酒と蘊蓄の日々

The Days of Wine and Knowledges

アメリカでは思うように売れていないらしい

日本では新型プリウスの発売後も受注ペースは落ちておらず、その影響は殆ど受けていないというインサイトですが、アメリカでの売れ行きはあまり芳しくないそうです。目標とされていた9万台/年の達成は困難な状況のようで、5〜6万台にとどまる可能性もあるといいます。

ホンダ「インサイト」:初年度の米販売台数、目標を33%下回る公算

 6月15日(ブルームバーグ):ホンダのハイブリッド車「インサイト」の米販売台数が目標を33%下回る可能性がある。ガソリン価格の下落や景気の落ち込み、トヨタ自動車の「プリウス」との競争が背景にある。

ホンダの米国担当執行副社長ジョン・メンデル氏は11日のインタビューで、3月後半に米ディーラーで発売されたインサイトの初年度の販売台数が5万−6万台にとどまる可能性があると説明し、目標の「9万台には届かないと思う」と語った。

米国のガソリン価格が過去1年間で35%下落したのを受けて、燃費の良い乗用車の需要は縮小している。トヨタはインサイトに対抗するためプリウスの基準価格を1000ドル引き下げた。

(後略)

(C)Bloomberg.co.jp 2009年6月15日


インサイトは当初の年産20万台から3月末の時点で25万台体制となり、4月にはさらに上乗せされているという情報もありました。私も色々想像を巡らせて数合わせをしてきましたが、5月の国内販売台数が私の予想より数千台多かったのは増産によるもののほか、アメリカでの不振の影響もあった可能性が出てきました。

日本ではプリウスに大差を付けられてしまったとはいえ、いまだ少なからぬバックオーダーを抱えて好調をキープしていますが、アメリカでは目標割れになっているとのことですから、その分が国内に振り向けられたと考えても全く不自然ではありません。

また、日本のメディアは「アメリカのビッグ3がコケたのは低燃費車を等閑にしてきたから」というストーリーを盛んに唱えてきましたが、当blogではアメリカの低燃費車市場は原油価格の下落に伴って縮小しており、コンパクトカーは軒並み長期在庫を抱えている状況から、こうしたストーリーは現実を反映していない旨を述べてきました。手前味噌で恐縮ですが、私の記事のほうが正しかったということがこのブルームバーグのレポートでも明らかになったわけですね。日本のメディアの妄想癖に付ける薬はなさそうです。

honda_insight.jpg

いずれにしても、インサイトの正念場はこれからでしょう。以前にも触れましたが、インサイトのエアコンはプリウスやシビックハイブリッドなどのように専用のモーターでコンプレッサーを回すのではなく、普通のクルマと同じようにエンジンの動力を直接利用する仕組みです。エアコンがフル稼働となるこれからのシーズンはアイドリングストップの機会が激減し、燃費の悪化が顕著になるのは間違いありません。ハイブリッド専用車でありながらシビックハイブリッドよりも全般的なシステムは簡易的というインサイトの中途半端さがこれから迎える初めての夏でどう評価されるか気になるところです。

また、かなり細かいところゆえ最近になって知ったのですが、インサイトは停車時に「Dレンジ+フットブレーキ」という状態でないとアイドリングストップが働かないそうです。酷い渋滞とか駐車場の空車待ちとか、停車時間が少し長くなりそうなときはNもしくはPレンジでパーキングブレーキをかける人が少なくないと思いますが、そうしたときインサイトはアイドリング状態のままになってしまうという仕様なんだそうです。

インサイトのハイブリッド用のバッテリー容量が小さく、アイドリングストップ状態で電装品を使っているとバッテリーが上がってしまうとか、そこまでいかなくてもモーターのアシストが不足してしまうとか、何らかのネックがあるのでしょうか? しかし、重ねて言いますがシビックハイブリッドもアイドリングストップ状態でバッテリーからの電力でエアコンを効かせられるくらいなのですから、それは考えにくいところです。もしかしたらマイナーチェンジなどで修正できるレベルのハナシかも知れませんが、現状のインサイトはアイドリングストップの仕様が全く以て意味不明です。

