酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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立場を知れば動きも読める

アクセス解析というサービスにはリンク元を辿ってどんなキーワード検索でアクセスしてきたか集計される機能がありまして、先月は例の「クライメートゲート事件」や同種のキーワードが圧倒的に多く、この一件に絡むアクセスはトータルで500を超えました。

どういう訳か昨年3月に成田空港で裏返ったMD-11に関するアクセスも多く、先月だけで50を超えました。Googleでキーワード検索してみますと、「MD-11」ではWikipediaの2件に次いで当blogが3番目にヒットし、Googleサジェストで出てくる関連キーワード「MD-11 欠陥」だと最初にヒットするといった状態(いずれも本稿執筆時)で、私のような門外漢の書いた記事がこれほど上位でヒットするというのはGoogleの重み付けも大したことがないのでは? などと思ってしまいます。

もう一つ、先月はあるキーワードでのアクセスが重なりました。それは気候変動枠組条約のCOP15(第15回締約国会議)の期間を前後して数が伸びたのですが、「バード・ヘーゲル決議」というキーワードです。このキーワードもGoogleでは現在7番目くらいに当blogがヒットします。それだけ日本のメディアを通じて広く知られていない、日本語で書かれる機会が非常に少ないキーワードなのでしょう。Googleでも約1430件しかヒットしませんし。

当blogで「バード・ヘーゲル決議」を取り上げたのは一昨年12月に開催されたCOP14のときで、「孤立しているのは日本のメディアのほう」と題したエントリになります。ブッシュ政権の主導でアメリカは京都議定書から離脱したと思い込んでいる日本のメディアの勘違いをここで指摘したわけですが、彼らは相変わらず勘違いしたままですから、先のCOP15に対する論評も酷いものでした。

ここでもう一度「バード・ヘーゲル決議」についておさらいしておきましょうか。この決議は1997年の12月に京都で議定書が策定されるCOP3を睨み、同年7月にアメリカ上院のロバート・バード議員(民主党)とチャック・ヘーゲル議員(共和党)から提出されました。その主な内容は以下の3項目のうち1つでも該当した場合、アメリカ上院は議定書の批准を認めないというものです。

●途上国に温室効果ガスの削減義務が課せられない場合
●議定書がアメリカに深刻な経済的打撃を与える場合
●議定書によって必要になる法令や規制措置のリストを政府が上院に提出しない場合

この決議は95対0で可決しました。アメリカも当然のことながら議会制民主主義の国ですから、議会の承認なくして法的な拘束力を持つ議定書の批准はあり得ません。当時のクリントン大統領とゴア副大統領は京都議定書が採択される際の当事者として外交面での成果を上げたように見えましたが、それは全くの政治的パフォーマンスに過ぎません。

途上国の削減義務が課せられなかった時点で自動的にアメリカは議定書の批准があり得なくなるわけですから、COP3でアメリカが議定書を採択する前提条件として初めから途上国に削減義務を課すということを明示しておかなければなりませんでした。結果として議定書には途上国の削減義務が謳われなかったのですから、その時点でアメリカは採択に加わってはいけなかったのです。

クリントン政権はCOP3で議定書を採択しておきながら、一度として上院にこの議定書の批准を諮問しませんでした。それはバード・ヘーゲル決議によって即刻却下となることが最初から解っていたからでしょう。本来であればこうしたクリントン政権の茶番こそ非難されるべきで、バード・ヘーゲル決議に従って粛々と京都議定書からの離脱宣言を行った後継のブッシュ政権を非難するのは全くのお門違いというものです。

このバード・ヘーゲル決議は現在でも効力を失っていませんから、アメリカは途上国と一蓮托生ということです。バード・ヘーゲル決議を廃止する議案がアメリカ上院で可決されるか、途上国に削減義務が課せられない限り、アメリカも議定書を批准することはあり得ません。それは大統領が誰になっても同じことです。

こうしたバックグラウンドを理解した上で各紙がCOP15について論評した社説を読み返してみますと、如何に頓珍漢なことが書かれていたか解ります。例えば、朝日新聞の12月20日付の社説にはこうあります。

