも世の中を動かすためにはしょうがない、という考えもあるでしょう。私はこの考えを全面否定するつもりはありません。しかし、世の中が地球温暖化説一色に塗り固められているかというとそうでもありません。

そうでないからこそ、「高々」25%程度の温暖化ガス削減率で大騒ぎにもなるし、どの国も「自分のところは何とか削減を免れよう」としているのです。環境原理主義者が支配的に見えているのはマスコミの世界だけで、全体としては懐疑派が優勢と言ってもよいと思います。

ふたたび、問題は地球温暖化をどの程度の確率で発生すると考えているかにもどります。ダムは相当巨大な環境破壊をもたらしますが、堤防が決壊してしまうような洪水発生の確率が高く、防ぐ手立てがそれしかなければ、少々の環境破壊には目をつむるでしょう。地球温暖化はどの程度「目の前の脅威」なのでしょうか。

CO2の空気中の濃度は、地球平均気温などと比べてはるかに正確な測定ができますし、過去にさかのぼった濃度推定もほぼほぼ事実と考えてよいでしょう。産業革命以来、特に最近の急激なCO2濃度の上昇カーブを見ると、私は落ち着かない気持ちになります。CO2濃度が地球温暖化の決定的な原因になるとは限らないと思っていてもです。 石墨さんは「温暖化、寒冷化の原因は色々あるから、そんなことに一喜一憂してもしょうがない」というお立場なのでしょうか。きっとそうなのでしょうね。できたら私も説得されてしまいたいと思いますが。

RealWave Consulting代表さん>

またしてもお返事が遅くなりましたが、特に気になった点についてコメントさせて頂きます。

>石墨さんが環境原理主義者

これは全く違います。私は科学的に物事を考えたいだけです。

エコキャンペーンと称する行いも多くの場合は科学的に実効性を検討しておらず、イメージ先行で「これをやっておけば環境によいハズ」くらいの信仰にも等しいケースが多ように感じます。こうした宗教的なエコキャンペーンでも参加している人たちにしてみれば善意なのでしょう。が、それがむなしく空回りしているのを端で見ていて可哀想な人たちだと思ったりします。私はそちら側に行きたくないと考えているだけです。

私はプリウスに乗っていますが、アレだって世間一般に信じられているほどのエコカーではありません。そもそも、クルマを1台生産するのにも相応の環境負荷はかかります(特にハイブリッドカーは普通のガソリンエンジン車よりさらに大きな環境負荷がかかるものです)から、都内在住の私などはどうしても必要なときだけ借りて普段は公共交通機関を利用した方が遙かにエコだということを理解しています。

ですから、私は自分自身を「エコロジスト」と標榜する気など毛頭ありません。カテゴリー名を「エコロジスト?」とし、あえて「?」を付しているのもその辺を自分自身に向けて皮肉ったものです。


>相手の説の誤り、不完全さを指摘することが中心で、積極的な意味でも温暖化説の否定にはなっていないと感じる

科学の上ではある仮説の根幹をなす一連の理論上に誤りがあることを具体的な根拠を以て証明できれば、その仮説は否定されたことになります。もちろん、不確実な要素が少しでも残っている場合は完全に否定できたとはいえません。ですから、ある仮説を証明するのと同じかそれ以上に否定するのも難しいことだと思います。実際、懐疑派が指摘している疑問点や矛盾点も完全にそれを証明できるレベルに達していないのは確かです。

しかしながら、例えば「CO2の温室効果はすでに飽和している」とする懐疑派からの指摘はちゃんとした物証を伴うものですから、かなりのレベルで人為的温暖化説の根幹部分にダメージを与えていると思います。当blogでも過去に概要を触れています。(かなり前に書いたものなので私の懐疑的な度合いは今ほどではありませんでしたが、↓コチラをご参照ください。)
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-57.html