信頼できる筋のハナシに寄りますと、ディーラーへインサイトを見に来た客がフィットに流れるというケースも決して少なくないといいます。フィットも燃費の良いクルマですから、その差でトータルコストの逆転が難しいうえ、居住性などではフィットのほうが数段勝っています。インサイトよりフィットのほうが安くて実用的と判断する人がかなりの頻度でいるというわけですね。

環境性能もLCAで比較したらインサイトとフィットは大差ないかも知れません。新型プリウスのLCA先代に比べて劇的に良くなっているのでかなり胡散臭い感じですが、インサイトはそれすら示さないのですから、やはり大したことがないからでは? と勘ぐりたくなります。

常々述べていますが、私はハイブリッドカーなど世間一般に信じられているほどのエコカーだとは思っていません。そもそも、現在のエコブームの大半はイメージ先行の似非エコであると見ていますから、こうした軽薄な潮流に乗りたくないという抵抗感もあります。が、プリウスのよく練られたハイブリッドシステムはレクサスやエスティマやホンダなどの簡易的なシステムとは一線を画すもので、その面白さを楽しんでいたりします。案外、プリウスのユーザーには私のような「テクノロジー満喫派」も少なくないかも知れません。

本来、インサイトはプリウスと車格が違いますから、マトモにいけばインサイトの上位グレードとプリウスの下位グレードが価格的に重なるものの、装備など差でそれなりに棲み分けができたハズなんですね。しかし、トヨタは明らかにインサイトの中間グレード以上をターゲットに価格設定を引き下げてきました。アメリカではそれが顕著に結果として表れたのかも知れません。

日本国内においてインサイトはまだしばらくは売れ続けると思いますが、次第に話題性が薄れ、プリウスとの素性の違いが広く知られるようになっていったら、日本でも苦戦することになるかも知れません。クルマオンチ揃いの日本の大衆メディアはインサイトとプリウスをハイブリッドカーであるというところで一緒くたにする傾向を強く感じますが、そのときになって初めて両者のシステムの違いを認識することになるのかも知れません。

ル・マンはディーゼル強し (その2)

2007年のデトロイトショーでホンダの福井威夫社長が「ディーゼルには偏見があるので、ディーゼルという言葉を使わない方が良いかもしれない」と記者団に発言したことがありました。私はこれを聞いて非常に腹が立ちましたね。こうしたユーザーを見切ったような言葉遊びは無礼千万ですし、何よりディーゼルエンジンの排ガス浄化という難しい技術革新(関連記事はコチラ)に努めて来たエンジニアたちをも莫迦にしていると思いました。

ディーゼルエンジンの排ガスは高度な技術で見違えるほどクリーンになってきましたし、吹け上がりやパワー感もガソリンエンジンと遜色ないレベルに達しているものは少なくありません。そうした実情を丁寧に説明して偏見を取り除き、理解を得ようとするのがユーザーに対する誠実な態度というものですし、エンジニアたちの努力に報いることにもなります。また、全般的なイメージの悪さも様々な形で払拭していくのがメーカーの務めというものでしょう。呼び名を変えて違うエンジンであるかのように思わせようというのは、姑息な発想と言わざるを得ませんし、下手をすれば市場の混乱を招きかねません。

ホンダはこれまでもモータースポーツでその存在感を示してきましたが、特に福井社長はHRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)の取締役を務めるなど、長くレース畑を歩んできた人でもあります。中でも1978年のWGP(ロードレース世界選手権)の最上位カテゴリーだった500ccクラス(現在のMotoGPに相当)へ復活したときの逸話はいまでも語り草になっています。

