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利口な人はどちらに転んでも立場を失わないようにしておく

ひとつ前のエントリでご紹介した『Newsweek(日本版)』の「『環境伝導師』ゴアのプロジェクト第2章」というレポートは副題が“ベストセラー『不都合な真実』の続編が登場 元アメリカ副大統領が語る温暖化対策の青写真と意外な「進化」”となっているようにゴア氏の主張や活動に肯定的です。このレポートが5頁、ゴア氏の新著『私たちの選択』からの抜粋で構成されたコラムが1頁、合計6頁が人為的温暖化説を肯定した内容となっていました。

日本のメディアなら普通はこれで終わります。が、そうでないのがアメリカのメディアらしいところで、これら6頁にわたって人為的温暖化説を肯定的に扱いながら、その直後にわずか1頁とはいえ懐疑的な立場の意見も載せ、両論併記というジャーナリズムの大原則に従ってちゃんと釘を刺しているのは賢明なことです。いえ、本来であればこうした構成にするのが当たり前で、日本の殆どのメディアが地球温暖化問題について恐ろしく偏った報道を繰り返しているのが非常識と見るべきでしょう。

で、1頁割り当てられた異論のコラムですが、『サメと温暖化が来た、逃げろ!』というタイトルで、副題は“異論 地球が寒冷化しているという「不都合な真実」を黙殺するナンセンス”となっています。何故ここでサメが出てくるのかタイトルを見ただけでは私にも解りませんでしたが、コラムの終盤で2001年に起こったアメリカのサメパニックを引き合いに出したことからこういうタイトルになったわけですね。

2001年、フロリダ州で当時8歳の男の子が鮫に襲われて右腕と太ももの肉を食いちぎられるという事件があったそうです。メディアがこれを殊更大きく扱ったことから「大変だ!みんな今すぐに海から上がるんだ!」というムードが蔓延するパニック状態に陥ったといいます。しかし、全世界でサメに襲われた人は1995~2005年の平均で毎年60.3人、死者は毎年5.9人、アメリカでサメパニックがあった2001年も襲われた人が64人、死者は4人と平年並みで、このとき突如としてサメが凶暴化したのではないというわけです。

何らかの意図が存在するか否かはともかく、メディアが大衆を煽動するのはどこの国でもあることですし、メディアが発達する以前にも噂話などによって集団ヒステリーが引き起こされることは度々ありました。個人的には新型インフルエンザの一件も似たような匂いを感じますが、こうした問題は古今東西を問わず頻繁に起こることです。

それでも、その後に一連の騒動を教訓として生かせるか否かで大きな差がつくように思います。日本のメディアは過去を教訓として過熱報道をクールダウンさせようという自己抑制機能が滅多に働きません。殊に、地球温暖化問題についてはその偏向報道を戒めようとする気配すら感じられません。もちろん、アメリカでも一方的な情報で大衆を扇動しようとするメディアは沢山あるでしょう。が、一流といわれるところについてはやはり日本のメディアとひと味もふた味も違うように感じます。

Newsweek誌の『サメと温暖化が来た、逃げろ!』というコラムの冒頭は極めて自己批判的で、また実にシニカルな書きぶりになっています。

今週号38~42ページに掲載した記事「『環境伝道師』ゴアのプロジェクト第2章」には、「アル・ゴアの気候変動に対する考え方は、気候変動そのものと同じくらいのスピードで前進している。」という記述がある。

この表現はあまりにも失礼だ。もしそのとおりだとすれば、アル・ゴア元米副大統領の考え方が11年間全く前進していないことになる。過去11年間、地球温暖化は進んでいないのだ。

この件に関しては色々な議論があるが、少なくともコンピュータモデルがこのような結果を予測していなかったことは間違いない。

これは由々しき事態だ。将来、破滅的な地球温暖化が起きるというコンピュータモデルの予測が正しいという前提で、私たちは巨額の出費と自由の制約を絶えず迫られてきたのだから。

(後略)

(C)Newsweek(日本版) 2009年12月2日号(通巻1179号)


