酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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クライメートゲート事件を闇に葬ろうとする人々 (その2)

UEA(イーストアングリア大学)がいわゆるクライメートゲート事件を調査した結果には呆れることだらけですが、中でも飛び抜けて酷かったのは、前回(2回目)の調査結果報告書が出されたとき委員長のオックスバーグ卿が以下のように述べていたことです。

「批判家たちによって要求されたような環境データの管理に対して英国政府がどこでも用いられているような政策を導入したことは不適切であり、この動きは研究者間でのデータの流れを妨げた。」

しかし、実態は全く異なります。UEAの気候研究所所長であるフィル・ジョーンズ氏ら本件の中心人物たちは「ここ英国にも情報公開法があると連中が嗅ぎつけたら、ファイルは渡すくらいなら消去する予定」などといったメールをやり取りし、都合の悪いデータが懐疑派に渡らないよう腐心していました。

彼らは自分たちのレポートで用いたグラフなどの元データやその解析方法の開示を拒み続け、データの解析過程を第三者が検証できないように画策するメールを交わしていたのです。つまり、どれほどインチキなデータ処理がなされ、結論に都合の良い集計がなされていても、チェックのしようがない出鱈目なレポートが大手を振って発表され、それが人為説の根拠の一部として扱われてきたということです。

スティーブ・マッキンタイア氏ら懐疑派の急先鋒たちはデータの扱いに間違いがないか確認したいと訴え、再三に渡ってジョーンズ氏らにどの観測ポイントの値を用いたのかといった元データとその解析方法について開示を求め、イギリスの情報公開法に則った請求を重ねてきました。が、煙に巻くような返答しか得られないという状態が何年も続いてきました。

マッキンタイア氏らが望んだように第三者がデータ処理を再現し、その妥当性を確認するのは科学分析の精度を維持するために不可欠なことです。逆に、どのようなデータをどのように処理したかも明らかにせず、結果だけを以て一方的な理屈をこねるのは似非科学そのものです。しかし、マッキンタイア氏らがしつこく情報開示を請求したことについて前回の調査委員長であるオックスバーグ卿は「迷惑行為に及んでいたかもしれない」と言ってのけました。

データを精査したいという当然の請求を「迷惑行為」といい、その開示を拒んできたジョーンズ氏らには問題がなかったとし、そのうえ、イギリス政府が2005年に導入した情報公開法の対象に大学の研究データなども組み入れたのは「不適切」だったというわけです。どのように曲解すればここまで酷い錯誤に陥ってしまうのでしょうか?

今回(3回目)の調査報告ではUEAの情報開示が不充分で「理にかなった情報要請」への対応は「役に立たず、身構えた」ものだったということを認めました。「適切な度合いの開示を怠るという一貫したパターン」があったことを報告書の中で批判していたのはそれなりに前進したといえるかも知れません。が、前回のオックスバーグ卿の「迷惑行為」発言に対する批判の集中を緩和するために譲歩した結果と見るのが妥当なところでしょう。

実際のところ、ジョーンズ氏らがマッキンタイア氏らを侮辱しながら情報開示を拒み続けてきたことが流出メールを追えば確認できます。また、マッキンタイア氏のように冷遇された人たちはUEAからの回答メールも引用しながらその顛末を自身のblogに綴っていたのですが、その記事と件の流出メールでやり取りされた内容がキレイに整合していますから、これも事実であることは疑いの余地がないでしょう。

彼らは学内の情報開示担当の専門職員と共に、どうすれば開示請求を退けることができるか、どの免責事由が利用できるかといった検討を重ねてきました。今回の報告では「開示を怠る」とされ、単なる怠慢であったかのように伝えていますが、実際には極めて積極的に開示拒否の方策を練っていたと見て間違いありません。(こうした経緯は次のエントリで紹介する本に詳しく書かれていますので、そこで改めて触れることにします。)

いずれにしても、UEAが発表したこれらの調査報告では全体として問題がなかったという結論を導いていますから、不正の隠蔽を全面的に支援する以外の何ものでもありません。要するに、UEAは外部の人間に調査させ、疑いが晴れたといいながら、実際には保身のために都合の良い結論を出させただけで、人選の段階から大いに問題があった何の役にも立たないゴミ同然の報告と見なして良いでしょう。

