酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

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環境問題を語る人たちは何でこんなに視野が狭いの? (その3)

環境問題に限らず、物事の実態を知るためのデータを集めるときには須く共通することですが、ごく一部の例外的な要素が全体の傾向として影響しないよう、相応の配慮が必要になります。そうした配慮が出来ていないデータは偏向している可能性を踏まえ、情報の価値として低いものだという認識を欠かすべきではありません。

例えば、私がまだ学生だった頃、とある民放の情報番組で非常に莫迦げた調査結果が報じられていました。当時は携帯電話が普及する前で、ポケットベルが携帯メッセージツールとして活躍していました。低価格化によってビジネスマンだけでなく、学生など若者の間でも普及するようになり、こうした新しいコミュニケーション手段をテーマにしたテレビドラマ『ポケベルが鳴らなくて』が日本テレビ系列で放送され、同名の主題歌もヒットしたという時代です。

で、そのお莫迦な情報番組では渋谷のセンター街で遊んでいる女子高生に片っ端から声をかけてはポケットベルを持っているかどうかを聞いていました。47都道府県を均等に調査したわけではなく、ただ渋谷のセンター街だけで声をかけて調査したのみです。結果、その番組が出した結論は「女子高生のポケベル普及率80%」というものでした。

渋谷のセンター街で遊んでいる女子高生といえば、当時もいまもその種のアイテムにはかなり敏感なハズで、特に普及し始めたばかりの時期においては全国平均とかなりのギャップがあるだろうということを予期している必要があります。が、その番組のコメンテーター諸氏は「イマドキの女子高生はみんなポケベルを持っているんですねぇ」などと驚いていました。

私は「“イマドキの女子高生”じゃなくて、“渋谷のセンター街で遊んでいる女子高生”だろ!」とブラウン管に向かって突っ込みを入れ、この莫迦な番組とそれに出演しているコメンテーター(世間一般には有識者とされているような人たちばかりでした)を嘲笑し、こんな下らない番組に付き合ってしまったことを悔いたものです。

そうした点では、かつてフジテレビ系列で放送されていた『トリビアの泉』という番組にあった「トリビアの種」というコーナーはなかなかのものでした。統計学の専門家にどのようなサンプリングを行えば信頼できる調査結果が得られるかといった助言を求め、47都道府県に跨って偏りが生じにくいような調査を行っていました。調査するネタそのものは他愛のないものばかりでしたが、それをあれだけの規模で真面目に調査するというところが逆に面白く、バラエティ番組として成功していたと思います。

一昨年に起こったクライメートゲート事件で明らかになったデータ開示拒否の問題(イーストアングリア大学のフィル・ジョーンズ氏らが作成した気候変動のグラフについて、どの観測ポイントのデータをどのように集計したのかという情報開示請求を事実上拒み、「渡すくらいなら消去する」と仲間に語ったメールが流出しました)も、まさにこうしたデータの偏りがあったのではないかと疑われました。開示を拒否したのは持説に都合の良い数字ばかりを寄せ集めたからではないかということ強く匂わせるもので、欧米ではメディアにも大きく取り上げられ、大いに批判されたわけです。

東大の駒場キャンパス内だけで測定された浮遊粒子状物質のデータを「東京都心」のスタンダードであると誤解させるような扱い方をするのも全く同様の非常識なもので、メディアもこんな莫迦げた情報を垂れ流せば、却って読者をミスリードすることになってしまうでしょう。マトモなジャーナリズムなら、その情報の価値が明確に伝わるよう、調査の前提条件なども省略せず、受け手が公正に判断できるような材料は一通り整えておくべきです。

私はそこからさらに踏み込んで、東京と大阪の浮遊粒子状物質の大気濃度がどのように変化しているか調べ、グラフに纏めてみました。いずれも東京都や大阪府の公式サイト内に散らばっていた情報を集めたもので、自動車排ガス測定局(自排局)と一般大気測定局(一般局)の年平均の推移になります。

なお、測定局の数は年度によっても測定する成分の種類によっても増減しますし、測定を行っていても既定条件に満たない測定局はノーカウントになる場合もあります。平成20年度に浮遊粒子状物質を測定した東京の自排局は34、一般局は46、大阪の自排局は36、一般局は65でした。ちなみに、同年の全国では403の自排局と1422の一般局で浮遊粒子状物質が測定されていました。こういう専門的な調査は東大のアレのようにたった1箇所のデータで結論を出すような出鱈目なことはしないということです。ま、これが常識というものですが。

東京と大阪のSPM推移
国の規制は車両総重量で区分を設け、2年跨ぎで強化されることもあり、
平成10-11年規制は車両総重量12t以下が平成10年に、
12t超が平成11年に規制強化が実施されました。
内容は同等ですので、ここでは平成10年のみ表示しています。
首都圏の自治体による規制は平成15年に初めて実施された段階では七都県市、
平成18年にその基準値が30%引き上げられた段階では八都県市でしたが、
面倒なのでここでは全て現在の「九都県市」と標記しています。
平成8年以前の大阪のデータがないのは、単純に見つけられなかった
というだけで、測定はちゃんとなされていたハズです。


グラフを見ますと、大阪の減り方が東京に比べると若干緩やかな印象もありますが、東京も九都県市の規制がかかる前後を比べて減少率に違いは全くといってよいほど見出せません。九都県市が7年超の使用過程車に独自の粒子状物質排出基準を設けたことが、その削減に効果のあるものだったといえるのか、このデータを見る限り判断は不可能でしょう。