これについては前出の国立環境研・江守氏も反論を試みていましたが、全く反論になっておらず、それどころか「宇宙へ放射する赤外線の量に変化がなくても、大気中のCO2が増えれば再放射が繰り返され、気温の上昇は続く」といった滅茶苦茶な理屈をこねていました。それを受けた懐疑派からは「それが本当なら第二種永久機関の実現可能性を証明できることになる」と揶揄される始末でした。

実はいま、彼の言葉を引用しようと思ってもう一度その反論が書いてあったサイト(http://www-cger.nies.go.jp/qa/qa_index-j.html)に行ってみましたが、件の項目は削除されていました。要するに、反論になっていなかったことを認めたのでしょう。人為説の根幹を揺るがす大きな指摘事項について人為説論者はマトモに反論できていない状態といって良いのではないでしょうか。


>全体としては懐疑派が優勢と言ってもよいと思います。

これも違うと思います。実際、懐疑派の間ではごく当たり前に知られている人為的温暖化説の矛盾点や疑問点を身近な人に話してみて驚かれなかったことは一度もありません。CO2排出削減にあまり積極的でない人たちは懐疑的なのではなく、あまり真剣に向き合っていないか、他と比べて優先順位が高くないということなのでしょう。

企業にしても世界全体の将来も大事だけれど、それよりも自分たち近い将来のほうがもっと大事で、余計なコスト負担は極力避けたいと考えているから反発していると考えるほうが自然です。自分の会社の経営状態が5年後10年後どうなっているかということより、50年後100年後の地球がどうなっているかの方が大事だと考える奇特な経営者は滅多にいないと思います。

現実問題として、民主党が掲げた25%削減という目標を達成するには大変な負担を強いられるうえ、全世界の排出量から見れば1.5%にも満たない微々たるものですから、実効性は殆ど期待できないということも含めて騒いでいるのだと思います。そうして騒いでいる人の中で「人為的な地球温暖化など信ずるに足りない仮説に付き合っていられるか」と言っている人が一人でもいたでしょうか?

それ以前に、多くの人が懐疑的だとしたら、新聞にしてもテレビの報道番組などにしても、政府の広報にしても、あれだけ一方的で断定的な人為説支持の内容が毎日のように繰り返し流されている現状が許されるでしょうか?

もちろん、政治家や官僚や企業など、人為的温暖化説など仮説に過ぎないと解った上でこれを様々なツールとして利用しようとしている人は少なからずいると思います。いつの時代でも洋の東西を問わず脅威論は大衆をコントロールするには都合の良い道具でしたから。


>産業革命以来、特に最近の急激なCO2濃度の上昇カーブを見ると、私は落ち着かない気持ちになります。

私はむしろ逆で、これこそ人為説の殊にIPCCの都合の良すぎる説明に大きな矛盾を感じる部分です。これにつきましては少々長くなりますし、図示しながらのご説明の方が解りやすいと思いましたので、「大気中のCO2濃度を引き上げたのは本当に人類の仕業か?」と題したエントリを設けました。そちらをご参照下さい。
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-491.html


私が一番疑問に感じているのは、地球温暖化の研究が何故コンピュータシミュレーション主導で行われているのかということです。シミュレーションなどどれだけ精度を上げても単なる推測の域を出るものではありません。

ましてや、人為的温暖化論者達が用いている気候モデルなどメカニズムが解明できていない部分は全てパラメタ化して適当な値を放り込んでやって、合わなければ値をずらしてという繰り返しで、過去の気候の変化に近い動きをするようになったというレベルに過ぎません。これで地球の気候を再現できたなど笑止千万です。

事実関係を確認したいのなら、まずは本物の地球を調べなければハナシは始まらないでしょう。上述しましたCO2の温室効果飽和説に出てきたような人工衛星をたくさん打ち上げて、地表から放射される赤外線のスペクトルデータを宇宙から丹念に観測していくべきなんですね。どの波長域の赤外線がどの温室効果ガスに吸収されるのか解っているのですから、具体的にどの温室効果ガスがどれくらいの温室効果をもたらしているのかということを把握するための重要な手がかりが得られるハズです。