合意づくりへオバマ大統領は積極的に動いたが、温暖化防止の国内法成立が遅れており、先進国のリーダーとして中国の説得にあたるには足場が弱すぎた。


日本経済新聞の12月20日付の社説はもっと酷い書きぶりです。

米国も柔軟性を欠いていた。オバマ政権は米議会での温暖化対策法案の審議に気をつかい、中国に妥協的とみられるのを嫌ったからだ。


バード・ヘーゲル決議が生きている限り、アメリカが議定書を批准するには途上国にも削減義務を課さなければなりません。審議中の法案はアメリカ国内での排出削減に絡むものであっても国として課せられる削減義務とは関係ありません。国際的な枠組みの中でアメリカの削減義務を縛るのは相変わらずバード・ヘーゲル決議ですから、アメリカが議定書を批准するには途上国への削減義務というところで妥協などできないのです。この社説を書いた論説委員はバード・ヘーゲル決議の存在を知らないのでしょう。

COP15の前後に「バード・ヘーゲル決議」というキーワードで当blogにアクセスして来られた方は述べ30人程になるようですが、日本を代表する大手メディアですら見落とし、根本的なところで勘違いしている部分を確認されたわけですから、これは「お目が高い」と讃えるべきでしょう。各紙の論説委員のご老体は小手先で適当な社説を書く前に彼らの爪の垢でも煎じて飲むべきです。

ところで、COP15に対する論評の中で個人的に注目したのは産経新聞の12月20日付の主張で、こう書かれていた部分です。

 ハードルを下げていたにもかかわらず、期待された成果は挙げられず、会議は紛糾の連続だった。混乱の最大の理由は、責任と義務をめぐって、途上国と先進国が鋭く衝突したことにある。

 とくに今回は、先進国同士でも足並みが乱れ、途上国間では中国などの新興国と最貧国の間で南南問題ともいえる内部対立が起きた。しかし、今は足踏みをしている場合ではないはずだ。二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出は年ごとに増えている。

 にもかかわらず、今回の会議を見ている限り、多くの国がこの火急の事態を放置しているとしか思えない。きわめて不可解だ。

 だが、「金儲(もう)け」という視点で見詰めると、混乱の背景が焦点を結んで見えてくる。温暖化防止の「手段」であるべき資金の獲得が「目的」に転じてしまった国が少なくないのではないか。


私は初めから人為的な地球温暖化などという科学的合理性が乏しい仮説がパワーゲームのツールとして既成事実化されてきたのではないかと疑っています。なので、産経新聞がいうように「手段」と「目的」が逆転してしまったのではなく、それが本来の姿なのだと理解しています。

産経新聞も人為的温暖化説など科学的に充分な確証はないというところへ最初のボタンを掛け替えれば最初からもっとスッキリと状況を認識できたでしょう。そうすれば、この問題を巡って「多くの国がこの火急の事態を放置しているとしか思えない。きわめて不可解だ。」という言葉も出て来なかったでしょうし、「手段」と「目的」が逆転したという発想にも至らなかったに違いありません。

私は昨年の10月に「絵に描いた餅」と題したエントリでこう書きました。

今年の12月にコペンハーゲンで開催されるCOP15ではポスト京都議定書として現在よりもさらに厳しい削減義務を取り纏め、主要な排出国から合意を取り付けなければならないことになっています。しかし、こうした状況にあっては合意などまず無理なことですし、もし合意に至ったとしてもそれは非常に中途半端な内容にとどまるのは間違いないでしょう。


この予想が大当たりというべき結果に至ったのは、各国の置かれている立場とその思惑に対する洞察が間違っていなかったからかも知れません。

コメント

仰るとおり。 本当に本質的なところでマスメディアは意識的にか、無意識にか人為的地球温暖化論に対する疑問は忌避されますね。 米国(いや外国全般の)における温暖化論に対する疑問・批判などは一切報道されませんね。
 本当に、冷戦時のソ連や中国の報道管制を想起させる事態です。 でも、クライメートゲート事件のように、隠ぺいは不可能の時代になりましたね。 

 私も、まったく仰るとおりだと思います。「手段」と「目的」の逆転などではけっしてありませんね。
 
 各国の政府間のパワーゲームの、カネを取るか取られるかのしのぎあいの為に、二酸化炭素地球温暖化説を目いっぱい利用し、温暖化危機説を喧伝しているようにしか見えませんね。
 