なお、大阪府は九都県市のような粒子状物質減少装置の装着を義務化していませんが、国のNOx・PM法による車種規制に準じ、その流入に制限をかける条例を設けています。といっても、国の平成10-11年規制適合車以降は対象外になりますので、現時点で10~11年以上前(猶予期間を含みます)に新規登録された古い車両のみが対象です。その絶対数はそれほど多くもないでしょうから、その効果も大したレベルではないと思います。

いずれにしても、東大が発表したような「7年で3分の1以下に減った」という状況には程遠く、東京全体でせいぜい2/3程度にしかなっていません。この2倍以上の差は東大が行った測定場所固有の環境要因が大きかったと考えるのが妥当でしょう。また、九都県市のように粒子状物質減少装置の装着を義務化していない大阪でも減少傾向に大きな差は見られませんから、その減少が自治体による取り組みの効果とした所見も妥当といえるのか大いに疑問です。

(つづく)

環境問題を語る人たちは何でこんなに視野が狭いの? (その2)

ロイターの記事でも「首都圏の4都県が03年から取り組んでいる」と紹介されているように、首都圏の自治体は国の規制とは別にディーゼル車の排ガス規制を行っています。しかしながら、一般の方でその具体的な内容を詳しく知っているという方は滅多にいないでしょう。こうしたニュースを扱うメディアも殆どが無知で、国の規制と自治体の規制について「ちゃんと勉強しているな」と感じさせる一般紙の記事も、テレビのニュース番組も、私は一度たりとも見たことがありません。

当blogでは主に東京都のディーゼル車規制について何度か書いてきましたが、首都圏4都県などの自治体が参画している規制は言い出しっぺである東京都のそれと共通しています。折角ですので、その概要についてザッとおさらいしておきましょうか。

東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県の4都県と、横浜市、川崎市、相模原市、千葉市、さいたま市の5市による「九都県市首脳会議」で制定されているディーゼル車の排ガス規制(※)で対象となっているのは、いずれも初度登録から7年を超える使用過程車に限られ、それも排ガスに含まれる大気汚染物質の中でススなどの「粒子状物質」の排出量に限られています。つまり、国の規制のごく一部にほんのりと産毛を生やしたような内容でしかありません。(※この規制が策定された当初はさいたま市と相模原市が加入する前の「七都県市」でした。)

しかも、これらの自治体が設けた規制に従って粒子状物質減少装置を装着した場合、その費用を償却するために代替サイクルを延ばされてしまうという問題が事情通の間では度々指摘されてきました。最近のコストはよく解りませんが、私が前職で関わっていた当時は車両総重量20tクラスの大型トラックの場合、部品代だけで100万円を超え、取付工賃や出張費ないし回送費などを含めると、さらに数十万円のコストがかかりました。

これでは毎年の償却を20万円と設定しても6~7年かかりますから、ユーザーは新車から7年を過ぎる時点でこの装置を取付け、さらに6~7年あるいはそれ以上使い続けるといったパターンになってしまうことが往々にしてあるわけですね。「新車から10年で代替」というひとつの目安が崩れ、13~14年あるいはそれ以上に延ばされてしまうケースも決して珍しくないでしょう。

関東や中部や関西の大都市圏では国のNOx・PM法の総量規制にかかりますから、古い車両は使用の本拠の位置を対策地域内に置けなくなります。が、何ヶ所か車庫を持っていて対策地域外に持って行けるユーザーや、初めから使用の本拠が対策地域内にないユーザー(こうしたユーザーでも九都県市に乗り入れるには条例に適合した対策が必要です)でこの装置を取付けた場合、代替を延期するということはむしろ当たり前といっても過言ではないでしょう。

国の最新の排ガス規制をクリアした最新の車両と、古い車両に粒子状物質減少装置を取付けただけの場合とでは、全く比較になりません。窒素酸化物など他の大気汚染物質の排出量で後者が大きく劣っているのは言うまでもありませんが、粒子状物質についても国の最新の規制値に対してこれらの自治体の規制値は25倍以上も緩く、やはり比較になりません。

例えば、車両総重量8tクラスの中型トラックの場合、10年前の2001年に新規登録した車両は平成10年規制(いわゆる「長期規制」で、識別記号は「KK-」)適合車になります。この規制がこのクラスの車両に認めている粒子状物質の排出量は0.25g/kWh以下です(エンジン出力(kW)当たり1時間に0.25g以下という意味です)。

初度登録から7年経過した2008年には九都県市が指定する粒子状物質減少装置を装着し、その排出量を0.18g/kWh以下にしなければ、九都県市への乗り入れが認められません(違反すると50万円以下の罰金が科せられます)。一方、この車両を10年使用し、今年の9月以降に代替するとしたら、いわゆる「ポスト新長期規制」の適合車でなければなりません。このクラスの場合、ポスト新長期規制が認めている粒子状物質の排出量は0.007g/kWh以下です。

このケースでは、新車から何もせず粒子状物質の排出量が0.25g/kWhのまま10年間使用し、その後0.007g/kWhのポスト新長期規制適合車に代替する場合と、九都県市の規制で7年を過ぎたところから0.18g/kWhに抑える装置を装着してトータルで13年間使う場合とでは、同じ13年間で後者のほうが12%以上も多く粒子状物質を排出している計算になります。(あくまでも単純計算ですし、規制がかかるタイミングと車両購入のタイミングによっては結果も異なります。)

ついでにいえば、九都県市が規制しているのは粒子状物質だけですから、窒素酸化物などについてはこうした細かい計算をするまでもなく、代替サイクルを延ばされたらその分だけ丸々状況は悪化します。

