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酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

サイクルモード'09 (その1)

昨年の秋に突然の膝痛で35kmくらいを殆ど片足で漕いで帰宅したという悪夢のような経験をして以来、自転車に乗る機会がだいぶ減ってしまいました。いまでも調子が悪いときは20km足らずで違和感を感じたりするものですから(調子が良ければ全然平気ですが)、距離を稼ぎたいときは自宅(クルマで遠征するときはそれを停めている駐車場)を中心とした周回路になるようにして、出発点から何十kmも離れたところには行かないようにしています。

当blogは最初の1年半くらい自転車ネタがかなりの割合を占めていました。いまでもBD-1の20インチ化をご紹介したエントリは毎日のようにアクセスがありますし、自転車用のグリスガンを取り上げたエントリケスデパーニュのマークが「毛ガニ」と読めるというエントリ(これなどはいつの間にかWikipediaにリンクが張られていました)などはかなりの頻度でアクセスがあります。

しかしながら、左膝に故障を抱えるようになってからは乗ったり弄ったりする機会が減少し、そうした話題も激減してしまいました。それに加えて、今年はカメラ熱が再燃してしまったことも影響しているでしょう。例年なら自転車に使っているハズのお小遣いがかなりカメラ関係に流れてしまいました。これだけ自転車ネタが減ってしまったからにはプロフィールの写真もいい加減見直したほうが良いかも?と思うようになってかなり経ちますが、面倒なのでそのまま放置しています。

ということで、私自身の自転車に対する熱がやや冷め気味になっている昨今ですが、今年もサイクルモードには行ってきましたので、また好き勝手に私見を述べさせて頂こうと思います。

例年は11月初旬に開催されていましたが、今年は1ヶ月遅れとなりました。東京(実際には千葉県ですが)の会場はいつもの幕張メッセですが、例年の1~3ホールに加えて今年は4ホールまでとなり、スペース的には拡張されました。ところが、残念なことにコルナゴ(アパレルのコルナゴ・モーダは除く)やジャイアントキャノンデールといったビッグネームが不参加となり、全般的に見てもスポーツサイクルに関しては少し薄味になってしまった印象です。

特に気になったのはプロ選手が使用した実車の展示が激減してしまったことです。以前はツール・ド・フランスなどで活躍している超一流選手が実際にレースで使っていたバイクが何台も展示され、細かいアレンジなど参考になるところもあり、興味津々で見たり写真を撮ったりしたものです。が、今年は申し合わせたかのように各社ともこうしたスペシャルなバイクを殆ど持って来なかったのが非常に残念でした。

また、このイベントはプロ選手をはじめとしてこの世界の有名人が(鶴見辰吾氏のような自転車好きで知られる芸能人なども)トークショーに出演したりして、こうした人たちに会えるというのも良いところなのですが、今年は例年より少なかった印象です(私が行ったタイミングが悪かっただけかも知れませんが)。

一方、個人的にはあまり興味がないカジュアル系のバイクは多くなった印象で、展示ホール西側の端っこのほうには電動アシスト自転車のブースが並び、スロープを上って電動アシストの効き具合が試せる専用の試乗コースまで設けられていました。こうした傾向からしても、昨今の自転車ブームでマーケットが広がり、マニアよりももっと広いユーザー層に訴えかける方向で力が入れられていたような印象です。

電動アシスト自転車のブースと試乗コース
電動アシスト自転車のブースが集まった一角と試乗コース
先鞭を付けたヤマハを筆頭にブリヂストンやパナソニックなど
(後二者はスポーツサイクルのブースと分けて二本立てです)
電動アシスト自転車の専門ブースが並んでいます。
そのすぐ傍らには専用の試乗コースが設けられ、写真右端に見えるように
スロープをしつらえて法改正でよりアシスト量が大きくなったそれを
体験できるようになっていました。


以前にも触れましたが、かつてはサイクルモードと比較的近い時期に東京ビッグサイトで「東京サイクルショー」というイベントも開催されていました。コチラはカジュアル系やホームセンターなどの販路に乗るような安い自転車、台湾や中国などの部品メーカーの協会がブースを構えて日本の輪業界に売り込むといった方向がメインでした。