4サイクルエンジンにハンデキャップが設けられていなかった2サイクル時代に、あえて4サイクルで挑み、しかも長円形ピストン(←リンク先はPDFです)という無謀とも思える野心的なエンジンを搭載したNR500の開発は入交昭一郎氏がイニシアチブを執っていたようですが、柳瀬弘一氏、吉村年光氏らと並んで福井氏もその数人の若手によるプロジェクトに加わっていました。

NR500のピストン
NR500のピストン
俗にUFOピストンとも呼ばれたこれは8つのバルブと
2本のコンロッドに組み合わされましたから、
要するに2気筒を1気筒に繋げてしまった感じです。
このお化けみたいなピストンをV型で4つ連ね、
最終的には130ps/19,500rpmを達成したそうです。
この技術は耐久レース向けのNR750で楕円ピストンに
発展しています。


この特殊なピストンおよびシリンダは独特の形状から筒内の渦流生成が極めて良好で火炎伝搬の特性も優れており、高出力を得るために超ショートストロークとしても高い効率を得られたそうです。ただ、特殊な構造ゆえ極めて高い加工精度が要求され、信頼性や耐久性などの面で彼らはたっぷり苦しめられたといいます。このチャレンジによる戦績は惨憺たるものでしたが、あの当って砕けた若々しさというのも実にホンダらしく、このエピソードは私の中で殿堂入りです。

それから四半世紀近くを経、従来のWGP500ccクラスは500cc以下の2サイクルと990cc以下の4サイクルとが混走になり、名称もMotoGPへ変更されました。このとき楕円ピストンを使用する場合は重量ハンデが負わされましたが、2007年から2サイクルが禁止になったのに伴い、楕円ピストンも開発費がかさむなどの理由から禁止されることになりました。見方を変えれば、FIAはあのときのホンダのチャレンジをちゃんと記憶しており、近年になって再評価していたということですね。

もし、「ディーゼルという言葉を使わない方が良いかも」などという下らない言葉遊びを提唱したのが豊田一族の社長だったなら、私は失笑しても失望はしません。豊田一族などに初めから希望など持っていませんから。しかし、この言葉を発したのは福井氏で、私は彼のキャリアを知っていただけに、ショックは小さくありませんでした。(逆に、こうしたことがありましたから、第3期F1活動の終了を彼が宣言したとき、私はあまりショックを受けませんでした。)

レース畑を歩んできた福井社長が率いるホンダなら、「レースでディーゼルエンジンのイメージをリファインさせてみせる」くらいのことを言って欲しかったと心底思いましたね。ま、私の勝手な思い入れが過ぎただけなのかも知れませんが。

しかし、ディーゼルに代わる何か別の名前を考えてプロモーションするくらいなら、予算的にいきなりル・マン24時間は無理だとしても、せめてグループAの市販車改造クラスでも総合優勝を狙えるニュルブルクリンク24時間をディーゼルエンジン車で制覇してみせるくらいのことはやって欲しいところです。1998年にはシュニッツァー・モータースポーツのBMW320dがディーゼルエンジン車として初めて総合優勝した前例もあるのですから。

こうしてみますと、アウディやプジョーのアプローチは至って正攻法だと思います。ル・マンというモータースポーツ界でも屈指の伝統と格式を誇り、四輪の耐久レースとしては誰もが別格と認める最高峰のレースでディーゼルエンジンの悪いイメージを払拭しようとしているわけですから。福井氏は彼らの爪の垢でも煎じて飲むべきだと思いましたね。もっとも、あれ以降「ディーゼルという言葉を使わない方が良いかも」といった発言はしていないようですから、思い直したか周囲に諭されたのかも知れませんけど。

そのアウディとプジョーですが、今年もなかなか見応えのあるレースを展開してくれたようです。やはり一強支配よりも接戦が見られるほうがどんなスポーツでも面白いものです。