 国内では、研究者は研究費獲得を狙い、エコ企業は温暖化対策の補助金や助成金をかすめとり、環境保護団体は温暖化危機説を煽って活動資金の獲得に汲々としているように見えます。そのカネ集め・カネ儲けが、彼らの元々の目的なのでしょう。
 
 そういう見方からすると、たとえば、南洋の島嶼国が沈むという話なども、眉に唾をつけて受け止めた方がよさそうです。海水準の変化の観測データをいろいろと閲覧すると、にわかに南洋の島々が沈むとはとても思えません。これという産業のない島嶼国は、「島が沈む!どうしてくれるのだ!」と訴えて、各国の援助資金を獲得するのが、大きな産業になっているのでは?

  • 2010/01/09(土) 22:21:37 |
  • URL |
  • 山のきのこ #-
  • [ 編集]

「手段」と「目的」が逆転したのではなく、それが本来の姿だと考えた方が、ここまでの経緯はスッキリ説明がつきますよね。

ところで、「絵に描いた餅」と題されたエントリに、

“先進国は途上国に追い越されることのない地位を守り続けるため、途上国は先進国の足枷を大きくして差を詰め、さらにはカネと技術も手に入れたいという各々に秘めた思惑があり、しかし、そうした本当の思惑は「暗黙の了解」とし、体の良い「環境保護」という美名の下にそれを隠して綱引きを繰り返しているといった印象です。”

とありましたが、私も全く同感です。そして、それと同時に、「科学的根拠がない」などと反発するのではなく、先進国の思惑を逆手にとって、自分たちに有利に導こうとする途上国のしたたかさというか政治力は大したもんだと感じています。日本も少しは見習わないといけない部分だと思います。

  • 2010/01/09(土) 22:48:05 |
  • URL |
  • わちゃちゃ #JOOJeKY6
  • [ 編集]

とら猫イーチさん>

今回取り上げたバード・ヘーゲル決議について日本のメディアが触れないのは恐らくただ知らないだけで、京都議定書からの離脱を宣言したブッシュ政権に対する批判もいつもの思い込みによるのだと思います。

仰るように日本の情報鎖国ぶりは冷戦時の東欧諸国やいまの中国や北朝鮮を思わせるところもありますが、インターネットやCSなどで流れている海外のニュース専門チャンネル、ニューズウィーク誌のような海外メディアからも日本のそれよりはバランスの取れた情報が得られます。日本はこうした部分に検閲が入っていないだけマシといえますし、積極的に情報を得ようと思えば良質な情報にたどり着ける余地が残されているのは救いだと思います。

例のクライメートゲート事件に絡んでアスキーの電子版にコラムを連載しておられる池田信夫氏が『「クライメートゲート」事件が壊すマスメディアの情報独占』(http://ascii.jp/elem/000/000/481/481355/)の結びで以下のように書かれていました。

"今回の騒動でわかったのは、日本のジャーナリストが自分の頭で判断できず記者クラブで談合すること、しかしそういう「自主検閲」は、インターネット時代には無意味だということである。 "

これはまさに核心を突いていると感じましたね。とら猫イーチさんの仰るとおり、隠蔽は不可能な時代になってきたと思います。




山のきのこさん>

先のCOP15では途上国への資金援助などが大きな話題になりましたが、全体を見渡した場合はやはり「CO2の排出枠」という名を借りた「化石燃料の消費枠」を巡って各国が自分に都合の良い状況に持ち込もうと争っているように見えます。

地球温暖化問題は当初から原子力業界の陰謀説などもありましたが、太陽光発電や風力発電といった新エネルギー分野からトヨタの「エコ替え」に至るまで、ビジネスの道具としても応用範囲が広がっています。いまとなっては誰が黒幕かという詮索は無意味で、みんながこの使いでのある道具を暗黙の了解の下で自分たちに都合良く利用しているといった印象です。

>南洋の島嶼国が沈むという話なども、眉に唾をつけて受け止めた方がよさそうです。

当blogでも『ツバルの虚と実』(http://ishizumi01.blog28.fc2.com/blog-entry-192.html)と題したエントリを設け、地球温暖化によって水没の危機に瀕している国という認識を問いただしています。これを書いた当時はまだどの程度のことを書いて良いのか迷いもありました(あまり過激な書き方で炎上しても困ると思っていました)ので、現在に比べてかなり穏やかな書きぶりになっていますが、現地に長期滞在をして環境保護に携わっておられる方からもお礼のコメントを頂いたり、いくつかのサイトで紹介されるなど、なかなか好意的な反応がありましたので、ご参照頂けたらと思います。




