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東日本大震災で被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
あれから1ヶ月が経過しました。私の場合、被害といえる程のものは特になく、当日は公共交通機関が全面的にストップしてしまった関係で帰宅するのに大変苦労したということが一番の悪影響だったでしょうか。友人や職場関係者など、日常的に交流のある人たちの多くも大した影響はなかったようです。
が、私の父は福島県南相馬市(旧原町市)の出身で、そちら方面に多数いる親戚は未だ厳しい状況が続いています。一番大変だったのは従姉(私の父の実家を継いだ叔父の娘)で、嫁ぎ先の浪江町が津波で甚大な被害を受けました。彼女もその家族も無事に避難できたのは何よりでしたが、家は流されてしまったそうです。
そのため、実家(私の父の生家でもあります)へ戻ったのですが、翌日の夕方には福島第一原発の避難指示区域が半径20kmまで拡大され、退去を余儀なくされました。避難所生活もシンドイということで、飯舘村にある伯母の家に叔父夫婦と従兄姉とその家族、都合3世帯で身を寄せることになりましたが、飯舘村も一部が30km圏の屋内待避地域となってしまいました。伯母の家は30km圏から辛うじて外れていますが、風評による影響もあったのか、物資の供給不足が続いていたそうです。
そうした事情から飯舘村は栃木県鹿沼市に避難所を確保し、希望者は貸切バスでそこへ移動できることになりました。が、飯舘村が村民のために整えた避難体制だったゆえ、南相馬市民である叔父や従兄一家、浪江町民である従姉一家は対象外ということで、バスに乗ることも許されませんでした。幸い、従姉の旦那さんが情報通だったお陰で何とかガソリンを工面できたため、クルマで首都圏に住む親戚筋などに散らばり、私の実家も叔父夫婦と従兄のお嫁さんとその子供(といっても高校生ですが)の4人を預かることになりました。
今般の震災は揺れそのものによる家屋の倒壊といった被害よりも津波によるものが圧倒的だったようですが、それに追い打ちをかけるような原発事故には身内が大きな影響を受けたこともあって、私も心を痛めています。叔父の家は大きな揺れで一部損傷があったものの、生活には全く支障ないレベルだったといいます。原発事故さえなければ避難する必要もなく、物資が入って来ないといったこともなかったでしょうから、生活も成り立っていたハズです。
現在は一刻も早い収束を祈るばかりですが、家を失った従姉はもちろん、原発から20km圏内で農業を営んできた叔父も元の生活に戻れるかどうか、放射性物質の飛散やそれにかかる風評がどう落ち着くかによって大きく左右されます。残念ながら、
南相馬市でも土壌汚染が確認されてしまいましたので、厳しい状況がどれくらい続くことになるのか、廃業を迫られることになってしまうのか、今後の見通しが全く立たなくなってしまいました。
政府はパニックを抑えたいという意向を働かせていたのか、単純に情報収集能力が未熟だったのか、あるいはその両方か、情報不足の感が否めませんでした。それが「重要な情報を隠している」という印象に繋がっていたようにも感じられます。もちろん、本当に隠していたのかも知れませんし、3号機のプルサーマルのように聞かれなければあえて触れないというケースもあったかも知れません。
いずれにしても、情報不足を厳しく批判されたことで善処しようとした結果なのかも知れませんが、次第に情報量は増えていきました。しかしながら、現在でも極めて雑然しており、その質は決して向上していないように感じられます。枝野官房長官などは何度となく流言蜚語に惑わされないよう呼びかけ、ACジャパン(公益社団法人なので政府と直接関係ありませんが)のCMでもその旨を繰り返していますが、流言蜚語が横行してしまう状況というのは情報開示が中途半端だったり、整合性が欠けていたり、錯誤が含まれていたりするときに横行しやすいものです。
そもそも、菅首相や枝野官房長官をはじめとして政府関係者は根拠がないなら気安く楽観的なことを言うべきではありません。例えば、原子炉に海水を注入するというのは廃炉覚悟の最終手段といっても過言ではありません。この注水もご存じのように電源の喪失で既設のポンプが作動しないため、消防車(ポンプ車)を流用するという、極めてイレギュラーな対処法でした。ちなみに、2号機の2度目の空焚きで燃料棒が全面露出したのはポンプ車の燃料切れに気付かなかったという不注意が招いたものだったそうです。
もちろん、既設のポンプが止まっている以上は本来のルートでキチンと水が巡るということもないでしょう。注いだ水がどこへ行くかといったことも当初はロクに考慮されていないようでしたから、様々な問題が次々に噴出していったわけですね。初期に行われたヘリコプターや放水車などで外から海水をぶっかけるという極めてプリミティブな施策も、他に即応できる有効な手立てがなかった泥縄状態を示す証左です。