昨年のル・マンは近年稀に見る接戦でアウディとプジョーがやり合っていましたが、今年はプジョーがリードし、アウディがそれに食らい付いてなかなか離されないといった展開だったようです。カーNo.8のプジョーはポールポジションから序盤の接触事故を経てもトップを守っていましたが、スタートから6時間くらいの時点で予定外のピットインとなりました。原因は左リアタイヤの装着不良という単純ミスだったようですが、その間に同チームのカーNo.9へトップを譲ることになりました。以降は上位に大きな順位変動もなく進んでいったようです。

ただ、20時間を経過した終盤にあってもトップと3位に付けていたカーNo.1のアウディとは僅か2周差だったそうですから、ケアレスミスやマイナートラブル一発でも逆転はあり得るという状況で、実力伯仲の二強が予断を許さないレースを展開していたようです。

結果を見れば1-2フィニッシュを決めたプジョーの完勝といったところですが、今年投入されたアウディR15の熟成が今ひとつだったというハナシもありますから、今後もしばらくはこのディーゼルエンジン車二強時代が続くのかも知れません。

audi_r15tdi.jpg
Audi R15 TDI
従来のV12からV10に改められたディーゼルエンジンの詳細は
明かされていませんが、大幅に軽量コンパクト化されながら、
従来通り1000Nmを超える強大なトルクを得ているといいます。
(F1は超高回転で出力を得ていますので、最大トルクは300Nm程度です。)
空力的にもより洗練されているようですが、フロント開口部の付加物に
プジョーからクレームがつくなど、よく見られる小競り合いもありました。
眩いヘッドライトはロービームがLEDになっているそうで、
バッテリーもリチウムイオン電池が採用されたといいます。


日本人である私は日本のメーカーもワークス体制で参戦し、この間に割って入って欲しいと願ったりするのですが、いまのような経済状況では難しいのでしょうねぇ。せめてテレビ中継だけでも(地上波じゃなくても良いので)復活して、スタートと中盤とゴールシーンだけでも生中継で見たいというささやかな願いは叶って欲しい今日この頃だったりします。

(おしまい)

ル・マンはディーゼル強し (その1)

日本のワークスチームが姿を見せなくなって以降、日本では人気が下降してしまったせいか、ル・マン24時間レースはテレビ中継されなくなってしまいましたね。地上波では1980年代初頭から20年くらいテレビ朝日がダイジェストや実況中継を行っており、1991年にはマツダ787Bが日本車として初めて(現在のところ唯一)総合優勝を成し遂げましたが、あのときまだ大学生だった私はテレビ画面にかじり付いて見たものです。

テレビ朝日が放送権を手放した後も2年間はスカパー!等でスポーツ・アイESPN(現在のJスポーツESPN)が24時間完全生中継をやっていました。が、その後の3年は(私は最近まで知りませんでしたが)やはりスカパー!等で日テレG+がダイジェスト版を放送するのみで、今年はまだその放送予定が示されていないようです。あのル・マン独特の雰囲気が好きなファンにとっては寂しい時代になりました。

2000年以降はアウディの天下といって良い状態が続き、2003年に同じフォルクスワーゲングループのベントレーが(恐らくグループ内の政策的なオペレーションで)勝ちましたが、その後もアウディスポーツジャパン・チーム郷やADTチャンピオン・レーシングなどのプライベーターを含みながらアウディの牙城は崩されずに年月が重ねられていきました。これがマンネリ感に繋がっていたという側面も無視できないでしょう。

2006年にはアウディR10がディーゼルエンジン車として初めてル・マンで総合優勝を果たし、昨年まで3連覇を続けていました。しかし、今年はプジョーが再参戦3年目にして王者アウディを破り、総合優勝を遂げました。これもまた5.5リッターV型12気筒のディーゼルエンジンを搭載しており、ディーゼルエンジン車4連覇ということになったわけですね。

peugeot_908hdi.jpg
PEUGEOT 908HDi
クローズドボディのよく見慣れた感じの
プロトタイプレーシングカーですが、
ディーゼルエンジン特有の低い周波数で
シフトチェンジ時にも抑揚の少ない排気音は、
やはり静止画だけでは解りませんね。