BD-1やブロンプトンといった小径車の輸入代理店であるミズタニ自転車や、ダホンの輸入元であるアキボウなどはサイクルモードと東京サイクルショーの両方に出店していましたが、どう見ても後者のほうに力を入れていたようでした。また、これらの小径車専門店として名高い(私がBD-1を購入したショップでもある)サイクルハウスしぶやも以前は東京サイクルショーに出展していました。

ジャイアントやピナレロなども東京サイクルショーでは比較的安価なロードバイクも展示していましたが、やはりクロスバイクや小径車などカジュアル系がメインでした。実際、客層も明らかにそちら側の人たちばかりで、胸に心拍センサを巻いてすね毛を剃って、気合いを入れて走るといった人はほぼ皆無といった感じでした。

その東京サイクルショーは2007年に「Tokyo Bike Biz」と改称し、それまでの総合自転車ショーからビジネス見本市に模様替えされました。招待状を受けた販売店などの業界関係者しか入場できず、私のような一般客はお断りという徹底ぶりで、その年からカジュアル系ブランドやショップなどもサイクルモードへ軸足を移したような状態だったと思います。

そのTokyo Bike Bizは僅か一度で消滅してしまったようで、昨年あたりからさらに旧東京サイクルショーの出展者がサイクルモードになだれ込むようになったのでしょう。今年はさらに展示ホールを増床してそれに対応したといった感じでしょうか。以前はもっとスポーツ色の濃かったサイクルモードですが、東京サイクルショーが挫折してしまった影響なのか、次第にカジュアル色を強めて来たといった印象です。(あくまでも個人的な印象ですが。)

ま、それはそれで悪いことではないと思いますが、できればジャンルを分けて出展者のブースを整理するような工夫が欲しくなってきました。例えば、本格的なスポーツサイクルが中心のメーカーとカジュアル系しかないメーカーを分け、その間に両方やっているメーカー配置するといった格好で、できるだけ色分けしながら配置したほうが見やすくなると思います。

そこまでできないというのなら、せめて部品メーカーや用品、工具、ケミカル、アパレルなどを纏めるといったカタチで、自転車メーカーとそれ以外くらいは色分けしたほうが良いように思います。現状ではあまりにも雑然とし過ぎていて、端から順に見ていくと頭の中で情報が整理しきれなくなってしまいそうです。ま、ドンキホーテの店内が落ち着くという人なら現状のほうが良いのかも知れませんが。

(つづく)

この男は何勝できるのか? (その2)

今年のツール・ド・フランスを制したアルベルト・コンタドール選手と同じスペイン人で1990年代前半に圧倒的な王者として君臨したミゲル・インドゥライン選手は、大柄な身体(身長188cm、体重80kg前後)に似合わぬ山での強さと、圧倒的なTTの実力とでツール5連覇と2度のダブルツールを成し遂げました。(同じ年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを制すると「ダブルツール」といいますが、同じく三大ツールであるはずのブエルタ・ア・エスパーニャとツールあるいはジロとブエルタではダブルツールと言わないのが慣例になっているようです。)

コンタドール選手は逆に小柄(といっても身長は176cmですからロードの選手としてはさほど小さくもないのですが、体重が60kg台前半に絞られている分だけ華奢に見えるのでしょう)に似合わぬTTでの実力と、当代随一と評すべき圧倒的なヒルクライムの能力で、今年はライバルを寄せ付けない見事な勝ちっぷりでした。

気になるのは、インドゥライン選手の全盛期にあまりの圧勝ぶりから「面白くない」という評も少なからずあったことです。ま、彼の場合はキャラクターそのものが闘志を剥き出しにするタイプとは真逆で、普段から温厚で大人しく、基本スタンスはTTを除いて「風林火山」でいうところの「動かざること山の如し」という印象が強くありました。

山でも強く、個人TTでライバルとの差を広げるといった必勝パターンはベルナール・イノー選手やグレッグ・レモン選手、ランス・アームストロング選手など現代のツールで複数優勝を遂げた選手にはおおよそ共通するものといえます。要するに、そういう必勝パターンがあってこそコンスタントに勝ちを狙えるということでしょう。が、インドゥライン選手の場合は自ら山で仕掛けるというパターンがあまり印象に残っておらず、ライバルが登りで脱落していってもペースを保って粘り勝つといったイメージがあります。