この九都県市の規制によって余計な出費を強いられ、その影響で環境性能の良い新車への代替を延期されてしまうと、大気汚染問題については却って逆効果になる可能性も十二分に考え得るわけです。こうした自治体の規制にどこまでの効果があったといえるのか、あるいは逆効果だったのか、科学的な分析など成されていないでしょう。ま、この種のイメージ先行型環境対策は結果の確認などしないのが世の常というものですが。

国の規制はNOx・PM法に見られる特定地域の総量規制と、個々の車両に対する排出量規制がありますが、後者は新車に対して行われてきました。くどいようですが、これは自治体の条例ように粒子状物質だけでなく、窒素酸化物など大気汚染の原因となる物質を総合的に制限するものです。

以前にもご説明しましたように、燃焼温度が低いと燃料は完全燃焼しにくくなりますから、ススなどの粒子状物質を減らすには高温で燃焼するほうが有利です。が、燃焼温度が高くなるほど大気中の窒素と酸素が反応して窒素酸化物は生成されやすくなります。つまり、粒子状物質と窒素酸化物は二律背反のような関係で、同時に両方を減らすのは簡単なことではありません。

こうした問題もあって、一気に規制値を厳しくするのは無理がありますから、国の規制はメーカーの技術的な達成レベルに合わせて何度にも小分けされ、段階的に規制が強化されてきたわけです。粒子状物質に対する国の規制は東京都などの取り組みより9年も早く、1994年から実施され、その後も4回に渡って規制値が引き上げられてきました。窒素酸化物に至っては1974年から実施され、その後9回も規制強化が繰り返されてきました。

が、世間一般にそうした経緯は殆ど知られていないでしょう。メディアも石原都知事ら自治体の取り組みにしか触れず、その条例の内容や市場の実情など全くといって良いほど確認しないまま徒に美化し続けてきました。国の取り組みは複雑に入り組んでいるため、一般の方には解りにくいかも知れません。が、ジャーナリズムにはそれを正しく理解し、正しく伝える義務があります。それが出来ないようなメディアは、ジャーナリズムとして欠格しています。

ところで、自動車による大気汚染といっても、その状況は自動車の性能だけで決まるわけではありません。交通量や渋滞の発生頻度にも深く関わるもので、道路整備が進んで渋滞が減ったとか、原油高で燃料代が上がったり景気が悪くなったりして交通量が減ったというような要素とも密接に関係しています。その点についても適切に考慮する必要があるのは言うまでもないでしょう。

これを踏まえますと、件の調査結果が示している「東京中心」という部分が私は大変気になりました。「東京中心」というのはいったい何処のことなのか?と。東京23区内も道路整備は重ねられていますから、条件が7年前に比べて同じとは限りません。東大が発表したこのデータは具体的に何処でどのように測定されたものなのか、どの程度の規模で何箇所くらいのデータを集計したものなのか、といった前提が非常に重要になってくるわけです。

そこで内容をもっと詳しく調べてみましたら、驚くべき事実が明らかになりました。「東京都心における2010年の濃度が、03年から7年で3分の1以下に減ったとする調査結果」は東大の駒場キャンパス内で行われた測定結果にのみ基づくものでした。たった1箇所の測定結果だけで「東京中心における」「調査結果」というのですから笑止千万です。

この種のデータを収集する際には測定場所固有の環境変化など特定の要因による偏りを極力排除できるよう、可能な限り多くの場所で測定した結果を元に分析するのが常識です。たった1箇所で測定した結果を以て「7年で3分の1以下に減った」などと結論づけ、それは4都県の取り組みの成果だというのですから、これはもう小学生の自由研究以下と評さざるを得ません。

念のため、東京の地理に詳しくない方のために補足しておきますと、東大の駒場キャンパスの立地は以下のようになっています。


大きな地図で見る

ここは、北に国道20号線(甲州街道)と首都高4号線(新宿線)、南に国道246号線(玉川通り)と首都高3号線(渋谷線)、東に都道317号線(山手通り)、西に都道318号線(環七通り)があり、都内でも屈指の交通量となる道路に囲まれています。一番近い山手通りとは500mほど、一番遠い環七とも2km弱しか離れていません。

こうした立地にあって無視できない要素になると思われるのは、山手通りの地下に建設された「山手トンネル」が開通し、首都高中央環状線が延長されたことです。殊に、昨年3月28日に新宿~大橋JCTが開通して渋谷線まで繋がりましたから、山手通りや環七通りにも相応の影響はあったと考えられます。実際、首都高は新宿~大橋JCT間の山手トンネル開通で山手通りの渋滞が緩和されたというデータ(←リンク先はPDFです)を発表しています。

山手トンネル開通前
山手トンネル開通後
山手通り(大坂橋から初台まで)の昼間(7~19時)の旅行速度
東大駒場キャンパスの名称もちゃんと上図に入っているのですが、
縮小する前から読みづらかったので、東大のスクールカラーである
ライトブルー
の矢印で示しました。


東大の駒場キャンパスに近い区間は特に渋滞になりやすいようでしたが、首都高の資料によれば山手トンネルの開通で相応に緩和されていることが解ります。もちろん、このデータもどこまで客観的に有用なものといえるのか解りません(普通は自分たちの取り組みがより良く見えるよう、良い数字ばかり集めて纏めるものです)。いずれにしても、科学的に大気汚染のレベルを検討するのであれば、こうした影響があっても公正な判断が出来るような調査の仕方をする必要があります。