これをあらゆる地域で観測し、それを長期に渡って継続すれば、かなりのレベルで温室効果の実態を理解することができるようになるでしょう。しかし、そんなデータを見たことありますか? ないですよね。やっていないからですよ。

これだけ温室効果で地球がヤバイと言い続け、京都議定書が採択されてから12年近くも経ていながら、何故本物の地球を実測して温室効果についての研究を進め、その状況がどうなっているのかを正確に把握しようとしないのでしょう? 何故、スーパーコンピュータの中に作り込んだバーチャルな地球をイジリ倒して結論を急ごうとするのでしょう?

予算がないから?

まさか。海洋研究開発機構の地球シミュレータ(IPCCに採用されたデータも沢山手掛けています)なんて初期投資で600億円ですよ。これだけあればロケットの3~4発は打ち上げられます。また、日本政府は毎年1兆円を超える温暖化対策費を計上しています。その数%割り振ってやれば何基かの人工衛星を打ち上げられます。結局、こうした予算は原発開発だの整備新幹線だの何だかんだ理由を付けて食い荒らされているというわけです。

ま、本気でこの分野を研究し始めたら人為説が間違いだということが早晩明らかになってしまうからやらないのだと私は見ていますが。


>「温暖化、寒冷化の原因は色々あるから、そんなことに一喜一憂してもしょうがない」というお立場なのでしょうか。きっとそうなのでしょうね。

まさに仰るとおりです。

IPCCの理屈が正しければ、人為的な気候変動が始まったのは1960年代中頃以降ということになります(その理由は「大気中のCO2濃度を引き上げたのは本当に人類の仕業か?」と題したエントリをご参照ください)。

人為的な気候変動が始まったとされる時点から最初の約10年は気温の下降傾向が続き、上昇に転じたのは前述の通り1970年代後半くらいからです。ピークとなったのは1998年ですが、その間の約20年に地球の平均気温は0.4℃強上昇しただけです。これがIPCCのいう人為的な温暖化の全てです。

その後の10年ほどはやはり下降傾向を示しており、現在までザッと0.2℃程度下がっていると見られます。この気温の下降傾向はIPCCのシナリオにはありませんでした。もちろん、国立環境研のシミュレーションでもこんなことは予測できていませんでした。江守氏は最近の気温の下降を自然の気候変動によるものだといいます。この10年の下降は自然変動でその前の20年の上昇は人為的というわけです。

シミュレーションといっても結果を見ながらそれをなぞるような動きがやっとこさできるようになっただけのツールを弄んでいる人が、こんな持論に都合の良い解釈をして、それを素直に信る気になれますか?

  • 2009/10/22(木) 00:23:11 |
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  • 石墨 #PxDbU/1w
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  • 2009/10/24(土) 17:15:27 |
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チャイナシンドローム

あるサイトで風力発電がダメな根拠としてこちらが引用されていたので、読ませていただきました。

「地球が人類の経済活動で温暖化する確率はどれくらいと思うべきなのでしょうか。どうも原子力発電所がチャイナシンドロームを起こす確率よりは高そうです。」

というのが今となっては皮肉に見えてしまいます。人類起源の温暖化は確実に発生し、原子力発電が使えない状態では、人類は再生可能エネルギーを使うしかオプションはないようにも思えます。

  • 2011/06/13(月) 20:56:15 |
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  • フォンダ #mXEioTUA
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フォンダさん>

初めまして。

私は人為的な地球温暖化などという根拠が薄く、矛盾だらけの仮説など全く信じていません。また、化石燃料の枯渇というテーマも多少の煽りと最新の動向を知らない人たちが作り上げた風説に歪められている部分があると感じています。