いま角界が野球賭博や暴力団絡みの騒動で袋叩きにされていますが、相撲協会がその調査委員会の委員長に大相撲の後援会関係者を選んだり、相撲協会を擁護するような発言をしたメディア関係者、元相撲協会職員などをメンバーに含めていたら当然のように中立性が疑われ、火に油を注ぐような状態になっていたでしょう。実際、暴力団へのチケット譲渡に関与したボクシングジムの最高顧問がこの調査委員の一人になっていたことがメディアに大きく報じられ、程なく解任される騒ぎになったくらい潔癖さが求められています。

クライメートゲート事件を巡ってはこうした疑義を押し潰してでも事を収めようとする雰囲気を感じます。その報告書をストレートに「報道資料」として垂れ流した環境省も(悪意の有無はともかく)彼らと同じ側にいると考えて差し支えないでしょう。

少なくとも、環境省はUEA側の「研究協力者の嫌疑が晴れたことが広く報道されることを望む」というコメントを載せておきながら、WSJが報じたように調査そのものにバイアスがかかっているのではないかという懸念は伝えない一方的なものです。ついでにいえば、この事件そのものや調査報告を殆ど黙殺した日本のメディアの多くも同じ側にいると見なせます。

こうして多数派が形成されると日本ではその空気に流されてしまいがちですが、多数派工作をしても真実を隠し通せるとは限りません。環境省もメディアもその辺を弁えて身の置き場を定めないと、いずれ大恥をかくことになるかも知れません。

(おしまい)

クライメートゲート事件を闇に葬ろうとする人々 (その1)

昨年11月、イギリスのイーストアングリア大学(以下UEA)のサーバーから電子メールほか諸々、合計3000点を超える電子ファイルが流出、その内容から地球温暖化問題の知見を形成する過程に重大な問題があったと疑われた事件、いわゆる「クライメートゲート事件」については当blogでも取り上げました。(関連記事『クライメートゲート事件は大山を崩すのか?』)

そのUEAへは当然のように疑いの目が各国(メディアが極めて小さな扱いでお茶を濁したゆえ殆どの国民に知られていない日本などは除くべきでしょう)から向けられ、彼らも事態を収拾させる必要に迫られました。そこで「独立レビュー組織」が設置され、外部の識者や科学者に調査を依頼したという体裁が整えられました。今月7日、その3回目の調査報告書が提出されましたが、前2回と同じく保身を目的とした自分たちに都合の良い結論を導いています。

今回の報告書でも事件の当事者たちについて「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」としていますから、これにはもう笑うしかありません。ま、この種の茶番劇などどこにでもあるハナシですし、そもそもUEAは都合の良いように情報を操作してきた独善的な組織です。建前上は外部に調査を依頼したことになっていますが、結局のところ都合良くバイアスをかけたということなのでしょう。私はハナから期待などしていませんでしたが。

この調査報告について日本のメディアは当然のように触れず、事件そのものを有耶無耶にしたいようです。大きな話題にならずに済んだところで、いまさら蒸し返す必要はないと判断したのでしょう。メディア自身が喧伝に荷担してきた人為的温暖化説がこの事件を詳しく扱うことで揺らぐのは望ましくないという意思が働いたといったところでしょうか。

一方、環境省はこの調査報告を報道資料として発表しましたので少しはマシかも知れませんが、結局はUEAの発したそれをただ垂れ流したに過ぎません。

平成22年7月8日
英国イーストアングリア大学により設置された独立レビュー組織による「クライメートゲート事件」レビュー結果の公表について(お知らせ)

 英国イーストアングリア大学(UEA)に設置された独立レビュー組織(The Independent Climate Change Email Review)により、7日、昨年11月に同大学の気候研究ユニット(CRU)から流出した電子メールから生じた問題に関するレビュー結果をまとめた報告書が公表されましたのでお知らせします。

 昨年11月、英国イーストアングリア大学(UEA)の気候研究ユニット(CRU)から流出した電子メールから生じた問題流出に端を発するいわゆる「クライメートゲート事件」が報道され、データの捏造、IPCC評価報告書の結論への不信感などが報じられました。
 同大学(UEA)は、ミューア・ラッセル卿(元グラスゴー大学学長)を中心としたチームによる独立レビュー組織(The Independent Climate Change Email Review)を設置し、同組織は本件に関するレビューを実施し、7日、そのレビュー結果をまとめた報告書が公表されました。
 本レビューは、CRUの科学者への疑惑について、
・「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない。」
・「IPCC評価報告書の結論を蝕むような行為のいかなる証拠も見出さなかった。」
 と結論づけ、また一方でデータ処理の透明性や情報公開請求への対応の改善などについての提言を行いました。