F1マシンの形状が「最も速く走るための理想的なカタチ」と信じている人がよくいるように、モータースポーツ界で活躍していると、それが理想に近いものだと勘違いする人は少なくないようです。が、レースカーの機構や形状、素材など、あらゆる要素はレギュレーションの許す中で最高を求め、レギュレーションに反することのない範疇で理想に近づこうとするもので、純粋に絶対的な性能を追い求めたものではありません。

こうしてル・マン24時間でディーゼルエンジン車が優位に立っているのも、要するにレギュレーションがディーゼルエンジン車に有利なようになっているからです。もし、F1を始めとした他のカテゴリーでも同様の考え方でレギュレーションが改められれば、例え二輪のMotoGPであってもディーゼルエンジンが主流になるでしょう。

ル・マンでディーゼルエンジン車に有利なレギュレーションが設けられている背景には、やはりディーゼルエンジンのイメージアップに繋げたいという意志が働いているのだと思います(あくまでも個人的な憶測です)。西ヨーロッパでは「ガソリンエンジンに比べてCO2の排出量が少ない」とか、「燃費が良いゆえランニングコストが安い」とか(日本のようにガソリン税と軽油税に差があって軽油のほうが安いということではないようですが)、これらの理由で、ディーゼルエンジン車のシェアは年々上がっています。

2007年の時点では西ヨーロッパ全体でディーゼルエンジン車のシェアは53.3%にもなるそうです。冬場に燃料が凍ってしまう恐れがあり、燃料ヒーターが必要になるスウェーデンなど北欧圏では極端にシェアが落ちていますが、フランスとスペインでのシェアは特に大きく、70%前後にもおよぶといいます。このようにル・マン24時間の開催国であるフランスは際立ってディーゼルエンジン車が普及していることもありますから、商業的な思惑も働いているのかも知れません(くどいようですが個人的な憶測です)。

ディーゼルエンジンはガソリンエンジンほどスムーズに吹け上がらないイメージが根強く(実際にはそうでないエンジンも少なからずありますが)、独特のディーゼルノックによる音や振動がガサツな印象に繋がるなど、パワーユニットとして官能的な面で劣るとか、スポーティではないといったイメージも根強いでしょう。モータースポーツ界屈指のイベントであるル・マン24時間での活躍はそうしたネガティブなイメージを払拭するのに最高のプロモーションとなるのは間違いありません。

(つづく)

オバマ政権は米自動車産業を何処へ導くのか? (その2)

経営破綻したクライスラーの債権処理において、有担保債権に対する弁済率が僅か28%であったのに対し、UAW(全米自動車労働組合)が有する担保権のない劣後債権に対しては43%という高い弁済率であったことが批判されています。そもそも、担保権のない債権がこのような優遇措置を受けていたら「劣後債権」という言い方自体がおかしなことになってきます。こうしたインチキがまかり通るのは、UAWがオバマ政権にとって非常に重要な支持基盤であるという以外に納得のいく説明をつけることはできないでしょう。

以前、GMについて述べたときにも触れましたが、アメリカの自動車産業がこうした状況に至った大きな要因の一つが「強すぎる労組」の存在でした。厚遇を求める労組によって企業年金や医療費補助などのレガシーコスト(GMの場合は新車1台あたり1000〜1500ドルともいわれています)が膨れ上がっていったことが収益率を低下させ、財務状況を悪化させていった元凶だという人もいます。私も今回の経営破綻の原因がそれだけによるものとは考えませんが、非常に大きな要素の一つであったのは間違いないと見ています。

クライスラーのケースで有担保債権より優遇されたUAWの劣後債権というのは、こうした企業年金や医療費補助などの未払い分がその大半を占めているものと見られます。いまここに至って、一般の債権者の財産よりこうしたレガシーコストを優先するということは、これまでに何度となく繰り返されてきた「労組への譲歩」というスタンスから何も変わっていないことを示すものです。これでは業界の体質改善など期待できず、むしろ増長させてしまう可能性さえ懸念されます。