私が小学生の頃、「石油はあと40年で枯渇する」といわれていました。しかし、それから30年経過した現在、全世界の石油消費量はあの頃の2倍近くに増加しましたが、枯渇する時期は相変わらず40年先だといわれています。要するに、消費量も増えていますが、可採埋蔵量も同じペースで増えているということです。

カナダはいまや世界屈指の埋蔵量を誇る産油国になってきました。それは「オイルサンド」の利用を(まだ利益率は低いながら)商業的に成立させられるようになってきたからです。オリノコベルトに膨大な量の超重質油を抱えるベネズエラも原油高が恒常的になれば可能性は大いに拡がるでしょう。

不純物を多く含む原油は掘っても精製コストがかかって売り物にならないというのが従来の常識でした。売り物にならないと判断された原油は可採埋蔵量としてカウントされません。が、近年はその常識が覆りつつあります。技術的な進歩と原油価格の高止まりが続けば、これまで売り物にならなかった原油が有望な資源となる可能性も高まっていきます。

こうしたヘビーオイルも資源として見込めるようになれば(少なくとも、カナダのオイルサンドの多くは可採埋蔵量に含まれることになりました)、石油の可採埋蔵量は現在の数倍に跳ね上がることになります。もちろん、こうした精製に余計なステップを要する石油は高くなりますが、風力や太陽光に比べれば遥かに低コストで、遥かに現実的です。

石炭は元々埋蔵量が豊富で、現在の消費レベルなら200年以上もつといわれています。また、多くの国では石炭火力発電の効率が悪く、日本や西欧先進国に比べると大きく劣っているそうです。アメリカと中国とインドの石炭火力の熱効率が日本並みになれば、それだけでCO2排出量を年間10億トン(CO2換算で)減らせるという試算もあります。
(参考記事:http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20090316/9871/9881/)

上述しましたように、私はCO2温暖化説など全く信じていませんが、CO2の排出量を減らせるということは化石燃料の利用効率を高め、消費量を減らせるということとほぼ同義です。従って、石炭火力の利用効率が低い国を日欧並みの効率に引き上げる有益性は大いに討議されるべきだと思います。

これはあくまでも私の想像に過ぎませんが、少なくとも今後100年以上は化石燃料を主要なエネルギーとして利用していかざるを得ないと思います。100年なら石炭は充分足りるでしょうが、石油や天然ガスは微妙です。現状での商業化はコスト面から困難ですが、石炭から化学的に石油を合成することもできますから、本当に石油の枯渇に直面するようになれば選択肢の一つになり得るでしょう(第二次大戦期のドイツではピーク時に国内需要の約45%を石炭からの合成石油で賄った実績もあります)。

いずれにしても、これらを少しでも長く利用し続けられるような方策を実施しつつ、代替エネルギーを模索していくべきでしょう。

そこで注意しなければならないのは、「再生可能エネルギー」という言葉も欺瞞に満ちているという現実です。世間一般に持たれているイメージが実情と大きく乖離していることは本編でも述べたとおりですが、コストだけでなく環境負荷という点でも厳密なアセスメントが行われ、妥当性についてキチンと検討されたかどうかという部分についてはあまり耳にする機会がありません。

本編でも触れましたが、デンマークやドイツなどが進めている洋上風力発電などは、あれだけ大規模な人工物を海に沢山建てているのですから、自然環境に悪影響を与えないハズがありません。実際には漁業関係者との間に摩擦が生じているのですが、そうした問題点も殆ど等閑にされ、メディア(特に日本の主要メディア)は徒に美化するばかりです。こうした不安定電源の安定化も「スマートグリッド」などのバズワードで誤魔化し、現実に直面している問題を真面目に考える気配すらありません。

バイオマス燃料についても様々な課題があります。バイオエタノールやバイオディーゼルなど投入資源と加工手順が多いものはコスト面もさることながら、化石燃料の消費削減にどこまで寄与するのか疑問です。中には赤字になる(つまり、バイオ燃料の生産時に却って多くの化石燃料を消費してしまう)という試算もあり、不透明な部分が解消されているとはいえません。