実際には彼もリーダージャージを着る選手として最低限の仕掛けはしていたと思うのですが、何せ同世代にクラウディオ・キアプッチという山で大暴れする凄い選手がいましたから、あの果敢なアタックを連発したキアプッチ選手の印象があまりにも鮮烈で(漫画の主人公のモデルにもなったくらいですから)、インドゥライン選手のそれは霞んでしまい、あまり記憶に残らなかったのかも知れません。

アームストロング選手の7連覇時代は前述のヤン・ウルリッヒ選手やマルコ・パンターニ選手などツールで総合優勝の経験がある実力者との対決も見物でした。が、現在のコンタドール選手にそこまで比肩するライバルはいないような気がします。彼は山でも積極的に仕掛けてレース全体の流れを変えることのできる実力者ですし、これまでにもそうして勝ってきましたからインドゥライン選手のような評を受けることはないかも知れません。が、強力なライバルがいなければやはり面白みも半減します。

アームストロング選手はしばらく現役を続けるようで、ヨハン・ブリュイネール監督と共にアスタナを出て新チームを立ち上げるのではないかと噂されています。一方、ドーピングによる出場停止処分が明けるアレクサンドル・ヴィノクロフ選手は今年7月2日に復帰宣言をしており、アスタナ入りを強く希望しているといいます。そもそもは彼の母国カザフスタン政府の肝いりで彼を勝たせるために組織されたアスタナですから、ヴィノクロフ選手が戻ればコンタドール選手もアスタナに残ることはないでしょう。

もっとも、彼ほどの実力なら引く手あまたです。また、イタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙やスペインのマルカ紙は、F1ドライバーのフェルナンド・アロンソ選手と組んで来年フェラーリのスポンサーになると噂されているスペインのサンタンデール銀行をメインスポンサーとした新チームを立ち上げると報じています。ま、アロンソ選手自身も彼のマネージャーも全面否定していますけど。

いずれにしても、このまま行けばコンタドール選手とアームストロング選手は別々のチームとなって余計なしがらみを排除した純粋な対決が見られることになる可能性が高まると思います。アームストロング選手については年齢との戦いもありますが、女子にはジャンニ・ロンゴ選手という凄いヒト(もしかしたらヒトではなくサイボーグかも?)がいますから、こうなったらどこまでいけるかチャレンジして欲しいところです。

ロードTTでフランスチャンピオンを守ったロンゴ選手
ジャンニ・ロンゴ選手(写真中央)
彼女は1958年生まれですが、いまでもバリバリの現役です。
オリンピックの初出場は1984年(25歳)のロサンゼルスからで、
昨年(49歳)の北京まで7大会連続出場しています。
オリンピックでの最高位は1996年(37歳)のアトランタになり、
ロードで金、ロードTTで銀を獲っています。
1992年(33歳)のバルセロナでもロードで銀、
2000年(41歳)のシドニーでもロードTTで銅でした。
今年6月(50歳)のフランス選手権ではロードで3位に甘んじましたが、
ロードTTでは2位に30秒以上の大差を付けてチャンピオンを守りました。
この写真はその表彰式の模様ですが、両隣の選手の親と同世代でしょう。
しかも、彼女は文武両道で、数学学士、経営学修士、
スポーツ経営学では博士号も持っているそうです。


ヴィノクロフ選手もかなりの実力者ではあります。が、あと1ヶ月半ほどで36歳になりますから年齢的にはアームストロング選手と大差なく、やはり年齢とも戦わなければならないでしょう。加えて、彼は落車によって目論見が大きく狂わされることも度々ありますので、そうした点も要注意でしょう。

例えば、直前のツール・ド・スイスで落車して骨折してツール・ド・フランスを欠場したことが2度(2002年と2004年)もあります。2007年は優勝候補筆頭に挙げられ、結果的に血液ドーピングで陽性が出て競技を離れることになりましたが、序盤戦の遅れてはいけないタイミングで落車してタイムを失い、そのときに負った膝のケガから山岳で不振に喘ぎました。

かつてはアームストロング選手の後継を担うと期待されたイヴァン・バッソ選手(31歳)もドーピング絡み(実際には血液ドーピングの準備をしていた未遂のようです)で出場停止処分となっていましたが、昨年のジャパンカップから本格的に復帰しました。今年のジロではあまり見せ場をつくることなく総合5位に終わり、ツールをスキップしてブエルタに照準を合わせているといいますので、ここで真価が問われることになるのかも知れません。