新生クライスラーの筆頭株主はアメリカ政府でもなければ経営を主導することになったフィアットでもありません。もちろん有担保債権者たちでもありません。過半数となる55%の株式が割り当てられたのはオバマ政権の支持基盤であるUAWです。これまでストライキなどを武器として経営者に厚遇を迫った彼らは、これから筆頭株主として新生クライスラーの経営者たちと対峙することになるわけです。

一方、UAWに割り当てが予定されている新生GM株は17.5%にとどまっています。アメリカのメディアはこれを好意的に報じたようですが、日本のメディアでもありがちな取材不足を露呈するもので、表面的な数字に踊らされ、上手く煙に撒かれただけのようです。

いすゞとGMの提携やトヨタとGMの提携なども取り成してきたビジネスコンサルタント、ということはGMに関してかなり深いところまで知っているであろうジェイ・W・チャイ氏(彼の奥さんは私が尊敬してやまないモーターアナリストのマリアン・ケラー氏)は、このGMの再建計画について「実態はさらなるUAW優遇」と批判しています。彼のレポートにあるGMの再建計画におけるUAWへの処置を箇条書きにしてみますと以下のようになります。

・VEBA(UAW退職者および家族に対する健康保険基金)への未払い分200億ドルのうち、100億ドルは現金によって支払われる

・残りの100億ドルは新生GMの株式によって補填される

・新生GM株17.5%に加え、65億ドルの優先株をVEBAに発行して年間9%の配当(5億8500万ドル)を約束

・25億ドルの約束手形を発行して金利年9%(2億2500万ドル)で2017年まで3回分割払いされる

つまり、当面は合計8億1000万ドルもの現金が毎年UAWの管理下にあるVEBAに振り込まれるというわけです。この見返りとしてUAWが譲歩したのは2015年までストライキを行わないということと、有給休暇を1日減らしたこと、医療費補助の項目からバイアグラの購入を外すことくらいだといいます。こうした実態をチャイ氏は皮肉たっぷりにこう評しています。

シナリオ通りに新生GMが立ち上がれば、米国で最も生産性の高い企業として生まれ変わり、「世界のトヨタ」といえども大変な苦戦を強いられることになるのでしょうね。なにしろ、UAW組合員1人当たりに約100万ドルもの国費をGMとクライスラーの救済に投入するわけですから。



インディアナ州の年金基金の運用を担うマードック財務担当官がクライスラーの優良資産の売却を差し止めるよう最高裁に求めたのは前回触れたとおりですが、そのとき彼は「オバマ政権の超法規的措置が認められれば、アメリカの資産は海外に逃避するだろう」と述べていました。

これはクライスラーの債権者にとどまらないもっと広範囲の悪影響を端的に示すものです。倒産した自動車会社を一時的に国有化しながら、投資家や債権者の財産が大きく損なわれる一方、政権の支持基盤は優遇されるという無秩序を許してしまうと、もっと真っ当な債権処理ができる国へ投資したほうがリスクは少ないと判断され、資本の海外流出が加速しても不思議ではないでしょう。

オバマ政権は超大型倒産となったGMとクライスラー両社の再建に当って、債権者の財産より自身の支持基盤であるUAWの利益を優先しました。その一方で債務削減に応じなかった債権者を「反国家的な態度」とまるで反逆者のごとく罵りました。もし私が資本家だったとして、このような誹りを受けたなら、この業界には二度と投資すまいと誓うでしょう。

普通の企業や個人が借金を踏み倒せば与信度はガタ落ちになり、その後は借金しにくくなるのが当たり前です。これまで投資してきた人たちへの弁済を軽々しく考え、無下に扱えば、これからの投資も募りにくくなるということに彼らは気づいていないようです。民間からの投資を得ずに今後もずっと国有としてやっていくつもりなら関係ないかも知れませんが、民間企業として再生させたいというのであれば最初のボタンを掛け違えているような気がします。

オバマ政権はアメリカの自動車産業を何処へ導こうとしているのでしょうか?