木質ペレットのように比較的簡単な加工で済むものはコスト面でも有用性でもずっとマシなほうだと思いますが、熱量が小さかったり(水分を含むので、化石燃料に比べればどうしても劣ってしまいます)品質が不安定になりがちなことなどがネックです。日本でも関西電力などの石炭火力発電所で数%混合して使用された実績もあるようですが、当面はストーブやボイラーなどの燃料が中心といったところでしょう。

一方、水力発電も太陽からもたらされたエネルギーによって蒸発した水が雨となり大地に降り注いだそれの位置エネルギーを利用する自然エネルギーの一種です。が、一般的に「再生可能エネルギー」としてカウントされないことが多いようです。それは自然の地形を人工的に大きく変えてしまい、生態系にも大きな影響を与えるからでしょう。

水力発電はコストも安く、渇水などの問題がなければ安定性という面でも支障なく、出力調整も容易かつ迅速に行えるため、電力需要の変動に対応する機能面では特に優れています。日本は世界平均の約2倍という降水量があり、水資源には非常に恵まれている国です。内陸は山間も多く、ダム建設の立地に適した地形にも比較的恵まれているほうでしょう。が、ご存じのように日本では現政権も「脱ダム」を掲げ、水力発電に対する世間一般のイメージも非常に悪い状況です。

もし、本当にCO2の排出を抑えなければならないとしたら、日本において水力発電は多くの面で有望な発電方法の上位に挙げられるべきです。ライフサイクルを通じたCO2排出量は主要な発電方法の中で最も少なく、原子力や風力の2~3分の1、太陽光の3~5分の1程度でしかありません。
(関連記事:http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-584.html)

しかし、実際には原子力か風力か太陽光かといった具合に選択肢が絞られてしまいがちで、土俵に上げてもらえる機会すらないのが実情です。水力発電が早々に除外されてしまうのは何故でしょうか? 私はこれも刷り込まれたイメージによる部分が大きいと見ています。

ゴミの最終処分場として海が埋め立てられ、人工の陸地がつくられることと、電力を得るために谷を水没させ、人工の湖がつくられることは、どちらも同程度の必要悪になると思います。生態系に与えるダメージについても、個々の事例はともかく、総論として捉えるならば大きな差はないでしょう。しかし、世間一般に抱かれている埋立地とダムに対するイメージは大きく異なっているように感じます。こうした問題は余計な先入観を排除し、あらゆる条件を付き合わせて合理的に判断していくべきです。

また、エネルギー消費の削減に一番効くのは人口を減らすことです。日本をはじめ、先進国はせっかくの人口減少傾向を極めて悲観的に捉えており、そのデメリットしか語られません。こうした点も大いなる矛盾といえます。こうした矛盾が許されているのは、物事を見定める目が節穴なのか、解っていながら都合良く規範を使い分けている確信犯か、その両方か、いずれかです。
(関連記事:http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-611.html)

このような人たちを何とかしないと、最初のボタンを掛け違えていることにも気付けなくなるでしょう。多くの人はこうした見当違いの報道や世論に刷り込まれ、偏ったイメージに翻弄されています。まずはそこを正す必要があります。

  • 2011/06/30(木) 00:50:45 |
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  • 石墨 #PxDbU/1w
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[朝日新聞][環境]デンマークの風力は一週遅れの議論

北欧が示す未来図―自然エネルギー社会へ (cache) asahi.com(朝日新聞社):社説 http://megalodon.jp/2011-0522-0957-20/www.asahi.com/paper/editorial20110522.html <<抜粋・太字・着色は管理人による>>  デンマークの首都コペンハーゲン。青空の広が

  • 2011/05/22(日) 17:54:14 |
  • 酔っ払いのうわごと

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