酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『マッド・シティ』・・・メディアバイアスを痛烈に批判する良作

mad_city.jpg

この『マッド・シティ』という映画は13年前に製作された少し古い作品ですが、個人的になかなかの良作だと思っています。ところが、AmazonのカスタマーレビューもDMMのそれもかなり低めの評価になっているんですね。これをサスペンスタッチのシリアスな社会派映画として見ることができず、単にエンタテイメント性を求めてしまうとかなり評価が下がってしまうのだと思います。

そもそも、監督のコスタ・ガヴラス氏は政治的・社会的な問題をテーマとし、サスペンスタッチで描き出す作風だといいます。なので、それを知らずに高いエンタテイメント性を求めるほうが間違いと見るべきでしょう。もっとも、私もこの作品を見るまでは同監督の作風など知りませんでしたから、あまり偉そうなことを言える立場ではないのですけど。

凄いのはWikipediaにある「マッド・シティ」の項で、そこには「サスペンス・コメディ」と書かれています。この作品をどういう角度から見れば「コメディ」に見えてしまうのか私の感覚では全くの謎です。もしかしたら、ジョン・トラボルタが演じる役が少々子供っぽい間抜けなキャラで、滑稽な振る舞いをすることがあるからでしょうか? それにしても、「サスペンス・コメディ」としたセンスは尋常じゃありません。

さて、この『マッド・シティ』(原題も『MAD CITY』)ですが、まるでB級バイオレンス映画のようなタイトルですから、これだけ見た時点では全く興味をそそられませんでした。私がこのDVDを買ったポイントとなったのは中心となる二人が好きな役者であるということと、パッケージの内容紹介にある「メディアの真実に迫る、衝撃の問題作。」という部分が「誇大広告では?」と疑いつつも引っ掛かったという点でしょうか。ここでその内容紹介を引用してみましょうか。

そのTVスクープは、残酷な事件へのプロローグ。

ダスティン・ホフマン、ジョン・トラボルタ競演。
メディアの真実に迫る、衝撃の問題作。


地方局で取材記者を務めるマックス・ブラケットは、キー局への返り咲きを狙ってた。ある日、アシスタントを連れて自然博物館へ取材に出向き、そこで人質事件に巻き込まれる。犯人は、博物館の元警備員サム・ベイリー。経費削減のために解雇された彼は、再就職を頼みに館長に会いに来たのだが、つい興奮して発砲してしまったのだ…。ニュース記者と銃撃犯の運命的な出会いは、やがて全米が注目する取り返しのつかない事件へと発展していく。『セブン』のアーノルド&アン・コペルソン製作。現代社会の狂気を描いた衝撃作。


ダスティン・ホフマンが演じるマックス・ブラケットというレポーターはかなりの切れ者ですが、反骨的で先走りやすい傾向があります。それゆえ組織の中では和を乱しやすく、キー局に在籍していたときには看板アンカーマンと激しく衝突してしまいました。しかも、それは生中継の最中でしたから、その様子が全国ネットで放送され、それが原因で彼は地方局へ飛ばされたという経緯があります。

一方、ジョン・トラボルタが演じるサム・ベイリーという博物館の元警備員は、典型的な落ちこぼれタイプです。思慮が浅く、感情の起伏が激しく、口下手で不器用で上述のように子供っぽく、しかし誠実で友人には「からかいやすい」と評されるように純朴な性格の持ち主です。それゆえ、感化されやすく、思慮の浅さと感情の激しさとが重なり、人生の階段から足を踏み外してしまいました。

再雇用を望んでいただけのサムですが、未熟さと不運から事態は彼の思惑と全く異なった方向へ進み、出口の見えない状況へ追い込まれてゆきます。そのときたまたま博物館の取材で居合わせたマックスと、見学に訪れていた小学生たちを巻き込むことになり、彼は状況に流されるまま人質籠城事件の犯人になってしまいました。