(後略)


UEAはこうした報告をもって潔白が証明されたと主張していますが、欧米メディアの反応は極めて冷ややかで、この独立レビュー組織の人選からして胡散臭いという声が上がっています。

特に2回目の調査で委員長を務めたロナルド・オックスバーグ卿は風力発電の強力な推進派だと指摘されていました。地球温暖化対策から利益を得る団体とのつながりもあって、中立な立場ではない人間が委員長を務めている事に疑義が示されていましたし、調査期間がわずか3週間に過ぎなかったことから拙速な結論ではないかと欧米のメディアには酷評されていました。

今般発表された3回目の調査結果に対してもウォールストリートジャーナルはバイアスがかかっているのではないかと疑う声を以下のように紹介しています。

当初から、今回の調査はバイアスがかかっているとの疑いが持たれていた。調査に参加していたネイチャー誌編集長フィリップ・キャンベル氏は2月に辞任した。その2カ月前のインタビューで同大の研究者の行為を擁護したために公平さが疑われたためだ。

 また、やはり調査に参加していた著名地質学者ジェフリー・ブルトン氏について、1986年まで18年にわたり同大で働いていたことを挙げて批判する声もある。ただ、同氏は、その後は仕事関連で大学と接触したことはないとしている。


そもそも、この事件では学術誌に圧力をかけるなどして人為説に対抗するような論文の発表を妨害しようとしたり、データの開示請求を如何にして拒むかといった相談が繰り返されてきたことが流出したメールによって明らかになっています。

また、IPCCの評価報告書に採用されるには、既に発表されている査読付き論文でなければならないという条件が課せられています。彼らは自分たちに向けられた異論に反駁する論文の完成が遅れ、IPCCが規定してる締め切りに間に合わないといった状況の中で条件をクリアさせるため、かなり強引な手段で裏工作を重ねてきたことも件の流出メールで明らかになっています。

これらのメールが本物であることはUEA自身も認めていますから、その時点で「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」などという結論には絶対になり得ず、この報告書にバイアスがかかっているのは明白です。

メールは本物でも書かれている内容が実はフィクションで、関係者たちが膨大な手間暇をかけて事実無根の空想物語をメールでやり取りしていたというならハナシは別です。が、メールに書かれた内容と実際の手続きのタイミングやその方法が符合しているのですから、これは動かしようのない事実です。それでいて「科学者としての厳格さ、誠実さは疑いの余地がない」というのは、この調査報告をした人間に厳格さと誠実さが備わっていないということに他なりません。

(つづく)

宗教的な環境志向はダブルスタンダードも厭わない (その2)

かつては保守系新聞でさえ原発に対して慎重な意見を述べていた時期もありました。特にスリーマイル島やチェルノブイリなどの重大事故を経験してしばらくはそうした傾向が強かったように思います。が、地球温暖化問題という突破口を得てからは朝日新聞や日本経済新聞といったリベラル系までもが原発推進へ舵を切り直し、次第にそのトーンを強めるようになりました。

こうした中で莫迦の一つ覚えのように繰り返されているフレーズが「原発は運転中に二酸化炭素を出さない」というもので、日経の6月27日付の社説にもこの常套句が当たり前のように振りかざされていました。

しかし、そんな一部分を見て意志を固めてしまうのは些か乱暴ではないかと思われます。原発も発電設備の建設や維持、核燃料の精製や放射性廃棄物の処理などを含めたライフサイクル全体ではやはりCO2を排出していますし、他にも様々な環境負荷があるのですから、LCAを無視すべきではありません。

なお、再三述べていますように、私はCO2温暖化説などという程度の低い仮説にはかなり懐疑的な立場ですから、CO2の排出そのものが環境負荷になるとは考えていません。が、それを語り始めるとハナシが進まなくなりますので、ここでは問わないことにします。