トラックレースの選手でもあるブラッドリー・ウィギンス選手(29歳)は、昨年の北京オリンピックでパーシュート系2冠、世界選手権ではマディソンも獲って3冠となり、ロードでもTTスペシャリストというべき脚質でした。が、今年はジロの山岳で粘りを見せたかと思うとツールまでにさらに体重を2kgほど絞って上位争いで後れをとらないヒルクライムの能力を見せ、見事なまでにオールラウンダーへと変身を遂げました。アームストロング選手に37秒差まで迫り、ポディウムまであと一歩だっただけに今後が期待されます。

次代を担う若手の成長株としては前回ご紹介したアンディ・シュレク選手が筆頭、ヴィンチェンツォ・ニバリ選手やロマン・クルージガー選手あたりがそれに続く感じでしょうか。かつての実力者達も一時引退やドーピング絡みの出場停止からカムバックし、昨年までに比べて選手層が厚くなってきたといえるでしょう。が、それでもコンタドール選手は頭一つ以上リードしているように見えます。

私はいまのところ特に入れ込んでいる選手がいませんので、コンタドール選手が独走してしまうよりも強力なライバルと高いレベルで競り合っているところが見たいと願っています。レベルの低い混沌は願い下げですが、現在のコンタドール選手を苦しめるようなライバルが現われればそれは非常にハイレベルでの闘いになりますから、そうした実力を発揮できる選手が台頭してくることに期待しています。

コンタドール選手ファンの方には申し訳ないと思いますが、私はインドゥライン選手やアームストロング選手のように連覇を重ねるより、彼が勝ったり負けたりするツールを見たいと願っています。なので、あくまでも個人的な希望としてはあと3~4勝くらいが丁度良く、そこに割って入る選手が何人か出てくれば最高だと思います。ま、非常に勝手な希望ではありますが。

ところで、今年のツールで個人的に最も印象に残ったのは最終ステージのパリで別府史之選手がアタックを成功させ、7人の逃げ集団をリードしたあの走りでした。

パリでトップを引くフミ
パリで逃げ集団のトップを引く別府選手
市内中心の周回コース1周目を過ぎたあたりで
渾身のアタックを決めてそのまま最終周まで逃げました。


例年はこうしたアタックが決まっても大きなリードを築く前にメイン集団に吸収されるということが繰り返されるものですが、今年は周回コースに入って最初のアタックが成功したまま一時は30秒以上の差を付け、残り約5kmまで持ちこたえました。別府選手は逃げ集団の中でも特にトップを引く時間が長く、誰の目にも終盤のレースをリードしていたように見えたでしょう。

ツールは全ステージでゴール付近にスピーカーを置き、オフィシャルスピーカーのダニエル・マンジェス氏のアナウンスがゴールシーンを盛り上げます(この人は1976年からこの仕事を続けており、私が知るツールのゴールシーンには必ずこの人の声が響いてきました)。パリでは至るところにそのスピーカーが置かれ、周回コースでゴールラインを何度も通過しますから、彼の名物アナウンスも何度となく入ります。今年のパリはマンジェス氏が何度も「ベップ」とか「ジャポネ」とか叫んでいましたから、私はJスポーツの中継を見ていてゾクゾクしました。

以前「やはり日本人である私としては7月26日にシャンゼリゼを疾走している彼らの姿を見たい」と書きましたが、先頭を引いてあの石畳の周回コースを駆け抜ける日本人選手というのは、私にとって夢の中でしかあり得ないシーンでした。それだけに中継を通じて目に飛び込んでくる光景が本当に起こっていることだという実感になかなか繋がらなかったくらいで、鳥肌が立つやら目頭が熱くなるやら、近年のツールでここまで感動したことはないというほどでした。

敢闘賞の赤ゼッケンを手にする別府選手
敢闘賞の赤ゼッケンを手にする別府選手
そのステージで最も果敢な走りをした選手に贈られる敢闘賞ですが、
今年の最終ステージの敢闘賞は当然のように別府選手の手に渡りました。


彼はまだ26歳です。第2ステージで5位に入った新城幸也選手もまだ24歳です。この二人の更なるステップアップも楽しみになってきました。

(おしまい)

この男は何勝できるのか? (その1)

昨年、当blogでもツール・ド・フランスの優勝予想をしてみましたが、大穴狙いということもあり、結果は見事にハズレでした。今年は頭抜けた選手が一人でしたから、あえて予想するまでもないと思い、止めておきました。案の定、その頭抜けたアルベルト・コンタドール選手が危なげなく勝ちましたね。