その基本は最低でも計測ポイントを複数設け、各々の測定結果の比較を行わなければなりません。1箇所の測定結果だけでは変化がその地点だけに見られる固有の環境変化によるものか、全体的に起こっているものなのかという客観的な判断も困難でしょう。こうした常識的な調査が出来ていない時点で、この調査結果は「子供騙し」といわざるを得ません。

なお、山手トンネルが開通する以前は東名高速から中央道や関越道などへ向かう場合、首都高の都心環状線を経由するケースも多かったでしょう。山手トンネルの開通に伴ってこの地域を通過する車両の数はかなり増えているものと思われます。が、山手トンネルには排ガスの浄化装置が設けられており、粒子状物質に関しては電気集塵機によって80%以上除去されているそうです。なので、山手トンネルを走行する車両がこの地域の大気にどの程度影響を及ぼしているかは即断できないでしょう。

山手通りの通行量や渋滞状況の変化、山手トンネルの通行量や排ガス浄化装置の効果、他の幹線道路の状況、景気や燃料コストの影響による全般的な交通量の推移など、様々な条件を踏まえて多角的な検討が成されていないようでは、有用な研究と見なすことなどできません。また、こうした指摘もせず、ただ情報を垂れ流すようでは、ジャーナリズムの役割を果たす有用な報道とはいえません。

(つづく)

環境問題を語る人たちは何でこんなに視野が狭いの? (その1)

メディアをはじめとして、世間一般に取り沙汰される環境問題やその対策をめぐる話題、風力や太陽光などの自然エネルギー、環境対応車と呼ばれるクルマなど、この分野は一方的な情報ばかり大きく扱われ、実態を無視したイメージばかり徒に流布されるのが常です。専門知識のない記者が思い込みで記事を書き、それが垂れ流されるなど日常茶飯事で、突っ込みを入れるネタに事欠きません。

ロイターなども一昨年に「気候変動でホッキョクグマが共食い始める」などというニュースを伝え、「ホッキョクグマのオスの成体は元々子グマを襲う習性があり、地球温暖化の影響とはいえない」といった指摘がなされた前科があります。

先週、何となくロイターのサイトを見ていて自動車に関連するものだけでも突っ込まずにはいられない記事を立て続けに2つ発見できました。まず気になったのは、日産リーフの販売台数が発売から26日間でたったの60台だったというニュースです。(ロイターのサイトはリンク切れになってしまいましたので、見出しのリンク先はGoogleのキャッシュです)

電気自動車リーフ登録まだ60台

日産自動車が昨年12月20日に発売した電気自動車(EV)「リーフ」の国内新車登録台数が、14日時点で計約60台にとどまったことが17日、分かった。3月末までに国内で販売予定の6千台はすべて予約が入っており、消費者の手応えは好調だが、品質に気を付けながら、慎重に生産しているためとみられる。EVを対象にした政府の購入補助金受領の手続きに時間がかかる点も、一因とみられる。

(C)ロイター 2011年1月17日


私はこの記事を見た瞬間、日産はまだリーフを普通のクルマのように本気で売る気がないということを確信しました。というのも、普通の乗用車は新型が発売されたその直後から全国のディーラーが相応の台数を「試乗車」として自社登録するからです。年末年始が入って実際の稼働日数が目減りしているとはいえ、発売から正味で3週間程度経過していながら公道を走れるリーフが日本国内に僅か60台しか存在していなかったわけですから、普通の乗用車ならまずあり得ない状況です。

実際のところ、日産は「the new action TOUR」という全国を回るツアーを企画し、このイベントの目玉としてリーフの試乗会を催しています。が、これまで開催されたのはたったの5回です。昨年7月に地元の神奈川、8月に埼玉、10月に福岡、12月に再び神奈川、今年1月に宮崎といった具合です。いずれも数日間の極めて散発的なものだったうえ、公道の走行は不可、駐車場などを用いた特設コースに限られた試乗会だったといいます。

つまり、この企画は普通の人が普通にクルマを買うときにする試乗と全く次元の異なるもので、単純に電気自動車を体験してもらうというのが趣旨と考えるべきでしょう。来月にも第6弾として京都で2日間開催されますが、本気で普通のクルマのように売るつもりならこんなイベントではなく、普通にディーラーで試乗できるようにする必要があります。

それはともかく、この記事を書いた記者の勉強不足が明らかとなるポイントは「EVを対象にした政府の購入補助金受領の手続きに時間がかかる点も、一因とみられる」という思い込みで書かれているところです。というのも、ネットでの予約受付が始まったのは2009年の7月末、正式な予約受付が始まったのは2010年4月1日だったからです。

日産の公式発表では正式予約の受付から最初の3週間で3700台を受注したということになっていました。いくら申請手続に時間がかかるといっても、約9ヶ月という長いリードタイムがあったわけですね。注文した個人や企業や自治体などが揃いも揃って補助金の申請手続を発売ギリギリまで放ったらかしにしていたとは常識的に考えられません。

申請手続もネットなどで調べれば容易に解ることですが、添付する書類は押印のある見積書か注文書か契約書いずれかのコピーと、免許証など本人確認ができる証書類のコピーくらいです。つまり、ディーラーから正式な見積をもらった段階でも申請可能で、あとは所定の用紙に必要事項を記入すれば良く、さほど手間を要するものではありません。

また、今年度分の公募は5回に分かれており、例えば昨年10月1日~11月30日の第4回公募の段階で申請していれば12月中旬には交付決定の通知が出ていたハズで、何ヶ月も待たされるようなものではありません。この申請をする前に電気自動車を購入しても補助金は交付されませんが、交付決定通知を受けた後なら所定の手続にミスがない限り補助金は交付されます。