財団法人電力中央研究所は『ライフサイクルCO2排出量による原子力発電技術の評価』という報告書を発行しています。ただし、この電中研という組織の運営資金は電力会社の共同出資によるもので、決して中立的な立場とはいえません(というより、電力会社の下僕も同然でしょう)。なので、何処までアテになる情報なのかは解りませんが、今回はそうした点についても問わないことにして、あえてこの報告書をベースにします。

この報告書では各種の発電方法毎にライフサイクルCO2排出量を算出し、下図のように纏めています。

各種発電技術のライフサイクルCO2排出量
各種発電技術のライフサイクルCO2排出量

核燃料の濃縮条件の違いによってそれなりに幅が設けられていますが、一方、「将来の使用済み燃料の取り扱い方法においては不確定要因があるが、その取り扱い方法の違いはライフサイクルCO2排出量にはそれほど大きな影響を及ぼさない」としているところが大いに引っ掛かります。とはいえ、それに難癖を付けられるような具体的なデータを持っているわけではありませんので、今回はそれもスルーして、とりあえずこの結果だけに着目してみます。個人的には原発がライフサイクルで水力発電の2倍を超えるCO2を排出しているという点がかなり気になりました。

もちろん、水力発電はダムが環境を破壊し、生態系を乱すものですから、その開発を是としない考え方も尊重すべきです。渇水時を想定すればエネルギーの安定供給という点でも万全とはいえない部分が残されています。が、柔軟な出力調整ができない原発は電力需要の細かい変動に対応できないという点で安定的な電力供給源として自立できません。需要に対して適切な供給を維持するには、その調整を担う別系統のシステムが不可欠です。

現状では火力や貯水池水力の出力調整でも補えない部分の多くを揚水発電というエネルギーストレージに依存しています。つまり、「低炭素社会」を目指して火力発電を減らし、原発を増やし、その稼働率を上げていけば、電力需給の調整代となる揚水発電も増やして行かざるを得なくなるでしょう。

安価でサイクル寿命が長く、製造や廃棄処分時の資源投入が少なくて済み、環境負荷の小さい理想の充電池が実用化され、これを大規模エネルギーストレージとして利用できるようになれば状況は大きく変わるかも知れません。が、その具体性がまだまだ不充分な現段階では、原発の拡充にあたって揚水発電の拡充を否定することはできないでしょう。

原発に反対している人たちは例外なく揚水発電にも反対しています。それは現在の日本において両者が不可分の関係だからです。しかし、揚水発電はエネルギーを30%も目減りさせますから、お世辞にも効率が良いとはいえません。また、オフピークの余剰電力で水を汲み上げ、ピーク時にその水力で発電するわけですから、発電施設を挟んで貯水池を上下に設けなければ成り立ちません。つまり、ダムを二段構えにする必要があるわけです。

普通に水力発電を運用すれば発電量あたりのCO2排出量は原発の半分以下で済むとされています。CO2以外の環境負荷は内容が違いすぎるので比較すること自体に無理があるかも知れません。が、原発を推進しても揚水発電という水力発電を増やしていかなければ辻褄を合わせられないのであれば、本当に原発推進が「当然の選択」といえるのか、大いに疑問を感じます。電力供給システム全般を視野に入れ、科学的にもっと細かく精査していく必要があるでしょう。

電中研の報告書もこうした揚水発電などのエネルギーストレージを含む電力供給システム全般で原発を評価しているわけではありません。原発だけでなく、風力や太陽光発電など出力調整ができない発電方法を推進している人たちは、その補完システムを軽視する傾向が極めて強いと感じられます。そうした中で「スマートグリッド」などというバズワードが幅を利かせるようになってきましたから、楽観論をさらに加速させているのではないかと懸念されます。

日経の社説は「原子力を柱に据えるのは当然の選択」と断じ、これに反対する人たちについては「立地自治体への補助金である電源立地交付金の見直しは急務だ」「国は公聴会などで地元の要望を丁寧に聞き、原発を地域振興にどう役立てるか、地元と一体となり知恵を絞ってほしい」などと結局カネで丸め込もうとする態度ですから、国民を莫迦にしているようにさえ感じられます。

その一方で、技術的な懸念材料には一切触れていません。この社説も数多いる楽観論者たちと全く同列で、部分的な特性を過大に主張しながら、現実に直面している問題を真摯に捉えないまま、一方的な理屈で押し通そうというわけです。