日本では五大紙をはじめとして大手メディアでこのような構成ができるところは一つもないでしょう。確かに、こうした構成はメディア自身が見解を統一できていない、どっち付かずの優柔不断と見なされてしまう恐れもあります。が、断定的に扱うべきでない問題をメディアが公平に扱うとしたら、こうしたスタンスであるのが当たり前で、地球温暖化問題のように科学的な理解が不充分な分野は常にこうあるべきなのです。

もし、これから寒冷化が進み、人為的温暖化説が間違っている公算が高くなったと多くの人が認識するようになったとしたら、いまの日本のメディアのようなスタンスでは立場がなくなってしまいます。そうしたときのための予防線としても人為説の反証をキチンと取り上げておくべきです。が、日本の多くのメディアはそうした危機管理能力が欠落しているのでしょう。

もちろん、Newsweek誌の報道にも偏りはありますし、下らない記事が載ることも的外れなことが書かれていることもあります。実際、「『環境伝導師』ゴアのプロジェクト第2章」も同誌のサイエンス担当記者が書いたものですが、それを同誌のコラムニストが批判しているように、前者が書いた記事の内容はかなりお粗末です。所詮、人間のやっていることですから完全無欠というわけにはいかないのでしょう。

が、少なくとも日本のメディアよりは広い視野で自分たちの身の置き場をわきまえ、どちらに転んでも立場を失わないように留意しているという点で、ずっと利口だと思いましたね。

コメント

 こんばんは。
 
 タイトルの、「利口な人はどちらに転んでも立場を失わないようにしておく」という言葉は、まるで格言を見る思いがします。味わい深い名言ですすね。
 ものごとは進撃するべきところは、果敢に進撃しなさい。しかし形勢逆転することはあり得るから、その場合に備えて、退却する逃げ道はちゃんと確保しておけ。と読み換えたら、これはもう人生訓・戦術訓と言えますね。含蓄のあるいい言葉です。
 
 日本のマスコミは人為的地球温暖化説を煽りに煽っていますが、万が一に備えての退路をみずから塞いでいるのは、利口ではないですね。石墨さんの仰るのに同感です。両論併記が、それはある意味ではズルイやりかたですが、無難です。
 
 これから地球冷涼化・寒冷化がもし進んだならば、(もちろんどうなるかはわかりませんが)たとえば、国立環境研究所の江守正多先生などは、どうあがいても逃げられません。研究者生命は終わりです。これからが見ものです。
 
 その反面、IPCCの『第四次評価報告書・政策決定者向け要約』(気象庁ホームページ掲載のもの)を丹念に読むと、……この推定には不確実性をともなう。……よくわかっていない。……の可能性が高い。などの表現が目立ちます。けっして断定などしていません。文言どおりに率直にこの資料を読めば、「これは一つの仮説として皆さんに提示したものであって、その可能性はかなり高いんですが、必ずそうなるというものではありませんよ」と言っているようにも見えます。これって、そうならなかった場合の予防線としての表現でしょうか???

 連日のコメント失礼しました。頻繁にコメントするとストーカーみたいになってしまうので、今後はおとなしくします。ま、それもこれも石墨さんの文章が、その論理展開やなるほどと思う分析が素晴らしいからです。

  • 2009/12/02(水) 21:38:35 |
  • URL |
  • 山のきのこ #-
  • [ 編集]

両論併記

ジャーナリズム自身が、物事を多角的に見るためにも、暴走を抑止するためにも必要なことですね。
もちろん、報道の受け手である我々にとっても、「物事にはこういう見方もあるんだよ」と示してもらえることは非常に有意義なことです。
日本のマスメディアにそういうことを期待するのは、ないものねだりというものなんでしょうかねえ。

  • 2009/12/02(水) 22:41:22 |
  • URL |
  • わちゃちゃ #JOOJeKY6
  • [ 編集]

山のきのこさん>

>含蓄のあるいい言葉

そこまで褒められると少々くすぐったい感じです。本当はもう少し簡潔にインパクトのあるタイトルにしたかったのですが、こういうのを考えるのは苦手なので、あまり奇をてらわずにストレートに言葉を並べただけでした。最初は「利口な人」ではなく「利口なメディア」としていたのですが、あまりにも長すぎるので、少しでも文字数を減らそうと思ってこうしました。それでもまだ冗長な感じで、私としてはそれほど満足していないのですが・・・。