マックスはまたとない大スクープの好機と捉え、サムにアドバイスを与えながらも警察に対して緊迫感を与えてしまいます。サムの信頼を得たマックスは間もなく彼の行動に大きな影響を与えることができるポジションを得ます。最初は些細なトラブルに不運が重なり、やがてメディアの過剰な報道によって世論は煽動され、全米で注目される大事件へとエスカレートしていきます。

この映画の見所は何といってもサムを巡ってメディアがどのような犯人像に描き上げていくか、それによって世論がどのように導かれ、事件がどのように評価されていくか、という描写に尽きます。マックスはサムの境遇を理解し、彼の心優しい性格を強調しつつ、世論の同情を集めようとする方向でレポートを進めていきます。もちろん、その裏には視聴者の興味を引き、自分の存在感を誇示しようという思惑も秘めていますが。

一方、マックスとのトラブルで顔に泥を塗られた因縁がある看板アンカーマン、アラン・アルダが演じるケビン・ホランダーは現地へ乗り込むと、サムの信頼を得ているゆえ事件を仕切っているマックスから主導権を奪おうとします。しかし、局内での優位な立場を利用するケビンに対抗してマックスは再び彼の顔に泥を塗ってしまいます。ケビンはその報復としてマックスが描き上げてきたサムの良いイメージを覆すべく、逆の印象を与えるようなレポートを展開します。

多くの人は時と場合によって印象が変わります。殊にサムのように感情の起伏が激しい場合は尚更でしょう。ですから、マックスの描く善人サムが本物なのか、ケビンが描く悪人サムが本物なのか、メディアを通じてこれを見ている人にはなかなか判断が付きません。そうして世論はメディアに大きく揺さぶられ、サムはますます苦しい立場に追い詰められていくことになります。

マックスもサムの良い人間性を強調するために彼の身近な人たちのインタビュー素材から印象の良い部分だけを切り抜いて用いようとします。ケビンはその逆のことをします。他局も関係のない人物をサムの友人としてインタビューするなどいい加減な報道を展開してゆきます。現実の世界でもメディアは事件や社会問題などをどのように扱うか、予めストーリーを組み立て、それに沿った取材が行われることは頻繁にありますが、それを再現して見せているわけですね。

当blogでは昨年の電気自動車ブームの折、楽観論に否定的な意見は封殺されるというバイアスがかかり、メディアは自身が用意した筋書に沿った取材をしているという実例を『この電気自動車ブームはメディアが創作している』と題したエントリでお伝えしました。他にも様々なメディアバイアスを批判してきましたが、こうしたパターンは現実の世界でも日常茶飯事といって良いでしょう。

マックスらが所属しているテレビ局はもちろん架空ですが、ニューヨークタイムズ紙などの実名が出てきただけでなく、CNNの主力番組である『ラリー・キング・ライブ』(先の米下院の公聴会の後、豊田社長も出演したアノ番組です)がそのまま本昨の中でも再現され、ラリー・キング本人が出てきたときには「メディア批判が主題となる作品でよくそこまでできたものだ」と感心しました。

ハリウッドものにありがちな派手さやハイテンポで濃密な展開をこの映画に期待すると肩すかしを食ってしまうかも知れません。あえて結末には触れませんが、そこへ至る大きな盛り上がりもありませんから、いわゆる「ジェットコースタームービー」を見慣れた目で見ると全般的に地味な印象を受けてしまうと思います。が、そうした目では本作の本当の価値に気付くことはできないでしょう。

もしかしたら、本作の価値に気付くことができない人は本作を絵空事のように思っているのかも知れません。この映画の中で描かれているほど現実のメディアは酷くないと思い込んでいるとしたら、本作が伝えようとしている重大なメッセージを理解できなくても仕方ありません。実際には環境問題や自動車のリコールを巡る騒動などにも非常によく似たことが起こっているのですが、多くの人がそれに気付いていませんし。

本作を低く評価している人が多いのは、もしかしたら現実の世界でも頻繁にあるメディアバイアスに気付くことができない人の多さを反映しているのかも知れません。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ishizumi01.blog28.fc2.com/tb.php/550-1db395a6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。