私は先にも述べましたように、原発に対して「慎重派」であっても決して「反対派」ではありません。安全性を初めとして技術的な諸問題がクリアになれば感情的にこれを排斥しようとするのは間違いだとも思います。しかし、電力需要に応じた供給量を単独で調整できる火力や貯水池水力のような柔軟性が求められない発電方法は、そのままでは現実の電力供給システムに溶け込ませるにも限界があるという極々初歩的な課題を軽視することができません。

日経も「当然の選択」というからには、諸般の課題に対しても具体的な方向性を示すべきでしょう。そうした議論もないまま単純にCO2がどうのこうのというだけでは何の説得力もありません。

説得力がないといえば、前回書き忘れたのでここで補足しておきます。電力インフラの点検に関して日本のやり方が過剰なのか否か簡単には判断できませんが、一つの指標としては「年間事故停電時間」も参考になるのではないかと思われます。

年間事故停電時間の国際比較

ご覧のように日本は事故による停電が極めて少なく、抜群の安定性・信頼性を誇っています。「アメリカ、フランスは災害による停電を除く」とありますが、災害によって引き起こされた事故の停電もカウントしている日本と比べてもアメリカは5倍を超える停電が発生しています。つまり、同条件ならもっと大きな差がついているということです。

もちろん、バックアップとなる電源にどの程度の余力があるかによってもこの「年間事故停電時間」は大きく左右されるでしょうから、単純な比較は意味を成さないかも知れません。が、効率優先で稼働率を上げれば不具合が生じた際の余波がより広範囲に及ぶ懸念も高まるものです。先日、日立製作所からエンジン制御用の半導体部品の供給が滞ったことで、日産の国内3工場が3日間操業中止を余儀なくされました。効率を追うばかりに余力を見込んでおかないと、イザというときに脆さが浮き彫りになるというのが世の常です。

稼働率や点検時間の長短を語る一方で電力インフラの質を問わないのでは片手落ちと言わざるを得ません。日経の論説委員が無知なのか、解っていながら論旨に都合良く情報を取捨しているのかは解りませんが、どちらにしても価値判断基準が甘すぎることには違いないでしょう。

さて、ここから本筋とは関係ない話題に変えますが、件の原油流出事故について日本のメディアは何故BPを強く批判しなかったのでしょうか?

先に取り上げた日経の6月14日付社説も、「BPは潜水ロボットで漏れを止めようとしたが、成果が上がらない。汚染除去などで、同社の対策費はすでに10億ドル(約900億円)を突破している。」としか述べておらず、彼らの責任を糾弾するような意向は微塵も感じられません。

もちろん、これは日経に限ったハナシではありません。他のメディアも似たり寄ったりで、油まみれになったペリカンの映像を流すなど感情的な煽りは盛んにやっていましたが、この事故を引き起こしたBPに対する批判は非常に手ぬるいものです。BPの社名にすら触れず、流出事故による環境汚染しか伝えないケースや、対応の遅れた米政府に対する批判にとどまるケースも珍しくありません。

例のリコール問題で袋叩きにされたトヨタとは比べるべくもない「他人事」状態です。日経は7月7日付の社説でエンジンが停止する恐れがあるとしたレクサスのリコールを取り上げ、「日本のものづくりが揺らぎかねないというくらいの強い危機感で、原因究明と問題解決に取り組んでほしい」などと、またぞろ大袈裟に書き立てていましたが、BPに対しては殆ど何も注文を付けていません。

余談になりますが、BMWも535iグランツーリスモにエンジン停止の恐れがあるという同じ症状のリコールを7月13日付で届出ていますが、レクサスのように大きく報じられることはありませんでした。ま、台数が2桁少ないということもあるのでしょうが、台数の多少が品質管理の水準に直結するとは限りません。そもそも、2009年度の日本国内における販売台数はトヨタの約136万台に対してBMWはミニを含めても約4万台で2桁違うのですから、リコール対象車が2桁違うからといってその扱いに差を付けるのはフェアじゃないでしょう。

BPが引き起こしたこの事故の影響はトヨタのリコール問題とは全く比べものにならないほど大きなものです。その影響力に対する責任追及の度合いがこれほど引き合わないのは異常としか言いようがありません。これも立派な偏向報道であり、ダブルスタンダードというべきものです。