>わちゃちゃさん

京都議定書が採択されたCOP3のときは途上国の発展を抑制するというところまでハナシを進めることができず、EU諸国、アメリカ、日本の三者がお互いを牽制し合うパワーゲームになっていたように思います。そんな中でのんきな日本が一方的にしてやられた印象です。

ヨーロッパは酸性雨などヨーロッパローカルの越境環境問題でもお互いに牽制し合ったり足を引っ張り合ったりする駆け引きで交渉術を磨いていましたし、アメリカはCOP3で宿舎としたホテルにスーパーコンピュータを持ち込み、議場とホットラインを繋いで削減義務がコンマ何%動けばアメリカ国内の経済にどの程度の影響があるといったシミュレーションを瞬時に行うなど、裏付けを取りながら慎重に交渉を進めたといいます。それに引き替え、日本は当時の通産省と環境庁の意見の摺り合せすら充分にできていない状況でしたから、如何にも準備不足でした。

ま、結局のところアメリカは議定書から離脱し、ヨーロッパは自分たちに都合の良い1990年という基準年を設定できましたから、最終的には日本の一人負けだったと見て良いかと思います。といいますか、それ以前に狡猾な欧米人たちは日本を陥れるためにあえてCOP3が京都で開催されるように仕組んだのではないかと個人的には疑っています。(具体的な根拠はありませんが。)

日本をホスト国に祭り上げておけば、基準年となった1990年以前から省エネを進めていた日本にとって多少不利な条件でも議定書を無難に取り纏めることを優先して譲歩するとか、議定書に日本の地名を冠しておけば日本が離脱することを予防できるとか、その辺まで考えていたのかも知れません。ずる賢い欧米人(特にヨーロッパ人)たちはそれくらいの計算をしていても不思議ではないように思います。(あくまでも推測に過ぎませんが。)

ただ、自民党議員の中にも産経や読売など保守系の新聞の論説委員の中にも京都議定書は日本にとって非常に不利なもので、欧米人にしてらやれたと考えている人たちがいます。マニフェストは滅茶苦茶なのにただ勢いだけで政権をつかんだ民主党でさえ、2020年までの削減目標25%の条件としてアメリカや中国などの主要排出国の削減合意を前提条件として据えたくらいですから、少しは学習しているようです。が、まだまだ非常に心許ないですけど。

F1や自転車のロードレースなど、ヨーロッパのプロスポーツを見ていますと、その裏にはとにかく陰険で薄汚い政治的なハナシが山のようにでてきます。相手の足を引っ張ったり、自分たちに都合の良い解釈で事を進めようとしたり、スタンドプレーに走ったり、スポーツマンシップとはほど遠い世界がバックグラウンドではうごめいているんですね。

私が10代の頃はそうした裏側に殆ど気付きませんでしたが、20代になるとそうした部分が目に付くようになり、一時期はヨーロッパ人たちの政治力や悪知恵の競い合いみたいな部分に嫌気がさして少し距離を置くようになりました。なので、F1もツール・ド・フランスも1990年代の後半はあまり詳しくありません。が、30歳を過ぎるとむしろ彼らのそうした薄汚い部分を観察できる格好の勉強材料にもなると思い直し、再び見るようになりました。

日本が鎖国を解いてから欧米との間に結ばされた不平等条約にどれだけ苦しめられたか、そうした歴史を多くの人は忘れているように思います。日本人の好きな日本史は戦国時代と幕末に集中していて、今年もまたNHKの大河ドラマが火付け役となって莫迦の一つ覚えのように坂本龍馬がブームになっています。が、欧米諸国とどう付き合っていくべきかを考えるなら、龍馬が没した後、不平等条約の撤廃に至るまでの歴史の中で日本が欧米諸国にどのような扱いを受けてきたかという歴史を振り返るべきですね。

  • 2010/01/11(月) 14:09:48 |
  • URL |
  • 石墨 #PxDbU/1w
  • [ 編集]

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