ツール2009ポディウム
表彰台は1位だけ一段高くなっていますが、
3位のアームストロング選手だけ小さく見えるのは
2位のアンディ・シュレク選手が186cmと長身だからでしょう。


予想外だったのはランス・アームストロング選手の活躍で、3年間のブランクもさることながら、37歳という年齢に加え、今年3月24日にブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンで集団落車に巻き込まれて鎖骨を骨折するという災難にも遭っていました。

今年初めて出場したジロ・デ・イタリアではアスタナのエースナンバーを付けていたものの、トップから16分近く遅れて12位に終わり、同じアスタナのリーヴァイ・ライプハイマー選手からも10分以上遅れる結果だっただけでなく、得意の個人TTでも上位に顔を出すことなく終わりました。ですから、まさかパリでポディウムに上がるとはツールが始まるまで思わなかったというのが正直なところです。

昨年の優勝予想では大穴狙いで推したアンディ・シュレク選手が今年のツールで着実に成長している様子が見られたのは何よりだったと思います。彼はクライマーとして超一流で、お兄さんのフランク・シュレク選手が滅法苦手な個人TTもそこそこの実力を持っています。そして何より、まだ24歳という若さですから、まだまだ伸び代があります。

コンタドール選手がツール初優勝を飾ったのも24歳のときでしたが、ほぼ総合優勝間違いなしという状況だったミカエル・ラスムッセン選手にドーピングの疑いがかけられ、棄権に追い込まれて順位が繰り上げられた格好でした。そのラスムッセン選手はツールの期間中十数回におよぶ検査で一度も陽性になりませんでしたが、その前段で抜き打ち検査のために義務づけられた所在報告で度々虚偽を繰り返したという疑いが強まり、ツール期間中にチームから追放されるという前代未聞のリタイヤでした。

コンタドール選手の2007年の優勝は「棚ボタ」だったといったらさすがに言葉が過ぎるでしょう。が、この年の彼は今年のアンディ・シュレク選手と見比べて圧倒的といえる実力差があったようにも見えませんでした。特に第19ステージの個人TTでは総合優勝を争っていたリーヴァイ・ライプハイマー選手に2分18秒、カデル・エヴァンス選手にも1分27秒の大差をつけられ、普通の山岳スペシャリストでオールラウンダーではないという印象を強く抱かせる内容だったと思います。

しかし、その翌年くらいからTTでもメキメキと実力を付けてきた感じで、今年のツール第18ステージではTTスペシャリストのファビアン・カンチェラーラ選手を抑えて優勝を飾るなど、TTでも超一流の実力を見せつけました。山岳もTTも最高レベルに達した現在のコンタドール選手に比べればアンディ・シュレク選手はやはり見劣りします。昨年に比べて着実に成長していることを思えば将来はコンタドール選手の良きライバルとして大いに期待したいところですが。

前人未踏のツール7連覇を達成したアームストロング選手のツール初制覇は1999年ですから27歳のときですが、コンタドール選手はまだ26歳で既に2勝です。彼を脅かすような選手が今後も現われず、現在の実力を維持し続ければ2桁の大台に乗せることも不可能ではないかも知れません。ただ、コンタドール選手のようにツール初優勝と新人賞を同時に果たした選手は良いところまで行ってもなかなかツールでは勝てないというジンクスもあります。

例えば、プロ2年目の23歳で初出場ながら優勝したローラン・フィニョン選手の場合、その1983年は同じルノーのエースだったベルナール・イノー選手の故障欠場で大抜擢されての快挙でした。翌年にはラ・ヴィ・クレールを立ち上げてルノーを去ったイノー選手とガチの対決となりましたが、その当時最強の王者をアルプスで叩きのめし、連覇を飾るという順風満帆のスタートを切りました。が、8秒というツール史上最小の僅差で惜敗した1989年を例外として、膝の故障や体調不良などツールでは良い成績を納めることなく終わっています。

また、22歳で初出場2位を果たしたヤン・ウルリッヒ選手は翌1997年に23歳の若さで優勝を遂げました。が、ご存じのようにランス・アームストロング選手と同じ時代に全盛期を迎えたことと、何よりシーズンオフの不摂生でブクブクに太ってシーズンインし、体型すらマトモに整えられないということが何度かあった調整下手が彼のポテンシャルを引き下げてしまった感も否めません。アームストロング選手がいなければあと3勝はできていたでしょうし、アームストロング選手のようにストイックな選手生活を送っていたら立場が逆転していたかも知れません。