恐らく、11月下旬に申請した場合でも、件の60台が登録された時期には充分に間に合っていたでしょう。あれだけ長いリードタイムがありながら60台しか登録されなかったということは、要するに補助金の申請手続にかかる時間など全くの無関係で、単純に日産の供給台数に縛られたと考えて間違いないでしょう。

しかし、リーフの生産開始は10月22日で、1月中旬には3000台くらいラインオフしていたという情報もあります。2万台もの予約を受けたというアメリカへの供給を優先したのか、何らかの不具合があってラインオフ後の改修が必要だったのか、実際のところは解りませんが、この大きな数字のギャップが何を意味しているのかということのほうが私にとっては詳しく知りたい部分です。メディアもこうした点を突っ込んで取材すべきだったと思いますが、視野の狭い彼らはそこまで目が向かないのでしょう。

なお、政府の補助金は実際に電気自動車を購入してナンバーの取得を済ませ、「実績報告書」に車検証の写しを添えて提出しないと交付されません。つまり、リーフの場合はユーザー負担額が299万円になりますが、現金一括で購入するなら全額の376万円(と登録諸費用)を用意してから購入し、その後に然るべき手続を行うことで補助金が振り込まれるという順番になります。しかも、それは早くて半年後、遅ければ1年後になるといいます。この記事を書いた記者は恐らくこうした流れや全般的な状況を何も把握していなかったのでしょう。

ついでですから、三菱自動車のi-MiEVの近況についても触れておきましょうか。以前にもご紹介しましたように、政府から交付される補助金の申請を受け付けるのは、一般社団法人・次世代自動車振興センターになりますが、そのサイトには「平成22年度の補助金申請状況」という頁があります。これによりますと、昨年4月~11月に申請を受け付けた軽自動車枠の電気自動車(その殆どはi-MiEVになるでしょう)は合計で1660台でした。

同社は1年目の目標を国内年販4000台としていましたが、この8ヶ月間に補助金の交付が決定した軽自動車枠の電気自動車は月平均200台強というペースでした。この全てがi-MiEVだと見ても、年販2500台に届きません。つまり、決して大きいとはいえない初年度4000台という目標に対して4割近く不足しているわけですね。これがフェラーリのような特別な人のためのクルマならともかく、大衆車として見ればとても楽観視などできない低調なペースといわざるを得ないでしょう。第2回公募(6~7月)をピークに減少を続けているようですし。

さて、もう一つの酷い記事はコチラです。

東京のすす濃度、3分の1に激減

東京大先端科学技術研究センターは17日、ディーゼル車の排ガスに含まれ、ぜんそくなどの原因とされるブラックカーボン(すす)の東京都心における2010年の濃度が、03年から7年で3分の1以下に減ったとする調査結果を報告した。首都圏の4都県が03年から取り組んでいる(1)基準を満たさない車両の走行規制(2)排ガス浄化装置の普及(3)硫黄分の少ない軽油の普及―などの効果としている。

(C)ロイター 2011年1月17日


これなどはロイターの記事というよりも、こうした調査結果を発表した東大のほうが大きな問題を抱えていると言うべきでしょう。ま、どちらにしても物事がキチンと解っている人ならこの調査結果とそれに対する所見が如何に稚拙なものかすぐに見抜けるハズです。もし、メディア側に分別があるとしたら、この記事を書くに当たって読者をミスリードするような情報を垂れ流しにせず、様々な状況を勘案した注釈を加えるべきでした。

(つづく)


(追記) 日産リーフの補助金申請に関する内容について誤りであるとのコメントを頂きました。実際のところ、日産は昨年12月3日より前に正式な見積書などを発行しておらず、補助金の申請手続もそれ以降にならざるを得なかったとのことです。

推測でこのような誤った記事を書いてしまったわけですが、私がこのような誤った推測をしてしまったのは何故かといえば、日産が常識ではあり得ない対応をしていたからです。そうした点について『環境問題を語る人たちは何でこんなに視野が狭いの? (その1)の訂正と補足』というエントリを設けましたので、必ずコチラの記事もお読みください。

Newsweekは何故メディアが「マスゴミ」と言われるのか解っている

1月12日に発売されたNewsweek(日本版)2011年1月19日号(通巻1234号)の特集記事『だから日本の新聞はつまらない』は日本のメディアが「マスゴミ」などと批判されているのは何故なのか、その核心部分に迫っています。

ま、私にしてみれば当blogで何度となく述べてきたことと重なる部分も多く、特に大きな発見があったともいえません。が、ここまで彼らの無能さを日本語で指摘する記事はあまり多くないと思いますので、一読の価値はあるのではないかと思います。

Newsweek日本版2011年1月19日号表紙

Newsweek誌はこれまでにも何度か日本の「記者クラブ」という閉鎖的なシステムを“情報カルテル”だと批判してきました。ネット上にもその種の批判は無数にありますが、私はこの問題についてあまり強い批判はしませんでした。それは記者クラブというシステムがもたらす害悪など全体から見ればホンの一側面に過ぎず、根源的な病因というよりも数多ある合併症の一つに過ぎないと感じていたからです。

今回のNewsweek誌の記事も“記者クラブ問題は、横並びで批判精神に欠けるこういった記事が生まれてくる原因のごく一部にすぎない”とし、“本当の問題は「シンブンキシャ」という人種の多くが思考停止していることにある”と書かれています。これは私の感じてきたことと全く一致した見解で、まさに核心といえるでしょう。

