では、本題に入りましょうか。
私の小学生時代にもいくつかのブームがありましたが、いまでも引きずっているという意味ではスーパーカーブームとガンダムブームの影響が私にとっては特に大きかったかも知れません。保育園児のころからクルマ好きだった私にとってスーパーカーはまさに「究極」で、職場のデスクにもミニチャンプス製1/43スケールのランボルギーニ・カウンタックを飾っているほどです。一方、『機動戦士ガンダム』には数多くの名台詞があり、それを引用したり真似た言い回しはいまでもアチコチで見られますが、当blogでも何度か用いたことがあります。
私の場合、大人になってから再びDVDなどでこの『機動戦士ガンダム』という作品を振り返ってみると、知識の乏しかった子供の頃には全く理解できなかった高度な内容が盛り込まれていることに気付き、改めて感心することがあります。特に舞台設定に関しては下手な大人向けのSF映画よりずっと丁寧に作り込まれているのではないかとさえ思います。
それまで戦闘ロボットもののアニメは単純な勧善懲悪というパターンが多く、巨大ロボットを開発・製作して運用する正義の味方も悪の集団も、「何処からどういうカネが出ているのか?」ということさえ不明瞭なケースが多く、とりあえず正義のロボットが悪のロボットを必殺の武器なり攻撃方法なりで破壊するというのがお約束でした。
が、『機動戦士ガンダム』で用いられたロボットは兵器であり(運用形態からすると戦闘機に近いでしょうか?)、そのコストは当然軍事費で賄われています。舞台設定も非常に凝っており、プリンストン大学のジェラルド・K・オニール教授らが提唱したスペースコロニーをモデルとして、なかなかリアリティがある世界観で描かれていました。
地球と月の重力場が遠心力と拮抗する「ラグランジュポイント」にスペースコロニーを配置すると、軌道修正の頻度が少なくて済むというメリットが生まれます。本作ではこうしたオニール氏のアイデアを拝借していたわけですが、地球から最も遠い月の裏側にあるラグランジュポイントに置かれたコロニー群の宇宙移民者が地球連邦からの独立を求めて戦争を起こすというプロットは子供向けアニメとは思えない本格的なものだったと思います。

ラグランジュポイント
『機動戦士ガンダム』では地球と月がなす5箇所のラグランジュポイントに
スペースコロニー群を配置するという設定になっています。
L1が一年戦争の緒戦となるルウム戦役で壊滅したサイド5、
L2がジオン公国を名乗り独立戦争を仕掛けてきたサイド3、
L3がジオン公国から最も遠いゆえ「V作戦」が遂行されたサイド7、
L4がサイド2および開戦後間もなく中立宣言したサイド6、
L5がジオンの要塞ソロモンが置かれたサイド1およびサイド4です。
(この設定はいずれも一年戦争時のものです。)
オニール氏が提唱したプランはより安定した均衡点であるL4とL5にスペースコロニーを配置するというもので、『機動戦士ガンダム』の世界で描かれた5箇所に分散させるというものではありませんでした。が、より安定しているL4とL5に各々2つのサイドを設けたというのは合理的といえるでしょう。また、月の陰にあって地球から監視しにくいコロニー群「サイド3」が極秘裏に軍備を進め、独立戦争を仕掛けるといったストーリーに繋げるためにも、本作で採用された設定は巧妙だったと思います。
細かいところでは疑問に感じる点も多々あります。例えば、ジオン公国は一年戦争の口火を切る先制攻撃としてサイド2のコロニーを地球へ落下させる「コロニー落し」を敢行しました。いわゆる「ブリティッシュ作戦」ですね。しかし、上述のようにサイド2があるL4付近はより安定した均衡点であるため、サイド5があるL1付近より軌道を逸脱させるのにずっと大きなエネルギーが必要になります。
こうした点で合理性を求めるなら、最初に狙うべきなのはサイド5だったように思います(サイド7はジオンから遠いですし)。サイド5を狙えない理由はなく、実際、コロニー落しの第二弾はサイド5がターゲットになりました。ジオン軍が核パルスエンジンを装着している途中で地球連邦軍との交戦が始まったわけですが、この攻防戦がいわゆる「ルウム戦役」です。