>江守正多先生などは、どうあがいても逃げられません。研究者生命は終わりです。

スタンフォード大学のスティーブン・H・シュナイダー氏は1971年に発表した論文で、化石燃料の大量消費によって大気中に粒子状物質がまき散らされ、それが太陽光線を遮るエアロゾル効果となって気温を低下させているといった理論を唱え、1970年代前半くらいまで続いた気温の下降傾向を説明していました。

が、寒冷化論者だった彼は気温が上昇に転ずるやアッサリとCO2温暖化説に乗り換え、いまではIPCCの評価報告書を編纂する立場です。ま、そうした経緯もあってか、彼のスタンスはかなり慎重で、温暖化対策も「保険のようなもの」と述べています。彼の場合は過去に一度味噌を付けていますから、逃げ道をちゃんと用意しているのでしょうね。

それに比べて江守氏は当blogでも以前話題にしましたが、大した根拠もないのに断定的な発言が多すぎます。(http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-421.html) 彼の科学哲学は科学者にあるまじき軽薄なもので、似非科学者のそれに極めて近い感覚で取り組んでいる印象です。

>けっして断定などしていません。
>これって、そうならなかった場合の予防線としての表現でしょうか???

それもあると思いますが、科学的に証明できていないことはあくまでも仮説に過ぎず、それを断定的に表現すること自体が極めて非常識です。IPCCは(誰かさんと違って)その辺をちゃんとわきまえているということなのだと思います。




わちゃちゃさん>

>日本のマスメディアにそういうことを期待するのは、ないものねだりというものなんでしょうかねえ。

現場を任されている人の中には優秀で魅力的な人が何人もいるのに、組織全般を見渡してみるとそれほどパッとしないといったケースが私の身近なところでもよくあります。日本の組織では現場の声を生かすとか、一人一人の個性を伸ばすとか、そういうことが苦手な傾向もよく見られると思います。

また、「出る杭は打たれる」という諺もあるように、日本人は空気を読んであまり突出し過ぎないように自重する傾向も強いように感じます。例えば、ライブドアがニッポン放送にTOBを仕掛けた際、それまで企業買収を巡って世間一般には殆ど馴染みがなかった「敵対的買収」という表現をメディアはしばらく用いませんでした。このハナシについては当blogで取り上げていますので過去記事をご参照下さい。(http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-42.html)

加えて、日本のメディア、特にテレビは異常なまでにスポンサーへ「配慮」する傾向があります。それこそ、ただの情報バラエティ番組でロケをしていて、出演者のバックに写った自販機がスポンサーのライバル会社のものだったりするとボカシをかけたりとか、「ヒステリック」と評したくなるほどの「配慮」を徹底させることが普通になっています。

多くの企業が商品や企業PRのCMなどでCO2削減を謳い、CO2削減=エコ=善行という図式でイメージアップや商品付加価値として利用している現状を鑑みれば、スポンサーのPR活動を否定するような情報はメディアとしても非常に扱いづらいでしょう。ま、ここまで一方的な価値基準を日本の社会に根付かせてしまったその中心にメディアがいたわけですから、自分で掘った穴とも言えるわけですが。

スポンサーのライバルの自販機がたまたま写ってしまったくらいでわざわざボカシをかけるような彼らがこれだけ毎日CO2削減だエコだと唱えるCMを大量に流しながら、それに疑いをかけるような報道は立場上できないでしょうね。

これは誰かが悪いという問題ではなく、日本の社会全体が抱える構造的な欠陥と国民性によるものといえるのかも知れません。日本のメディアにもジャーナリズムが何たるかをちゃんと弁えている人もそれなりにいます。実際、当blogにおいで下さる方の中にもそういうメディア関係者がいらっしゃるようですが、そういう人たちが活躍できる場が整っていないところが問題なのだと思います。

だからこそ、私はメディアの批判を続けていくつもりです。

  • 2009/12/05(土) 10:22:23 |
  • URL |
  • 石墨 #PxDbU/1w
  • [ 編集]

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