(おしまい)

オバマ政権は米自動車産業を何処へ導くのか? (その1)

オバマ大統領は世界的にもそうですが、日本のメディアからもことごとく美化され、英雄視されてきました。が、これまでにも当blogで何度か取り上げてきましたように、彼はメディアが持ち上げるような理想の政治家などではなく、表と裏の顔を使い分け、利権を私的に振り回す何処にでもいるようなタチの悪い政治家であるのは間違いなさそうです。今般のGMやクライスラーの再建計画においても彼の独善的な行動が目立っています。

ご存じのように、昨日(6月10日)クライスラーの優良資産の売却が完了し、フィアットが経営の主導権を担う「新生クライスラー」が発足しました。この売却手続きが完了するまで連邦破産法の適用申請から1ヶ月余りを要したのは、最高裁判所へその差し止めが請求されていたからです。

インディアナ州の年金基金もその一つで、これを預かるマードック財務担当官は「有担保債権者への弁済率が低すぎる」として新会社への資産売却の差し止めを求めました。つまり、同州の年金基金はクライスラーの大口債権者で、政府が提示した弁済率28%、即ち債権額1ドルに対する弁済(今回のケースでは新会社の株式による補填)は僅か28セントですから、これには納得できないとしたわけですね。同様の債権者は沢山おり、インディアナ州の年金基金以外からも300件以上の差し止めが請求されていました。

クライスラー本社
クライスラー本社ビル

さらに問題なのは、彼ら有担保債権者に対する弁済率があの有様なのに、担保権のない劣後債権者であるUAW(全米自動車労働組合)に対する弁済率は遙かに高い43%となっているところです。これは誰がどう考えても滅茶苦茶です。こんな理不尽な依怙贔屓は常識的に考えればあり得ないことです。が、UAWはオバマ政権にとって非常に重要な支持基盤であるという事実を認識すれば、こうした処置に至ったのは何故かという疑問は氷解するでしょう。

クライスラーの債権者たちが資産売却の差し止めを請求したのは当然のことで、それを受けた最高裁はこれまで留保を命じ、判断を延期してきました。が、今月9日に売却を承認したことから翌日に新生クライスラーの発足となったわけです。300件以上にもおよぶ差し止め請求が棄却されたのは、ソトマイヨール最高裁判事がオバマ政権によって指名された人物だったことと関係があったのか否か、私には解りませんが。

私が個人的に許し難いと思ったのは、オバマ大統領本人の発言です。上述のように有担保債権者に対して非常に低い弁済率で債務削減を求めたわけですが、それに応じない債権者に対して彼は「反国家的な態度を取った投資家」と言ってのけました。

普通に考えれば債権者に対して「借金を棒引きにしろ」ということ自体が非常に厚かましいハナシで、それに応じないのは当たり前のことです。そこを説得するために様々な取引材料を提示して理解を得ようと務めるのが常識的な対応というものです。しかし、オバマ政権は自分たちの支持基盤を優遇し、本来保護されるべき債権者を冷遇しました。そのうえ債務削減に応じなかった人たちは反逆者のように罵られたわけです。

彼は大統領選のときも皆保険制度の導入など手厚い社会保障の実現を公約し、それに向けた財源として企業や高所得者層の増税などを掲げました。当然、増税の対象とされた人たちから批判の声が上がったわけですが、彼は「増税に反対する人たちは利己的」と一蹴しました。要するに、オバマ大統領は以前から自分の意に沿わない人たちを「悪」と決めつける傾向があったということですね。まるで独裁者のようです。

こうしてクライスラーの再建計画はオバマ政権の支持基盤をあからさまに優遇する一方、インディアナ州の年金基金に大きなダメージを与えても、同様に多くの債権者の財産が損なわれても、これを顧みることはなく、強引な手法で独善的に進められることになったのです。

(つづく)
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