結局、サイド5のコロニーを地球への落下軌道に投入することすらできませんでしたが、『機動戦士ガンダム MS IGLOO -1年戦争秘録-』第1話「大蛇はルウムに消えた」によれば、初のモビルスーツによる艦隊攻撃を敢行するため、コロニー落しの情報がリークされたという筋書きになっていました。なので、このときは本気で落とす気などなく、地球連邦軍の宇宙艦隊をおびき寄せるための疑似餌だったのかも知れません。
ブリティッシュ作戦の本来の目的は地球連邦軍の総司令部がある南米ジャブローにコロニーを落下させ、その壊滅を期したものでした。が、落下軌道に投入されたサイド2のコロニーは地球連邦軍の猛攻によって大気圏突入40分前の段階で破壊され、破片がアチコチに大きな被害をもたらしたものの、所期の目的を果たすことはできませんでした。
上述のように、サイド5のあるL1のほうが地球への落下軌道に投入するのが容易で、同じ出力のエンジンならより速度を稼げたハズですし、地球との距離も近いですから、作戦成功の可能性もずっと高かったのではないかと想像されます。もっとも、つまらない判断ミスや行き違いで最善策を選択しなかったというハナシは現実の戦争でもかなり頻繁にあることです。全ての筋書きがパーフェクトであるより、このようなつまずきがあったほうがリアルと言われればそうかも知れませんが。
もう一つ気になったポイントを挙げるとしたら、サイド6の立場でしょうか。ジオン公国は地球連邦からの独立を求めていたのに認められず、それゆえ戦争に至ったわけですが、サイド6は開戦後間もなく中立を宣言しました。この宣言を以てサイド6は地球連邦に対しても原則として戦争協力を拒否、自衛軍を保有し、領空内で戦闘行為が行われれば高額の罰金を徴収するという規定を地球連邦軍にも遵守させていました。これはサイド6が地球連邦に従属する立場ではなくなっていたということを意味します。
しかも、主人公たちがサイド6に立ち寄った際、食糧の調達に当たって「お金は両替してもらったの?」という台詞が出てきます。つまり、サイド6は独自通貨を発行していたということですね。こうした状況を鑑みれば、サイド6は事実上の独立を果たしてしまったということになります。戦争のドサクサで上手いこと立ち回ったのかも知れませんが、これでは同じ宇宙移民者であるジオンの人たちも納得がいかなかったに違いありません。
他にも難癖を付けられるポイントは色々あります。そもそも「あのような人型ロボットが兵器として最適な形態といえるのか?」という疑問をぶつけたら身も蓋もないでしょう。そういう無粋なハナシはともかく、この作品は私にとって考察に値する作品といえるわけで、そういう意味でも従来の子供向けアニメとは一線を画しているといえます。
この作品は主人公もまたありがちな正義に燃える熱血漢とは路線が異なっていました。パイロットとしての自覚が芽生える以前は内向的で未熟さも目立つ機械オタクの少年といったキャラクターで、従来のヒーロー像とはむしろ対照的でした。ここから圧倒的な能力を持つに至る彼の成長ぶりも本作の見所の一つというわけですね。
主人公が自分探しをやっている間にも至ってクールでミステリアスな大人の男性として描かれていたライバルのほうがむしろ人気を博していたように思います。そのライバルには作者のシャンソン好きという趣味から、アルメニア系フランス人のシャンソン歌手シャルル・アズナヴールをもじった名が与えられました。
彼が搭乗した機体の多くは赤く塗られていましたが、それはアニメの制作上の都合でガンダムの白と対比するためといわれています。が、ガンダムは白といっても頭部と腕と下半身くらいで、目立つ胸部は青ですし、腹部や脚底部は赤ですし、大きな面積を占める盾も赤が主体でしたから、トリコロールといったほうが相応しいくらいです。また、ガンダムの僚機であるガンキャノンなどは頭部や手足以外の殆どが赤く、丸かぶりでした(ま、コチラと絡むことは殆どありませんでしたけど)。
彼の機体色が赤だったことについては諸説ありまして、中にはこの物語の中に登場する「ミノフスキー粒子」という架空の電磁波攪乱物質が特定の波長域の可視光も妨げるとし、実はその特定の波長域というのが赤で、むしろカムフラージュを狙ったものという突飛な俗説もあります。また、第一次世界大戦で活躍した実在のエースパイロットをモデルにしたのではないかという説もあります。
(つづく)