このように規範がブレまくるのは日本のメディアにマトモな価値判断能力が備わっていない証左です。もしかしたら、裏で何らかの力が働いたり働かなかったりした結果がこのような差を生んでいるのかも知れません。が、それはそれでジャーナリズムとして欠格していると言わざるを得ないでしょう。

(おしまい)

宗教的な環境志向はダブルスタンダードも厭わない (その1)

日本経済新聞は6月14日付の社説『低炭素化を促すメキシコ湾の原油流出』でこんなことを述べていました。

 今後、海底油田に対する規制の強化が進み、開発費が増えるのは避けられない。安い値段で得られる石油は、長期的に少なくなる。地球環境を守り、同時にエネルギーの安全保障を確保していくには、化石燃料になるべく頼らない低炭素社会づくりを目指すことが大切である。そんな教訓を今回の事故は示している。


石油から代替エネルギーへの転換が加速し、石油に依存しない世の中の在り方が具体的に見えてきたという段階ならこうした主張も理解できます。しかし、今後もかなりの長期に渡って多くを石油に依存し続けなければならないというのが現実です。事故のリスクとそれを防ぐための規制強化でコスト増の懸念があるから低炭素化を急げという主張は飛躍が過ぎるように感じられます。

今後も油田開発は不可避という現状を正しく認識すれば、同様の原油流出事故を繰り返さないように、あるいは起こってしまった際の対処法などの技術開発を進め、同時に制度の見直しにも注力していかなければならないといった方向で論を進めるべきです。

この社説でも一応は「開発に携わる石油会社や関係国政府は、改めて十分な安全対策を用意しなければならない」と述べています。が、この部分こそが最も重要な論点で、たった一文で済ませるようなことではありませんし、タイトルに掲げるべきなのも低炭素化云々よりコチラでしょう。

その舌の根も乾かぬうちに日経はこんな社説を載せました。

原発で国が前に出てエネルギー確保を

 低炭素社会の到来で国内のエネルギー需要は減少が見込まれる一方、中国など新興国の急成長で原油など資源の争奪戦は激しさを増す。それにどう対応するか。

 政府はエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」に、2030年までに原子力発電所を14基以上増やす目標を明記した。原油など輸入資源への依存を減らし、原発を軸に太陽光発電なども加え、30年のエネルギー自給率を35%程度に引き上げる。08年度の自給率は18%だから、かなり高い目標である。

 原発は運転中に二酸化炭素を出さない。ウランは輸入しているが、リサイクルして国内で長期間使えるため「準国産エネルギー」とみなされる。低炭素化とエネルギーの安定確保を両立するため、原子力を柱に据えるのは当然の選択である。

(後略)

(C)日本経済新聞 2010年6月27日


原発推進について個人的には「慎重であるべき」という立場ですが、その是非ついて軽々に論じるべきではないでしょう。ことのついでに語るような浅いテーマではありませんので、別の機会に改めるとして、ここでは日経の社説に見られる価値判断の甘さや価値基準のブレを指摘したいと思います。

6月14日付の社説では原油流出事故による海洋汚染は「低炭素社会づくりを目指すことが大切である」ことの「教訓」などと解釈する一方、同27日付の社説では「低炭素化とエネルギーの安定確保を両立するため、原子力を柱に据えるのは当然の選択である」というのですから、これは価値基準がブレているといわざるを得ないでしょう。

事故のリスクやそれを防ぐために強化される規制によってコスト増が懸念されるという論点でいけば、油田開発などより原子力に対してさらに慎重であるべきです。しかし、日経の社説は海底油田の開発について事故のリスクやその防止対策によるコスト増を理由に依存率を下げるべきだとしながら、原発のリスクは完全に無視し、「当然の選択」といっているわけです。

やや余談になりますが、この社説では

 検査制度の見直しも必要だ。国内の原発の稼働率は60%前後で低迷し、90%を保つ米韓などとの差は大きい。計画では稼働率を20年に85%、30年に90%に高める目標を示した。

 日本の原発は約13カ月ごとに止めて、平均140日かけて検査している。米国では運転中でも複数ある機器は交互に点検し、停止期間は40日弱だ。安全性を重視しつつ検査を効率化する工夫ができるはずだ。


と書かれていますが、諸般の事情をキチンと斟酌していないように感じられます。確かに現在の日本では原発の稼働率が低下していますが、2002年までは80%前後をキープしており、フランスと同等以上で世界的に見ても特に劣る水準ではありませんでした。