とりわけ、この記事で彼らの思考停止状態を如実に描き出しているのは以下の部分かと思います。

 CNN北京支局のスティーブ・チアン記者は、数年前の6ヶ国協議の取材での光景が忘れられない。会場だった北京市中心部の釣魚迎賓館には各国のメディアが集まったが、なかでも圧倒的な数の記者やスタッフを擁していたのがNHKや日本の新聞だった。

 彼らは迎賓館周辺にくまなく記者を配置し、各国代表の動きを逐一追っていた。経営難に喘ぐ欧米の新聞には到底まねできない芸当だ。「代表たちの動きを知りたければNHKを追い掛ければいい、と当時われわれの間で話題になっていた」と、チアンは笑う。

 問題は、そこで思考が止まっていることにある。行き過ぎた現場至上主義で「現場に行って取材すればそれで終わり」と満足し、記者はニュースについて深く考える機会を自ら放棄している。

 日本の北朝鮮報道を見てもそれは明らかだ。07年、北朝鮮の核問題をめぐる6ヶ国協議で当時アメリカの主席代表クリストファー・ヒル国務次官補の主導によって北朝鮮との合意が実現した。

 実際には抜け穴だらけの合意だったのだが、日頃からヒルの一挙一動を追い掛け回すことに熱心になるあまり、ヒルの巧みなメディアコントロールの術中にはまった日本の新聞記者らはそろって「成果」と持ち上げた。日本の新聞がその間違いに気付いたのは、しばらく後だった。


“実際には抜け穴だらけの合意”という部分ですが、それは合意文書の曖昧な表現が後の交渉で骨抜きにされる原因となったというところを指しているのだと思います。

この合意では北朝鮮が寧辺(ニョンビョン)にある核関連施設の停止および封印を行い、IAEA(国際原子力機関)の査察を受け容れることになっていました。しかしながら、現場査察の事前通告にどのくらいのリードタイムを設けるといったことや機材の持ち込みになどついて「6ヶ国が全会一致で合意する他の措置」と定義され、具体性を欠いていました。

結局、現場査察に関する意見は纏まらず、この合意文書は殆ど意味を失ってしまったわけです。この合意で北朝鮮は重油100万トンの援助を得たものの、核施設の封印は反故にされ、その後も北朝鮮の核開発がとどまることはありませんでした。挙句、この2年後には2度目の核実験を許してしまうという、殆ど北朝鮮の思うツボとなってしまったわけです。

が、この2007年の合意がなされた当初、日本のメディアは合意内容を詳しく精査することもなく、北朝鮮の核開発に一定の歯止めができる筋道がつくられたものと理解し、ヒル氏の功績としてそれなりに評価していたのはNewsweek誌の指摘している通りです。“日本の新聞がその間違いに気付いたのは、しばらく後だった”というのは、同年6月にヒル氏が北朝鮮を訪問し、譲歩を重ねる消極姿勢を見せるようになったあたりを指しているのでしょう。

ま、当時の首相だった安倍氏もあれだけ拉致問題に熱心だったクセに、その点では何の進歩もなかったこの合意について「北朝鮮が核廃棄に向け具体的な一歩を踏み出したと理解する」と高く評価していましたので、読みが甘かったのはメディアだけのハナシではありませんけどね。

いずれにしても、日本のメディアにとってこの種の「表面だけさらって中身については全く検討しない」というパターンは日常茶飯事で、最近では当blogで何度も話題にしてきた電気自動車の普及に関する楽観報道も全く同じです。彼らは子供騙しの情報に翻弄され続け、少し真面目に検討すれば気付くような事実を見逃し続けているというわけです。本気で見逃しているのか、何らかの意図が働いて作為的に排除しているのかは解りませんが(多分、半々だと思います)。

こうした思考停止状態の一因として、件の記事では以下のように書かれています。

 多くの記者が思考停止に陥るのは、新聞社の硬直化した教育制度にも原因がある。記者は入社後、最初の5~10年を地方局で過ごす。記者になったその日から、警察官への「夜討ち朝駆け」取材こそが権力に肉薄し、真実に迫る最短の道だと教え込まれる。いわゆる「サツ回り」だ。

(中略)

「多くの日本の記者たちは夜討ち朝駆けの繰り返しで本を読む暇も、物事を考える時間もない」と花岡(毎日新聞エルサレム支局長)は言う。「取材相手と渡り合うための知見などない」

 その姿はまるで、軍隊で何も考えずにひたすら上官の命令に従うようにたたき込まれる新兵だ。新聞社で記者が今も「兵隊」と呼ばれるのは偶然ではない。そして、思考停止した記者の多くが権力との一体化という罠に陥る。


私はこうした兵隊となるための訓練がもっと早い段階から始まっているのではないかと考えています。

例えば、学校で使う教科書にも間違いや説明不足は山ほどありますが、そこに書かれている情報を如何にして的確に答案用紙へ反映させるかということが日本の場合は概ね大学受験まで繰り返されます。中には疑問を感じつつも適当に調子を合わせ、自分なりに調べたり考えたりしている人もいるとは思います。が、そんな人は圧倒的に少数派でしょう。

人から聞いたことを受け売りしたり、マニュアルを鵜呑みにする人はほぼ例外なく騙されやすい人になると思います。自分で調べ、自分の頭で考え、自分で判断することを繰り返し、常に冷静さを保つことができる人はそう簡単に騙されないものです。が、残念なことに現在の日本では教科書に書いてあることと違うことを答案用紙に書いても、採点する先生がよほどの賢人でない限り点はもらえないのが普通です。