プロサイクリストにあるまじき体型のウルリッヒ
プロサイクリストにあるまじき体型のウルリッヒ選手
これは2006年のジロ・デ・イタリア第11ステージのときのものです。
この膨れ上がった腹は何か詰め物をしているのでは?と噂になりましたが
正真正銘、100%混じりっけなしの贅肉です。
この無様な体型で彼は50kmのTTを平均58.48km/hで駆け抜け、
2位のイヴァン・バッソ選手に28秒差をつけてステージ優勝しました。
が、山では思うように走れず、第19ステージでリタイヤしました。


逆に、アームストロング選手のあの強さは睾丸のガンが肺や脳まで転移し、生存確率50%を宣告され、それを見事に克服してカムバックしてきた精神的な強さに支えられていた部分もあったように思います。1986年にアメリカ人としてツール初優勝を遂げたグレッグ・レモン選手もその翌年4月にいとこと狩猟に出掛けて誤射され、瀕死の重傷を負ったものの、2年後にカムバックして2連勝しました。

死線をさまようような経験をすると人の精神は強くなるとすれば、コンタドール選手もツール初優勝の2年前に脳の多孔性血管腫で死の淵を経験し、約半年間の入院生活を余儀なくされています。彼の精神的な強さはアームストロング選手らに通じるものがあるのかも知れません。

(つづく)

Allez! Japonais!

インターマックスの会社案内を見ると、こうあります。

インターマックスは、日本人として初めてツール・ド・フランスに出場した今中大介が、1998年に自転車と関連商品の輸入を業務の中心として発足させた会社です。


同じページにある今中大介氏のプロフィールにはこうあります。

1996年 日本人のプロロードマンとして唯一、ツール・ド・フランスに出場する。


しかし、これが誤りであるのはそれなりにサイクルロードレースを知っている人の間では有名でしょう。

日本人として初めてツール・ド・フランスに出場したのは川室競(かわむろ・きそう)さんという横浜生まれの人物です。彼は兵役を終了すると川崎造船に入社、2年後の1918年(大正7年)に完成した船の引き渡しのためマルセイユへ渡り、そのままフランスに留まりました。エンジニアだった彼はファルマン航空社に入社、1923年(大正12年)に航空機や自動車などのメーカーだったサルムソンへ移り、パリ周辺で開催されていたアマチュア自転車レースに参戦し始めたといいます。

それから3年後、国際自転車競技連盟にプロ資格の申請をし、これが認められると、彼は間もなくプロデビューしました。そして、その年(1926年)のツール・ド・フランスに日本人として初めてエントリーしました。当時はまだ現在と違ってアドベンチャーレースの趣が強く、この年のツールは史上最長となる5745kmで、これを僅か17ステージに割り振っていましたから、1ステージの平均が340km近くにもなっていました。

オービスク峠のリュシアン・ボイセ
オービスク峠を駆け抜けるリュシアン・ボイセ
パヴェ(石畳)を走るツール・デ・フランドルやパリ~ルーベも真っ青
現在なら確実にMTBのコースとなるであろう山道を
当時はロードレーサーで駆け抜けていました。
この年は雪が降り、史上希に見る悪コンディションだった
と伝えられています。


チーム参加が44名、個人参加が82名の計126名だったこの年は、ツール史上初となるパリ以外でのスタートで、ミネラルウォーターで有名なエヴィアンから北上するコースだったといいます。残念ながら、川室選手は第1ステージでリタイヤしたそうですが。

彼は翌1927年(昭和2年)にもツール・ド・フランスに個人参加しますが、やはり第1ステージでリタイヤとなってしまいました。後にトラックレースへ転向すると、誘導用モーターサイクルを追走するドミフォンの選手として活躍したそうです。

川室競
トラック転向後の川室選手

今中大介氏は日本人としてツール・ド・フランスの出場を果たした2人目の選手です。川室選手も既にプロ登録されていましたから、プロロードマンとしても今中選手は2人目です。ま、時代が違うといえば全然違います。ツール・ド・フランスは何度か国別対抗だったこともありますが、プロチームでの対抗戦として定着してからは本当に実力のある選手しかチーム内で選抜されませんから、出場までのハードルが格段に上がったのは確かです。