原発稼働率

2003年に稼働率が大きく低下したのは、東京電力の原発でシュラウドのひび割れ隠しが発覚、福島第一および第二、柏崎刈羽の合計17基が一斉に運転停止を余儀なくされたというのが主な要因と見られます。また、2007年から再び低下したのは、ご存じのように柏崎刈羽原発が中越沖地震による事故で停止したことが大きな要因と見て良いでしょう。他にも諸々の故障や地元の了解が得られずに再起動が遅れている例などもありますから、稼働率が低い原因を検査制度だけで説明するのは無理があるように思います。

それはともかくとして、「安全性を重視しつつ検査を効率化する工夫ができるはずだ」と簡単に言ってのけるのであれば、「安全性を重視しつつコストを抑えた海底油田開発を進める工夫ができるはずだ」という言い分も認めなければなりません。

このように持説に都合良く規範を使い分け、価値基準が一定していないようではハナシになりません。エネルギー政策のあり方については科学的にメリットとデメリットを付き合わせ、公正な評価を下していく必要があります。しかし、日経は規範を使い分けてでも「低炭素社会」という理想郷を求めたいというわけです。宗教的な環境志向にありがちなパターンではありますが、日本を代表する経済紙の社説としてはお粗末としか言いようがありませんね。

(つづく)

この蒙昧な環境相はどうにかならんのか?

以前にも『環境相にはもう少し専門知識のある人間を』と題したエントリで小沢環境相の示したロードマップを批判しましたが、またしてもピンボケなことをやっていますね。このところ更新が遅れているので旧聞になりますが、こんな記事がありました。

バイオ燃料対応車 環境相が開発要請

 地球温暖化対策としてバイオ燃料の利用を促進するため、小沢鋭仁環境相は28日、国内の乗用車メーカー8社の幹部と環境省で会談し、ガソリンにバイオエタノールを10%混ぜた「E10」という燃料に対応した車を開発するよう要請した。

 バイオエタノールは、原料の植物が成長過程で二酸化炭素(CO2)を吸収するため使用に伴うCO2排出が少ない。海外では20%混ぜたガソリンを導入している国もある。環境相は「来年度には排ガス基準などを定めて対応車が販売できるようにしたい。早期に市場投入できるよう準備をお願いしたい」と述べた。

 環境省によると、現在の日本のガソリン車でE10を使うと配管の腐食の恐れがあるが、出席したメーカー側は「技術的に問題はない」と指摘。「できるだけ早く開発したい」との意見もあった。

(C)産経新聞 2010年4月29日


バイオエタノールの生産に投入される化石燃料が、得られるバイオエタノールを下回ってちゃんと黒字になっているのか、即ち本当にCO2削減になるのか否かについて意見は分かれています。それに加えて、食糧生産を圧迫したり、農地拡大のために原生林が開墾されるなどの問題にも繋がっています。また、アメリカでは穀物メジャーによる利益誘導など黒い噂も飛び交っています。バイオエタノールも様々な問題を抱えているわけですね。

しかし、今回はそうした問題を全てスルーします。ここで着目したいのは、小沢環境相がこの会談に招集し、バイオエタノール普及のために対応を要請した相手です。何故、「乗用車メーカー」なのでしょう?

実際のところ、ブラジルでは既にサトウキビ由来のバイオエタノールを20~25%混合したE20~E25が普通に流通しています。新車販売台数の60%以上が純粋なガソリンとエタノール混合ガソリンとを兼用できる「フレックス燃料車」になっており、GM、フォード、VW、フィアット、ルノー、プジョーなどの欧米メーカーも、日本の主要メーカーも既に対応済みです。

パジェロTR4_Flex
三菱パジェロ TR4 Flex
ブラジル市場ではホンダが先行、トヨタや日産などに続いて
三菱自動車も2007年からエタノール混合ガソリンに対応する
フレックス燃料車を輸出しています。


燃料がキチンと規格化され、性状の安定したものが供給されれば、日本のメーカーはそれに対応できるノウハウも実績も備えています。そもそも、日本のメーカーは世界中でクルマを売りまくり、ときには妬まれて理不尽なバッシングを受けるくらいなのですから、この程度のローカライズはお手の物といったところでしょう。上掲の記事にある“技術的に問題はない”というメーカーのコメントもそれを示しています。