そういう意味で兵隊になるための訓練は子供の頃から既に始まっていると見るべきかも知れません。大手新聞社やテレビの報道局で記者をやっている人たちはほぼ例外なく超一流大学を卒業した高学歴の人たちですが、だからといって自分で考えたり判断したりする能力に長けているとは限りません。

というより、むしろ試験で良い成績を収めることに注力している受験エリートほど効率を優先し、教科書に書かれていることに対して一々疑問を挟む非効率なことなどせず、鵜呑みにする訓練が行き届いているといえるかも知れません。化学兵器の密造までやったあの宗教団体で幹部をやっていた人にも高学歴は多数いましたが、教科書通りで満足な人たちの洗脳は却って楽だったのかも知れません。

今回のNewsweek誌の記事で特に注視すべきところは以下の点でしょう。

 ただ新聞が自ら変わろうとする姿勢だけでは限界があるだろう。「日本の記者の取材力が、(事実だけを断片的に伝える)通信社的な方向ではなく個性的な記事に向けば、日本のジャーナリズムは大きく飛躍する」と、かつて政治部記者で、日米のメディア事情に詳しい北海道大学大学院の渡辺将人准教授は言う。「しかしそれを判断するのは、記者や新聞社ではなく、実は読者とそのニーズかもしれない。変化のカギは新聞社や記者だけでなく、今までの硬直化したメディア環境を当たり前のものとしてきた読者側にもある」


以前、私は「そもそも、政治が良くならないのは政治家だけのせいではありません。その政治家に投票した選挙民の責任でもありますし、もっと根元を辿れば有能な政治家を生み育てることのできない社会全体の責任と考えるべきなんですね。」ということを書いたことがあります。メディアのレベルが低いという問題も、根は全く同じところに繋がっているのでしょう。

私もメディアに対する批判をかなり頻繁にしていますが、彼らが現在このような無様な状態にあることを許している世の中全体の在り方も失念してはいけないということですね。

明けましておめでとうございます

ご無沙汰しております。1年前は年末年始を挟んで1週間ほど放置しましたが、今年は1ヶ月以上も空いてしまいましたね。それでも毎日200人前後の方がアクセスして下さって申し訳ない感じです。

先月はたまたま大きな仕事が二つ重なってしまったこともあり(両方合わせて10億円を超えるウチとしてはなかなかの大商いでしたので、ミスった場合の影響も小さくありません)、近年にない忙しさで休日出勤も数回ありしました。今月もその残務が少々あるうえ、北海道と大阪への出張が入ってしまうなど、やはり多忙になりそうです。その分だけ来月以降は暇になりそうですが、当blogの更新頻度が上がるかどうかは微妙です。

さて、新年早々失笑してしまったのが朝日新聞の1月1日付社説です。先のエントリで褒めたのに何ですが、特に書き出しが可笑しかったので私にとってはこれが今年の初笑いになりました。

今年こそ改革を―与野党の妥協しかない

 なんとも気の重い年明けである。

 民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。政治がこんな混迷に陥るとは、いったいだれが想像しただろうか。

 長い経済不振のなかで、少子高齢化と財政危機が進む。先進国の苦境を尻目に新興国は成長軌道へ戻り、日本周辺の安全保障環境が変化しだした。政治はこれらの難問に真剣に取り組むどころか、党利党略に堕している。そんなやりきれなさが社会を覆っている。

(後略)


私は民主党が政権を得た総選挙の直後、当blogで以下のように書いていました。

圧勝した民主党のマニフェストを見ても根拠を逸した理想論だったり、CO2排出削減と高速道路の無料化のように相容れない政策が並んでいたり、マトモな理解力がある人間が見ればこんないい加減で出鱈目な政策を掲げるような程度の低い政党を勝たせようとは思わないでしょう。

が、自公連立政権もまたそれに劣らぬ出鱈目ぶりで国政を担ってきましたから、むかし流行った「カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか」みたいな究極の選択を迫られた選挙だったといえるでしょう。そこで長年ぬるま湯に浸かってきた彼らにお灸を据えてやろうという空気になったようにも見えます。

中には民主党に期待する人もいるようですが、あの出鱈目なマニフェストを見る限り、それが裏切られるのはほぼ間違いないと思います。

(全文はコチラ)


私みたいな片手間でblogを書き、忙しさにかまけて1ヶ月も放置してしまうような人間でも見越せたことを朝日新聞という日本屈指の大新聞の論説委員が「いったいだれが想像しただろうか 」というのですから、これはもう笑うしかありません。あの支離滅裂なマニフェストもそうですが、昨今のドタバタで党内の意見すら纏めることもできない政党に日本の政治の舵取りを担わせることにそもそも無理があるのです。

その意見統一ができていない無様な状況は過去にも何度か繰り返されてきましたが、その度に枝野前幹事長は「オープンに議論しているだけであって、自民党政権時代のように密室でハナシを進めてしまうようなことをしていないだけ」というような旨を繰り返し述べ、国民を小莫迦にするような詭弁を許してきたような政党です。彼らには常識そのものが欠落していると見るべきかも知れません。

いまにして思えば、あの総選挙前に自民党がネットで流したアニメCMは正鵠を射貫いていたと断言できます。まだYouTubeに残っていますので、以下に貼っておきますが、朝日新聞の論説委員はこれらの動画を見ておくべきでした。ま、大新聞の論説委員は救いようのないネットオンチ揃いですから、こうしたネガティブキャンペーンがネット上で展開されていたことも知らなかったのでしょう。