枝野官房長官は3月13日に「原子炉はコントロール下に置かれている」などと言い張りました。これはヘリコプターや放水車が投入される前で、それこそポンプ車によるイレギュラーな注水くらいしか行われていない綱渡り状態だったときの発言です。こんな弁解にもなっていないハッタリを真に受けるほど国民は莫迦じゃありません。また、彼は同じ日に「水素が漏れている可能性があるが、ベント(排気)しているから(大丈夫)」ともコメントしていましたが、翌日に3号機の建屋上部が水素爆発で吹き飛んでしまいました。
他にも色々ありますが、3月21日の午後4時から開かれた緊急対策本部で菅首相が「まだ危機的状況を脱したというところまでは行っていないが、脱する光明が見えてきたということは言える」と発言したのも明らかに早計した。それは3週間が経過した現状を誰がどう見ても明々白々でしょう。
彼は海水の注入で原子炉の温度に低下傾向が見えてきたことからそのような発言をしたようですが、核反応が停止しても崩壊熱は何年も出続けます。冷却とのバランスが取れなければ温度など簡単に変動してしまうという極めて初歩的なことすら知らなかったのでしょう。実際、その3日後には1号機の炉内温度が400℃まで上昇してしまいましたし。
しかも、彼が「光明が見えてきた」と発言したのと同じ日、ほぼ同じ時間帯に3号機から灰色の煙が発生し、しばらく全作業員を避難させるという事態になってしまいました。彼の「光明」発言と、発煙による退避で作業中断を余儀なくされた模様が夕方のニュースで同時に伝えられるというお粗末な結果になってしまったわけです。このように菅首相や枝野官房長官は個人的な印象で安心できる状態かと勘違いさせるような発言を繰り返していましたが、ことごとく裏目に出てしまったといっても過言ではないでしょう。
現在も1~4号機についてはイレギュラーな注水で何とか温度を維持しているに過ぎず、いつになったら冷却水の循環システムが必要なレベルで動かせるようになるのか、その目処は全く立っていません。また、タービン建屋などに溜まった極めて高レベルの汚染水を排除しない限り作業員の被曝量管理が難しい状況になってしまい、その汚染水を復水器に汲み出すまでに幾つものハードルを越える必要が生じてしまったのもご存じの通りです。
その高レベル汚染水が海にダダ漏れになっていたり、それを塞き止めるのに4日も費やすことになったり、やっと止めることができてもキチンとした管理下で貯蔵できる準備に時間がかかったり、貯蔵できる水の量に限りがあるため低レベルの汚染水を海洋投棄するという前代未聞の暴挙に出るなど、問題が次々に山積されていき、殆ど進捗を見ない状況に陥っています。作業が進むにつれ、悪条件が幾重にも重なっているということが次第に解ってきたわけですね。そのうちの幾つかは単純な判断ミスに起因しているものもあるでしょう。
こうした状況は専門家たちも予期できていたとはいえませんから、政治家ごときにキチンと見通せとまではいいません。が、そうした見通しが立っていないなら尚更のこと、軽口は慎むべきです。総理大臣や官房長官という国家の最高責任者たちの発言が流言蜚語と同レベルのアテにならないものだったということが続けば、「何を信じたら良いのか解らない」と国民が思ってしまうのは当然の帰結です。
良い情報も悪い情報も隔てなく、キチンとした根拠を元に正しく詳細に開示され、それが周知徹底されていれば、いい加減な憶測から生じた流言蜚語が付け入る隙は生じにくくなるものです。流言蜚語や都市伝説の類が横行している状態というのは、適切な情報が充分に行き渡っていない状態の裏返しと考えるべきです。「流言蜚語に惑わされるな」という前に、そのような状況に陥っているのは自分たちの対応や認識の甘さにも大きな原因があると自覚しなければいけません。
こうした準備不足・勉強不足は当然のことながらメディアにもいえます。当初は放射線量の情報を伝える際にも「何マイクロシーベルト」とか、「何ミリシーベルト」というのみで、「毎時」なのか「毎分」なのか「毎秒」なのか、時間の単位が伝えられない非常にいい加減な報道が続きました。時間の単位が違っていれば数値が示す意味も桁違いになってしまうわけですが、当初はそうした点が忘れられることも決して少なくありませんでした。
また、そうした基本が解っていない記者が多かったゆえ毎時の放射線量と一瞬でしかないレントゲン撮影時の被曝量とを比較し、「レントゲン撮影の何分の一だから直ちに健康に影響を与えるレベルではない」などと積算被曝量を無視したお粗末な記事が横行してしまったのです。
こうしたことも散々突っ込まれたせいか、テレビでも放射線量を伝える際に「この数値は毎時のマイクロシーベルトです」といった感じで強調されるようになっていきました。が、それは混乱しがちな初期段階でこそデリケートに扱われるべき部分でした。文系出身が圧倒的に多いメディア関係者は今回の事故で初めてこうした基礎を知り、指摘を受けながら報じ方を修正しているといったところでしょうか。当blogでは何度となく述べてきたことですが、「若者の理科離れ」を憂うよりも、「メディアの理科オンチ」を先に何とかすべきです。
(つづく)