しかも、今中氏が選手時代に所属していたチーム・ポルティは、シャトーダックスから始まって現在のチーム・ミルラムに通じる一流チームです。典型定期なオールラウンダーでスプリントも得意だったジャンニ・ブーニョ選手をエースとし、史上屈指のスプリンターといえるジャモリディネ・アブドジャパロフ選手も擁するイタリアの強豪チームだったポルティですから、それはもう、このチームのメンバーとしてツールの出場を果たしたというだけで日本人としては大変な快挙です。

ですから、「日本人として初めて」などというウソのプロフィールなど書かなくとも、全く色褪せることのない名誉のハズなんですけどねぇ。

今中選手のツールでの内容はあまり芳しくなく、風邪を引いて体調を崩したり、膝の故障なども重なって第14ステージで残念ながらタイムオーバーのリタイヤとなりました。つまり、いまのところ日本人でツールを完走した人は一人もいないということです。

ブイグテレコムの新城幸也選手に続いて、今日(6月29日)、スキルシマノの別府史之選手もツールの出場が決まりました。彼らはアシスト役の選手となるわけですから、求められるのは完走ではなく、アシストとして良い仕事をすることです。が、やはり日本人である私としては7月26日にシャンゼリゼを疾走している彼らの姿を見たいものです。

67アルテは79デュラと完全互換ではない?

シマノのサイトでも既に正式発表されている6700系アルテグラ(以下67アルテ)ですが、その互換性についてはまだ諸説が飛び交っていてハッキリしていません。ただ、色々調べていましたら、シマノの技術資料が取り纏められているtechdocs.shimano.comには既に取説や展開図などもアップロードされており(全て出そろったわけではありませんが)、断片的ながら正確な情報も解ってきました。

リヤに関しては7900系デュラエース(以下79デュラ)も旧モデルと互換性がありますから、キーとなるのはフロントの互換性ですね。そこでクランクセット・FC-6700の取説(←リンク先はPDFです。以下も取説のリンク先は全てPDFになります)を参照してみました。スペックシートを抜粋してみますと、以下の通りになっています。

FC-6700の仕様

ご覧のように、適応チェーンがトリプルに関しては旧モデル互換となりますが、ダブルはコンパクトクランクも含めてCN-7900とCN-6700が並記されており、駆動系は79デュラと互換性があることが解ります。

一方、デュアルコントロールレバー・ST-6700の取説にはブレーキについて書かれています。BR-6700はST-6700もしくはST-6703(フロントトリプル用)、BLTT-79(79デュラのTTハンドル用ブレーキレバー)を用い、旧モデルは使用しないようにとなっています。ということで、ブレーキとブレーキレバーの関係も79デュラ互換であるのは間違いありません。

さて、問題となる変速系の互換性ですが、これに関しては明確な記載がありませんでした。ST-6700の取説には79デュラとのチャンポンについて何も触れられていませんが、それは66アルテ/78デュラの時もおなじでした。しかしながら、フロントディレイラー・FD-6700の取説を見ますと、ケーブル張り調整の項に「トリム操作を行います。(ST-6700)」とありました。

FD-6700ケーブル張り調整

ご存じのように79デュラは「トリム操作不要」が売りの一つになっていますから、この点が異なるわけですね。これはチェーンガイドなどディレイラー側の構造的な問題なのか、アウターとインナー各々のチェーンリングの間隔などクランク側の構造的な問題なのか、本当は問題などないけれどもビジネス上の都合で互換性がないことにしておこうとしているのか、その辺りの判断は非常に難しいところです。

ただ、67アルテを79デュラと同じようにトリム操作不要としなかったのは、コストダウンのためのスペックダウンか、79デュラを別格にすることでブランド価値を引き上げようとしているのではないかと想像されます。いずれにしても、67アルテと79デュラは殆どの部分で互換性があるものの、フロントの変速系については構造が異なっています。この点については互換性がない可能性も拭えなくなり、両者が完全互換ではないとする噂も間違いではなさそうな気がしてきました。

ま、シマノが保証していなくても実際には使えてしまうということもあり得ることですけどね。

(ご注意)上記はあくまでも断片的な情報に基づくもので、内容の正確さについては一切保証できません。悪しからず。

追記:シマノから正式に互換性が発表されていますので、詳細はコチラでご確認ください。
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