私は決して自民党を支持しているわけでもありませんし、こうしたCMで相手の足を引っ張る手法も個人的には好みません。が、あの選挙のとき「政権交代さえ実現できれば現状よりはきっとマシになる」という根拠のない期待感を煽り、民主党の政策能力と決断能力の低さを全く見越していなかった多くのメディアは、これらのCMが明快に指摘している点を冷静に抑えておくべきでした。

一方、これも朝日新聞に限ったことではありませんが、人口減少は避けなければならない危機であるといった論調も相変わらずで、やはり失笑を禁じ得ません。

 日本の人口は2005年から減少傾向に転じた。現役世代に限ると、減少はすでに1990年代の半ばから始まっていた。この働き消費し納税する現役世代が減り始めたことが、日本経済の長期低迷の根底にある。

 代わって急増するのが引退世代。現在は現役3人弱で引退世代1人を支えているが、20年後には2人弱で1人を支える。そのとき、現役世代は1400万人以上も減っている――。

 人類の歴史で初めて体験する厳しい事態といっていい。

 現在の年金も健康保険も、制度の基本は高度成長の時代につくられた。団塊を先頭とする戦後世代が続々と働き手になる時代だった。それが、いまや低成長に変わって現役世代が減少し、その負担がどんどん増す。来年からは団塊が引退世代へ入り始める。

 正反対への変化を見つめれば、社会保障の仕組みを根本から立て直さないと維持できないことは明らかだ。


少ない人口が経済面で不利になるとは限りません。例えば、スウェーデンの人口は日本の1/14程度に過ぎず、神奈川県と同等です。それでいてボルボサーブといった自動車メーカー(ご存じのようにサーブは航空機メーカーでもあります)、ヨーロッパ2位の家電メーカーであるエレクトロラックス、中型一眼レフカメラなどのプロ用写真器材で確固たる地位を築いているハッセルブラッドといった世界的企業を幾つも抱えています。2008年のGDP(MER)は4,850億ドルで世界19位、国民1人当たりのGDP(PPP)は37,245ドルで、日本のそれを約9%上回っています。

確かに、急激な人口減少は社会的な負担を高めることになるでしょう。が、人口が少なくなること自体は決して悲観することではありません。というより、資源の食いぶちを減らすためにも世界的に人口を減らしていくことのほうが望まれるべきで、日本のメディアはあれだけCO2削減を唱えてきたなら人口減少や若者のクルマ離れなどはむしろ大歓迎すべきです。

そもそも、「現在の年金も健康保険も、制度の基本は高度成長の時代につくられた」「いまや低成長に変わって現役世代が減少し、その負担がどんどん増す」というのであれば、高齢者を現役世代から退かせるタイミングを遅らせることを考えるべきです。高度成長期につくられた件の社会保障制度が「60歳で定年を迎えたら悠々自適の年金生活」という甘いライフスタイルをもたらしたわけですが、それ以前は「働ける間は働く」というのが普通でした。

私の父など今年で75歳になりますが、元気に現役で働き続けています。ま、それは自営業だからということもありますが、自営業をやっている人の間でこうしたケースは決して珍しくないでしょう。「60歳で定年を迎えたら悠々自適の年金生活」という50年くらい前につくられた理想が現状ではそぐわなくなり、幻想になってきたと見るべきなのです。

こうした幻想にいつまでもしがみつき、高齢者を支える世代を「産めよ増やせよ」と戦時中のようなスローガンで煽り、資源を消費する人口を増やそうとするなど愚の骨頂です。まして、「人類の歴史で初めて体験する厳しい事態」などと、人類の歴史を知らないにも程があります。

過去に崩壊した文明は幾つもありますが、自然災害によるもの以外はその殆どが人口増に耐えられなくなった状況で起こってきました。食糧生産やエネルギー供給が追いつかなかったり、あるいはそうした状況で資源を奪い合う戦争となったときに文明は崩壊したり、大きく後退したりしてきたのです。

以前にも述べましたが、人口を増やすことよりもできるだけ社会的負担が少なく済むような上手な人口の減らし方を本気で検討すべきです。その基本的な考え方としては、「60歳で定年を迎えたら悠々自適の年金生活」という半世紀前に創作された幻想を捨て、高齢者の雇用を支援する社会システムの構築を目指すといったところでしょうか。場合によっては法改正を行い、企業に対しても一定数の高齢者を雇用するよう義務づけるといった政策も必要かも知れません。

現役を続行できるのにその場が得られない高齢者の生活を若い世代に背負わせようとすること自体が現状では正解でなくなっていると私は考えています。高齢者が「悠々自適の年金生活」を送れるようにすることが保障の充実した理想の社会であるという考え方が現実とは決定的に乖離するようになってきたいま、根本から立て直すべきなのは「社会保障の仕組み」ではなく、「社会保障に多くを依存する高齢者の在り方」そのものではないかと思います。

年頭から朝日新聞を批判しましたが、こうした論調は多くのメディアに通じるものです。右寄りの産経新聞や読売新聞は以前から民主党批判を重ねていましたが、少子高齢化を悲観する論調は日本の殆ど全てのメディアに共通しているといっても過言ではないでしょう。人口増加とCO2削減(=化石燃料の消費削減)という相容れない要素を同時に望むのは、高速道路無料化とCO2削減を並べた民主党のマニフェストと何ら変わりません。

あの出鱈目なマニフェストを掲げた民主党が政権を担い「こんな混迷に陥るとは、いったいだれが想像しただろうか」と言っているくらいですから、自分たちの主張も大きな矛盾を抱えていることに気付けないのは宜なるかなといったところでしょうか。今年もこういう莫迦莫迦しいボタンの掛け違えに気付かないまま、彼らは大衆をミスリードし続けるのでしょう。
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まとめ

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