日本の政策の舵取りをする立場にある人間が何の予習もせずに会合の席を設け、的外れといっても過言ではないような要請をするのは非常に情けないハナシです。趣味として片手間で運営しているblogのネタにその手の話題を扱うことがあるというだけで、ただの素人でしかない私ような人間でも解っているようなことを知らない人間が環境相の職にあるのですから、これには呆れるしかありません。

下世話なハナシになって恐縮ですが、日本の国務大臣の推定年収は3,753万円くらいだそうです。こんな低レベルな人間をこれだけのコストをかけて環境相として据えておくのは税金の無駄というものです。また、こんな人物を環境相に指名した人間も同様に無知で無責任といわざるを得ないでしょう。ま、既に様々な問題を処理しきれず、満身創痍になっている無能な政権に対する批判を展開すると際限がなくなってしまいますので今日のところはやめておきますが。

では、バイオエタノール混合ガソリンを普及させることが正しい判断だと信じている小沢環境相は誰に対応を要請すればよかったのでしょうか?

その答えは毎日新聞の記事(モタモタしているうちにリンク切れになってしまいましたので、全文はGoogleのキャッシュをご参照下さい)にあった最後の一文が全てを物語っていると思います。

メーカー側からは「スタンドでE10の供給が進まないと、開発しても無駄になる」と、供給体制整備の要望も出た。


バイオエタノール混合ガソリンを普及させることが正しい選択であるか否かはともかく、本気でそれを普及させたいのであれば、現在の日本おいて一番の課題は自動車メーカーではなく、供給体制にあります。

経済産業省が何年か前に『エタノール混合ガソリンの国内流通インフラへの影響』(←リンク先はPDFです)という資料を出していますが、ここにはブラジルやアメリカでの実績、日本国内にこれを流通させる際の問題点やコストの推算などなど様々な要点が箇条書きで解りやすく纏められています。

もちろん、この経産省の資料に書かれていることが全て正しいとは限りません。特に推算は前提条件の読み違いでいくらでも誤差が出るでしょう。例えば、バイオエタノール混合ガソリンの導入に要する設備投資額を3300~3600億円としていますが、これもどの程度信頼できる数字なのか解りません。

かつて日本もガソリンといえばアルキル鉛を添加した有鉛ガソリンが当たり前でしたが、1970~1980年代にかけて無鉛化されました。このとき供給インフラの整備に要した設備投資額がザッと3000億円だったといいます。

バイオエタノール混合ガソリンの導入に当たって全ての供給施設を対応させる必要はないと思いますが、それにしても30~40年前に有鉛ガソリンを無鉛化しただけで3000億円かかったのですから、当時と現在の物価水準の差も考慮すれば、同程度のコストで済むのか微妙な気もします。

とはいえ、この資料では“対応設備内容が未検討の項目、設備基準がまだ未決定の項目があるため、さらに設備費用が増加する可能性もある”と釘を刺していますので、環境省やNEDOなどにありがちな都合の良い値を寄せ集めたような資料とは違う印象です。どちらにしても、小沢環境相のように思いつきで自動車メーカーを呼んで極めて意味の薄い要請をしたのと比較するのは失礼というべきレベルの仕事を経産省はやっていると思います。

思えば、京都議定書を策定する前段でも、当時の環境庁は大雑把な試算と精神論に近い対策案で1990年を基準とした温室効果ガス削減目標を「-6%」と掲げました。それに対し、当時の通産省は企業に対しても綿密な調査を行って「現状維持も困難」と結論づけ、両者は対立状態にありました。結果を見れば通産省の調査結果のほうが正確な予測だったといえますし、環境庁のそれは単なる机上論でしかありませんでした。今回も似たようなことが繰り返されているわけですね。

今回の小沢環境相のアクションが間抜けだったのは、環境省に有用な情報がなかったからという可能性も否定できません。実際、上掲の記事にも“環境省によると、現在の日本のガソリン車でE10を使うと配管の腐食の恐れがあるが、出席したメーカー側は「技術的に問題はない」と指摘。”と書かれています。この程度の認識ではマトモな政策を検討することもできないでしょう。いずれにしても、日本の国益を考えるならこの役に立たない人たちを何とかすべきです。
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まとめ

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